仁川 (兵庫)
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仁川の噂[編集 | ソースを編集]
- 宝塚にはインチョン(仁川)という地名がある。
- 本当の名前も読み方も「にがわ」だ。
- 阪急電車の車掌で「にかわ、次はにかわです」と発音する人が少なからずいる。地元民も「にかわ」派が少なくない。
- アクセントの置き方次第では膠と同じだな。実際のアナウンス聞いてないので何ともいえんが。
- 阪急電車の車掌で「にかわ、次はにかわです」と発音する人が少なからずいる。地元民も「にかわ」派が少なくない。
- 団地から屋敷まであるという住民の格差が激しい地域。阪急仁川駅は阪神競馬場の最寄駅。
- 河岸段丘から弁天池にかけて有名企業の経営者宅や有名プロ野球選手宅が建ち並ぶ緑深いお屋敷街があったが、今はお屋敷の3割ぐらいが潰されてマンションになってしまった。
- 本来、仁川は六甲山を源とする長くて水量豊富な川だったが、江戸時代始めに西宮の百姓が仁川の水利権を無法に横取りし、上流の盤滝にある湯の口水門で夙川方面に7割の水を獲られ、百合野町の2ヶ所の水門で上ヶ原・門戸・甲東園・段上方面に残りの水を獲られるために、肝心の仁川はいつも干からびて、水生生物も住めない無残な姿。
- 仁川から水を横取りしている夙川はいつも清流がキラキラ流れている。夙川方面にはもう水田などないのだから、水を仁川に返して欲しい。
- アンサイクロペディアじゃごっちゃにされてる。
- 夙川公園は桜の名所であり、ハルヒシリーズの聖地でもあるのでそう簡単にはいかない。
- 仁川から水を横取りしている夙川はいつも清流がキラキラ流れている。夙川方面にはもう水田などないのだから、水を仁川に返して欲しい。
- 本当の名前も読み方も「にがわ」だ。
- 阪急仁川駅には使われていないもう一つのプラットホームがある。
- ここに停車しないかと通りすぎる時になぜか期待してしまう。
- 昔は阪神競馬開催時の降車専用ホーム
- いまも使われることがある。ハンディタイプのPiTaPaチェッカーが大活躍。
- 本当は「にがわ」・・・。
- 隣の小林駅は「おばやし」です。
- 小林と、新潟の小千谷市は、夫婦関係らしい。
- 「珍しい名前の学校」にエントリーしているお嬢様学校がある。
- 徒競走の応援は、「ガンバレー!」ではなく「お走りあそばせ」。
- 仁川は川の名前でもあり、その川が宝塚市と西宮市の境界でもあります。そして西宮側にも仁川という地名はあります。
- 阪神競馬場はここにある。
- 阪急沿線にあるのに「阪神」競馬場。
- 阪神間にあるから「阪神」競馬場。
- 元々「阪神競馬場」は鳴尾にあった。戦争中は川西飛行機(新明和)の航空機工場。
- 今も新明和工業の本社が競馬場に隣接しており、本社周辺の地名も「新明和町」。
- ちなみに競馬場の敷地の大部分は「駒の町」だが、東側の一部は「新明和町」に属する。
- 今も新明和工業の本社が競馬場に隣接しており、本社周辺の地名も「新明和町」。
- 鳴尾の競馬場は戦争中に海軍の飛行場となったため、逆瀬川の千種から宝塚ゴルフ倶楽部にかけての一帯に競馬場は移転する。しかし戦後米軍にコース部分をゴルフ場として接収されてしまい。そのため千種に近く航空機工場だった仁川に再移転するが、コースを優先して建設した為、厩舎や調教場は千種、コースは仁川となり、レースの日には競走馬が千種と仁川の間の一般道をポクポク通勤して危険なので、馬専用道建設がマジで計画された。
- 元々「阪神競馬場」は鳴尾にあった。戦争中は川西飛行機(新明和)の航空機工場。
- 阪急がこの競馬場のネーミングライツ(命名権)を取得して、「阪急阪神競馬場」となれば・・・?
- 長いから「スタシア競馬場」でええやん(爆
- 阪神間にあるから「阪神」競馬場。
- 宝塚市は「阪神競馬場」を「宝塚競馬場」に名称変更を求めたが、法律の壁に拒まれる。
- 阪神競馬場は元々鳴尾にあったからね、JRAにも相手にされず却下。
- 鳴尾の阪神競馬場のコース中に野球場が2つあり、甲子園球場が出来るまではそこで中等学校野球大会(今の高校野球全国大会)を開催していた。
- 阪神競馬場は元々鳴尾にあったからね、JRAにも相手にされず却下。
- 地元では「仁川競馬場」と呼ぶ人もけっこう多い。
- 関西の競馬好きやったら、「淀=京都競馬場」「仁川=阪神競馬場」はデフォ。
- 関西以外の人だったら「仁川」というと韓国の方を思い出す人が多そうだが競馬ファンだったら結構こちらの方を知ってそう。
- 女子供が歌劇団を見ている間、オヤジたちはお馬さんの運動会へ。宝塚市は何かと娯楽がそろっている。
- 昔は仁川ピクセンが競馬場並の大勢の客を集めたが、震災後に事実上閉鎖され客足は激減
- ガキの頃から、オレはお馬さん見に行っとったぞ。
- 場内は広くて緑が多くて家族連れやカップルも多い。バブル期以降は若い女性ファンが一気に増えた。
- GI(JpnI)開催の時は駅方面に徹夜の行列ができるが、地元民は開門5分前に並んでもスタンドの席に座る方法を知っている。
- 阪急沿線にあるのに「阪神」競馬場。
- 「小林駅」と「仁川駅」の間に阪急電鉄の廃駅「鹿塩駅」が存在しました。詳しい位置を知る人も少ないそうです。
- すまぬ。元小林民のオレも知らんわ。
- 熊野神社の横の小さな踏切のところですね
- 仁川は文豪の小説の舞台
- 遠藤周作の「黄色い人」では戦争中の仁川の様子がよく分かる、花崗岩質の白い砂と川沿いの松並木で知られる場所だった。
- 松並木は戦争中に松根油として掘られてしまったが、上流部にほんの少しだけ残る
- 小説では古墳の中で子供が遊んだり恋人が一時の逢瀬を楽しむ。
- 開発で多くの古墳は壊されてしまったが今でも幾つか残る。中は夏でもヒンヤリして気持ちいい。
- 城山三郎の「ゼロの焦点」は仁川の川西航空機工場で紫電改が開発され製造され爆撃されて廃虚になる様子が描かれる。
- 航空機工場のため徹底した空襲を受け、阪神競馬場には今でも不発弾が残っているという噂。
- 城山三郎じゃなくて松本清張。
- 城山三郎の川西航空機を主題にした小説は『零からの栄光』。松本清張の『ゼロの焦点』は北陸を舞台にした社会派ミステリー。
- 遠藤周作の「黄色い人」では戦争中の仁川の様子がよく分かる、花崗岩質の白い砂と川沿いの松並木で知られる場所だった。
- 駅前にある「しぇからしか」のラーメンが美味い。関西にいて本格的な博多ラーメンが味わえる。今は梅田や神戸市東灘区内にも店舗がある。
- 「しぇからしか」とは博多弁で「うるさい」という意味。HKT48の歌のタイトルにもなっている。
- 本店がここにある。
- 実は仁川という地名は西宮市内にも広がっている。
- そもそも仁川というのは六甲山系から東へ流れ武庫川へ行く川の名前であり、その川を以って市境としたためこうなったんだろう。
- 因みに仁川上流部の仁川渓谷沿いに設けられていた仁川ピクニックセンターは地元では大人気のハイキングスポットだった。競馬場の所にある仁川ピクセンってのは仁川ピクニックセンターの略な。
- 西宮側の名所というものは仁川渓谷以外には特に無いが、そいつを上がってちょちょいと行くと甲山森林公園へ出ることができる。
- 阪神大震災で大規模な土砂崩れが起こったのは西宮市側。
- そもそも仁川というのは六甲山系から東へ流れ武庫川へ行く川の名前であり、その川を以って市境としたためこうなったんだろう。
- 仁川上流の見晴らしの良い丘の上には、古墳が沢山あった。
- 五ヶ山古墳群(旧古墳公園周辺〜高丸タンク山付近)、旭ケ丘古墳群(旭ケ丘〜宝塚第一中付近)など、大きな古墳群があったが、各1〜2基を残して潰し、開発してしまった。古墳公園などは最高の見晴らし台でもあり、大阪平野が一望できる絶景スポットだったが、公園ごと潰して宅地化してしまい残念。