南さつま市

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薩摩川内 姶良  
いちき
串木野

鹿

 
  桜島
鹿



南さつま
九州
 
枕崎
宿
   
三 島  
十 島

南さつま市の噂[編集 | ソースを編集]

  1. ひらがな市ブームに乗って作られたと思われる…まあ、「薩摩」と言う字は字画が多くてひらがなの方が良いが。(実際に薩摩川内市では不評)
  2. ここがこんな名前にしたせいで、頴娃・知覧・川辺の合併協議会は「南九州市」というひっくり返るような市名を名乗ることに…。
  3. 加世田、坊津などアクが強く口が悪くて気性が荒い同志の合併なので地域としての一体性にやや欠けるが、枕崎や川辺などの協調性のない自治体が加わらなかったために、徐々にまとまりが出始めている。
    • 南薩出身者は、気が短く喧嘩早い人が多い。威圧的な言動も多く、加治木ザル、川内ガラッパと並び薩摩三羽カラスと曲者扱いされやすい。小泉純一郎も父方から恐らくその血を受け継いだのだろうw(現在の住民は比較的おだやかな人が多いが)
  4. 知覧と同じように特攻基地があったのだが、その存在は地元民以外は殆ど知られていないし、知覧のように有名にしようとする努力も無い。ちなみに基地を誘致したのは小泉純一郎の父(これは本当か?)。
  5. 名実ともに南薩の中心地であることは確か。鹿児島県の合同庁舎、農業改良普及センター、公共職業安定所、農政事務所、保健所、警察署、大阪航空局の出先、簡易裁判所、火葬場、法務局などの官公庁、金融機関、百貨店からカーディーラー各社まで揃っており、街の規模の割に利便性が高い。かなりの用事を狭い地域で済ますことができる。
  6. 最近ではパチンコ店の進出も多く、周辺地域から広く集客している。
  7. 転勤族が多いためか、比較的都会的住民も多い。
  8. 吹上浜海浜公園や亀ヶ丘などの風光明媚で素晴らしいところがあるが、それを生かしきれていない。
    • 「吹上浜砂の祭典」は吹上町じゃなくてこっちでやってる。
  9. あらゆる場所に駐車場があり、車を運転できる人にとってはとても便利。
  10. 戦国末期から江戸初期にかけては大陸との貿易も盛んだった。
    • 薩摩一般が儒教色が強いのは、朝鮮陶工の影響もあるが一つには直接中国伝来らしい。
      • 朝鮮人陶工を連行してくる遥か以前から、桂庵玄樹を筆頭に学僧たちで作られた薩南学派と呼ばれる一派が論語の日本読みを完成させるなど儒学力を高め、島津氏にも伝えている。よって朝鮮人陶工の影響ではない。
    • 中国南部の海の女神「媽祖」も祀られている。「野間」は一説には「娘媽」(「のうま」と読む)から来たとも。
    • 鎖国の際に薩摩残留を決めた明の商人はその地位に応じて士分待遇となった。
    • たぶん、もっと古い。中世には日本三津の一つだった。
  11. 一帯を管轄する警察署は加世田警察署だったが、警察署までもが合併にあわせて「南さつま警察署」を名乗った…。
  12. 鳳凰高校の女子の制服はエヴァンゲリオンの制服にそっくり。
  13. 錫山バイパスが開通して以来、鹿児島市内との接続が格段に良くなり通勤圏になった。
    • が、冬場は峠越えで死ぬ思いをすることになる。
  14. 万之瀬川河口の町。
  15. 水陸両用バスを導入するという話で試験運行をしていたが、続報を聞かない・・・

加世田[編集 | ソースを編集]

  1. 昔、旧加世田市で残酷な事件が起きた。1957年5月22日生後8ヶ月の女の子が荒縄で縛られて死亡していた。その2日後近くの5才と6才の子が寝てた女の子を縄で縛り40m引き摺り溝に落としたらしい。因みに犯行を犯した二人は年齢もあってか釈放されて今もどこかで生活しているらしい。地元ではこの話はタブーとなっており当時を知る人々の間でのみ語り継がれているらしい。ここまでくれば一種の都市伝説か?
  2. 「笠沙」がなまって「加世田」になったと聞いたことがあるが、真偽やいかに。
    • 大浦・笠沙も含め加世田郷だった。
    • だから、合併しても「加世田市」のままでよかったとあれほど(ry
  3. 日本発祥の地らしい。
  4. 知覧ほど有名じゃないが、加世田の万世にも特攻基地があった。
  5. マックカフェ鹿児島一号店は何故か、ここに出来た。
  6. 自転車の街。サイクルサッカーの世界選手権が開催されたこともあったり、ツール・ド・南さつまなど自転車のイベントもよく開催されている。
    • 廃線跡が自転車専用の県道になった。
  7. 九州唯一の、うどんの自動販売機がある。かき揚げでだしを取ると旨い。
    • 設置しているのは加世田なのに「阿久根」商店。
  8. 「かせだ~♪かせだじどーしゃがぁあっこう~♪」
  9. サッカーで「半端ないって!」って言われた某FWの出身地。

金峰[編集 | ソースを編集]

  1. 金峰の某祭りは子供にとっては秋田のなまはげより怖いらしい。
  2. 日置郡だったが伊集院とかにそむいて加世田についた。
    • 串木野までは流石に遠くて意識が向かなかったようだ。
    • 完全に加世田の生活圏。ここは加世田に付いて正解。
    • そもそもNTTが加世田MA管轄だった訳だし、実態に即していたわけだ。
      • 日置郡北西端の市来町が串木野にくっついたのと同じ図式(ともに川内MA)。
  3. その名の通り、昔はが採掘されて栄えていた。
  4. 場外舟券売り場がある。
    • 鹿児島市内まで送迎バス(ラッピングバス)が走ってる。乗客は年寄りだらけ。
  5. 金峰町時代は「おむすびマラソン」なる大会があった。
    • KKBで「新婚さんいらっしゃい」の前に必ずといっていいほど、テーマソングとともに映像が流されていた。
  6. 阿多で国道270号と錫山街道が交わるが、どちらを加世田に入りやすい直線道路にするか主導権争いの工事は続く。
  7. 田布施という地名がある。たまに陰謀論者が山口の田布施と関係があると主張している。
  8. 「金峰コシヒカリ」が有名。
    • コシヒカリとしては日本一の早場米なのが売り。
  9. 「いなほ館」という温泉施設があるが、いつのまにか土日祝のみの営業になってしまった。

大浦[編集 | ソースを編集]

  1. 県立笠沙高校は、なぜか笠沙町じゃなくてここにある。
  2. その笠沙町にあった中学校を統合して、大浦中学校の場所に大笠中学校が開校した。読めん。
  3. 「昭和の大合併」の流れに逆らうが如く、笠沙町から独立した地域。
  4. 南さつま市入りしても地名はそのまま(川辺郡大浦町○○番地→南さつま市大浦町○○番地)
    • 大字なのか町名なのかよくわからない。
      • 一応大字なしの区域に大字を設置した形になっているらしい
  5. 町の北部は国営干拓事業により大浦潟を干拓して作られた。

笠沙[編集 | ソースを編集]

  1. 芋焼酎が作られる。
  2. 薩摩半島の隅くじら(すんくじら)
    • 鹿児島市から行くにしても2時間近くかかる。
  3. 西加世田村からいきなり笠沙町になった。
  4. 笠沙恵比寿
    • 建物はJR九州でおなじみの水戸岡デザインだが、客の入りは芳しくない模様。
    • 薩摩剣士隼人・第二部のロケ地になった。劇中で見る限りではカッコいい感じだった。
    • 笠沙恵比寿は潰れて、どっかに経営委託したんじゃなかったっけ?
    • 2020年2月で閉館。
  5. 実は笠沙周辺では福岡のLOVE FMが聴ける。聴いている人がいるかは知らん。
  6. 宇治群島もここ管轄。
    • 地図上では雀島の600メートル北に島があることになっているが誰も見たことがない。

坊津[編集 | ソースを編集]

  1. 戦艦大和が沈んだ海域にもっとも近い陸地である坊ノ岬は、ここ南さつま市の旧坊津町地域にあり、坊ノ岬灯台が建っている。
  2. 鑑真が上陸した。
    • 文字通り、坊さんの船着場。
  3. 某国のスパイも上陸した。詳細はここで。
  4. 他所者から見ると、枕崎市と合併した方がいいような気がするんだが、よっぽど仲悪かったんですか?
  5. 他所者からすると、枕崎からのほうがバス交通は至便だったりする。
  6. 玉川学園の系列校があったらしい。

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  1. いわゆる坊津。
  2. 日本三津の一つ。
    • 坊津町時代には、ほかの2つ(福岡市津市)とも姉妹都市提携をしていたらしい。
  3. 朱印船貿易で栄えたらしい。
  4. 江戸時代には、薩摩藩の清への密貿易の拠点だったという話もある。

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  1. 琉球方面への貿易船は、なぜか坊ではなく泊から出ていたとか。
  2. 鎌倉時代に島津家が琉球を討伐に行こうとした際も坊ではなく泊から出航しようとしていたとか。

久志[編集 | ソースを編集]

  1. 町役場のあったところ。
  2. なんだかんだで、ここも坊や泊とならんで天然の良港として重宝されたらしい。
    • 薩摩藩が編纂した地理の書誌にもその旨、記載があったとか。
  3. 博多浦の唐人町には鎖国前までは本当に唐人が住んでいたらしい。

秋目[編集 | ソースを編集]

  1. 鑑真和上が上陸した地。
  2. 『007は2度死ぬ』のロケ地。
  3. 大浦町のせいで実は飛び地状態だった。