• 昔あった日本国内の地域区分としての『国』の噂。
    • 令制国以外の『国』の噂も扱います。
  • ご当地の噂に範囲・名称がほぼ一致している項目がある場合はそちらに記載してください。

令制国 編集

  1. 律令制で定められた地域区分。
    • 『令制国』は後世の歴史用語であって、もともとは単に『国』と言っていた。
      • これだとアメリカとかインドとかの『国』と区別できず不便なので『令制国』って言葉が誕生した。
    • 律令国とも呼ばれる。
  2. 別に廃止されてはいない。
    • 廃藩置県でなくなったのは藩であって国ではない。
      • 廃藩置県の直後は「〇〇県〇〇国○○郡〇〇村」みたいな表現があった。
      • 下記の通り、明治の中頃までは境界変更も公に行われていた。鉄道駅名にも変更はバッチリ反映されている。
    • 政治機構としては室町時代に消滅してる。
      • 国庁は南北朝の頃に、守護職も室町幕府消滅とともになくなった。
      • 江戸時代も金沢藩主が加賀守だったり、福岡藩主が筑前守だったことはあるけど、関係ない領地の藩主が加賀守や筑前守という時もあったし、実態があったとはとても言えない。
        • 加賀を治めるなら加賀守の方が正統性あるよねみたいな感じで官位貰ったりしてる。
        • 通称として令制国名を使う「○○越後など」場合に至っては3分の2くらい関係ない。
    • 樺太や台湾、朝鮮半島などには設定されなかった。
  3. 1/5くらいは国の範囲がほぼそのまま県になってる。
    • 21世紀初頭には佐渡対馬壱岐と一国が一つの市になるところも出てきた。
  4. 結構、出来たり消えたり、範囲が変わったりしている。
  5. 行政上重要な地域は小さくても一国になっているということか。
    • 金や木材が豊富だった飛騨に対して、信濃があの広さというのはなんか変な話ではあるが。
  6. 日本人の多くは当たり前のように読めてるけど、冷静に考えると難読地名のオンパレードである。
    • 上野と下野は他の読み方があるのでそこに引っ張られて難しい気がする。
    • ちなみに「りょうせいこく」である。
  7. 等級区分が二種類ある。
    • 一つは都からの距離で分けたもの(畿内・近国・中国・遠国)、もう一つは国力で分けたもの(大国・上国・中国・下国)
      • 中国地方の「中国」はこれが由来。
      • 国力に関しては平安時代に決めたものなので時代が進むにつれて乖離するところもある。
  8. ○州(○は国名から一文字)と呼ばれたりもする
    • 信州(信濃)とか奥州(陸奥)とか
    • 呼び方がメジャーなところとマイナーなところの両極端。
      • メジャーなところはよく聞くけどマイナーなのは街道名くらいにしか使われてなかったり
  9. 複数の都道府県に分裂した国は意外と少ない。
    • 旧国内だけで分裂したのは武蔵(東京、埼玉、神奈川は相模があるから除く)と肥前(佐賀、長崎)くらい。
      • あと東北地方も。
  10. 国府が現在の県庁所在地と一致してる例はやはり少ない。
    • 有名な所だと大分市など。
      • 甲府は一見それっぽいが実は国府ではない。
    • ちなみに国府があった場所は地名として結構残ってたりする。
      • 単に「国府」のままの所もあれば、「府中」になっていたり...。
      • なお国府津は国府ではなく、国府の港があった場所である。
  11. 列車名になったケース多し。
    • 今も残ってるものだとひたち、しなの、ひだなど。また、ひらがな表記になってることが多い。
    • 路線名としてバリバリ残るケースも多し。
      • 相模線や越後線など。
      • 二国間の場合の組合わせのパターンは一文字目同士(上越線など)、一文字目と二文字目(総武本線など)、二文字目同士(奥羽本線)など。やはり語呂が重視される。
    • 東海道山陽線系統は夜行列車、それ以外の地域は昼行列車に採用されてるイメージ。
  12. 大相撲とも縁が深い。
    • 力士の四股名どころか年寄名跡にも国名が出てくる。(出羽海、佐渡ヶ嶽、武蔵川…)
    • 戦後もしばらく番付表では力士の出身地が旧国表記だった。
  13. 複数の国が1つの県になったケースでは市町村合併により旧国の境界が不明瞭になることも。
  14. 九州や四国の名はその島の令制国の数に由来する。
    • 九州は離島の国は含まないで9国。
    • かつて北海道が「十州」と呼ばれることもあった。
  15. 令制国内には代表的な神社がおかれており、多くは一宮と称する。
    • 多くは有名な神社として尊敬されている一方、マイナーになってしまった神社もある。
      • ちなみに伊勢国一宮は(伊勢)神宮ではない。
    • 中には津軽国とか蝦夷国とか存在しない令制国の一宮を名乗っているケースも。
    • それに続いて二宮、三宮が置かれた所も。
      • 一宮を冠する駅名は多くあるものの、二宮と三宮を冠する駅名はそれぞれ1駅ずつしかない。
        • 能登二宮「え?」
  16. 奈良時代に聖武天皇によって国ごとに国分寺と国分尼寺が作られた。
    • でも今の時代に国分寺というと武蔵国分寺の印象が強すぎるような。

独立項目 編集

北海道 編集

  1. 明治に五畿七道に続く第八の道として置かれ、国も11個できた。
    • 成立が遅く影が薄いと思いきや、そのまま振興局になったり、駅名・地名に使われているため、そこそこ存在感はある。一部例外はあるが。
  2. 元々河川流域に沿って郡が、その後に国が設けられた。
    • こうみると天塩や石狩の大きさもなんとか納得できる。
    • そしてそれ以前に設けられた郡は本州以南以上に存在意義をほぼ失いかけている。
  3. 北海道の「海」部分はアイヌ語由来という説もある。
    • 蝦夷を音読みすると「カイ」になる。
    • 名付け親の松浦武四郎が「北加伊道」(きたかいどう)という名称で政府に上申しているが、その上申書には「カイ」というのはアイヌ人が自分たちをそう呼んでいることから、北にあるカイの地という意味でそういう名前を上申したいという趣旨の言葉を入れているらしい。
  4. なぜか北海道神宮が蝦夷国一宮を名乗っている。

千島国 編集

  1. 範囲は、だいたい千島列島
  2. 日本の実効支配下に全くない唯一の令制国。

北見国 編集

  1. 後のオホーツク総合振興局宗谷総合振興局
  2. 北見市があることからオホーツクのイメージが強いが、語源的には宗谷の方が本体。
    • 樺太が見えるので「北が見える国」という意味で北見国になった。
    • 宗谷振興局の枝幸町にかつてあった鉄道駅の名は「北見枝幸」だった。
  3. この国名を頭に冠した駅名はかつては多くあったが、全て廃線になってしまった。
    • 冠するどころかそのものである北見駅ならある。

天塩国 編集

  1. 数ある令制国の中でも一番跡形もない国。
    • 留萌と宗谷西部、上川北部と現状バラバラ。
      • 天塩川下流部に都市が出来てたら、もうちょっと違ったのかもしれない。
  2. この国名を冠した駅名も廃線で相当減ったが、1駅だけ残っている。

石狩国 編集

  1. 札幌市から大雪山まで含む大きな国。
    • 北海道に設置された国で一番広い。
      • 設置時点(1869年)で日本最大だったらしい。
    • でかすぎって思わなかったのかな。
      • 言うても越後国や信濃国と大差ないから大丈夫、大丈夫。
      • 直前まで陸奥国というその三倍も広いモンスター令制国があったので、だいぶ改善されてる。
  2. 石狩国≒石狩川流域。
    • この時点じゃ人もいなけりゃインフラもないので、河川流域を国の単位にするのは理に適ってはいる。
  3. 狩勝峠の「狩」や、石北線の「石」は、石狩国が由来。
    • 振興局単位だと川勝峠とか上オ線になってしまう。
      • せめて上網線に…。
  4. この国名を冠した駅名は2026年に消滅予定。
    • 「石狩太美」「石狩当別」は廃止の心配無いから大丈夫と思ってたら、まさかの改称で国名を外してしまった。
  5. 鮭の入った鍋としてその名を残している。
  6. 菱刈ではない。

渡島国 編集

  1. 北海道で江戸時代以前から和風だった唯一の地域。
    • 記紀にも出てくる古い地名。
    • 城下町もある。
  2. 本州から海を渡った先にある島だから「渡島」。
    • だから、本当は北海道全部が渡島じゃないかって気もする。

北陸道 編集

越後国 編集

  1. 江戸時代のときには人口が多かったという。
    • 米の一大産地になったのが随分後の時代だったため大国にはなれず。
    • この時代にようやく栄え始めた。
  2. 越後○○の駅名が他の国と比べても多い。
    • 広かったため、越後~では国内(新潟県内)でさえ重複するため別の接頭語(ほくほく大島・魚沼田中など)が用意されたほど。
  3. 時代劇でおなじみ越後屋。もちろんここにある訳ではない。

越中国 編集

  1. 越中と聞いて連想するものといえば、ふnd(ry
    • このイメージのせいで、北陸の令制国名の中で唯一国鉄・JRの列車名に採用してもらえなかった(他は臨時列車含めると実績あり)。
    • 最近の人はむしろ日本海味噌を連想するかな?
    • やってやるって!
      • でも出身地が江東区なのはあまり知られてないって!
    • 薬売りを忘れてはいけない。
  2. 大伴家持が国守になったことはよく知られている。
    • 国府のあった高岡市ではそれにあやかった「万葉推し」が凄い。路面電車道の駅、・・
      • 戦国武将や江戸時代の殿様にあやかった街おこしの例は結構あるが、国守での街おこしは珍しい。
        • 越中は江戸時代、加賀藩の植民地だったことも大きく影響しているやないがか。
          • それは西側限定では。

越前国 編集

  1. 高志道が越前、越中、越後に分割されて誕生。
    • もっと前に高志国と呼ばれていた大元の地域は福井平野らしい。
    • 越前から更に能登、加賀が分けられ、ずっと続く越前国になった。
      • 越中と越前の間に加賀・能登が挟まってるのは後付けだから。
    • 「高志」は高校のイメージしか…。
  2. 歴史上は結構重要な立ち位置の国。大国。
    • 継体天皇はここから来た。
    • 戦国時代も朝倉氏や柴田勝家がいたし。
    • 幕末も四賢侯の松平春嶽がいた。
  3. 現代の福井県嶺北(嶺北奥越)と同じかと思いきや敦賀市も含む。
    • 例えば、越前国一宮は敦賀市内の氣比神宮
    • 長らく敦賀市の事実上の飛び地だった白木地区も越前国だった(だから敦賀市に入った)。因みにここは廃炉になった「もんじゅ」がある所。
      • 白木地区の場合、そもそも原発がなければ美浜町からの道路もいつ通ってたかわからんようなところなんでなあ。(嶺南のああいう集落は、原発マネーで道路ができるまでは船で行き来していた。)
    • 令制国制度誕生時に角鹿国が嶺北にあった高志国や三国国と一緒にさせられたがためにこうなった。でも日本書紀とか見る限り都怒我阿羅斯等(敦賀の地名の由来となった人物)なんかは若狭国との関わりのほうが深かったりするんだよな。
  4. 越前市は越前国府があったところ。
  5. 越前町は越前焼か越前岬がたぶん由来だと思う。
  6. 江戸南町奉行大岡忠相は越前守だったが、越前に領地を持ったことはない。
    • 彼を取り立てた徳川吉宗は、一時期、徳川綱吉の温情で越前丹生3万石の領主になったことがある。
    • 最終的に三河で一万石の大名になった。
  7. コンバット越前
  8. リョーマ

角鹿国 編集

  1. 律令制以前に敦賀市にあった国。
  2. 大加羅の王子・都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が来訪したことが由来。
    • 「つぬが」の名は額に角があったからともいうが新羅の最高官位「角干」由来の方が有力。
    • 今でも敦賀駅前で出迎えてくれています。
  3. 角鹿氏が統治した。
    • 後の氣比神宮の社家。
    • 現代も角鹿家は存続している。
      • 当主は越前町の方の氣比神社宮司。

若狭国 編集

  1. 若さあふれる国。
    • 本当にこういう語源らしい。
    • そういえば、八百比丘尼伝説も若狭の話。
  2. お水取り鯖街道など畿内との結びつきが強かった。
  3. 現代でも京都とのつながりを感じるものはあまりない。強いて言えば水上勉の小説くらいですかね?
  4. 京都と近いくせに、比較的平穏な地であったために、中世には公卿たちの避難場所として活用されることもあったっぽい。名田庄の土御門家とか。
    • 実は江戸時代に京極家がここに入ったのもそれが理由。京極高次が大津城の戦いで西軍とバチバチやってくれたおかげで関ヶ原の戦いに勝てたと思っていた徳川家康は、全国どこでも好きな国を加増しまっせと大盤振る舞い。そうすると高次はなぜか、たかだか8万石の小国でしかない若狭を選んだとか。
      • 理由は戦乱で両親を失った嫁を気遣って平和なところへ行きたいと思ったからだとか。

畿内 編集

畿内全般 編集

  1. 実は「畿内」とひとえに言っても、その意味は奈良時代以降と大化の改新頃とでは微妙に意味が異なる。
    • 前者を四国畿内といい、後者を四至畿内という。
      • 四国畿内は、まさに令制国制度に基づく4カ国(和泉の河内からの分立後は5カ国、いわゆる五畿内と同じ)で問題ないが、四至畿内になるとこれと微妙に異なる領域となる。
        • ざっくりいうと四至畿内=五畿内+紀伊国伊都郡(現・橋本市、かつらぎ町、九度山町付近)+伊賀国名墾評の一部(現・名張市の一部)+近江国逢坂山以西(現・滋賀県大津市横木地区)。ソースは改新の詔。
          • なんとなくこの領域が畿内とされた裏には、奈良盆地から見て一山超えた平野部又は盆地部の縁までを畿内とするという考えがあったんじゃないかと思う。
  2. 一応、都の近所という意味だと思われている畿内という言葉ではあるが、近江大津京と紫香楽宮は四国畿内からも四至畿内からも外れてしまっている。
    • 近江大津京時代に関しては、改新の詔上の「畿内」(四至畿内)とは別に近江国一国を以って防衛上の「畿内」と見ていたのではないかとする説もあるが……
  3. 假寧令(大宝律令・養老律令に掲載のある令)では、五位以上の官人は、業務上やむを得ない場合を除き原則としてここを出てはいけないという決まりがあった。
  4. 飛行機の中ということではない。
  5. どうも南北朝時代辺りまでは、畿内人にとって畿内のエリアに居ることそれ自体がものすごく重要なステータスであり、自身のプライドを満たすことができるものだったらしい。
    • こういった事情を知ると、例えば太宰府へ流されたことを心底恨んだ菅原道真の気持ちも理解できる。
    • 須磨の地は畿内人が気軽に訪れられると同時に畿内人としてのプライドを維持できる西端の地であったともいえよう。謀反の罪を着せられ、裏寂れた須磨に長く逗留していた光源氏とそのモデル在原業平であるが、ギリギリ須磨の地への配流で済んでいたというのは、ある意味、これが陰謀に基づくものとみんな知っていて何らかの配慮があったと推察できる。

大和国 編集

  1. 日本の中心地(当時)。
  2. 大マゼラン星雲に行ったり黒猫になったりする忙しい国。
    • よく考えたらどっちも配送業者だ、これ。
  3. どう考えても大和でヤマトと読むのはおかしい。
    • 大和国は日本全体を指す倭国が由来で、倭国→大倭国→大和国になった。
      • 当時、奈良県が首都だったのでヤマト国も大和国の表記にしちゃったと思われる。
        • 日本全体を指す大和国と、奈良盆地を指すヤマトは、おそらく本来は無関係。
      • こうした経緯から、大和国で奈良県のことも日本全体のことも表す。
    • だから古来の中国人は「邪馬台」の当て字を当てたんやと思うで。(邪馬台国畿内説)

芳野監 編集

  1. 奈良時代に奈良南部に置かれた国と同格の地方行政機関。
    • 30年くらいでなくなった。
      • 山ばっかだからなあ。

摂津国 編集

  1. いまの大阪府の北部大阪市の大部分、それから兵庫県の阪神間三田市方面、それと神戸市の大部分がその領域。
    • このエリア、とても同じ国だったとは思えないくらい、住民の帰属意識とかアイデンティティはてんでバラバラ。室町時代の時点で領主がすでに地域によって違ったりしたら、そらなあ。
  2. 略称は摂州とか津国とか。普通、国名2文字のうち、どっちか一方に寄せて略称にすると思うんやけど、何故かそうはなっていない。
  3. 摂津というだけあって、長らく日本国の港として機能していた。
    • 難波津の時代から始まり、神戸港が阪神淡路大震災でやられて、その役割を果たせなくなるまで約1,700年。
  4. ソフトバンクのピッチャー
    • 出身地は秋田。
  5. 河内との国境が跡形もなく消え去っている部分がちらほら。
    • 泉州との境は大和川の付替えをやったときに河道を国境としたので、すっきりしていてわかりやすい。
    • 播磨との境もよくわからんことになっている。
      • 一応、海沿いの部分は境川があるのでわかるけど、内陸部はもう。。。。。。
  6. 歴史ある国ではあるが、そもそも摂津国一宮がどこか判然としない等、歴史があるからこそ謎に包まれていることもちらほらと。
    • 全国一宮会的には、坐摩神社が一宮とされるが、住吉大社が一宮という説も有力だったりする。国分寺だって天王寺区説と北区説があるし。
  7. 摂津守という役職ができたのは平安時代以降。それまでは難波京が事実上の副首都だったので、国守とか国司みたいな軽いものとは段違いに上の役職である摂津職が置かれていた。
  8. 河内と和泉をまとめて摂河泉と呼ばれることも。ぶっちゃけ遅くとも豊臣秀吉大坂城に入って以降は、この3国で1つの大きな国みたいな扱いをされることも結構あった。
    • とはいえ、江戸時代は藩領や幕領、旗本領などが複雑に入り組んだ現代社会・・・・・・的な感じになっていたので、一体的な運営ができなかった。その問題もあって水野忠邦は上知令を強行しようとしたが、幕閣の猛反発を受け廃案に。そして失脚。
    • 現代において、摂河泉という呼び方をした場合、大阪府域を意味していることも多い。神戸市と阪神間はアウトオブ眼中になっている。
      • 厳密なことを言えば大阪府でも高槻市北部が丹波なのだが、まあ誤差の範疇。
  9. きり丸の出身地。
    • これでこの国のことを知る人も多いという。

山陰道 編集

丹波国 編集

  1. 反乱分子の巣窟。
    • いわくつきの亀山城主が多すぎる。
      • 築城したのが明智光秀
      • 小早川秀秋も城主だった。
      • 現代の実質的な城主である大本も事件を起こしてる。
    • 鬼の本拠地。
    • よくよく考えると鎌倉幕府軍として京都鎮圧にやってきたはずの足利尊氏も、亀岡の篠村八幡宮で鎌倉幕府に対する反乱軍に衣替えしている。
  2. もともとは丹後・但馬と一体の巨大な丹波国だった。
    • 中心地はのちの丹後。
    • 古代には丹波王国だったと言われている。
    • 今は三つまとめて三丹とか丹但とか呼ばれる。
  3. 小盆地が多すぎてまとまりがつかない。
    • 国全体がまとまったのって室町時代に内藤氏が治めた時代と、戦国時代に波多野氏が一国をまとめて山城にも進軍した時代、それから明智光秀が平定して本能寺の変を起こすまでのわずかな期間のみ。
    • 盆地ごとに付き合いのある地域も変わる。篠山あたりは昔から北摂・大阪を、氷上は北播との結び付きが強い。亀岡あたりは京都にべったり。福知山・綾部は舞鶴とかのほうが近しい。
  4. 丹波の地名の起こり、古代の丹波の中心は京丹後市峰山町丹波という説がある。分裂後は丹波じゃなくなっている。
  5. この地域は「丹波」ブランドへの愛着の激しい方が多い。
    • 篠山なんて、丹波市に丹波ブランドが取られてしまいかねないからという理由で、丹波篠山市に改名したし。住民投票で市民のほとんどが市名が伸びても良いから改名賛成という結果を叩き出したくらい。
  6. 出雲大神宮がある。古代においては山陰地方の勢力下だったのかもしれない。

山陽道 編集

吉備国 編集

  1. 岡山広島東部小豆島などからなる広大な国。
    • 飛鳥時代には吉備大宰も置かれた。
    • 加古川まで吉備だった時代もあったと言われている。
  2. おそらく吉備の中山あたりが中心地。
  3. 古墳も多い。
    • 楯築遺跡は古墳の前身。
    • 造山古墳は畿内以外で最大の前方後円墳。
  4. たぶん作物のに由来する地名。
  5. 桃太郎の国。
    • 黍団子は江戸中期の後付け設定。
      • 吉備団子の開発は更に後で幕末あたり。

南海道 編集

  1. 五畿八道で最も令制国の枠組みが活きてる地域。
    • 四国は令制国がそのまま県に、紀伊は大半が和歌山県、淡路も島なので一体感がある。
    • 未だに県名より国名の方が知名度高い気がする。
  2. 「四国だけ」とかならまだ分かるが、何故こんな枠組みにしたんだろう。
    • 当時四国へは紀淡海峡から淡路島を通るのが主流だったからと思われる。だから淡路も南海道。
  3. 鉄道会社テレビ局に名が残る。

淡路国 編集

兵庫/淡路島

紀伊国 編集

  1. 木がいっぱい生えてるから「きのくに」っていう見たまんまの国名。
    • 二文字にするにあたって無理やり伸ばしよった。
  2. 寺社勢力がめちゃくちゃ強かった。
  3. 北部は紀氏の勢力圏、南部は熊野の神々が支配する神聖なエリアと見られていたっぽい。
    • 北部は紀国、南部は元々熊野国という別の国だった。令制国制度ができたときに両者を統合した。
  4. 面積の割に細長すぎる。紀伊半島から内陸部の吉野を除いた海岸部全部に近い。

阿波国 編集

  1. 踊る国。ヤットサー、ア、ヤットヤット
  2. 安房と名前が被っているのは偶然ではない。

讃岐国 編集

  1. うどん国。
  2. 竹取物語のおじいさんは讃岐造。
    • あれは讃岐国ではなく讃岐郷であって今でいう奈良県広陵町であるらしい。
  3. 国守として赴任した中で最も有名人は菅原道真。

伊予国 編集

  1. 愛媛の伊予柑いい予感。
  2. 女の子の名前みたいな国名。
    • 県名も『愛』+『ヒメ』。
    • たぶんまだ16。
    • 卑弥呼の後を継いだ邪馬台国の女王。

土佐国 編集

  1. カツオ坂本龍馬の国。
    • でも坂本龍馬が活躍したのは土佐から出て行ってから。帰っても来なかったし。
    • ジョン万次郎とか岩崎弥太郎とかももっと推せばいいのに。
  2. 流刑地。
  3. 土佐日記の舞台。
    • 土佐国の話は1/3くらいしかない。
    • 作者の紀貫之が土佐送りになったのは配流ではなく土佐国守としての赴任である。
      • 当時の国守は蓄財できるおいしい仕事なので本人もたぶん満足してる。
        • 土佐日記とかいう妙なものを書いたのも、たんまり貯めこんだ上に帰京できる喜びも重なってテンションおかしくなってたんじゃなかろうか。
        • 必ずしもそうとはいえない。畿内のところにもあるように、この時代の貴族は畿内にいることこそがステータスだったから。プライドや名誉などありとあらゆるものを捨てて実を取るタイプであったのなら満足していたと思うが、京都に戻ってすぐ「隣の家のやつ、うちの家の管理もろくにしてくれてへんかったやんけ、クソが」と書いたりしてるあたりかなりのプライドが感じられる人なんでなあ。
          • 満足していた説に立つならば、大阪湾で溺れかけて「神様に幣をもっと納めろ、海に投げ込め」と船乗りに言われた(恐らく船乗りは後でその幣を海から回収している)ことを思い出して「クソ船乗りが」と書く等、銭に対する執着心と根に持つタイプであることが垣間見られる点で相当ケチだったので、やっぱ満足していたと考えられる。
  4. 室町時代、元関白の一条教房が引っ越してきた。
    • 土佐一条氏誕生。
    • 貴人の流刑地だったことも合わせて風雅な文化が残っててもおかしくないのだが、そういうイメージが全然ない。
    • 一応小京都はある。
  5. 国府は南国市にあった。
    • 南海トラフ地震を考えると、現代の県庁よりそっちの方がまだ安全だと思う。
  6. 世界陸上で2回メダルを獲得した女性マラソンランナー。
    • 因みに出身地は愛媛県。

琉球国 編集

  1. 琉球王国の正式名。
  2. 琉球処分後も公文書で地名として使われた。
    • ただし法令で制定されておらず、本当は令制国ではない。
    • 奄美群島は琉球王国だった時期はあるが、琉球国ではなく大隅国。
      • 1609年に琉球王国から薩摩藩へ割譲されたため。
        • 琉球王国になる前から大隅国だったはず。
      • 島によってだいぶ歴史が変わったと思う。平安時代末期の坊主・俊寛なんか喜界島に流されてるけど、あれって大和王権のエリアだったから島流し先にできたんだろと。
  3. 日清戦争後に台湾が日本領になった際、台湾と一緒に「南洋道」にされかけたことがある。
  4. 音読みなのであまり令制国っぽくない。例えば「那覇国(なはのくに)」とかの方がしっくり来る…
    • 和名なら「阿児奈波」という表記があったが旧国向きではない。

関連項目 編集