国政選挙

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衆議院[編集 | ソースを編集]

第1回(1890年)[編集 | ソースを編集]

  1. 記念すべき最初の選挙。
  2. 勝利したのは板垣退助の党。
  3. このときの有権者はわずか45万人。
    • 直接国税15円以上納める満25歳以上の男子。
    • そんでこの選挙での投票率は93%。今後も破られることはないだろう。

第7回(1902年)[編集 | ソースを編集]

  1. この選挙から秘密投票が導入された
  2. 北海道でも投票できるようになる(ただし札幌・函館・小樽の各都市限定)
  3. 有権者は直接国税10円以上納める25歳以上の男子に緩和。

第11回(1912年)[編集 | ソースを編集]

  1. この選挙から沖縄でも投票できるようになる(先島諸島を除く)

第14回(1920年)[編集 | ソースを編集]

  1. この選挙から有権者は直接国税3円以上を納める25歳以上の男子に緩和した。

第15回(1924年)[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる護憲三派が絶対多数を獲得。清浦内閣が退陣し組閣の大命は加藤高明に下る。これが選挙による政権交代の一例だといわれている。

第16回(1928年)[編集 | ソースを編集]

  1. 男子普通選挙が開始。

第20回(1937年)[編集 | ソースを編集]

  1. 予算が成立してから解散したため食い逃げ解散といわれた
  2. 小泉純一郎の祖父が7分にわたり首相を批判した。

第21回(1942年)[編集 | ソースを編集]

  1. 政党はすべて解散したため翼賛政治体制協議会推薦の候補が大優遇された。
    • いわゆる翼賛選挙。
  2. ひどい目にあった非推薦の候補(落選者)が裁判を起こした結果、1945年、鹿児島2区において大審院が選挙無効を下した。
    • ただし同月に行われたやり直し選挙では得票数は減ったものの、42年と同じ候補者が当選している。

第22回(1946年)[編集 | ソースを編集]

  1. 戦後最初の選挙。
    • 女性の選挙権、被選挙権が認められ、満20歳以上の国民全員に選挙権が認めらた。
    • 初の女性代議士も誕生。
    • 公職追放も相まって顔ぶれも大きく変わる。
  2. 田中角栄がこの選挙で初出馬。結果は落選。
    • なお後の盟友の二階堂進はこのとき初当選。
      • 同郷の永田良吉が出馬できなかったのが大きい。
        • なので永田が公職追放を解かれた後は、入れ替わるように二度落選している。
    • 三国峠を崩せなどの演説はこのときのものらしい。
  3. 合法化された共産党が国政進出して5議席獲得。
  4. 定数10以下は2名、11以上は3名投票できたらしい。
  5. 大選挙区制で行われた。

第23回(1947年)[編集 | ソースを編集]

  1. 帝国憲法下かつ帝国議会として最後の選挙。
  2. 田中角栄、中曽根康弘らが初当選。
  3. 社会党が第一党となり初めて与党になる。
  4. 青ヶ島村では選挙が行われなかった。
    • 実施されなかったのは北方領土・小笠原諸島・奄美群島・沖縄県は当時他国の占領下なので自国の領土としてはここが唯一。
    • 再開されたのは1956年の第4回参議院選挙だった。

第24回(1948年)[編集 | ソースを編集]

  1. なれ合い解散。
  2. 社会党が第3党に転落し、共産党が躍進する。

第25回(1952年)[編集 | ソースを編集]

  1. 抜き打ち解散。
  2. 共産党が全員落選。

第26回(1953年)[編集 | ソースを編集]

  1. それはバカヤローの つぶやきで始まった。
    • なぜか叫んだと思ってる人が多い。

第27回(1955年)[編集 | ソースを編集]

  1. 衆議院本会議で突然、衆議院を解散する。御名御璽。と朗読された。
    • このような状態でも議員たちは議場内で拍手と「万歳! 万歳!」の掛け声がこだましたという。
  2. 困惑する記者をよそに、鳩山一郎首相は「天の声を聞いたからです。」と答えて記者たちをうならせた。
    • 天の声解散である。

第32回(1969年)[編集 | ソースを編集]

  1. 「花の(昭和)44年組」と言われ、後の政界を牛耳る大物達がこの選挙で初当選した。
    • 自民党からは55年体制を終了させた小沢一郎、羽田孜、渡部恒三や清和会を率いた森喜朗、社会党からはマドンナ旋風を起こした土井たか子や衆議院議長になった横路孝弘などが初当選。
      • 意外にも総理になったのは羽田と森だけだったりする。しかもいずれも短命政権。
      • 忘れてはいけないハマコー(浜田幸一)
  2. 俗にいう黒い霧解散。
    • 自民党の得票率が5割を下回る。
  3. しかし社会党は期待したほど伸びなかった。
  4. 公明党が初参戦して25議席獲得。

第33回(1972年)[編集 | ソースを編集]

  1. この年に実現した日中国交正常化という実績で自民党は躍進を図ろうとするが、予想を反して、議席を減らした。
  2. YKKトリオ(山崎拓、小泉純一郎、加藤紘一)、村山富市が初当選した。

第34回(1976年)[編集 | ソースを編集]

  1. 数少ない任期満了による選挙。現憲法下では唯一。
    • 三木総理に力がなかったため解散できなかった。
    • 近い例だと第45、49回は任期満了寸前に解散した。
  2. この選挙から原則日曜投票になる。
  3. 「ロッキード選挙」とも呼ばれた。
  4. 後藤田正晴や鳩山邦夫らが初当選。

第35回(1979年)[編集 | ソースを編集]

  1. 大平総理の一般消費税導入発言が響き、自民党は過半数割れでまさかの敗北。
    • この敗北がきっかけとなり、自民党内は四十日抗争に突入。
  2. 社会党も低落傾向に歯止めをかけられず10議席減。
  3. 公明・民社・共産の3党は議席を伸ばした。
  4. 麻生太郎や亀井静香が初当選。

第36回(1980年)[編集 | ソースを編集]

  1. 史上初めて両院同日選挙となった。
  2. 選挙期間中に総理大臣の大平正芳が死去。その影響もあり自民党が圧勝した。
  3. 不信任案が予想外の可決したためハプニング解散といわれる。
  4. 平沼赳夫や菅直人が初当選。

第37回(1983年)[編集 | ソースを編集]

  1. 田中元総理実刑判決→田中「控訴します。議員はやめません。」
  2. これにより国会が混乱。収束のために衆議院を解散するも…。
  3. 自民党が単独過半数割れを起こす(ただし追加公認で過半数は確保)。
    • このときナベツネが「公明党と民社党との連立を検討すべき」と進言するが、自民党は新自由クラブとの連立で乗り切った。

第38回(1986年)[編集 | ソースを編集]

  1. 自民党が300議席を獲得する大勝だった。
    • これにより政権は磐石となった。
  2. 後の新党さきがけの中枢メンバーが初当選。
    • 武村氏や鳩ぽっぽなど。
  3. 同日に行われた参院選と共に昭和最後の国政選挙となった。
  4. 松下政経塾出身者が国会に進出。
  5. 衆議院の解散は議長応接室で行われた。

第39回(1990年)[編集 | ソースを編集]

  1. 平成最初の衆院選。
  2. 前年の参院選で社会党が勝利したため政権交代も期待されたが…
    • 社会党自体は委員長のおかげで人気があったが候補者選定が難航し160人くらいしか公認できず結局自民党が過半数を獲得した。
    • このときの社会党の議席は最盛期にも及ばなかった。
    • 選挙協力した民社党や公明党も伸び悩み自民党に接近する遠因となった。
  3. 田中角栄、福田赳夫が揃って引退。
  4. 福田康夫、細田博之、岡田克也、山口那津男らが初当選。
  5. 真理党が出馬したが全員落選。

第40回(1993年)[編集 | ソースを編集]

  1. 55年体制が崩壊して自民党が下野。
    • 自民は第一党こそ維持したが過半数を大きく下回った。
    • 新生党日本新党が躍進した一方、前回選挙で躍進した社会党は大きく議席を減らした。
  2. 中選挙区制では最後の選挙。
  3. 今の政界を牛耳ってるのはこのとき初当選した人たち。
    • 総理になった安倍氏、野田佳彦氏、岸田氏を筆頭に総理候補とされる茂木氏や高市氏、野田聖子氏、野党では立憲初代代表の枝野氏や前原氏、共産党の志位氏らがこのとき初当選。
  4. 解散の原因は宮澤内閣の不信任。自民党の羽田派が造反して可決、その後派閥ごと抜けて新生党を作った。
    • 不信任に反対した武村氏らのグループも離党して新党さきがけを結党した。
  5. 当時の新聞記事を見たらいかに民主党がいろんな政党の寄せ集めかがわかる。
  6. 政治改革をやると言いながら解散したため嘘つき解散の異名がある。

第41回(1996年)[編集 | ソースを編集]

  1. この選挙から小選挙区比例代表並立制が適用。
    • そのため「小選挙区解散」とも呼ばれる。
  2. 細川連立の社会党以外が合流した野党第一党新進党は議席を伸ばせず。
    • 翌年には木っ端微塵になる。
  3. この選挙で民主党が初登場。当時は社会党出身が多く、リベラル色強め。
  4. この時は得票率10パーセント未満の候補が復活当選してしまい、次回からできなくなった。

第42回(2000年)[編集 | ソースを編集]

  1. 自民党は新進党出身者を大量に受け入れたものの時の総理がアレすぎて議席を減らす。(結果としては前回選挙とほぼ同じ)
    • ベテランも大量落選。
      • 現職閣僚も玉澤孝一郎(農林水産大臣)と深谷隆司(通商産業大臣)の2人が落選。
    • 「無党派は寝ていてくれれば…(それでいいんだが、やっぱりそうはいかない)」。
      • ()内の発言の発言がマスコミに切られて一人歩きしてしまった。
  2. いわゆる神の国解散。
  3. 比例定数が20減。

第43回(2003年)[編集 | ソースを編集]

  1. 民主党が自由党と合流したこともあって大躍進
    • 比例区の得票数で自民党を上回った。
    • この頃から政権交代を本気で目指し始める。
    • 保守党は壊滅し自民に吸収される。
  2. 主な争点は道路公団の民営化。
  3. 自民党では小泉の方針で中曽根、宮澤といった長老が引退。
  4. 「マニフェスト解散」とも言われる。

第44回(2005年)[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる郵政解散。争点はもちろん郵政民営化。
  2. 参議院で民営化法案が造反のせいで否決されたんで解散。
  3. 小泉総理は党内の反対派(民営化法案で造反した人)を公認せず「刺客」を送り込み潰そうとした。
    • 解散する際の閣議で農水相が反対したため更迭して総理が兼任して解散させる徹底ぶり。
    • その刺客の一人がホリエモン。先に離党して国民新党を作った亀井静香に挑んだが普通に敗北。
      • ホリエモンは色々あって党の公認が貰えなかった。
  4. 結果は自民党の大勝。第38回以来の議席数を獲得。
    • この時の新人は小泉チルドレンと呼ばれた。
    • 『週刊朝日』の表紙には小泉総理の写真と共に「小泉圧勝」の文字がでかでかと載った(2005年9月23日号)。
  5. 一方平沼赳夫や野田聖子といった造反組も勝利。野田は後に復党。
    • 一部を除き大半は自民党に復帰したが、政権交代や定数削減の影響で復帰に手間取った人も数名いる。
      • 平沼氏に至っては立ち上がれ日本→維新→次世代を経て復党。

第45回(2009年)[編集 | ソースを編集]

  1. 民主党が政権を奪取した。
    • 308議席は史上最多らしい。
    • 社民党がまさかの与党になる。
  2. 自民党は結党以来最低の119議席。
    • そんな大逆風の中でも父を継いで圧倒的得票で初当選を果たした小泉進次郎。
    • 海部俊樹、笹川堯、堀内光雄、山崎拓、中川昭一、赤城徳彦、久間章生などの有力議員も揃って落選。
    • 自民と連立を組んでいた公明党も議席を大幅に失ったどころか、太田昭宏代表・北側一雄幹事長・冬柴鐵三元幹事長といった幹部級の議員が揃って落選。
  3. 日本テレビの選挙特番は24時間テレビと同日の放送となってしまい、他局より1時間遅れての放送開始となった。
    • その時のマラソンランナーがゴールした時は選挙特番が始まっていた。
    • 愛は地球を救うのかも知れないが、民主党は日本をぶっ壊した。
  4. 幸福実現党が国政選挙初挑戦も候補者337名はすべて落選という無残な結果に。

第46回(2012年)[編集 | ソースを編集]

  1. 当時の首相が近いうちに国民の信を問うと発言したため近いうち解散と呼ばれる。
  2. 結果は自民党の政権奪還で幕を閉じた。
    • 安倍総裁「とりもろす」
  3. 与党民主党は57議席という普通なら立ち直れないだろう結果に終わった。
  4. 石原・橋下が作った維新が躍進、みんなの党も議席を増やした一方民主から抜けた小沢グループが結党した未来の党は大敗。
    • 野党乱立で6名(自民・民主・維新・みんな・共産・未来)候補者が出た選挙区も。
  5. またしても日本テレビの選挙特番の放送開始が遅れた。理由はクラブワールドカップの決勝戦と被ったから。

第47回(2014年)[編集 | ソースを編集]

  1. 当時の衆議院議長が「衆議院を解散する…」といったところで「ばんざーい」が起きたが、「御名御璽」と言ってから「万歳はここでやってください」と発言するグダグダで始まる。
  2. 前回の反省を踏まえて野党議員の国替えが相次いだ。
    • 維新の会から分裂した次世代の党の議員まで移動する事態に。
    • 沖縄では共産まで含めたため沖縄1区で共産党候補が選挙区当選する。
  3. 海江田民主党代表が落選した。
    • 民主党自体は前回より議席を増やせた。

第48回(2017年)[編集 | ソースを編集]

  1. 国難突破解散だが世間の反応は「安倍総理の存在そのものが国難だろ」といわれた。
    • でもなんだかんだ言って自民党が大勝。野党のゴタゴタも影響して。
    • こういう表現をしていた層と、モリカケばかりの野党とマスメディアにうんざりしていた層と二分されていた印象。
      • ある意味社会の二分化。え?二分にもなってないって?
      • そのハッシュタグをつけている投稿をツイッター上で見かけたが、立憲民主や共産支持を公言している偏った人たちだらけで、多くは「ナニイッテンだこいつ」状態。
  2. 小池百合子率いる希望の党が大失速して残った立憲民主党に議席が下回った。
    • 選挙前に民進党が離党ドミノの末に爆発。前原代表は希望の党に合流させようとしたが枝野らリベラル派が合流を拒否されて立憲を作った
      • どちらにも入らなかった人は党籍をもったまま無所属で出馬する羽目になった。
      • 左派系メディアではなぜか立憲民主に行った議員が「男を上げた」とか言われ評価されたが、立憲民主に行った奴らも民進党の議員総会で「希望の党」への合流に賛成していたことには触れられなかった。
    • 同年の都議選における都民ファーストの会の勢いのまま突っ走った結果がこれ。
    • 後に希望と民進の残党が合流して国民民主党が結党された。
    • 中途半端に維新のマネをするからこうなった。
  3. 投票日当日に西日本に台風が接近し、離島で投票が繰り上げられたり開票が遅れた地域もあった。
  4. 実は旧民主党系議員の議席数は、この選挙でも増加していた。(希望の党+立憲民主党+民進党系無所属議員の獲得議席合計で算出)
    • そういう意味では、この作戦は成功だったのかもしれない。

第49回(2021年)[編集 | ソースを編集]

  1. 岸田総理最初の仕事
    • 第100代として就任してからわずか数日で解散。
  2. 自民は下馬評よりは議席は減らなかった。
    • 議席予測では朝日新聞以外は自民大幅減の予想。
      • 朝日以外がアサヒった。(実際問題、議席予測が外れるのはあるあるだけど。)
  3. 立憲は共産との選挙協力が原因で連合が不快感を示し、世間も冷ややかだったため議席を減らす。
    • 川内博史が過去最多の得票数を得ながらも、比例復活すらできなかったのは意外だった(小選挙区は自民のリベラルに負けた)
  4. 維新が躍進、存在感を増した。
    • 中道の票を自民や立憲から吸収。
  5. 野党共闘を拒絶した国民も議席を増やした。
  6. 甘利明や小沢一郎の大物の選挙区落選が相次いだ。
    • 無敗の中村喜四郎も選挙区で落選。
    • 比例復活すらできなかった石原伸晃……(同じ選挙区に維新が立ったせいで保守分裂したのが原因。)
  7. 自民党の最古参の野田毅が落選。当選していれば在職50年は確定だった。
    • 破ったのは保守系無所属の人。野田は党内規定により重複立候補が許されず復活もしなかった。
  8. 立憲では辻元清美がまさかの落選。翌年参議院に再就職したけど。
  9. 今回は保守系無所属が自民党議員を破った後、追加公認されるケースが割とあった。
    • 細野豪志がその一人。

参議院[編集 | ソースを編集]

第1回(1947年)[編集 | ソースを編集]

  1. 全員選挙。
  2. 得票率下位の候補の任期は3年だった。
  3. 長野県飯田市で大火により投票が延期。

第2回(1950年)[編集 | ソースを編集]

  1. 静岡で女子中学生が替え玉投票を告発、一家が村八分に。

第3回(1953年)[編集 | ソースを編集]

  1. 平林剛の所属する党派名「日本社会党」が「日本共産党」と誤記したことにより佐野市での選挙が無効となり再選挙が行われ、平林が当選(任期3年)した。

第4回(1956年)[編集 | ソースを編集]

  1. この選挙から昭和生まれの候補者の立候補が可能になった。
  2. 自民党は完全な横ばい(61議席のまま)。
  3. 創価学会系の候補が3人(白木義一郎・北条雋八・辻武寿)当選。
    • 白木はプロ野球経験者として初の国会議員に。

第7回(1965年)[編集 | ソースを編集]

  1. 熊本県南部の一部の村で豪雨により投票が延期になった。

第8回(1968年)[編集 | ソースを編集]

  1. タレント候補が多数出馬。
    • 石原慎太郎、青島幸男、横山ノックらが全国区で当選を果たした。
  2. テレビを利用した選挙戦も本格的に行われるようになった。

第9回(1971年)[編集 | ソースを編集]

  1. 佐藤政権への「飽き」が顕在化したのか自民党の議席数が伸び悩んだ。
  2. 細川護熙や立川談志が初当選。

第10回(1974年)[編集 | ソースを編集]

  1. 田中角栄、ヘリをチャーターして栃木県を除く46都道府県で演説を行う。
  2. 三重県伊勢市では豪雨により投票が延期。
  3. ふたを開けてみれば自民改選過半数に届かず。

第13回(1983年)[編集 | ソースを編集]

  1. 全国区制廃止。厳正拘束名簿式比例代表制導入。
  2. サラリーマン新党などが議席を獲得。

第14回(1986年)[編集 | ソースを編集]

  1. 上記の衆院選との同日選挙であり、昭和最後の参院選。
  2. 西川きよしが初当選。

第15回(1989年)[編集 | ソースを編集]

  1. 平成初の国政選挙。
  2. おたかさんにのまれ27年間自民党単独過半数を失う。
    • 自民党の敗因はリクルート問題・消費税問題・宇野首相の女性スキャンダル問題あたりか。
  3. 少数政党が一番多く出てきた選挙らしい。
  4. アントニオ猪木が初当選。

第16回(1992年)[編集 | ソースを編集]

  1. 自民党が69議席を獲得し第1党の座を維持。
  2. 直近の参院選・衆院選で躍進していた社会党は停滞。
  3. 横山やすしが立候補したが落選。

第17回(1995年)[編集 | ソースを編集]

  1. 投票率が44.52%と低調。
  2. 創価学会が勝者だと言われた。
  3. 社会党は過去最低の16議席しか確保できない惨敗に終わった。
  4. 馳浩が初当選した一方でアントニオ猪木は落選。
    • 釜本邦茂や橋本聖子も初当選を果たした。

第18回(1998年)[編集 | ソースを編集]

  1. 橋本首相ら発言が迷走。自民党がまさかの大失速。
    • この失速の責任を取って橋本内閣は総辞職することに。
    • 自民党の某幹部も「60議席は堅い」と見込んでいたのだが…。
  2. 自民失速の影響で民主党が27議席、共産党が15議席を獲得。

第19回(2001年)[編集 | ソースを編集]

  1. 比例代表制を非拘束名簿式に変更。舛添要一や大橋巨泉などタレント候補当選。
    • 民主党比例1位で当選した大橋は党執行部との考えの違いもあり僅か6ヶ月で辞職。
    • 保守党は0議席も予想されたが、比例区で扇千景への個人票に助けられなんとか1議席を死守。
    • 「小泉純一郎」や「田中真紀子」と書いて無効となった票も出た。
  2. 大量のタレント候補を擁立し注目された自由連合は当選者ゼロという無残な結果に。

第20回(2004年)[編集 | ソースを編集]

  1. 主要政党が最も少なかった選挙。
    • 自民党・公明党・民主党・共産党・社民党だけだった。
  2. 幹部の年金未納問題や年金改革法などへの反発もあり、自民党はほぼ横ばい(1議席減)の選挙結果に。
  3. 岡田克也が代表に就任した民主党は12議席増。
  4. 期日前投票制度が導入された初めての国政選挙だった。

第21回(2007年)[編集 | ソースを編集]

  1. 郵政造反組の復党問題や年金問題、閣僚の不祥事が重なり自民党が1989年以来の歴史的大敗。
    • 政権交代の引き金はここで弾かれたと行っても良い。
  2. 選挙期間中に新潟県中越沖地震が発生。
  3. FNNの選挙特番(FNNスーパー選挙王)は27時間テレビとの兼ね合いから9時15分からの放送となった。

第22回(2010年)[編集 | ソースを編集]

  1. 選挙区と比例代表の得票数では民主党が自民党を上回っていたが、獲得議席数は民主10減・自民13増。
    • この影響でねじれ国会になってしまった。
  2. 保守勢力から政党が乱立した。
  3. 谷亮子、三原じゅん子、石井浩郎らが初当選。

第23回(2013年)[編集 | ソースを編集]

  1. 自民党が65議席を獲得する圧勝。
  2. 参院選初挑戦の日本維新の会は8議席を獲得。

第24回(2016年)[編集 | ソースを編集]

  1. 選挙権が18歳以上に引き下げ。鳥取県・島根県と徳島県・高知県が合区となる。
  2. 野党共闘は微妙な結果に。

第25回(2019年)[編集 | ソースを編集]

  1. 特定枠導入。
    • れいわ新選組はこれを上手く利用した。
    • ある意味これの導入は国会に新しい風を吹かす効果が出たといえる。なおその風の質。
  2. NHKから国民を守る党、議席獲得。
    • 党首がすぐ辞職したが比例だったため議席は維持。
      • 後任は濱田聡議員。国会での質問を聞いていると、かなりまともなことを言っている事が多い。結果論ではあるが変わって正解だったかも。
        • どうでもいいけどタレントの濱田岳を老けさせた感じで、顔が似ている。

第26回(2022年)[編集 | ソースを編集]

  1. 参政党が議席を獲得。
    • 前回のN国と同じでここが議席を取るなんて誰も思わなかった。
    • むしろ2~3議席取る可能性があるというのが、選挙情勢分析屋の間での下馬評だったが、それに比べたら下振れした感じであった。
  2. タレント候補の当選が多かった気がする(生稲晃子、赤松健、中条きよし、松野明美、青島健太、水道橋博士、ガーシーetc…)。
    • まあ松野明美に関しては熊本県議会議員の経験があるので…。
  3. 維新は前年の衆院選の勢いがまだあったが国民は伸び悩んだ。
  4. 一方立憲や共産は議席を減らす。
    • 意味のない質問をしたり問題ばっか起こしていては、そらそうなるやろという感じ。コアな支持者を除く国民の多くがそっぽを向いたということであろう。
    • まああと「野党共闘」が不発だったのも。
  5. 選挙期間中に事件は起きた…
  6. 辻元清美の事務所が破壊されるなど不穏な動きが目立った
  7. 参議院史上3人目の除名となったガーシー議員がNHK党から出て当選した。(全国比例)
    • 当選後、一度も登院しなかったし、公約で訴えていた政治家の不祥事ネタ暴露も結局一度もなかった。
      • 個人的にはそんなやつでも選挙で当選した以上、除名するのは如何なものかとも思うが、しゃあないわとも思う。
      • ちなみにガーシー除名後、ホリエモンの元秘書だった人物が議員になる見込みとか。彼が選挙に出たとき、ホリエモンは「お前が議員になったら俺が秘書をやる」と言っていたらしい。ホリエモン、郵政解散から18年越しで永田町に進出なるか。
  8. 実は「山本太郎」が出ていた。
    • しかしガーシー除名前に名簿から消されたためその下の4番目(ガーシー→山本太郎→黒川敦彦→斎藤健一郎)の人が繰り上げ当選。

関連項目[編集 | ソースを編集]