京都市の神社
参拝スポット > 日本の神社 > 近畿の神社 > 京都の神社 > 京都市の神社
独立済み[編集 | ソースを編集]
中京区[編集 | ソースを編集]
錦天満宮[編集 | ソースを編集]
- 鳥居の端がビルにめり込んでいる神社として一部では有名。
- どうやらビル建設時の設計ミスが原因らしい。
- 参道を商店街が横切る神社ってかなり珍しい気がする。というかここ以外にあるのか?
- 神様の通り道を人々がずかずかと横切っていくのもなんか罰当たりに思える。
- というか、新京極自体寺社の境内をぶった切る形で通された。
御金神社[編集 | ソースを編集]
- その名の通り、鳥居から授与品まで、境内のあらゆるものがきんきらきん。
- 金の亡者がありがたがって参拝しに来る。
- なお社号の御金(みかね)とは、お金ではなく金属を意味する。
- 銭が貯まる神社といわれている。
- 金色の鳥居を夜、写真に収めたいという観光客が多い。そんな訳で夜中でもそれなりに人出がある。
- 地元からしたら、当然だが、大迷惑。しかも向かいのマンションに勝手に入るとか玄関先に座り込むとかする外国人が多いので、地元民は激おこぷんぷん丸状態。
- 正直マナー云々に国籍はあまり関係ない気がする。
- 日本人観光客もバブルの頃までは世界各国で悪名をほしいままにしていた。
下御霊神社[編集 | ソースを編集]
- 上御霊神社から見て、烏丸今出川挟んで反対側の神社。
- 由緒も上御霊神社と同じ。
- 当たり前だが、御霊信仰の神社。
- 祭神は上御霊神社とほとんど同じ。
- 違いは、神職の出雲路信直と付き合いのあった霊元天皇が祀られていることくらい。
- 上御霊神社は洛陽天満宮二十五社順拝の札所なのに、下御霊神社は札所になっていない。
- と思わせておいて、実は境内末社の菅家天満宮が13番札所だったりするというオチがある。
下京区[編集 | ソースを編集]
京都大神宮[編集 | ソースを編集]
- 萌え(二次元キャラ)に全振りしたお伊勢さん。
- マスコットキャラの巫女さんは、そのまんま「MIKO」という名前。
- 授与品も萌えグッズまみれ。
- 御朱印にまでMIKOの印が押してある。
- MIKO印自体はオプションなので、押して欲しくない時はこの印だけ無しにして貰うことが可能。
- 国内外の二次元オタクが喜んでお参りしに来る。
- 逆に一般の人は引いてるだろうな。特に年配の人は。
- 年配でなくてもドン引き。そもそも論として、オタク以外は、神社とかお寺にそういうのは求めてないと思う。
- 神道の神には現代風に言う「擬人化キャラ」も少なくないので親和性も無いわけではないが…。
- 年配でなくてもドン引き。そもそも論として、オタク以外は、神社とかお寺にそういうのは求めてないと思う。
- 逆に一般の人は引いてるだろうな。特に年配の人は。
- 社号に「大神宮」とあるけど広くはない。
- 東京大神宮と共に神前結婚式を編み出した。
五條天神[編集 | ソースを編集]
- 平安遷都と同時に建てられたという由緒ある神社だが、知名度はあまり高くない。
- 東京・上野の五條天神社、大阪・道修町の少彦名神社と、ここから勧請した神社の方が知られているような。
- 「五條」か「五条」か、「天神」か「天神宮」か「天神社」か、表記ゆれが激しい。
- 「天神」だが天満宮とは関係ない。
- 上野の方は菅原道真も一緒に祀っている。
- 「天使社」とも呼ばれ、近所の「天使突抜」という変わった地名の由来になっている。
- 「義経記」の聖地。
- もともと義経と弁慶が出会ったのはこの神社のあたりだったのだが、後世のアレンジで五条大橋の上になってしまった。
東山区[編集 | ソースを編集]
八坂神社[編集 | ソースを編集]
- 7月17日に京都をジャックする事で知られる。
- 実際には7月1日から31日までずっとやってるはずなんだが、たぶん、それを知っている人は少ない。
- 2014年から、7月24日もジャックすることになった。(元に戻っただけの話)
- 山鉾巡行自体は八坂神社までは到達せず、四条河原町交差点で河原町通に曲がる。
- この期間だけ、八坂神社(祗園社)の御朱印の「奉拝」の字が金色になる。
- 2022年に3年ぶりに祭が復活したが、御朱印はさすがに書き置きオンリーとなった。
- この時期の神職さんは、ろうそくやちまきを売るのに必死である。
- 実際には7月1日から31日までずっとやってるはずなんだが、たぶん、それを知っている人は少ない。
- 祇園さんという通称がある。
- 祇園祭以外になんぞおましたっけ?と聞いたらアカン。
- 結構全国のあちこちの神社の中に一緒に合祀されている。
- 八坂の塔はここにはない。
- 四条通に面した西側が正面と思いきや、実は南側が正面。
- 御朱印コレクターの間では、御朱印の多さでも知られる。
- 全ての摂末社の御朱印が作られてるけど、書き置き形式。
- そりゃ~全部直書きにしてたら対応が大変。強欲な御朱印コレクターは、全部くれって平気で言うし。
- ここの御朱印帳は、大判サイズなうえに紙質が良いのも評判。
- 限定御朱印も豊富。
- 全ての摂末社の御朱印が作られてるけど、書き置き形式。
- 市電が走っていた頃は西楼門の付近が絵になる撮影スポットだった。
- 2020年には本殿が国宝となった。
- 他にも重要文化財に指定されてる建造物がぎょうさんある。えらいこっちゃで。
- 末社・大神宮社の前に湧き出る御神水には、気の力があるとのことで「力水」と呼ばれている。
- 飲用には適さないそうだが、普通に飲んでる人が多い。
- 社務所横の自販機には、飲用処理した「祇園水」が売られている。
地主神社[編集 | ソースを編集]
- 「縁結び祈願 恋愛成就 京都地主神社」
- と謳っているが、地方から恋人同士でやってきた人は別れる確率が高いという。引き裂いたぶんを回してるんじゃないか……?
- 清水寺を造る時、地元の神様に文句言われんようにと造ったらしい。
- 地主桜が名物。
- 参拝するには清水寺の拝観料が必要。ただ出口から逆行したらいらないとか。
- 「じぬしじんじゃ」ではない。
豊国神社[編集 | ソースを編集]
- 神社名は「とよくに」と読むが祭神の猿は「ほうこく」大明神。
- 色々と時代に翻弄されている。
- 豊臣家が滅ぶと一度潰されたが明治になって復活を遂げた。
- 隣の方広寺から直接入れる。
- 近くに耳塚があり、向こうの観光客がよく訪れる。
- 毎年慰霊のため朝鮮伝統舞踊が奉納される。
- 江戸時代には通信使の訪問にあたりトラブルが発生したこともある。
- 名刀・骨喰藤四郎を所蔵している。
- 某刀剣イケメン擬人化ゲームの巡礼地のひとつ。
安井金比羅宮[編集 | ソースを編集]
- 縁切りで有名。絵馬がとにかく怖い。
- 絵馬はむしろ痛い。何かムシャクシャ解消の場みたいで…。
- Googleマップやら口コチサイトへ投稿されているのレビュー内容も怖い。
- 相手の嫌なところをこと細かく具体的なことをたくさん書き連なっていければ。縁切りの効果が上がると思い込んでる人がいるようだ。
- Googleマップやら口コチサイトへ投稿されているのレビュー内容も怖い。
- 神社側からしたら、縁結びよりも縁切りに特化した方が、参拝者が増えるんじゃないかと考えに至り、縁切りの神社というイメージを押し出すことを始めたのだそうだ。
- ここでは具体的に願わないと手段を選ばずに容赦なく縁を切られると言われているんだとか(例:退職を願うと自分が大病を患う、勤務先が倒産寸前まで追い込まれるetc)。
- ブラック上司との縁切りを願ったら店に警察が立ち入り調査に来ました…。
- 絵馬はむしろ痛い。何かムシャクシャ解消の場みたいで…。
- ちなみに主祭神の一柱はおなじみ崇徳院様。
- 縁切り神社と言われる所以もこの崇徳院にある。
- なぜかラブホ街の中にある。
- ダメ出し必中、恐怖の落語勉強会が定期的に開かれている。
恵美須神社[編集 | ソースを編集]
- 別名「京都ゑびす神社」。
- 1月にはやはり十日戎があるが、一般的なものとは異なり1月8~12日と期間が少し長い。
- 境内には天満宮もある。
- 大和大路通を挟んだ斜め向かいに禅居庵がある。
粟田神社[編集 | ソースを編集]
- 旅行安全の神。
- 七口の1つで、東海道・北陸道方面の玄関だった粟田口にあるから。
- かつて鎮座地域には刀鍛冶が多く住んでいた。
- 三ケ月宗近を造った刀匠を祀る「鍛冶神社」が境内にある。
- 境外社として、小狐丸伝説で知られる合槌稲荷神社がある。
- おかげで現在では、某刀剣イケメン擬人化ゲームの巡礼地と化している。
- 昔は感神院新宮という名前だったらしい。
- 例年10月には粟田神社大祭が行われる。
- 刀剣の神社らしく剣鉾が巡行する。これ、実は祇園祭の山鉾巡行のモデルとなったイベントらしい。
左京区[編集 | ソースを編集]
平安神宮[編集 | ソースを編集]
- 年に数回、拝観料がただになる。
- 通常でも神苑以外はタダで拝観できる。
- でっかい、鳥居が名物。
- 周りも含めて一大文化パークの様相。
- 明治期に、半ばそういう趣旨で整備された神宮だしね。しかも周りは美術館やら岡崎公園やら動物園やら揃っとるし。
- 一度過激派に放火されたことがある。
- 神苑にはかつて市電の北野線で走っていた電車が展示されている。
- すでに半世紀以上展示されているのでけっこう錆が出ている。
- まさかの重要文化財指定。
- ”平安”神宮だが、できたのは”明治”である
- 実際、明治の頃は付近全体で1つの文化テーマパークみたいな感じだったらしい。
- 外国人にも人気の観光名所のため様々な言語が描かれた絵馬を見ることができる。
- 特に英語・中国語・韓国語のものはいつ行っても見かける。
- 秋になると、「京都学生祭典」と言う京都の大学生団体が主体となって合同文化祭が開催される。
- 水樹奈々やミルキィホームズなんかがライブを行った事がある。
- 「細雪」の四姉妹が毎年桜の時期に訪れていた所。
- 第2土曜日には門前で「平安楽市」という手作り市が行われる。
- 社殿は平安京大内裏の朝堂院を再現したもの。
- かなりのスケールだがこれでも実物の8分の5と縮小されている。
- 本当は実際の大内裏があった千本丸太町付近に建てたかったが用地がなかった。
下鴨神社[編集 | ソースを編集]
- 正式名称がややこしかったはず。めんどくさいから省略。
- 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)ですね。
- 上賀茂神社とは兄弟分
- ではなく、親子やったかなんか。詳しいことはグーグル大先生にでもお聞きください。
- なのになんで「鴨」なんだろう。
- 夏には境内で古本市が行われる。
- 一応「納涼古本まつり」とは名乗っているが実際のところあまり涼しくない。
- 雨が降ると足元が湿地帯と化し濁流すら流れる。
- もはや古書を取り扱っていい環境ではない。
- 一部ブースはシートをかけられ購入不可になる。
- なんで通称だけ下鴨と表記されることが多いんだろう?
- たまに「下賀茂神社」と誤記されていることがある。逆に上賀茂神社を「上鴨神社」と誤記されているケースは殆ど見ない。
- みたらし団子発祥の地。
- ラグビー・ニュージーランド学生代表が神前でマオリ族の伝統舞踊「ハカ」を奉納したところ。
- マオリ文化と神道のコラボレーション。
- 境内の空き地にマンション(2階建て)を建てた際にはひと悶着あった。
河合神社[編集 | ソースを編集]
- 玉依姫命をお祀りする賀茂御祖神社の境内摂社。
- 糺の森の南の果てにある。
- 鴨長明の家のレプリカがある。
- 賀茂御祖神社の境内摂社なのに、河合神社は河合神社で、賀茂御祖神社とは別の御朱印を授与してくれる。
- 合祀されている別の神社の御朱印をくれる事自体は、どこでもよくあることやけど、ここの場合、河合神社の境内にある社務所で賀茂御祖神社とは別に頂く形となっている。
- 賀茂社の摂社らしく、御朱印には二葉葵の印が押される。
貴船神社[編集 | ソースを編集]
- 淀川や鴨川の源流である、貴船川の上流に鎮座。
- 境内に湧くご神水がうまいのである。
- 全国の貴船神社の総本社。
- ただし、高龗神を祀る神社としては、奈良の大和神社の境内社・高龗神社が全国総本社とされている。
- 読みは「きふね」であり「きぶね」でない。
- 川の水がいつまでも濁らないように、との願いが込められてるんだとか。
- でも、鎮座地の鞍馬貴船町は「くらまきぶねちょう」と読む…ややこしい!
- 丑の刻参りでも有名。
- 本当は単純に心願成就の意味合いだったのに、いつの間にか呪詛の方が有名になってしまった。
- 絵馬発祥の地ともされている。
- 間の抜けた馬の絵が描かれた「何事もうまくいく絵馬」をはじめとして、縁起品がたくさんある。
- 昔は上賀茂神社の境外摂社だった。
- 冬場は雪が酷くて、貴船神社まで行ってお祭りができないので、明治以降に分離された。
- 貴船神社側としても、摂社扱いされるのが嫌だったらしい。
- 平安時代に貴船神社で川が氾濫した時に、上賀茂神社内に「新宮神社」として分霊はされてるんだけどね。
- 冬場は雪が酷くて、貴船神社まで行ってお祭りができないので、明治以降に分離された。
- 観光用パンフレットとかの宣材写真には、紅い灯籠が建ち並ぶ石階段がよく使われる。
- 授与品と頒布品のバリエーションが豊富。
- 個人的に、布地に「きふね」の文字をびっちり入れたハンカチとタオルが好きだ。
吉田神社[編集 | ソースを編集]
- 京都大学の近くにある春日さん。
- 平安京に住む藤原氏から信仰を受けてた。
- 鎮座する吉田山は、軽くハイキングするのにいい場所。
- 「吉田神道」とい独自の神道を創った神社。
- 密教・道教・儒教・陰陽道などの他宗教の思想を巧みに統合した万能神道で、明治になるまでは、神道界でメチャクチャ権威を持っていた。
- 吉田神道の中心となる神虚無太元尊神を祀っている「斎場所大元宮」が、境内末社として今も残っている。
- 伊勢神宮を含む延喜式内社の神様3100余りも祀られていて、ここへお参りすると全国の神社へ参拝したことになるんだそうな。
- なおそれらの神々は、神虚無太元尊神よりも格下扱い…なんか話のスケールがデカすぎてワケがわからん。
- 伊勢神宮を含む延喜式内社の神様3100余りも祀られていて、ここへお参りすると全国の神社へ参拝したことになるんだそうな。
- 節分厄除け詣りの発祥を自称している。
- 「徒然草」の作者を「吉田兼好」と呼ぶのは、吉田神社の神職の出身だとされていたからだが、確かな証拠はないらしい。吉田神道の創始者が家系図をでっちあげたのが始まりという話も。
三宅八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 上高野にあるごくごく一般的な街の神社なんんだけど、実は飛鳥時代の創祀で、古い歴史を持つ。
- 小野妹子が宇佐八幡宮に病の治癒を祈祷したところ、上手くいったから、八幡神を勧請したとかなんとか。
- 八幡宮ではあるが武の神様として崇め奉られている訳ではない。
- 子守の神様として、またかん虫封じから転じて害虫封じの神様として崇められている。
- 最寄駅は叡山電鉄の三宅八幡と八幡前の2つがあるが、近いのは後者。
大豊神社[編集 | ソースを編集]
- 境内には全国でも珍しい狛ねずみがある。
- それ故子年には参拝客で賑わうとか。2020年の初詣は2時間待ちだったらしい。
- 狛ねずみ以外にも狛蛇や狛猿・狛鳶もある。
- 狛ねずみがあるのは本殿の右側にある大国社。
- 本殿はごく小さい。
- 参道を哲学の道が横切っている。
出世稲荷神社[編集 | ソースを編集]
- もともとは聚楽第の中にあった。
- 資金難で上京区から大原に移転した。
- この神社にちなんだ「出世稲荷前」というバス停がどうなるかと少し騒がれた。
- 結局「千本旧二条」という、京都市内ではありきたりな名称になった。
- 跡地にはマンションが建ち昔をしのばせるのは「出世稲荷跡」の石碑だけ。
- この神社にちなんだ「出世稲荷前」というバス停がどうなるかと少し騒がれた。
田中神社[編集 | ソースを編集]
- 全国の田中さん発祥の地。
- 賀茂氏の一派である田中氏が、祝(はふり)として勤めたこの神社の周囲地域を「田中」と称したことが始まり。
- 賀茂氏が勤めていた下鴨神社とも繋がりがあり、かつて下鴨神社の式年遷宮の際には、本殿と拝殿を譲り受けていた記録も残っている。
- 賀茂氏の一派である田中氏が、祝(はふり)として勤めたこの神社の周囲地域を「田中」と称したことが始まり。
- クジャクが飼われている珍しい神社。
- このクジャクはサーカス団でショーをしていたが、仕事が失くなってしまったので、ここへ奉納された。
- 一緒に奉納された2羽のうち、白いオスは老衰で死んでしまったが、のちに京大のクジャク同好会からオス・メスのペアが奉納された。
- なお、最初から生き残っているオスクジャクは、京大クジャク同好会の本会員となっていて、「田中くん(仮)」という名前が付いている。
- 一緒に奉納された2羽のうち、白いオスは老衰で死んでしまったが、のちに京大のクジャク同好会からオス・メスのペアが奉納された。
- 「駆邪気」に通じてご利益がある、ということにしているらしい。
- このクジャクはサーカス団でショーをしていたが、仕事が失くなってしまったので、ここへ奉納された。
北区[編集 | ソースを編集]
上賀茂神社[編集 | ソースを編集]
- 4月の第二日曜日しか入れへん苔が美しい庭がある。
- 毎月第二・第四日曜日にしか参拝できない新宮神社もある。
- 新宮神社の御祭神は貴船神社の高龗神、平安時代だかに川が氾濫して貴船神社へお参りできなかった時に分霊されたんだとか。
- 毎月第二・第四日曜日にしか参拝できない新宮神社もある。
- 水と縁がある神社のよう。橋殿、片岡橋など橋に凝ってはる。
- 境内を流れる「ならの小川」もよい雰囲気。
- 近くには神主などが住んでいる旧家が連なっている地域がある。
- 売店の焼き餅が美味しい。
- 最近、社務所横に出来たコーヒーショップのコーヒーと相性がバッチリ。
- 境内に設けられた「憩いの庭」で頂くと良いよ。
- 最近、社務所横に出来たコーヒーショップのコーヒーと相性がバッチリ。
- 京産大へのスクールバスがここのロータリーから出ている。
- 細殿前に盛られた2つの立砂は、この神社ならでは。
- 神様が降臨した山を模してるんだそうな。
- 中門の前にデッカイ守護矢が置いてある。
- 紫式部がお参りしたという片岡社は、縁結びの神様として女性人気が高い。
- 近年作られたトイレがオサレ。
- 令和になってから葉加瀬太郎が奉納ライブをやった。
- アニメ映画「HELLO WORLD」とまさかのコラボ。
- 毎月第4日曜日に市が立つ。(手作り市)
- 結構いろいろな店が出店する。中にはその分野ではファンが多い名店がこっそり出てくることも。(パン屋とか菓子屋とか)
平野神社[編集 | ソースを編集]
- 平安遷都以来の由緒ある神社。
- しかし全国区での知名度は高くないと思う。
- 入口に今も「官幣大社」と刻まれた石碑が立っている。
- 桜の名所。
- 近所の立命館大学ではこの神社で「新歓花見」を行うサークルもある。
敷地神社[編集 | ソースを編集]
- 通称「わら天神」。というか、こっちの名前でないと通じないことも。
- 市バスの停留所の名前にもなっている。
- 小さな神社の割に、地元人にとってはランドマーク。
- 西大路に面していることや、近隣の北野さん、平野さん、金閣さんがいずれも広すぎて移動の出発地としては使いにくいため。
今宮神社[編集 | ソースを編集]
- 氏子の範囲は結構広い。
- 広いと言うか、南北に長い。北は鷹峯から南は二条城までが産子地域。
- その割に東西は堀川通から七本松通りと紙屋川までと、短い。
- 久我神社のすぐ側まで産子地域。
- 広いと言うか、南北に長い。北は鷹峯から南は二条城までが産子地域。
- あぶり餅が有名。
- 上賀茂神社が焼き餅なのに対し、こちらはあぶり餅。混同されない様に。
- あぶり餅=串に刺したきなこ餅に甘味噌だれがかかっている。焼き餅=平べったい餅の中に餡が入っている。名前は似ているが全然違う。
- 「元祖・正本家」を掲げる店と、「本家・根元」を名乗る店が向かい合っている。一応古いのは「元祖」の方らしい。
- 上賀茂神社が焼き餅なのに対し、こちらはあぶり餅。混同されない様に。
- けいおん!で唯たちが初詣に行ったスポットとして有名になり、それ関係の絵馬が増えた。
- 紫野南舟岡から参道だった道が伸びる。
- その参道を上がっていると途中で左手に見えてくるのが建勲神社。
- 玉の輿神社の異名を取る。
- ここに詣でると桂昌院同様に「玉の輿に乗れる」→「良縁に恵まれる」と、若い女性の間で信仰を集めているそうな。
- 玉の輿という言葉の由来になった犬公方綱吉の母として悪名高い桂昌院は、西陣の出でここの氏子の一人。
- そんな桂昌院が玉の輿に乗り、その後、権勢を振るうようになると、この神社にも色々寄進したとか。
- 京都三大奇祭の1つ、やすらい祭の神社。
- 花笠の回りを赤毛と黒毛の格好をした輩がぐるぐるしているだけのお祭り。
- 御朱印にも花笠の判が押される。
建勲神社[編集 | ソースを編集]
- 明治天皇の勅命で建てられた、織田信長を祀る神社。
- 元々は東京にあったが、信長の廟所があるという京都の船岡山へ遍座してきた。
- 信長の愛刀・宗三左文字と薬研藤四郎のおかげで、某刀剣イケメン擬人化ゲームの巡礼地に。
- 最近になって薬研藤四郎の再現刀が奉納された。
- ほんまはタケイサオジンジャやけど、地元民はみんなケンクンジンジャと呼んでいる。
- それどころか神主ですらケンクンジンジャと呼んでいる始末。
- 市バスの英語アナウンスでも思い切り「Kenkun shrine」と読まれていた。
- それでもWikipediaでは本来の読みで記載されている。
- それどころか神主ですらケンクンジンジャと呼んでいる始末。
右京区[編集 | ソースを編集]
梅宮大社[編集 | ソースを編集]
- 「うめのみやたいしゃ」と読む。
- 松尾大社から桂川を渡った先にある。
- 松尾大社同様、酒の神様で、境内には酒樽が祀られている。
- 境内には猫が何匹かたむろしている。
- 最近NHKのBS番組で取り上げられて「猫の神社」として有名になり猫好きが訪れるようになった。
野宮神社[編集 | ソースを編集]
- 「ののみやじんじゃ」と読む。
- 嵯峨野の竹林の道のど真ん中にある。
- 基本的には縁結びの神様。
- 境内にある「白福稲荷大明神」には秋篠宮様と紀子様が御参拝したことを示す立て札が立っている。
- それに隠れやすいが、境内のじゅうたん苔も見もの。
- カップルで奉納木を収めると結婚できるとかできないとか言われている。
- 源氏物語ゆかりの神社の1つ。
- 鳥居は木の皮を剥かない古い様式のものだが触るとコーティングの合成樹脂が手に付く。
愛宕神社[編集 | ソースを編集]
- 京都のみならず日本全国から信仰を集める神社。
- 3歳までにお詣りすれば、死ぬまで火事に遭わずに済むらしい。
- 京都の人々にとっては、北東の比叡山、西の愛宕山は、ある意味最も馴染みのある信仰の山。その愛宕山に鎮座するのが当社。
- 禿鼠が、この神社で連歌会を開催し匂わせ投稿をして、各方面を大炎上させたことで知られる。
- 曰く「ときは今 天が下しる さつきかな」。
- 「禿鼠」じゃ秀吉になってしまう。「金柑頭」のことか?
- 実は、亀岡にある愛宕神社の分祀。
- 平安京造営時、和気清麻呂が、京の守護として、亀岡から鷹ヶ峰に愛宕神社を勧請・分祀したのだが、どうせならもっと高い所において京全体を見下ろせるようにしようとなって、今の位置に移ることになったとか。
- 昔から色んな人がお詣りしている。
- 今と違って、昔は、京都側からの参道に茶屋が何軒かあったりしたらしい。(落語「愛宕山」にもそんな描写がある。)
- 戦時中に鉄道が廃止されすっかり不便になってしまった。
山国神社[編集 | ソースを編集]
- 京北町山国にある古い神社。
- 平安京造営時に、この地の木々が用いられることとなったが、その準備の一環として修理職が、この神社を創建したらしい。
- この神社の紋所の丸に二つ引きは、足利義満が奉納した紋章に起因する。
- 山国隊ゆかりの神社。神職は代々山国隊西軍沙汰人の藤野家。
- つまり、神職は、タレントの宮川大輔や俳優の津川雅彦・長門裕之の遠い親戚。
車折神社[編集 | ソースを編集]
- 治水の神様をお祀りしている
- 転じて、水商売の神様になりあそばされた。
- 芸能の神様もお祀りしている。
- 時代劇ファン御用達の神社である。
- ジャニオタ&アケカス御用達。
- 摂社に芸能神社という神社があり、芸能人が訪れるのだが、やれ聖地巡礼と称して神社の中で大騒ぎする輩のほうがどう考えても多い。神様かてうるそうてかなわん思うてはるで。
- 因みに、芸能神社の神様は日本最古のスト●ッパー。見ている客も神々だったらしい。さぞかし格調高い踊りだったんでしょうなあ(ゲス顔)
- 一応、言っておくとジャニやアケ以外にも、大御所から表舞台を夢見る売れない人まで幅広くお忍びで来ている…… 色々なタレントの玉垣があるのはその証左。
- 摂社に芸能神社という神社があり、芸能人が訪れるのだが、やれ聖地巡礼と称して神社の中で大騒ぎする輩のほうがどう考えても多い。神様かてうるそうてかなわん思うてはるで。
- 嵐電の同名の駅からすぐの所にある。
- というか目の前。
- 今更なんだけど、車折神社って右京区じゃなかったっけ??
- というわけで移動しました。
西京区[編集 | ソースを編集]
電電宮[編集 | ソースを編集]
- 電気・電波の神様。
- 電気自動車やハイブリッド自動車のお祓いもやってます。
松尾大社[編集 | ソースを編集]
- 神社名の読みは「まつのお」だが最寄駅名では「まつお」と読む。
- 賀茂神社と並ぶ平安京の守護神だった。
- 現在はとにかく酒造りの神様というイメージが強い。
- 本殿の横などには大量の酒樽がずらりと並んでいる。
- 行事にもやはり酒関連のものが多い。
- 酒造関連の道具を展示したミニ博物館まである。
- 日本中の酒蔵にここのお札や神棚がある。
- 入り口の鳥居を入ってすぐのところになぜか交番がある。
- 四条通を挟んだ向かいに八坂神社がある。
- 「挟む」なのか???
大原野神社[編集 | ソースを編集]
- 大原野にある古社。
- 藤原家ゆかりの神社。
- 春日大社から神様を勧請している。
- 京都市指定文化財を持つ。
伏見区[編集 | ソースを編集]
伏見稲荷大社[編集 | ソースを編集]
- 全国の稲荷神社の総本山。
- とにかく、境内の鳥居の数が凄い。その数を数えに来るだけでも楽しめると思う。
- 千本鳥居。
- 確か定期的に入れ替えていた気がする。
- 山頂への途中にある売店で寄進が募られている。数万円から百万円クラスまで、寄進の額によって大きさが違う。
- すごい小さいタイプのもあったはず。
- 参道をえっちらおっちら上がっていく山の中腹付近にあるうどん屋は俳優の西村和彦の実家である。
- 最寄りのJRの駅も神社の雰囲気に合わせた建物。
- 実はJR稲荷駅の方が京阪伏見稲荷駅よりも近い。
- 近いどころか、たいして広くもない道路を挟んで向かい合わせの位置。
- 向かい合わせ?どことどことが向かい合わせや?
- JR駅と神社とがでしょう。正確にははす向かいかもしれないが。
- 向かい合わせ?どことどことが向かい合わせや?
- 京阪の場合、1駅大阪寄りの深草駅からでもそれほど遠くない。
- 近いどころか、たいして広くもない道路を挟んで向かい合わせの位置。
- 実はJR稲荷駅の方が京阪伏見稲荷駅よりも近い。
- 名物はスズメの焼き鳥。
- 最近はスズメが激減した影響で食べられる時期が限られている。
- スズメの替りにウズラが焼かれていることが多い。(駅に近い側の方から神社に近づくにつれて50円ずつ安くなっている気がする。)
- 最近はスズメが激減した影響で食べられる時期が限られている。
- 昔、猿がここの神様を脅したとかなんとか。
- 実はここが東山三十六峰の南端。
- お守りを買うなら本殿の脇で買ってしまう前に、千本鳥居をくぐって奥社(奥の院)まで行ってみるのがおすすめ。あっちの方がバリエーションが豊富。
- 奥社限定のお守りもある。
- 吉凶の種類が異様に多い。
- 「未だ分からず」「分かたず」「相交わる」といったグレーな判定がたくさんあり、はっきり「凶」となるくじは実はないらしい。
- 近年は外国人だらけ。そこかしこに自撮り棒を持った観光客がいる。
- 稲荷山の山頂までは結構ある。そしてそこまで断続的に鳥居群がつづく。
- レンタルの浴衣もある。が、流石に下駄をはいて山の上まで登る人はいない。
- 蛭子さんが奉納した鳥居がある。
- その他様々な有名人が奉納した鳥居がある。
藤森神社[編集 | ソースを編集]
- 菖蒲(端午)の節句発祥の地とされるが、現在は「競馬と勝負事の神社」として有名。
- 境内には、競馬関係者が奉納した絵馬が多数ある。
- 奉納されてる絵馬を見ると、競馬関連の願い事がだいぶ多い。
- 境内には、競馬関係者が奉納した絵馬が多数ある。
- 紫陽花の名所でもある。
- かつて鳥居には、後水尾天皇の宸筆による扁額が掲げられていた。
- 西国大名が参勤交代でここを通る時は、いちいち駕籠から降りて拝礼をし、槍などは倒して通行するという風習があった。
- しかし、京都警護で上洛していた新撰組の近藤勇が「こんな慌ただしい時にそんな悠長なことしてられるか!」と扁額を外してしまった。
- その結果、近藤は悲惨な末路を迎えることに。
- まぁ扁額を外そうが外すまいが、結果は同じだろうけど。
- その結果、近藤は悲惨な末路を迎えることに。
- しかし、京都警護で上洛していた新撰組の近藤勇が「こんな慌ただしい時にそんな悠長なことしてられるか!」と扁額を外してしまった。
- 西国大名が参勤交代でここを通る時は、いちいち駕籠から降りて拝礼をし、槍などは倒して通行するという風習があった。
- 今は皇室の御物となっている太刀・鶴丸国永を、江戸時代に一時期所有していたことがある。
- なので、ここも某刀剣イケメン擬人化ゲームの巡礼地と化している。
- 最近、鶴丸国永の写しが奉納された。
- たまに期間限定で公開されることがある。
- ここの宝物館は、江戸時代以前の武具や世界中の馬の置物がたくさん置かれていて、普通に博物館レベルの見応え。
- 割りと間違えられるけど、読みは「ふじもり」じゃなくて「ふじのもり」。
- こういうのは地名や駅名が食い違ったりすることが多いが、ここは全部「藤森(ふじのもり)」。
城南宮[編集 | ソースを編集]
- 平安京の南にあったからこの名前。
- 裏鬼門を守っていたので、方除け・厄除けの神様として有名になった。
- 流鏑馬発祥の神社でもあり、「的中御守」という変わったお守りを授与している。
- 他に春と秋の曲水の宴も有名。
- 日本史ファンには感慨深い場所。
- 承久の乱を起こした後鳥羽上皇は、「城南宮で流鏑馬をやるから腕に自信のある者は集まれ」と言って、挙兵するための戦力をかき集めていた。
- 戊辰戦争のきっかけとなる鳥羽伏見の戦いは、境内に布陣していた薩摩軍が、京都へ進撃する旧幕軍に向けて砲撃を開始したことで勃発。
- すぐ近くに国道1号と名神高速道路が通り、京都南インターチェンジもある。
- このように道路交通の要衝ではあるが、鉄道でのアクセスはちょっと不便。
- 最寄駅は近鉄・京都市営地下鉄の竹田駅だが、そこからもちょっと遠い。竹田駅はかつて城南宮前駅を名乗っていた。
- 烏丸線の竹田以南への延伸構想では竹田の隣にズバリ「城南宮」駅の設置が予定されているがまず実現しそうにない。
- このように道路交通の要衝ではあるが、鉄道でのアクセスはちょっと不便。
- 鳥羽離宮の一部が城南宮になったと思っている人が多い。
- おかげで、鳥居はあるが神社ではなく庭園(宮殿跡)の1つだろと思っている人も多い。
- 実際のところ、創建年代は不明であるものの、城南宮が元々あった場所付近に、白河天皇が鳥羽離宮を整備した形だった。
- 庭園が豪華。
- 本殿とかのあるエリアの裏に平安時代の庭園を再現した庭園がある。
- 曲水の宴が行われる曲水の庭はこの平安式庭園。
- そして城南宮道を挟んで南側に桃山時代や江戸時代の庭園を再現した庭園がある。
- こっちもなかなか広々としている。
- 本殿とかのあるエリアの裏に平安時代の庭園を再現した庭園がある。
御香宮神社[編集 | ソースを編集]
- 境内で湧き出す水が、ものすごくいい香りだったから「御香宮」という名前になったとか。
- 名付け親は清和天皇。
- 因みに、水は、病気平癒に効果アリと伝わる。地元民はそういうのを抜きにして飲み水にしている。因みに名水百選指定。(御香水)
- 近年では水質が昔と比べて落ちてきたらしい。
- 本殿は、徳川家康が板倉勝重に命じて造らせたもの。
- 鳥羽・伏見の戦いのときには薩摩藩軍の本営になった。
- 神功皇后ゆかりの神社。
- 「香」が名前に入る神社の特徴とも言える。(香取神宮等、例外もあるが。)
南区[編集 | ソースを編集]
鎌達稲荷神社[編集 | ソースを編集]
- 西寺跡近くの住宅地の中にある小さな無人神社。
- 実は飛鳥時代の創建とも言われる程の古社で、伏見稲荷大社よりも創建が古いらしい。
- ゆえに「元稲荷」とも言われる。
- 時代が下ると安倍晴明の子孫である土御門家の鎮守社にもなっていた。
- ただ、現在とは別の場所に鎮座してたらしい。
- 授与品のサムハラ守が密かな人気。
- サムハラと言えば大阪のサムハラ神社が有名だが、なんでここにもサムハラ守が置いてあるのかはわからん。
六孫王神社[編集 | ソースを編集]
- 清和源氏の祖である源経基(六孫王)を祀る神社である。
- 社地は経基の邸宅である八条亭の跡地らしい。
- 経基が死に際「俺が死んだあとは龍神になって池から子孫繁栄を祈ってやるからここに埋めろ」と遺言を残したとされる。
- 実際、源氏とその子孫は大きく繁栄したのだからスゴい。
- 本殿の後ろにある基壇は、経基の霊廟だとか。
- 源氏の末裔を主張した徳川家からも崇敬された。
- 現在の社殿は、徳川綱吉の時代に江戸幕府によって建て替えられたものである。
- それだけ威厳のある神社にも関わらず、近代の鉄道建設で用地買収されて社地が狭くなってしまった。
- かつて六孫王神社の隣には、別当寺である大通寺があったのだが、明治45年の東海道本線の移設工事で、別の場所へ移転させられてしまった。
- そして昭和に入り、東海道新幹線建設のために社地の一部を取られた。