京都市の寺院/伏見区
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醍醐寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:醍醐東大路町
- 元々は上醍醐にある山寺だった。
- いわゆる醍醐寺のエリアは、上醍醐との対比で下醍醐と呼ばれる。
- 五重塔だけは平安時代に建立されて以来、兵火を逃れ、今まで残っている。
- 某カルトと親密。
- 元々、そこの教祖がここで修行していたとかで、末寺の住職もさせていた。当然ながら僧階ももらっていて、死去後は、大僧正の位を贈号している。
- 今の庭や伽藍を整備したのはお猿さん。理由は花見をしたかったかららしい。
- なお、この猿は、花見は成功したが、花見中に体調を崩して、死んだ。
- そして、たぬきと茶坊主の争いを生む。
- 猿の子供も色々整備に協力している。
- なお、この猿は、花見は成功したが、花見中に体調を崩して、死んだ。
- 金堂は平安時代のものらしい。こっちも国宝。
- ただし、元々は紀州湯浅にあったものを移築したんだとか。
- 安土桃山期に第80代座主を務めた義演という坊さんのおかげで、今の醍醐寺がある。
- 二条晴良の息子にして、足利義昭の養子だったとか。時代の風を読むのがうまく、秀吉、家康に大層気に入られたらしい。おかげで色々な修復事業をやってもらえた。
- 義演は、『法然上人伝記』の写本(醍醐本)を作らせた人でもある。
三宝院[編集 | ソースを編集]
- 醍醐寺の院内塔頭。
- 昔は門跡寺院だった。
- 庭園は特別史跡・特別名勝。
- 設計したのは豊臣秀吉。
- 醍醐の花見のメイン会場。
准胝堂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:醍醐醍醐山
- いわゆる上醍醐。
- 西国三十三所第11番は准胝堂。
- 典型的な山寺。麓からでも1時間くらいはかかると見たほうがいい。
石峰寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:深草石峰寺山町
- 伊藤若冲の墓がある寺。
- 五百羅漢の石仏がある。
- デザインしたのは伊藤若冲らしい。
宝塔寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:深草宝塔寺山町
- 日蓮宗妙見寺派の寺院。江戸時代に宗派替えしたんやったかな。
- 平安時代にはすでに存在した寺。ただし名前は極楽寺といったらしい。
- 因みに源氏物語にも登場している。
- 多宝塔や高麗門等、結構豪華な作りをしている寺院。
瑞光寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:深草坊町
- 本堂が茅葺屋根。
- 銭洗いの寺。銭洗弁天がある。
墨染寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:墨染町
- 墨染桜で知られる寺。
- 2023年現在では代替わりのため墨染桜は意外と小さく、周辺に大量のソメイヨシノが植わっている。
- 境内の日蓮像が手から桜吹雪を出すとか。その画像を撮りたければ、ソメイヨシノのほうの開花時期に合わせて参拝を。
安楽寿院[編集 | ソースを編集]
- 所在地:竹田中内畑町
- 寺なのに山号はなし。
- 鳥羽離宮にあった仏堂が、現代まで残ったという寺院。
- もちろん、建物は何回も建て替えられているけど、系譜的にはそうなる。
- 真言宗智山派に属している。
- 鳥羽天皇と近衛天皇の陵墓が境内にある。
- 厳密には境内にあると見せかけて、他の陵墓と同じで宮内庁管理。
- 法堂は鳥羽天皇陵。多宝塔は近衛天皇陵。
- 陵墓が多宝塔の天皇って近衛さんくらいちゃうか? しらんけど。
北向山不動院[編集 | ソースを編集]
- 所在地:竹田浄菩提院町
- 本尊の不動明王が北の方を向いているから、北向山不動院。
- 北を向いているのは、平安京を守るため。
- 御本尊様は、重要文化財。
- ここも鳥羽上皇ゆかりの寺。
- 鳥羽上皇勅願寺にして、鳥羽上皇が開基。
- 天台宗寺院だが、開山は興教大師覚鑁(真言宗の僧侶)。
法界寺[編集 | ソースを編集]
- 所在地:日野西大道町
日野誕生院[編集 | ソースを編集]
- 所在地:日野西大道町
- 法界寺に隣接して建てられた寺。
- こっちは日蓮宗寺院。聖地が他宗派の寺院だから隣接地に建てたのだろう。