国鉄の電車
独立済み[編集 | ソースを編集]
旧型[編集 | ソースを編集]
32系[編集 | ソースを編集]
- 電動車と制御・付随車で車体長が違っていた。
- 電動車の方は小型車淘汰の方針から早期に絶滅したが、制御・付随車は国鉄末期まで活躍した。
- 飯田線に転用された車両は52系に組み込まれ、モハ52系初期車とサハ48で組成された編成はバランスが整っていた。
- お召し車両が存在した。
- クロ157登場後には伊東線に転用され、当初はそのままの形で運用されていたが、程なくしてサハに格下げされていた。
42系[編集 | ソースを編集]
- 1933年製なのに、21世紀まで70年近く定期営業運転で残っていた。
- 初めは京阪神の急行(優等列車ではなく、現在の快速・新快速に相当)用に投入された。紆余曲折の末、晩年は小野田線の本山支線で運用。
- 小田急に払い下げられたものがあったらしい。
- 2021年には某アニメ映画に宇部新川駅共々登場した。
- だいたい1と2が理由。
- 現在でも車籍は残っているが、動けない状態。
51系[編集 | ソースを編集]
- 3ドアセミクロスシートの嚆矢となった電車。
- オリジナル車のほか、41系、42系から編入した車両もあった。
- 中央線急行(現・快速)や京阪神緩行で活躍したが、その後地方へ転出し国鉄末期まで活躍した。
52系[編集 | ソースを編集]

- 戦前に登場した流線型電車。
- 末期は飯田線で活躍していた。
- 青15号に黄かん色というスカ色の外側の色と湘南色の帯色の塗装が存在していた。
- ぶどう色1色、アイスキャンディー、静鉄快速色など頻繁に塗装が変わっていた。
- 青15号に黄かん色というスカ色の外側の色と湘南色の帯色の塗装が存在していた。
- 現在は大阪の吹田総合車両所と名古屋のリニア鉄道館で静態保存されている。
- 両者では側面の窓配置が異なっている。
- 登場時の外部塗装は117系のそれのベースになった。
- 実は京都~神戸を急行電車で走っていたのは5年足らず。
70系[編集 | ソースを編集]
- 横須賀線を中心に投入された湘南顔電車。
- 末期は赤と黄色のツートンで新潟で活躍したり黄緑とクリーム色のツートンで阪和線で活躍したりしていた。
- 茶色一色の編成もあった。
- 茶坊主のアダ名があった。
- 茶色一色の編成もあった。
- 保存車が1両もない。
- 1952~57年に製造されたが81年に全廃。
- 京阪神緩行線では103系投入まで主力形式だった。
- 新潟地区にも投入され電化初期を支え、115系が投入されるまで活躍した。
- 塗装は前記の通り赤と黄。
63系・72系[編集 | ソースを編集]

- 国鉄のみならず、通勤電車の礎を築いた車両。
- 下駄履きで気軽に乗れる電車の意味で「ゲタ電」と呼ばれた。
- 国鉄以外にも多くの私鉄に割り当てられた(小田急1800系・東武7300系など)。その多くは車体更新を受けて1980年代まで活躍していた。
- 中には標準軌に改造された車両もある。
- 当時南海以外は駅設備を大改造しなければならないほど巨大だったため、早々に手放す(名鉄)入線を断念(近鉄名古屋線)したケースも。
- 導入に当たって中小型車両を手放すという条件がつけられたのだが、車両状態は東急はきれい東武はごみ同然だったりした模様。
- 阪急は他線転用が不可能、西武は供出自体を嫌がったため63系は入線していない。(西武は後に払い下げを受ける)
- 導入に当たって中小型車両を手放すという条件がつけられたのだが、車両状態は東急はきれい東武はごみ同然だったりした模様。
- 小田急に至っては、国鉄から借り入れたり、もらったり(1800形)、払い下げられてロマンスカーになったやつもいた。
- 改造車も含めて、民営化後も定期営業運転があった。
- 中には荷物車に改造されていたのに、民営化後に改めて旅客車に改造して定期営業運転に使われた車両もあった。
- 事業用車に改造されていたモハ63638が原形に復元され、名古屋のリニア・鉄道館にて展示されている。
- そのため国電区間があった東京でも大阪でもなく名古屋に展示されているという。
- 初期車は戦争末期に作られたもので天井板や座席の背摺りがない。酷いものでは12人分の座席しかない車両もあった。
- 国鉄時代に103系と同様の車体に載せ替えた車両が仙石線を走っていた。
- 実は戦前型国電(2ドア、3ドア車)からの編入車が存在した。
- 3ドア車からの編入は無かった筈。
- 1両だけデュアルシートに改造された車両がある。
- 便所を設置した車両もあった。
- 戦時中に製造が開始されたが、終戦時時点で実際に走っていたのは電装品すらなかったタイプ含めて20両足らず。
- 63系は桜木町駅で燃えた。
- 結果、72系に改番された。
- 三池の専用鉄道で客車になったタイプがあった。
- 最後の生き残りは交流化されて前面以外真っ赤になったJR九州のクモヤ740-5(2008年廃車)。
- 関連項目
- 東武鉄道6300系→7300系
- 山陽電鉄700形
- 東急→小田急1800形(後に秩父鉄道に譲渡)
- 東急→相鉄3000系
- 名鉄3700系(初代)(後に小田急と東武に譲渡)
- 近鉄→南海1501形
- 西武401系(初代)
- クモニ83→JR西日本クモハ84
80系[編集 | ソースを編集]

- 元祖湘南電車。
- 初期製造分は湘南顔ではなく窓が三つの前面だった。
- 後期に製造された分は窓が大きくなった。
- 側面もノーシル・ノーヘッダーとなった。
- 湘南顔の初期車の中にはブドウ色とクリーム色のツートンカラー(関西急電色)をまとっていた。
- 最後は飯田線で活躍した。
- その残党が大井川鉄道にいる。
- 2次車以降の流線型で前面2枚窓というスタイルは「湘南型」と呼ばれ1950~60年代に登場した私鉄の車両に大きな影響を与えた。
- 現在は3枚窓のクハ86001が京都鉄道博物館で保存されている一方、湘南型と言われる流線型前面2枚窓の車両は1両も保存されていない…。80系と言えば後者なのに。
- 先頭車が流線型2枚窓は全金属製の新製車両。これを模した売店が藤沢駅にある。
- 現在は3枚窓のクハ86001が京都鉄道博物館で保存されている一方、湘南型と言われる流線型前面2枚窓の車両は1両も保存されていない…。80系と言えば後者なのに。
- 窓周りオレンジでその上下が緑という「湘南色」をまとっていたがオレンジの色味は後続の113系等と比べると赤みが濃かった。
- あれは静岡のお茶とみかんをイメージしたらしい。
- 実際はアメリカの鉄道の車両写真を見た国鉄の担当者の気に入ったから。
- 初期案ではオレンジ部分は柿色で、サビ止め塗料と揶揄された。
- あれは静岡のお茶とみかんをイメージしたらしい。
- 準急列車でも使われた。
- 東京都内のある病院にこれのレプリカが存在した。
- 「笑ってコラえて」でも取り上げられた。
事業用[編集 | ソースを編集]
141系・143系・145系・147系[編集 | ソースを編集]

- 車両基地にいるあいつ。
- 新幹線(東北新幹線)を自走できるように改造された編成がいる。
- クモヤ793のことですね。わかります。
- 実際は本来の目的に使用されることはなかった。新幹線特有の制約が多くて扱いづらい存在だった。
- 719系5000番代の検査も所属している車両基地で行うことになったから。元々は新幹線総合車両センターで行う予定だった。
- クモヤ793のことですね。わかります。
- 工場から車両基地へ車両部品(クーラーとかホロ)輸送を手がける車両もいたんだがトラック輸送に取って代わられて廃車。
- 101系からの改造車が多い。
- 141系と143系は完全新造。
193系[編集 | ソースを編集]
- 直流電化線区用の電気検測車。
- オリジナル車と495系からの編入車があった。
- 後者は改造後しばらくは交直流色のままだったが、後に直流色に変更された。
- オリジナル車はTOMIXで製品化されている。
- 元々はレールクリーニング車だった。
- 車輪はヤスリ状になっていてレールを磨いていた。
- 後継製品である独自のレールクリーニングカーが発売されたことを受けて絶版になりかけたが、一転してレールクリーニング機能をなくした上で存続した。
- レールクリーニング車塗装じゃない2種発売→レールクリーニング車を絶版にしてレールクリーニング機構の無い製品をリニューアルして再発売じゃなかったっけ?
- 元々はレールクリーニング車だった。
443系[編集 | ソースを編集]
- 交直流対応の電気検測車。
- JR東日本とJR西日本に継承された。
- JR東日本のものはEast-iに置き換えられたが、JR西日本のものは今なお現役。
- キヤ141系では対応できないから辛うじて生き残っている。
- 2016年には機器更新された。
- JR東日本のものはEast-iに置き換えられたが、JR西日本のものは今なお現役。
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