中央ユーラシア史

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スキタイ[編集 | ソースを編集]

  1. 金ピカ古代文明。
  2. アッシリアアケメネス朝相手に大暴れ。
  3. ヘラクレスとエキドナの子孫だってローマ人が言ってた。
  4. 代表的なクルガン建造民族の一つ。
    • クルガンとは中央アジアからヨーロッパにかけて見られる古墳的なもの。
    • 黄金製品がざくざく埋まってることもある。
  5. 最高神は竈の女神・タビティ。
    • なんか遊牧民らしくない気がする。
      • スキタイには遊牧スキタイの他に農耕スキタイ・農民スキタイとかもいる。
    • 火炎崇拝って考えたらイラン系民族らしくはあるかもしれない。
  6. 小スキタイはドナウ川河口付近のこと。
    • あの辺の住民って昔からトラキア系でスキタイの土地じゃなかったはずなんだけど。
    • ブルガリア帝国が出来るころまで、東ローマ帝国の小スキタイ属州は存続していた。
    • このせいで、スキタイと全然関係ないディオニシウス・エクシグウス(西暦を考案した人)がスキタイ人呼ばわりされる。
  7. 東方の一派はサカと呼ばれる。
    • 漢書西域伝にある「塞」と同種族ともされる。

匈奴[編集 | ソースを編集]

  1. 紀元前最強の遊牧国家。
    • でも、にはボコされてる。
      • 冒頓単于が出るまでは最強ってほどでもない。
    • は武帝登場までやられっぱなし。
  2. 東アジアで匈奴系国家は五胡十六国の夏が最後。
    • 独孤氏は末まで貴族として栄える。
      • 独孤損は宰相にまでなっている。
        • 朱全忠の貴族大粛清で死亡。匈奴の末裔・独孤氏の栄華もここまで。
  3. フンやエフタルは西に向かった匈奴だと言われている。
  4. トルコ人によると元祖・トルコ人国家。
    • 議論はあるけど、匈奴語はトルコ系の言語なのはガチっぽい。

月氏・クシャーナ朝[編集 | ソースを編集]

フン族[編集 | ソースを編集]

  1. 欧州東部に巨大勢力を築いた遊牧民族。
  2. 370年ころ、ヴォルガ川を越えヨーロッパに侵入。
    • 「ゲルマン民族の大移動」とは、ウクライナにやって来たフン族からゲルマン民族が逃げ出したことである。
  3. 一枚岩ではない。
    • 東西ローマや西ゴートはフン族を傭兵として雇ってることもあった。
  4. 匈奴と同じ民族とも言われている。
  5. アッティラが亡くなると求心力もなくなり、ゲピド族に敗れて覇権を失った。

柔然[編集 | ソースを編集]

  1. 鮮卑が五胡十六国時代に華北に引っ越したので、空いたモンゴル高原で拡大した勢力。
  2. もともと鮮卑拓跋部に従属していた。
    • 勢力を増してモンゴル高原で覇権を取った後も、拓跋部の国家・北魏に何度もボコボコにされる。
    • 南朝と連携して北魏に対抗。
      • 中国で南北朝が長続きしたのは柔然の存在も大きい。
  3. 突厥により滅ぼされた。
  4. 西に移ってアヴァールになったと言われている。
    • 本当かどうかは怪しい。何でもかんでもモンゴル高原から来たことにするんじゃあない。

エフタル[編集 | ソースを編集]

  1. トルキスタンから北インドにかけて栄えた大帝国。
  2. インド人やペルシア人は「白いフン」と呼んでいた。
    • 白いフン族って意味であって、鳩の糞みたいなイメージをしてはいけない。
  3. どこから来たのか不明。
    • アルタイ山脈から南下してきたとか、パミール高原から来たとか。
    • 『北魏書』によると大月氏の一族。
    • プロコピオスによると、フン族の一種らしい。
  4. 100年かけてグプタ朝を滅亡させた。
  5. サーサーン朝に朝貢させる。
  6. 突厥・サーサーン朝同盟に567年に打ち倒された。
    • でも、その半世紀ばかり後にに朝貢してる。この遣使はどこから来たんだ?
  7. 3度目の大海嘯で滅んだ。

突厥[編集 | ソースを編集]

  1. 後のトルコである。
    • 当時はモンゴル高原からアラル海にかけてを領土としていた。
      • 西突厥はカスピ海に達した。
    • 突厥という国名自体、トルコ(テュルク)を漢字音写したもの。
    • 最終的にウイグルに滅ぼされたけど、そのウイグルもテュルク系。
  2. 優れた製鉄技術で覇権をとった。
  3. ヨーロッパから中国まで影響を及ぼした最初の汎ユーラシア帝国。
    • 東ローマ帝国と同盟し、サーサーン朝ペルシアと戦争し、と攻防を繰り広げた。
  4. 独立からたった30年で東西分裂してしまった。
  5. 7世紀半ばには東突厥も西突厥も唐の支配下に入る。
    • 7世紀の唐の強さは異常。
  6. 唐から突厥第二可汗国が再独立してから突厥文字を使いだした。
    • 突厥第一可汗国の頃は碑文やら行政文書にはソグド語を使ってた。
    • 属国化してた期間にナショナリズムが芽生えたのか、唐支配下で文明化が進んだのか。

吐蕃[編集 | ソースを編集]

  1. チベット人が言うところの「大チベット」。
  2. そもそも、吐蕃によって「チベット」は誕生した。
    • 仏教を国教にする。
      • でも、突発的に廃仏も起こる。
    • ラサ建都。
      • このとき建立されたトゥルナン寺・ラモチェ寺は建物は変遷しつつ今日もラサ市内に存在する。
      • 吐蕃時代のものとしては、ゾルの外の碑、唐蕃会盟碑が現存。
    • チベット文字の開発。
  3. 鮮卑の末裔って噂がある。
    • 青海あたりにいた吐谷渾は鮮卑系なのでありえなくもないのかも。
  4. と真っ向から戦ってるわりに、影響も深い。
    • 唐から来た王妃もいて、大事にされてた。
    • 、紙、養、政治制度などなど。
    • 突厥をも支配してた最盛期の唐相手に勝ち星をあげる強国。
    • 安史の乱では、もうやりたい放題。
      • 長安占領して皇帝擁立までやってる。
  5. 後半はウイグルとの戦いに明け暮れる。
    • 安史の乱に乗じた吐蕃と安史の乱を鎮めたウイグルが対立するのは必定だったのかもしれない。
      • ウイグルも、最終的に唐の援軍になったとはいえ、侵攻してるけどな。
    • 840年に西域・河西回廊をウイグルに占領され講和。
      • これにて吐蕃VSウイグルはウイグル勝利で決着。
        • と、思いきや数年のうちに両方とも内乱で木端微塵に。
      • 最終的に吐蕃が去った後の西域・河西回廊には、ウイグル可汗国の残党によって天山ウイグル王国と甘州ウイグル王国ができた。
  6. 最後の王、ラン・ダルマは仏教を弾圧。
    • 仏教国教化で国民の負担がおかしなことになってた反動。
    • 結局、ニンマ派の僧侶に刺されて死ぬ。
      • その後、後継者争いで南北分断。
      • この暗殺成功によってニンマ派が栄えたかというと全然そんなことはない。
      • チベット高原の数世紀続く混乱を見るに、桓武天皇の仏教政策は偉大。
        • 時代も半世紀程度しか違わないし、下手すると日本もこうなってたかもしれない。
  7. 統一を失った後も吐蕃王家の血をひく王朝は長く続く。
    • 最後まで残ったのはグゲ王国で1630年滅亡。

ハザール[編集 | ソースを編集]

  1. なぜかユダヤ教に改宗しちゃった不思議な人たち。
  2. 突厥の最西端勢力。
    • つまりテュルク(トルコ)系。
  3. ブルガール人をぶちのめして黒海北岸も奪い取る。
    • ドナウ川の南に今のブルガリアが出来たのはハザール人の影響。

ガズナ朝[編集 | ソースを編集]

モンゴル帝国[編集 | ソースを編集]

  1. 史上最大級の帝国。
  2. パクス・モンゴリカ。
    • モンゴル帝国による平和。当てはまるのはせいぜい14世紀前半くらいな気がする。
      • 13世紀中は遠征と内部抗争で落ち着かない。14世紀半ばにはどこの構成国も戦乱まみれになってる。
      • 元に限っては14世紀前半も政争で朝廷はグダグダ。

イル=ハン国[編集 | ソースを編集]

  1. 赤い服を来たこの国の王子様が黄金の国ジパングで名を馳せた。
    • 金だけもらってビールの国へ逃亡したという噂も。
    • 世界大戦以降の衰退が著しい。
  2. 日=韓国。
  3. 首都の名前が留年組。
  4. 一応、血統的にはチンギス・ハーンの末裔がずっと皇帝をやっていた。
    • 親戚筋で今のロシアやウクライナ方面にあったキプチャク=ハン国とは領土紛争を起こして仲違い。

チャガタイ・ハン国[編集 | ソースを編集]

  1. モンゴル帝国の中部地方。
    • 中央アジア南部にあった。
    • まるで一体感がない。
      • 一時期はオゴデイ家のカイドゥの傘下に入ってた。
        • カイドゥの子チャパルを1306年に降伏させて、ようやく実質的な建国を果たす。
      • 1347年には早くも東西分裂。
    • 本人たちも「中央王国」って呼んでた。
  2. 草原地帯の東チャガタイとオアシス地帯の西チャガタイで分裂。
    • 生活スタイルの不一致で別れた。
    • 東チャガタイは遊牧の伝統を大事にしてモグーリスタンと呼ばれるようになる。
    • 西チャガタイはオアシスで地元の文明に染まる。
      • チャガタイ語が誕生し、後世も含めて豊かな古典文学を生み出していく。
    • この東西争いの中で頭角を現したのがティムール。
  3. モンゴル帝国のインド方面担当。

ジョチ・ウルス[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆるキプチャク・ハン国。
  2. 首都はサライ。往時は数十万人の大都市。
    • 現代のヴォルゴグラードとアストラハンの間、ヴォルガ川沿いにあった。
    • 24時間テレビの歌を連想するかもしれないが、それは正解。
  3. タタールのくびきによりロシアの地を支配。
    • ノガイによりバルカン方面にも進出。
  4. 端っこだし草原地帯メインなせいかモンゴル帝国諸邦では一番安定してる気がする。
  5. ティムールが大暴れした結果バラバラに。
    • 最後のモンゴル帝国系の国家、カザフ・ハン国は19世紀半ばにロシア帝国に完全に吸収され消滅。
      • ジョチ・ウルスはバラバラになってもやっぱり安定感がある。

ティムール帝国[編集 | ソースを編集]

  1. チンギス・ハンの子孫だと言い張る。
  2. 片足が不自由なのに異常に強かった。
  3. オスマン・サンコン帝国を打ち破る。以降、極東地方では某地方の代表勢力となったことから、ムルアカ・ボビー連合帝国との別称を得る。

オイラト[編集 | ソースを編集]

  1. 近世におけるモンゴル系民族の2大派閥の一方。
  2. チンギス・カンの頃に登場したが、当時からそこそこ強大な勢力だった。

グシ・ハン王朝[編集 | ソースを編集]

  1. チベットの王朝。
    • チベット人地域をほぼ統一する
  2. オイラトの盟主グシ・ハンがジュンガリアから南下して打ち立てた王朝。
    • グシ・ハンはホシュート部の長だったことからホシュート・ハン国とも言う。
  3. グシ・ハンが去ったジュンガリアについては娘婿のバートル・ホンタイジに任せている。
    • そこから発展したのがジュンガル帝国。
  4. ダライ・ラマ政権(ガンデンポタン)はグシ・ハンがヤルンツァンポ河流域を寄進したことで誕生した。
    • 経緯としては教皇領の誕生とだいたい同じ。
    • ハンの称号を与えたのもダライ・ラマ5世だし。
  5. 青海省のモンゴル人はグシ・ハンととも移住してきたオイラトの末裔。
  6. により解体された。

ジュンガル帝国[編集 | ソースを編集]

  1. 最後の遊牧帝国。
  2. ガルダン・ハーンが一挙に巨大化させた。
  3. ロシアと通じて火器も手に入れる。
    • 火縄銃手はプーチンと呼ばれた。
    • 18世紀前半にスウェーデン人砲兵がジュンガルの首都まで来てたりもする。
    • ロシアとはジュンガル帝国誕生の頃からの付き合い。
      • 初代のハラフラはモンゴルにやられてロシア帝国内に逃げ込んでたこともある。
    • 逆にロシアと争って他に手が回らなくなってることもあった。
  4. 乾隆帝に滅ぼされる。