中央競馬の競走/GI
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- 新規追加は開催時期順に(1月から)。
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1~6月[編集 | ソースを編集]
フェブラリーステークス[編集 | ソースを編集]
- 東京ダート1600m
- 中央競馬のGIで毎年最初に行われるGIレース。
- 1984年から1993年まではGIIIの「フェブラリーハンデキャップ」だったが、1994年にGII昇格。レース名も「フェブラリーステークス」に改称された。
- 中央競馬と地方競馬の交流競走が拡大されるなか、1997年には中央競馬のダート重賞競走として初めてGIに格付けされた。
- 「フェブラリー(February)」は英語で2月のことだが、1999年のみ1月(31日)にレースが開催されたことがある。
- この時の勝ち馬は岩手のメイセイオペラ。
- 2003年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場のダート1800mで開催された。
高松宮記念[編集 | ソースを編集]
- 中京芝1200m
- 春のスプリント王者決定戦。かつての名称は「高松宮杯」。
- ジャパンカップダートがチャンピオンズカップとして2014年に移動するまでは唯一の中京競馬場かつ第三場としてのG1レースだった(代替開催の新潟でのスプリンターズステークスは除く)。
- 1995年まではG2で2000mであり、夏の中京の中長距離決定戦だった。
- 1996年春のスプリント王者決定戦としてG1に格上げされてから最初のレースのファンファーレはいろんな意味で伝説。
- また、この年には三冠馬ナリタブライアンが参戦するというのも話題になった。
- 2011年は中京競馬場の改修工事の影響で、阪神競馬場での代替開催に。
大阪杯[編集 | ソースを編集]
- 阪神芝2000m
- 2017年からG1昇格。かつての名称は「産経大阪杯」。
- G1に格上げされてから、産経賞はセントウルステークスへ移動した。
- GII時代にも有力馬がシーズン初戦としてこのレースに出走することが多く豪華な面子になることが多かった。
- トウカイテイオーが出走した1992年のレースで実況の杉本清アナは「前の二頭はもうどうでもいい」と実況してしまった。
桜花賞[編集 | ソースを編集]
- 阪神芝1600m
- 1939年にイギリスの1000ギニーを手本として創設。
- 当初は「中山四歳牝馬特別」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1947年から。
- 阪神競馬場での開催になったのは1950年から。
- 当初は「中山四歳牝馬特別」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1947年から。
- 阪神競馬場の改修前は前半のペースが早くなりやすく「魔の桜花賞ペース」と呼ばれていた。
- 改修後は順当な結果になることが多くなっている。
- 岡部幸雄騎手は旧八大競走の中で、このレースだけ勝てなかった。
- 桜花賞の名の通り、スタート地点の付近には毎年桜が咲いている。
- どうやら、桜の木の幹を冷やしたりして開花時期をずらしているらしい。
- 「後ろからは何にも来ない!後ろからは何にも来ない!後ろからは何にも来ない!」
- 同名のレースが日本のあちこちに存在する。
- 南関の奴がこのレースの次に有名なのかな?
中山グランドジャンプ[編集 | ソースを編集]
- 中山障害芝4250m
- 1999年の障害レース改革に伴い、春の中山大障害をリニューアルして創設。
- 第1回は桜花賞と同日開催だった。
- 2011年(第13回)は震災の影響で夏に開催された。
皐月賞[編集 | ソースを編集]
- 中山芝2000m
- 1939年にイギリスの2000ギニーを手本として創設。
- 当初は「横浜農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1949年から。
- その名の通り、1942年までは横浜競馬場で開催していた。現在の名称になった年から中山競馬場に定着。
- それにしては距離が1マイルではない。
- 「2000ギニーがモデルなんやから2000mでええやろ」なんて決め方じゃないだろうな。
- 日本でそれなりに三冠馬が出るのはこの距離設定のおかげだから結果的に良い判断だった。
- 1600m以下の重賞勝ってる三冠馬はナリタブライアンしかいない。
- 三冠馬をそこまで1600m以下のレースに出さないからってのもあるけど。
- 1600m以下の重賞勝ってる三冠馬はナリタブライアンしかいない。
- そこからダービー制覇+NHKマイルカップ制覇の変則二冠という概念が誕生した。
- 2000mの皐月賞より1600mのNHKマイルカップを重視する考え方。
- 当初は「横浜農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1949年から。
- 「最も速い馬が勝つ」と言われている。
- スピードを求められるのもそうだが、早期に活躍できる馬でないと出場できないため。
- 2011年は震災で中山競馬場が被災したため、東京競馬場で代替開催。
- オルフェーヴルが三冠馬になったのはこの年。この為、戦後唯一クラシック三冠を制した馬で、三冠戦限定で中山を走っていない競走馬になった。
- そして同じ年の有馬記念を制し、中山も制覇。
- オルフェーヴルが三冠馬になったのはこの年。この為、戦後唯一クラシック三冠を制した馬で、三冠戦限定で中山を走っていない競走馬になった。
- ちなみに「皐月」とは5月のことだが、例年4月中旬に開催されている。
- これは皐月賞を5月にやるとダービーが梅雨時の6月頃になってしまうことなどが要因らしい。
天皇賞(春)[編集 | ソースを編集]
- 京都芝3200m
- 通称「春の盾」。
- 平地のG1では最長の3200㍍を走る。
- 後述の秋にも言えるが、1980年までは一度天皇賞を制した馬は次の天皇賞に出走できない「勝ち抜き制」があった。これは天皇賞の権威を下げずに優勝馬を早期に繁殖馬にさせるという考えがあった。
- この為、1955年まで優勝した馬は次に目標とするレースがなくなり引退する馬が多い為、より一流のレースを求めて「勝ち抜き制」がない有馬記念が創設されるきっかけになった。
NHKマイルカップ[編集 | ソースを編集]
- 東京芝1600m
- 前身レースはダービートライアルの「NHK杯」。
- 外国産馬クラシック解禁以前は外国産馬がこぞって出走していたため「マル外ダービー」と呼ばれていた。
- ファンファーレを担当するのは「N響」ことNHK交響楽団。通常のファンファーレよりテンポをゆっくりにして厳かな雰囲気を出している。
- NHKでは放送するにあたってこの年の朝ドラや大河出演者をゲストとして招いている。
- 一方フジテレビはかつて競馬中継内では「マイルカップ」と言っていたことがあった。
- 高配当が出やすいGIレースであり、2007年には三連単が900万円を超す大波乱になったことがある。
- NHKマイルカップとダービーを制覇することを変則二冠という。
- これへの挑戦が松国ローテ。レース間隔の短さからたいていの馬は年内引退を余儀なくされる。
ヴィクトリアマイル[編集 | ソースを編集]
- 東京芝1600m
- 春の古馬女王決定戦で、マイル女王決定戦。
- 安田記念の一ヶ月前に行われ、ウオッカなどヴィクトリアマイルの上位馬が安田記念の馬券圏内に絡むことが多い。
- 2015年には5番人気の馬が勝ち、2着に12番人気の馬が、3着に最低18番人気の馬が入り(その時の鞍上は江田照男騎手)1倍台の1番人気馬が着外に敗れたこともあって、3連複が286万円、3連単が2070万円の大波乱になった。
優駿牝馬(オークス)[編集 | ソースを編集]
- 東京芝2400m
- 1938年にイギリスのオークスを手本として創設。
- 当初は「阪神優駿牝馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1946年から。
- 2010年には、アパパネとサンテミリオンが1着同着になるというGI史上初の出来事が起こった。
- レース後には蛯名正義騎手(アパパネ)と横山典弘騎手(サンテミリオン)が二人揃って勝利ジョッキーインタビューを受けた。
東京優駿(日本ダービー)[編集 | ソースを編集]
- 東京芝2400m
- 1932年にイギリスのダービーを手本として創設。
- 「最も運のある馬が勝つ」と言われている。
- 大昔の28頭立てだったころは大外を引けば大幅ロス確定であり、可能な限り内枠(最内枠だと馬群にのまれやすいのが難点)を引ける運も実力のうちだった。
- 今日はダービーめでたいな
- この言葉から関係者などでは日本ダービーは競馬界の大晦日と捉えることが多く、ダービーが終わった翌週以降から2歳新馬戦が始まる。
- レース前には国歌の斉唱が行われる。
- GIの中で一番注目され盛り上がるレース。
- 競馬は興味なくてもダービーは知っている人は多いと思う。(有馬もか?)
安田記念[編集 | ソースを編集]
- 東京芝1600m
- レース名の「安田」は競馬法制定や東京優駿(日本ダービー)の創設などに尽力し、日本中央競馬会の初代理事長も務めた安田伊左衛門に由来。
- 1951年に「安田賞」の名称で創設。現在のレース名になったのは1958年から。
- 馬券がかなり荒れやすいレースで、三連複や三連単が高配当になることもしばしば。
- 3歳馬が古馬と対戦できる最初のGI。
- 3歳馬の優勝は2011年のリアルインパクトのみ。
宝塚記念[編集 | ソースを編集]
- 阪神芝2200m
- 有馬記念のようなビッグレースを関西にも、という声の元1960年に創設。
- 現在の6月下旬開催になったのは2000年から。それ以前は6月上旬や7月上旬に開催されていた年もあった。
- 1999年からは専用のファンファーレが使用。
- 過去京都競馬場で7回(1966・1969・1974・1976・1991・1995・2006)、中京競馬場で1回(1980、芝2400m)開催されたことがある。
- 今年も貴方の、そして私の夢が走ります。
- 3歳馬も出走可能だが、勝ったことはない。
- これまでの最高着順は1963年のコウライオーと2002年のローエングリンの3着。
- 2003年にはネオユニヴァース・2007年にはウオッカという同年のダービー馬が出走したが、いずれも着外に終わっている。
7~12月[編集 | ソースを編集]
スプリンターズステークス[編集 | ソースを編集]
- 中山芝1200m
- 秋のGIシリーズの開幕を飾る短距離戦。
- 1967年に創設。1984年のグレード制導入に伴いGIIIに格付けされ、3年後の1987年にはGIIに昇格。GI競走となったのは1990年から。
- 1990年から1999年までは有馬記念の前週に開催されていたが、2000年から秋の中山開催最終日に開催時期が移動された。
- GII時代は春に開催されていたこともある。
- 2002年と2014年は中山競馬場の改修工事の影響で、新潟競馬場での開催となった。
- 2002年は東京の改修工事で東京→中山→新潟と日程が押し出された影響。
- 2014年は8枠18番が優勝。
- 中山の1200mフルゲートが16頭なので、今後このレースでこの馬番が優勝することはおそらくないだろう。
秋華賞[編集 | ソースを編集]
- 京都芝2000m
- 他の牝馬三冠やクラシック三冠と異なり、手本となる海外のレースが存在しない。
- エリザベス女王杯が古馬女王決定戦に移行する為、それに替わるレースとして1996年に創設。
- 牝馬三冠時代のエリザベス女王杯は2400mだったのが、このレースでは400m短い2000mとして施行されている。
- ローズステークスと紫苑ステークスがトライアルになっているが、優駿牝馬から直行した馬が勝つケースもある。
- 2001年のテイエムオーシャン、2006年のカワカミプリンセス、2018年のアーモンドアイ、2019年のクロノジェネシス、2020年のデアリングタクト。
- 2021年のアカイトリノムスメも直行で勝利したが、2022年のスタニングローズは紫苑Sを叩いて勝利。久々にジンクスを打ち破った。
- 2001年のテイエムオーシャン、2006年のカワカミプリンセス、2018年のアーモンドアイ、2019年のクロノジェネシス、2020年のデアリングタクト。
- 2008年、GIで初めての1000万馬券がこのレースで出た。上位人気が尽く着外に沈み、11番人気→8番人気→16番人気で決着。
- 2021年・2022年と阪神2000mでの開催となり、16頭でのレースとなった。(京都芝2000mだとフルゲートは18頭だが阪神芝2000mだと16頭までしか出走できない)
菊花賞[編集 | ソースを編集]
- 京都芝3000m
- 1938年にイギリスのセントレジャーステークスを手本として創設。
- 当初は「京都農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1948年から。
- 「最も強い馬が勝つ」と言われている。
- ただ距離が長いため、長距離適性がない馬は天皇賞(秋)を目指すことも…。
- 2015年はキタサンブラックが勝利したが、事実上の馬主である北島三郎が表彰式で勝った時の公約だった「まつり」を熱唱したため、最終レースの発走時間が遅れたのは有名な話w
- 「菊の季節にサクラが満開!」
- 「神戸、そして京都に次いで、菊の舞台でも福が来た!」
- トライアル競走はセントライト記念と神戸新聞杯。
- 他には2勝クラス(旧:1000万円以下)の九十九里特別(中山芝2500m)と兵庫特別(阪神芝2400m)がある。
- 九十九里特別→菊花賞と連勝したのは2004年のデルタブルースがいる。
- 一方で兵庫特別を勝って本番の菊花賞でも好走したのはビートブラック(2010年)とバンデ(2013年)ぐらいしか思いつかない。
- 札幌の2600を叩いて来る馬もいるが、これも好成績を残した馬をあまり見かけない。マンハッタンカフェ(2001年)くらいか?
- 11月開催だった頃は京都新聞杯もトライアルの一つだった。
- 上述の「神戸、そして京都に次いで〜」のように、神戸新聞杯→京都新聞杯→菊花賞と叩く馬もいた。
- 他には2勝クラス(旧:1000万円以下)の九十九里特別(中山芝2500m)と兵庫特別(阪神芝2400m)がある。
- 「強い馬」の格言に恥じず、古馬になってからも活躍する馬を多く輩出している。
- 単冠馬に限定しても古くはスーパークリーク、メジロマックイーン、ライスシャワー、昨今はエピファネイア、キタサンブラック、タイトルホルダーなどがいる。
- 皐月と菊の二冠馬に広げるとミホシンザンやゴールドシップなどが古馬になっても第一線で活躍した。
- ただ2000年代の菊の単冠馬はあまり活躍できなかった。ヒシミラクルくらいか。
- 「古馬になっても活躍できるのは晩成だからじゃね?」と言われることも多いが、ライスシャワーやエピファネイアなど2歳から一定の実績を残し、春のG1で善戦した末、菊の舞台で悲願の戴冠を果たした馬もいる。
- 単冠馬に限定しても古くはスーパークリーク、メジロマックイーン、ライスシャワー、昨今はエピファネイア、キタサンブラック、タイトルホルダーなどがいる。
- 2021年・2022年は京都競馬場改装のため阪神で開催。
- 2021年の菊の勝ち馬タイトルホルダーは翌年、同じく阪神開催の天皇賞春・宝塚記念を制覇し、前人未到の「阪神三冠」を達成した。
- さすがに大阪杯を狙うのは無茶でしょう。
- 2021年の菊の勝ち馬タイトルホルダーは翌年、同じく阪神開催の天皇賞春・宝塚記念を制覇し、前人未到の「阪神三冠」を達成した。
天皇賞(秋)[編集 | ソースを編集]
- 東京芝2000m
- 通称「秋の盾」。
- 1984年に2000㍍に短縮された。
- それ以前は春と同じ3200㍍を走っていた。
- 1978年に八大競走では唯一と思われるカンパイ(スタートのやり直し)が発生した。
- 2002年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場での開催に。
- 1970年代から1990年代にかけて、「秋の天皇賞は1番人気が勝てない」というジンクスが存在していた。
- 1985年→シンボリルドルフがゴール前でギャロップダイナに交わされ2着。
- 1991年→メジロマックイーンが2コーナーでの斜行により18着に降着。
- 1992年→トウカイテイオーが乱ペースに巻き込まれ7着。
- 1998年→サイレンススズカがレース中に故障を発生し競走中止。
- この時代このジンクスを破ったのは1984年のミスターシービーと1987年のニッポーテイオーのみ。その後2000年にテイエムオペラオーが勝つまでずっと1番人気はこのレースで勝てなかった。ただし2000年以降は逆に「1番人気が強い」レースになっている。
- ちなみにミスターシービーの前はシンザンまで遡る。
エリザベス女王杯[編集 | ソースを編集]
- 京都芝2200m
- 秋華賞導入以前はこのレースが牝馬三冠路線の最終戦。
- 距離も現行の2200mより200m長い2400m。
- 唯一桜花賞、オークス、エリザベス女王杯で三冠を達成したのはメジロラモーヌのみ。
- 前身レースは「ビクトリアカップ」。
- 2010年・2011年とイギリスからの遠征馬スノーフェアリーが連覇を達成しており、国内の平地GIでは唯一となる海外馬の連覇を果たした。
- 3歳戦のときはサンドピアリスやタケノベルベットが人気薄で大穴を開けたり、古馬混合になってからもクイーンスプマンテとテイエムプリキュアが二頭逃げ切るなど波乱の傾向のあるレース。
- 2008年にはスタート直後に鞍上(武豊騎手)を振り落とした馬がそのままカラ馬の状態で逃げ、カメラから消えたと思いきや大外から現れて本来の勝ち馬よりも先にゴールしてしまうという珍事が起こった。
- エリザベス女王は死去したが、名前はそのままで行くようである。
マイルチャンピオンシップ[編集 | ソースを編集]
- 京都芝1600m
- レース名通り、秋のマイル路線のチャンピオンを決めるGIとして1984年に創設。
- 当初は春に行われていたマイラーズカップを秋に移設・格上げする予定だったらしい。
- 創設から10年ぐらいは1番人気馬の連対率100%だったが、1着トロットサンダー(4番人気)・2着メイショウテゾロ(16番人気)で馬連10万4390円という大波乱に。
- 第1回からずっと京都開催だったが、2020年は京都競馬場の整備工事の影響で阪神競馬場での開催になる予定。
- 過去このレースを連覇した馬が6頭いる(ニホンピロウイナー、ダイタクヘリオス、タイキシャトル、デュランダル、ダイワメジャー、グランアレグリア)。
ジャパンカップ[編集 | ソースを編集]
- 東京芝2400m
- 11月に行われる国際招待競走で、日本初の国際G1。
- また、賞金の規模などから有馬記念や日本ダービーなどの八大競走と同格。
- 1981年に創設されたが、創設から十年間日本馬の優勝は2頭しかいないなど、日本と外国の差は大きく開けられていた。
- 90年以降は日本競馬のレベルの向上があり、現在は日本と海外の合計勝利数は日本が大きく逆転している。
- しかし、2010年代に入ると日本の芝と海外の芝の違いからの日本特有の高速馬場が祟り、加えてジャパンカップ後の数週間後に香港国際競走があるのか、海外招待馬の数が減少。
- 特に2019年は海外招待馬が一頭もいないという非常事態に。
- また、日本馬のほうも海外遠征やコンディション調整や疲労回復などで回避する有力馬も目立ってきている。
- 近年上記の通りとやかく言われるジャパンカップだが、それでも天皇賞(秋)と有馬記念に並ぶ下半期古馬クラシック三冠の二戦目で、一年の東京競馬場を締めくくる大一番なのか、高い注目度は変わらない。
- 加えて、ジャパンカップのみ日本競馬で唯一最終レースに行うG1競走でもある。(第11レースにやるのだが、この日の東京競馬場は11レースのみ)
- 2014年からスイスの高給腕時計メーカーのロンジンがサポートしており、ゴール版の近くにロンジン製のタイマーが設置されている。
- 「みどりのマキバオー」のジャンプコミックス版では「JC ジャンプ・コミックス」の横に「←ジャパンカップ」と書かれていた。
- 同作中ではニトロニクスが制している。
チャンピオンズカップ[編集 | ソースを編集]
- 中京ダート1800m
- 2000年、ジャパンカップダートという名で東京競馬場に創設。その名の通り、ジャパンカップのダート版として国際招待競走として2100mで行っていた。
- 東京競馬時代は2007年までジャパンカップの前日開催。この為、ホープフルステークスがG1に格上げされるまでテレビ東京で中継される唯一のG1レースだった(後は一回だけNHKマイルカップを日程の都合で中継したのみ)
- 2004年のみジャパンカップと同日開催。
- 2008年からは阪神のダート1800mに移行し、ジャパンカップの翌週日曜に固定。だがこの頃からジャパンカップ以上に多くの問題点が上がることに。
- まず、ジャパンカップ創生期と違い、既に日本のダート馬は世界レベルに達しており、海外馬が優勝したのは2003年の一回のみ。後は全て海外馬が惨敗。
- そしてダート競馬が盛んなアメリカと日本の馬場に使われるダートの違いが問題点の槍玉に挙げられ、海外招待馬が一頭もいない年が続出した。
- アメリカはパワーが求められる赤土に対して、日本(というかJRA)はスピードが求められる砂を使っていた為、慣れない海外馬が苦戦することに。
- 加えて、右回りの阪神に移行したことで、左回りのコースしかないアメリカから招待馬が来るのかという疑問が武豊騎手などの関係者から疑問が相次いだ。
- 武豊騎手は左回りのコースである中京でやった方がいいと指摘した程(因みに府中にはダート1800mは設定できない)
- 上記の声を受けたのか、2014年から左回りの中京1800mに移行。だが、招待馬なし連続が祟ったのか、単なる国際競走のチャンピオンズカップに改名することに。
- 日本のダートグレード競走にとってはJBCクラシックや東京大賞典と並ぶ事実上の古馬ダートクラシック三冠の一つである。
- ウマ娘では初期からGI応援イラストの対象やレースが実装されていたのにも関わらず、肝心の史実で勝った馬のウマ娘化は、2022年7月のホッコータルマエが発表されるまでいなかった。
- JCダート時代からの歴代勝ち馬でもウマ娘化されそうなのはウイングアロー(2000年)、イーグルカフェ(2002年)、エスポワールシチー(2009年)ぐらい。
阪神ジュベナイルフィリーズ[編集 | ソースを編集]
- 阪神芝1600m
- かつての名称は「阪神3歳ステークス」。1991年から牝馬限定競争となり「阪神3歳牝馬ステークス」を経て現在の名称に。
- 「阪神JF」とも略される。
- 朝日杯とはうってかわって勝ち馬が牝馬クラシックの主役に躍り出ることが多い。
- 牝馬限定競争以前は勝ち馬が×××な末路を辿ることも…
- テンポイントやサッカーボーイなどを輩出した。
- 当時の本賞金の関係でここを勝ちながら準オープン馬となった馬も…
朝日杯フューチュリティステークス[編集 | ソースを編集]
- 阪神芝1600m
- 1949年、『朝日杯3歳ステークス』として中山に設立された2歳馬チャンピオン決定戦。
- 最初はスプリント戦だったが、十年後から1600mのマイル戦となり今に至る。
- 2001年からは馬齢表記を国際基準に合わせたことで現名称に。
- 朝日杯の冠名が示す通り、朝日新聞が正賞であるが、実はこのレースの誕生がきっかけで多くのマスメディアが競馬の社賞を寄贈するきっかけになった。
- 設立以前、競馬に関わる不祥事が多発し競馬界に悪影響が及ぼしていた。当時の朝日新聞も競馬そのものを社会悪と見なす声が多かった。
- そこで当時の競馬会の重鎮である中村正行氏が「新聞社の名が付ければ競馬界のイメージ改善に繋がる」と考え、当時の朝日新聞編集局長信夫韓一郎氏に社賞の提供を持ちかける。
- 信夫氏は競馬ファンであり、反対派を説き伏せて認可。中村氏が発起人となり三歳馬のチャンピオン決定戦として設立したのである。
- 朝日新聞が競馬に対しての方針を転換したことにより、他のマスメディアにとって大きな刺激となり、以降毎日王冠やNHKマイルカップなどが生まれるのである。
- 1990年までは関東馬(美浦厩舎所属馬)による三歳馬決定戦だったが、阪神3歳ステークスが牝馬限定となった為、所属問わずの牡馬三歳馬決定戦に。
- 2歳馬チャンピオン決定戦であるこのレースは数多くのクラシック優勝馬を輩出するなど登竜門として有名なレースだった。が……。
- 1994年にナリタブライアンが三冠を制してから2013年にロゴタイプが皐月賞を制するまで、朝日杯優勝馬のクラシック優勝馬が一頭もいない事態になってしまう。
- その期間中には種牡馬で有名なフジキセキや有馬記念二連覇のグラスワンダー、最初のJBCクラシック三連覇のアドマイヤドンなどの名馬が優勝したものの、いずれの馬もクラシック三冠を一つも勝つことができなかった。
- フジキセキに至っては皐月賞で故障し引退を余儀なくされてしまう。
- 対照的にラジオNIKKEI杯(2005年まではラジオたんぱ杯)2歳ステークスはアドマイヤベガやヴィクトワールピサなど三歳クラシックを制した馬が続々と出ている為、「朝日杯を格下げし、ラジオNIKKEI杯をG1にしろ」という声が出たほど。
- 皐月賞の2000mより400m短い1600mで、かつ大外不利な中山のスタート地点にも原因があるという。
- そこから少しのブランクを経て、2021年の勝ち馬ドウデュースが翌年のダービーを勝って矜持を保った、というところか。
- その期間中には種牡馬で有名なフジキセキや有馬記念二連覇のグラスワンダー、最初のJBCクラシック三連覇のアドマイヤドンなどの名馬が優勝したものの、いずれの馬もクラシック三冠を一つも勝つことができなかった。
- 2014年からラジオNIKKEI杯がホープフルステークスに改名する形で交換となり、阪神に移動。これに伴い阪神でやっているもう一つの朝日杯がチャレンジカップからセントライト記念に移動。
- これによって阪神ジュベナイルフィリーズと同じスタートとなり大外不利の問題は解消されたが、移転以降未だにクラシック三冠を一つを制した馬は現れていない。
- 一応、NHKマイルカップや香港マイルを制したアドマイヤマーズを輩出できたが。
- 更には2017年からホープフルステークスがG1に格上げされた事で、2歳馬マイル王決定戦という立ち位置が微妙な状態に。
- これによって阪神ジュベナイルフィリーズと同じスタートとなり大外不利の問題は解消されたが、移転以降未だにクラシック三冠を一つを制した馬は現れていない。
- 武豊騎手が未だに勝利がないG1レースとしても有名。
- 2021年のドウデュースでやっと初勝利となった。
- 外国産馬にクラシックが開放されるまではここも「マル外ダービー」の色を博していた。
- マルゼンスキー(持込馬だが)・リンドシェーバー・グラスワンダーなどが有名。
中山大障害[編集 | ソースを編集]
- 中山障害芝4100m
- 「東京優駿に匹敵する競走を」という声の元、1934年に「大障碍特別競走」として創設。現在のレース名になったのは1970年から。
- 1998年までは春と秋の2回開催だった。
- 1999年の障害レース改革で春の大障害を「中山スプリングジャンプ」、秋の大障害を「中山グランドジャンプ」に改称する予定だったが、結局秋は「中山大障害」のレース名のまま現在に至っている。
- 2002年(第125回)はオーストラリアの女性騎手、ロシェル・ロケット騎手が騎乗したギルデッドエージが圧勝。女性騎手としてはJRA初の重賞勝利となった。
有馬記念[編集 | ソースを編集]
- 中山芝2500m
- 日本中央競馬会理事長の有馬頼寧(よりやす)が、中山競馬場の新スタンドの竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。当時としては珍しかったファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年に「中山グランプリ」の名称で創設された。
- 第1回中山グランプリは大成功に終わったが、その直後の1957年1月9日に有馬頼寧が急逝。有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称された。
- 1996年には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げた。
- 6回コーナーを回る特殊なコースということもあり、外枠(15番枠・16番枠)はかなり不利。
- このレースがラストランになる馬も多い。
- シンザン、TTG対決、オグリキャップ・トウカイテイオーの復活、ダイユウサクの大激走、メジロパーマーの逃げ切り、ナイスネイチャの3年連続3着、グラスワンダーVSスペシャルウィーク、ディープインパクトの初黒星…名勝負・名場面多し。
- 競馬場の改修や震災による被災で多くの重賞が別の競馬場で代替開催、又は競走スケジュールの変更で移動となるなど、G1を含めた大半の重賞が別の競馬場で開催経験がある中、有馬記念は創設から現在に至るまで一度も中山以外の開催はない(日本ダービーは最初目黒でやっていた)。
- マイルチャンピオンシップも創設から京都での開催が続いていたが、2020年は京都競馬場の整備工事に伴い、阪神競馬場で施行される予定。
- 1997年の生ファンファーレについてはお察しください…。
- 1年の〆を飾るレースだけあってか、世相を表した馬券決着になることがある。2001年のマンハッタンカフェ-アメリカンボスや、2012年の今年の漢字「金」でステイゴールド産駒と「キン」グカメハメハ勝ち馬で決まった例とか。
- ウマ娘に登場している勝ち馬が最も多いレース(2022年末時点で17頭)。
- ちなみに1993年のレースのウマ娘化率はかなり高く、2023年4月現在で14頭立て中7頭がウマ娘化している。
- 2023年4月現在は宝塚記念(19頭)のほうが多くなってしまった。
ホープフルステークス[編集 | ソースを編集]
- 中山芝2000m
- 1984年、『ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス』として関西馬の3歳(現2歳)牝馬最強決定戦として阪神1600mで開催し始めた競争。当時はG3に格付け。
- 朝日杯にもあるが、当時の3歳馬の環境は東西に棲み分けされており、東西別に牡馬・牝馬それぞれチャンピオンを決めていた。当時の関東馬の3歳牝馬最強決定戦は現在のフェアリーステークスの前身、テレビ東京杯3歳牝馬ステークス。
- 1991年からは東西別のチャンピオン路線をやめ、それまでの阪神3歳ステークスが阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)になった為、皐月賞と同距離の2000mとなった『ラジオたんぱ3歳ステークス』にリニューアル。これによって3歳牡馬限定戦に移行。
- 2001年からは馬齢表記を2歳に改め、2006年からは『ラジオNIKKEI杯2歳ステークス』に。
- 朝日杯と対照的に、1994年から2013年までの間、アドマイヤベガやヴィクトワールピサなど3歳クラシックを制した馬を数頭輩出。
- クラシックを制していない優勝馬の中には地方馬で初の国際G1を制したコスモバルク(北海道)やJBCクラシックを三連覇したヴァーミリアン、ジャパンカップを制したエピファネイアなど名馬も数多く輩出している。
- 2014年からホープフルステークスに改題し、朝日杯と交換する形で中山に移行。これによって皐月賞と同じコースで行うことに。
- 同時にG2に格上げされるが、何故かラジオNIKKEI杯の冠がなくなる。代わりにラジオNIKKEI杯は重賞に昇格された京都2歳ステークスに移行。
- そして、2017年G1に昇格。だが、朝日杯から一週間以上の後に組まれたことや有馬記念の後の年内最後のG1レースになったことなどから賛否両論に。
- 2019年まで三年連続で東京大賞典前日の12月28日に固定し、有馬記念の後に開催。最も全て平日や土曜日に行われた事で、久しぶりにテレ東がG1レースを中継できたが。
- 2020年は日程の都合上、有馬記念前日でかつ中山大障害と同日開催。
- ホープフルステークスがG1に格上げされたのは、朝日杯が阪神に移動した事によって中山の馬事会関係者が反発したのが原因だそうだが…。
- 加えて、現レース名に改名してから格上げするまで日本ダービーを制したレイデオロを除いて出世した優勝馬がいないことから議論に拍車をかけていた。こうした経緯から、一部ユーザーからホープレスステークスと揶揄されることも。
- 最も、G1に格上げされてから優勝したサートゥルナーリアが皐月賞を制した為、面目は保たれているが果たして。
- 2020年にはコントレイルが同レース→皐月賞→ダービーを無敗で連勝した。もはや皐月賞のステップレースの座を弥生賞から奪ったと思わざるを得ない。
- 最も、G1に格上げされてから優勝したサートゥルナーリアが皐月賞を制した為、面目は保たれているが果たして。
- 2019年まで三年連続で東京大賞典前日の12月28日に固定し、有馬記念の後に開催。最も全て平日や土曜日に行われた事で、久しぶりにテレ東がG1レースを中継できたが。
- 現レース名に改名されてからは一度もないが、武豊騎手は阪神時代何度も制している。が、ホープフルステークスよりも先に朝日杯を制した場合、全G1グランドスラム達成扱いになるんだろうか…。
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