九州の廃線

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九州地方の廃線をまとめる記事。

  • 分け方は起点駅の所在地順でお願いします。
  • 太字は2024年現在存続している駅。

福岡[編集 | ソースを編集]

勝田線[編集 | ソースを編集]

  1. 特定地方交通線の取り組みの無策さを語る中では欠かすことのできない路線。
  2. まず、始発駅は博多駅の隣の吉塚駅。
    • そこから、糟屋郡の志免・宇美を経由して、筑前勝田までを結ぶ路線だった。
    • 国鉄時代は篠栗線でさえ大半が吉塚折り返しで全列車が博多に乗り入れるのは民営化後という時点で察し
  3. さて、炭鉱こそ昭和後期までに閉山したが、九州は北海道とは違い人口密度が高く、とりわけ糟屋郡は福岡市のベッドタウンとして平成期以降も栄えることになる。
    • しかしながら、末期も末期になるまでまったくテコ入れしなかった国鉄、この路線をあっさり特定地方交通線に選定するのである。
      • まあその前に赤字83線にも選定されていたのだが。
    • そして特段沿線市町も第三セクターとして引き受けることもなく、1985年にあっさり廃止されるに至った。
  4. 廃線後は路線バスに転換されたが、かなりのドル箱らしい。
  5. 一方、近い路線の篠栗線は後に電化されて近郊輸送の一翼を担い、また香椎線は篠栗線との交点に長者原駅を設置するなど集客に努め、現在に至っている。
  6. ちなみに元々は西鉄の路線だったが、戦時買収で国鉄に買収された。いっそ元サヤになっても良かったんじゃないかな。
    • 西鉄社史でも「勝田線がうち(西鉄)だったらマシだったのに…」という記述があるらしい

矢部線[編集 | ソースを編集]

  1. 鹿児島本線羽犬塚駅から黒木駅までを結んでいた路線。
    • 山奥の矢部村まで延伸する予定だったので「矢部線」という路線名を名乗っていた。
  2. 終戦から4ヶ月後の1945年12月に開業。
  3. 廃線跡は一部を除いて道路や建造物に転用されている。
  4. 代替バスはトレースしていた路線はなくなっている
    • 羽犬塚 - 黒木 - 矢部線(北川内を通らない)と、福島 - 北川内が2路線に分断。なお前者はかつて南筑軌道沿いを通る
  • 羽犬塚 - 花宗 - 鵜池 - 蒲原 - 筑後福島 - 今古賀 - 上妻 - 山内 - 北川内 - 黒木

香月線[編集 | ソースを編集]

  1. 筑豊本線の中間駅から香月駅までを結んでいた路線。
  2. 石炭輸送のための貨物線として1908年に開業。
  3. 1985年4月に全線廃止となり、バス路線に転換された。
    • 当時をしのぶルートはなく別ルートでJR中間駅前 - 香月営業所を結ぶバス路線しかない
  • 中間 - 新手 - 岩崎 - 香月

室木線[編集 | ソースを編集]

  1. 鹿児島本線の遠賀川駅から室木駅までを結んでいた路線。
  2. 沿線の中小炭鉱から産出される石炭を運送するために敷設された。
  3. 終点の室木駅が山陽新幹線の線路に近かったことから、同新幹線の建設時には資材運搬用の路線として使用されたことがある。
  4. やはりバス路線は消えており別ルートの遠賀川駅前 - 鞍手車庫 - 直方バスセンターが代替になる
  • 遠賀川 - 古月 - 鞍手 - 八尋 - 室木

上山田線[編集 | ソースを編集]

  1. 筑豊本線の飯塚駅から日田彦山線の豊前川崎駅までを結んでいた路線。
  2. 歴史的には明治時代に敷設された飯塚-上山田間と、戦後に敷設された上山田-豊前川崎間に分かれる。
    • 前者は廃止時点でも10往復以上あったが後者は4往復しか走らなかった
  3. 民営化後の1988年9月に全線廃止。
    • 沿線自治体のうち碓井町のみ第三セクター化を希望していた。
  4. 2004年に設定された代替バスが全廃。飯塚と平恒・碓井第二保育所(臼井)・西牛隈(大隈)・下山田と上山田を結ぶ西鉄バス路線は存在する模様。山田生涯学習館(上山田駅) - 熊ヶ畑間は嘉麻市バスが、真崎 - 豊前川崎間では川崎町ふれあいバスが並行。

漆生線[編集 | ソースを編集]

  1. 後藤寺線の下鴨生駅から上山田線の下山田駅までを結んでいた路線。
  2. 1986年4月に全線廃止となり、バス路線に転換された。
  3. 第2次特定地方交通線の中で最初に廃止された路線でもある。
  4. バス路線はもうない
  • 下鴨生 - 鴨生 - 漆生 - 才田 - 下山田

宮田線[編集 | ソースを編集]

  1. 筑豊本線の勝野駅から筑前宮田駅までを結んでいた路線。
  2. 1989年12月に全線廃止。
    • 九州では最後まで残った特定地方交通線だった。
  • 本線:勝野 - 磯光 - 筑前宮田
  • 貨物線:磯光 - 新菅牟田 - 菅牟田

佐賀[編集 | ソースを編集]

佐賀線[編集 | ソースを編集]

  1. 佐賀駅から筑後川下流沿いの柳川市を経由して瀬高駅までを結ぶ路線。
  2. 近隣道路の高規格化によって役目を終え、廃止された。
  3. かつては熊本~長崎を結ぶ急行が走っていた。
  4. 諸富~筑後若津間に筑後川昇開橋がある。
    • 廃線後に撤去されることも検討されたが、存続が決まり現在は遊歩道となっている。
  5. 地図上で探すことは比較的容易だったと思われる。

祐徳軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 当時長崎本線の一部だった佐世保線の高橋駅から武雄塩田を経由し、鹿島町(当時)祐徳稲荷神社を結ぶ路線だった。
  2. しかし現在の長崎本線ルート(肥前鹿島ルート)が1930年に開通すると収益が悪化し、翌1931年に廃止。
  3. 鉄道廃止後、採算の取れていたバス部門を分割する形で祐徳自動車が誕生した。
    • 現在でも武雄~鹿島のバスなどを走らせている。
  • 本線:高橋 - 甘久 - 武雄駅前 - 松原 - 馬場先 - 永島 - 上野 - 楢崎 - 西山 - 志田原 - 下久間 - 塩田 - 五町田 - 真崎 - 五ノ宮 - 北鹿島 - 肥前鹿島 - 中川 - 小船津 - 肥前浜 - 古枝[久保山] - 祐徳門前
    • 肥前浜駅は現在の肥前浜駅と離れている。同じ町内なので物凄くというわけではなさそうだが。
  • 支線:北鹿島 - 井手 - 新渡

肥前電気鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 祐徳軌道の塩田駅から嬉野駅までを結んでいた。
    • 嬉野町もまあ例のアレがあったようだが、あの当時の技術、および海軍の主要基地である佐世保を考えれば佐世保ルートになるのは妥当だったはず。
    • 祐徳軌道とは別に乗り入れはしていなかった。
  2. 接続していた祐徳軌道と同時期に廃止。以後嬉野に鉄路が戻ってくるまで約90年の歳月を要した。
  3. 電気事業も運営していたが、昭和恐慌で採算が悪化し大打撃を受けたのも廃止の要因の一つ。
  • 嬉野 - 下宿 - 今寺 - 式浪 - 大草野 - 橋山 - 美野 - 宮ノ元 - 塩田

長崎[編集 | ソースを編集]

世知原線[編集 | ソースを編集]

  1. 佐々川流域にある炭鉱からの石炭輸送を目的に、専用鉄道を買収する形で1933年に開業。
    • 当初は貨物専用だったが、翌1934年からは旅客営業も開始された。
  2. 松浦線の改軌工事が改軌工事が完成した1945年から「世知原線」として独立。
    • しかし戦後に沿線の鉱山が閉山するとその影響を受け、1971年に全線廃止。
  3. 線路跡はサイクリングロードとして整備されている。
  4. 代替バス路線は西肥自動車世知原線。

熊本[編集 | ソースを編集]

山野線[編集 | ソースを編集]

  1. 水俣市で鹿児島本線から分岐して、鹿児島県大口市(現在の伊佐市)を経由し、栗野町(現在の湧水町)で肥薩線に合流していた路線。廃止されたのはJRになってから。
  2. 魚の行商でも利用されていた。
    • 水俣で魚とくれば…
      • ところが行政目線では、大口(伊佐市)には患者はいないことにされている。
  3. 栗野町内の枕木は全て階段に転用された。
    • 「枕木階段」というまんまな名前である。
  • 水俣 - 東水俣 - 肥後深川 - 深渡瀬 - 久木野 - 薩摩布計 - 西山野 - 山野 - 郡山八幡 - 薩摩大口 - 西菱刈 - 菱刈 - 前目 - 湯之尾 - 稲葉崎 - 栗野

大分[編集 | ソースを編集]

宮原線[編集 | ソースを編集]

  1. 久大本線の恵良駅から小国町の肥後小国駅までを結んでいた。
  2. (九州なので察しは付くが)「みやはら」ではなく「みやのはる」である。
    • 小国町の大字に由来するらしい。
  3. 将来的には菊池まで延伸して熊電と繋げる予定だった。
  4. というかこの路線、計画上は佐賀駅から豊後森駅までを結ぶ予定だった。
    • 久大本線じゃダメなのか?
    • 山越えをする中で県境を何度も越えるので開通してもローカル線にしかならない(というか元々そういうものだが)気がしてならない。
    • 佐賀線もその計画の一部だった。
    • こっちは支線。本線は佐賀~瀬高~菊池~肥後大津の方。
  5. 1984年に廃止。その2年後に熊電の菊池方も廃止されてしまった。

大分交通(鉄道)[編集 | ソースを編集]

別大線[編集 | ソースを編集]

  1. 1900年開業の九州で最初の電気鉄道だった。
    • 開業当初から大分と別府を結ぶインターアーバンの役割を果たしていた。
  2. この路線を昭和初期に運営していた別府大分電鉄は法人としての大分交通の母体。
    • 戦時統合で西鉄に加わるという案もあったらしい。
  3. 大分駅前からかんたんまでの区間は市内線で特に本数が多かった。
    • 「かんたん」は漢字で書くと「菡萏」という全く簡単ではない字のため行先表示でも平仮名表記だった。
      • 由来は別府湾の古い呼び名。
  4. 土砂崩れにより日本の路面電車史上最悪の事故を起こしたことがある。
  5. 末期まで黒字だったのにモータリゼーションのせいで廃止されてしまった。
    • 別大国道拡幅のため線路が潰された。
    • そのせいで10年程度で廃車に追い込まれた車両もいる。
  6. 高崎山の猿の頭数を表示した電車が走っていた。
    • 他にも全面広告電車が何両か在籍していた。
  7. 廃止後に停留所で使われていた看板が大分市内のデパートで販売されたらしい。
    • ただし当時大ブームだったSLのナンバープレートの方が高値で売られていたという。

耶馬渓線[編集 | ソースを編集]

紀州鉄道に移籍した元大分交通耶馬渓線の603号車
  1. その名の通り中津から耶馬渓への足として親しまれていた。
    • 中津市内での通勤通学輸送への貢献も無視できない。
    • 一時期は本州から紅葉見物のための臨時列車が乗り入れていたことすらあった。
    • 沿線の観光地である青の洞門さながらに手掘りされたトンネルもあった。
  2. 1975年にこの路線が全線廃止されたことにより大分県から国鉄(→JR)以外の鉄道が消えた。
  3. 基本的に山中を走る路線だったにもかかわらず「しおかぜ」「なぎさ」という愛称を持つ気動車が走っていたことがある。
    • 先に消えた国東線の残党だった。
  4. 大分交通の路線になった後も開業当初の「耶馬渓鉄道」にちなんだ「耶鉄」という愛称で親しまれていた。
    • 「耶鉄柿坂」という駅も昭和46年に山間部の区間が消えるまでそのままの名称で生き残っていた。
  5. 昭和30年代まで明治時代に国有化された旧山陽鉄道や旧九州鉄道の木造客車の成れの果てが使われていたらしい。
    • 控えめに見積もっても60年物の車両が現役で使われていたことになる。
    • そのうち1両は明治時代の姿に復元され門司港の九州鉄道博物館で保存されている。
  6. 現在では廃線跡のかなりの部分がサイクリングロードになっている。
    • 車両もある程度まとまった数が中津市内のレストランで保存されている。
      • 紀州鉄道に移籍したものも1両は現地で保存。
    • 某駅の駅舎が元駅員の家として使われているらしい。
  7. 古い地図には終点の守実温泉から日田駅まで予定線が記載されているものがあるが詳細不明。
    • 国鉄は作る気でいた(中津~日田:鉄道敷設法第115号)。

国東線[編集 | ソースを編集]

  1. 日豊線の杵築駅から杵築市街地を通り現在の国東市中心部を結んでいた。
    • 旅客だけでなく現地で採れるミカンやイグサの輸送にも役立った。
  2. 国東市出身の藤波辰爾がテレビでこの路線の思い出を語ったことがある。
  3. 昭和36年に集中豪雨で橋が流され分断される前までは比較的調子が良かったという。
    • 一時期は急行列車すらあった。
  4. この路線の大海田駅跡の向かい側が大分空港のターミナルビル。
    • 現存していたら空港アクセスに大活躍していたかもしれない。
      • ただし杵築駅の線形を考慮すると大分方面からの直通にはスイッチバックが必要。
    • 大分空港が現在地に移転することが決まったのは皮肉にも路線廃止の翌月のことだった…。

宇佐参宮線[編集 | ソースを編集]

  1. 日豊線のルートから外れた豊後高田から国鉄宇佐駅を通って宇佐八幡までの路線だった。
    • 全長10kmにも満たない短い路線で国鉄との接続が途中駅というのがなかなかユニークだと思う。
    • やはりと言うべきかこの路線の誕生を鉄道忌避伝説と絡めて説明する人もいる。
      • どう見ても豊後高田の中心部に日豊本線通せる訳ないのにねぇ…。
  2. 一時期は豊後高田から竹田津を経て国東線と接続する壮大な構想もあったがもちろん実現するはずもなかった。
  3. 豊後高田駅の駅舎だった建物はバスターミナルとして現存している。
    • どうせなら昭和の町にふさわしく鉄道時代の雰囲気に近づけるのもありだと思う。
    • 宇佐神宮の境内にもこの路線で使われていたSLが1両保存されている。

豊州線[編集 | ソースを編集]

  1. 大分交通の鉄道線の中で最も地味な存在だった。
    • 名前だけはスケールが大きいが沿線に特に有名な場所があるわけでもない。
    • 廃止も昭和28年とひときわ早かった。
      • そのせいで写真や資料もあまり残っていない。
    • さらに起点も現在では無人化された豊前善光寺駅。
  2. 当初は玖珠町まで伸ばす予定だったが久大線の開通により必要がなくなり頓挫。
  3. 直接的な廃止原因はルース台風の被害だったがその直前の時点でバスによる代行輸送に転換され廃止寸前だったという。
  4. そんな路線ではあるが一部の駅跡には駅名標を模した木製の看板が立てられ往時をしのぶことができる。

日本鉱業佐賀関鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 戦後生まれの軽便鉄道。
    • 工事が始まったのは戦時中だが工事が終戦に間に合わなかった。
      • 佐賀関の精錬所に鉱石を陸路で運ぶ(絶たれにくい)ルートを確保し銅板などを安定的に供給できるようにする意図があった。
  2. 全駅の名称に「日鉱」が付けられていた。
    • このうち他地域に同名の駅があったのは大平駅と金山駅だけなので何を意図していたかは謎。
  3. 当初は貨物オンリーだったが鉄道敷設法での予定線と重なることもあり旅客輸送も始まった。
    • 該当区間には戦前から省営バス→国鉄バスが走っていた。
    • 日鉱社員の通勤に役立っていたのは言うまでもない。
  4. この路線の女性車掌の制服は鉄道員としては異例の茶色。
  5. 廃止直前でもかなりの盛況だったという。
    • 軌間が1067mmならおそらくもう少し長生きしていたはず。
  • 日鉱幸崎 - 日鉱本幸崎 - 日鉱大平 - 日鉱大志生木 - 日鉱小生木 - 日鉱辛幸 - 日鉱古宮 - 日鉱金山 - 日鉱佐賀関

宮崎[編集 | ソースを編集]

妻線[編集 | ソースを編集]

  1. 日豊本線の佐土原から妻を経由し、杉安までを結んでいた。
    • ちなみに「妻」とは西都市中心部の町名。
  2. 宮崎~佐土原間も元々は妻軽便線の一部として開通したものだった。
  3. 1984年に第1次特定地方交通線として廃止。
  4. 将来的には杉安から西米良村を経由して湯前線湯前まで伸ばす計画もあった。

志布志線[編集 | ソースを編集]

  1. 都城から志布志までを結んでいた路線。
  2. 三セク化も検討されたようだが、老朽化が進んでいたため立ち消えになったようだ。
  3. 民営化の4日前に廃止。
    • なお廃止直線まで快速が走っていた。
  4. なお赤字83線では日南線と古江線(後の大隅線)が選定されていたが、志布志線は免れていた。
  5. 現役当時の志布志町内では存続した日南線よりも利用されていた。
    • 駅の利用客数も、現存する大隅夏井駅よりも、廃止された安楽駅や中安楽駅のほうがはるかに多かった。
    • というか、日南線の北郷以南は元々志布志線だった。
  6. ここでは起点の関係で宮崎の節にぶら下がっているが、宮崎県で志布志線単独の駅は今町駅のみだったりする。
    • 開業当初は西都城駅もそうだった。
  7. いわさきグループの礎を築いた路線だったりする。
    • 路線敷設に必要な枕木の販売業者となるところからスタートしている。
  8. 線路跡をトレースした中宮跨道橋が中安楽~志布志間にありSLの車輪のレリーフが施されていた…が、都城志布志道路の建設により見事に全く味気のないコンクリート橋に架け替えられた。

細島線[編集 | ソースを編集]

  1. 日向市の東にある細島港へ至る路線として1921年に開業。
  2. 戦後は新駅(伊勢ヶ浜駅)の設置なども行われたが利用客は回復せず、1972年に旅客営業が廃止。
    • その後は日豊本線の貨物支線として1989年まで細々と残っていたが、同年限りで休止となり1993年に貨物営業も廃止された。

鹿児島[編集 | ソースを編集]

大隅線[編集 | ソースを編集]

  1. 県下第3の都市国分(現霧島市)から、港湾都市垂水市、県下第2の都市鹿屋市を経由して、志布志市までを結ぶ路線。
    • ちなみに現霧島市および鹿屋市は人口10万人以上である。
  2. しかし、開通時期があまりに遅すぎた。全線開通したのは1972年。
    • しかも、志布志方から開通したため、鹿児島からの需要を十分に取れず。
      • まあ鹿児島~垂水はフェリーもあるので苦戦しそうではあったが。
  3. 1987年に廃止。
    • 海潟温泉以北は開通からわずか15年で廃止されてしまった。
  4. 大隅線と称した期間よりも、古江線と称した期間のほうが長い。
  5. 鹿屋市と肝付町の区間(串良 - 古江)は元々私鉄だった。
  6. 私鉄区間は軌間(レール幅)が異なっていたので、国有化後に統一する工事が行われたのだが…完成からたった5日で風水害の被害を受けてしまう。
    • なおレール幅の変更工事に合わせて鹿屋駅の場所が変わっている。

宮之城線[編集 | ソースを編集]

  1. 薩摩川内から樋脇、入来、宮之城、薩摩鶴田、薩摩求名を経て大口までを結んでいた路線。
    • 途中の薩摩永野駅はスイッチバック構造となっていた。
  2. 国鉄民営化の3ヶ月前となる1987年1月に廃線。

鹿児島交通枕崎線[編集 | ソースを編集]

  1. 鹿児島本線の伊集院駅から日置、伊作、加世田などを経由して指宿枕崎線の枕崎駅までを結んでいた路線。
  2. 元々は南薩鉄道によって開業したため「南薩線」とも呼ばれていた。
  3. 1983年6月の豪雨で大きな被害を受けたのが決定打となり、翌1984年3月に全線廃止。
  • 伊集院 - 上日置 - 日置 - 吉利 - 永吉 - 吹上浜 - 薩摩湖 - 伊作 - 南吹上浜 - 北多夫施 - 南多夫施 - 阿多 - 加世田 - 上加世田 - 内山田 - 上内山田 - 干河 - 津貫 - 上津貫 - 薩摩久木野 - 金山 - 鹿籠 - 枕崎

沖縄[編集 | ソースを編集]

沖縄県営鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 県営であるため県議会の許可で建設された。
  2. 港に向かうためだけの貨物専用線を有する
  3. 実は未だに「休止線」の扱い。中央線の万世橋駅と似たようなものである。

与那原線[編集 | ソースを編集]

  1. 東シナ海側から太平洋側へ沖縄県の都市部を横断する幹線
  2. 与那原駅舎は、JAの移転を機に最近復元された。
  3. 南風原あたりに鉄道忌避伝説がある。

嘉手納線[編集 | ソースを編集]

  1. 那覇駅から嘉手納駅までを結んでいたため、県北部へのジャンクション的存在
  2. ゆいレールのルートに酷似している。
  3. この路線のせいで糸満線の開業が遅れた
  4. 本当は名護まで延ばすつもりだったが世界恐慌などにより実現しなかった。
  5. 県営鉄道で唯一、米軍基地に飲み込まれた区間がある。

糸満線[編集 | ソースを編集]

  1. 糸満駅は歴史上日本最南端の駅
    • トイレだけ現存しているらしい。
  2. 豊見城を避けるようなルートの原因は当時の権力者が自分の地元にレールを敷こうとしたため
    • おそらくこの線が残っていたら通勤電車が使える八重瀬町が市になっていて、豊見城は村のまま。
      • 東風平だけで市になってそう。
  3. 日本最悪の鉄道事故が起こった路線。

沖縄電気軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 開通当時は電力会社が路面電車を運営するのが一般的なことであった。
  2. 京都市電の電車が走っていた
  3. ポール脱落事故があったらしい
  4. ゆいレールに似たルートを通っていた。
  5. ノボテルに遺構が残っているが、完全に草に埋もれていて確認できない。

沖縄軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 県営与那原線の終点、与那原と中頭地方(本島中部)の東海岸、泡瀬を結んでいた。
  2. ただし、近代動力ではなく人畜力に依存していた。だからバスへの移管が早かったようだが、ほぼ全線をバスで移動することが可能である。
    • こちらはバスが開業してもサトウキビの運送で稼いでいたため延命できた。
    • 運行休止は県営鉄道より少々早い。そしてこちらも未だに休止線扱い。

糸満馬車軌道[編集 | ソースを編集]

  1. こちらも近代動力は使用されなかったが、遠回りで運賃がやや高めである県営糸満線より利用する確率が高かったらしい(こちらが最短絡ルートの那覇・垣花~糸満・糸満中心部だからである)。
  2. ただし、夏は蚊よけをせねばならないし、豊見城北部では山賊もいたらしい(ある意味大変)。いま、こちらもバスルートとなっているが、環境は馬車時代より改善されたらしい。
  3. 駅名が方言読みをそのまま採用しているため、かなりの難読。
    • 垣花(かちぬふぁな)、安次嶺(あしんみ)、潮平(すんざ)etc.