国鉄の車両
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国鉄の車両の噂[編集 | ソースを編集]
- 東京の都心部では殆ど見られなくなってきた(一部の特急列車は除く)。
- 特急型車両も原型を留めない更新を受けていたり色を塗り替えられていたりする。
- 山手線の内側の地下(ただし東京メトロ千代田線)を走っている203系を忘れちゃいけませんぜ。
- 中央快速線、常磐緩行線、京葉線など
- 埼京線は?東北本線は?
- 埼京線だと1本はいるはず。
- 埼京線は?東北本線は?
- 一方、大阪は「古い車両を大切に末永く使いましょう計画」という名前の壮大なプロジェクトにより、匠による徹底的な延命工事と魔改造を行った国鉄型車両の天下である。ある意味、幾多の魔改造を行ってきた西日本旅客鉄道の本気過ぎる挑戦だった。(ただし、匠の技により殆ど原型をとどめていない程に魔改造されてるが…)
- 在阪の私鉄もこれに負けず古い車両に延命工事や魔改造を行い、昭和30年代に製造された車両を50年以上も使っている。
- 座席は青がデフォルト。
- JR東海の113系・165系のシートが原型に近かった(カバーが付いていたが)
- カラーリングはファンの間で人気があるらしい。
- 湘南色・スカ色・首都圏色…
- 仙台色・秋田色・上沼垂色・信州色…
- ブルーライナー色・春日塗り…
- ただし、末期色だけは人気がない。
- 1色塗りはどこも評判が悪い。(首都圏色は国鉄末期から塗装変更してた)
- 湘南色・スカ色・首都圏色…
- どういう訳か、似たような先頭形状の車両が多い。
- 近郊型電車と急行型電車はみんな同じ顔。
- 113系、115系、153系、165系、413系、415系、417系、711系はみんな同じ顔。ライトの位置や形などの細かい事にこだわらなければ、もっと多い。他にも御存知でしたら直接追加してもOKです。
- 国鉄内だけではなく山陽電鉄にも真似された。
- 所謂、東海形ってやつ。
- 113系、115系、153系、165系、413系、415系、417系、711系はみんな同じ顔。ライトの位置や形などの細かい事にこだわらなければ、もっと多い。他にも御存知でしたら直接追加してもOKです。
- 特急型電車も形式はいろいろあるが、顔は基本的にボンネット型と電気釜型の2種類(185系とかは除く)。
- 181系、381系、485系、583系など。
- 同じ顔でも電化方式(直流、交流50Hz、60Hz、共用)や碓氷峠対応など細かい違いで別形式にしている。
- 近郊型電車と急行型電車はみんな同じ顔。
- これでもかといわんばかりに部品を共通化している。
- 連結器が互換だったので、めちゃくちゃに併結した気動車や客車の編成が見られた。
- 雑多連結の客車編成は国鉄時代、帰省シーズンに設定された急行列車に多かった。ヘタすりゃ1両ごとに所属が違うなんてことも。
- 連結器が互換だったので、めちゃくちゃに併結した気動車や客車の編成が見られた。
- ここと比べると頑丈な車両が多い…と思う。
- 乗務員室の壁は緑色。
- 客室内の化粧板は通勤形は緑色で急行形以上はベージュ色。座席は普通車は青色。見事にまで標準化されていた。
- 化粧板に関しては新幹線0系に関しても同じだった。
- 客室内の化粧板は通勤形は緑色で急行形以上はベージュ色。座席は普通車は青色。見事にまで標準化されていた。
- 意外と機関車の寿命は短い。基本的には30年以内に廃車。さらに貨物輸送後退、旅客輸送の分散方式への転換、路線の廃止等により20年以内に廃車となった車両も多数。
- しかし機関車には世界的にもとんでもない長寿命を誇っているやつが……
- しかもどれも大型過ぎて私鉄に譲渡できなかった。
- 特に形式番号が54の機関車は失敗に終わることが多かった。
- その一方で54の旅客車は長生きしている。
- 後は戦後製旧型国電や特急車、国鉄末期にJRに引き継がれなかった車両全般も寿命がそんなに長くない…。新型車が次々に登場したからなのか、将来の需要減少を予想できなかったからなのか。
- 国鉄末期の廃車や新車投入は民営化後の新会社の負担にならないように配慮されたものだから。
- 「センヌキ」
- 1970年代頃は、落書きされた車両が多数あった。
- 私有貨車も落書きの犠牲となったが、所有者からクレームが来たので除外することになったとか。
- しかも書いたのは国鉄職員。
- 古い客車の3等寝台は今の寝台車両からは考えられないショボさである。
- 車両幅は日本の狭軌鉄道では最も広い部類に入る。
- まあ小田急とかもそうだけど・・・
- どいつもこいつも爆音をあげる低性能車ばかりである。
- 電車は同時期の私鉄電車より性能が劣っている場合が少なくない。気動車なんか今の性能水準からすれば論外ばかり・・・
- 末期は労使関係が悪化したせいで、技術力が一切向上していない。
- 80年代半ば以降は、かなり頑張ってたけどなぁ。民営化が確定して開き直ってたのかも知れないけど。
- 客車は民営化すると電車・気動車の発達やブルトレの廃止などによって絶滅危惧種となってしまった。
- 日本はもともと客車が合わない国だともいわれているらしい。なぜなら山岳地帯が多いため。
- 50系客車は比較的末期に1000両近く製造されたのに90年代にほとんど廃車になった。
- 労使関係の都合で新形式の車両をなかなか導入できなかったため、既存車の番台区分(マイナーチェンジ)と言うことにして、強引に新車を投入したこともある。
- 一番酷い例が415系1500番台。見た目も素材も全く違うのに同じ形式になった。
- EF64-1000、115-1000等もその一つ。
- たまに意欲的な新車を造るけど、製造コストが高くてあまり造れなかったってパターンが多い。
- 車内の扇風機は乗客がスイッチを操作できた。
- 特急、急行などの車内チャイムも車種別で定められていた。
- 電車(新幹線を含む)→鉄道唱歌、気動車→アルプスの牧場、客車(機関車に牽引される車両)→ハイケンスのセレナーデと標準であった。
貨車[編集 | ソースを編集]
コキ[編集 | ソースを編集]

- コンテナ輸送が主流になった昨今、文字通りコキ使われている。
- 昔は5tコンテナ5個積み・10tコンテナ3個積みが主流だったが、今は海上コンテナ積める車両がだんだん増えてきている。
- 特急「たから」号で登場したチキ5000→コキ5000は、レール運搬車としてチキ5000に戻った車輌が居る。
- チキ5500では?
- コキ350000もレール運搬車に改造された。
- 大体の車両に「突放禁止」って書いてある。
- 今時、突放なんて見せてくれる乙な路線なんてあるのかな?
- 一部の大きな貨物ターミナルで突放できなくはないけど、まずしない。コキの場合は台枠側面にハンドブレーキ(自動車のハンドルみたいな奴で黄色)付いてて急ブレーキ利かないため「突放禁止」表示がある。
- 岳南鉄道の比奈駅ではコキ50000の突放が見られる。
- 2012年3月に岳南鉄道の貨物列車運行が廃止されたため、この光景も過去のものに…。
- 流石にもうやってないと思うが、全車「突放禁止」の100系を日中堂々と、時には大昔から厳禁の「牽き逃げ」までも、ホームから丸見えの側線でやっていたこともあった。
- 今時、突放なんて見せてくれる乙な路線なんてあるのかな?
- 解体される時の光景は地味で寂しい。
- 平坦なニンジャ。多分仙石線には来ない。
- 断じて「子機」ではない。
- コキ5500形
- コンテナ車として本格的に実用化した車両。
- 元々は長物車として登場した。
- その後コンテナ車が制定され、そちらに分類された。
- 5tコンテナの新規格化により、のちに4個積みに改造された。
- コキ10000系やコキ50000系が登場すると速達性が劣るために持て余した。
- その持て余した車両の中には長物車に改造されたものもあったが、JRに引き継がれなかった車輛もあった。
- 後にコキ50000系と併結するために最高速度を引き上げた車両もあったが、積載効率が悪かったためか、早いうちに淘汰された。
- 初期車はリブの数が多かった。
- コキ10000系
- コンテナ車で初めて緩急車が設定された。
- しかもトイレ付き。
- 100km/h走行のために登場した。
- だが、牽引する機関車は限られるなど、扱いが悪かった。しかし、空気ばねなので緩急車としては乗り心地が良かった。
- 貨物のブルートレインと呼ばれた。
- コキ50000系
- コキ10000系では牽引する機関車に制約があったため、それを解消するために登場した。
- 最高速度はコキ10000系よりやや劣るが、後に最高速度を向上した車両もあった。
- コキ250000及びコキ350000のこと。
- コキ250000は、国鉄の貨物改革により、それまで20両(1000t)しか連結できなかったコンテナ列車1編成の輸送量を、24両(1200t)まで牽引できるようにブレーキを改造したもの。
- その結果、ブレーキの反応が良くなり、20両編成にしてEF66に引っ張らせれば、コキ10000と同じく最高時速100kmで走れた。
- この編成はのちに「スーパーライナー」という列車名が付けられた。
- 登場時は普通のコキ50000と同じ茶色で、パット見、区別が付かなかったが、JRになってから緑色に塗られたうえ、極寒地へ飛ばされてしまった。
- その結果、ブレーキの反応が良くなり、20両編成にしてEF66に引っ張らせれば、コキ10000と同じく最高時速100kmで走れた。
- コキ350000はJRになってからすぐ改造されたもので、ブレーキと台車をチート改造して、なんと時速110kmで走れた。
- コキ250000は、国鉄の貨物改革により、それまで20両(1000t)しか連結できなかったコンテナ列車1編成の輸送量を、24両(1200t)まで牽引できるようにブレーキを改造したもの。
- コキ250000及びコキ350000のこと。
- 最高速度は当時の客車急行列車に合わせていた(当時の客車急行列車は大部分が旧型客車で運行していた)。
- 最高速度はコキ10000系よりやや劣るが、後に最高速度を向上した車両もあった。
- 緩急車では乗り心地が悪かったため、コキ10000系の台車と交換した車両もあった。
- 台車を供出されたコキ10000型はコキフ50000の台車を流用する形で長物車に改造された。
- 緩急車は後に車掌室を撤去したが、コキ10000系の台車を流用した車両は5トンコンテナ4個分しか積めなかった。
- 貨物用の台車で95km/hも出すもんだからあんまりにも揺れまともに仕事もできず、さらに体調に異変をきたす乗務員も結構出たとか。
- 台車交換だけでは飽き足らず、余っていたコキフ10000を、ブレーキのダウングレード改造を施したうえで、コキフ50000に編入(コキフ59000)するという、凄まじいこともやっていた。
- オリジナルのTR223形台車は構造上の欠陥があり、JRになってから亀裂が入って脱線事故を起こしたりしたため、全車両1994年までに新設計の台車へ交換されている。
- ちなみにコキ10000の台車を履いたコキフを改造したコキ58000は、台車交換されずに廃車になった。
- 40年以上使われてきたが、やはり時代の波には勝てず、2017年度に全車が引退予定。
- コキ60000形
- コキ5000をコキ50000に近い性能までに引き上げたコキ。
- 4個しか積めなかった12ftコンテナを5個積めるように、車体を一度切断して新たな部材を溶接し、車体を延長するという手間がかかる改造を行った。
- ただし、12ftコンテナ用の緊締装置しかなかったので20ftコンテナは積載できず、これがJR化後に早々と淘汰される原因になってしまった。
- ブレーキ系統も改造されたので、最高速度もコキ50000と同じ時速95km。
- 最初の計画では最高時速100kmで走れるようにブレーキ指令変換弁を取り付ける予定で、試作改造車では指令変換弁が設置されていたが、色々グダって試作車以降の改造車には設置されず、コキ50000を最高時速100kmに改造する計画(コキ250000)にすり替わってしまった。
- のちにレサ10000をコンテナ化して取り替えるために、上記の最高時速100km改造を施し、コキ70000として投入する計画もあったが、余剰になったコキ10000が投入されておじゃんになった。
- 最初の計画では最高時速100kmで走れるようにブレーキ指令変換弁を取り付ける予定で、試作改造車では指令変換弁が設置されていたが、色々グダって試作車以降の改造車には設置されず、コキ50000を最高時速100kmに改造する計画(コキ250000)にすり替わってしまった。
- 結局金がなくなったのか、コキ60000への改造は1984年度で終了した。
- 4個しか積めなかった12ftコンテナを5個積めるように、車体を一度切断して新たな部材を溶接し、車体を延長するという手間がかかる改造を行った。
タキ[編集 | ソースを編集]
- 廉太郎
- おかくらにいる従業員。
- ナイアガラ・ビクトリア・イグアス。那智・華厳・袋田。
- ひとつの編成に郡山、宇都宮、北松本、倉賀野とさまざまな所属が一緒になってる。でも倉賀野所属車が一番落書きがひどい。
- 私有貨車の積荷を見てるといろいろな種類があって楽しい。糖蜜やラテックスなんて面白かった。今はもう無いけどね…
- 俺の知る限り一番変わった積載物は水飴だけど…。
- 在日米軍所有(?)のタキもいる。安善から浜安善(廃止)の線路にいる。
- タキ38000に置き換わってからは通常のJOTから借り入れる方式に変わってしまった。こうなってはそれを示すのはJP-8のマークのみ。
- 最近はタキ1000に置き換えられてしまった。緑色の米タンは何だか違和感が…。
- 食料品を運ぶタンク車もいた。タンク車に醤油や酒が積んであるのを想像すると何か変な感じ。
- まぁ液体系なら何でも運ぶからねぇ。基本的にはガソリンやら油だけど。
- 関西本線(名古屋~四日市)でよく「いったりきたりすれ違い」。
- 液体以外のものを運ぶやつはどれも形が変。
- 64t積みのタキ64000は伝説的存在。
- 黄色いのは危険物輸送用。愛称は毒タキ。
- たまに廃車後のタンク体が再利用されている。そのまま液体の容器として使われることが多い。
- 実はタンク車自体の寿命も基本的に長いものが多い。廃車になるのは主に用途廃止になったり特殊な貨物を積んでるのが原因。
- 特にLPG専用のタンク車は寿命が短く15年程度で廃車となるが、理由は不明。
- 高圧ガス容器の法定期限の関連と思われ。
- 特にLPG専用のタンク車は寿命が短く15年程度で廃車となるが、理由は不明。
- 実はタンク車自体の寿命も基本的に長いものが多い。廃車になるのは主に用途廃止になったり特殊な貨物を積んでるのが原因。
- 頻繁に搭載貨物の種別変更や改番を行っていたので、殆ど図鑑に載っていない謎の車両や車歴を辿るのが難しい車両がたくさん存在した。
- 最近はタキ1000によって古いガソリン、石油タキは次々に廃車が進んでいる。
- 1000両以上の大所帯だったタキ35000も2010年中に消滅。今は次に新しいタキ40000、38000、43000の廃車が進んでいる。これらが置き換わると石油系タンク車は全部タキ1000になってしまう。
- 走行から停車すると、中の液体が波打って車体がゆっさゆっさ揺れる。
- 昔はそれを防止するためにタンクの中に波よけ板っていうのが入ってたけど、特に外しても問題なかったのでなくなった。
- 波よけ板を外す試験を行ったのがタキ30000形で、板がない以外はタキ3000形と同じ。試験の後はタキ3000形が波よけ板の無いタイプで量産されることになり、タキ30000形の増備とはならなかったので1形式2両の珍車。30000というキリ番をこんな形式で埋めてしまうのはちょっともったいない気がする。
- 昔はそれを防止するためにタンクの中に波よけ板っていうのが入ってたけど、特に外しても問題なかったのでなくなった。
- 車番が整理されて無くてめちゃくちゃ。鉄道省時代の付番法則を現代になっても使い続けているのだ。
- タキ1900形なんかは特に節操がなく、1900の下2桁が埋まったら11900と万の桁が増え、それも埋まったら101900と十万の桁が増えた。そこまでなら法則として問題ないけど、111900が埋まった後はなぜか112000と下4桁の加算で対応。
- タキ1900形
- タンク車では製造両数が最も多かった。
- それゆえに所有者ごとに形態がバラバラだった。
- セメントターミナル所有車は灰緑色に塗装されていた。
- タキ3000形
- かつての石油系タンク車を代表する形式。
- 初期車は国鉄所有だった。
- その後の増備車は米軍向けで民間企業への所有は後になってからだった。
- 国鉄所有車と米軍向けと民間企業向けで形態が異なる程度だった。
- 国鉄所有車の2両は事故車の補充で米軍所有になった。
- KATOのNゲージでは実車にはない銀色のタキ3000がラインナップされている。
- かつては黄色のタキ3000がラインナップされたことがあった。
- 石油類専用のタキ1500形は本形式と姉妹車扱いされることが多い。
- だがタキ1500形の方が積載量が5t多い。
- 並行して30t積のタキ2100形も生産していた。こちらは酷寒地向けにキセ付きの車両もあった。
- オイルショックで重油の需要が減少したため、化成品タンク車の改造種車にもされていた。
- タキ5450形
- 液化塩素専用タンク車を代表する形式だった。
- 20年以上に亘って製造されているため、形態の変化が激しかった。
- TOMIXのNゲージではモデルとなった車番と仕様がなぜか一致していない。
- タキ43000・44000形
- 元々は日本オイルターミナル向けに登場したが、後に日本石油輸送も保有するようになった。
- 日本オイルターミナル向けは青色に塗装されていた。
- 1両だけステンレス製の車両が存在する。
- 銀タキと呼ばれている。
- しかもその車両はコキ1000形の台車を転用していた。
- JR化後の増備車は44t積みとなった。
- 途中から緑とグレーのカラーリングとなった。
トラ[編集 | ソースを編集]
- 黄色い縞々の猛獣ではない。
- 最終形式はトラ55000だが、JRに残ったのは何故か一つ前のトラ45000だった。
- 小型無蓋車に関しては、木製床&木製扉のほうが使い勝手が良かったらしい。
- 最終形式はトラ70000では?
- 確かにそうでした。正確には嵩高貨物用トラの最終形式です。(書いた人)
- 丸太は模型などからチキで運ぶというイメージがあるが、実際にはこっち等で運ぶことも多かった。
- 年に一回ほど活躍の機会がある。荷主はここ
- トロッコ列車に改造された車両もあった。
トキ[編集 | ソースを編集]
- 国の天然記念物ではない。
- 上越新幹線の列車愛称でもない。
- 数は少ないが、私有貨車もある。
- 板ガラス用のものは破損事故が度々あったため、使われなくなってしまった。
- 緩衝器の性能をケチったのが原因。
- 今なお現役のモノは亜鉛輸送用のもの。元々は国鉄生え抜きのトキを使用していたが、老朽化したため、亜鉛メーカーが所有して新車として投入した。
- 板ガラス用のものは破損事故が度々あったため、使われなくなってしまった。
ホキ[編集 | ソースを編集]

- フィレオフィッシュの魚ではない。
- お掃除用具のほうきでもない。
- タンク車と並んで車種ごとの形態の差異が大きい。
- 実は石炭車もコイツの仲間。
- ホキ10000は石炭専用のホッパ車。何で石炭車にならなかったんだろう。
- こいつで運ぶものは別に無蓋車や有蓋車で運ぶことも出来る。というか実際にそうやって運ぶこともあった。あくまで積み下ろしの利便性のためのホッパ。
ヨ[編集 | ソースを編集]

- 今これを見れるのは、特大貨物位しか無いのでは……?
- 北海道の地方にはたくさんあるよ。駅舎の代わりとして。
- 北海道のSLで、それをフリースペース車両として連結することもあることを忘れてはならない。
- 国鉄時代の貨物列車の最後尾に連結されていた。フラフラ走る姿から「ヨっぱらい」なんていう、あまりありがたくないあだ名があった。
- 「ヨ」だけでは言いにくかったのか、現場では「ヨ太郎」ともいわれた。
- 最近見ないだけに浜松で4台ぐらい停まっているのを見かけた時は、思わず「ヨ、ヨヨ、ヨ!」と心の中で数えながらテンションが上がった。
- 画像のヨ8000は暖房と便所装備。ヨ6000・5000は暖房だけ。
- ちなみに今は便所は封印されている。
- コキフやレムフにはその頃にはトイレが付いてたのにね…
- 寒泣車という蔑称があったが、これは有蓋車改造のヨ2500から生まれた言葉。
- 貨物のヨ(orフ)を廃止したのは安全上問題があるという話もある。
- 国鉄貨物全盛の頃からの機関士は、勾配では後ろがちゃんとついてきてるか気が気でないらしい(昔はブレーキ系のトラブルはしょっちゅうあったから)。「車掌が乗っててくれれば、前に集中できるんだけどなぁ」
- 昔はマッチ箱客車からの改造で小さな車両が多かったが、ヨ2000でワム級有蓋車並みの大きさに進化。ヨ5000までこの大きさが続いたが、何故かその後は縮んでいった。
- 国鉄では台枠の上に四角い車体を乗せた車両が多かったが私鉄ではそうでもなく、例えば東武ではヨ8000をさらに極端にしたようなでかいデッキの付いた凸型である。
- 国鉄末期、用途廃止になった色々な貨車の民間への払い下げが行われたが、その中で最も人気だったのが有蓋緩急車だったらしい。
- 何故かというと車掌室部分は事務所に使え、貨物室部分は倉庫に使えてお得だから。現役時代も車掌車と有蓋車両方の役目を持ちお得な車両だった。
- ヨ8000
- 本格的に量産化した車掌車ではトイレが設置された。
- 現在はある事情により、使用できないらしい。
- 1段リンク車を多く抱えていた北海道と四国から真っ先に投入された。
- 近代化の一環で鳴り物入りで登場したが、その多くは国鉄末期の車掌車連結中止の犠牲になった。
ワム[編集 | ソースを編集]

- Last Christmas.
- 「そろそろクリスマスの季節じゃのう」「お代官様、クリスマスと言えばコレでございますなぁ」「おぬしもワムよのう」(元ネタはコレ)
- カブトの敵。
- 国鉄の車両の中で最大勢力。
- 春日井市ではカミのような存在。
- 主に倉庫として余生を送っている。元の数も多いので全国各地で見ることができる。
- これの連なった貨物列車が他の列車とすれ違うと扉がガチャガチャ音をたてて五月蝿い。
- 戦時にはワム50000という戦時設計車が登場したが、単純に全鋼製標準型有蓋車ワム23000を木製にしただけなのでさほど問題も起きず、知名度もほかの戦時設計車と比べて低い。
- しかしこの車両、戦後は何と全面合板に改造される。木製車両の最終形態とでも言っていいような姿となった。
- 戦時設計と云えば、ワキ700という魚雷を運ぶために作られた大型有蓋車が存在した。もちろん存在は非公式となっていた。
- そしてワム80000は消えた。
- 実は、事業用として辛うじて生き残っている。
- ワム80000形は26605両製造され国鉄の1形式の製造両数としては最大。
- でも一般的には最も製造両数が多い車両という話になると103系が挙げられる。不憫。
- ワム80000
- 量産化以前に別の試作車が登場している。
- 輸送実態に合わせてバイク輸送用、ガラス輸送用、ビール輸送用、鮮魚輸送用などがあった。
- JRへは後期型ばかりが継承された。
- TOMIXが発売している製品は280000番代がプロトタイプだが、旧製品の車番はなぜか意味深なものだった。
ワキ[編集 | ソースを編集]
- カートレインといえばこれ。
- だが、積載できる車種が限られ、黒歴史に終わってしまった。
- カートレインに使用されたのはワキ10000形後期形であるが、NゲージではKATOのワキ8000形で代用することが多かった(KATOのワキ10000形は前期型がプロトタイプであるため)。
- 荷物車の機能を兼ねる車両も存在した。
- JR北海道のナハ29000形はこれの改造車である。
- ワキ1は軍用列車で客車との混結を前提にしたため足回りの性能が良くさらに窓も多いので、終戦後多くが連合軍に接収され客車化した。
- ワキ5000形
- 初期車は丸屋根で中期車から三角屋根になった。
- ワム80000形は後期車ばかりJRに継承されたがこちらは初期車も継承された。
- なぜか青帯を巻いた車両が存在した。
チキ[編集 | ソースを編集]

- レール輸送ではおなじみ。
- というか最近はレール輸送以外ではほぼ出番が無い。
- 国鉄改革の時期に製作したチキ7000形は黒歴史。
- コンテナ車も元々はチキに分類されたが、レール輸送用にチキに戻った車両もいる。
- JR貨物時代にもトラックとチキとの間でコンテナを荷役機械なしで運べる貨車をチキ扱いで製作したが、黒歴史に終わる。
- 生石灰をコンテナ輸送にするために製作された私有貨車のチキ80000は形としてはコキだが、私有が認められなくてチキ扱いで製作された。
- 私有貨車のコキはコキ104-5000番台があるが、転用が前提なのか、こちらはコキ扱いで製作されている(現在はJR貨物所有)。
- 車運車の代用にもなる。
- 車運車がなかった頃は長物車が代用されることがあった(車運車が本格的に登場したのは1960年代に入ってから。現在は現存しない)。
- タンクローリーピギーバック輸送試験にはチキ6000形の改造車が使われたことがある。
- 現在でも自衛隊の機材輸送にはこいつのお世話になる。
- マムクートプリンセス。
- チキ7000形
- 長物車の近代化が中々進まないので新車として製造された。
- だが当時の国鉄の経営が火の車だったのでわずか1年しか製造されなかった。
- TOMIXからNゲージで発売されている。
- 長物車ではNゲージで発売された唯一の形式である。
- 少数派だった故にJRには半数近くしか継承されなかった。
チサ[編集 | ソースを編集]
- GIRL NEXT DOORのボーカル。
- 北海道の3軸車が有名だった。
- チサ9000形は表向きは長物車だが実はピギーバック輸送用の車運車。
- 量産化に至らず黒歴史に終わったが、現在でも在籍していること自体が不思議。
ク[編集 | ソースを編集]
- 乗用車を運搬するための貨車。
- 制御車のことではない。
- ク5000形
- 自動車メーカーが独自に所有していた車運車を統一させるために投入した。
- しかし、早いうちに持て余してしまった。
シキ[編集 | ソースを編集]
- 貨物列車の花形の超特大車両たち。
- 車軸を24個も持つ車両とかもいた。どんな走行音がしたんだろう…
- 大物車の付いた臨時貨物列車は車掌者の数少ない活躍の場。
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