品川天王祭
天王祭の噂[編集 | ソースを編集]

レインボーブリッジを背に(海中渡御)
- 品川神社(品川神社例大祭)の方を「北」、荏原神社(荏原神社例大祭)の方を「南」と言う。
- 近年お台場の急速な発展もあって、洌崎の海中渡御が有名になった。毎年お台場海浜公園には見物の屋形船も集まる。
- 今年(2009年)は何故か海中渡御をやらなかった。荏原の御神面や宮司も見かけなかったし。何なの?
- なんか御鎮座1400年祭を巡って氏子と宮司が揉めたらしい。そのせいか2010年の初詣で町会の手伝いがいなかった。
- そのせいでいつもは荏原神社に御神面を納めて帰るのに、最終日は境内に入らないでマンションの前かどこかで一休みする羽目になってしまった。
- 2010年の夏祭りがどうなることやら…
- 2010年の夏祭りも荏原神社が御神面を出さないって。だから海中渡御は無し。いい加減にして欲しい。
- もともと御神面は寄木神社のもので、荏原神社のものでは無い。
- 2010年の夏祭りがどうなることやら…
- これで2年連続か。何を揉めてるのか知らないけど神事でしょうが。海中渡御とかやんないから罰が当って後ろにあるJALが傾いたんだよw
- お金のことでこじれた。宮司が御鎮座1400年祭に当って「町会は百万円、町会長は別に百万円を寄付しろ」と要求したの。町会側は「そんな金は無い」って無視。だから宮司は報復で御神面を出さないの。
- 調べてみたら氏子である町会は出来る範囲で寄付したって。一部では町会長が全部被ったとこもあるらしい。
- でも満足しなかったみたいだ。
- 昔、荏原神社の先代の宮司が知人の保証人になって、追い詰められたことがある。そのとき氏子も神社本庁も助けてくれなかったという恨みと言うか、不信感が宮司側にある。
- 一方、氏子側も神社を私有財産として扱う宮司に対して反発しているの。相互不信で泥沼状態。
- 常識が通じないので、氏子(町会)大弱り。
- 荏原神社の宮司の母親は、神主がいない付近の小さな神社を勝手に全部荏原神社の地所として登記しようとして、町会と揉めに揉めた。
- 調べてみたら氏子である町会は出来る範囲で寄付したって。一部では町会長が全部被ったとこもあるらしい。
- お金のことでこじれた。宮司が御鎮座1400年祭に当って「町会は百万円、町会長は別に百万円を寄付しろ」と要求したの。町会側は「そんな金は無い」って無視。だから宮司は報復で御神面を出さないの。
- でもちゃんと「御神面海中渡御神輿」の札(?)は乗せてたね。
- あれではじめてお台場の一部が品川区であることを知ったという人も多い。
- 今年(2009年)は何故か海中渡御をやらなかった。荏原の御神面や宮司も見かけなかったし。何なの?
- 何か最近、ちゃんと半被を纏った外人さんがいて微笑ましい。
- 天王祭の日にちはいつも品川神社の品川天王祭の一週間前。ライバル心はメラメラ。
- 開催日は凡そ6月第1週の週末(金土日)。品川神社の方には「6月7日」と明記してある。もちろんその年のアレで多少ずれる。
- 昔は同時にやっていた様な気もしたけど、最近は仲が悪いのか1週ずらしてやるのが慣習になってきた。
- 品川神社が祭りの日を決めると、荏原神社がその一週間前に設定する。
- 子供のに渡すこずかいが二回になって嘆く親多数。
- 品川神社が祭りの日を決めると、荏原神社がその一週間前に設定する。
- いつの間に独立項目に?
- 品川神社の大神輿は確か皇室に慶事があった年にだけ出される。普段の年は中神輿まで。
- 多分前回の渡御は悠仁親王が誕生した年。
- 大神輿は本殿の脇の資料室みたいな場所に葵神輿と一緒に展示されている。
- 2011年は残念ながら震災の影響で開催が見送られた。
- その反動か、震災復興祈願を兼ねたのか2012年はえらく盛り上がった。
- 確か久しぶりの南北同時開催で、荏原神社では4年ぶりに海中渡御も行われたりと近年にない盛り上がりを見せた。土曜は土砂降りの雨でどうなるかと思ったけど。
- 丁度1週間前にアド街の「北品川」回が放送されてこの祭りも大きく取り上げられた。ただ北品川という通り北の大祭だけ。
- 品川神社はお祭りのフィナーレで鳥居までの急坂の階段を神輿が登るのが凄い。