国鉄の蒸気機関車
- 新規項目追加の際は動軸数が若いもの→形式番号が4桁のもの→アルファベット表記が使われているものの順で形式番号が若い順に入れてください。
動軸数2[編集 | ソースを編集]
6760形[編集 | ソースを編集]
- 日本各地で長く旅客列車に使われたあの名機、8620形の兄弟機。
- ボイラーとシリンダーを8620形と共通に、足回りを先行していたB型制式機を基に組み合わせた。
- 動軸数の差が汎用型と軽旅客型の決定的差となってしまった。総重量はほぼ変わらないので運用できる線区もほぼ変わらない。
- 旧式の設計を引きずってしまったがために使い勝手も悪く早期に休車、廃車されてしまった8620形と対照的な運命の機関車。
B20形[編集 | ソースを編集]
- 通称「豆タンク」
- 主に入れ替えようとしてつかわれていた。
- 汽笛の音は明治時代の古典機と同じく「ポー」という単音
- D51より後に作られたSLの割に五室汽笛じゃないのは違和感大。
- 実は戦中に作られていた機関車。
- 梅小路に保存されているのは50系の前に連結されている。
- まれに動く日がある。
動軸数3[編集 | ソースを編集]
2100形[編集 | ソースを編集]
- 最も台数が多かったのは2120形で、通称B6。
- 原産国とメーカーの違いで2100、2120、2400のサブタイプがある。
- 貨物用や勾配区間用に愛用された明治生まれの万能機。
- 入換用として、国鉄や北海道の私鉄にかなり遅くまで残っていた。
- 動輪の軸重が約14tとC58に匹敵する勢いで、国鉄から大量に放出されたものの軌道の貧弱な地方私鉄や専用線には入線困難。しかしその軸重のおかげで空転しにくくヤードでの重入換や軌道の丈夫な専用線や運炭鉄道などでは重宝重宝。大きい軸重と先輪なしのC1という軸配置のせいでレールを横に押して軌道を痛めてしまうので、国鉄時代以前の本線仕業は原則としてバック運転だった。
- 2109は大井川鐵道で最初の保存蒸機として走った後に、工業大学で動態保存。
- 動態保存されているB6として唯一のもの、学校で動態保存されている機関車としても。
- 名古屋市の河村市長があおなみ線に本運行させようと計画している。
- という事をいうひとは理解してないひとで、B6はあおなみ線の高架橋を踏みつぶす重量がある(意訳)。
- 明智のC12の復活費用を折半して借りればいいのだが、ねえ。
8620形[編集 | ソースを編集]
- 愛称はハチロク。レビン/トレノではない。
- 大正生まれの、おそらく現在JRに車籍の残っている(静態ではない)最古の機関車。
- さすがにガタがきているので、今工場で修理中らしい。
- 静態保存に移行する予定だったが、奇跡的にも日立製作所で製造された当時の図面が見つかったんだとか。
- 復活を望む声が高かったのも理由かと。
- 静態保存に移行する予定だったが、奇跡的にも日立製作所で製造された当時の図面が見つかったんだとか。
- もともとは肥薩線の峠に程近い矢岳駅構内のSL展示館に静態保存されていたもの。でも「峠のハチロク」と呼ばれることはないはず・・・
- こっちのハチロクは出力はその後の大型機に比べれば小さいが、設計上空転することがなかったので、山岳線で喜ばれる場合も多かったとか。
- 1軸の先台車と第1動軸が連携して首を振る島式先台車なるシステムのおかげで峠の急カーブにも強い。うーむハチロクである。本来は平地で急行や快速を2軸先台車の機関車並みのいいペースで牽引するためのシステムなんですが。
- こっちのハチロクは出力はその後の大型機に比べれば小さいが、設計上空転することがなかったので、山岳線で喜ばれる場合も多かったとか。
- 鉄道そのものが保存物である保存鉄道ではもっと古い物も存在するが、一般の鉄道線上を営業運転できる機関車に限れば世界最古ではないかと思う。
- 営業運転復帰時と再復活時に大規模な部品交換が行われたため大正時代の部品はほとんど残っていないといわれている。
- さすがにガタがきているので、今工場で修理中らしい。
- 09年4月25日から週末中心で「SL人吉」として走ります。是非ご乗車ください。(by JR九州)
- ジブリ映画「風立ちぬ」に出てきた汽車のモデルはこいつがマッチ箱客車を引いたもの。時代の設定は大正時代であるがなぜかD51と同じく五室汽笛(ボォー!!)。
- しかもドラフト音まで重厚感があるので音自体高崎のデゴイチや大井川鐵道のかわね路号を録音したものに聞こえてしまう。
- しかも、キューロクまで大正時代の設定でありながらD51と同じ汽笛の音になっている。
- 何の因果か某エロゲでメインヒロインに抜擢されてしまった。
- メインビジュアルや設定を見た限りでは、上記のSL人吉用牽引機(58654号機)がモデルと思われる。
- 更に何の因果か、無限列車にもなった。
- 実は初期生産型(例:青梅鉄道公園にいるトップナンバー)とそれ以外(例:SL人吉の58654号機)ではキャブの裾の形状が違う。
- 初期生産型はキャブの裾がS字型、それ以外が乙字型である。
C10形[編集 | ソースを編集]
- C11の先祖。
- 今では、動態・静態ともに合わせて大井川鐡道の8号機しか保存されていない。
- 汽笛がなぜかC11型などよりも甲高い。
C11形[編集 | ソースを編集]
- D51などに比べれば小さな機関車。
- と、思われているが、実はそれほど小さな機関車ではなかったりする。タンク機=小形は、その後のC12形以降のイメージによる誤解。
- もともと快速列車用のカマでもあった。ケツを前にして走ると俊足に化ける。
- 高速運転が前提なので、ちっこくてもデフレクターが付いている。
- 入換用に使うと足が速すぎて突っ込みそうでコワかったらしい。
- 高速運転が前提なので、ちっこくてもデフレクターが付いている。
- こち亀でビールを燃料に暴走した。
- ちなみに、そのC11が保存された店の名前は「シーイレブン」である。
- 大井川鉄道に227号機が現役バリバリ走ってる。
- 特急の定期運用に就いてたことだってあるんだゾ。
- 確か…20系客車時代の寝台特急<さくら>・佐世保編成牽いてたねぇ…。
- 主牽引機はDD51形だったのだが、当時佐世保駅構内での機回しが困難だったためC11を最後尾に連結して、到着後引き上げの回送列車を牽引させていた。
- 確か…20系客車時代の寝台特急<さくら>・佐世保編成牽いてたねぇ…。
- 14年7月はデフを取り外してトーマスに改造したぞ。しかも旧客まで近鉄オレンジに塗り替えてまで。
- 特急の定期運用に就いてたことだってあるんだゾ。
- 東日本管内でよく見るのは真岡鐵道所有のものか。
- JR東管内を連れ回されている。ならいっそC11をもう1機東所有で復活させろよと…
- あのレンタルでC12も含めた保守費を相殺させているとか・・・。
- 只見線のSL復活で真面目にJR東でC11の自社保存を行おうとしたが、その仙台支社が現状で十分という判断で今も頻繁にレンタルしまくっている。
- 325号機であれば真岡鐡道の所有。JR東日本がレンタルしてくれないと左沢へ里帰りできなくなる。
- 325号機が真岡鐵道から遂に手放すそう。引き取り手はどこになるか気になる。
- 流石の真岡鐵道もSLを2台まとめて保守する費用がかさんでしまったようだ。
- 静態保存で日本中に大量にあり、さらに動態保存機は最多の5両で、日本人にとってはD51やC62と並んで馴染み深い機関車かも。
- 2014年秋、北海道ではついに釧網本線以外で運行を取りやめることに。
C12形[編集 | ソースを編集]
- C11型を軽めにした機関車。
- ボイラーはC56型と共通。
- 今では真岡鐵道で石炭をたいて走っています。
- NHKの朝の連続テレビ小説「すずらん」のロケに使われていた蒸気機関車がこの機関車。
- 明知鉄道では図書館の74号機と小学校の244号機を復活する計画がある。
- 244号機は遂に明知駅に到着。圧縮空気を用いた構内運転を予定。
- 若桜鉄道のは2007年から圧縮空気による構内運転をしている。
- 近い将来、石炭で動く蒸気機関車として本線走行を目指すとして募金活動が行われている。
- 案山子を載せた12系を引いて実験運用もしていた。
- 大井川鐵道では火を落としてしまった。
- 2015年6月ごろにKATOからコアレスモーター付きで初めて製品化することに。
C50形[編集 | ソースを編集]
- 実は製造初年はC51(18900)より後。
- それどころかC53よりも後。
- 8620を近代化させ何でも出来る万能型にしたつもりが、逆に中途半端になり使い勝手が悪くなってしまった。
- でも気にせず最終的に154両も作ってしまった。
- 貨物入換とか短区間の旅客に使う機関車が必要な時期だったので多く造られたんで、性能が優れていたわけではない。
- KATO製の日本初のNゲージは、この車両とオハ31だった。
- 簡単に120km/hを越したらしい。
C51形(18900形)[編集 | ソースを編集]
- C50より先に開発された機関車
- 主要幹線で使うことを目的に開発された
- 東海道・山陽本線の特急燕を牽引する際、横浜~名古屋ノンストップ運転の為に、補助炭水車を連結していた。
- お召し列車牽引機としては、EF58 61に匹敵するほど牽いているとか。
- 晩年は地方の幹線で活躍していた。
- この機関車のお陰で改軌論争が一旦終わる。
- 4台残っているが239号機をはじめ皆ボイラーを解剖されたり台枠骨折してて復活は無理っぽい。
- 239号機は実はボイラー分解したままガワだけ直しただけ。
C52形(8200形)[編集 | ソースを編集]
- C53の元ネタになったアメ車3気筒機
- アメ車なので日本の環境に合うようキャブなどを作り直された。
- やっぱりアメ車なんで燃費悪いわ整備しにくいわで使いづらくて結局終戦後纏めて全部スクラップ。何じゃそりゃ。
C53形[編集 | ソースを編集]
- 国鉄が開発した唯一の3気筒の蒸気機関車
- 背伸びして複雑な3気筒を採用したが、Link機構の精度や設計そのものが良くなく、発車できない事件が稀に起こった
- 廃車後、炭水車はカバーをつけて糖蜜専用のタンク車に改造された。おそらく日本のタンク車史上随一の珍車。
- 2つ上の理由で、一回もお召し列車を牽引することが出来なかった。(C51が牽引)
- 動作不良は当時の日本の技術力の低さが理由とされていたが、海外製のオリジナル機でも同様の不良があるらしい。
- 流線型にした機体もあったが一部分が熱くなったりしたという。
- 130km/h以上で走行したことがあるらしい。
- でも、元々弁装置の設計が悪く故障ばかりだったので都市伝説っぽい。
- 日本の蒸気機関車で、五室汽笛(「ボォー」という音の笛)を初採用したのは当機だ。
- 43号機だけ新幹線だかなんだかわからんエアロキットを纏って製造された。
- 仲間は皆天に召されたが45号機が只一両生き残り余生を送っている。
- かなり早々に廃車されてしまった。なかにはボイラー代用になった機体も。
C54形[編集 | ソースを編集]
- 国鉄形蒸気機関車の中で輸入機と派生機を除いて唯一保存車が無いかわいそうな車両。
- 「54機関車の呪い」はこの機関車から始まった…。
- C51の改良型になる筈が、それほどではなかった。
C55形[編集 | ソースを編集]
- 門鉄デフの似合うハンサムな奴。
- 流線型は人気なのか黒歴史なのか?
- マニアは流線型解除後が一番ハンサムと言う。
- しかし当時のゴタゴタで間違えて30号機をぶっ潰し、結局元流線形機は1台も残ってない。何たる無念。
- 50号機を慌ててナンバーだけナンチャッテ30号機に仕立てたが、結局見破られた。今は50号機に戻っている
- テンプラナンバー!!
- 最後は北端と南端で急行列車を牽いて、造られた当初と同じ仕事をしていた。
C56形[編集 | ソースを編集]
- 戦時中一部がタイに行った。終戦後もタイ国鉄で使用されていた。
- タイ帰りの1両は大井川鐵道に、もう1両が靖国神社で保存されている。
- 大井川の44号機は一度キャブ屋根の形状以外は国鉄時代に戻されたが、現在再びタイ仕様になっている。
- でもまた戻ったw。
- そしてジェームズ(きかんしゃトーマスの方)になった。
- でもまた戻ったw。
- 大井川の44号機は一度キャブ屋根の形状以外は国鉄時代に戻されたが、現在再びタイ仕様になっている。
- タイとミャンマーを結んでいた泰緬鉄道で走らせるため。ミャンマー側にもc56が残されたという。
- タイ帰りの1両は大井川鐵道に、もう1両が靖国神社で保存されている。
- 地方ローカル線の長い距離を走らせるため、小型機のC12に炭水車を付けた。
- 末期は長野に多く配置されていた。
- バック運転時の視界確保のため炭水車を斜め切りにしたらしいが、従輪も取っ払ったため、バック運転時の脱線が多発。そのせいか、「北びわこ号」の運行は片道だけになってしまった。
- 神奈川臨海鉄道には139号機がいる。こちらは圧縮空気で動くが、汽笛は吹鳴できない。
- 160号機の汽笛はC581号機につけられていたものを鳴らしているらしい。
- 2017年には160号機が遂に本線から引退するとのこと。後任はデゴイチに。
- 兵庫県にいた135号機が大井川鉄道にきた。
C57形[編集 | ソースを編集]
- 日本で動けるものは2両だけ。
- むしろ2両もいる。D51ですら本線走行ができる状態のものは1両しかないのに。
- ちなみに最多はC11で、何と5両も。
- それだけC11が、現代の保存運転の実情に見合った合理的な大きさと構造になっているということ。
- ちなみに最多はC11で、何と5両も。
- 21世紀になってもトップナンバーが営業運転している蒸気機関車って他にいたっけ?
- むしろ2両もいる。D51ですら本線走行ができる状態のものは1両しかないのに。
- 180号機は30年静態保存していたものを再利用。
- 新潟県新津市立新津第一小学校の生徒が欠かさず手入れしてきた賜物である。
- 新潟県新津市立新津第一小学校の生徒達に惜しみないGJを送りたい。
- 更に現役時代でも、新津のC57の中では1、2位を争う最好調機だったとか。ちなみに同僚の1号機はその反対だったと言われる。
- 新潟県新津市立新津第一小学校の生徒達に惜しみないGJを送りたい。
- 新潟県新津市立新津第一小学校の生徒が欠かさず手入れしてきた賜物である。
- 愛称は「貴婦人」。
- ズングリムックリでもなく、たくましい系でもないバランスとれたスタイルだから。
- 「貴婦人」と呼ぶのは初期型だけという主張もある。準戦時型以降のばかでっかい蒸気ドームが不評らしい。
- 主張ではなく、もともと貴婦人は1次・2次形の愛称だった。なので、C57180は貴婦人ではない。
- 「貴婦人」か…なんだか皺の中に人生のあれこれを刻み込んだ素敵なおばあちゃんに見えてきたよ。
- 山口線で頑張る1号機の煙突に付いてた(今でも付いてる?)集煙装置は、鉄道ファンから大不評。
- 長工式集煙装置。現役時代C571には装着されていなかったが、復活運転で取り付けられた。但し鉄道ファンから大不評というわけではなく、一部のファンには不評(人気もある)。たまに外されることも。
- 現在は外される期間の方が多くなり、付けられている期間を超すことも珍しくはない。
- 長工式集煙装置。現役時代C571には装着されていなかったが、復活運転で取り付けられた。但し鉄道ファンから大不評というわけではなく、一部のファンには不評(人気もある)。たまに外されることも。
- 播但線では、重量級の貨物列車から、小運転列車まで、オールマイティにこなしていた。
- 重量級貨物列車では3重連もあった。
- 1号機は波乱の人生を送ってきた。米軍機の機銃掃射、脱線転覆事故、京阪100周年記念号事故、阪神淡路大震災…
- 戦後のボイラー交換で調子が変わりやすくなり、日によって運転しやすくなったりしにくくなったりしたようだ。
- 脱線転覆事故の時は廃車も考えられたが、当時の新津機関区長の英断で復活することが出来た。
- 京阪100周年記念号事故で窮地に陥ったが、当時の国鉄総裁の英断で「SLやまぐち号」として再度走りだした。
- 都市部でやると似たような事故が起きかねないので、地方でやろうということに・・・
- 大震災では検査中だった車体が大きく損傷。今は亡き鷹取工場の力で甦った。
- 京阪100周年記念号事故で窮地に陥ったが、当時の国鉄総裁の英断で「SLやまぐち号」として再度走りだした。
- 1号機。生まれて75年を過ぎたが、今後も頑張ってほしい。
- 1号機の汽笛の音程は「ドファラ」と物凄く甲高い。
- 1号機は動態保存化するまで西日本と縁がなかった。
- 本州の東日本において最後まで活躍が見られた線区は、羽越本線。一方、本州の西日本において最後まで活躍が見られた線区は、山陰本線。
- 九州において最後まで活躍が見られた線区は、日豊本線(ただし、最後の最後まで活躍したのは、入換機として運用された鹿児島機関区所属のカマ)。一方、北海道というか、日本での現役最後の活躍を飾った線区は、もちろん、室蘭本線の室蘭-岩見沢間(蒸機牽引最後の旅客列車を牽引したのは、現在、さいたま市の鉄道博物館で静態保存されている135号機)。
- 一番最後に本形式が投入された線区は、宗谷本線(それまでの主力のC55の後継で、DD51への全面置き換えまでの間のつなぎとして)。
- 九州において最後まで活躍が見られた線区は、日豊本線(ただし、最後の最後まで活躍したのは、入換機として運用された鹿児島機関区所属のカマ)。一方、北海道というか、日本での現役最後の活躍を飾った線区は、もちろん、室蘭本線の室蘭-岩見沢間(蒸機牽引最後の旅客列車を牽引したのは、現在、さいたま市の鉄道博物館で静態保存されている135号機)。
- 平坦路線向けの旅客用機関車として設計されたため急勾配を登り切ることが困難そう。
- 山口線ではDD51に押してもらうことが多かった。
- 磐越西線では、新潟駅から遂に引き上げることに。
- 台湾ではCT273号機が新たに動態保存した。
- 汽笛の音がC571と同じ甲高い音色。
C58形[編集 | ソースを編集]
- C形だが幹線旅客用ではない。亜幹線~ローカル線で、D51やC59では大き過ぎるがC56では手に余る、という部分をカバーするための中型機関車。
- 戦後、電化が進み始めた頃、ローカル線での下働きをしていた、その世代にとっては馴染み深いはずの機関車。
- 暖房装置の無い交流電気機関車の牽引する列車に、専用の暖房車(蒸気ボイラー車)が不足した為替わりに連結されるという屈辱的な運用もあった。が、この頃の交流電気機関車は運用を開始したばかりですぐ故障したので、そのまま代替暖房車のC58形が救援機に転身することが多かった。
- だが、地味ゆえに保存機が少ないというのは、他の車種にもよくある(EF10とかEF61とか)パターン。
- ゆえにパレオエクスプレス用にC58 363号を選んだ秩父鉄道とさいたまさいたまには惜しみないGJを送りたい。
- 確かにD51とかと比べると少ないが、保存機は比較的多い方な気がする。
- 鉄道関係の本では「D51の小型版」として紹介されたこともある。
- 戦後、電化が進み始めた頃、ローカル線での下働きをしていた、その世代にとっては馴染み深いはずの機関車。
- 秩父鉄道で復活した当初は車体に変な英語が入っていて評判が悪かった。
- 愛称名を入れただけなのに「変な英語」呼ばわりされるとは…
- 山陽本線が事故で不通になった際に、151系特急を牽引して赤穂線を運行したのはこの機関車だったりする。
- 秩父の363号は2012年8月に車両基地内で脱線、修理中。
- 2013年4月、無事復活しました。
- 盛岡で保存されていたC58 239号機が復活決定!「SL銀河鉄道」として、釜石線を中心に東北を走る模様。
- 客車はJR北から買い取ったキハ141(デザイナーによりリニューアル予定)。陸中大橋辺りの急勾配を超えるために協調運転をするとか。
- ついに客車が完成した。
- 愛称もついに決定!「SL銀河」に決まりました。
- 客車はJR北から買い取ったキハ141(デザイナーによりリニューアル予定)。陸中大橋辺りの急勾配を超えるために協調運転をするとか。
- 239号機の汽笛の音はD51型498号機や北海道のC11型とほぼ同じ音程。
- 陸羽東線のC58の映像の「ポォー」という甲高い汽笛を聞くと、239号機でもバルブ調整のうえで鳴らせるかなと思ってしまう。
- 山口線で「やまぐち号」が走り始めた頃C57 1とともに客車を牽引していた。一応予備という扱いだったようだが時によってはC57と重連になっていた。
- 現役時代マニアにはあんまり喜ばれなかったらしい。どこでも見かけるわ見てくれは特徴が無くて普通だわで。けどそれは当時の国鉄近代型蒸気機関車の設計が完成の域に達していて使い勝手がよろしかった証拠。そのおかげで動態保存では活躍中。
C59形[編集 | ソースを編集]
- 地味ながら各地幹線で特急から普通にまで使われた高性能機。通が挙げる名機に数えられることもある。
- パシフィック型で軸重が高いため、単純に定格牽引力という一面だけを比較したらC62を上回る性能を持つ。
- 後期型から燃焼室が標準装備になる。
- この機関車の従台車を二組にして、2C2のハドソン型に改造したのが、C60形である。
- 蒸気機関車として一番バランスがとれた形をしていると思う。C62はなんか太っている。
- 技術鉄からの受けはあまりよろしくない。
- 動力式逆転器とか重油専燃などのテストベッドになったものの、発展せず。
- あれだけいたのに残るのは1号機を含め3台のみ。
- 166号機はATSを持ってなく原形に近かったのに突然潰されてしまった。
- 111号機が高松機関区に配属されたが、その理由が機関区内の浴場設備が故障したためボイラーの代わりに使うためだったそうな。
C60形[編集 | ソースを編集]
- 現在では、仙台市内に1号機が静態保存されているのみ。
- 最後の一台!として丁重に、扱われていない。マニアにも知名度が高いとはいえない。
- 良く見ると仙台駅の方角を向いて佇んでいる。
- OBさんのお口添えで現在やっと整備開始。もっと早くやってやれよ仙台。
- やっと綺麗にお仕着せされました。1台しかない形式、C59の戦前初期型なんだから大事にしてやってね。
- 回りの草木が刈り取られて、床回りを整備、屋根まで付いて、ようやく展示物らしくなった。
- ほとんどC61と共通で運用されてた。あっちばかりちやほやされるのは何故?
C61形[編集 | ソースを編集]
- 祝!20号機復活決定。
- C61のために客車も復活と言う力の入れよう。
- 京都の梅小路蒸気機関車館で動態保存されている2号機のことも忘れないで下さい。
- C61のために客車も復活と言う力の入れよう。
- C60とC62に挟まれてやや地味かも。
- でも、東北本線の仙台-青森間では、特急「はつかり」や寝台特急「はくつる」(いずれもデビュー直後)の牽引機として、また、鹿児島本線でも、寝台特急「はやぶさ」などの牽引機として活躍したことは、賞賛に値する。
- 「はつかり」や「はくつる」などの盛岡-青森間では、十三本木峠越えのために、C60形を前部補機として連結していた。
- でも、東北本線の仙台-青森間では、特急「はつかり」や寝台特急「はくつる」(いずれもデビュー直後)の牽引機として、また、鹿児島本線でも、寝台特急「はやぶさ」などの牽引機として活躍したことは、賞賛に値する。
- 奥羽本線の秋田-青森間でも活躍していた。急行「日本海」などを牽引した時期もある。
- 現役時代の最後は日豊本線。最後の1両は、1974年まで活躍していた。
- 20号機の汽笛は「ポェーッ!」という高めの優しそうな音だった。
- 試作要素の強い1号機が仙台にいたのに潰しやがった。今更C60直してんじゃねーよ。
C62形[編集 | ソースを編集]
- 銀河鉄道999の機関車。
- ちなみにC62 50というのは実在しない。
- C62は49号まであるので、999が実現したとしたら(そしてそれまでに新たにC62が作られなければ)それはC62 50号になる。ある意味リアル。
- なお、原作と劇場版が48、TV版のみ50。
- 松本零二が平機関区の48号機のプレートを持っていたかららしい。
- 実は原作にも50号機はゲスト出演していたりする。
- 現役時代、48号機は数あるC62の中でも最好調機だったとも言われている。
- ちなみにC62 50というのは実在しない。
- スワローエンジェル2号機は梅小路で動態保存されているが、本線上での復活を夢見る人も多い。
- C62-2は国鉄の象徴、延いては時代の象徴。再び東海道本線を走る姿なんて見られたら多分泣く。リアルタイムの世代ではないけど。
- 一応、車籍はあるしボイラーも最近修理したので、後は本格的な整備さえすれば本線運転は不可能ではないという状態。
- 梅小路では鉄道博物館の整備に伴って、60tクレーンを装備した検修施設の建設が決定された。本格的な整備が行える環境は整いつつある。あとはやっぱりカネと人材の問題だろう。
- C62-2は国鉄の象徴、延いては時代の象徴。再び東海道本線を走る姿なんて見られたら多分泣く。リアルタイムの世代ではないけど。
- 3号機は2号機と重連で急行ニセコを牽引し、JR化後に函館本線で復活したが早々と引退してしまった。
- 理由は内部でのいざこざ。復活させたグループが最初の全般検査の費用を賄えられず、JR北海道も非協力的であったために、結局8年の伝説に終わってしまった。
- そのくせ,JR東日本が,C6120(だったかな?)の復活の際,こいつに目をつけて,譲ってくれと交渉したにも関わらず,JR北海道は何故か断固拒否。なのに,苗穂で遊んでる。遊ばせとくなら京都か高崎へ譲れよな。
- 理由は内部でのいざこざ。復活させたグループが最初の全般検査の費用を賄えられず、JR北海道も非協力的であったために、結局8年の伝説に終わってしまった。
- 映画「Allways 三丁目の夕日」でも、青森からの集団就職列車を常磐線で牽引する機関車として登場する。
- 特急「つばめ」「はと」「かもめ」ばかりでなく、ブルートレインも牽引している。特に、最後の定期蒸機牽引寝台特急「ゆうづる」は有名である。
- 意外な事に、最後までお召し列車牽引は実現しなかったが、露払い列車として牽引した事ならある。
- 理由は当時,実績があったC59の方が当該機種と比べ何かと信頼性が高く,お召しはC59に任せる事になったため。
- 29号機は宮原に居たC62の中で一番故障が少なく、乗務員からも好評だった機関車の一両で、ステンレスの装飾を施していた。
- 東山動植物園で眠っていた17号機が金城埠頭へ。
- リニア鉄道館に静態保存中
- 高速走行時の音はSLの音じゃないと思うくらいすごい音。
- 今大阪にいる26号機も梅小路行きが噂されている、本当なら5両しかないうちの3両までが同じ場所に集まる事態に・・・。
- 3号機の弟4号機が早い時期にお馬鹿米軍トラックと絡んで非業の事故死を遂げている。しかも廃車第一号。哀しきかな。
C63形[編集 | ソースを編集]
- もう少しで生まれるところだったのにやっぱ蒸気イラネとなり結局造られず「流産」させられた…
- 造らずに終わるんじゃね?とは図面書いた人も思ってはいたらしい。オイルショックが10年早かったら量産先行機だけ造ったかもしれん。
- 見た目はC58に近いが、デフや従台車など作りかえられてる。
- ボイラー圧18kg/C㎡で高出力を狙っていたのだが。
- 但し走らせてみると運転室が激しく揺れたんじゃないか、とはゆわれる。発揮出来る性能に対して必要とされた能力が一致したか、はわからない。
動軸数4[編集 | ソースを編集]
9600形[編集 | ソースを編集]
- 地味だけど何気に長生き。
- ハチロク同様使い勝手が良かったとか。
- 国鉄最後の現役蒸気機関車は実はこの形式。(追分機関区の入換用)
- 晩年は入れ替え作業と石炭列車以外殆ど使われなかったが、逆にそれが定位置となり終焉を遅らせることになった。
- 国鉄最後の現役蒸気機関車は実はこの形式。(追分機関区の入換用)
- のろくて重量級なので旅客列車牽引は殆ど行わなかった。
- それゆえ、現役時代とは正反対に復活SLとしては論外に位置されており、動態復元はされていない。
- ただし最近では真岡鉄道が圧縮空気式で1両復活させている。しかもレアなことに右運転台車。
- 千頭駅できかんしゃトーマスの「ヒロ」の面をつけて現役復帰への意欲を語っていたが…。
- それゆえ、現役時代とは正反対に復活SLとしては論外に位置されており、動態復元はされていない。
- ハチロク同様使い勝手が良かったとか。
- TOMIXのトラウマ。
- 新製時は三室汽笛であったが、後年はD51型など同じく五室汽笛に交換されたカマもあった(北海道型など)。
- 8620形にも五室汽笛に変えられたカマがいました。
- 北海道の29622と新潟にいる59609が名札を付け間違えられてる。
- 石炭列車と相性が良かったため昭和に入っても北海道の炭鉱鉄道では独自発注や国鉄余剰機を買うなどして導入された。
- 最後に生産された96も北海道の炭鉱鉄道向け(1941年に製造された夕張鉄道21号)。
- 9633号機が旧梅小路に保存されているのは、この機関車が朝ドラに出演したからという理由らしい。
D50形(9900形)[編集 | ソースを編集]
- 「デゴマル」のあだ名で知られる。
- 大正生まれだが、活躍はD51より地味だった。
- しかしトルクの出方が急では無かったためラフなスロットル操作でもスリップしにくく、D51が出ても嫌がって使い続ける区もあったとか。
- 初期に製造された分は8620形等と同じく三室汽笛を装備していたが、後期に製造された分はD51型などと同じく五室汽笛に変更された。
- オリジナルで残るのは北海道の25と京都の140の2台のみ。かなり貴重。
D51形[編集 | ソースを編集]
- 「デゴイチ」のあだ名で知られる。
- 「デコイチ」じゃない?
- 非鉄の人の間での知名度が一番高い。
- 鉄じゃなくてもデゴイチといえばほぼ通じる。
- ただし9600やD50、D51はおろかどう見たって間違えようのないはずのC12まで「デゴイチ」と呼ぶ一般人もいる。
- この辺りが一般人と鉄の境目になる。
- ただし9600やD50、D51はおろかどう見たって間違えようのないはずのC12まで「デゴイチ」と呼ぶ一般人もいる。
- 鉄じゃなくてもデゴイチといえばほぼ通じる。
- 何と1,115両も製造された。この両数は史上最多。
- 本来は貨物牽引。末期はナンデモカンデモ牽引。
- 山岳地域の勾配路線では、急行をはじめとする旅客列車も牽引した。羽越本線などのような平坦路線でも、旅客列車を牽引する機会が多かった。
- ナメクジ、標準型、準戦時型、戦時型と多彩。
- 本来は貨物牽引。末期はナンデモカンデモ牽引。
- 機関車トーマスの長編「Hero of the Rails」にも登場した。13シーズン(日本未放送)ではレギュラーになるらしい。炭水車には「51」のナンバーが描かれている。
- 198執念の復活。
- 498じゃなくて? !ってか、198はC61に改造(と言う名のボイラ供出)されているのでとっくに存在しないはずなんだけど……
- 間違えた!!
- と、凄まじい偶然か、この198号→C61 26号も特筆するカマ!
- と言うのは、C61の種車になったのは状態の悪い1000番台の戦時型がほとんどで、それより前の若番車から改造されたのは33両中の7両だけ。198号はその中で2番目に若く、煙突と蒸気ドームが一体化していない「標準型D51」では最若番。もし静態保存されていたら、20号じゃなくてこっちが復活していたかもしれない……
- 498じゃなくて? !ってか、198はC61に改造(と言う名のボイラ供出)されているのでとっくに存在しないはずなんだけど……
- JR東日本仕様のは、ATS-Pを搭載している。
- 東日本のテンダーの車輪はキャブ側のみがプレート車輪でそれ以外はスポーク車輪。
- 各地の交通公園とか交通資料館等の敷地内に大概居るカマ。
- 特急つばめが関西本線と草津線を迂回する事になった時、亀山~柘植の牽引機関車に抜擢されたこともある。
- 498号機の汽笛の音程は、検査ごとにちょこちょこ変えている。
- 2017年度に梅小路でスチーム号の運用についている200号機が、C56と引き換えに本線復帰してSLやまぐち号の牽引機となるらしい。
- やはり山口線のような山岳路線はD51のほうが似合う。
- 復活にあたっては、ボイラに金色の帯が追加された。
- 非業の事故でお亡くなりになった生まれも育ちも北海道だった追分の241号機のエピソードは感涙極まる。
- 241号機をはじめ本形式の36両がチューンドマフラー(煙突)「ギースル・エジェクター」装備。
- これでパワーアップとちょい燃費上がったとの事。でも結局国鉄蒸気で装備したのはデゴイチのみだった…
- もうディーゼル釜電気釜が軌道に乗り出してたから無理もないか
- ギースル・エジェクター装備のD51は長野県の岡谷市総合福祉センター付近に保存されている(349号機)。しかも塗装がきれい。
- ギースル・エジェクター装備のD51は神奈川県厚木市の若宮公園にも保存されている(1119号機)。保存状態は良好だが、ナンバープレートが盗難にあったため現在はレプリカのナンバープレートがついてる
- 一次形ナメクジのうち、22・23号機だけキャブまで延長ドームになってて髪型が変わってた。
- でも結局両方ともすぐ普通のナメクジに戻されて廃車解体。残してあげて良かった気もする…
- 北海道の54号機がナメクジドームを残したまま標準型に整形されていた事がある。「オバケナメクジ」だと。
- これをダンボールを使って実物大で再現した人がいるらしい。細かい所までよく再現されている。
- 群馬県の川場村にある道の駅に長野工場式集煙装置を取り付けたD51がディーゼルコンプレッサーの圧縮空気で走って人気を博していたが、今では静態保存に降格されてしまった。
- 和歌山県の有田川鉄道公園では新たに青色ナンバーと長野式集煙装置の827号機がアチハ様の手によってディーゼルコンプレッサー駆動に。
- 元々は個人所有であった。
- ごくせんの2作目の主題歌を担当した男性歌手デュオ。
- というかこれが元ネタ。
- 四国とは無縁と思われがち
D52形[編集 | ソースを編集]
- 正真正銘国鉄最強の蒸機だが、最初から最後まで地味な存在だった。
- 罐がとてもでかく、インパクトがある。
- 大出力を生かしてセノハチの補機としても使われていた。
- C62の改造元。こっちは有名。
- 最初から戦時設計として登場した。
- 除煙板や炭水車の一部が木でできていた。
- 工作精度の悪いボイラーが爆発する事故が多発していたせいで、正常なボイラーが取り付けられるまで現場からは嫌悪されていたらしい。
- 御殿場線で運用されてたからか、御殿場線沿線での保存が多い。
- 御殿場線山北駅で静態保存された70号機が圧搾空気で走れるように復元された
D60形[編集 | ソースを編集]
- D50を亜幹線にも入れられるように改造した。
- 福岡の27号機が垢と埃にまみれて見放されている。4台しかいないんだから大事にしろよ…
D61形[編集 | ソースを編集]
- D51をローカル線用に改造(軸重軽減)して誕生。
- 今の路線の状況からは信じられないが、何と留萠本線系専用(羽幌線含む)だった。
- 当時は沿線の炭鉱も元気だったからだろう。
- 6台だけだったが、留萌市に1台残っている。奇跡か
D62形[編集 | ソースを編集]
- C62は有名だがD62は地味。
- D52を亜幹線にも入れられるように改造した。
- 地味だったため結局1台も保存されなかった。無理もない
動軸数5[編集 | ソースを編集]
4110形[編集 | ソースを編集]
- ドイツ機を基ネタにしたタンク釜。
- 見えるのは全部動輪。そういやこいつ誘導従輪はどこいったよ。
- 元々ヒルクライム用なのでそんなもん要らんか。
- 短足だから最高速50km/hと遅いが、持ち前の馬鹿トルクで板谷峠なんかをガリガリ登り降りしていた。
- 実は9600型より高出力。
- E10より長生き。大正生まれで1970年代に引退。
- 2両を個人様がご所蔵なさっている。羨ましい限り。
E10形[編集 | ソースを編集]
- 日本最大のタンク機。
- 勾配線区用に造られたが、いろいろ欠点があって持て余され、最後の運用区間は平坦な北陸本線米原~田村間だった。
- 造りかけのD52の部品を組み直して造られた。ボイラーはそのまま、他の部品も良く見てみると。
- 1948年に老朽化著しい4110の代替として板谷峠に新製投入されるもすぐ電化されちゃって熊本へ。期待の強力機だったのに軸重が不足気味で動輪の空転が多発してすっかり嫌われ。北陸に流れて倶利伽羅峠越えに使われるも勾配改良でお役御免。で米原の交直接続の小運転が最後の職場で1962年に引退。実働わずか14年ほどの風雪流れ旅であった。思えばあわれな。
- 造りかけのD52の部品を組み直して造られた。ボイラーはそのまま、他の部品も良く見てみると。
- JR東日本の新幹線の車両形式ではない。
- 保存されている場所も最初に投入された所もJR東日本管内。
- アリイ(現マイクロエース)の1/50スケールSLプラモデルのラインアップに加わっていたことがある。
- 大井川鉄道ではこの形式の電気機関車が存在しているので、紛らわしい。
- 青梅市鉄道公園に残っているのが唯一の個体。
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