北海道の廃線

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北海道の廃線をまとめる記事。

主な路線[編集 | ソースを編集]

国鉄・JR[編集 | ソースを編集]

  • 第三セクター化後に廃止された路線については#私鉄・第三セクターを参照。
  • 分け方は起点駅の所在地順でお願いします。
  • 太字は2024年現在存続している駅。
  • 小文字は仮乗降場(民営化後も存続した路線は、民営化直前の時点で仮乗降場だった駅)。

渡島・檜山[編集 | ソースを編集]

松前線[編集 | ソースを編集]

  1. 営業成績は江差線末端よりも良かったが、路線区間の兼ね合いで廃止された。
    • 松前線単独でも平均乗車距離要項を満たせそうだったが、あと一歩及ばず廃止。
  2. 渡島吉岡の地下から北海道新幹線が並行している。
  3. 青函トンネルが在来線規格で建設されていたら途中までは残っていたと思われる。
    • 古い地図の予定線を見てみると渡島福島駅付近で海峡線と合流していた。
  4. 戦時中には鉱石輸送のためもっと先まで伸ばす計画もあったが終戦とともに必要性を失い中止。

木古内 - 森越 - 渡島知内 - 重内 - 湯ノ里 - 千軒 - 渡島福島 - 白符 - 渡島吉岡 - 渡島大沢 - 及部 - 松前

瀬棚線[編集 | ソースを編集]

  1. 国縫から渡島半島を横断して瀬棚までを結んでいた路線。
    • 但し普通列車の発着は長万部まで乗り入れていた。
  2. JRへの移管半月前に廃止となった。
  3. 廃線後は函館バスがそのまま瀬棚線として代替バスを運行している。
  4. 途中の美利河駅は美しい響きによく似合う可愛らしい三角屋根の小さな駅舎が名物だった。

胆振・日高[編集 | ソースを編集]

胆振線[編集 | ソースを編集]

  1. 伊達紋別から旧大滝村を通り、喜茂別から羊蹄山の北麓を経由して倶知安までを結んでいた。
  2. 有珠山や昭和新山の影響を強く受けてしまった。
    • 特に国鉄再建法のときは噴火により運休していた時期も算定に含まれてしまった。まあそれがなかったら廃止されなかったとはとても言い難いが。
    • 1944年の噴火の時には度重なる隆起の中でも線路を修復し続け鉱石輸送を止めなかったという武勇伝がある。
  3. 第2次特定地方交通線にされ、1986年に廃止。
    • この路線の晩年と沿線出身の横綱北の湖の衰えていく時期が結構近かった。
  4. 1980年までは札幌から胆振線を経由して循環運転をする急行が存在した。
  5. すでに喜茂別町と伊達市大滝地区の間にはバスすらない。
  6. 京極から喜茂別間は胆振鉄道、伊達紋別から喜茂別間は胆振縦貫鉄道が開通させたが、戦時買収でまとめて胆振線になった。

富内線[編集 | ソースを編集]

  1. 鵡川駅から鵡川沿いを遡上し日高町(右左府)までを結ぶ路線だった。
    • 富内からは山を抜けて沙流川を上って行った。
    • 将来的には占冠を経由して根室本線の金山までを結ぶ計画だった。
      • 一部分は石勝線として開通した。
  2. もともと北海道鉄道金山線だったのを国鉄が戦時中に買収したもの。
    • その頃は鵡川ではなく沼ノ端が起点だった。
    • 正確には3ヶ月ほど国鉄が運営していた。
  3. 廃止後、代替バスは全線通しを運行する系統も存在したが、鵡川駅側は穂別までしか行かなくなり、振内・日高町は富川(日高線廃止に伴い苫小牧駅発着に変更)からかつての沙流軌道沿いで出ている。
  • 鵡川 - 豊城 - 春日 - 旭岡 - - 豊田 - 穂別 - 富内 - 幌毛志 - 振内 - 仁世宇 - 岩知志 - 日高岩内 - 日高三岡 - 日高町
  • 1943年の買収直前:沼ノ端 - 北松田 - ニナルカ(買収直後に静川に改称) - 上厚真 - 入鹿別 - 上鵡川 - 芭呂沢 - 生鼈 - 似湾 - 杵臼 - 穂別 - (貨)深牛 - 辺富内
    • 上鵡川駅が後の豊城駅、芭呂沢駅と深牛駅が戦前に廃止、後は上記の豊城~富内に対応している。

後志・石狩・空知[編集 | ソースを編集]

深名線[編集 | ソースを編集]

  1. 営業係数ではワーストクラスだった。
  2. 並行道路の未整備を理由に廃止が保留されていたが、整備されたため1995年に廃止された。
  3. 朱鞠内駅から羽幌線羽幌駅まで伸ばす名羽線構想もあった。
    • 炭鉱への専用線として一部だけは完成した。
  4. 現在でもJR北海道バスが代替しているが乗務員は道北バスに委託している。
  5. 特定地方交通線を除けばJR北海道初の廃線…と思いきや実は上砂川支線の方が先だった。
  6. 廃止間際には臨時列車でジョイフルトレインが乗り入れたことがある。
  7. 特定地方交通線でJR北海道仕様の駅名標があったのはおそらくここだけ。(朱鞠内駅など)
  • 深川 - 円山 - 上多度志 - 多度志 - 宇摩 - 幌成 - 下幌成 - 鷹泊 - 沼牛 - 新成生 - 幌加内 - 上幌加内 - 雨煙別 - 政和温泉 - 政和 - 新富 - 添牛内 - 大曲 - 共栄 - 朱鞠内 - 湖畔 - 宇津内 - 蕗ノ台 - 白樺 - 北母子里 - 天塩弥生 - 西名寄 - 名寄
  • 大曲、宇津内は国鉄時代に廃止。
  • 雨煙別、政和温泉、新富、蕗ノ台、白樺は1990年に廃止。

幌内線[編集 | ソースを編集]

  1. 北海道史上初の鉄道である「官営幌内鉄道」の一部を成す。
  2. 北海道における石炭産業の誕生と共に生まれ、成長と共に生き、滅びと共に消えた。
    • 石炭産業の陰りが顕在化するにつれて収支が悪化していた。例として1979年時点で営業係数が700オーバーである。
  3. 鉄道唱歌・北海道編の第9節に歌われた路線。
    • その中で岩見沢市から「真すぐに行けば幾春別」とあり、当時はこっちがメインルートと認識されていたことがわかる。
  4. 1987年7月に廃止。
    • 上記の通り開設としての意味の他、廃止でも(JR北海道発足以後)第1号の路線と言う微妙な記録を持つ。
  5. 代替バスは三笠で系統分割された。
  6. 岩見沢側は住宅地ということで1980年に栄町駅が作られたが状況好転には至らなかった。

歌志内線[編集 | ソースを編集]

  1. 砂川から歌志内までを結んでいた全長14.5kmの小さな路線。
  2. 1988年4月に全線廃止。
    • 第三セクター化も検討されていたらしいが、歌志内市内にあった空知炭鉱の閉山が決定打となってしまった。
    • 砂川から分岐、炭鉱街までの盲腸線という共通点を持ちながらこれよりも収支・輸送実績の悪かった上砂川線が平成中期頃まで持ちこたえたのに、歌志内線は早々に廃止されてしまった。
      • これには上砂川線が大幹線たる函館本線の支線扱いだった、という事情がある。
  3. 直系となる代替バスは2019年で廃止(歌志内市へは上砂川町経由しかない)

岩内線[編集 | ソースを編集]

  1. 函館本線の小沢駅から岩内駅までを結んでいた路線。
  2. 廃線の約1年前までは札幌方面に直通する急行「らいでん」が運行されていた。
  3. 岩内から黒松内まで延伸する計画もあったが頓挫。
  • 小沢 - 国富 - 幌似 - 前田 - 西前田 - 岩内

手宮線[編集 | ソースを編集]

  1. 北海道で最初の鉄道(官営幌内鉄道)開業区間の一部として1880年に開業。
  2. 利用客の減少もあり1962年5月に旅客営業が廃止。
    • 貨物営業はその後も続いたが輸送量の減少もあり1985年11月限りでそれも廃止となった。
  3. 線路跡は散策路として整備されている。

万字線[編集 | ソースを編集]

  1. 線名の由来でもある万字炭鉱から産出される石炭の積み出しのために建設された路線。
  2. 沿線の炭鉱の閉山もあり1985年4月に全線廃線。
    • 廃線後は北海道中央バスが代替バスを運行している。
  • 志文 - 上志文 - 朝日 - 美流渡 - 万字 - 万字炭山

上川・留萌・宗谷[編集 | ソースを編集]

羽幌線[編集 | ソースを編集]

  1. 幌延から海岸部を通り留萌まで至った路線であった。
  2. 民営化の2日前に廃止。
  3. 現在でも沿岸バスの主要路線として活躍。
    • というより鉄道廃止の最大の元凶が沿岸バス。
  4. 全盛期には途中の築別駅から羽幌炭鉱鉄道も分岐していたとは今となっては信じられない。
  5. 羽幌-留萌を第3セクター化する計画もあったらしい。(『旅と鉄道』1986年夏の号参照)
  • 留萌 - 三泊 - 臼谷 - 小平 - 花岡 - 大椴 - 富岡 - 鬼鹿 - 千松 - 力昼 - 番屋ノ沢 - 古丹別 - 上平 - 苫前 - 興津 - 羽幌 - 下ノ滝 - 築別 - 天塩有明 - 天塩栄 - 初山別 - 豊岬 - 天塩大沢 - 共成 - 歌越 - 天塩金浦 - 遠別 - 啓明 - 丸松 - 北里 - 更岸 - 干拓 - 天塩 - 中川口 - 北川口 - 西振老 - 振老 - 作返 - 幌延
    • 廃線当時留萌駅は旧字体で留と表記していた。
    • 北里・西振老は1970年に、下ノ滝は1972年に廃止。

名寄本線[編集 | ソースを編集]

  1. 本線格で唯一、特定地方交通線の取り組みで廃止された。
    • 長らく「本線格で廃止された唯一の路線」だったが、2010年代頃から雲行きが怪しくなっており…。
    • 部分廃止ならその前から並行在来線で見かけたが、全線廃止でも2020年代には唯一でなくなりそう。
  2. かつては旭川と北見を結ぶ幹線だったが、上川ルートが開通してローカル線に転落。
  3. 利用者の多かった名寄-下川間と紋別-遠軽間を第三セクターで存続させる案もあったらしい。
  • 本線:名寄 - 中名寄 - 上名寄 - 矢文 - 岐阜橋 - 下川 - 二ノ橋 - 幸成 - 一ノ橋 - 上興部 - 西興部 - 六興 - 中興部 - 班渓 - 宇津 - 北興 - 興部 - 旭ヶ丘 - 豊野 - 沙留 - 富丘 - 渚滑 - 潮見町 - 紋別 - 元紋別 - 一本松 - 小向 - 弘道 - 沼ノ上 - 旭 - 川西 - 中湧別 - 北湧 - 上湧別 - 共進 - 開盛 - 北遠軽 - 遠軽
  • 湧別支線:湧別 - 四号線 - 中湧別

美幸線[編集 | ソースを編集]

  1. 美深から山を越えて北見枝幸までを結ぶ計画だった。
    • しかし、開通できず仁宇布で断念。
    • 工事はかなり進んでいたため第3セクターで開業させるという話もあったが大赤字必至だったため幻と消えた。
  2. 開通当初から日本一の赤字路線と呼ばれてしまい、1985年に廃止。
    • 当時の美深町長が「日本一の赤字線に乗って秘境松山湿原へ行こう」と銀座でPRしたこともある。
  3. うち歌登~枝幸へは町営の殖産鉄道が走っていたが、鉄路が復活することはなかった。
    • ちなみに美幸線の横にも町営軌道が通っていたが、美幸線開通の少し前に廃止。
  4. 名前だけ見ると女性の名前っぽい。
    • もちろんこちらの場合は「びこう」と読む。
  5. 下記未成区間の「歌登」で将来の建設続行のための資材を保管していたが、それらは青函トンネル・津軽海峡線の建設に流用された。
    • この際鉄建公団が資材を持ち出そうとしたところ、役場は「事前連絡無し」を理由として資材置き場に除雪用の重機などを並べてバリケードを設置。町を挙げて搬出作業を妨害した。
      • この暗闘は8カ月に渡って続いたもので、『歌登町史』にもバッチリ書かれている。
  6. 線路の大半はトロッコ走行体験に転用された。
  7. バスも予約制のタクシーに置き換えられた。
  • 美深 - 東美深 - 辺渓 - 仁宇布
  • 未成区間:仁宇布 - 北見大曲 - 上徳志別 - 志美宇丹 - 辺毛内 - 歌登 - 下幌別 - 南枝幸 - 北見枝幸

天北線[編集 | ソースを編集]

  1. 開通当初はこっちが宗谷本線だった。
    • 現在の南稚内まで開通した時は、一時的に声問駅が日本最北端だった。
  2. 転換されたバスは宗谷岬を経由するルートを通ったため、声問~曲淵~鬼志別は経由しなくなった。
    • その後稚内市側は曲淵線、猿払村側はデマンドバスに転換されたが、曲淵線は2020年に廃止された模様。
    • 音威子府~浜頓別も消滅決定。
      • 中頓別~浜頓別はスクールバス、音威子府~中頓別はタクシーになった。
  3. 名前からして、いかにも「日本の最果て」を走っていそうな名前。
  4. 客車の急行列車が走っていた。昼間から。
    • しかも下りは寝台車付きだったという。
  5. 桃鉄シリーズでは現実世界で廃止された後も何回か登場している。(「HAPPY」など)

オホーツク[編集 | ソースを編集]

興浜線[編集 | ソースを編集]

  • 便宜上興浜北線と興浜南線をまとめます。
  1. オホーツク縦断線として計画されていた。
  2. しかし、中間の未成区間は「2年ごとに20%運賃が値上げされ、かつ輸送密度が10年で倍増することで1993年に黒字化(ソース)」という非常に非現実的な算段だったので開通せず。
    • 天北・名寄本線も3セク移管を想定していたという。
  3. 両線とも1985年に廃止。
  4. 路盤が完成していた北見音標~北見枝幸間で新幹線の耐寒性試験線を行う話があった。
  • 北線:浜頓別 - 頓別 - 豊牛 - 豊浜 - 斜内 - 目梨泊 - 山臼 - 問牧 - 北見枝幸
  • 未成区間:北見枝幸 - 岡島 - 徳志別 - 北見山臼 - 乙忠部 - 風烈布 - 北見音標 - 枝枝幸 - 北見幌内 - 北見音稲府 - 元稲府 - 雄武
  • 南線:雄武 - 雄武共栄 - 栄丘 - 元沢木 - 沢木 - 興部

湧網線[編集 | ソースを編集]

  1. オホーツク縦断線の一部を成す路線の一つだった。
    • 網走から遠軽までの最短ルートだったので、廃止前の一時期は北見経由の急行「大雪」より遅く出ても、湧網線経由の鈍行のほうが先着していた時期があった。
  2. 民営化の12日前に廃止。
  3. 廃線後はバス転換されたが、佐呂間町でふれあいバス(コミュニティバス)との統合がされた関係で市町村で分断されてしまった。
    • そのため沿岸バスによる最北端→最東端の乗り継ぎルート紹介ではわざわざ襟裳岬まで大回りするルートになってしまった。
    • 佐呂間町が網走バスに補助金を出すのを渋ったせいで網走口を残して廃止したため。
    • もう地元住民のみ受け付けてる予約制のデマンドタクシーか事実上の病院送迎バスしか残っていない。
  4. 勇猛な路線だったわけではなさそうだ。
  5. サロマ湖や湖畔のアッケシソウ群落との共演は見ものだったらしい。
    • 現存していればインバウンド客にも喜ばれたこと間違いなし。
  • 中湧別 - 五鹿山 - 福島 - 芭露 - 志撫子 - 計呂地 - 浜床丹 - 床丹 - 若里 - 佐呂間 - 堺橋 - 興生沢 - 知来 - 紅葉橋 - 仁倉 - 浜佐呂間 - 北見富丘 - 東富丘 - 北見共立 - 土佐 - 常呂 - 常呂港 - 能取 - 中能取 - 北見平和 - 卯原内 - 二見中央 - 二見ヶ岡 - 大曲 - 網走
    • 土佐、常呂港、中能取は1972年廃止。

相生線[編集 | ソースを編集]

  1. 石北本線の美幌駅から津別町を通って北見相生駅までを結んでいた路線。
  2. 当初の計画では釧路まで延ばす予定だった。
    • 釧網線が先にできてしまったため建設する意味が無くなった。
      • 地図を見る限りこの先に延伸していれば阿寒湖や釧路湿原を通る道内でも指折りの観光路線になったであろう。
  • 美幌 - 旭通 - 上美幌 - 豊幌 - 活汲 - 達美 - 津別 - 高校前 - 恩根 - 本岐 - 大昭 - 開拓 - 布川 - 北見相生

十勝[編集 | ソースを編集]

広尾線[編集 | ソースを編集]

  1. 愛国駅&幸福駅があったことで有名だった。
    • 今も「愛国→幸福」の切符は地元のバス会社が販売している。
      • 公式の萌えキャラまで存在している。
    • ブームの火付け役はNHKの「新日本紀行」。
  2. 日高本線と接続する計画だったがどちらも伸ばせずに終わった。
  3. 津川雅彦が復活させようと関連してイギリスからお城を日本に持ってきた。(とん挫した後に群馬県に移設されたロックハート城がそれ)
  4. 1981年に帯広空港がこの路線の近くへ移転してきたがアクセス線として利用しようという計画はなかった模様。
    • 空港の位置は旧幸福駅から車で5分程度。
  • 帯広 - 依田 - 北愛国 - 愛国 - 大正 - 幸福 - 中札内 - 更別 - 上更別 - 忠類 - 十勝東和 - 大樹 - 石坂 - 豊似 - 野塚 - 新生 - 広尾

士幌線[編集 | ソースを編集]

  1. 帯広から十勝平野を北上し、十勝三股までを結んでいた路線。
    • 当初の計画では十勝三股から上川まで延ばすつもりだった。
      • 鉄道敷設法の廃止までそれが有効だったものだから、のちのち糠平以遠を部分廃止することができず、普通車タクシーで「代行バス」を続けるという奇妙な運行形態を取ることに。
        • 糠平以南が健在だったころはまだマイクロバスだった。
  2. 国鉄分割民営化の8日前となる1987年3月23日に全線廃止。
    • 糠平~十勝三股間は1978年限りで休止状態だった。
  3. 代行バスも徐々に減っていき、2003年以後は一般路線バスは糠平温泉までしか来ない。
    • 糠平~十勝三股間は上士幌タクシーが走らせていたが。
  4. コンクリート製アーチ橋を多く用いており、それが当地の景色と良く調和しているなどのことから、廃墟・廃線巡りマニアの心を鷲掴みにしている。
    • 一部が北海道遺産に認定されるなど話題となったが、当地の管理権限を持つ電源開発は「地元から特に要望が無い」という理由で保存に非協力的態度を取り続けているので、失われるのも時間の問題と思われる。
      • 有名なタウシュベツ川橋梁も地震の影響で一部崩落している。
    • 別の場所にある「第五音更川橋梁」では転落事故があった。
  5. 電力所前仮乗降場は勾配上にホームがあり安全上下り列車が停車できなかった。
    • その代わりに隣の黒石平駅が下り専用だった。
  6. 今となっては音更町内までは残せなかったものかと思ってしまう。
  • 帯広 - 木野 - 音更 - 駒場 - 武儀 - 中士幌 - 新士幌(仮) - 士幌 - 北平和 - 上士幌 - 萩ヶ岡 - 清水谷 - 黒石平 - 電力所前(仮) - 糠平ダム(仮) - 糠平 - 幌加 - 十勝三股
  • 糠平ダム仮乗降場は全線廃止前に廃駅(時期不明)。
  • 糠平 - 十勝三股間は全線廃止の9年前となる1978年にバス代行化されている。
    • その9年間で、線路は草むらに埋まったところや、果てはレールの間に木が生えたところさえあったと言う。

釧路・根室[編集 | ソースを編集]

白糠線[編集 | ソースを編集]

  1. 炭鉱への路線としてまず白糠~上茶路間が開通。
  2. その後、足寄への延伸が決まり、二股地区まで延伸した。
    • 国鉄も開業を相当渋っていたが、運輸大臣の後押しで開業が決定。
      • この時炭鉱は既に閉山していた。
    • その際、二股地区の駅には「北へ進む」という願いを込めて同駅には北進と命名された。
    • なお開業後は地元住民にもまともに使ってもらえないほどだった。
  3. しかし、日本随一の赤字路線となってしまい、結局延伸区間に至ってはわずか11年で廃止。
  4. 代替バスも上茶路以北は予約制になった。
  • 白糠 - 上白糠 - 共栄 - 茶路 - 縫別 - 上茶路 - 下北進 - 北進
    • 未成区間:北進(釧路二股) - 鯉方(信) - 茂螺湾 - 螺湾 - 中足寄 - 足寄

標津線[編集 | ソースを編集]

  1. 釧網本線の標茶駅から中標津を経て標津までを結ぶ本線と、中標津から厚床までを結ぶ支線で成り立っていた。
  2. JRになってからも数年間存続していたが、結局1989年4月限りで全線廃止。
    • 沿線自治体は沿線自治体は第三セクターへの転換を検討していたが、運営基金が7年で枯渇するという試算が出たこともあり断念。
  3. 代替バスも西春別~標茶と中標津~厚床の廃止が決定している。

私鉄・第三セクター[編集 | ソースを編集]

  • 太字は2022年現在存続している駅。

北海道ちほく高原鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 「ふるさと銀河線」が未だに旧名の「ちほく高原鉄道」と地図に書かかれたままになっている。
    • 会社名は「ちほく高原鉄道株式会社」。地図によっては括弧書きで併記。
    • 地元の人は「銀河線」と呼んでいたらしいね。
  2. 2006年4月についに廃止。
  3. 赤字の中、某宗男氏が存続させていたが、数年前「宗男が捕まっている今のうちに廃止だ!」と決まったらしい。
    • しかし地元住民のほとんどが廃止に反対していた。沿線自治体で反対しなかったのはJRが通る北見と池田のみ。
      • 訓子府・置戸・陸別が合併して「銀河町」と名乗っていたら望みはつながっていた。
    • 宗男のふるさと・銀河線。
  4. 確か、999のラッピング車両があったような・・・
    • 関係者がつてで松本零士にお願いしたらこうなったという。
  5. 足寄駅構内には、松山千春に関するものが置かれていた。
  6. 某川島先生が高速化して特急を乗り入れさせろとしつこく主張していた。
    • でもそれしたら間違いなく石北本線が逆にヤバかったやろな。
  7. 「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」として一部区間だけ復活?した。
    • もちろん、一般旅客営業というものではなく、陸別町内に5キロ強の路線を残して体験乗車や車両運転体験ができる施設を置いていると言う意味。
  8. これでも名寄本線開通までは札幌~網走を結ぶ主要ルートだった。
    • 札幌~滝川~富良野~新得~帯広~池田~足寄~野付牛~網走とN字型に通るルートしか開通していなかった。
    • 開通直後は滝川~富良野ルートも開通しておらず、旭川経由だった。
    • 高速道路も網走方面は道東道から分岐する。
  9. 現在は陸別町を境として以南を帯広の、以北を北見の会社が分け合って代替路線バスを運行。
    • 本数はそこそこ維持されているが、両方を通しで乗ると5時間近くかかる。

池田 - 様舞 - 高島 - 大森 - 勇足 - 南本別 - 岡女堂 - 本別 - 仙美里 - 足寄 - 愛冠 - 西一線 - 塩幌 - 上利別 - 笹森 - 大誉地 - 薫別 - 陸別 - 分線 - 川上 - 小利別 - 置戸 - 豊住 - 境野 - 訓子府 - 穂波 - 日ノ出 - 広郷 - 上常呂 - 北光社 - 北見

三菱石炭鉱業[編集 | ソースを編集]

大夕張鉄道線
  1. 北海道で最後まで頑張っていた私鉄線。
  2. 通常の営業としては、最後までSLによる旅客輸送を行っていた。
    • 廃止まで貨客混載方式の列車だった。
  3. 廃止直前の時点では、日本一初乗り運賃が安かった。
  4. いまや沿線は過疎化やダム建設による移住でほぼいなくなった。
  • 1987年廃止区間:清水沢 - (新清水沢) - 遠幌 - 南大夕張
  • 1973年廃止区間:南大夕張 - (シューパロ湖)- (農場前) - 明石町 - 千年町 - 大夕張 - 大夕張炭山
  • ()は鉄道廃線前に廃止された駅。

寿都鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 寿都と黒松内を結んでいた鉄道。
  2. 末期の本数はなんと一日1本(1往復ではない)。黒松内→寿都のみの運転だった。
  3. 湯別~黒松内は岩内線延伸区間に流用される予定だった。上記のような本数になっても、その後休止してもしばらく路線が存続していたのはこの為。

黒松内 - 中の川 - 湯別 - 樽岸 - 寿都

雄別鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 釧路駅から阿寒駅を経て雄別炭山までを結んでいた路線。
  2. 親会社の雄別炭礦の経営難もあり1970年に廃止された。

釧路 - 新釧路 - 中園 - 雄鉄昭和 - 北園 - 鶴野 - 北斗 - 山花 - 桜田 - 阿寒 - 古潭 - 新雄別 - 真澄町 - 雄別炭山

関連項目[編集 | ソースを編集]