北陸の城

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富山[編集 | ソースを編集]

魚津城[編集 | ソースを編集]

  1. 1582年、上杉氏の城だったが柴田勝家ら率いる織田勢に攻められ落城。その後数日で本能寺の変が起こり織田信長は横死。柴田らも引き返すことに。あと数日持ちこたえることが可能だったら…
  2. 城跡は現在は小学校になっている。学校長の許可なく入れない。
    • 多分 見学を申し出れば見られるんだろうけれど、町中の平城なのであんまり何も残ってないかも。

富山城[編集 | ソースを編集]

  1. 堀、天守閣(資料館)なんかがある平城の公園。
  2. 県庁所在地の城なのにいまいち有名じゃないのは越中そのものが加賀金沢藩百万石の一部だったためか。
    • なんだかんだ言っても、富山支藩・城下町としての富山の歴史は200年くらいはあったはず。それにも関わらず、こんな感じ。
    • 明治に廃城になって戦後に再建されている、という事情はあるかも。県民からしても「歴史的な城」というより「モニュメント的な城」のイメージがある。
  3. あと合戦も大きいのがなく、越中の戦国大名の神保氏がいまいち有名じゃないせいか。
  4. 確か天守閣が登録有形文化財に指定されていたはず。
    • ただし、歴史的価値が評価されたのではなく、地域の核となる景観を生み出しているからとかいうビジュアル的な理由によるというオチが付く。
  5. 県庁所在地の城であり、堀なども多少残っている歴史ある城跡だが、日本百名城からは漏れた。まあ、浜松城ですら外す鬼畜判定だから、どうってことないが。

高岡城[編集 | ソースを編集]

  1. 前田利長が隠居所として作ってから一国一城令で廃城になるまで、たったの5年間しか城としては存在していなかった。なのに、日本百名城の1つである。
    • 後述の理由で保存状態が非常に良いのと、候補のライバルである富山城が模擬天守な上に史実を無視した復元をしているからだろう。
  2. 特に天守閣や櫓はない。でも古城公園の堀や石垣を見てるとこういう百名城も良いと思う。
    • 敷地内に動物園があるが、小田原城と違って城の主要な場所にないのと無料な割に多様な動物が見られるため、こちらはアリだと思う。
  3. 百名城に選ばれるくらい保存されていたのは廃城後も米倉にしていたり堀を残していた前田家と、明治になってから売却を防いだ町の人たちの努力の賜物。

放生津城[編集 | ソースを編集]

  1. 明応の変で命からがら逃げてきた足利義材をかくまった城。
    • この頃の神保家は強かった。
  2. 今じゃ小学校の下敷きになってる。
  3. 昭和天皇御製歌碑がある。

安田城[編集 | ソースを編集]

  1. 遺構がよく残っていたので平成に入って復元された。
    • 城跡がそのまま水田として利用されてた模様。
  2. 水堀にはスイレンの花が咲く。

石川[編集 | ソースを編集]

金沢城[編集 | ソースを編集]

五十間長屋
  1. 加賀百万石の本拠地。
  2. 兼六園も前田家の庭園だし、城の範疇に含めて良い気もする。向かいだし。
  3. 平城だが、石垣とかは3段くらいになっていたり結構高かったりする。
  4. 五十間長屋は昔の工法で復元された。釘を使わないとか、職人の技出造られている。100年後に文化財になれるかな?
  5. 石川門の屋根瓦は銅板葺きだったかで、白い。写真をみて「さすが金沢、雪が積もってるなぁ」とか思ったりするがそれは瓦の色だ。
    • 正確には銅を配合した鉛瓦。このため、城内の池や外堀では鉛の溶出による水質汚染がないか定期的に検査している。
  6. 城跡の森は明治に廃城になってから生えたものだが、かれこれ100年くらいたつので、これはこれで生態学的に(?)価値があるらしい。
  7. 昔は、ここに大学があったんだっけ?金沢大学だったかな。
    • 東京大学の赤門に対して旧金沢大学は黒門があった。どっちも加賀のお殿様が作ったもの。
  8. 城内にバリアフリーのエレベーターがあるのにはビビった。
  9. 大元をたどると加賀一向一揆の拠点、尾山御坊(金沢御堂)。
  10. 21世紀美術館とか兼六園とか金澤神社とか尾山神社といった観光地が一通り揃っている。
    • 21世紀美術館以外は江戸時代の町割りが良かったのとそれが今も残ったのが好影響。

小松城[編集 | ソースを編集]

  1. 平城。今はすっかり公園。
  2. 天守等は残っていないが、庭園が残っている。
    • さすがは兼六園を造った前田の殿様の城だっただけあり、そこそこ立派。
  3. 堀があって資料館があって、横に高校があるあたりは城跡の定石どおり。
  4. 芦城公園からちょっと離れたところに天守跡がある。
  5. 前田家の城だった割に、福井側ではなく金沢側の梯川が自然の堀になっているのってなんか理由があるんやろかと思ってしまうが、よくよく考えると昔は今江潟や柴山潟がもっと大きかったので片山津辺りまでずっと沼地という天然の防御システムがあった。

大聖寺城[編集 | ソースを編集]

  1. 元々は山城。
  2. 麓の神社は小さいながらも庭園部分が残されている。さすがは前田の殿様の城だっただけはある。
  3. 大聖寺城の山城は石垣や櫓は残っていないが、郭跡が結構ある。歴史好きには散策すると楽しい。
    • が、あずまやが壊れてたり、道の整備がちっともされていなかったり。階段があるからって降りてみたら途中で道が崩れてなくなっていたり、草ぼうぼう、蜘蛛の巣まみれになっていたり。整備してよ~
      • 維持管理できないんならてっぺん近くに遊具なんか設けるなよぉ。
      • そんな状況なので案内板に道があっても行けるとは限らない。南側の道から登って南側の道へ降りることを推奨する。
  4. 明治になった頃、城の洞穴で偽金造りがおこなわれていたとか。

穴水城[編集 | ソースを編集]

  1. 城山公園として桜の名所になってるようだ。
  2. 長谷部神社の近所。
    • 町役場の近所の方が正しいか。
  3. 一国一城令の前に、すでに廃城になってたそうな。
  4. 能登の長氏の城と言われても、なかなかピンとこない。

七尾城[編集 | ソースを編集]

  1. 前田慶次の居城
    • ほんとは利家の元居城
  2. 日本五大山城とされるが、本当は三大どころか、日本一の難攻不落の山城
    • あの上杉謙信でさえ合戦で落とせなかった城だが、信長の野望ではあっけなく籠絡できる。
  3. 今はタダの石垣
    • 堀切が本丸と二の丸の間しかないのが古様。戦国後半期に築かれた城ならもっと多用しているはず。まあ、そのおかげで登りやすいのだが。
  4. 小中高性の遠足のメッカ
    • ウィキペディアだと大手道旧道使用は、「本丸まで徒歩は、実質厳しく」などと書かれているが、もともとはかなり整備されていただけあって意外と歩きやすい部分が多く、城好きなら普通の難易度。ただし、それでも本丸までの距離がそこそこあるのと、段差が大きく角度が急な階段が多いのだけは注意。
    • 謙信が褒めたというだけあって本丸からの眺めは、海と半島が複雑に絡み合い非常に美しい。

小丸山城[編集 | ソースを編集]

  • 所在地:七尾市
  1. 利家とまつの元居城 
    • その影響か桜の木が多い
      • そして慶次とまつがその桜の木の下で逢引を重ねていた。
  2. 現在は公園と相撲場
    • 慶次と奥村助右衛門が相撲を取ったことでも有名
    • 54代横綱輪島もここで子供のころから黄金の左を見せつけた
      • ちなみに元関脇舛田山もここで引き落としやはたき込みを決めていた。
      • ついでに元関脇栃乃洋もここで突き落としを決めた。
      • しかし元大関出島は休場でここで相撲を取ることはなかった。
    • 現役関取遠藤の銅像が立っている。

末森城[編集 | ソースを編集]

  1. 奥村助右衛門の元居城
  2. 上杉謙信に攻められ、柴田勝家に攻められ、ついには援軍の慶次とともに助右衛門は、佐々成政に攻め落とされた。

能登島城[編集 | ソースを編集]

  • 所在地:七尾市?
  1. 城のある能登島は現在上陸が禁止されている。そのため詳細な情報は不明である。
    • 上陸には某国との微妙な外交問題があるため調査にはビッグマウス親善大使本田圭祐の承認が必要。
    • 島の周囲には、「不審船に注意」の看板が掲げられているという。
  2. 一説によると、長谷川等伯が築城したと言われている。
    • その後、前田利家に引き継がれ、明治維新後は、草加拓海の祖父元海軍参謀・中将・草鹿龍之介に払い下げられるが、原爆投下の戦後、GHQに接収されるも、85代内閣総理大臣森喜朗の懸命な努力により、森自身が取り戻したと言われる。
    • 近年に至っては、松井秀喜がヤンキースでワールドシリーズMVPを取った際に、後援会長でもある森より贈与されたといううわさが飛び交う。
    • 航空自衛隊輪島分屯基地より、領海、絶対防衛圏を超えた不審船や国籍不明機などに対して頻繁にスクランブルがかけられている。
  3. なんかこの項目、アンサイクロペディア認定っぽいんだが。

荒山城[編集 | ソースを編集]

  • 所在地:金沢市
  1. 元々は佐々成正の砦だったらしく、前田家との戦で落城したらしい。
    • 現在は草が生い茂っており当時の様子はわかりづらい。
  2. 城までの道のりは初見の人にはわかりづらい。
    • 荒山町内の田んぼ道を通る必要がある。

福井[編集 | ソースを編集]

丸岡城[編集 | ソースを編集]

石瓦の天守
  1. 現存12天守の1つ。
  2. 丸岡城は、現存する日本最古の天守閣が残る城。天正4年(1576年)に柴田勝豊が築城。
    • 最古を争っている犬山城と内部が似ている。
      • 天守からの眺めがいいのも共通点。ただ、周りは割と住宅地な上に高さは余りないので、近くまで来ても城が見えなかったりする。
  3. 天守閣の瓦は石。そんな重そうなものを瓦に?
    • 瓦を補修しているところもコンクリだったり。
  4. ここの城主だった本多作左右衛門が日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」を書いた。それにちなんで「日本一短い母への手紙」イベントをやっていた。
    • え、ここの城主やってたころの手紙じゃない?気にするな。

福井城[編集 | ソースを編集]

春のお堀端
  1. 平城、現在は県庁等が居座る。
    • 城の近くに県庁等があるのは珍しくないが、お堀のど真ん中に鎮座してるのは中々無い。
  2. 天守閣等はないが、石垣、堀はしっかり残る。あと堀を渡る屋根付きの橋も復元。
  3. 銅像がやたら多い気がする。藩組の徳川(結城)秀康、由利公正、横井小楠 他。
  4. お堀端の桜が美しい。春限定の話だけど。

北の庄城[編集 | ソースを編集]

  • 所在地:福井市
  1. 柴田勝家とかがいた城。現在の福井城の前身。
  2. 昔は柴田神社しか残されていなかったが、ちょっとだけ復元されて資料館もつけられている。
  3. 賤ヶ岳の合戦で豊臣秀吉に攻められ、落城。柴田勝家、お市の方の夫妻は自害、お市(茶々)、初、江の三姉妹は秀吉に引き取られた。
    • 三姉妹の像もある。
  4. 上記福井城と、いう程の距離は離れていない

一乗谷城[編集 | ソースを編集]

  • 所在地:福井市
  1. 越前朝倉氏の本拠。
    • 全体が特別史跡、庭園4つが特別名勝、出土品は重要文化財のトリプル指定。
  2. 麓の一乗谷の城下街、館跡は復元されていたり、有名。観光客もそこそこ居たりする。
    • だが、城そのものは山城で上らなくてはいけない。そこまで行く人はどれほどいるのやら。と、書いている本人が時間的都合で麓しか行ってなかったりする。
      • 土塁ばかりが目立っている感じだった記憶がある。
    • 江戸時代以降の町並みを復元するのは割りとあるが、中世のを徹底的に復元しているのは、ここと草戸千軒町遺跡を再現した福山城横の広島県立歴史博物館くらいだろう。
    • 復元町並には火災に備えて消火栓が設置されているが、特に色を変えるなどはしていないため、歴史を感じさせる遺構の中で真っ赤な消火栓が抜群の存在感を放っている。
  3. 白戸次郎氏ゆかりの地でもある。
  4. 越美北線の本数が少なすぎて公共機関だと行きづらい。
    • 福井駅からバスで行ったほうが運賃は増えても本数があって予定が立てやすい。往復割引券もあるし。
    • 遺跡内の移動は、資料館と復原町並で貸してくれるレンタサイクルを使うと楽。
      • 体力と気力がある人なら、いっそ福井駅からレンタサイクルを使うのもあり。距離は10km以上あるが、福井駅前のレンタサイクルは営業時間が長い上に、1日500円で電動自転車を貸してくれるので。

金ヶ崎城[編集 | ソースを編集]

  1. 南北朝時代の山城。
  2. むしろ織田氏による朝倉氏の際、浅井氏に裏切られて撤退戦をすることになった「金ヶ崎退き口」の際の舞台として有名か。
  3. どうでもよいが、金ヶ崎の戦いの時に雑賀孫市が織田方に傭兵として居たってのは司馬遼太郎氏の「尻喰らえ孫市」での創作だよな?ゲームとかでも流用されてるけど。