仏教
仏教の噂[編集 | ソースを編集]
- 発祥の国ではほぼ絶滅状態ってのが特色。
- 新たに興ったヒンドゥー教に地位を奪われた。
- つーか以前からあったバラモン教に反旗を翻したのがお釈迦様。バラモン教から進化(転化?)したのがヒンドゥー教。
- 玄奘が唐の時代に印度へ来た時点で既にそんな有様だった。
- なお現在では日本の仏教関係者の支援もあり少しは信者が増えてきたとか。
- カーストにより差別されてきた人が改宗するケースが多い。
- 新たに興ったヒンドゥー教に地位を奪われた。
- 食事の時間に戒律を合わせて良いかということで揉め、大乗仏教と上座部仏教に分かれた。
- 仏像はギリシャ美術の影響を受けて誕生した。
- それ以前はお釈迦様の姿を直接表すことは恐れ多いとされていた。
- 立っている像と座禅している像がある。
- 立っているのは観音などの菩薩で修業中の身、座っているのは阿弥陀などの如来で悟りを開いた状態。
- 大仏は如来像。
- 外国には横向きで寝そべっている像もある。
- 涅槃仏と呼ばれタイなどの上座部仏教の国で見られる。
- 立っているのは観音などの菩薩で修業中の身、座っているのは阿弥陀などの如来で悟りを開いた状態。
- 一応ヨーロッパにも仏教国が存在している。
- 現在ロシアの一部になっているカスピ海に面したカルムイク共和国。
日本と仏教[編集 | ソースを編集]
- 日本で最初の宗教戦争を起こした宗教。
- いわゆる物部と蘇我の対立。
- 日本最初の寺院は大阪の天王寺区に建立。
- 結局、神道と仏教は棲み分けを図ることに成功。
- そして神仏習合の流れに至る。
- 明治期には廃仏毀釈運動が行われたが、神道と完全な決別は出来ていない。
- そもそも一緒にやってきた歴史が長いので日本では習合している方が自然な状態とみなされている気がする。
- 近年では神仏習合の儀式が復活する事例もある。
- 神道とは棲み分けができても仏教の宗派間の棲み分けはできなかった様子。
- 奈良時代の豪族の氏神様が「ワイは神さんであるのに疲れたから成仏したいで~」と言ったのが神仏習合の始まり。
- 日本人は「無宗教」と言われることが多いが、慣習的には仏教の影響がやはり一番大きいと思われる。
- 仏教観的な祟りを恐れる人は今なお強い。
- というのは俗信。神仏習合で日本の神の性質が反映している
- というか一番の根底は神道で(日本の土着だから当然)、そこに仏教や儒教の考えが混じり、更に(欧米化で)カトリックの慣習や思考が混じってる。むしろ今の日本の仏教は神道の要素が強く入ってたりするらしい
- 仏教に本来「祟り」という概念はない。
- というのは俗信。神仏習合で日本の神の性質が反映している
- 「死んだら生まれ変わりたい」とか言ってる人は、輪廻転生を信じてる?
- 意外に欧米にもいたりするので全人類的な感覚かもしれない。
- 仏教観的な祟りを恐れる人は今なお強い。
- 鎌倉時代に今の日本における仏教宗派がほぼ確立される。
- なぜか二次元世界の日本では廃れている。神社は良く出てくるが寺は滅多に出てこない。
- 白+赤の緋袴で華があって、現実世界でも年末年始には若いバイト(女子高生とか)の巫女さんがいたりする神社と、長期の厳しい修行に耐え、女性でも(宗派によるが)厳しい制約や剃髪を行わなければならない寺院だったら、そりゃあな。
- 夏場高温多湿の日本で生まれた神道は「清く保つ」のが基本であり全て。老成を目指し建物が抹香臭い仏教は萌えフィールドでは分が悪い。
- 空海・最澄が持ち帰った密教なるものは実はバラモン教の教典らしい。
- 「日本密教」=「バラモン教の換骨奪胎」はオカルト界では常識。でも、ありがたければオガンダム。
- 日本の葬式仏教は釈迦の時代の本来の仏教とは似ても似つかぬものらしい
- むしろ儒教的と言えるし、ゆえに近年仏教離れ・寺離れが激しいのも事実。15~20年後には無宗教葬がかなり増えることが予想されている。(2010年頃で大都市圏では約10%が無宗教葬だったという)
- 当然です。インドから中国経由で来た北伝仏教のどんづまりが「日本仏教」。しかも日本古来の神道とフュージョンしたりで「ニッポン教」爆誕。
- ムラ社会との相性が抜群だったのも影響している。
- 日本の調味料である味噌や醤油は仏教の教えとされる獣肉食(あとにんにくやネギなども)忌避の影響下でもおいしい味付けが出来るよう開発されたもの。
- 明治から太平洋戦争にかけては帝国主義や国家神道などの影響により教義がかなりおかしなことになっていた。
- どこの宗派も教義を捻じ曲げ「天皇陛下万歳」に熱を上げ戦争にも積極的に協力した。
- 不殺生の戒律はほぼ置き去りにされていた。
- どこの宗派も教義を捻じ曲げ「天皇陛下万歳」に熱を上げ戦争にも積極的に協力した。
宗派別[編集 | ソースを編集]
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黄檗宗[編集 | ソースを編集]
- インゲンマメが日本に持ち込まれるきっかけとなった宗派。
- 普茶料理というかなり油っこい精進料理を食べる。
- 一部用語の発音は中国語そのまま。
- 植物油が体に「悪くない」というエビデンスは無いんやで~♪
- 一部用語の発音は中国語そのまま。
- 明治初頭には無理やり臨済宗に併合されかけた。
- 黄檗駅の駅名はこの宗派名に由来している。
華厳宗[編集 | ソースを編集]
- 何といっても総本山である東大寺に尽きる。
- 一応華厳の滝の華厳も関係がないわけではないんだけどね。
時宗[編集 | ソースを編集]
- 踊り念仏で有名な宗派、と中学の歴史の授業で教えられている。
- 現在では県単位でこの宗派の寺がない県も複数ある。
- とある研究本によると磯野家が信仰している宗派はこれらしい。
浄土宗[編集 | ソースを編集]
- 似た名前の浄土真宗は、浄土真宗開祖 親鸞さんが浄土宗開祖の法然さんの教えを広げてできたもの。
- 紛らわしい名前つけやがって、と親鸞さんを恨んだ受験生は少なくないはず。
- 総本山は知恩院。ゆく年くる年で鐘をつくところがよく出てくるように思う。
- ミッドナイト念仏という圧巻の行事がある。
- 愛知の東海中高や東海学園が浄土宗系というのはあまり知られてない?
- 戦時中にあらゆる宗教団体の中で陸海軍への航空機の献納が一番多かったのはこの宗派。
浄土真宗[編集 | ソースを編集]
- どうも一向一揆のイメージが強いせいか、歴史ではあまりいいイメージを持たれていない。
- 近年でもこの宗派から派生したカルト教団が大学生を次々と勧誘したりしている。
- 一揆のお膝元の石川県では一向一揆祭りがあったり、道の駅一向一揆の里なるものがあるぐらいなので、むしろ誇りなのだが。むしろ戦前に石川県から出た真宗大谷派(東本願寺)の超カリスマ僧侶「暁烏敏」のほうが黒歴史としてタブー扱い。戦前には相当の知名度を誇ったらしいが、赤烏がその巨大な指導力を使って神道以上に国粋的な教義を作り、熱心に戦争協力をしたからと言われる。出身地の自治体や石川の地元紙北國新聞が名誉回復運動を細々とやっているが、真宗大谷派の協力は一切なく、パッとしない。長い記事
- ちなみに暁烏の影響で宮沢賢治も一時浄土真宗に帰依しようとしたらしい。
- 間違えられやすいのだが、悪人正機説の「悪人」は犯罪者などを指しているわけではない。
- 親鸞さんの時代からすでに「悪人こそ往生する?じゃ、泥棒しようが強盗しようがOKじゃん」てなDQNがいた模様。
- 香典に「御霊前」と書いてはいけない。
- 死んだらみな成仏という考え。
- 薩摩藩(鹿児島と宮崎の南西部)では弾圧の対象だったが、廃仏毀釈で鹿児島のお寺がほぼ全滅してからは、浄土真宗が一番人気になった(鹿児島市の中心地に西本願寺がでっかく構えている)。両極端過ぎる。
- 浄土真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)に大きく分かれる。
- 本願寺派は大谷派を「お東様」、大谷派は本願寺派を「お西様」とそれぞれ呼んでいる。
- 「お西さん」「お東さん」とさんづけな気がする。
- 龍谷大学は前者で大谷大学は後者。
- 徳川の庇護を受けたため、お東さんは愛知、北陸地方で圧倒的。西日本は基本的にお西さんが多い。
- なお明治新政府への乗り換えも早い部類だった。
- 本願寺派は大谷派を「お東様」、大谷派は本願寺派を「お西様」とそれぞれ呼んでいる。
- 悪人正機同様、「他力本願」という言葉もかなり誤解されている。決して「他人任せ」や「成り行き任せ」などという意味ではない。
- 「他力」は「他人の力」ではなく「阿弥陀仏の力」を意味し、「阿弥陀仏が衆生を救済する本願の働き」という解釈になる。
- 公の場で誤用してしまうと本願寺(東西問わず)から苦情が入る場合もあるので注意。
- 戦前には満州、上海の租界、南洋諸島などにも手広く進出していた。
- 他にはブラジル、ハワイにも。教派が移住の斡旋事業をやっていたという側面がある。江戸時代には天保飢饉で人口が急減した北関東や東北に北陸地方から移民させた例があり、明治期には徳川の庇護を失ったお東さんが新天地を求めて北海道に大量移住し、北海道開拓を担った歴史がある。その際に僧侶らがアイヌをタダで酷使していた歴史から、1970年代には「東アジア反日武装戦線」を名乗る極左過激派に京都の本山が爆弾テロを仕掛けられたという事件もあった。長い記事
- 言うまでもなく日本最大の信者数を誇る宗派。
- ここの場合檀家のことを「門徒」と呼ぶ。
- 広島の「安芸門徒」が有名。戦国時代に毛利家が本願寺を支援したのもこのためと思われる。
- 石山本願寺(現在の大阪城にあった)は「摂州第一の名城」と呼ばれるほどの城塞で、兵力もハンパなかった。
- 今は石碑が一つあるだけで他には一切名残がない。
- 石山本願寺(現在の大阪城にあった)は「摂州第一の名城」と呼ばれるほどの城塞で、兵力もハンパなかった。
- 広島の「安芸門徒」が有名。戦国時代に毛利家が本願寺を支援したのもこのためと思われる。
- ここの場合檀家のことを「門徒」と呼ぶ。
- 東西本願寺系では親鸞と同様に中興の祖蓮如の存在が大きく、浄土真宗の教えを話し言葉で書いた「御文」は非常にわかりやすいので一気に信者を獲得する要因となった。
- 北信越の多くの地域では「蓮如上人が杖で突いたら水が出た」というような伝承があるが、浄土真宗の教化が進んだ地域で従来の空海や泰澄伝説が蓮如に置き換わった例とされている。
- 龍谷・大谷が代表的だが、京都女子大も西本願寺系。他にも無数に系列校、元をたどると本願寺のどっちかが開学に関わった学校がある。マイナー宗派も大学を持っている(福井の仁愛学園)。
- 高校野球で有名な平安高校、崇徳高校は龍谷系。平安は近年龍谷大平安に改称した。多数ある○○大谷はむろん東本願寺のほう。
- 「戒名」ではなく「法名」。
- 喪明けは三十五日。仏教一般は四十九日。
- 関西の西本願寺系ではお骨は普通分骨して、のどぼとけを京都の大谷本廟に納める。
- 大谷本廟は納骨者名簿を最近IT化した。参拝カードも作って便利になった。
- 関西の西本願寺系ではお骨は普通分骨して、のどぼとけを京都の大谷本廟に納める。
- 死んだ瞬間に成仏できるチート宗派、いやマジでありがたいdeath。
- 「悪人正機」や「他力本願」の概念に対し実はキリスト教の影響を受けたものでは? という疑問が呈されており、しかも高校世界史レベルの内容で主旨の説明が可能。
- さらに、新約聖書・マタイ伝の漢語訳を西本願寺が所有している。
- ただし明治初期にはキリスト教排撃を前面に打ち出していた。
真言宗[編集 | ソースを編集]
- 空海(弘法大師)によって開かれた宗派。別名に「曼荼羅宗」や「秘密宗」など。
- 「即身成仏」と「密厳国土」が教義。
- 高野山大学や種智院大学などが真言宗系の大学として著名。
- 事相と教相の2つを重んじる。
- 前者は修行の所作的なもの、後者は教義。
- 真言宗内部にアホみたいに分派がある理由の一つはこの事相の違い。教相は空海がほぼほぼ固めきってしまっていたので解釈割れが生じにくかったが、事相は固めきっていなかったことで解釈割れが生じた。
- 「事相なくして教相なし、教相なくして事相なし」と呼ばれるくらい、どっちも重視されている。
- 多くの人からは高野山金剛峯寺が総本山と思われている。
- 本当は教王護国寺(東寺)が総本山。10世紀はじめに東寺>金剛峯寺の格が定まった。(それまで高野山は東寺を本山とは認めていなかった。)
- ただ真言宗はいろんな派に分かれており高野山金剛峯寺が総本山の派(高野山真言宗)もある。
- 上述の高野山大学はこの高野山真言宗が運営している。
- 多分、明治維新で一番迷惑を被った宗教の一つ。
- 神仏分離令とか廃仏毀釈運動のせいで、いろんな神社にあった神宮寺をぶっ壊されたり、宮中行事が廃止になったり、門跡寺院制度がなくなって権威を失ったり。本山クラスの寺院でも結構たいへんだったらしい。
- 真言宗とひとえに言ってもその派は各山会に加入しているものだけで16ある。
- 真言宗東寺派という宗派があるが本山は東寺ではない(大本山・総本山はなく別格本山に正法寺(京都市西京区大原野))。
- 真言宗の中心は東寺として、真言宗各派は東寺を中心とする一つの宗派に統合されるべきという意見を持った寺が東寺真言宗(総本山:東寺)を打ち立てたためこんなことになった。
- 弘法大師を崇めるのは各派共通。でも派によっては、これとならんで興教大師も崇める。
- 新義真言宗と古義真言宗の違い。新義真言宗では興教大師もその歴史上重要な存在。
- 真言宗で一番偉い坊さんは東寺長者。
- 真言宗の最高位の僧侶という立場である一方、明治維新までは律令制度の下、日本の仏教界で最高位の僧に与えられる官職でもあった。
- 天台宗の最高位の僧侶に与えられる天台座主も律令制度に基づき、朝廷が任免する官職であったが、天台座主の場合は太政官が任命するのに対し東寺長者は勅任によるものとされており、真言宗のほうが格が上だった。
- 真言宗の最高位の僧侶という立場である一方、明治維新までは律令制度の下、日本の仏教界で最高位の僧に与えられる官職でもあった。
新義真言宗[編集 | ソースを編集]
- 弘法大師と合わせて興教大師も崇めるグループ。
- ある種、高野山に対するプロテスタント的な流れで発生した。(腐敗しきった高野山改革に臨んで失敗した興教大師が根来寺を建てて起こしたという歴史。)
- 戦国時代には、その根来寺が、不殺生戒という仏教の教えを忘れて武装して火縄銃で殺生しまくっとったやないかというツッコミを入れたくはなる。まあどれだけ最初はキレイだった勢力もそのうち汚れるというのもまた仏教の教えであったような気もするが。
- ある種、高野山に対するプロテスタント的な流れで発生した。(腐敗しきった高野山改革に臨んで失敗した興教大師が根来寺を建てて起こしたという歴史。)
- 説法に関する考え方で古義真言宗とは隔たりがある。
- 加持身説法と本地身説法。大日如来の教えの説法を、衆生を教化するための存在(加持身)がやるのか大日如来自ら(本地身)がやるのかどっちやねんというところの解釈の差。
- 新義真言宗に属する派で主だったものは3つある。(新義真言宗・智山派・豊山派)
- 新義真言宗
- 根来寺を総本山とする派。
- 大本山は佐賀の誕生院。興教大師の生誕の地ということで足利義満が造らせたらしい。
- 智山派
- 豊山派
- 総本山こそ奈良の長谷寺だが、大本山は東京の護国寺と西新井大師。本部も護国寺に併設されている。
- 日大豊山高校は豊山派の系列だった。場所でわかるか。
- 東国で特に強かったのは、徳川将軍家と密接につながったかららしい。
曹洞宗[編集 | ソースを編集]
- 修行はとにかく黙って座禅。
- 只管打坐がモットー。
- 禅問答をするのは臨済宗。
- 上の座禅もそうだが、ストイックかつ厳しい修行に定評がある。
- 永平寺などの近隣では修行僧の素行の風評は一時期(特に80年代)の悪評からかなり悪いのが実際のところ。
- 駒澤大学をはじめ、学校法人に多いイメージ。
- 戦前の台湾では元からあった寺院を取り込んで最大勢力を誇っていた。
天台宗[編集 | ソースを編集]
- 中国にある天台山発祥の宗派。因みに誕生は隋代。
- 隋代に創建された天台山国清寺がいまも残っている。一度文化大革命でボッコボコにぶっ壊されてはいるが。
- 国清寺は最澄を始め、平安時代に日本から天台宗の高僧が修行に行ったところ。最澄はここで天台宗の教えを
- 国共内戦までは中国本土にも細々と残っていた。内戦の際に、関係者が軒並み香港に亡命したとかで、本土では一旦なくなった。
- この流れに連なる信徒が台湾やシンガポールなんかにもいるらしい。
- 後に香港亡命組の一部が本土に戻ったらしい。とはいえ現在かの国は「くまのプーさん個人崇拝教」以外の宗教は弾圧対象なので2023年現在、どうなっているかは不明。
- 暴君呼ばわりされ、簡単に天下をひっくり返された二代目皇帝の煬帝の深い帰依を受けたらしい。
- 南都六宗の多くはこれ以降に誕生している。日本では南都六宗のほうが古い、天台宗と真言宗は平安新仏教で南都六宗よりは新しいと思われているが、天台宗に関してはこれは誤り。(真言宗は空海が開祖なのでその認識で問題ない。)
- 天台宗関連の経典の一部は、鑑真和上が日本に持ってきている。そういう意味では最澄よりも先にその教えが日本にも来ていたと言えなくもない。ただし、
- 隋代に創建された天台山国清寺がいまも残っている。一度文化大革命でボッコボコにぶっ壊されてはいるが。
- 日本においては比叡山を中心として全国展開している。
- 他宗同様、分派がある。延暦寺の山門派(比叡山延暦寺)のほか、寺門派(園城寺)、天台真盛宗(西教寺)の三派が主だったものだが、総本山は全部大津市内。
- 山門派と寺門派は、最澄が延暦寺を開いて数十年で分裂している。こいつらは後に大津市内を中心に宗教戦争で幾度か殺し合いをやっている。おいおい仏教の基本は不殺生やろが。
- ちなみに分裂の原因は第3代天台座主の慈覚大師円仁と第5代天台座主の智證大師円珍の教義解釈の対立。円仁派が延暦寺で多数派であったことから円珍は山を降りて、自分が長らく別当を務めていた浜大津近くで三井寺(園城寺)で寺門派を開く。
- 教義解釈の対立の主な内容は円・密・禅・戒の四宗兼学を重視するか、これに修験道を加えた五法門を重視するかという違い。
- 円珍は実は真言宗開祖の弘法大師空海の甥。比叡山内で多数派を取れなかった理由は、意外とこの辺にあるんじゃないかと思う。(延暦寺の僧侶が当時一番警戒したのは真言宗)
- ちなみに分裂の原因は第3代天台座主の慈覚大師円仁と第5代天台座主の智證大師円珍の教義解釈の対立。円仁派が延暦寺で多数派であったことから円珍は山を降りて、自分が長らく別当を務めていた浜大津近くで三井寺(園城寺)で寺門派を開く。
- 山門派と寺門派は、最澄が延暦寺を開いて数十年で分裂している。こいつらは後に大津市内を中心に宗教戦争で幾度か殺し合いをやっている。おいおい仏教の基本は不殺生やろが。
- 他宗同様、分派がある。延暦寺の山門派(比叡山延暦寺)のほか、寺門派(園城寺)、天台真盛宗(西教寺)の三派が主だったものだが、総本山は全部大津市内。
- 法華経を根本仏典としている。
- 日本では比叡山焼き討ちで一度滅びかけたらしい。
- 勢いを回復したのは南光坊天海。山王権現に通じる権現を神君家康にも与えたことで、力をつけた。ちなみに山王権現は天台宗と繋がりの深い日吉大社の神様。
日蓮宗[編集 | ソースを編集]
- 創価学会はこの宗派が母体ではない。
- 念のため書くと、創価の母体である日蓮正宗と日蓮宗は別の宗派である(浄土宗と浄土真宗の関係に近い)。
- 不受不施派も含めて分派でしょ。因みにどいつもこいつも日蓮上人の教えを正統に引き継いでいるのは俺たちだと思いこんでいる。
- 立正佼成会は霊友会の分派だったか。これらも法華・日蓮系の新興宗教。
- 念のため書くと、創価の母体である日蓮正宗と日蓮宗は別の宗派である(浄土宗と浄土真宗の関係に近い)。
- 一部宗派は江戸時代にキリシタン並みの弾圧対象とされた。
- 創価学会が他宗派に対して攻撃的なのは有名だが、そもそも日蓮宗自体が日蓮さんのころから他宗派を全否定する攻撃的な体質。
- 昭和初期にはその体質が国粋主義と結びつきテロの思想的背景にすらなった。
- 血盟団事件を起こした井上日召が代表例。
- 昭和初期にはその体質が国粋主義と結びつきテロの思想的背景にすらなった。
- 法華宗ともいう。
- 太鼓をたたくのが好き。
- 立正大学は日蓮宗の大学。他に日本福祉大、文教大。分派の多さの割にはそれほど多くない。
律宗[編集 | ソースを編集]
- 中国、唐代に確立された宗派。
- 確立したのは道宣という中国の僧侶。宗派自体はそれより前の5世紀に北魏で成立している。
- 日本にはあの鑑真和上がもたらした。(道宣の曾孫弟子だったかな)
- 明治時代、後述の理由で新政府は無理やり真言宗に統合した。(真言律宗の項目参照)
真言律宗[編集 | ソースを編集]
- 総本山は西大寺(奈良市)。
- 鎌倉時代に叡尊さんが開いた宗派。
- 真言宗とも律宗とも一応異なる宗教。
- 近世以降、律宗の中では最大の宗派。
- このせいで各宗派ごとに宗教を束ねようとした新政府はなんと律宗の最大勢力は真言律宗でその真言律宗の教義は真言宗と近いから律宗は全部真言宗の一宗派にするという無茶苦茶なことをやってのけた。
臨済宗[編集 | ソースを編集]
- 曹洞宗の項にも書いてあるが、禅問答をすることで有名。
- 宗派の数が結構多い。メジャーなところだと京都の妙心寺派、鎌倉の建長寺派と円覚寺派などがあげられるが……。