京都市の寺院
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分割済み[編集 | ソースを編集]
中京区[編集 | ソースを編集]
六角堂頂法寺[編集 | ソースを編集]
- 本堂の形が六角形だという理由だけで、有名な感じがする。
- 堂の側の池は聖徳太子が沐浴したこともある池だという。そんなもんが1500年近くも残るか?
- 池坊ゆかりの寺ということで生け花の聖地である。
- 池坊本部ビルはすぐ隣。
- 池坊関係者は池坊ビルから直接参拝することができる。
- 池坊本部ビルはすぐ隣。
- 「京都の中心」ともいわれる「へそ石」がある。
- 正体は灯篭の台石ではないかとされている。
- 最寄りが烏丸御池なので市バスでは少々行きづらい。
- 西国三十三所にしては珍しい街中にある札所。
- 西隣のビルのエレベータから見下ろすことができる。
- そのビルは寺の境内に直結していて、入口付近に小さく「六角堂を上から眺められる展望エレベーターあり」の掲示まで出しているんだけど、エレベーターが3台あるうちの1台だけで、なおかつエレベータのボタンを押したときにどれがやってくるかは運ゲーだったりするあたりが中途半端。
- 御朱印が5種類ある。
- 洛陽三十三所観音霊場の一番札所。
革堂行願寺[編集 | ソースを編集]
- 革聖と呼ばれる人が開基。故に、革堂行願寺。
- 西国三十三霊場唯一の尼寺らしい。尚戦後すぐまでは相当寂れていた模様。
- 「革堂」の読みは「こうどう」。
- 室町時代には上京の町衆が集まる場所としても機能していた。
- なお現在は当時とは場所が変わっている。
壬生寺[編集 | ソースを編集]
- とりあえず新撰組。
- 壬生狂言が行われる寺としても知られる。
- 狂言の行われる舞台は重要文化財だが普段は見られない。
- 狂言が行われていない時には静かな寺である。
- 道端から撤去された地蔵を集めて日本では珍しいパゴダを築いた。
- 嵯峨野線の車内からも視認できる。
- 現在の本尊は戦後の火災で燃えた先代の代わりとして唐招提寺からやって来た。
- 地蔵盆用にお地蔵さんのレンタルを行っている。
- 節分の際には境内やその周辺がとにかく混雑する。
- 門前のそれほど広くない坊城通にも露店が出ている。
- 四条以南はだいたい人で埋まる。
- 寺の北側にある嵐電の踏切には侵入防止のため係員が配置される。
- 参拝者は他所の観光客より地元住民のほうが多そう。
- とりあえず外国人はあまりいなかった。
- 門前のそれほど広くない坊城通にも露店が出ている。
本能寺[編集 | ソースを編集]
- 正式表記では「能」の右半分が「去」になっている。
- たびたび火災で焼失したため火が去ることを願いあえて古い字体を使っている。
- 現在は信長が討たれた時とは違う場所に所在。
- そのため関連施設のホテルのHPでは「本能寺の変の時とは違う場所で、しかも毎年法要を行っているので信長の怨霊の心配はない」という趣旨のことが書かれている。
- だいたい豊臣秀吉のせい。
- 地味に国宝を持っている。
- やはりと言うべきか信長の末裔のフィギュアスケーターも参拝したことがある。
- 京都市中心部にあるため周囲はビルに囲まれている。
- 京都市役所も近い。
神泉苑[編集 | ソースを編集]

- 庭園のイメージが強いが現在は真言宗の寺院でもある。
- 除夜の鐘も撞ける。
- 寺院になったのは江戸初期。
- 真言宗を選んだのは平安時代に空海がここで雨乞いをしたことに由来する。
- 境内の料亭の看板も目立っている。
- 池には屋形船も浮いている。
- 屋号は「神泉苑平八」。「平八」という料亭は左京区にもあるが関係はあるのかどうかは不明。
- 敷地の大部分が二条城に取り込まれたため現在は最盛期と比べるとかなりみすぼらしくなっている。
- 御池通の「御池」はここのこととされている。
- 境内の恵方社は日本でも極めて珍しい向きを変えられる祠。
- ただし台座は重厚な石造のためそう簡単には動かせない。
- 「ゴイサギ」という語はここで誕生したと伝えられる。
- 醍醐天皇に従ってひれ伏したことで「五位」を授かったのが語源だとか。
- 長い年月を経た現在もここにゴイサギは姿を見せるという、何だかドラマチックな後日談も。
上京区[編集 | ソースを編集]
大報恩寺[編集 | ソースを編集]
- 通称の「千本釈迦堂」の方が有名。
- 市バスでも上七軒停車前にはこの名称で案内される。
- 本堂は応仁の乱を生き延びた洛中最古の建物。
- 国宝にもなっているが知名度は比較的低い。
- 鎌倉時代初期の建築だけあって、江戸期の復興建築と違い、落ち着いてて品がある。
- おかめの逸話で知られる。
- 仏像は地味に優品揃い。
- 本尊の釈迦如来座像は秘仏で、原則3月22日にしか公開しない。
清浄華院[編集 | ソースを編集]
- ずっと洛中にあったので山号はない。
- 歴史ある寺だが現在の建物はほとんど近現代のもの。
- 大晦日に一般人が除夜の鐘を撞ける寺の一つ。
- そこまで知名度が高くないのである程度早く行って並べば確実に撞ける。
相国寺[編集 | ソースを編集]
- 足利義満が建てさせた寺。花の御所のお隣だからね。
- 同志社今出川キャンパスの下にも遺構が眠っているらしい。
- 昔はキャンパスの大部分も境内だったとか。
- 承天閣美術館という美術館を併設してる。
- 京都屈指の名刹だけに、所有品も粒ぞろい。
- 室町時代には高さ100メートル以上の塔が建っていたらしい。
- 現存していたら京都人はあまり高い建物に違和感を持たなかったように思う。
- 金閣寺・銀閣寺の親分。
- 鹿苑寺と慈照寺に加え、真如寺の3カ寺が院外塔頭。
- この中やと、やっぱり真如寺が知名度がダントツに低い。オノボリさんの間では、真如堂と混同してはる人もいてはるとかいてはらへんとか。
- 鹿苑寺と慈照寺に加え、真如寺の3カ寺が院外塔頭。
- 法堂のあたり、人が居なければ静かやしすごく落ち着く。
法堂 - その法堂は豊臣秀頼の寄進で造られたもの。ちなみに法堂建築の中では世界最古の建築。
- 相国寺絡みのポスターとかはだいたいここで撮られる。
- そんな法堂の中に入ると、狩野光信が描いたとされるあの有名な鳴き龍を拝める。
- 臨済宗相国寺派の大本山。
- 臨済宗寺院らしく塔頭寺院が多くある。
- 先述の通り院外塔頭もあるが、院内塔頭の数もなんしか割とぎょうさんある。大光明寺とかもそうやからね。
- 開山は夢窓疎石。開基の足利義満が招聘した。
- なんやけど、実のところ義満が招聘しようとした春屋妙葩が、半ば無理やり師匠だった夢窓疎石に箔をつけるために、夢窓疎石を開山にしたとか言われている。
引接寺[編集 | ソースを編集]
- 一般的には別名の「千本ゑんま堂」の方がはるかに有名。
- 本尊の閻魔大王が怖い顔で参拝者を睨んでいる。
- 閻魔大王に関連した作品であるおじゃる丸の人形もさりげなく置かれている。
- 本堂の壁には閻魔庁の裁判風景らしきものが描かれているが劣化し放題。
- 最大の見どころは紫式部のものとされる重要文化財の供養塔。
- 鐘楼も14世紀末に作られた応仁の乱をくぐり抜けているはずのもの。
- こちらの寺もある程度早く行けば確実に除夜の鐘を撞ける。
報恩寺[編集 | ソースを編集]
- 何と言っても「鳴虎図」。
下京区[編集 | ソースを編集]
東本願寺[編集 | ソースを編集]

- 西とは違い世界遺産ではない。
- ほとんどの建物が明治時代の再建。
- そのため、明治期に活躍した京絵師たちの作品が多い。
- ほとんどの建物が明治時代の再建。
- 門の付近で金属製の蓮の花が咲いている。
- 烏丸通を曲げさせた。
- 門前が参拝者で混雑した際の安全対策とされる。
- 市電を寺の真ん前に通さないようにしたため、というのもある。
- なお現在烏丸通の下を通っている地下鉄は特に曲がっていない。
- 正式名は「真宗本廟」。
- 但し、昭和62年まではこちらも正式名は「本願寺」。
- 一般的には「お東さん」と呼ばれる。
- 「大谷派」はこちら。
西本願寺[編集 | ソースを編集]
- こちらは境内が世界遺産に登録されている。
- 国宝の飛雲閣は原則として特別公開の時にしか見られない。
- 普段は木々の間から上の方が見えるくらい。
- そのせいか境内のお茶所(休憩所)にはかなりリアルな模型が置かれている。
- 特別公開の時でも外観の撮影は禁止されている。
- 堀川通から国宝の唐門へ向かう途中の築地塀に近づくと警報が作動するので注意。
- 正式なローマ字表記は"Hongwanji"。
- 新撰組の本拠地だったこともある。
- 正式名は「本願寺」
- 五条坂にある大谷本廟はここの飛地という扱いらしい。
- 近くに「大谷祖廟」もあるがこちらは東本願寺の方。名前が似てるので間違いやすい。
- 大谷本廟は、関西のお骨納めのメッカ。
- お骨納めというのは、ノドぼとけだけを分骨して納めること。
- 通常、12月ころに納めるのが習わし。
- ここを数ある寺の一つと思い写真撮影している観光客がいるが、お骨を納めている関西人にとっては複雑な心境である。
- お骨納めというのは、ノドぼとけだけを分骨して納めること。
- 西本願寺なのに「大谷」なのか。
- 一般的には「お西さん」と呼ばれる。
- 「本願寺派」はこちら。
- 堀川通に面した壁にこの寺が提供する宗教番組の広告看板が出ている。
清聚院[編集 | ソースを編集]
- 一般的な知名度としてはマイナーではあるが、力作レベルのイラスト御朱印を1時間掛けて作成してくれることで話題の寺院。
- そのため、全国の御朱印収集マニアにとっては聖地的なポジションになりつつある。
- そこの住職が大のおしゃべり好きで、イラストを作成しながらお悩み相談もしてくれるというサービス(?)付き。大阪の芸人並みのキャラの強さだが、ハマる人はハマる(住職曰く、某地方にいた頃はかなり煙たがられていたらしい)。
- お稲荷さん(キツネ)のイラストも描いてくれる事もあるが、他寺から「お前どこの宗派やねん」と突っ込まれたことから、現在は11月限定で受け付けている模様(って、結局描くのかよw)。
右京区[編集 | ソースを編集]
天竜寺[編集 | ソースを編集]
- とりあえず、世界遺産。
- その名の通り(?)天井の竜の絵が有名。
- 春秋の特別公開時以外は、土日祝日しか見られない。
- 足利尊氏さんが後醍醐天皇の菩提を弔うため建立。
- あんた、後醍醐天皇を裏切ったのに、と思ってしまう。
- だからこそキチンと弔わなければいけなかった。後醍醐天皇の祟りとその鎮魂は、後々まで幕府重鎮たちにとって大きな政治的課題だったし。
- 尊氏が、建武新政離反後も「尊」の字を使い続けたのを鑑みると、尊氏は個人としては後醍醐天皇を嫌いではなかった気がする。最も、旧名・高氏の「高」は北条高時からの偏諱だから、今更戻せないという理由もあったろうけど。
- あんた、後醍醐天皇を裏切ったのに、と思ってしまう。
- 嵐電嵐山駅至近。
- そのため観光地化が著しく、人も多い。
妙心寺[編集 | ソースを編集]
- 大徳寺と並ぶ、代表的な林下の寺院。
- 塔頭が建ち並ぶ境内も、大徳寺に似ている。
- 花園駅のすぐ北なので、行きやすい。
- ただバスだと、通る経路が少ない
- 嵐電北野線に寺の名前を名乗る駅があるが花園駅とは反対側の北側になる。
- 曝涼展は、一般拝観無しなので注意。
- 花園大学の経営母体である。
- 狩野探幽が描いた雲龍図は有名。
- 織田信長・信忠親子の供養塔があるが、拝観は一切できない。
- 明智風呂と呼ばれる浴室がある。
- 「はなぞのちゃん」という、お坊さんのマスコットキャラがいる。
化野念仏寺[編集 | ソースを編集]
- 化野の奥まった所にある。
- 元々が風葬の地だったからかどこかしらそういう雰囲気が出ている。
- 石仏で有名。明治の頃に檀家が持ち寄ったのが始まりだとか。
- それがある所は「西院の河原」というらしい。由来はお察しください。
愛宕念仏寺[編集 | ソースを編集]
- 「おたぎねんぶつじ」と読む。ここ要注意ね。
- …あたご じゃないのか。
- 化野念仏寺と同様に数多くの石仏群があるが、そこまで有名ではない。
- こっちの石仏は個性的な顔立ちをしていて、自分の身近な人によく似た顔の石仏が居ることも。
- 西村京太郎サスペンスの京都物(ドラマではなく本の方)なんかで時々出てくる事で一部では知られている。京都在住時にここへよく通っていたのかもしれない。
竜安寺[編集 | ソースを編集]
- 海外からの観光客に特に人気がある。
- 人気に火をつけたのはかのエリザベス2世女王。
- 2005年の時点で既に外国人のほうが多かった印象。
- 縁側から見ている分には石庭の石は14個しか見えない。
- 本尊のところからは15個見えるらしい。
- しかし、室内に入ることは出来ないため、実際に確認することは出来ない。
- 庭の入口脇に、目の不自由な人のための模型が置かれているので、それで配置を覚えましょう。
- 向かって一番右の石が地面に埋め込まれてる上に、すぐ左の石が影になって非常に見えづらい。
- 石庭自体は案外小さい。
- 何気に背景の枯淡な壁が重要だと思う。
- もし真っ白い漆喰壁だったら、現状ほどの味わいは出ないだろう。
- 本尊のところからは15個見えるらしい。
- 吾唯足るを知る。
- なおつくばいの現物は非公開。
- 特別公開の時期に300円余計に出せば見ることができる。
- なおつくばいの現物は非公開。
- 石庭ばかりが有名だが、手前の庭園もなかなかなものだと思う。
- 椛が多くて紅葉の季節はさぞ綺麗だろう。混雑も凄いことになりそうだが。
- バスが通る「きぬかけの道」の南側にも参道が続いている。
仁和寺[編集 | ソースを編集]
- 昔は法皇が住んだこともあったため「御室御所」と呼ばれていた。
- その異名にふさわしく元御所の建物も多い。
- 背の低い桜で有名。
- この時期だけ境内への入場料を取られる。
- 「五重塔+桜」といういかにも「外国人がイメージした日本」のような写真を撮れる。
- 「御室桜」と呼ばれる。通常のソメイヨシノよりも遅咲き。
- 桜が低いのは地質が絡んでいるらしい。
- 山の上まで行かなかった坊さんがいた寺?
- 読み方は「にんなじ」。大阪府寝屋川市には同じ漢字表記で「にわじ」と読む地名がある。
- そちらの地名の由来はこの寺にある。
神護寺[編集 | ソースを編集]
- 高山寺と並び高雄を代表する寺院。文覚上人の寺として有名。
- 京都中心地より、気温がワンランク低いので注意。
- 虫干し展は、毎年5月1日から5日。
- 目玉は何と言っても伝源頼朝像を始めとする神護寺三像。
- しかし、伝藤原光能像が出てない。三像が一堂に会することは、寺でもなかなか無いらしいのでしょうがないが。
- ちなみに頼朝を足利直義とする新説は、認める気ちっとも無い。
- 有料で音声ガイドを貸してくれるが、そこでの説明は20年以上は古く、新説に触れもしない。無論、展示解説でもスルー。まあ、寺の解説が学問的に少しおかしい、甘いというのはよくあることだが。
- 本に伝源頼朝像を足利直義像として載せようとしても、神護寺から掲載許可が下りないらしい。
- 目玉は何と言っても伝源頼朝像を始めとする神護寺三像。
- かわらけ投げ発祥の地らしい。
- 高雄の寺で唯一紅葉シーズンに料金の値上げを行わない。
高山寺[編集 | ソースを編集]
- 何と言っても鳥獣戯画。
- この寺で販売されている土産物の過半数が鳥獣戯画グッズだった。
- 本物は国立博物館に寄託されているので、寺に置かれているのはレプリカ。
- 境内のあちこちで見られる石垣はかつての塔頭の名残。
- 金堂は江戸時代の建築らしいが正面の扉がガラスも使ったものにされそれっぽい雰囲気が感じられない。
- おまけに昼でも中がよく見えない。
- 日本最古の茶園がある。
- 紅葉シーズンだけ境内の拝観が有料。
- 9割方散ってもまだ有料期間が継続するので注意。
北区[編集 | ソースを編集]
等持院[編集 | ソースを編集]
- 足利将軍家の菩提寺。
- 昔は今よりずっと広かったが、足利氏の衰退とともに縮小。
- 足利歴代の肖像彫刻で有名。
- 像の前にお賽銭が投げこまれているが、その量は大体知名度に比例している。
- 別にスケールが統一されているわけではないので何人かの像が明らかに他の像より小さい。
- かつては映画撮影所があった。京都で唯一の寺内撮影所らしい。
- しかし、撮影で寺の施設をかなり壊されたらしい。マスコミは、いつの時代もマスゴミである。
- 曝涼展は、10月上旬の数日間。一日だけという寺が多い中では、行きやすい方。
- 道路を挟んですぐ北側は立命館大学の衣笠キャンパス。
- キャンパスを通り抜けないと墓地に行けない。
- 場所によっては庭園の木の向こうに大学の建物が見える。
- 紅葉シーズンでもそこまで混まないためゆっくり京都の紅葉を堪能したい方にはお勧め。
- 北側から来ると入口が分かりにくいので要注意。
鹿苑寺[編集 | ソースを編集]
- レプリカでっせ。舞鶴出身のアホが燃やしたらしい。
- だからかしらんが、かつて、某暴走老人に「ここにテ●ドンでも打ち込まれたら日本人も覚醒するだろう」とか言われていた。
- 燃やされる前は金ピカじゃなかった。(当たり前だが)
- 鳳凰と額は取り外してあったため室町時代のオリジナルが現存している。
- 京都で一番、関西弁や京ことばが聞けない場所。
- とにかくお上りさんが多いでんなあ。なんでもよろしいですけど、柵越えたり苔踏んだりすんのだけはやめてほしいわあ。
- 今やそもそも日本語が聞けない。
- 外国人のほうが多い気がする。
- 地元民はここの入場券を大切に保存する。
- 理由は書けんけど、ヒントは券に日付印が入ってないという事実。
- 慈照寺(銀閣寺)の券も同じ理由で保存する。ただ二つ並べると鹿苑寺の方が一回り大きく立派に見える。
- 山号が北山。但し、読みは「きたやま」ではない。
- あれ?これが作られた時代の文化を指す「北山文化」は「きたやま」やけど。
- 雪が降るとここに駆け付け「雪中の金閣」を撮ろうとするカメラマンが少なくない。
- K沼E美子さんが「購入した」と豪語している寺院。
大徳寺[編集 | ソースを編集]
- 一休さんや千利休ゆかりの寺。
- 境内は塔頭だらけ。
- どこも似たような構造になっている。
- 国宝の唐門は本当に聚楽第の遺構らしい。
- 納豆の種類としても知られる。
- この寺の近くの食堂で売られているラーメンにも入っている。
- 単独で食べるほか、打物などの干菓子に砕いて入れることも。アミノ酸と糖分は同時に摂ると吸収されやすく、栄養上も好ましいとか。
- 境内のどこかにまだ市電が載った案内図がある。
- 曝涼展は、毎年10月第2日曜日の1日のみ。
- 日本にある中国絵画の中でも屈指の名品、牧谿の観音猿鶴図を間近で観ることが出来る。勿怪の幸いだね。
- 呪われた井戸茶碗がある。
- 歴代の所有者が、そろいもそろって腫物で命を落とした。
- 千利休が切腹する原因となったのは、ここの三門。
大徳寺三門 - 千利休の寄進で三門が完成したから、寺がお礼に利休像彫って飾ったら、猿親父が大激怒して、切腹申し渡されたというお粗末な話。
- 仏に手を合わせて、善行をやったところで、必ずしも報われるわけではないという風に考えるとよいのか。それとも、善行をやった結果、浄土へ早く行けることになったと解釈すればよいのか。非常に悩ましい。
- どうでもええ話なんやけどさ、三門に金毛閣という額が掲げられてるんやけど、金毛ってどういう意味なんやろ。
- ちなみに、私は、これを見たとき、タ×キンの毛を想像してしまった。 ← 罰当たり!!
- 千利休の寄進で三門が完成したから、寺がお礼に利休像彫って飾ったら、猿親父が大激怒して、切腹申し渡されたというお粗末な話。
- 沢庵和尚が紫衣事件で追っ払われたときに住持をやっていたところ。
- 幕府と対立したように見えて、沢庵和尚は三代将軍家光の帰依を受けるわ、大徳寺は朱印地を2,000石も持つことを保証されるわと、なんちゅうか、後水尾天皇対策のプロレスをやった舞台という感じ。
- 唐門や方丈という国宝物件だけでも大概だが、法堂や仏道、三門など重要文化財物件も多数。
- 塔頭寺院も含めると結構な広さなので、ここだけで時間を潰そうと思えば半日くらい簡単に潰せる。
西京区[編集 | ソースを編集]
西芳寺[編集 | ソースを編集]
- 苔、苔、池、苔
- 冗談抜きにこんな感じ。
- 実は、枯山水も見もの。しかし、苔のインパクトが強すぎて……
- 一度入り込めば、何時間でも見放題。
- 観覧は完全予約制。
- そして、行ったら行ったで写経をする必要があるが、場合によっては15分ほどで済ませてくれることもある。しかも小学校低学年の漢字ドリルみたいに薄く書かれた経文を上からなぞるだけ……
- 一般的には「苔寺」として知られている。バスの行き先もそうなっているし。
善峯寺[編集 | ソースを編集]
- 実は京都市内。
- 向日町から只管西へ西へ歩いて行くと着く寺。
- 犬公方綱吉の母桂昌院の墓がある。
- 昔の皇族の方々の墓があり、その区画だけは宮内庁管理区域となっている。
- 大抵、父親がそれなりの大物である、男子が多い。
- 昔の皇族の方々の墓があり、その区画だけは宮内庁管理区域となっている。
- 近隣には、善峯寺まで往復、を定番のジョギングコースにしている人が多い。
- 拝観する場合、双眼鏡を持っていくとよい。薬師堂前から京都盆地を見晴らすのに役立つ。
- 西国三十三所巡礼の第20番札所。
- 西国三十三所巡礼を復活させた人物は花山天皇とされているが、このお寺が創建されたのは花山天皇の崩御から21年後なので、この伝承は明らかに矛盾している。
浄住寺[編集 | ソースを編集]

- かつては天台宗の寺院だったが、途中で黄檗宗に変わった。
- 黄檗宗の中では宇治の萬福寺に次ぐ格らしい。
- そのため、伽藍配置も萬福寺と同じく中国風。同じく中国風の仏像も本堂にある。
- 実は隠れた紅葉の名所。
- 紅葉の季節だけ拝観料を取るということだが、普段は境内無料ということか?
- 地面には苔が生えており、それと紅葉との対比も見もの。
- 方丈には「武者隠し」という丸い穴があり、身の危険を感じた時はそこから赤ん坊を逃したりしていたとか。
- 普段は非公開だが、最近になって時折特別公開されるようになった。
- 寺が創建された当初は「常住寺」という表記だった。
南区[編集 | ソースを編集]
教王護国寺[編集 | ソースを編集]
→東寺
山科区[編集 | ソースを編集]
勧修寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:勧修寺仁王堂町
- 桜の美しい寺。
- 醍醐天皇の勅願寺。
- 花菖蒲で有名。
- 真言宗山階派の総本山。
随心院[編集 | ソースを編集]
- 所在地:小野御霊町
- ミス小野小町の主催者。
- 梅の名所の一つ。
- 梅のシーズンになると人がものすごく増える寺。
- 小野小町ゆかりの寺院。
- 実はこれでも真言宗小野派(今の善通寺派)の総本山だった。
- 小野派が善通寺派に変わった後は大本山としてやっている。
毘沙門堂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:安朱稲荷山町
- 天台宗の門跡寺院の一つ。
- 秋の紅葉の時期は、寺一帯が赤く染まって非常に美しい。
- 国宝の青磁鳳凰耳花生は、元々毘沙門堂のものだった。
- 閼伽水は水質的には飲めるらしい。
- ただし、仏事で使う大事な水なので一般人は飲めない。
双林院[編集 | ソースを編集]
- 所在地:安朱稲荷山町
- 地元では聖天さんと呼ばれている寺。
- 毘沙門さんとの関係も深い。
安祥寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:御陵平林町
- 定額寺の一つ。
- 非公開寺院。一般人は立ち入れない。