国鉄の電車/特急・急行形

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日本国有鉄道国鉄の車両電車特急・急行形

主な車両[編集 | ソースを編集]

特急形[編集 | ソースを編集]

151系・161系・181系[編集 | ソースを編集]

元祖こだま形
  1. パーラーカー。
    • 今となっては死語。
    • 意外にも3等級制時代は2等車扱い。
  2. 踏切事故で大破し、新性能電車の廃車第1号が出た。
  3. 電車でGOの隠し要素として運転できるが、景色が現代なのであまり雰囲気が出ない。
  4. 食堂車に電子レンジ搭載。
    • このせいで料理がまずくなり始めたらしい。
    • 電気レンジでは?
    • ちなみに当初はなぜか食堂車はなく、半室ビュッフェ車しかなかった。
      • その半室ビュッフェ車の形式は「モハシ」。多分この系列にしかいない。
  5. 鉄道車両の前照灯は上の方に一つだけという常識を打ち破った車両。
  6. 20系といえば客車の20系が有名だが、この系列も登場時は20系を名乗っていた。この系列が151系になってからは阪和線の買収国電が「電車の20系」を名乗っていた。
  7. デビュー当初、「パーラーカー」は連結されていなかった。
  8. 最後は181系になり「とき」に運用されていたが、冬季の運用は大変だったらしい。
    • このため耐寒耐雪性能が強化された183系1000番台に置き換えられた。
  9. 実はサロの一部は1978年製造。
    • 当初から485系への改造を想定して床が高く設計されていた。
    • それ以前に廃車が開始されていた。そのためか、181系は全車が同時期に揃ったことはない。
    • その残党が2022年まで現役だったという事実。

381系[編集 | ソースを編集]

オリジナルの国鉄色
スーパーゲロくろしお
  1. 国鉄初の振子式電車でアルミ車両。
    • そのため形式が300番台になった(301系も同様にアルミ車両)。
  2. ゲロしお。
    • はくも。
      • リニューアルされた奴はぐったりやくもと言うらしい
        • ぐったり吐くも
    • 死なの。
    • 振子式とはいえ、実は自然振子。カーブにかかると車体が思いっきり傾く。これで急カーブを高速走行→所要時間短縮につなげるはずだったが…。
      • 後年にすべて強制振り子改造されて乗り心地が若干向上した。
    • 酔うのとり。
    • きの吐き。
    • 吐きだて。
  3. TOMIXから出ている模型が中古模型屋のジャンクコーナーでやたらと塚になっている気がする。
  4. 重心低くする為窓が低い。クーラーも床下装備の為のっぺり屋根。
  5. クハ381の貫通型が0番代・非貫通型が100番台だが、0番代はここにしかいなかった。
  6. 緑色6両編成の「やくも」に、日根野から借りてきた国鉄色の3両(先頭車間車間車)をくっ付けた変則的な萌え編成が誕生した。
  7. 湖西線で高速試験を行ない180km/hを出した。実は国内在来線最速レコードを持つ。
  8. 287系と共に「北近畿ビッグXネットワーク」の置き換えに回るとか回らないとか。
    • 183系置き換えに伴う「つなぎ」だったらしい。
      • と思ったらまた復活。でも北陸新幹線開業までのつなぎとの説が有力。
    • ここでは当初振り子は使用していなかったが、乗り心地向上のため振り子の角度を3度に限定して使用することになった(通常は5度)。
      • そのため1000番台に区分されることになった。
    • 実は国鉄時代電化された福知山・山陰線に投入される計画があったが、国鉄末期の財政難のため中古の485系(後の183系800番台)が導入された。
    • 「くろしお」用とともに2015年10月で引退。これで381系が使われるのは「やくも」のみ。
  9. 気が付けば事実上最後の国鉄製特急型車両となる。しかも伯備線は向こうしばらく(恐らくフリーゲージが来るまで?)列車の置き換えが期待出来ないのでかなり安泰という。
    • と思っていたらやくもへの新車投入が発表。引退が一気に近くなった。
      • 2024年からようやく置き換え開始もペースはゆっくりの模様。
    • 気動車特急まで含めたらキハ185系か九州の観光列車用のキハ40が最後まで残る国鉄製特急型車両になりそう。
  10. 引退が近る2022年、国鉄色にリバイバル塗装された編成が登場した。

781系[編集 | ソースを編集]

  1. 北海道専用の特急型電車。
    • 485系1500番台が失敗したことで登場した。
  2. JR北海道で初めて青函トンネルを走った電車。
  3. 実は本州に乗り入れたことがある。
  4. JR化後にドアが増設された。
    • モハに至ってはコンパメート席ができるほどだった。

準急・急行形[編集 | ソースを編集]

153系[編集 | ソースを編集]

  1. 元祖東海型。
  2. 実は改造車がJR化後も残っていた。
    • それは113系のグリーン車になった車両。
  3. ずらっと窓が並んでるのが面白い。
  4. 予備車の無い151系の代わりにこだまを代走したことがあり、かえだまと揶揄された。
    • 鉄道ファンや子供はがっかり。文句を言ったり泣き出す人もいたらしい。
    • 一応特急料金は据え置きだったらしい。
  5. 2両だけ試作のステンレス車がいた。
    • しかも後に113系化された。
  6. 最初は準急用として使われていた。
  7. 食堂車には寿司カウンターが付いていて、車内で握りたての寿司を味わうことが出来た。
    • ちなみに兄弟車の451系にはそばコーナーが付いていた。
      • 後継車の165・169系と交直両用車でそばコーナーになったのは寿司職人の人件費が高いことと麺類の方が庶民的であるため、そばコーナーになったが、どことなく駅そばと被る気がする。
    • 当時は今の回転寿司や持ち帰り寿司のようにオートメーション化されておらず、寿司職人が手作業で握っていた。
  8. 1977年には全車の冷房化を完了したが、実はその頃には老朽廃車される車両も出始めていた。
    • 否、非冷房のまま80年代に廃車されたのが何両かいた。
  9. サロには簡易運転台が付いていた。
  10. 二代目新快速。わざわざ専用塗装の車両まで用意していた。
    • 一部にクハ165が混じっていた。
    • 117系に置き換えられる直前は湘南色との混色も見られた。
      • 逆に新快速色が豊橋や三原に姿を見せたこともある。
    • 「ブルーライナー」
      • 決してこの車両で一時期見られた塗装の編成のことではない。
  11. 大昔廣嶋に走っていた。
    • 1983年頃まで走っていたから「大昔」というのはおかしい。
  12. 保存車は事業用に改造された1両だけ。
    • 佐久間レールパーク閉園後解体されたため、0に。
      • 何故か原形に近い車両はすべて残らず解体された。
  13. 185系と一緒に走ってたことがある。

155系・159系[編集 | ソースを編集]

  1. 修学旅行用列車の環境を改善するために生み出された、153系ベースの修学旅行用車両。
    • ちなみにこの車両が登場する前は、雑多な客車をかき集めて修学旅行列車を組成していた。
      • 普通列車用の長い時間座るにはつらい席にさらに2人掛けのところを3人で座らせられたりしていたため、一生の思い出となるはずの修学旅行が辛い思い出になりかねなかった。
    • とはいっても2+3列のシートだとやっぱりあまり居住性はあまり良くなかったらしい。
      • 「ひので」「きぼう」廃止後は一般的な急行用座席に改造され、塗装も湘南色になった。
      • 近鉄の初代あおぞら号もそうだった。
  2. シーズンじゃないときは、普通に急行用車両として使われていた。
    • 顰蹙を買わなかったのか気になる。
    • このため、車内のテーブルには灰皿が完備されていた。
    • 中央東線への入線を考慮して屋根全体が低い。
  3. 159系は、頻繁に急行列車に使用することを想定した造りになっている。
    • 別に碓氷峠対応とかではない。
  4. 晩年は東京-伊豆間の急行や名古屋地区の快速(新快速の前身)に使われた。
  5. 最後まで冷房が搭載されなかったらしい。
    • それが災いして特に159系は1980年代前半に20年足らずで廃車された。全廃は155系よりも早かった。
      • 159系は修学旅行用設備の撤去は最後まで実施されなかった。なかには修学旅行色のまま廃車になった車両もあった。
    • 扇風機はボックスごとにあり、製造時を考えれば贅沢な仕様。
      • だがトランプが吹き飛んで並べにくかったという体験談もある。
  6. 後期の製造車は165系より若い。

157系[編集 | ソースを編集]

日光形電車
  1. 気動車準急日光を近代化し、東武特急に対抗するために生み出された車両。そのため日光形とも呼ばれる。
    • 151系に準じる特急列車並みの設備を持った準急型車両として開発された。
    • 東武の5700系に大差をつけ、その目論見は成功したかに見えたが、東武が151系を意識したDRCを開発してしまったので…
    • そのうち日光の一部は165系で運行され、日光方面の需要の減る冬季のみ運行だった特急ひびきが通年運行されることとなり、そちらが本業となる編成も現れた。
  2. 現在も貴賓車用の車両が1両だけ残っているが、後継のE655系も登場しているので、オンボロだけど廃車にするわけにもいかずとりあえず残してあるだけという感じになっている。
    • 185系と同じ塗装らしい。
      • 白い車体に御紋周辺で途切れた緑帯という塗装は、なんか間の抜けた印象。
  3. 153系同様こだまを代走したことがあったが、こちらの場合は特急型車両並みの設備ということで料金は据え置きにならなかった。
    • ただし食堂車がないので売店に頼ることに。
  4. 後継車両は185系…なのかなぁ。
    • 185系は特急にも急行にも利用できるように設計してるから、157系の運用を受け継ぐことを想定していた模様。
      • ただし下にもある通り185系が登場した時点では既に157系は貴賓車を除き消滅していた。
  5. 顔は153系を非貫通&半流線化したような姿。
    • 個人的になんかちょっと真の抜けた印象がある。でもそれもいいと思う。
    • 後年117系にも引き継がれたような気もする。
    • 貴賓車のは153系低運転台車そのもの。
      • 低運転台タイプの東海顔最後の生き残り。
  6. 準急用として登場し特急用にまで2階級昇進したという点では名鉄キハ8000系とも似ている。
  7. 貴賓車用車両を除いて保存車が一切存在しない。もったいないような気が・・・
    • おそらく↓が理由と思われる。
  8. 下降窓が廃車を早める要因になった。
    • これがトラウマとなって国鉄は205系が登場するまで下降窓の採用が消極的になった。
      • そのせいか、急行型のグリーン車に至っては2段サッシに改造した車両までもいた。
        • 交直流急行形のグリーン車には2段サッシに改造した車両はなぜか1両もいなかった。下降窓の保守は基地ごとにばらつきがあったらしい。
    • 近鉄や阪急の電車も下降窓を採用しているが、なぜか長生きしている。
      • 同じく鋼製車体で下降窓を採用している小田急9000形や西武9000系は先代車両より先に廃車となっている。
    • 海沿いもよく走ってた方から塩害で車体の傷みが更に進んだのではなかろうか。
    • 下降窓の保守に手を焼いたから。当時の国鉄は労使関係のゴタゴタもあり、保守がしっかりしていなかった。
      • この影響で205系の仕様変更までタブー扱いされていた。
  9. 準急日光→特急ひびき→急行伊豆→特急あまぎと時代に振り回された。
    • 晩年の特急格上げの一因に急行だと他の車両と格差が大きかったというのがある。
  10. 1959年10月に登場、1963年3月まで製造されたが、76年3月に1両を残し全廃。185系登場より5年7か月も早く消滅した。

163系[編集 | ソースを編集]

  1. 163系の平坦線版として企画されたが、グリーン車しか製造されなかった。
    • そのグリーン車は153系に組み込まれた。
      • なお、Wikipediaでは165系の一員として扱われている。同時期に製造されたからだろうか。
  2. 1両が113系に編入されたが他の車両より一足早く廃車となった。

165系・169系[編集 | ソースを編集]

復刻湘南色(長野駅にて)
  1. 今はしなの鉄道富士急に譲渡された車両が残っている。
    • 今では両線とも引退し、特定の駅で保存中。
  2. 秩父鉄道に譲渡された車両は前面が原型を留めぬくらい改造された。
    • 下記ジョイフル化改造車に比べるとまだ原形をとどめている方。
  3. 113系や115系よりボックスシートが広い気がする。
    • まぁ急行型だからね。
  4. エアサス台車装備だから113系や115より乗り心地はいい。
  5. ジョイフルトレインの種車になった車両もいる。「PEA」(パノラマ・エクスプレス・アルプス…上述の通り富士急に譲渡された)とお座敷電車の「なのはな」
    • ナンバー不変だったけど内外装改装した京葉線臨時快速「シャトルマイハマ」も。京葉線から上越に転じ「α」(アルファ)に改造された。
      • ここにいた「ゆうゆう東海」も165系が種車。
  6. クハ165・クモハ165だったかな?「S」という異常に狭い2人がけシートがある。
  7. 実は白とスカイブルー塗装の車両もいた。
  8. ご多分に漏れず、急行全廃後は各地で普通列車運用に回った。
  9. 過去に大垣夜行や新宮夜行等で「一夜の宿」としてお世話になった「18きっぷ愛好家」も多いと思われる。
  10. 記念すべきデビューは、何と157系を使った豪華な準急の格下げとしてだった。
  11. こちらも153系と同じくサロに簡易運転台が付いていた。
  12. キレた乗客によりボコボコにされてしまいました。
  13. 189系に置き換えられたときは、ドアの狭さを見ると車椅子が乗りづらい。
  14. クハの一部に153系からの改造車(クハ164)が存在したが、外観は153系そのものだった。
  15. 異端車として2両だけ売店車(サハ164)も存在していた。
    • ビュッフェの代わりに連結することを目的にしていたが長続きしなかった。外観は客用扉2つに業務用扉1つの変則的な3扉が特徴だった。
  16. 東武6000系はこれの私鉄版みたいな気がする。
  17. 教習用車両としてサハシ153改造のクヤ165がいたが、JR化直前に廃車。
  18. 国鉄末期に転換クロスシートやリクライニングシートに取り替えられた車両がある。
    • JR東日本に引き継がれ、数少ない転換クロスシート車両だった。

167系[編集 | ソースを編集]

モックアップ
  1. 国鉄の修学旅行用電車第2弾。こちらは165系がベース。ただし車内はほぼ159系。
    • 実は155系の最終増備から7ヶ月しか経っていない。
      • しかしその割には155系より20年も長生きした。
      • 155・159系と違い冷房化も行われ、団体用のほか定期の急行などにも運用された。
  2. 角型ライトの改造車は何だか異様で不気味(特に湘南色)。ホーンが455系と違ってメッシュなせい?

451系[編集 | ソースを編集]

  1. 登場時は外吊り扉だった。
  2. 最後まで常磐線で使用され、国鉄急行色を維持した。
  3. 西武にも似たカラーリングの451系がいた。
    • ただしこちらは3ドアロングシート車で釣りかけ駆動。

453系[編集 | ソースを編集]

  1. 451系の出力向上版。
  2. トップナンバーが最後まで生き残っていた。
  3. 一部が455系に改造された。

455系[編集 | ソースを編集]

角型ライトタイプ
国鉄色
  1. 仙台地区東北本線で(ラッシュ時除いて)一番人気があった。
    • エアサスつきの急行型を普通に転用。
      • 常磐線いわき~仙台・東北本線黒磯~仙台以北の普通&快速・仙山線の普通&快速「仙山」にも充当されてた。
        • 水戸まで入る定期運用も結構晩年まで残っていたらしい。
  2. 115系みたいな顔のものから角目のものと詳しくない人が見たら同じとは思えないものがある。
    • 角目は211系のと同じモノ。郡山工場更新車。
    • 更には元グリーン車を先頭車改造した車両(クハ455-600)もいた。座席は普通のボックスシートで、何か損した気分…。
  3. 磐越西線用に特別塗装されたものがあった。
    • さよなら運転はあかべえが涙を流しているヘッドマーク。こっちも泣けてくる。
      • と思ったら仙台塗装のやつがその後にやってきた。
    • Banetsu Line 455とヘッドマークのように書かれているのがかっこよかった。郡山駅のエスカレーターに書いてあるのもかっこよかった。
      • 青黄色塗り分けの仙山線版、Senzan Line455というのもいたよ。
  4. 鉄道博物館に休憩所として置いてある。
  5. 汎用色の「東北色」が主流だが、「あかべえ色」「磐越西線色」「仙山線色」とそれぞれに塗られた電車がいた。更に仙山線中心に走ってた「パッチワーク塗装」もいた。「何だかツギハギみたいだ」と大不評。
  6. 既に運用離脱したが、磐越西線快速「ばんだい」充当中心だった「S-40」編成は半室グリーン車連結(クロハ455-1)。
    • クロハさん。末期は座席そのままにグリーン車制度廃止だったので、無料で立派な席に座れる乗り得列車だった。
  7. 453系(451系のモーター出力アップ版)の抑速ブレーキ付加版。
  8. 6両編成仙台シティラビットが槻木ストレートを爆走する姿はかっこよかった。
  9. そばコーナー、うどんコーナーの付いていたサハシ455は1965年製造だが1975年~1980年に順次廃車となり全廃は1980年。国鉄の新製新性能電車の中ではかなり寿命の短い部類だと思われる。
    • 一方471系の一部の車両はもう50年近くも車籍を持っている。

457系[編集 | ソースを編集]

  1. いわゆる3電源走行可能電車。
    • 1968年デビューの特急形・485系より1年遅れてデビュー。
  2. 交直流急行型電車の最終形式なのに、何だか存在感が薄い気がする。
    • たぶんモハとクモハしかいないせい。
    • クハ・モハそれぞれ19両ずつしかいない上に、クハやサハの車体番号は455系の続番。
    • 457系が登場した頃には既に特急への移行が始まりかけていたため、急行形車両そのものが積極的に製造されなかったことも原因。
    • しかも製造分の半分に当たる9本が大分に配置されていた。
  3. 新製時から冷房搭載なので通風器が少ない。
  4. 19両あった事でモハ456-7も当然の様に存在した。

471系[編集 | ソースを編集]

  1. 451系の直流/交流60hz版。
  2. 全車413系に改造される予定だった。
    • 改造コストが思った以上にかかったため、全車に及ばなかった。
    • その後は延命工事の方針に変更された。
    • 471系のまま残った車両は出力アップで実質473系化していた。

473系[編集 | ソースを編集]

  1. 1ユニットしか製作されなかった。
    • 少数派ゆえの宿命からか、413系に改造された。
      • しかも今なお残存している。サハ改造クハ455と組んでいる。
  2. 453系の直流/交流60hz版。

475系[編集 | ソースを編集]

  1. 455系が直流/交流50hz版なのに対してこちらは直流/交流60hz版。
    • クハ・サハ・サロ・サハシは455系を使用。
  2. 455系と内装で違いがあるかというと…ほとんど無い。
  3. 北陸九州が主戦場だった。
    • 九州では白地に青帯の九州色に塗られて、主に南九州地区で活躍。
    • 北陸にいた仲間は急行型電車の中では地味に長生きだった。
      • 実は2両だけ輪島塗にされて現役。
  4. 115系と同じコンプレッサーを搭載。

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