四国の寺院
- 四国八十八箇所の札所である寺院は、何番札所であるかを地名の横に記して下さい。
徳島[編集 | ソースを編集]
霊山寺[編集 | ソースを編集]
- 鳴門市/一番札所
- とりあえず、ここで杖と編み笠を買う人が多い。
- ホンマは別にどっから始めてもええんやけど、それでもこっから始めなる人が多い。
- 本堂、多宝塔、山門など、見るものは一式揃っている。
極楽寺[編集 | ソースを編集]
- 鳴門市大麻町/二番札所
- 2番めの寺だが、既に、貧相……
金泉寺[編集 | ソースを編集]
- 板野町/三番札所
- 境内の案内板が微妙に文語体を意識した内容になっているが、その割に意味合いは全て現代語と同じで少々鬱陶しい。
- 唯一、昔と変わらんのは「給ふ」の意味と使用法だが。その割には全部「給う」で表記されているのが……
- 何度か燃えてるそうで……
- この寺の奥の院に愛染院というのがあって、四国霊場の番外寺として指定されているが、どう考えてもお隣の大日寺のほうが近い。
大日寺(板野町)[編集 | ソースを編集]
- 板野町/四番札所
- 四国霊場一発目の大日寺。大日寺が2つあるのでややこいのう。
- 高知にもあるので3つですな。同名最多はどの国にもある「国分寺」だけど。
- 大学教授の先生が住職なさってる。
地蔵寺(板野町)[編集 | ソースを編集]
- 板野町/五番札所
- 勝軍地蔵を御本尊様にしている。
- 食うに困ったらここへお詣りすればいいと思う。四国の場合、遍路中ですと言ったら御接待を受けられる事あるし…… やらんけど。
安楽寺[編集 | ソースを編集]
- 上板町/六番札所
- 温泉が湧く寺。なので山号が温泉山。
- お隣が近すぎる、歩いて10分かかるかかからんかぐらい。
地蔵寺(小松島市)[編集 | ソースを編集]
- 八代目阿波公方が立ち寄ったところとして有名。
- そのせいか、元平島館の一部が移築されてある。
- 昭和天皇御製の石碑がある。
- さざれ石が置いてあるが、なんでなんだろ。
丈六寺[編集 | ソースを編集]
- 徳島市内最古の名刹だが、そのことよりも血天井で有名。
- 子どものころ遠足で見に行ったが、色あせすぎて血なのか何なのかよく分からんかった。
香川[編集 | ソースを編集]
雲辺寺[編集 | ソースを編集]
- 観音寺市/六十六番札所
- ロープウェイで上がらねばならない寺。
- 実は本当は徳島にある
- 近くにスキー場がある。
- 香川唯一のスキー場だったはず。
神恵院・観音寺[編集 | ソースを編集]
- 観音寺市/六十八番・六十九番札所
- 2つの寺が同居している。
- 2000年頃までは、今の観音寺の薬師堂を神恵院の本堂としていた。
- 現在は神恵院の本堂が別にできて、本堂がそちらへ移転済みなんだが、鉄筋コンクリート造で味気ない。
- 神恵院が六十八番札所で観音寺が六十九番札所。
- 2000年頃までは、今の観音寺の薬師堂を神恵院の本堂としていた。
- お堂については、どっちがどの寺のものかがわかるように、御丁寧に説明書きがなされている。
- 元々、六十八番札所は琴弾八幡宮だったが、神仏分離令の影響で、琴弾八幡にあった仏像など仏教関連のモノを観音寺の境内に移し、神恵院として独立させたとか。
- 因みに、分離令が出る前も、琴弾八幡宮への納経は、琴弾八幡宮ではなく、観音寺が「琴弾八幡宮 別當神恵院」として受け付けていたらしい。
- 1つの寺で2つの寺の納経を受けるスタイルは今も変わらない。
- 因みに、分離令が出る前も、琴弾八幡宮への納経は、琴弾八幡宮ではなく、観音寺が「琴弾八幡宮 別當神恵院」として受け付けていたらしい。
- 仁王門の仁王様がなかなかに立派。
- 琴弾山の中腹にあり、観音寺市街を見下ろすようにしてお堂がある。
- 伝承では行基が開創者らしい。
- ぶっちゃけた話をすると、行基は畿内と近江、紀州北部以外に行ったことがないと言われているので、これは眉唾。
- その後、弘法大師が入って色々と整備したとか。どうやらこれは事実のようである。
- 足利尊氏の息子、太政大僧正道尊が45年に渡って住職を務めたらしい。
- その頃は、かなり隆盛を極めたそうで、今も道尊が作庭した庭園が残っている。
本山寺[編集 | ソースを編集]
- 三豊市/七十番札所
- 平城天皇の勅願寺。
- 大同2年(807年)に勅願が出されたことを受けて、弘法大師が一晩で馬頭観音菩薩像を彫り、開かれたとか。
- この仏像は今も残っているらしい。絶対秘仏らしいので見たことはないから知らんけど。
- 大同2年(807年)に勅願が出されたことを受けて、弘法大師が一晩で馬頭観音菩薩像を彫り、開かれたとか。
- 仁王門が重文。本堂が国宝の寺院。
- 本堂は一重寄棟造りで瓦葺き。正安2年(1300年)に建てられたお堂が奇跡的に残る。
- 長宗我部軍が讃岐に攻め入ったときに、ここを焼き払おうとするも、兵士が本堂内陣の厨子を開いたところ阿弥陀如来の体から血がしたたり落ちるのを見て驚き
- 本堂は一重寄棟造りで瓦葺き。正安2年(1300年)に建てられたお堂が奇跡的に残る。
- 毎年7月の土用丑の日にお祭りがある。
- 明治期に再建された五重塔がある。
- 三豊市豊中エリアではもっとも高い建物らしい。
- 生駒家と京極家の庇護を受けて、今の伽藍がほぼ整ったが、その後も五重塔の再建などが進められている。
弥谷寺[編集 | ソースを編集]
- 三豊市/七十一番札所
- 雲辺寺以来、久しぶりの山寺。
- 山寺と言っても、平地に面した小山の中腹にあるだけなんで、どうってことはない。
- 磨崖仏などがちらほら。
- 讃岐の山って、讃岐山脈の山以外は、だいたい差別侵食が進んで地盤の硬い部分が残ったというものが多く、こういう磨崖仏を彫りやすい岩が多くあることがよく分かる。
- 多宝塔がある。
- 本堂の後ろにある岩山には千手仏が納められた岩穴があるとか。
- 創建時のものが残っているんだってさ。入れるわけやないからしらんけど。
- どうもこの洞穴で空海は7歳の頃から修行と学問に励んだそうな。
- 聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立したと伝わるが……
善通寺[編集 | ソースを編集]
- 善通寺市/七十五番札所
- 空海の父佐伯善通の名にちなむ。
- 真言宗善通寺派の親玉。
- この寺の五重塔は市内で一番高い建物。
- 県内一古いというのが売りだが、それでも完成は明治中頃。実はワシントン記念塔と同い年。
- 五重塔の中では県内一古い。もっとも県内の五重塔はここと志度寺にしか無いんやけどさ。
- 善通寺にあっては明治の建築技術>>>>現代建築技術なのかも。
- 県内一古いというのが売りだが、それでも完成は明治中頃。実はワシントン記念塔と同い年。
- 東西に2つの寺があるような感じになっている。間に一般道も通り、川も流れ、門まで設置済み。
- 有名な五重塔があるのは東側で、一方御朱印をもらえたり御大師様が産まれた大師堂等があるのは西側である。
- どうやら、元々は別々の寺だったらしい。
- 有名な五重塔があるのは東側で、一方御朱印をもらえたり御大師様が産まれた大師堂等があるのは西側である。
- 参道の商店街の寂れ具合が甚だしい。
- 地方ではよくあること。
- レンタサイクル貸出所は駅から少し歩くが、1回100円と安い。荷物も無料で預かってくれるし。
- 駅前通りの讃岐うどん屋はどちらも美味しい。
- 戒壇巡りはカーブが多くて結構戸惑う。
- 最後の方にある、入ると音声が流れる部屋がある。寺のサービス精神なのだろうが、かえって台無しだと思う。
- 3分ほどじっとしていると暗闇に目がなれてきて、ルートはわかる。けれど、壁に描かれている仏画には気づかない。
- 山門のわらじがデカい。
天皇寺[編集 | ソースを編集]
- 坂出市/七十九番札所
- お寺の名前は崇徳上皇にちなむ。
- 隣には上皇を祀った神社もあるらしい。
- 白峰宮ね。神仏分離令の発令前は第七十九番札所は、この白峰宮だったらしい。
- 元々、天皇寺は白峰宮の別当寺院だったらしい。
- 白峰宮ね。神仏分離令の発令前は第七十九番札所は、この白峰宮だったらしい。
- 隣には上皇を祀った神社もあるらしい。
- どうでしょうバカにとっては、「R-14の舞台」といえばピンとくるか?
- 開基は行基と伝わるが……
- 空海が色々整備してお寺になったらしい。
- 八十蘇場の清水と縁がある。
白峰寺[編集 | ソースを編集]
- 高松市/八十一番札所
- 崇徳院の墓がある。
根香寺[編集 | ソースを編集]
- 高松市/八十二番札所
- 天台宗らしい。四国霊場の一つやで、ここは。
- 五色台の山の上にある。行くのめんどい。
大窪寺[編集 | ソースを編集]
- さぬき市/八十八番札所
- いくらだったか忘れたが、銭を払えば、賞状をもらえる。
- 此処から、一番札所の霊山寺までは33kmらしい。
- ワシだったら霊山寺ではじめてここで終わらず、金剛福寺ではじめて岩本寺で終わらすな。
海岸寺[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸内海に面した海岸上にある寺。
- 本堂の裏の海岸へ出ると瀬戸内海の絶景が見える
- 弘法大師の生まれたところらしい。
- 実は、善通寺とは、弘法大師誕生の地を争っている。
- 江戸時代にはマジで低レベルの醜い争いになったらしく、丸亀藩預りの訴訟になったとか。
- 因みに、丸亀藩の結論は「善通寺が、弘法大師誕生の地」とするものだった。でも弘法大師誕生の地って屏風浦っていう海沿いのところだった訳だし、当時は通い婚の時代で子供は母親の家で産むのが通例だったんではないかと……
- 江戸時代にはマジで低レベルの醜い争いになったらしく、丸亀藩預りの訴訟になったとか。
- そんなわけだから、昔は八十八箇所参りの途中でみんな寄るようなお寺だったらしい。今は知名度の低下によりスルーされることが多いとか。
- 因みに近くには仏母院という、弘法大師空海の母親の実家跡のお寺も存在する。
- 実は、善通寺とは、弘法大師誕生の地を争っている。
- 本堂と奥の院がJR線とさぬき浜街道でぶった切られている。
- 大師堂があるのは奥の院の方。こちらへお詣りして初めて意味がある。
- 二重塔があるが、崖の上にあるため近寄れば近寄るほどうまく写真が撮れない。
- 三重塔だと思わせておいて二重塔という曲者である。
- 意外とよく見えるのが海岸寺駅の跨線橋。まあそれだと遠くなりすぎるので、近くの田畑の間から見るのがベターだけど。
- 四国別格二十霊場の十八番札所。
- 山門の両脇にあるのは仏像ではなく、地元出身の力士の銅像。
- 琴ヶ浜と大豪。いずれも関脇止まりで40代で早逝したという共通点がある。
仏母院[編集 | ソースを編集]
- 弘法大師空海の御母堂である玉依御前の生家の跡地にある寺院。
- 玉依御前を輩出した寺の周辺が阿刀氏の領地だったらしい。
- 四国八十八箇所の別格霊場となっている。
愛媛[編集 | ソースを編集]
岩屋寺[編集 | ソースを編集]
- 久万高原町/四十五番札所
- こんな所に創ってんじゃねえよ。そう言いたくなるほど不便な山奥。
- 出光から左に曲がったところにある。
- 山号が喧嘩売ってやがる。
- 「海岸山」というらしい。いや、ものすごく不便な山奥ですから。
- 大泉洋氏が悟りを開く場所。
石手寺[編集 | ソースを編集]
- 松山市/五十一番札所
- 愛媛随一の謎スポットでもある。
- 裏から入ると、巨大な閻魔さまがこんにちは。
- パワースポットにしようとしているらしい。
- 正面にある門(仁王門)はかなり古いものらしい。
- 善光寺のお戒壇めぐりみたいな洞窟がある。
- でも、そこまで暗くない。
- パゴタがある。
- リーマンショックの時に、ラジオで住職が「年を越せないという人が来たので、本堂に泊めてやった。でも、こういうのは政府が対策すべきだ。うちだって税金を払っているんだ」というようなことを口走っていた。
- かなり左巻きの人で寄ると触るとラジオで政府批判してる。
- なお、駐車場貸し・物販・賃貸など事業主体が宗教法人であっても法人税が減免されない種類の事業が法人税法施行令で規定されているので、上記の税金の件は本当。
太山寺[編集 | ソースを編集]
- 松山市/五十二番札所
- 高浜側から目指すと1kmほど細い山道を歩くことになり、太山寺に着くまでの道程でいくつものお地蔵さんに会える。
- ところどころで階段が整備されている。しかし、階段の段差が高いので、脇にある元々の坂を歩いたほうがむしろ楽だったりする。
- 帰りは瀬戸内海を眺めながら下ることができる。軽めの登山レベルの坂を登ってきた疲れも癒される。
南光坊[編集 | ソースを編集]
- 今治市/五十五番札所
- 四国八十八箇所の中で唯一「坊」が付くお寺。
- 今治の中心部にある。
- 今治駅から充分歩いて行ける。
- ただ、駐車場が少ない。停めるなら、市役所前の某パチンコ屋の駐車場・・・。
三角寺[編集 | ソースを編集]
- 四国中央市/六十五番札所
- 伊豫國最後の札所。
- なのだが、山を越えて新宮へ分け入るとそこにこの寺の奥の院があり、厳密にはこちらにも参らないと参詣したことにはならないというからくり。
出石寺[編集 | ソースを編集]
- 出石寺と書いてシュッセキジと読むはずだが、地元ではデイシさんと呼ばれている。
- 四国霊場には組み込まれていないが弘法大師と縁がある寺院の一つ。
- かつてこの地に、鉱山開発に定評のある空海上人が金脈を見つけて寺を建立するふりして鉱山を設けたという。そのカモフラージュ要員がこの寺だったとか。
- そこそこの山の上にある関係で、眺めが非常に良い。晴れていれば伊予灘を挟んで西中国や九州豊後の山並みもはるかに見える。
- 藤堂高虎が深く帰依していたとかで、結構その頃の奉納品が多い。
遍照院[編集 | ソースを編集]
- 今治市
- 弘法大師が建立した寺らしい。
- なので、この寺は八十八箇所に入っていないものの、番外になっている。
- 「節分大祭」をやっている。
- ちなみに、ここの掛け声は「福は内、鬼も内」。菊間は鬼瓦を生産しているからだとか。
- 鬼瓦神輿なるものもあるらしい。
- ちなみに、ここの掛け声は「福は内、鬼も内」。菊間は鬼瓦を生産しているからだとか。
高知[編集 | ソースを編集]
最御崎寺[編集 | ソースを編集]
- 室戸市/二十四番札所
- Google入力では変換されない。ある種の難読認定。
- 「最」と言いつつ、実は金剛福寺のほうがより南にあるという事実。
青龍寺[編集 | ソースを編集]
- 土佐市/三十六番札所
- モンゴル初の横綱の四股名の由来となったことで有名。
金剛福寺[編集 | ソースを編集]
- 土佐清水市/三十八番札所
- 四国霊場の一つ。
- 手前の岩本寺からは80km以上離れている。これが最長区間。
- だからといってここを飛ばすと、うどんが食べられなくなる。
- 手前の岩本寺からは80km以上離れている。これが最長区間。