国鉄の電気機関車
独立済み[編集 | ソースを編集]
主な形式[編集 | ソースを編集]
新性能直流機[編集 | ソースを編集]
- 今となっては「新」なのか……。
- 実はこれより前の従台車のついた電気機関車の足回りというのは、蒸気機関車の足回りを背中合わせにつなげた構造をしていた(ED15やEH10といった例外はあったが)。これ以降、大型電機も電車形のボルスタ台車を採用するようになった。
ED60形[編集 | ソースを編集]
- 新性能電機第1弾。
- ローカル線に居座っていた戦前製の機関車を置き換えるために登場。
- D型ながらも性能が良く、アトム機関車と呼ばれた。
ED61形[編集 | ソースを編集]
- ED60の親戚。というか兄弟機。
- ED62の素
ED62形[編集 | ソースを編集]
- JR貨物更新色が居た。
- 1号機が長野で、17号機が大宮で保存されている。大宮のものはたまに宇都宮線の電車の中から見えることがある。
EF60形[編集 | ソースを編集]

- EH10を置き換える性能を持つ。
- ただし、高速特性もEH10程度。なのでブルトレ牽引に当たらせたところ(500番台)、弱メ界磁多用で故障しまくった。
- EF65Pにバトンタッチして以降はブルトレの先頭に立つことはなく、EF65が不足した際はEF58の再登板になった。
- ただし、高速特性もEH10程度。なのでブルトレ牽引に当たらせたところ(500番台)、弱メ界磁多用で故障しまくった。
- 2011年現在、今尚現役。
- ただし専らのイベント担当。
- 4次型は形式名を見ないと……。
- EF60 19号機は沖縄県に行ったことのある唯一の電気機関車。
- 19号機はかつてジョイフルトレイン「やすらぎ」の相方として白地の専用塗装にされていた車両。「やすらぎ」廃車後もしばらくはそのままだったものの、その後再び青の国鉄色に戻された。かつては特徴的なブタ鼻ライトだったのに近年になって大型の単眼ライトに変えられてしまった。
- ちなみにこの19号機こそ2012年現在でもイベント等で働いている唯一の現役車両。
- 123号機が両毛線・足利駅前に、501号機が横川にそれぞれ完全な形で保存されてる。他の保存機は運転台だけのカットボディで、個人所有のもある。
EF61形[編集 | ソースを編集]
- ブルトレを引いたこともあるのに今一つ地味。というかほぼ空気扱い。
- ブルトレ牽引も,「まぁまぁ」考慮した「旅客機」なのに,最高速度95Km/hは痛い・・・EF65のP型が無く,EF58の20系も95Km/hが最高速だった時代とはいえ,その後に対応しなかった・・・つか,スペック見たらDD51並みじゃん。
- 東海道新幹線開業後に貨物機への転用も見越して設計されたから、高速性能は二の次だったんだろう。
- むしろセノハチ補機限定の200番台(EF60改造)の方が存在感があったのでは。JR化後も暫く残っていたし。
- あっちはEF60からの改造だけどね。
- 広島車両所に4号機の生首が保存されている。
EF62形[編集 | ソースを編集]
- 碓氷峠、信越本線といえばEF63ばかり持て囃され、こいつの存在は軽視されている。
- 保存車両の数も大きな差がある。
- 東海道線のEF58に事実上とどめを刺した形式なので、当時鉄道ファンからの評判はすこぶる悪かった。それも理由かも。
- 残った保存車も碓氷峠鉄道文化むらにある物以外は全車解体済み。
- 保存車両の数も大きな差がある。
- EF63程ではないが、山岳用として特殊化している部分はたくさんある。
- しかしそのせいで運用に柔軟性を持たせられず、かと言ってEF63と違い碓氷峠という定位置もないので早めにお役御免になってしまった。
- なのに,国鉄や荷物列車の末期,財政難から「新しい機関車を導入なんてとんでもない!」空気の中,なんと,余剰になったこやつが,高崎や篠ノ井から遠く離れた海のある下関運転所へお引っ越し。晴れて「関」のプレートが初めて入り,EF66やEF65と同等の過酷な任務に付くことを宣告される。ただ,「一応スペック上は100Km/h出る」,「電気暖房積んでる」,「だから,改造とかせずに使えるじゃん!」って発想。お陰で,信越本線で山の中をのんびり走り,海に出ても,日本海だったのに,赴任地では,いきなり平坦地で100Km/h近い速度をキープし,汐留(東京)-下関で荷物列車を引っ張る「拷問」に近い任務に就く。いきなり呉線とかで瀬戸内海を,神奈川県の根府川辺りで太平洋を拝む始末。長い記事
- 案の定故障が続出したらしい。
- しかしそのせいで運用に柔軟性を持たせられず、かと言ってEF63と違い碓氷峠という定位置もないので早めにお役御免になってしまった。
- 日本で一般的なB-B-B台車ではなく、欧米で一般的なC-C台車を履いているのが個性的。
- 「A列車で行こう」では「5(Windows版)」まで常連だった。
- 蒸気暖房が付いていたので山陽本線で荷物列車を引いていたこともあるが、故障が頻発し前任のEF58が代走に入ることがしばしばあったらしい
- 確かEF62は電気暖房だった気がする・・・。
- 東海道・山陽に移ったのはJR化までに廃車となったが、廃車後、瀬戸大橋開通時の試運転の死重用で使われ、まさかの四国入り。製造時にこの形式が四国で走る事になろうとは誰も予想できなかっただろう。
- 下関へ赴任したものの,過酷に扱われた割にあっという間に用途が無くなって廃車になった仲間を考えると,JRに引き継がれ田端運転所へ移った少ない仲間は幸せだったかも・・・ATS-Pもつけてもらって。
EF63形[編集 | ソースを編集]
- 別名「峠のシェルパ」、または「ロクサン」。
- 碓氷峠専用の、何から何まで特殊な奴。
- おかげで他線区への転用が効かず、同区間廃止とともに運用終了。
- 実はEF66やEF81よりも車体が重い。
- 碓氷峠専用の、何から何まで特殊な奴。
- 2両重連での運用がデフォ。
- ロクニやロクヨン牽引の列車だと3重連になる。
- ロクヨンとの運用ってあったっけ!?
- 3両程度の普通電車にも重連で対応する。
- ロクニやロクヨン牽引の列車だと3重連になる。
- 横川→軽井沢間の上り坂では、機関士は後ろ向き(最後尾車両の第1エンド搭乗)の姿勢で坂を登っていった。
- 碓氷鉄道文化村にて動態保存されている。
- 11・12・24・25号機がそれ。
- 鉄道会社に就職しなくても運転できる唯一?の機関車。
- ただし研修を受けたうえで試験に合格してから。
- 講習料は3万円と結構良いお値段。
- ただし研修を受けたうえで試験に合格してから。
- 前面のゴチャゴチャ感は異常。
- 協調運転を行う為どの車両にも対応できる様にジャンパ栓が多数装備されている。連結器も双頭。
- 2エンド側(軽井沢方)の前面がそれ。
- 線路から転げ落ちて一気に4両もお釈迦にしてしまった事がある。
- 機関車のみの回送だったので大惨事には至らなかった。ただお陰で2両追加生産する羽目になった。
- 下り勾配で暴走したときのために、最後の手段として電機子短絡スイッチ(回路をショートさせ、電動機を破壊してでも列車を止めるための装置)が装備されてたが、それを作動させてもダメだった。
- EF63とEF62がそれぞれ2両づつ。全部廃車になりましたが。
- 事故とは別に2両がJRになる前に余剰廃車されてる。
- 機関車のみの回送だったので大惨事には至らなかった。ただお陰で2両追加生産する羽目になった。
- 必ず横川方に連結される。
- つまり勾配の下の方に連結される。軽井沢へ登る時は後ろから押し上げ、軽井沢から降りて来る時はつつつつと行かない様に前に立って押さえながら降りてくる。
- このため下りと上りで所要時間が違う。
EF65形[編集 | ソースを編集]


- ブルートレインを牽引する印象が強いが、貨物列車を牽いてもサマになるので牽引する車両を選ばない。
- EF66やEF81と並ぶ電気機関車の象徴。
- 国鉄時代、貨物専門のF型(0番代)・客車専門の500番代(P型と一部F型)・客貨両用の1000番代(PF型)と区分はあった。501号機・535号機がイベントん時顔出すだけで、ほとんど失業状態。今は車年若いPFがナンデモカンデモ引いてる。
- 東海所属の112号機(ユーロライナー塗装)は書類上廃車扱いだが、まだ解体されずにいる。
- F型って言うのは500番台のうち10000系貨車用のCLEブレーキ指令線と空気管付連結器を持っている車体のことで、0番台はF型ではないよ。
- 真っ赤な車体・白塗り裾で、側面に形式ペイントしたSRE(スーパーエクスプレスレインボー)2代目牽引機1118号機がイベントやら何やらで頑張っている。
- 初代は1019号機。ただ残念ながらこの車両は既に廃車。2代目は健在ながら、どうやら定期運用の列車は受け持っていないらしい。
- レインボー色は他にEF81の95号機と、何故かED75の1028号機に施された。前者はバリバリの現役ながら、後者は既に廃車。好きだったのに。
- あだ名は「ゲッパ」。由来は専門用語で「1」を「ゲ」と呼ぶ為で、「ゲゲゲパ」→「ゲッパ」となった。
- 0番台の中から、東京発ブルトレ増発のために500番台P型に改造された車体がある。
- 地味な汎用機から旅客特急専用機への昇格だったので、後にシンデレラ65と呼ばれるようになった。
- これはRail Magazine 233号の記事によるものなのだが、なぜかこの事をWikipediaに書くと消される。
- 地味な汎用機から旅客特急専用機への昇格だったので、後にシンデレラ65と呼ばれるようになった。
- 確か電気機関車では日本一生産量数が多かった気がする。
- 日本一はED75。
- 2012年になって新鶴見所属機にまさかの新番台、2000番台登場。でも実際はPFの元の番号に+1000したナンバーを取り付けただけで、改造らしい改造は一切ない。
- その通り「改造をしなかった個体」という意味の改番。
- 1000番代でも大きなひし型パンタを載せた前期型は残り3台(2000番代になってるが)。
- 後期型はやっぱり国鉄色が人気だが、東西旅客会社が使ってるやつは国鉄色(例外1台あり)だし、貨物にも複数いるので実は数は多い。
- 一応0番代系の方が1000番代系より生産されてるけど、後者の貫通扉有りのイメージが強すぎるのはブルトレのせいなのかなぁ…。
EF67形[編集 | ソースを編集]

- あれ?お前いたの?
- 最近まで国鉄の新型電気機関車の最終形式はEF66だと思い込んでいた。
- 機関車なのに電気子チョッパ制御の変わり者。
- 同じく新型電機のくせに、一部車両にはデッキがついている。
- 0番代はEF60 4次型、100番台はEF65-0改造で、新型では……。
- おそらく「新型」というより「新性能」というニュアンスだろうね。
- 仕事場は山陽本線のセノハチ。
- ただし正面で待っていても見られない。編成のお尻にくっ付いて後ろから押してあげるのが仕事。
- 文字通り瀬野~八本松の1駅間が仕事場ながら、広島タからくっついて来て、西条で別れる。帰りは1人で広島タまで帰って行く。
- EF60改造のやつはそろそろ老朽化がやばい気がする。更新や廃車を行わなくて大丈夫なのだろうか。
- EF210に置き換えるらしい。
- 0番台車がEF210-300に代替されました。EF67-1は動態保存で、それ以外の2両は解体(´・ω・`)
- パンタグラフを3種類(大型・下枠交差・シングルアーム)装着して営業したのはこの機関車くらい。
- シングルアームは不具合が多かったようで下枠交差に戻りつつある。
- 塗装は広島のもみじに因んで朱色。直流機関車なのに。
- そのため最初見たとき交流機関車かと思った。
- 補機だが、ホキではない。
- このホキではもっとない。
交流機[編集 | ソースを編集]
ED70形[編集 | ソースを編集]
- 日本初の量産型交流機関車
- 黎明期だけあってちょっと残念な能力。
- 試行錯誤中だったので仕方がないといえば仕方がない。
- 最終機の19号機は複周波数対応機だったりする。
- 広い意味ではE2系のご先祖様…は言いすぎかな。
ED71形[編集 | ソースを編集]

- 初代東北本線の赤い機関車(量産機という意味で)。
- 量産数も何気にED75、ED76の次に多い55両。
- 最初の3両は全て整流方式が別の試作機。
- 勝者は1号機、それでも負けた2号機はED72、ED73のご先祖様になったのである意味勝ち組。
- 3号機は(ry
- 勝者は1号機、それでも負けた2号機はED72、ED73のご先祖様になったのである意味勝ち組。
- でも寒さに不安があることもあって小牛田から北にはいかせてもらえなかった。
- 37号機がJR東北本線・船岡駅そばで保存されている。
ED72形[編集 | ソースを編集]

- 鳩胸。
- SG搭載のため、同時期の交流機の中でこれだけ車体が長い。
- 末期は門司~博多間で「あさかぜ」を牽引していた。
- ED73共々ED71 2号機の子孫。
ED73形[編集 | ソースを編集]
- 鳩胸Part2。
- 本来はED72形の貨物版でSGを搭載していない機体だったが、ブルトレ用客車はいずれも自前の電源を持っているため、ED72が指定のところをしばしば紛れ込んだ。
- なお、初期の交流機は全段電圧制御なので、直流機(EF60←→EF61)で問題になった定格速度の違いはこの両者にはない。
- 1016が只1両残っていたのに腐らせてぶっ潰した。何たること
- 15号機~22号機はナンバーを黄色枠で囲ってた。特急「つばめ」・「はと」の博多乗り入れに伴って151系電車への補助回路用引き通しとサヤ420形(のちモハ420形)の非常パンタグラフ下げ回路を装備したかどうかの区別用。
- ヨンサントオ改正で、全機が高速走行用にブレーキ装置やらジャンパ連結器やら新設した1000番代に改造された。
ED74形[編集 | ソースを編集]
- ED72、73より早くに全廃になった。
- 最後は大分に集結し、ブルートレインを牽引していたこともあるのに殆ど忘れ去られている。
- ED75形同様のショートボディに非貫通顔の珍しい車両。しかし全て解体され現存車0…。
- 「貨物はEF70、旅客はED74にしようぜ」の計画だったが、節約の為にEF70に一本化したのが少ない原因。
- しかし、そのEF70も晩年は九州へ…。
ED75形[編集 | ソースを編集]

- 東北地方で活躍していることから「赤べこ」というあだ名がある。
- だからといって「モーモー」鳴かない(笑)
- 短い車体に似合わず(?)結構パワフル。
- 赤白パンダに進化したカマがたくさんいた。
- しかし既に絶滅した。
- 『ナナゴ』の愛称で呼ぶファンも多い。
- なぜかレインボー色の車両が一機ある。もちろんスーパーエクスプレスレインボーを牽引したことは無い。
- 1028号機のこと。2009年3月に運用離脱。
- あだ名は『センニッパ』。本家のEF81やEF65の虹ガマとは側面に大きく塗られた形式番号の書かれ方が違う。EF81やEF65は側面中央に左上から右下にかけての斜字で、ED75は真ん中から車体後方にかけて形式番号が大きく書かれている。
- 当初その予定は無かったのかも知れないけど、どうせなら当面廃車予定のない車両に塗って欲しかった。
- 1028号機のこと。2009年3月に運用離脱。
- 一般型・耐寒型・奥羽型・九州型・高速型・北海道型と分類出来る。九州型は走れる線区少なかったので、早い時期に全車廃車。
- 奥羽型700番代機は下枠交差形パンタ装備。屋根上が他機と違ってシンプル。一部ED79に改造された
- 九州の300番代機はたった11両しかいなかった…。
- 北海道型(500番台)に至っては1両しかいない。理由はSG付のED76を増備する方針としたから。それ故に運用が制限された。
- そんないわく付きの500番台だが、小樽で保存されている。
- EH500の台頭で淘汰進んでるが、鉄道ファンのみならず現場のベテラン機関士にも人気がある。重連で貨物引く姿はEH500には無い迫力がある。
- ED93(のちED77-901)・EF90(のちEF66-901)のような試作機がいない。1・2号機が試作機で、3号機以降から本格的に増備されはじめた。
- 電気暖房表示灯装備が基本だが、撤去された機関車もいる。
- 津波には耐えたのです。が……。
- 1039号機。震災の爪痕を表すオブジェの様な形で敢えてそのままにしてあるのか、単に処置が決まらないだけなのか、現在でも当時のままの場所に物悲しく佇んでいる。
- 現地にて解体された。合掌…。
- 保存も考えられてはいたそうだが、流石に海水もろに被ってたから仕方ない…
- なおナンバープレートが東京貨物ターミナルに保管されている模様。
- 保存も考えられてはいたそうだが、流石に海水もろに被ってたから仕方ない…
- この1039号機こそ、数あるED75のラストナンバーでもある。
- 現地にて解体された。合掌…。
- 1039号機。震災の爪痕を表すオブジェの様な形で敢えてそのままにしてあるのか、単に処置が決まらないだけなのか、現在でも当時のままの場所に物悲しく佇んでいる。
- -775が大宮で保存されている。
- TOMIXの香港製時代のED75の車番は実際に存在しない513号機。
- 国産化に際してはKATOとの差別化のためか1000番台前期型に刷新された(KATOは0番台<一般型、耐寒型>、700番台が各種発売されていたため)。
- そのため、NゲージファンにとってはJR発足後の客車列車を牽引するユーザーを困惑させていたとか(1000番台前期型はJR貨物にしか継承されなかったため)。
- 国産化に際してはKATOとの差別化のためか1000番台前期型に刷新された(KATOは0番台<一般型、耐寒型>、700番台が各種発売されていたため)。
ED76形[編集 | ソースを編集]
- 九州の主。
- 中間台車装架しているので、九州全域走れないED75-300(九州版ED75)にとって代わった。
- ED76は蒸気暖房、ED75-300は電気暖房の装置を搭載しているのも関係している。
- 1000番台は桜島の降灰対策で運転台窓がアルミサッシ。
- 末期に製造されたグループが対象。
- 1008号機はJR貨物色で貨物牽引以外に旅客列車牽引のアルバイトしてた。
- ここではEH500型に仕事奪われつつあるが、まだまだ健在。
- 鹿児島市電新車製造時の電圧整流器の役割担った。
- 実は北海道にもいたらしい
- 顔付が全然違っていた
- 札幌近郊の客レ廃止の時にほぼ廃車となった。一機だけ青函トンネル用として生き残ったが、使い勝手が悪かったのかそれもあえなく廃車された。
- 最初は別形式にするつもりだったものの国労の顔を伺わなければいけないからバリエーション扱いに…
- 一部では地元のJRから形式消滅したといわれている。
- Nゲージでは長らく1000番台しかラインナップされなかった。
- その1000番台はJR貨物にしか継承されなかったため、JR化後にNゲージで九州地方を牽引するブルトレを楽しみにしているユーザーを困惑させていた。
- 78号機はジョイフルトレイン専用機。1994年に廃車。
ED77形[編集 | ソースを編集]

- 磐越西線電化用に製作された。
- ED75形に類似するが、軸重制限のある路線で使用するため、中間台車を装架している。
- 試作機である901は元々はED93形として制作され、量産化改造されてED77形に編入された。
- 登場時は非貫通でED74形に類似していたが、量産化改造の時に貫通扉が設置された。
- 磐越西線の軌道強化でED75形が入線できるようになったため、全廃された。
- 1号機が唯一残っている
ED78形[編集 | ソースを編集]

- 奥羽本線板谷峠区間と仙山線の全面交流電化用に製作された。
- 試作機である901は元々はED94形として制作され、量産化改造されてED78形に編入された。
- 軸重制限のある仙山線でも使用するため、中間台車を装架している。
- 貫通扉がある以外はED76形に類似している。
- ED78同士の重連では非力であったため、重連にはED78+EF71の組み合わせで運用された。
- EF71が全廃されたあとも仙山線での需要があったため、生き残っていた。
- その仙山線もED75が入線できるようになったため、全廃された。
- 最終増備車はED75より若かった。
- その仙山線もED75が入線できるようになったため、全廃された。
- 1号機が唯一残っている
- EF71の相方でかつEF71より長生きしていたが、Nゲージではラインナップに恵まれなかった。
ED79形[編集 | ソースを編集]
- 青函トンネルの補機。
- ここを通る寝台特急は、青森(青森信号所)から函館までこの機関車のお世話になる。
- JR貨物機は交流機なのに青系の塗装。
- しかも増備したのは民営化後、外見は旧型だが新しい機関車である。
- 運転室の扉の色が赤いだけ。
- 補機専用の改造が最小限の100番台より、金をかけた0番台の方が廃車が進んでいる。
- しかし両方とも北海道新幹線開業で大量廃車になる公算が高い。
- 貨物委託廃止で100番台の存在意義がなくなったので、一足先に鬼籍入り・・・
- しかし両方とも北海道新幹線開業で大量廃車になる公算が高い。
- 一部はED75-700を改造して生まれたカマ。
- 一部というか大多数が改造車。新造は貨物機のみ。
EF70形[編集 | ソースを編集]
- 北陸本線の交流電化に伴い開発された6動軸交流機。
- しかしEF81形の進出に伴い、次第に活躍の場を奪われていった。
- 初期型と後期型では見た目がかなり異なる。
- 1980年代以降余剰が進んで、一時期直流化して東海道の荷物列車用EF58を置きかえる計画もあったが、同時期に余剰となったEF62を流用する方が安くつくので、計画は流れた。
- KATOが青いEF70を発売したことがある。EF65登場までのつなぎだったとか。
- 1980年に20両が九州に転用されたものの使い勝手が悪く、たった2年で運用から外されて北陸の仲間よりも先に廃車になった。
- 松任工場にいた初号機や吹田機関区に保存されていた車両はひっそりと解体された。
- 松任にいたのはナンバーが無く、なぜか敦賀運転所にいた4号機がEF70 1のプレートを付けていた。
EF71形[編集 | ソースを編集]

- 奥羽本線・板谷峠越え区間が交流電化されたのに伴って投入された、赤いマンモス機。
- 直流電化時代に走ってたED16やEF64を追放した。
- EF16じゃなくて?<ED16
- スマンセン、EF16ですた。ご指摘ありがとうございますた。(byED16云々書いた人)
- EF64を転出に追い込んだ車両だが、EF71が先に形式消滅してしまった。
- 直流電化時代に走ってたED16やEF64を追放した。
- 重連で走る時はED78+EF71の組み合わせ。EF71重連だと線路を傷めてしまうかららしい。
- ED78同士の重連では非力だったため、補機扱いでEF71が製作された。
- 実際は単機運用もあった。
- ED78同士の重連では非力だったため、補機扱いでEF71が製作された。
- 非奥羽型のED75やED76などと比べると屋根上が交流機らしくなく、シンプル。
- 気動車時代の「つばさ」の補機も勤めた。
- これまた1号機が唯一残っている貴重な存在
交直流機[編集 | ソースを編集]
EF30形[編集 | ソースを編集]
- 関門海峡専用機第1号。無塗装のステンレスボディが最大の特徴。
- 第2号のEF81形300番代もステンレスだが、こちらはローズピンク(赤13号)に塗装された。
- 1台車に1モーター。つまり実質上は「EC30」。
- 確かに1台車1モーターだけど、一個で2軸回すから6軸駆動。れっきとしたF型です。
- 実走する交流区間は実質門司駅構内のみ。最高出力も1/4に削がれてしまう。
- なぜか20号機は関門海峡とは全く関係ない碓氷峠鉄道文化むらで余生を送っている。
- 電気機関車の博物館を高崎に作る予定だったから。その車両を事実上引き継いだのが今の碓氷峠鉄道文化むら。吹田でも同様の計画があってEF30含む大量の機関車が集められたが、中止で全車解体。
- 実は国鉄・JR通じて初の全車オールステンレスの形式。
- 大分では動かすからつって3号機保管してたのに突然お面だけ遺してポイチャ。要らないなら置いとくなよ…。
- キハ07と明暗が分かれた。
- 現在はどちらも門司港で展示されてる。
- キハ07と明暗が分かれた。
- 前面がED71に似てる。
EF80形[編集 | ソースを編集]

- こちらも実質上は「EC80形」。1台車1モーター方式。
- この方式のため直流機に改造して飯田線や身延線を走らせようとする計画があった。実現しなかったが。
- 常磐線専用機として開発されるも、EF81形の進出により国鉄分割民営化前に全機淘汰された。
- 最後はつくば万博輸送用で残され、臨時用で使われたが、時々EF81に混じって特急ゆうづるの運用についたり、万博臨時列車で昼間に20系を牽いて白昼堂々上野駅に現れるなど、凄い運用についていた。
- 保存はされとるけど、丁重に扱われとるのかコレで客は来ねえと思われとるのか…
- 横川で保存されてるのはまだラッキーな方。引退後大宮に居たのは整備だけされたものの近年に解体されちまった。鉄博に居てもおかしくなかったんだが…。
- 大宮の36号機は時折イベントで展示されたものの、横川の63号機がある為か、整理対象となり大宮工場内で解体された。敷地外から見える場所で胴体がえぐられた無残な姿を晒した。
- 横川で保存されてるのはまだラッキーな方。引退後大宮に居たのは整備だけされたものの近年に解体されちまった。鉄博に居てもおかしくなかったんだが…。
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