元
![]() |
この項目では、中国の王朝について記述しています。中華人民共和国の通貨については「人民元」をご覧ください。 |
元の噂(一般)[編集 | ソースを編集]
- 皇帝の名前は炒飯。
- 日本を侵略しようとした。
- フビライがハンに就任。「強いモンゴルの復活」をフビライ政権のスローガンとして掲げる。とりあえずすげー遠くまで自分の陣地にした。
- モンゴルが世界一の領土を持ったのは、周辺諸国が弱かったためでモンゴル帝国がずば抜けて強かったわけではないという話を聞いたことがある。
- 当時の文明先進地域、中東中国を支配したんだから、ずば抜けて強かったといえると思うよ。
- 最大時の面積は旧ソ連の1.5倍ほど。
- モンゴルが世界一の領土を持ったのは、周辺諸国が弱かったためでモンゴル帝国がずば抜けて強かったわけではないという話を聞いたことがある。
- マルコポーロ、このあたりで世界一周の旅に挫折。
- ゴールドロジャースが黄金の国を求めて航海。
- この頃の民俗音楽がのちにドイツでリメイクされる。
- 日本ではつんくによってリメイクされ、モーニング娘。が歌って大ヒットした。
- さらにドイツでできたほうもBerryz工房が歌った。
- モンゴル連邦大元帝国本国モンゴル、華北州、華南州、金州、西夏州の歴史的呼称。
- 父親が死んでも欧州攻略を続けるべきであった。そしたら今頃有色人種の天下に・・・。
- チンギス・ハーンはハンニバル・バルカの生まれ変わりである!(ぉ
- だったら義経はハンニバルの生まれ変わりかwww
- あー、でも軍事の天才って意味なら納得。
- だったら義経はハンニバルの生まれ変わりかwww
- ハンニバル如きと一緒にすんなよ。チンギス汗は生涯に一度も負けなかった真の天才だぜ?それに義経程度の軍才でもあるわきゃない。人望のなかった義経如きと一緒にしたらチンギス汗に失礼だろう。
- 若い頃はジャムカに負けたり、金との戦いでは攻城戦で失敗している。そもそも彼程度の英雄は、冒頓単于を初めとして遊牧民族では結構いる。彼が有名なのは子孫たちの征服活動のおかげ。
- チンギス・ハーンはハンニバル・バルカの生まれ変わりである!(ぉ
- 父親が死んでも欧州攻略を続けるべきであった。そしたら今頃有色人種の天下に・・・。
- シャーマンカーンが生まれた。
- 必殺技で「モンゴリアンチョップ」が使用され始める。
- 中国の貨幣はこの頃つくられはじめた。
- 紙幣ね。
- 名将「冬将軍」は元に勝てなかった。
- 中国を支配したついでに日本も支配しようとするが、タイミングを誤り見事撃沈。
- 2回突撃して2回撃沈。3回目は未遂に終わるが、仮に3回目の突撃があったらどうなっていただろうか。
- なお最近の教科書では「日本の武士がよく戦ったため元寇は失敗に終わった」ということが書かれている。
- むしろほとんど「神風」のお陰という事で、武士の活躍を軽視している気がするが?
- ビルマや現在のインドネシアへの侵攻も失敗した。
- 現在中国で使われている通貨単位ではない。
- 某マンガのよく「ギギギ」や「くやしいのう」と口走る主人公でもない。
- 征服した国の技術者や職人を配下に組み入れ雪だるま式に強大化した。
- ユーラシア大陸のかなりの部分を覆えたため全域で人材や物資の動きがやたら活発化した。
- グローバリゼーションの先駆けとする意見もある。
- 宗教的に寛容だったこともあり有能な人材にも事欠かなかった。
- 漢民族には「奪うばかりで何の意味もなかった」と酷評されたが中華料理に与えた影響は大きかった。
- 回族(イスラム教徒)特有の料理法や油の多用、ニンニクの使用、羊肉食などが中原にも広まった。
- 韓国の焼肉もこの時代にモンゴル人が済州島で牛の放牧を始めた際に持ち込まれた食習慣が原型という。
元の皇帝[編集 | ソースを編集]
- 「世祖クビライ」の項目にもあるが、最初に中華の皇帝を称したのはクビライ。その前のモンゴル帝国大ハーン4代はそんなことは全く意識していなかった。
- 例外除き、基本的に素質は優れているが酒か女に溺れるタイプが多い。
太祖チンギス[編集 | ソースを編集]
- 西方ばかりに目をやり、さほど中国に興味はなかった。つまり、実は中国史とはあんまり関係ない人物。
- なぜか日本の官公庁でとった「理想の上司」アンケートで1位に輝いた事がある。
- 自分は働かなくても引っ張ってくれそうだから、お役人には理想の上司なんだろう。
- 何が凄いのかよく分からないが、とにかく世界最強の戦闘民族を一つにまとめた。
- 刃向かう町はペンペン草まで鏖殺。降服する町は手つかずスルー。とにかく徹底していた。
- 年がら年中草原の縄張り争いを繰り返していたモンゴル人に「俺たちが団結すりゃもっとヤリたい放題できるんだぜ?」と教えた。
- 「モンゴル」は元々テムジンが属していた一部族の名前。
- 部族抗争の最中に鉄器の採掘場を手中に収めた(らしい)こと、他国の攻城兵器を手に入れて使用したことなどが大きいようだ。あとはモンゴル騎馬隊が元々強かったとしか・・・
- 妾妃とその庶子は多数いたが後継者候補としたのは正妻ボルテが産んだ4人だけ。
- 女の子に至っては征服した町の酋長とかに気前よく呉れてやったりしている。
- 清和源氏の血を引いている…という伝説が日本でできた。
- 社会主義時代のモンゴルでは何かと批判され続けた。
- だが現在は英雄の座に復帰。
- 最高勲章の名前にも使われている。
- だが現在は英雄の座に復帰。
- コロコロコミックで×××が落書きされ侮辱された。
- これに朝青龍も激怒した模様。
- どこに墓があるかまだ分かっていない。
- 伝説では機密保持のため埋葬地に千頭の馬を走らせて痕跡を抹消したという。
- 内モンゴル自治区に2つ廟があるが遺骨も何もない。
太宗オゴデイ[編集 | ソースを編集]
- チンギス汗の三男。金を亡ぼした殊勲者。
- ここに書き込む人なら知っているだろうが、チンギスの生前からはじまっていた金の攻略を完了させた人。
- 1234年。実に覚えやすい。
- 当時の遊牧民の慣例では末子相続が原則だったが、チンギスの指名だったことを受けてトゥルイが譲歩した。後継者争いによる分裂の危機は回避された。
- ここに書き込む人なら知っているだろうが、チンギスの生前からはじまっていた金の攻略を完了させた人。
- ちなみに、長兄ジュチはチンギス汗と不仲だったせいか、遠くロシア方面へ行ったきり。その子孫がキプチャク汗国を作る。次兄チャガタイはキルギス・ウズベキスタンあたりに領地を得てチャガタイ汗国を作る。
- ジュチの仲が悪かったのはチンギスではなく、「メルキト族の奴と母の間に生まれたんじゃねーの」と難癖をつけたチャガタイのほう。チンギスは勘違いで1度叛心ありとした以外はちゃんと息子として愛した。
- 当時の首都カラコルムに宮殿を作ったがもっぱら宝物庫としてしか機能しなかった。
定宗グユク[編集 | ソースを編集]
- オゴデイの息子だが、子孫は後を継げず、カザフスタンのあたりに追いやられ、そこでオゴデイ汗国を建てた。
- 母の過干渉により本来の後継者候補だったモングを差し置いて即位したため帝国内の実力者たちの間で大不評。しかし本人自身はそこまで柔弱ということはなく、即位したのを見届けて母が亡くなると、母に追い出された重臣を再登用したりと一応頑張った。
- このあたりから末子相続とかもはやどうでもよくなってきたようだ。
憲宗モング[編集 | ソースを編集]
- オゴデイの末弟トゥルイの息子。
- グユク(とその母)が引き起こした分裂の危機を立て直したが。それ以外の華々しい功績に乏しい。
- 弟クビライとは方針が合わなかったようだ。クビライ「これからはグローバルな視点を持たんといかんよ兄ちゃん」モング「うるさい!ワシは死ぬまでモンゴル流を貫くんじゃ!」。
世祖クビライ[編集 | ソースを編集]
- モングの弟。南宋を亡ぼし中国を統一。実際にはここから「元」がはじまる。祖父チンギスをはじめとする先代までの大汗に中国風の廟名をつけたりしたものだから誤解を招くことになった。
- 二回にわたって日本に攻め寄せたが二回とも撃退される。
- しかし犠牲になったのは高麗軍や南宋残党が主で、モンゴル人はほとんど死んでないため、日本に負けたという気は全然してなかったらしく、こりずに三回目の軍を送ろうとしていた。
- 『宇宙刑事シャイダー』に登場した悪の組織である不思議界フーマの支配者の名前は、帝王クビライであるが、別に、モンゴル帝国の世祖・クビライとは関係があるわけではない。
- 一応そこから拝借しているが、当時は「フビライ」のほうが有名だった。同時に「首ライ」という意味合いもあったのだが、クビライのほうが有名になった今ではモンゴルに版権料を払わなければならないのだろうか・・・?
- キングドラゴンの住む巨大迷宮を建設。西方の空飛ぶ王国と並ぶ世界の驚異として有名に。
- チンギスの配下にもクビライという名の男がおり、紛らわしい。あちらは「忽必来」。こちらは「忽必烈」。
成宗ティムール[編集 | ソースを編集]
- クビライの孫。彼の父(クビライの長男)は早く死んだ。
- 後に中央アジアで帝国を建てたのは同名の別人。イスラム化していたが、やはりモンゴル系の出自を名乗っていた。
- さらにそのなれの果ての一派がインドに南下して建てたのが「ムガル帝国」ムガルとはモンゴルが訛ったものである。
武宗カイシャン[編集 | ソースを編集]
- ティムールの甥。弟に乗せられて、重臣たちの反対を押し切り即位。
仁宗アユバリバトラ[編集 | ソースを編集]
- カイシャンの弟。兄を皇帝に擁立するが、4年で死んでしまったので自分が即位した。
- 在世中に科挙を復活するなどの漢人を優遇する政策を行ったおかげで、後世の歴史家の評価は高い。
英宗シデバラ[編集 | ソースを編集]
- アユバリバトラの子。先帝の息子が順当に帝位を継承できたのは、元朝を通じて彼だけ。
- 権臣テムデルを退けたのはいいが、その子テクチに暗殺される。
泰定帝エセンティムール[編集 | ソースを編集]
- テクチが擁立した成宗の甥。カイシャン・アユバリバトラの従弟にあたる。
- 先々代と異なり、モンゴル人至上主義政策をとった。
天順帝アスキーパ[編集 | ソースを編集]
- エセンティムールの息子だが、即位した途端にカイシャンの息子たちにひきずり下ろされる。
- エセンティムールとアスキーパの即位は無かったことにされ、廟名(「○宗」とかいうヤツ)が与えられなかった。
明宗コシラ[編集 | ソースを編集]
- カイシャンの息子。権臣エンティムールに擁立されるが、エンティムールを煙たがったので暗殺されたらしい。
文宗トクティムール[編集 | ソースを編集]
- コシラの弟。エンティムールに遠慮しておとなしくしていたが即位3年で病死。
寧宗イリンジバル[編集 | ソースを編集]
- コシラの息子。6歳でエンティムールに擁立されたがわずか43日で病死。
- どうも、草原の活力を失ってきたようである。
順帝トゴンティムール[編集 | ソースを編集]
- イリンジバルの兄で元のラストエンペラー。母が高麗人だったためにイリンジバルに先を越されたらしい。
- まったく、半島人がからむと(ry
- 南宋最後の皇帝恭宗の落胤ではないかとの噂が……
- 明宗が寵愛した高麗女が、召された時にすでに懐妊していて、その相手が恭宗ではなかったかというお話。
- 子供の頃に南宋皇帝となり、じきに退位した恭宗は、順帝が生まれた時にまだ50歳くらい。時期的には不可能な話でないので、まことしやかに噂された。
- 明宗が寵愛した高麗女が、召された時にすでに懐妊していて、その相手が恭宗ではなかったかというお話。
- 朱元璋の革命軍が迫ると整然と北京から退去。余力を充分残して北へ去ったモンゴル軍は、以後長いこと明朝に祟ることになる。
- このような元王朝滅亡のことを「北帰」、北帰後も北方で存続したモンゴル人国家のことを「北元」という。
- しかしながら、東西に分裂し、それぞれ「○○部」と呼ばれることになる。
中国史 |
伝説 - 殷 - 周 - 春秋 - 戦国 - 秦 - 漢 - 新 - 後漢 - 三国 - 晋・五胡十六国 - 南北朝 - 隋 - 唐 - 五代十国 - 宋・金 - 元 - 明 - 清 - 近代 - 現代 年表 |