呉市
ご当地の噂 - 世界 > アジア > 日本 > 中国地方 > 広島 > 安芸 > 呉市
島根 | 北広島 | 安芸高田 | 三次 | ||||||||||
安芸太田 | 世羅 | ||||||||||||
東広島 | 三 原 | ||||||||||||
廿 日 市 |
広 島 | 府中 | |||||||||||
海田 | |||||||||||||
熊野 | 竹原 | ||||||||||||
坂 | 呉 | ||||||||||||
大竹 | 宮 | 江 田 島 |
大崎 上島 |
大 三 島 |
生口 | ||||||||
和木 | 蒲刈 | 豊 | 下 | 岡村 | 伯方 | ||||||||
岩国 | 倉橋 | 瀬戸内海 | 大島 |
独立項目[編集 | ソースを編集]
- 主要地域
- 名スポット
- 橋梁
- 商業施設
呉市の噂[編集 | ソースを編集]
- 呉のラーメンは「酢」を入れて食べる
- そんなこと、したこと無いがな(by呉市民)
- うちの爺さんもそんなことしなかった(BY呉市民)
- これは無い。酢ゾー麺あったがこれは別に呉に限ったものではない(BY呉市民)
- 明治時代には全国有数の大都市(とは言っても10万人ちょっと…)だった。
- 当時は凄いよ、それ。
- また1943年には人口が43万人にもなった。(現在の2倍で当時の広島では最大の人口)
- その当時の呉市の範囲って仁方から吉浦までで、郷原や天応も含まれてないのにすごいな。
- 戦争で軍艦建造のため多くの労働者が造船の町呉に集まったし、多く兵隊が呉に終結し海外へ。
- 戦地に赴く人帰ってくる人は多く呉港を基点としていたので多くの家族が面会や見送りにきた。
- 地方紙は一県一紙が原則だった戦時中にも例外的に中国新聞(広島県の県紙)と別の新聞が存在できたほど。
- そもそも呉って安芸だっけ?
- 市の大部分は元安芸郡。
- 広域合併で編入されただけ仁方から天応までが旧呉市。
- 広は旧賀茂郡広村。
- 焼山の人は呉の町に行くことを「呉におりる」という
- 吉浦・天応や隣接する坂町の小屋浦の人は呉の町に行くことを「呉に行く」、広島市中心部に行くときは「広島に行く」という。決して「市内に行く」とは言わない。
- 広の人も呉の町のことは「呉」という。
- 呉の人は、肉じゃがは、呉が発祥といいはる。対抗する舞鶴市には、レシピが残るが、司令長官が舞鶴の前に呉に赴任していたという理由にかこつけ、呉で考えついたといいはっている。「肉じゃがタンゴ」もある。
- 千福一杯如何です~♪の三宅本店も忘れないで下さい。
- やたらとCMソングが豪華な気がする。
- 知名度を上げることができたのは海軍の多くの軍人に愛されたため。
- 海上保安大学校がある。
- 「海猿」のロケ地が結構ある。
- 「呉」「広」と、漢字1文字の駅が2つもある。
- 市の職員をコネクションで採用して前市長などタイーホ
- スーパー藤三
- 藤村3兄弟が創業したから、藤三。
- イオン系(ジャスコ広店・マックスバリュ)やイズミを相手に、健闘している。
- ジャスコ広店は昔、今の広交差点付近にあり、その昔は「やまてや」という店名だった。
- 「やまてや」は呉の中通が本店で広や三原にも店舗があった。後にジャスコ子会社化(山陽ジャスコ)を経て吸収された。今のハウディプラザ→クレアルは「ジャスコ呉百貨店」だった。
- 中通に「ジャスコセイデン」という家電+ホームセンターみたいな店があったのを覚えている人はいるかな? ジャスコと神戸の星電社(今はヤマダ電機系)の合弁だったらしいが。
- 大呉百貨店という呉で唯一のデパートがあった。
- 今のプレアルの場所である
- 銀座デパートも無くなったね
- 今のプレアルの場所である
- レジ袋のデザインが凄い。
- 創業者が藤村三郎だったから藤三という説もある。今は4代目か5代目らしい。
- 「見てくれ」とか「来てくれ」とかいうコマーシャルがある。
- 正月に門松を飾らない代わりに門松が印刷された紙を玄関に貼る。
- 我が家もつけています(by岡山市民)
- 呉のうどんは細い。
- 海猿やら男たちの大和やらで俄かに注目?
- 呉市では「メロンパン」の事を「コッペパン」と言う。又、呉市での「メロンパン」は別のパンの事である。
- 「お母さん!間違えんさんな!ますやみそよ!」の本社がある。
- 備後側から行くと、広島に行くより時間がかかる。
- 昔は路面電車が走ってたとか。
- カントの影響なのか呉越(旧国道185号)のカーブは谷切りになってる所がある。
- 呉越は呉越峠の略。決して呉越同舟の略ではない。
- あの坂を路面電車が走っていた。上りモーター。下りは発電機。
- 川原石から長浜までの約11km
- 市電廃止後に呉から伊予鉄に行って、里帰りした車両が呉ポーに展示中。野ざらし―
- 2001号車は呉市の保存鉄道意識が無く廃車同然になり解体。
- カントの影響なのか呉越(旧国道185号)のカーブは谷切りになってる所がある。
- 休山トンネルは戦前から計画があった。
- 渋滞解消が目的だったが、結局混んでる。
- てか先小倉まで三車線かしてくれ・・・
- トンネル無い時の東畑から呉越えの交通量を想像して呉。
- 渋滞解消が目的だったが、結局混んでる。
- 冷麺は平麺。
- 太田川から水を引っぱっている。
- 海軍の存在で呉の水資源は戦前から確保され、戦後は工業用水として活用された。
- 焼山の本庄水源池は桜の名所。
- 東広島の三永水源地は呉の水道用で東広島市用ではない。藤の名所。
- ネイティブの発音は「くれぇー」
- 他の県内主要都市の市外局番は3桁になっている(広島 082、福山 084、東広島 082)のに、呉は一途に4桁(0823)。
- かって広島は0822だった。
- CATVがない。(面白い番組も見れない)
- 蒲刈周辺の田舎でしかCATVが見られない
- ちょ、それ、ただの難視聴対策…
- 蒲刈周辺の田舎でしかCATVが見られない
- 呉市で「くれしん」といえば呉信用金庫。これのことだけではない。
- 呉の田舎(仁方より東)はCATVが視聴できるくせに市内中央では視聴できない。
- 教育上の理由等で、呉市教育委員会が圧力
- テレビ見るなら、社会教育の勉強しなさい。wwwww
- 呉市の公務員も反対
- 税金節約のため、ケーブルテレビは市民に必要なし
- 教育上の理由等で、呉市教育委員会が圧力
- 郵便番号737には奇妙光景が....
- 灰ヶ峰の標高737m
- 灰が峰の標高昔は703mと習ったいつ隆起したんでしょう。
- ボンネットバス(呉市営バス)の車両番号737
- 呉市役所から呉市立図書館までの距離が737m
- かつて広島空港(その後廃港となった広島西飛行場)と羽田を結ぶ定期便のボーイング737型機が、灰が峰上空を飛んでいた。
- 灰ヶ峰の標高737m
- 日本有数の軍都であることが誇り。駐留してるのも自衛隊だけだし
- 毎週日曜には艦艇や地方総監部(旧呉鎮守府)の一般公開が行われている
- 旧軍の遺産を一番大事にしている都市かもしれない
- そんな事はない。海上自衛隊呉教育隊の敷地内に呉市管轄の旧軍の建物を使った資料館みたいなのがあるが、台風で壊れた後、全く修理してない。
- 海軍無くなって一転失業者の町に、都市計画もままならず陸の孤島みたいなところで外からも人は流入しない。結果古い建物や施設が残って、それが今は結果として歴史的景観を残しているだけ。
- 呉港に米軍施設(弾薬庫関係)ありますけど・・・
- 週末はセーラー服を着た兄ちゃんが一杯ウロウロしてる。週末じゃなくても自衛官はいっぱい居るが良く見ないと判らない。
- ちなみにセーラー万年筆は呉市で創業。今も天応町に工場がある。
- セーラー服を着た姉ちゃんはいない。
- 岸壁停泊中の潜水艦とか港内に停泊中の艦船も写真取り放題。アメリカ人もびっくり。あちらだとスパイと間違われるって!
- 市当局が出しているパンフレットでも艦船ウォッチングを勧める記述がある。
- 海軍の街。
- 平和宣言都市・広島となまじ近いだけに余計目立つ。
- 呉市役所(呉市内)関係の電話番号は全て「(0823)25-3xxx」で、下3桁が異なるだけである。
- 仁義なき戦いの舞台の一つ(元軍港なのでスクラップ目当てに戦後ヤクザが増えたらしい)
- 舞台というより発祥の地、呉れ無くして「仁義なき戦い」は語れない。
- 共政会の初代会長とか「仁義なき戦い」の主人公のモデルとかも呉の人。
- 祝:呉市内に初のFM局が2009年の春に開局決定!!!!!!!!!
- J-WAVE系のラジオならいいですね。
- 2010年秋現在、未だ開局せず。
- 2014年春、未だ計画は座礁中
- ちなみに終戦直後の呉にはイギリス連邦軍(進駐軍)放送局が置かれていたことがある。
- クイズマジックアカデミーの「次の地図のうち、呉の国はどこ?(地図をタッチして選択)」という三国志関連の問題で、呉市を指した猛者が居るらしい。
- ハヤブサのエンジン担当は日産とIHIの関連会社IHIエアロスペース社
- ロッキード事件で田中角栄を起訴逮捕に持ち込んだ時の検事総長布施健は呉出身である。
- 元巨人軍のショート広岡後ヤクルト監督は呉出身である。
- ロックミュージシャン浜田省吾は竹原生まれで呉の高校を卒業した。
- 国生さゆりは高校時代は呉で過ごした。父が自衛官で呉に赴任したので。
- 歌手俳優で幸福の科学の小川知子も一応広島出身といわれているが呉出身とも言われている。
- それこそ仁義なき戦いの末、同じビル内に宮島競艇と徳山競艇が別々に場外舟券場を設置する異常事態に。
- みなと祭りは思ったよりも人が来る。35万人来るんだそうです。
- ついにそごう閉店。跡地はイトーヨーカドーまたはヤマダ電機が来ると噂されている。
- 戦前は軍港だけに現在より更に地位が高く(上にある通り)、呉線の開業後は東京から下関への列車が呉によるためわざわざ経由してきていた。
- 特に特急「富士」と並んで朝鮮・満州・シベリア方面への国際連絡運輸を担った急行7・8列車は象徴的。展望車や一等寝台車も連結していた。
- 一方で軍港のため「要塞地帯」と位置づけられ、今のように瀬戸内海を眺めることは出来ず車両の鎧戸を閉めさせられたらしい。
- 絵葉書でも灰ヶ峰の稜線が改竄されていた。
- 戦後も急行「安芸」があったが、昭和50年代のブルートレイン「安芸」は最盛期とは全く違う黒歴史列車となってしまった。
- ファミコン世代にはなじみ深いゲーム会社「ケムコ」(コトブキシステム)の本社があった。現在は後継会社が同市でスマフォゲー等を作っている。
- かつては南海ホークスのキャンプ地だった。
- 鶴岡親分が呉の出身であることと関係していたらしい。
- ここまで広電が伸びてくる構想があった。
- 呉市内にも軌道線の区間ができる予定だった。
- 市のマスコットキャラクターは「呉」の字に目玉をつけただけ。
- 中国地方の造船業の盛んな都市名の覚え方「キ○タマヒカリ」の一角。
地区別の噂[編集 | ソースを編集]
阿賀[編集 | ソースを編集]
- あがプラザ
- 「あがプ」
- 先小倉は渋滞のメッカ。
- 山と川に挟まれている。
- 呉に山が、広に川がある。
- 安芸阿賀駅(阿賀駅)は新しいが、予想してたよりもしょぼい。
- 売店は無くなり、改築当時は自販機すら無かった。
- 昔「豊栄高校」があった。
- 現在は「呉高校」で、男女共学である。
- 阿賀マリノポリス計画が呉市の赤字増大で壊滅状態に...
- 呉―松山フェリーは廃止されました。
- 仁義なき戦いにおいて極めて重要な地点
- その世界では知らない人はいなかった。例えば「最後の博徒」
- アガデミア
- 東広島呉道路の終点がある。
- 道路沿いの歩道が無駄に広い。
宮原[編集 | ソースを編集]
- 呉宮原高校がある。
- 13丁目まである。
- 公園のトイレがほとんど水洗化された。警固屋はブラックホール便器すら現役だというのに…
- 坂の途中にある家が多い。足腰が鍛えられてしまう。
- コンビニが無い。以前、ポプラがあったが、期間満了で円満に閉店したらしい。
- 呉市営バスの鍋桟橋行のバスに乗ると、宮原の坂とカーブが堪能できる。
- 昔、「じゃんけん爺」という、犬を連れて子供とじゃんけんをしたがる妖怪(妖精?)がいたらしい。
警固屋[編集 | ソースを編集]
- 福岡市のそれではない。そっちは警固。
- ドック
- 音戸ロッジはここにあるが、もうすぐなくなるとか...
- もう無くなりました。残念!
- 音戸ロッジの送迎バスは年季が入っていてバスファンには魅力的だった。
- もう無くなりました。残念!
- 20年くらい前、宮原から鍋に入るあたりの道路のそばに、便器が大量に捨てられていた。
吉浦[編集 | ソースを編集]
- 多くの人は「よしゅーら」と読む。
- 予習ら
- 狩留賀海水浴場がある。(最寄り駅はかるが浜駅)
- 間違えても(芸備線)狩留家駅に行かないように…
- かるが浜駅は狩留家駅と紛らわしいからひらがなにしたらしい。
- 吉浦駅を出てすぐに「まもなく、かるが浜、かるが浜です」と言うとトンネルに入る。
- トンネル出てから放送する人の方が多い。止まる直前でギリギリ。あと、「お出口は左(右)側です」を間違えられやすい(列車によってバラバラなため)。
- 吉浦駅を出てすぐに「まもなく、かるが浜、かるが浜です」と言うとトンネルに入る。
- かっては長浜と狩留賀は旧呉市のビッグ2の海水浴場だった。狩留賀に国鉄の駅は無かった。
- 夏季限定の臨時駅なら戦後しばらく経つまであった。
- 真珠湾攻撃を立案した黒島亀人の生地。
- 外国の地名なので「パールハーバー攻撃」と言った方が...。
- 昭和11年、今の吉浦小学校と港町小学校の生徒約100人が夏休み魚見山頂上付近の水晶が採れる場所の奪い合いのケンカがだんだん激しくなり鎌・匕口(あいぐち)・日本刀などの刃物や空気銃を使っての争いになる。当時の新聞に『昭和の血煙荒神山!学童の魚見山の決闘』という大見出しで掲載される。
- 苦学して当時全国で100~200名の海軍兵学校(当時は東大よりも陸士、海兵を目指した)へ入学山本五十六に気に入られ真珠湾攻撃を立案続くミッドウェイ作戦も立案圧倒的有利な戦力にもかかわらず大敗北を喫す。
- 吉浦駅にJR呉線の快速を停めろ、と言う人がいるらしい。
- 2012年3月改正で晴れて安芸路ライナー停車、と思いきやなんと呉以北でも昼間普通が1時間1往復に。
天応[編集 | ソースを編集]
- 「て」を強調するのが正しいと思われるが、市内他地区や市外の人は「の」を強調することも多い。
- 「てんのう」のほうが広島弁っぽいと思う
- 電車の車内放送は「てんのう」って言うけど、他所の人は大体「てんのう」って言う気がする。
- 地元民は「てんのう」
- 「てんのう」のほうが広島弁っぽいと思う
- 呉ポートピアパーク
- かつては「呉ポートピアランド」という遊園地だったが...。
- ここにあった観覧車が松山のくるりんに化けたという噂はガセ。
- 観覧車はスペースワールド(福岡)にある。
- 今は住宅展示場もある
- その名も「呉ポー住宅展示場」
- 呉ポートピア駅は廃止されるという話があったらしい。
- かつては「呉ポートピアランド」という遊園地だったが...。
- 昔「発明将軍ダウンタウン」という番組に甥とともに出る常連のおじいさんがいて、必ず「広島県 呉市 天応町から来ました」と自己紹介していた。
焼山[編集 | ソースを編集]
- 正式な地区名は「昭和」らしい。何故かは不明。ほとんどの人は普通「焼山」と言う。
- 天応・郷原と共に合併するまで安芸郡昭和村だった。
- 住所は焼山で市の施設は昭和。しかし交通局は「焼山営業所」。
- スーパーの激戦区。(マックスバリュー・万惣・藤三・サンリブ・コープ)
- サンリブはエルに名称変更した。
- マックスバリュはザ・ビッグになった。というか戻った。(もともとザ・ビッグだったのが何故かMVに変更、その後戻る)
- 住宅団地の町。
- 「昭和南」「昭和東」「昭和西」「昭和北」「昭和中央」の5小学校がある。
- 東小は児童数が少ないらしい。
- 「昭和中学校」と「昭和北中学校」は、犬猿の仲らしい。
- 呉で「北中」といえば昭和北中のことを指す。
- デオデオ焼山が他店のデオデオと比べてやたら古い。
- 10月19日付けで改装のため閉店に.....
- 11月から仮店舗として、旧タック焼山店の跡地で営業
- 偽善販売は致しません。
- 11月から仮店舗として、旧タック焼山店の跡地で営業
- 10月19日付けで改装のため閉店に.....
- かつてタック焼山店(大之木ダイモ)があったが、ホームセンターダイキ焼山に負け閉店に....
- タック焼山跡地はデオデオ焼山の仮店舗営業
- 枕投げはありませんし、偽善ではありません。
- タック焼山跡地はデオデオ焼山の仮店舗営業
- 昔は「呉の避暑地」と言われとった。
- 昔は焼山というと火葬場を連想する。単なる村だった。焼山団地という呉ではじめての新興住宅団地ができた。
郷原[編集 | ソースを編集]
- 市外の人は「ごうばら」と読むが、正確には「ごうはら」と濁らない。
- 市内の人でも間違えることがあるらしい。
- ただし近年の宅地開発で「ごうばら」派の新住民が急増。「ごうはら」派の旧住民の立場は危うい。
- 学びの丘
- 某大学が建ったから「学びの丘」?
- ここは旧賀茂郡
- 黒瀬川上流に二級ダムがある。ちなみに黒瀬川は二級河川。
- 火の用心
- 焼山方面に行く途中の坂は楽しい。
- 郷原公民館(支所と兼用)の体育館ホールは地味にクーラーが入る、夏のイベントには特に嬉しい設計
- 運動公園付近にはほぼ何もない。
- 某コンビニまで1kmくらい歩かされる。
仁方[編集 | ソースを編集]
- ヤスリの町
- 製造時には味噌が欠かせない。
- 国鉄がここから堀江(松山市)までの航路を運航していた。
- かつては下蒲刈・蒲刈行きのフェリーもあった。
- 今は上蒲刈・豊島・大崎下島経由で今治に行く高速船を運行中。
- せと観光ボートのことだったら今はJRとの乗り換えが便利な川尻にとられた。あと上蒲刈は通過に。
- あくまで離島(大崎下島等)の教師用で、橋が開通して価値が無くなったためです。(船員の話より)
- 仁堀航路という国鉄の正式な連絡船が就航していたので、呉出てすぐ急行がここでも停車した。
- 新潟ではない。
川尻[編集 | ソースを編集]
- 川尻から豊町までは旧豊田郡。
- でも下蒲刈と蒲刈は旧安芸郡。
- 昔はここから福山ナンバー。
- 仁方の隣に小仁方がある
- 安芸灘大橋の色が周りに溶け込めてない気がする…
- 景色に溶けこむと船がぶつかります
- かなりの田舎
- 安浦駅より安芸川尻駅のほうが利用者が多い。
- 熊野と並ぶ筆の産地。
- 全体的にダサい。
- が、野呂山芸術村なんてものを持っていたりするので侮れない。
野呂山の噂[編集 | ソースを編集]
- 野呂山に行く途中、展望台から見る安芸灘大橋はおすすめスポット。
- 川尻から登る道路は「やまなみハイウェイ」と呼ぶ。屈指のヘアピンカーブが続くのでバイク乗りに人気。
- バイク乗りはなぜか頂上の廃小屋の前にバイクを留めている。奥のキャンプ場ではあまり見ない。
- ちなみに「さざなみハイウェイ」 誰か九州から「やまなみハイウェイ」をパチってきたらしい。
- 川尻から登る道路は「やまなみハイウェイ」と呼ぶ。屈指のヘアピンカーブが続くのでバイク乗りに人気。
- 野呂山ではイノシシに関連したお土産を売っている。
- 鉄腕DASHの坂道を自転車をこがずに下るやつをやっていた。
- 起点は野呂山
- 野呂山へのルートはかつては有料道路。
- つまり、川尻=野呂山
- 野呂山(膳棚山含む)の山頂は旧川尻町、安浦町、呉市で仁義無き戦いが行われていた
安浦[編集 | ソースを編集]
- グリーンピアがある。
- 旧安浦町長は、呉市にグリーンピアを買い取らないと合併してやらないと脅し?買い取らせた。
- 閉鎖したほうが良かったのでは.....
- 借金地獄の施設で黒歴史
- 藤田まことではない。
- 安登駅に、長さよりも幅のほうが広い県道がある。
- 「やまき」といううどん屋があり、本場顔負けの旨さ。
- コンクリート製の船がある。今は護岸として使われてる模様。
倉橋島[編集 | ソースを編集]
音戸[編集 | ソースを編集]
- 島谷ひとみの故郷。あちこちで音戸をアピってた島谷としたら音戸が合併で消えるのは寂しかっただろうな……。
- 音戸の瀬戸。
- かって平清盛がここを切り開いた。その時工事が遅れ日が沈みそうになり扇子で上に扇ぎ太陽の沈むのをおくらせた。それで後に清盛は大熱を出して病死した。歴史的には由緒ある所、地元では単なる漁師町。
- しかし近年の研究により人力では開削不可能であったことが裏付けられてしまった。
- 江戸時代から清盛に感謝する清盛祭りが行われている。
- 地元では清盛さんと呼ばれている。(呼び捨てにしてはいけない)
- かって平清盛がここを切り開いた。その時工事が遅れ日が沈みそうになり扇子で上に扇ぎ太陽の沈むのをおくらせた。それで後に清盛は大熱を出して病死した。歴史的には由緒ある所、地元では単なる漁師町。
- 本土と倉橋島をつなぐ音戸大橋は3回転ループ橋。まず外観に驚き、実際に通るともっと驚く。
- あれって自転車や歩行者は通れるの?
- 自動車・バイク専用です。自転車や人は時刻表の無い音戸の渡しをご利用下さい。
- 頑張れば通れるらしい。渡船の営業時間外とか。見たことないけど。
- かつては通れました。
- かつては有料道路。
- 普通車120円、歩行者5円
- 自動車・バイク専用です。自転車や人は時刻表の無い音戸の渡しをご利用下さい。
- 今は第二音戸大橋の建設を計画しているらしい。
- いつまでたっても出来なさそうな感じもする。
- 呉側休み山中腹から対岸の音戸側の小山へ向けて現橋の上に架ける。
- 平成25年春の供用開始を目途で建設中。
- 今は第三音戸大橋までできました
- 音戸側が三段螺旋式、呉側がループ。
- どちらも同じ回転方向だから非常に気持ち悪くなる。
- トミカの立体駐車場みたいな造り
- あれって自転車や歩行者は通れるの?
- 音戸ロッジなくなるんだって
- 音戸ロッジがあるのは対岸の警固屋です。
- 城みちるの出身地なのも覚えていてあげてください。
- 音戸の音頭は音戸音頭。
- ちりめんじゃこが特産。
- 人が来ないのでポストに「いいよ!!こいよ!!」「うん!おいしい!」と書かれる。
倉橋[編集 | ソースを編集]
- 普通車がギリギリ離合できるところを大型のバスが走っている。
- 島の端っこまで行くぞ。
- 自治体時代は「倉橋島村→倉橋町」だったわけだが、倉橋島には旧音戸町もある。
- 萌えキャラパッケージのちりめんじゃこが話題になったことがある。
下蒲刈島[編集 | ソースを編集]
- 支所は廃校になった小学校の校舎を利用している。
- 2桁県道が石畳舗装。
上蒲刈島[編集 | ソースを編集]
- 県民の浜
- 豊島と橋でつながると愛媛県まで本土から陸続きで行けるようになる。
- 橋開通しました。ちなみに愛媛県は愛媛県でも島です。
- 町の名前は蒲刈町だった。そのまた昔は上蒲刈島村
- 最近、海人の藻塩で一発当ててウハウハである。
- 「カミカマカリシマ」は早口言葉になる。
- 「カミカマガリジマ」です。
豊島[編集 | ソースを編集]
- てしまじゃないよ。
- 旧豊浜町だった所だが、豊浜町はとなりの大崎下島の一部にもまたがっていた。なんかややこしい。
大崎下島[編集 | ソースを編集]
- 橋で今治市関前とつながっている。
- 豊島と蒲刈が橋でつながると愛媛県まで本土から陸続きで行けるようになる。
- でも関前から今治港までフェリーに乗ると普通車(5m未満)6000円。
- 広島の本土に出るには普通車700円(安芸灘大橋)のみ。
- 今治へのフェリーは5m未満3910円だけどね。ちなみに、大三島へのフェリーが2040円。いずれにせよ、広島へ行く方が安い。
- でも関前から今治港までフェリーに乗ると普通車(5m未満)6000円。
- 安芸灘大橋も無料にして愛媛県まで国交省の無料区間にしてもらおう。
- 豊島と蒲刈が橋でつながると愛媛県まで本土から陸続きで行けるようになる。
- 大長みかん
- 「おおちょう」みかんと読む。愛媛みかんより美味いという話を聞く。
- 鈴木宗男の奥さんの出身地らしい。
- 何を張り合ったのか、日本一デカいジャングルジムがある。
御手洗[編集 | ソースを編集]
- どんな時計でも直す伝説の時計店として世界的に知られた新光時計店がある。
- しかし、そんな時計屋さんも、ももの家の時計は直せなかったようである。
- 御手洗が「たまゆら〜hitotose〜」「ももへの手紙」で新たな聖地巡礼スポットとなりそう。
- 「おてあらい」トイレでは無い「みたらい」由緒正しい港町である
- 広島県で2番目の重伝建地区である。
- 「おてあらい」トイレでは無い「みたらい」由緒正しい港町である
- 神功皇后が三韓征伐のときに立ち寄り、手を洗ったことが地名の由来とか。
- 地名の名付け親は平清盛公。
- 元々は、伊予国の一部で、大三島の大山祇神社の領地だったらしい。
- 安芸国に組み入れられたのは竹原の小早川水軍が、この島の周辺で制海権を握り、割譲したから。
- 芸薩交易とか御手洗条約等、幕末の広島藩の歴史の舞台になったところだったりする。