亀山市
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亀山市の噂[編集 | ソースを編集]
- ローソクの町だったのが、気がついたら液晶の町に。
- おかげで、産業スパイとヘッドハンターが市内にあふれている。
- 液晶テレビには欠かせない地域。
- 「亀山工場」というステッカーが貼られているのを県外で見ると嬉しくなる。
- 某有名液晶テレビメーカのセールス文句「亀山工場製」
- 某通販番組の社長や社員が「亀山テレビ」や「三重県の亀山工場~」を強調して言っている。
- 他社が中国など海外に液晶の生産拠点を置いたのに対し、亀山で高水準の液晶生産を開始したのが奏効し、液晶テレビのトップブランドに。
- 電器屋で「亀山のテレビください」と買いに来る客もいるそうな。
- ご多分に漏れず、非正規雇用の皆さんが作っていることは言うまでもない。
- でも、液晶パネルを作るのは機密防衛上、シャープの正社員らしい。
- 2017年現在は、亀山どころか日本国内で液晶パネルつくっていない模様。
- 某有名液晶テレビメーカのセールス文句「亀山工場製」
- 韓国でローソクデモが起こるたびにカメヤマの売り上げが上がるとか。なのでローソクもまだまだ健在。
- カメヤマだが、工場はここにあるものの本社は大阪市内にある。
- 茶でも有名。実は三重は静岡・鹿児島につぐ茶生産県である。
- 駅前が超寂しい。
- 通るたびにちょっと哀しくなる。昔はもっと栄えてたそうだが。
- 鈴鹿が発展するにしたがって、亀山駅周辺の商店がどんどん移っていったらしい。
- 今は食堂が一軒あるだけ。
- JR東海とJR西日本の境。両者で大きくカラーが異なる(電化/非電化など)
- かつては東海道本線に並ぶ大幹線だった関西本線の要衝。無駄に広い。
- リニアが来たらもっと発展する…のか?
- 旧国鉄時代は旧天王寺鉄道管理局と旧名古屋鉄道管理局の境で、亀山駅は旧天王寺局の管轄。
- 何本も汽車はないが、紀勢線と関西線の踏み切りにはさまれることがある(一日不幸)
- JRになって、JR東海は車輌の入換えに操車場をつかわなくなり(操車場は西日本のため)本線でやる。踏み切りに「入換」の表示があり、昼夜関係なく入換えをやるので、県道が渋滞する。
- その操車場である亀山鉄道部の構内が電化されていないため。ちなみにJR東海側には亀山運輸区という部署もある。
- 近鉄の鈴鹿線が奈良駅までつながっていたら亀山はもう少し発展していたかもしれない。
- 寝台連結急行湊町⇔東京間の大和号が走っていた。
- 国鉄時代走っていた寝台特急「紀伊」は、名古屋とここで方向転換していた。そのため下りはここで進行方向が元に戻ることになった。
- 「志ぐれ茶漬け」が名物。
- みそ焼きうどんも。
- 「亀山ラーメン」と言う牛骨をベースにオリジナルブレンド味噌を用いた牛骨味噌スープである事が特徴の1つ。
- 通るたびにちょっと哀しくなる。昔はもっと栄えてたそうだが。
- 知られざる食の名所「亀八食堂」がある。鉄板焼きの店だが、頼んだものを全部鉄板にドサッと置かれるので、初心者はドキドキする。
- 初心者は出てくる量をよく把握してないのでおばちゃんから注意を受ける。
- 何かこのあたりに、ヤマギシ会の一大酪農地帯が存在していたような気がする。
- 旧芸濃町では
- 5町村あった頃の旧安芸郡の中で津市と合併した豊里村(町?)だったはず、一時期マスコミでも叩かれていた。
- 鈴鹿郡役所は亀山にあった(鈴鹿市ではない)。
- 旧東海道筋は昔の宿場町の店の名前の札をだしてあるなど、整備に力を入れている様子。
- 対照的に城跡は櫓のみ、石垣が崩れている(しかも昭和に造った部分)。
- なお櫓の建物は三重県で唯一現存する江戸時代の城郭建築。
- 液晶工場ができるまでは最もネタにされやすい寂れた場所だった
- 近鉄が市内を通っていないので名古屋はともかく大阪や京都から行くのは不便。
- 京都人を中心に亀岡とよく間違えられる。
- ってか、昔は亀岡のがこっちと同じ「亀山」の名だった。
- そのせいで間違えて天守を破壊されたことすらある。
- ってか、昔は亀岡のがこっちと同じ「亀山」の名だった。
- 伊勢なのに市外局番が伊賀と同じ(0595)。
- わからなくもないよ。亀山は伊賀地方ともつながり深いもん。
- 以前は05958だったものが短縮されて同じになったのです。
- 旧関町は05959だった。
- 以前は05958だったものが短縮されて同じになったのです。
- わからなくもないよ。亀山は伊賀地方ともつながり深いもん。
- 東名阪のPAに名古屋土産と大阪土産の両方が売られている。おそらく大阪土産の最東端。
- シャープ目当てに作ったホテルは京都から伊勢に向かう外国人観光客の宿泊客であふれかえっている。
- 三重で唯一となった一里塚が存在する。
関[編集 | ソースを編集]
- 一瞬、岐阜県の地名と間違えそうになる。
- 旧25号線が加太あたりで酷道になる。
- 東海道の宿場町の保存状態がよい。
- 江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒超が現存しており、当時の姿を色濃く残している。
- なお本陣跡には普通の民家が建っているだけ。
- 重伝建地区の狭い道をコミュニティバスか何かが走っていた。
- ある建物の2階から宿場をある程度見渡すことができるが大した眺めではない。
- テレビ番組で亀山と銘打っていても、でてくるのは「関」
- 県道は津関線、鈴鹿関線、四日市関線と県内の道路は関を経由する。
- 水沢野田関線というのもあった(今もあるのか?)
- ないです。(現・四日市関線)
- 水沢野田関線というのもあった(今もあるのか?)
- 亀山と合併するまで鈴鹿郡は関町だけの一郡一町、よく頑張った。
- 鈴鹿郡は2町18村で編成されたが、そのうち町は亀山と関
- 関町は旧関町・旧坂下村・旧加太村が合併してできたが、関は亀山藩、坂下は天領、加太は津藩で殿様が違い、今も気風が違う。
- 関ロッジではブルートレインの車両がおいてあり、そこを客室として泊まれることがウリだった。
- 刃物は作られていない。
- ここにある鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の度に移築される。
- 「関の山」と言う単語の由来となった街。なお、「山」は「山車(だし)」を指す模様。
- なぜか骨董品店を多く見かける気がする。
- 旧関町の旅人がモチーフのマンホール蓋が亀山市合併後も空の部分に「かめやま」と入れられて設置され続けている。
- 江戸時代には火縄が特産だった。
- 古いたたずまいの宿場町らしく郵便ポストは明治時代風のデザイン。
加太[編集 | ソースを編集]
- 奈良時代の東海道は加太越で、奈良を目指した。
- 神君伊賀越えの際に、柘植の伊賀忍者たちは加太あたりを物々しく警護しながら降りたとか。
- 板屋とか秘境的なところが多い。
- 読み方は「かぶと」。「かだ」は和歌山。
坂下[編集 | ソースを編集]
- 鈴鹿峠の南にある集落。
- 結構過疎ってる。
- 江戸時代中期には本陣が3つもある、ものすごく大きな宿場町だったらしい。今は往時の活況を感じさせる要素は何一つない。
- 鈴鹿峠の上にある片山神社は、東海道を行く人々を見守った神社。
- 元々は、土山宿の田村神社も、片山神社に合祀されていたらしい。