国鉄の気動車
主な車両[編集 | ソースを編集]
- 国鉄キハ40系気動車 (2代)
- 国鉄キハ58系気動車(キハ65形も含む)
- 国鉄キハ181系気動車
キハ01系[編集 | ソースを編集]
- 国鉄が開発したちっちゃくてかわいいレールバス。
- 高さがキハ07の4分の3ぐらいしかなかった。
- アクセルペダルがついていた。
- ワンマン運転可能だったが、組合が反対して実現できなかった。
- あの扉配置でどうやってワンマン運転するんだ?
- 扉が真ん中だけの車両はワンマン運転しないというポーズのために作られたとか。
- あの扉配置でどうやってワンマン運転するんだ?
- 小樽に北海道仕様のキハ03が保存されている。同系列唯一の現存車。
キハ07系[編集 | ソースを編集]
- 戦前製国鉄気動車の代表的存在。
- 中途半端な流線型が特徴。
- 九州鉄道記念館に原型を保った車両が保存されている。
- 私鉄譲渡車の保存車両も存在し、そちらは2両とも動態保存である。
キハ08系[編集 | ソースを編集]
- 気動車不足に対応するため、60系客車から改造された。
- 元々はキハ40・45系として登場した。
- キクハ・キサハまでも製作されたが、使い勝手の悪さから早期に廃車となった。
- 保存車両が存在する。
- 実は大半の車両は北海道で改造された。キハ141系といい客車の気動車化に縁がある地域らしい。
キハ10系[編集 | ソースを編集]
- かつて、気動車を代表する形式だった。
- 中間車も存在した。
- 2・3等合造車も製作されたことがある。
- 需要が限られ過ぎたので一般形気動車の優等車はジョイフルトレインに改造された車両以外では登場していない。
- 一般形気動車では本形式のみの存在で、使い勝手の悪さからそれ以降の形式では製作されなかった。
- 準急にも使われたことがある。
- 2・3等合造車も製作されたことがある。
- 2エンジン車も製作された。
- キハ40系が登場すると廃車が本格化した。
- 2エンジン車のキハ51だけは代替できる車両がなく、キハ58系の転用で賄われた。
- 最後まで生き残ったのはキニ55だった。
- 実はキハ10という呼称は趣味人が便宜的につけたもの。
キハ20系[編集 | ソースを編集]

- かつて、日本の気動車といえばこれだった。
- 40代以上の田舎出身者なら、通学でこの車両にお世話になった人も多いはず。
- 40代ではなく1960年代生まれ以前の田舎出身者というべきだろう。
- 40代以上の田舎出身者なら、通学でこの車両にお世話になった人も多いはず。
- JR上では1993年までにほぼすべて駆逐されたが、後継のいない2エンジン車キハ52形だけがなお現役。
- JR東日本は2008年中に廃車にすると言っていたがまだ達成されていないようだ。
- JR東日本の盛岡支社は冷房化はともかくワンマン対応化改造までやらないのがけち臭かった。
- 大糸線ならまだいる
- 大糸線のは、冷房化の他、強引にトイレの撤去までしてワンマン化改造を行った。
- 越美北線時代からそれをやっていた。
- 大糸線のは8トラックテープの自動放送が引退時まで聞けた。
- 越美北線時代からそれをやっていた。
- 大糸線のは、冷房化の他、強引にトイレの撤去までしてワンマン化改造を行った。
- 西日本の125号は最近全検出場した。
- 2010年、西日本の大糸線に残っていた3両が廃車されJRから形式消滅。
- しかしその後も、西日本車をいすみ鉄道が引き取ったり、東日本の廃車後の留置車が整備され海外に譲渡されたり色々と目の離せない車両。
- JR線からは淘汰されたものの、私鉄の同型車は廃車された車両もあるもののまだまだ元気に動いている。
- 留萠鉄道のタイプはめぐりにめぐって福岡へ、羽幌炭礦鉄道は茨城で神社の御神体、小湊鉄道は2023年現在現役。
- キハ20とキハ52は一見同じように見えるが、後者の方が2台エンジンの関係で車長が1m長くドア間の窓が1個多い。
- JR東日本は2008年中に廃車にすると言っていたがまだ達成されていないようだ。
- KATO製の模型はやたらと安いことで有名。何気に鉄コレよりも安い。
- 鉄道模型入門時には最適。
- モーター無で税込¥892・モーター付で税込¥2992。
- そのおかげで、構造が似ているキハ52系がなんでこんなに高いのかと思ってしまう。
- 値段が安いのも道理、ライト類点灯しない。キハ52系は点灯する。
- どういうわけか後継のキハ45より後まで残っている。
- 動力近代化で大量生産されたため、キハ45系列より保守部品が入手しやすかった事情がある。
- なんで観光列車に使うんだ?(Kenji:キハ52)
- Kenjiは元急行形。
- 両運転台のキハ20が標準型だとするとキハ21とキハ22が北海道用、キハ25が片運転台車、キハ52が2台エンジン。
- キハ21は北海道用でありながらキハ20と同じくデッキがなかったので、早々と廃車された。
- キハ22はデッキ付きとなり、キハ55を両運転台にしたようなスタイルだった。そのため急行にも運用されていた。
- 初期車は側窓がバス窓だった。
キハ30系[編集 | ソースを編集]

- JR線上では絶滅危惧種になっているが、茨城のほうに行けばそこそこ走っているらしい。
- 事業用車でもないのにドアが埋められた車両が存在した。
- 電化前の和田岬線で走ってたやつかな?
- ドアが外へ出ている
- プラグドアってやつ?
- 違う。プラグドアは普通のドアより上等だが、キハ30系のは外吊り扉と言って車体の外にドアレールを配置して戸袋を省略した形式。粗末。
- 名目上は軽量化が目的だが、実際には、当初キハ30系が導入された路線は、程なくして電化されるだろうから無駄なコストはかけないというのが本音だったらしい。
- 他には、旧型客車改造のやっつけ通勤型車両にもよく見られた。
- 違う。プラグドアは普通のドアより上等だが、キハ30系のは外吊り扉と言って車体の外にドアレールを配置して戸袋を省略した形式。粗末。
- プラグドアってやつ?
- ステンレスの試作車があった。
- 最初は地色の銀色だったけど、保守するのがめんどくさいからと、たらこ色に塗装された。
- 東急車輛がバッド社から技術提供を受ける際に国鉄のバックアップがあることを示すためにわざわざつくったらしい。
- 名前の通りの「ロングシート」が配置されている
- 車内は103系と殆ど同じだが、灰皿が付いてることと、便所がある(キハ35)ことで感じは少し違って見える。
- 「久留里線」方向幕は最近つけたものらしい
- あれステッカーじゃないのか?
- どこへ逝くのか分からない
- KIMITSU KISARAZU SODEGAURAという文字ととタヌキと植物の絵がかかれているステッカーが塗布されている。
- アレのおかげで久留里線では現役バリバリ。
- ローカル線に転用された後、他のキハと連結して普通列車を担当したが、この車両は人気が無くいつも空いていた。理由はただ単にロングシートだから。
- 狭くて居住性の悪いキハ10系列と編成を組んだときなどは、乗客は(悪い意味で)どちらに乗るか迷った。
- 正式にはキハ30系ではなくキハ35系である。
- その昔、急行列車に連結していたらしい。今ではロングシートの急行なんてマスコミに叩かれるだろうに。
- 当時の急行は全席指定ではなかった。さすがにどーしてもやりくりがつかない時の代車としてだったが。
- かつては羽越本線でも運行されていた。
- 交直セクションを挟む村上~酒田のローカル運用が気動車だったため(今もそう)。新潟所属の車両が運用されていたらしい。北限は山形県内にも入っていたとか。
- 実は四国にも存在した。
- 徳島地区で運用されていたらしい。
- 片方だけ1ドア車になったやつがあった。
キハ31形[編集 | ソースを編集]
- キハ54形の九州バージョン。急勾配を走るため、軽量化する必要があったので、車体が短くなった。
- くま川鉄道に譲渡された車両もあるが、一足先に廃車となった。
- JR九州に所属している車両も小振りな車体でトイレを設置することができなかったためか、キハ66・67やキハ40系を置いといて廃車が出ている。
- JR九州は本形式にもトイレを設置したかったが、床下機器が一杯で設置が難しく、見送られた。その結果、扱いづらい存在になってしまった。
- あと台車に発生品を使用していたから。
- JR九州に所属している車両も小振りな車体でトイレを設置することができなかったためか、キハ66・67やキハ40系を置いといて廃車が出ている。
- 新幹線0系の廃車発生品転換クロスシートを改造したのを装備してる。
- 存在が地味すぎたのか、全廃されたのに気付かなかった人が多数いた模様。
キハ32形[編集 | ソースを編集]
- 四国に投入された。見た目は当時流行りだったレールバスそのまんま。
- 見た目も性能も、同時期に投入されたキハ54 0番台と九州地区のキハ31を更にしょぼくした感じ。
- ↑の2形式と同じく、コスト削減のために、変速機や台車は旧型車から流用した。
- 新潟鐵工所と富士重工業の2社で製造されたが、メーカーごとに車体デザインが違っている。
- 後に登場したJR西日本のキハ120形(特に初期の鋼製車)とも印象が似ている。
- 見た目も性能も、同時期に投入されたキハ54 0番台と九州地区のキハ31を更にしょぼくした感じ。
- 「海洋堂ホビートレイン」として、新幹線0系もどきの外観になった車両もある。
- 車内には0系の座席もある。
- 四国には新幹線の建設予定もないので、これで新幹線気分を味わおうということなのだろうか?
- 同世代の廃車が進んでいるなか、一両の事故廃車すら出てない。
- 民営化後30年を過ぎても全車現役。基本構造はレールバスなんだから、耐用年数は限界に達してると思われるが…。
- 民営化後には、トロッコ列車用としてキクハ32が新製された。と言っても台車は廃車発生品の流用。
- 動力用エンジンは積んでいないので、キハ185とペアを組んで運転されている。
- 東日本大震災後、被災地の子供達を元気付けるために、JR東日本管内を団体臨時列車として走った。
キハ37形[編集 | ソースを編集]
- 外見はキハ40とキハ38のあいのこと言った感じ。
- 量産車も登場するはずだったが、他の形式に余剰車が多く出たことにより計画はお流れに。不本意ながら国鉄の次世代気動車のコンセプト車両となった。
- 車両を長く使うことに定評のあるJR西にも匙を投げられた。なんとキハ20系列より先に運用を失っていた。かわいそう。
- 長野電鉄10系電車と同様、少数派車両ゆえの宿命。
- 前面のデザインがどことなく東武8000系と似ている。
- 久留里線でのJRの運用終了後、キハ38と共に水島臨海鉄道に譲渡されるらしい。JR西日本車の立場は…
- 首都圏色化(朱色5号)された車両もあった。
- 登場当時は赤11号だった。
キハ38形[編集 | ソースを編集]
- キハ35形の改造名義で国鉄工場で新造された。実際、キハ35形の部品を流用している。
- 冷房がついたので喜ばれたが、その実バス用の冷房装置を使ったため、冷却能力が不足気味だったという。
- 縦形エンジン搭載のキハ37の構造を流用しているので、腰高になっている。
キハ45系[編集 | ソースを編集]
- キハ20系とキハ30系の間に相当する車種がなかったため、製作された。
- キハ20系の欠点にキハ30系の利点を取り入れた。
- キハ20系は片開きドアであり、ラッシュ時に不向きという欠点から2扉ながら両扉で幅のあるドアにした。
- このスタイルは後に登場する2ドア近郊形に影響を与えた。
- 気動車では初めてであるが、実は小田急が準特急用電車であった2320形がこのスタイルを先取りしている。
- このスタイルは後に登場する2ドア近郊形に影響を与えた。
- キハ20・30系より経年が若かったものの使い勝手が悪く(特に片運転台のキハ45)、JRになってから廃車が進んだ。
- 皮肉なことに1世代前のキハ20・30系が未だに生き残っている。
- 先代のキハ20・30系と次のキハ40系に挟まれて地味な車両。
- 製造数も保存数も少ない。
- というか保存車の情報を調べてもなかなか出てこない。北海道にキハ24が1両だけあるようだ。
- Wikipediaにも情報が他と比べて少ない。元々書けることが少ないだけかもしれんが。
- 製造数も保存数も少ない。
- 殆ど他の気動車と併結したり単行でローカル線を走ったりしていたので、近郊型としての役目を正しく果たせたかは疑問。
- 形式番号はキハ40番代だが登場時期の関係でキハ40系列には含まれない。
- 国鉄時代、急行列車に使われた事がある。
- この車両も都内での運用があった。
- 大阪府(といっても枚方市だが)でも運用されていたが平成最初のダイヤ改正(89.3)で片町線電化に伴い消滅。
キハ54形[編集 | ソースを編集]
- JRに引き継ぐにあたって、北海道と四国の状況があんまりにひどいということで新製された。
- 北海道仕様は転換クロス。一方、四国仕様は文字通りのロングシート。
- 1両だけ789系と同じ座席を使用した車両が走っている。
- その一両はルパンラッピングになっているらしい。
- 1両だけ789系と同じ座席を使用した車両が走っている。
- 四国はバスドアで安っぽく見えるが、北海道はちゃんとした引き戸なのでそれなりに見える。
- 北海道仕様は転換クロス。一方、四国仕様は文字通りのロングシート。
- コスト削減のため、変速機や台車は旧型車のものを流用している。
- ドアエンジンなどはバス用を流用
- 但し、北海道用はほぼ新品
- 形式は同じだが、今は亡き急行「礼文」用に急行形仕様で落成した車両がある。
- 形式号54はキハ53形の次ということで順番につけられたものだが、国鉄「54」の呪いを回避する為別番号に振ることが真剣に検討されたらしい。
- 初のペイント車両が踏切事故で廃車となったがそれは「54」の呪いか?
- 製造時期と車体の寿命を考えるとそうかも…………(汗
- 製造開始年が、ED54=1926、DD54=1966、キハ54=1986年ェ
- ステンレス車体だし、JR北海道のものは台車載せ変えているからむしろ長く使いそう。
- JR北海道では新型気動車の導入計画があるが、今のところ、置き換え候補にはなっていない模様。
- 製造時期と車体の寿命を考えるとそうかも…………(汗
- クモハ54は長寿の部類でしたが、何か?
- 54機関車の呪いと言った方が正しいのかも。
- 初のペイント車両が踏切事故で廃車となったがそれは「54」の呪いか?
- 国鉄~JRの垂れ流し式トイレを持つ車両としては、最後の新造車両。
- 夜行列車に使われたことがある。
キハ55系[編集 | ソースを編集]

- 準急用気動車として初めて製作された。
- 元々は日光用として製作されたが、日光線が電化すると157系に置き換えられてしまった。
- キロハはなぜか便所が運転室側にあった。
- 優等客室からエンジンを遠ざけるのに機器配置をキハ26と逆にしたから。
- 運転室の後ろに便所・洗面所を設置するというレイアウトは、他には近鉄12000系があるぐらい。
- 国鉄から準急がなくなると次第に普通列車に転用された。
- 冷房の搭載こそされなかったものの、1980年頃まではローカル線の急行列車にもよく使用されていた。完全に普通列車用になった1980年以降になるとタラコ色一色塗装になった。
- 当初はクリームにマルーンの帯だった。
- 最後まで生き残ったのはキニ56だった。
- 常磐線の荷物列車でキニ55・58と共に使われた。
- 電化区間でありながらキニが使われたのは交直両用の荷物電車の製作が難しかったため。
- それと、隅田川駅のホームが非電化だったから。
- 常磐線の荷物列車でキニ55・58と共に使われた。
- 南海電鉄も同型車両を保有していたことがある。
- 事故車が関東鉄道に譲渡され、史上初の4ダァ気動車となった。
- 同形車は島原鉄道にも存在した。
- 島原鉄道にはキハ26形タイプの車両で唯一冷房改造を施した車両があり、博多直通の急行に使用された。
- 北海道ではキハ55とほぼ同等の車内設備を持つキハ22が準急にも幅広く使用されたため、キハ55系の北海道バージョンは製造されなかった。但し暫定的に夏季のみ北海道で使用されたことはある。
- 1956年11月改正で10系客車とともに登場。しかし、こちらはキハ81形登場後の1961年春まで製造されていた。
- 初期車はキハ10系と同じバス窓だったが、後期車は1段上昇窓になった。
キハ66・67系[編集 | ソースを編集]
- いわゆる「シーサイドランナー」
- 「シーサイドライナー」な。
- かなり馬力があるらしい
- 馬力はキハ65搭載のエンジンと同レベルらしい。
- 最近エンジンを交換した。
- その絡みで(?)屋根上からラジエターやら冷却水強制循環ポンプ等とそれらにかかわる配管が消えた。屋根上スッキリしたのはいいが、往時を知るファンからは「何か物足りない」という声があるとか…。
- 車内で会話ができないらしい
- 電車のクーラーを採用したとか
- キハ200系と比較して「ハズレのほう」。
- ただキハ66・67にはトイレ付いているしな……
- でも1975年の登場時を考えるとかなりレベルの高い車両では。
- 元々筑豊地区の輸送改善に快速用として1975年に投入された。キハ200の快速<赤い快速>新設後は普通列車に転用。篠栗線・筑豊線電化で直方気動車区から長崎車両センター(新設)へ移籍。国鉄時代生まれの一般型ディーゼルカーとして初めて側面に行先幕設置。
- 新幹線博多開業に備え、筑豊地区輸送改善のために製造。
- この車両を基にして117系電車が生まれた。よく見ると側面の窓配置が似ている。
- キハ40系列の基にもなった。よく見たら前面の形状が同じ。
- 国鉄時代には有料の急行にも使用されていた。
- 登場当時のカラーリングも一般型のそれではなく急行型のそれだった。
- キハ66とキハ67の2両一組。
- 転換クロスシート、冷房付きなど当時の国鉄一般形としては超の付くデラックス仕様。
- 空気バネ台車も。
- 高い製造コストと、過大な自重のせいで他のローカル線への導入ができなかったため、30両で製造打ち切り。
- 在来車と同じジャンパ連結器を2基装備したので異形式連結ができる。国鉄時代はキハ58系を併結して急行運用に就いてた。
キハ80系[編集 | ソースを編集]


- 実は最後まで保有していたのはJR東海。
- さよなら運転も行った。
- 最後の営業運転はJR北海道のトマムサホロエクスプレスである。
- 耐寒性能はそれほど高いわけではなく、北海道での運用はとても寒かったらしい。
- とはいえ、北海道の過酷な環境では速度が出せずキハ80の低性能はあまり問題にならなかったとか。
- ガセ。「北斗」などなんと表定速度91km/h(最高速は100km/h)でぶっ飛ばしているのだ。
- 他系列では北海道用とそれ以外では形式が分かれていたが、本系列は同じだった。
- とはいえ、北海道の過酷な環境では速度が出せずキハ80の低性能はあまり問題にならなかったとか。
- キハ181系と見分けるのは難しい。
- 前照灯と尾灯のケースが丸みを帯びているのと、側扉が引き戸式になっているのがポイント。
- ほかにも、キハ181系は中間車の屋根上の両側面に黒くて大きな放熱器をズラリと担いでいるし、エアコンもキノコ型ではない。また、国鉄塗装同士なら先頭車の側面帯の運転台側の塗り分けの形状も違う。ぶっちゃけ、見分けはむしろ簡単な部類ではないかと…。
- 屋根の色が黒い車両と白い車両がいる。
- 「はつかり、がっかり、事故ばっかり」
- そういえば、後継のE751系も故障が多いとよく聞く。
- あまり、触れられていないが、この形式の最後の運転は北海道である。
- 貫通式のキハ82が民営化後まで残ったのに対し、ボンネット型のキハ81は早くも1978年に紀勢本線の「くろしお」で引退した。
- キハ81の愛称は「ブルドッグ」。
- キハ81は試作要素が強いからしょうがない。
- なんだかんだ言って、現在の特急列車網(新幹線含む)の礎を築きあげた車両。
キハ91系[編集 | ソースを編集]
- 1967年に初の高出力気動車としてデビューした急行形。500psエンジンを搭載し電車特急並みに走れた。
- キハ65・66・67系、キハ181・183系はこの形式の技術を踏襲。
- 中央西線や高山本線を走っていた。
- 3枚折戸が特徴だった。
- 早くも1976年9月にさよなら運転が行われ、翌年に廃車解体された。
キハ183系[編集 | ソースを編集]

- 便宜上、JR九州所属車もこちらで扱います。
- 新製当時、特急型気動車ではキハ81形以来の高運転台車。
- 北海道専用…のはずが1本だけ道外にいる。
- 人間の名前を付けられたり、赤く塗られたり、黄色くされたりと、なかなか波瀾万丈の車両である。
- 九州にいるキハ183-1000ですな。
- オランダ村→ゆふいんの森II世→シーボルト→ゆふDX→あそぼーい!(23年春運行開始)
- 国鉄485系電車と協調運転する能力を封じられた時間の方が既に長い。
- 九州にいるキハ183-1000ですな。
- 北海道のは黄色くされたのではなく、黄ばんでいる。
- 人間の名前を付けられたり、赤く塗られたり、黄色くされたりと、なかなか波瀾万丈の車両である。
- 民営化後に製造された車両も存在する。
- 国鉄が導入計画を立てたとき、国会で槍玉に挙げられた。
- そのとき「北海道に専用の特急車両を作っても、乗客はクマしかいないんじゃないか?」という指摘に国鉄側は「運賃さえ払ってくれればクマでも乗せる」と答えた。って交通とクマって定番だな北海道。
- ちなみにこれには元ネタがある。
- そのとき「北海道に専用の特急車両を作っても、乗客はクマしかいないんじゃないか?」という指摘に国鉄側は「運賃さえ払ってくれればクマでも乗せる」と答えた。って交通とクマって定番だな北海道。
- ミャンマーが中間車だけ買っていった。何に使う気だ?
- 客車としてミャンマーで第二の人生を送っている
- キハ183-902は、解体される前にスーパー白鳥の試験塗装で黄緑になった。
- 貫通型先頭車は、かぶりつきというほどでもないがカムイ事故以降も定期列車で前面後方展望ができる。
- 指定席を取る場合、進行方向右の座席を指定する事。運転室の後ろは窓の無い壁だ。
- キサロハ182のはまなす転用計画はいつの間にか立ち消え。
- 魔改造された785系とあまり製造時期が変わらないのでまだまだ使える。振り子式でないのが痛い。
- ニートレイン化から十数年、車内の劣化が激しく使えたものではないという噂も・・・
- 結局これといった転用もなく、2014年秋に解体となった。
- 国鉄形気動車としては、130km/hを営業運転している唯一の形式。
- 国鉄形の特急型気動車では、色々な意味で完成度が高い。
- 0番台を最初見た時電車だと思った・・・。
- 北海道にいる車両は現在運転を休止している。
- 該当車両はエンジンを取り替えて運用復帰した模様。
- 念のため言っておくと、全てではない。
- 国鉄最末期に登場した500番台は0番台と同一形式とは思えない出来。
- 民営化直前だったため、側面のJNRマークはおろか、前面の特急マークの飾りすら付けない開き直りっぷり。
- サロベツ用の指定席車は全席コンセント付きという大サービスっぷり。
- キハ183系の話で、リゾート車両が出てこない事が多い気がする。
- そもそもJRになってから製造されたキハ183系というものが忘れられがちである。
- そんなリゾート車両も寿命を迎えてきており、2017年にニセコエクスプレスが引退。クリスタルエクスプレスも2019年に引退の予定。
- 一部急行列車組み込みの改造が行われた中間車がある。
- 塗装がキハ400と同じなのですぐわかる。
- 元はお座敷車に転用された車両の補完によるもの。
- 急行のみならず、快速ミッドナイトに入ったこともある。
- 特急用への復元改造がめんどくさかったのか、キハ400使用の急行が全廃されるとそのまま廃車となった。
- 塗装がキハ400と同じなのですぐわかる。
- 0番代はタイに譲渡された。500番代も海外譲渡されるとか。
- JR九州
- JR北海道にいる車両と主な機器が同じなので同形式だが、実態はずいぶん違う。
- 形式だけみると国鉄っぽい感じだが、1988年3月13日デビューのJR九州生え抜きのディーゼルカー。北部九州地区と長崎オランダ村を大村線経由で結ぶ「オランダ村特急」として投入された。
- しかし大村線を走るのはかなり先になってから。「オランダ村特急」時代は門司港~佐世保だけ。
- この特急電車と同年同日デビュー。
- 485系と連結運転出来る…といえば北陸の「ゆぅとぴあ」に先例があるんだが、コチラは単に電車に引かれるだけではなく、エンジン稼動させての協調運転・動力協調運転が出来る。
- この運転は後の731系とキハ201系との併結運転の実験台だったという噂があるぞ。
- オランダ村特急→ゆふいんの森Ⅱ世(ゆふいんの森の増発扱い)→シーボルト(この列車になってようやく大村線を走る)→ゆふDX→あそぼーい!
- オランダ村特急時代の側面幕は「小倉」・「佐世保」と文字表示だけ。
キハ185系[編集 | ソースを編集]
- もともとは四国用の車両だが、一部車両は九州を走っている。
- JR四国で余剰となった車両を「あそ」などに使用するためJR九州が購入した。現在は「九州横断特急」や「くまがわ」で活躍中。
- 経営が苦しくなるであろう民営化後の四国の会社の事を考えて、国鉄が製造した車両だったのだが…。
- 四国の主要列車で活躍したのはほんの数年足らず。気がついたら2000系・8000系に全て置き換えられていた。
- 今や特急としては、数本の「うずしお」と、牟岐線・徳島線のローカル特急で運用されるのみである。
- 徳島県民にとっては一番馴染みのある特急車両。
- 登場当初は深緑色の帯だったが、瀬戸大橋開通後水色の帯に変わった。
- JR九州が購入した車両は赤系の塗色に変わっている。
- その後、再び深緑帯に戻された車両もいる。
- しかし国鉄時代とは微妙に配色が異なっている為、地元のファンの間では「偽国鉄色」等とも言われている。
- 半室グリーン車の普通車側のシートに新幹線の使い回し品を使っていた。
- 普通車側は転換クロスだったのだが、JR九州が購入した車両はその区画もリクライニングシートに交換された。
- 「185系」つながり?
- 普通車側は転換クロスだったのだが、JR九州が購入した車両はその区画もリクライニングシートに交換された。
- 普通列車用に改造された車両もある。
- 背もたれは倒せない様に改造されているはずなのだが、何故か倒す事が可能な座席もあるらしい。
- 多分改造工事がチャチだったので、止め具が壊れているのではないかと…。
- キハ185-3000のこと。
- そもそもこの車両自体普通列車運用も考えられていたようで。
- 牟岐線の末端区間(とかつての阿佐海岸鉄道)では普通列車になっていた。
- 背もたれは倒せない様に改造されているはずなのだが、何故か倒す事が可能な座席もあるらしい。
- ジョイフルトレインに改造された車両もある。
- といっても外観はそのまま。カラーリングが変わっただけである。
- 半室グリーン車は使い道が無くなったので、一部はアンパンマンルームに改造された。
- 「ゆうゆうアンパンマンカー」と名付け、徳島周辺の特急に連結させて走らせている。
- 当時の国鉄関係者が聞いたら、腰を抜かしそう。
- 九州に行った仲間は別の形で改造された。
- 謎のワンマン特急に使われている。
- 四国に行った仲間のうち、「あい」(タヌキ)と、「I LOVE しまんと」(カワウソ)の塗装が酷似している。
- 何気に国鉄で、ステンレス車体を持つ特急車両と言うのは、この形式が初めてである。
- キハ85系と同世代の編成が存在する。
- エンジン以外の足回りのほとんどはキハ58などから取ってきた中古品なので、新車として高松運転所に配置された当時の現場の作業員たちは将来を悲観視していたらしい。
- 流用と言っても,制御機器や逆転機類程度で,台車は国鉄205系電車のボルスタレス台車を気動車用に設計し直した,国鉄最後の設計台車だとか。
- 後継車である2000系の廃車が進む中、キハ185は一部が観光列車へと改造された。
- 2000系は後継車両の開発・製造が進む中、この形式はそのような話を全然聞かない。
- ヒント:走行距離
- 今のところグリーン車1両が廃車されたのみ。牟岐線特急の減便で余剰になるという噂。
- しかしその編成は観光列車に転用。
- 2000系は後継車両の開発・製造が進む中、この形式はそのような話を全然聞かない。
- 「最後の国鉄型特急はどこだ!?」と侃々諤々しはじめているが、その話題において大概忘れ去られる。
- ほぼ観光列車専用形式。
JNR 日本国有鉄道 |
---|
新幹線 / 成田新幹線 | 動労千葉 |