中央競馬の競走/GII
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- 新規追加は開催時期順に(1月から)。
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1~3月[編集 | ソースを編集]
日経新春杯[編集 | ソースを編集]
- 中央競馬で毎年最初に行われるGII。
- 1954年に「日本経済新春杯」の名称で創設。現在のレース名になったのは1979年から。
- オールドファンにとってはやはりテンポイントか…。
- テンポイントのときもまだ日本経済新春杯だった。
- 2009年(第56回)はこのレースを最後に引退を発表していたテイエムプリキュアが11番人気でまさかの逃げ切り勝ち。一転して現役続行となった。
- 鞍上の荻野琢真騎手は3年目での重賞初勝利となった。
アメリカジョッキークラブカップ[編集 | ソースを編集]
- 関東開催では新年初のGII。1960年にニューヨークジョッキーズクラブから優勝杯を提供されたことで創設された。
- 1966年と1970年~1979年は東京競馬場での施行、1960年~1965年・1967年~1969年と1980年以降は中山競馬場での施行となり今に至る。
- このレースを一年の初戦として勝利、その後GI馬になった馬も少なくない。(1998年のメジロブライト、2007年のマツリダゴッホ、2011年のトーセンジョーダン、2012年のルーラーシップなど)
東海ステークス[編集 | ソースを編集]
- GIIIのウインターステークスとして1984年に中京競馬場のダート2200mで創設。1990年に距離が100m延びダート2300mでのレースに。
- 1997年のGII昇格を機にレース名を「東海ウインターステークス」に改称。この年から東海テレビが優勝杯を提供(2012年除く)。
- 1999年は中京競馬場の改修工事の影響で小倉競馬場のダート2400mで開催された。
- 2000年に開催時期が12月から5月に変更。更に同時期に行われていたダートのオープン特別の「東海ステークス」と統合され、現在のレース名に。
- 2010年から2012年までは中京競馬場の改修工事の影響で京都競馬場のダート1900mで開催された。
- 2013年の競馬番組改正で平安ステークス(京都)と開催時期が入れ替わり、現在の1月開催に。
京都記念[編集 | ソースを編集]
- 1942年に創設。1983年までは春と秋に2回開催されていた。
- 1984年に秋の競走が廃止され春の競走に一本化。
- 1994年に距離が200m短縮され2200mでの開催に。負担重量も同時にハンデ戦から別定戦に変更された。
- ドバイシリーズまで1か月ほどの間隔があるため、このレースをドバイGIの前哨戦として使う有力馬も多い。
中山記念[編集 | ソースを編集]
- 1936年に創設。当初は芝3200mの長距離レースで春秋の2回開催だった。
- 1952年に秋開催のみとなり、1957年に今と同じ芝1800mのレースに、その後1979年からは2月末~3月頭の開催となった。
- 現在は大阪杯のトライアルとなっており、1着馬に優先出走権が与えられる。
- 1800mという長すぎず短すぎずな距離からマイルGIや中距離GIで実績を出した馬が一年の初戦に出走することも多い。
- また、ドバイや香港のGIへ向かう有力馬がステップとして使うことも多く、今まで勝ち馬からはヴィクトワールピサ・ジャスタウェイがドバイのGIを、ネオリアリズム・ウインブライトが香港のGIを制している。
- パンサラッサもここを勝った後ドバイのGIを制した。そういや1800mは彼の最適性であるという話があるんだよな。
チューリップ賞[編集 | ソースを編集]
- 「桜花賞指定オープン」として開催されていたオープン特別を1994年から重賞(GIII)に格上げ。2018年からはGIIに昇格。
- 1991年と1994年は中京競馬場(芝1700m)で、1995年は京都競馬場で開催された。
- このレースと桜花賞を連勝した馬はオープン特別時代も含めて過去7頭(オープン特別時代4頭、重賞時代3頭)いる。
弥生賞ディープインパクト記念[編集 | ソースを編集]
- 1964年に弥生賞として創設。1984年に中山競馬場芝2000mの競争として設定され、皐月賞へのトライアルとなった。
- そして2020年に三冠馬ディープインパクトの功績を称える競走として同馬が初めて重賞を勝利した弥生賞を「弥生賞ディープインパクト記念」という名称に改めた。
- そしてここ5年の勝ち馬は全てディープインパクト産駒である。
- その後は非ディープ産駒とディープ産駒が交互に勝っている。
- なお、ウマ娘では諸般の事情でディープインパクトが出せないためレース名も弥生賞のままである。
- 「わざわざ歴史のあるレース名を改名する必要はなかった」「弥生賞では2着アドマイヤジャパンとクビ差であり菊花賞までで一番着差の少ないレースだった」「それなら(1戦前の)若駒ステークスをディープインパクト記念にすべきだった」などと現在でも批判の声も大きい。
- そしてここ5年の勝ち馬は全てディープインパクト産駒である。
- そして2020年に三冠馬ディープインパクトの功績を称える競走として同馬が初めて重賞を勝利した弥生賞を「弥生賞ディープインパクト記念」という名称に改めた。
- クラシックへのトライアル競走という位置づけだが、近年はホープフルSや朝日杯フューチュリティSから皐月賞へ直行する馬が結果を残しており、やや立ち位置が微妙になりつつある。
- スポーツ報知を発行している報知新聞社が正賞を提供している。
- マスメディア上では「報知杯弥生賞ディープインパクト記念(皐月賞トライアル)」と表記される。長いわ。
阪神スプリングジャンプ[編集 | ソースを編集]
- 1999年の障害レース改革に伴い、それまで行なわれていた阪神障害ステークス(春)をリニューアルして創設された。
- その第1回はまだ障害レースのファンファーレが決まっておらず、平地重賞のファンファーレが使用された。
フィリーズレビュー[編集 | ソースを編集]
- 1967年に「阪神4歳牝馬特別」として創設。1983年からはレース名から「阪神」が取れ、報知杯4歳牝馬特別に改称。
- 現在のレース名になったのは2001年から。
- 1991年と1994年は日程の関係上中京競馬場の芝1200mで、1995年は震災の影響で京都競馬場での振替開催となった。
- 1995年は笠松所属のライデンリーダーが3馬身半差の完勝。無傷の11連勝目を中央重賞勝利で飾った。
- スポーツ報知を発行している報知新聞社が正賞を提供している。
- 歴代の勝ち馬にはテスコガビー(1975年)、メジロラモーヌ(1986年)、キョウエイマーチ(1997年)、メイショウマンボ(2013年)などが名を連ねている。
金鯱賞[編集 | ソースを編集]
- 1965年に創設。開設から5年は砂コース1800mで行われていた。その後小倉での開催を経て芝コース1800mでの開催となり、1996年から芝2000mでの開催になった。
- 1974年から1996年までは「東海テレビ杯 金鯱賞」という名称だった。1997年から東海テレビ杯は外れている。
- レース時期が大きく変わることが多く、当初は6月下旬~7月に行われていたが、1997年からは5月下旬の施行となり、宝塚記念のトライアルに。
- 2012年に鳴尾記念と入れ替わる形となり12月上旬の施行に変更。有馬記念への前哨戦となった。
- 2017年、GIとして昇格した大阪杯へのトライアルレース(1着馬に優先出走権)へ変更され、中日新聞杯と入れ替わる形となり3月中旬の施行になった。
- そのため2016年、2017年と同レースを連覇したヤマカツエースは、2016年12月の金鯱賞を制し間に有馬記念を挟み、中3か月で行われた翌年の金鯱賞を制するという珍しい記録を出すこととなった。
- 2017年、GIとして昇格した大阪杯へのトライアルレース(1着馬に優先出走権)へ変更され、中日新聞杯と入れ替わる形となり3月中旬の施行になった。
- 2012年に鳴尾記念と入れ替わる形となり12月上旬の施行に変更。有馬記念への前哨戦となった。
- ちなみに2017年までは土曜日の開催となっていた。2018年に中山牝馬ステークスと入れ替わる形で日曜開催になった。
- サイレンススズカが1998年にこのレースで平地重賞としては唯一の大差勝ちを収めている。
- 読みはそのまま「きんこしょう」である。
- わりと「きんしゃちしょう」だと思っている人は多そう。
- 名古屋競馬が「金シャチ競馬NAGOYA」というキャッチフレーズを使ってるゆえか。
- わりと「きんしゃちしょう」だと思っている人は多そう。
スプリングステークス[編集 | ソースを編集]
- 1952年に創設された、皐月賞への重要なトライアルレースの一つ。
- 基本的には中山か東京で開催されているが、2011年は震災の影響で阪神での開催となった。
- フジテレビが正賞を提供していることもあり、フジの競馬中継では副賞の「フジテレビ賞」をやたらと強調している。
- 2010年にはフジテレビの競馬番組の企画で制作されたオリジナルファンファーレが演奏された。
- このレースの勝ち馬から三冠馬が2頭、二冠馬も4頭、その他にもキタサンブラックやタニノギムレットなどを輩出。
阪神大賞典[編集 | ソースを編集]
- 1953年に創設。それ以降は一時期を除き12月に開催されていた。
- 1987年から開催時期が3月に移動となり、同時に春の天皇賞の前哨戦として開催されるようになった。
- キーストンと山本正司(1967年)、ナリタブライアンvsマヤノトップガン(1996年)、オルフェーヴルの大逸走(2012年)、トウカイトリックの8年連続出走(2006年~2013年)など、競馬ファンの話題となるレースも多い。
- 過去に4度、阪神競馬場以外で開催されたことがある。
- 改修工事と阪神大震災で1回ずつ。 京都競馬場の改修工事による振替開催が2回。
日経賞[編集 | ソースを編集]
- 1953年に「日本経済賞」として創設。1979年から現在のレース名になった。
- 春の天皇賞への重要な前哨戦の一つなのだが…。
- 1998年は障害帰りのテンジンショウグンが、2012年は大逃げを打ったネコパンチがそれぞれ大波乱を演出した。
- 両方とも、騎乗していたのは同じ騎手(江田照男)だったりする。
- 1998年は障害帰りのテンジンショウグンが、2012年は大逃げを打ったネコパンチがそれぞれ大波乱を演出した。
4~6月[編集 | ソースを編集]
ニュージーランドトロフィー[編集 | ソースを編集]
- 1983年に「ニュージーランドトロフィー4歳ステークス」として創設。マイル戦。
- 当初はオークス・ダービーへの出走権のない外国産馬や、本賞金が足りずダービーへ出れなかった馬が出走する「残念ダービー」と呼ばれていた。
- ニッポーテイオー、オグリキャップ、シンコウラブリイ、ヒシアマゾン、ファビラスラフィン……
- 当初はオークス・ダービーへの出走権のない外国産馬や、本賞金が足りずダービーへ出れなかった馬が出走する「残念ダービー」と呼ばれていた。
- 1996年のNHKマイルカップ新設に伴い、同競走へのトライアル競走として開催時期が6月上旬から4月下旬に移動。
- 2000年からは開催場も東京から中山へ移動。2001年から現在のレース名になった。
- ただし中山競馬場になってからの21年間で連覇はカレンブラックヒルのみ。東京開催の4年間(この時だけ1400m)で2頭(シーキングザパール・エルコンドルパサー)いたのに。
- ちなみに残る2頭も秋華賞を取ったファビラスラフィンと本戦2着のザカリヤと言う豪華なメンツなのに。
- そのためか格下げの警告が入っている。
- 何とか格下げは回避された。
- ただし中山競馬場になってからの21年間で連覇はカレンブラックヒルのみ。東京開催の4年間(この時だけ1400m)で2頭(シーキングザパール・エルコンドルパサー)いたのに。
- 2000年からは開催場も東京から中山へ移動。2001年から現在のレース名になった。
阪神牝馬ステークス[編集 | ソースを編集]
- 「阪神牝馬特別」として1958年に創設。2001年から現在のレース名になった。
- 2006年から開催時期が冬から春(桜花賞の前日)に移動となり、ヴィクトリアマイルの前哨戦として開催されるようになった。
フローラステークス[編集 | ソースを編集]
- 1966年に「サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別」として創設。
- 現在のレース名になったのは2001年から。
- 因みに2000年まで同名のレースが中山芝1200m(1996年のみ東京1400m)で行なわれていた。
- その時はただのオープン特別であった。
マイラーズカップ[編集 | ソースを編集]
- 1970年に創設。1974年から読売新聞の大阪本社が正賞を提供しているため、競馬番組表での正式名称は「読売マイラーズカップ」となる。
- 1997年(第28回)には前日にデビューしたばかりの武幸四郎が騎乗したオースミタイクーンが勝利。
- 2011年までは主に阪神競馬場で開催されていたが、2012年からアンタレスステークスと開催週が入れ替わり京都競馬場での開催に。
青葉賞[編集 | ソースを編集]
- 1984年に「日本ダービー指定オープン競走」として4歳(現3歳)馬限定の特別競走として東京競馬場の芝2400mで行われていたが、1994年から重賞(GIII)に昇格。
- 翌1995年からはダービートライアルに指定され、上位3頭まで日本ダービーへの優先出走権が与えられていた。
- 2001年にはGIIに格上げ。2010年からダービー優先出走権は上位2頭までになった。
- 翌1995年からはダービートライアルに指定され、上位3頭まで日本ダービーへの優先出走権が与えられていた。
- 2023年現在、このレースをステップに日本ダービーを勝った馬は未だに存在しない(最高着順は2012年・フェノーメノのハナ差2着)。
- 「青葉賞勝ち馬はダービーを勝てない」というジンクスがある。
- テレビ東京の社杯であるため、このレースを中継するときは必要以上に「テレビ東京杯」をアピールする。
- 一時期藤沢和雄厩舎の馬がこのレースを使うことが多かった。シンボリクリスエス・ゼンノロブロイでこのレースを連覇しており、次走のダービーでも2年連続で2着に入っている。
京都新聞杯[編集 | ソースを編集]
- 1953年に「京都盃」として創設。現在のレース名になったのは1971年から。
- 菊花賞の10月への開催時期繰り上げを受け、2000年から5月開催に移動。
- これに伴い、同時期に開催されていた京都4歳特別は廃止となった。
- 2000年だけGIIIだったのはなぜだろうか。
- 移動する際に一度はGIIIに落とされたが、アグネスフライトがダービー馬となったため翌年からGIIに復帰したというところ。
- 5月開催になってから当レース→ダービーと連勝したのはアグネスフライト(2000年)とキズナ(2013年)の2頭のみ。
- 2着まで対象を広げると2019年の2着馬・ロジャーバローズもダービーを勝っている。
京都ハイジャンプ[編集 | ソースを編集]
- 1999年の障害レース改革に伴い、それまで行なわれていた京都大障害(秋)をリニューアルして創設された。
- その第1回は出走13頭中7頭が落馬…。
- 2009年に京都ジャンプステークスと開催時期が入れ替わり、11月から5月開催に移動となった。
京王杯スプリングカップ[編集 | ソースを編集]
- 「スプリングハンデキャップ」として1956年に創設。1984年から現在のレース名に改称された。
- 安田記念への前哨戦として位置付けられており、歴代の勝ち馬にも名馬達が多数名を連ねている。
目黒記念[編集 | ソースを編集]
- ダービーの次のレース。
- になったのは2006年から(2011年は震災の影響でダービー前日に開催)。
- 第1回が1932年の上に年二回だった時期があるため、昭和時代に100回を突破していた。
- ステイゴールドが勝った重賞。
- 「初めて勝った」重賞である。日経新春杯もお忘れなく。
- 1996年までは冬(2月)に開催されていた。
7~9月[編集 | ソースを編集]
札幌記念[編集 | ソースを編集]
- 夏競馬で最も格が高く、唯一のG2レース。
- 数少ない定量戦である為か、このレースに出走する有力馬が多く、関係者からスーパーG2と呼ばれている。
- このレースが開催される日の札幌競馬場の来場者数は他の日と比べて圧倒的に多いのか、同時期に行われる北海道マラソン開催日と被らないように設定している。
- 2013年は札幌競馬場改修の為、函館競馬場で開催。これにより中央競馬で唯一福島競馬場がG2以上の開催経験がない競馬場になってしまった…(小倉はかつてある)。
- ジャズ奏者マルタさんがサックスだけで生ファンファーレを演奏したレースがこれ。
- 函館・札幌の重傷ファンファーレは他のファンファーレよりも難易度が高いのか、生演奏時には動画サイトでネタにされがちだが、今はある程度評価が高い。
- 北海道大学吹奏楽部のことはもう許してやれ。
- 1976年には同年の皐月賞を勝ったトウショウボーイとダービーを勝ったクライムカイザーが参戦。当日の札幌競馬場には6万人の競馬ファンが詰めかけた。
- レースはスタートで立ち遅れたトウショウボーイが直線で懸命に追い込んだが、グレートセイカンにクビ差届かずの2着だった(クライムカイザーは3着)。
セントウルステークス[編集 | ソースを編集]
- 1987年に芝1400mのGIIIとして創設。
- スプリンターズSの開催時期移動(12月→9月or10月)もあり、2000年からは距離が芝1200mに短縮され、スプリンターズSのトライアルレースという扱いになった。
- 2006年からはGIIに格上げされ、更にサマースプリントシリーズの最終戦に組み込まれた。
- 大阪杯のGI昇格に伴い、2017年からは産経新聞の大阪本社が正賞を提供している。
- 1990年・1991年・2006年は阪神競馬場の改修工事の影響で、1994年は京都競馬場の改修工事の影響による日程の変更で、それぞれ中京競馬場で振替開催となった。
- 1995年は阪神・淡路大震災の影響で阪神が使用不能になったため、京都で振替開催となった。
紫苑ステークス[編集 | ソースを編集]
- クイーンステークスの開催場の移動と古馬開放に伴い、秋華賞へのトライアル競走として2000年に新設。2016年から重賞(GIII)に昇格。
- 当初の距離は芝1800mだったが、2007年からは距離が200m延び芝2000mでの開催となった。
- 2002年と2014年は中山競馬場の改修工事に伴い、新潟競馬場で振替開催となった。
- ローズステークスがスルーされることの多い中、秋華賞トライアルとして機能している。
- 秋華賞の勝ち馬をこの短い期間で2頭(ディアドラ(2017年)、スタニングローズ(2022年))輩出、ほかファインルージュ(2021年)が2着と好走し、出場しなかったノームコア(2018年)がヴィクトリアマイルと香港カップを勝利した。
- 2023年よりGIIに昇格予定。
ローズステークス[編集 | ソースを編集]
- エリザベス女王杯へのトライアルレースとして1983年に創設。
- 1996年にエリザベス女王杯の古馬開放・秋華賞の新設の影響で開催時期が1ヶ月繰り上がった。
- これに伴い、同時期に開催していたサファイヤステークスは廃止となった。
- 開催場も京都競馬場から阪神競馬場に変わった。
- 1984年から関西テレビ放送が社杯を提供している。
セントライト記念[編集 | ソースを編集]
- 初代三冠馬のセントライトを記念して1947年に創設された重賞競走。
- 2011年までは「ラジオ日本賞セントライト記念」だった。朝日杯FSの阪神への移動もあり2014年から現在の「朝日杯セントライト記念」に。
- 1988年・2002年・2014年は中山競馬場の改修工事の影響で新潟競馬場での開催だった。
- 神戸新聞杯に比べると菊花賞には若干繋がりにくいレース。
- グレード制導入以降、セントライト記念に出走した後に菊花賞を制した馬は僅か6頭しかいない。
- 連覇となるとわずか2頭である。ただしその2頭はシンボリルドルフとキタサンブラックだが。
- グレード制導入以降、セントライト記念に出走した後に菊花賞を制した馬は僅か6頭しかいない。
オールカマー[編集 | ソースを編集]
- 1955年に創設。1986年から1994年までは「地方競馬招待競走」として行われ、この間には地方所属馬も2度このレースを勝利している。
- 1986年のジュザブロー(愛知)と1991年のジョージモナーク(大井)の2頭。
- 1995年に地方競馬招待を廃止し、グレードもGIIIからGIIに昇格。
- 基本的に中山競馬場で開催されるが、1980年までは東京競馬場で開催されることもあった。
- 更に1988年・2002年・2014年は中山競馬場の改修工事の影響で新潟競馬場での振替開催となった。
- 出走頭数が少なめ。
- 地方レースの大半がダートになった現在では地方馬の出走もほとんど見られない。
- 産経新聞の東京本社が正賞を提供している。
- やっぱりツインターボが大逃げして勝った競走というイメージが強いか?
神戸新聞杯[編集 | ソースを編集]
- 菊花賞の西のトライアル。1999年までは京都新聞杯も菊花賞トライアルに位置づけられていたが、京都新聞杯の開催が5月に移ったことで関西での唯一の菊花賞トライアルとなった。
- 創設は1953年。当時のレース名は「神戸盃」。1972年に今の名称になった。
- クラシックで好成績を残した有力3歳馬は殆どがこのレースから始動しており、歴代の三冠馬も神戸新聞杯を快勝し本番の菊花賞へ向かっている。
- また神戸新聞杯を制したが距離関係から菊花賞をパスし古馬相手のGIへ挑む馬も少なくない。
- トウショウボーイが日本競馬史上初めて芝2000mを1分58秒台(1分58秒9)で駆け抜けたレースでもある。
- 因みにそれまでのレコードタイムはシルバーランドの1分59秒9。
- このレースレコードは29年後の2005年にディープインパクトが1分58秒4で更新するまで残っていた。
10~12月[編集 | ソースを編集]
毎日王冠[編集 | ソースを編集]
- 1950年に創設。現在の時期の開催になったのは1981年から。
- 秋競馬を占う重要なレースの一つ。
- 1998年にはサイレンススズカ・エルコンドルパサー・グラスワンダーの3頭の夢の対決が実現。GIIにも関わらず東京競馬場に13万人の観衆が詰めかけた。
- 毎日王冠だけに、勝つと王冠が贈られる。
- 元々天皇賞秋のトライアルだが、レース間隔が伸びるようになった最近では事実上マイルCSのトライアルと化している。
京都大賞典[編集 | ソースを編集]
- 1966年に「ハリウッドターフクラブ賞」として創設。現在のレース名になったのは1974年から。
- 上の毎日王冠と同じく、秋競馬を占う重要なレースの一つ。
- ただ距離は2400mとやや長い(毎日王冠は1800m)ため、エリザベス女王杯やジャパンカップを目指す馬も出走してくる。
- かつては毎日王冠と同じ日曜日に開催されていたが、2010年代に入ってからは3連休の最終日に開催されることが多くなった。
府中牝馬ステークス[編集 | ソースを編集]
- 1953年に「東京牝馬特別」として創設。現在のレース名になったのは1992年から。
- 1964年から1991年までは東京タイムズ(現在休刊)が冠を協賛していた。
- レース格は1984年から2010年までGIII、2011年からはGIIに格上げされている。
東京ハイジャンプ[編集 | ソースを編集]
- 1999年の障害レース改革に伴い新たに創設された障害重賞。
- 第1回は「日本・サウジアラビア修好40周年記念」の副称が付いていた。
- 2008年までは6月に開催されていたが、2009年以降は開催時期を東京ジャンプSと入れ替え10月の開催となった。
- 近年は秋華賞と同日に開催されがち。
富士ステークス[編集 | ソースを編集]
- 1981年のジャパンカップ創設に伴い、同競走への出走馬と帯同馬向けに設定された芝1800mのオープン競走(レース名なし)が起源。1984年から現在のレース名に。
- オープン競走の時代にはGI9勝をあげた名牝トリプティクが出走し、勝利したこともある。
- 1997年から距離が1400mに短縮され、スプリンターズSの前哨戦として位置付けられた。1998年から重賞(GIII)に昇格。
- 2000年のスプリンターズSの開催時期の移動(12月→9月or10月)もあり、本レースの開催時期も11月から10月に移動。
- 距離も1600mに延長され、マイルCSの前哨戦に。
- 2020年からGIIに格上げされた。
スワンステークス[編集 | ソースを編集]
- 1958年に創設。1984年の競馬番組改革に伴い、開催時期を春から10月下旬に移動。
- 距離も芝1600mから芝1400mに短縮され、マイルチャンピオンシップのトライアル競走として現在に至っている。
- 2000年から毎日放送が正賞を提供している。
- それ以前の1965年から1983年までは関西テレビ放送が正賞を提供していたこともある。
- 2021年から正賞の「毎日放送賞」が「MBS賞」に改称された。
京王杯2歳ステークス[編集 | ソースを編集]
- 中央競馬の2歳重賞では3番目に長い歴史を持つレース。
- 1965年に「京成杯3歳ステークス」として創設。1998年からレース名が「京王杯3歳ステークス」に変わり、2001年から現在のレース名になった。
アルゼンチン共和国杯[編集 | ソースを編集]
- 日本とアルゼンチンの友好の一環として1963年に「アルゼンチンジョッキークラブカップ」として創設。
- 現在のレース名になったのは1975年から。
- 1984年から開催時期が5月から11月に繰り下がった。
- 時期によってずいぶんと勝ち馬の印象が違ってくるレース。アドマイヤジュピタ以前(勝ち馬がその後にGIを制したのが1978年のカネミノブが最後だった)と以降(10年間でスクリーンヒーロー、トーセンジョーダン、ゴールドアクター、シュヴァルグラン、スワーヴリチャードがGI馬になった)でだいぶ違う。
デイリー杯2歳ステークス[編集 | ソースを編集]
- 3歳(現2歳)馬限定の重賞競走「デイリー杯2歳ステークス」として1966年に創設。現在のレース名になったのは2001年から。
- 基本的に京都競馬場で開催されているが、1994年と2020年は京都競馬場の改修工事の影響で阪神競馬場での開催となった(2021年も阪神で開催される予定)。
- デイリースポーツが優勝杯を提供している。
東京スポーツ杯2歳ステークス[編集 | ソースを編集]
- 「東京3歳ステークス」として1966年に創設。1996年に3歳重賞競走整備の一環として重賞(GIII)に格付けされた。
- レース名は東京3歳ステークス(1966年‐1967年)→府中3歳ステークス(1968年‐1996年)→東京スポーツ杯3歳ステークス(1997年‐2000年)と変わり、2001年から現在のレース名になった。
- このレースの勝ち馬は翌年の牡馬クラシック路線で活躍することが多く、競馬ファンの間では「出世レース」として知られている。
- ただ1984年のシリウスシンボリ以降は2011年のディープブリランテまで牡馬クラシックの勝ち馬は出ていなかった。
- 2021年からはGIIに昇格。
ステイヤーズステークス[編集 | ソースを編集]
- 1967年創設。1984年にGIIIとして格付けされ、1997年にGIIに格上げされた。
- 12月の中山競馬場の芝3600mで行われる、伝統の長距離重賞であり、内回りコースを2周回する一戦である。
- かつて橋本広喜騎手が1週目の直線でスパートを掛けてしまうというミスをしたことがあった。
阪神カップ[編集 | ソースを編集]
- 短距離路線整備の一環として2006年に新設。
- これに伴い、同時期に開催されていた阪神牝馬Sは4月・CBC賞は6月に移動となった。
- 定量戦のGIIはこのレースと札幌記念のみ。1着賞金も6500万円とかなり高額に設定されている。
関連項目[編集 | ソースを編集]
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