国鉄の電車/通勤形
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主な車両[編集 | ソースを編集]
101系[編集 | ソースを編集]

鉄道博物館の保存車
- 国鉄初の新性能電車というが、抵抗制御なので今では「新」とは言えない。
- 電装品を分散搭載した(MM'構成をとった)ことから来る名称なので、最近の車両もその概念を踏襲しているといえなくもない。
- ちなみに、最初は全M(全ての車両がモーター付)で中央線を爆走する予定で「高性能電車」と謳うことになっていたが、新宿の変電所の能力が足りないことが分かったので、付随車を追加して性能を落とし、「新性能電車」と名乗ることにしたという話。
- これについては異説あり。Wikipediaの項目を参照のこと。
- 初期型クハ・サハの電動台車やパンタ台が夢の跡を物語る。
- 出力の関係上MT比1:1での走行が不可能らしい。だがグリーンマックスの4両編成キットは2M2Tになっている。
- 所詮鉄道模型なんで見逃してやってくだせぇ。
- 意外に関西では早々と廃車になり、JRで最後に活躍したのは南武支線。
- 上記の理由から失敗作扱いされているが、実は国鉄で4番目に多く作られた車両である。
- ノーシルノーヘッダーのすっきりした車体が特徴。
- ついでに雨樋まで取り除かれている。
- 実は103系が登場した後も増備が続いていた。最終新造は1968年製。
- 1980年代にはガンガン廃車が進んでいったが、一応新性能車なので事業用車新性能化のための改造種車になったり、部品が他の新造車両に流用されたりした。
- 車両不足を補うためにクハやサハが103系に編入されたものがいた。
- 飯田線用の荷物電車に改造(クモユニ147)→旅客改造されて身延線に転属(123系40番台)したのがいた。
- 製造当初は運転室の後ろに大きな窓があったが、後に窓の大きさが縮小されてしまった。
- 事業用車に改造されたグループは今も西日本で数多く生き残っている。車籍上は後輩の103系の廃車回送に従事されたり。
- 2021年までに引退した。(クモハ101→クモル145)
105系[編集 | ソースを編集]
- 広島地区のつりかけ式電車置き換えのために製造された。
- 最初に投入されたのは福塩線と宇部・小野田線だが両者では塗装が異なっていた(福塩線が黄色に青帯・宇部・小野田線がオレンジ一色)。
- 千代田線から追い出された編成がある。
- 何気に常磐線の快速に転用された車よりも長生きしている。
- それどころか203系よりも長生きだぜ!
- こいつのN40車も存在する。
- N40じゃなくて体質改善30N車。ちなみに新製車両のみ施行されていて、103系1000番台からの改造車は対象外。
- 103系改造のものはN40延命工事施工車(っぽい)のがいるぞ。
- N40じゃなくて体質改善30N車。ちなみに新製車両のみ施行されていて、103系1000番台からの改造車は対象外。
- 何気に常磐線の快速に転用された車よりも長生きしている。
- ノーマルな103系から改造されたクハがいる。
- 103系顔の車両は消滅したが、ノーマル103系からの改造車は残存している。
- 事故廃車の補充としてノーマル103系の中間車に1000番台顔をつけて105系にしたものがいる。[1]
- クハ104-551がそれ。運転台は事故廃車になった車両のものを再利用した。
- 仙石線にも仲間がいたが(600番代車)、広島や奈良の105系より早くに廃車された。
- 改造種車が103系初期型であったことと103系と編成が異なるため、運用が制限されてしまうかららしい。それと元々は石巻 - 矢本間の普通列車用として登場したが快速に内包されたため、持て余したらしい。
- この工事で103系が不足したので101系が仙石線で走っていたが、その車体が仙台港で放置されてて東日本大震災で無残な姿をさらしていた。
- 昔は久里浜駅と新秋津駅には105系の訓練車があった。
- 久里浜には脇に「YOKOHAMA」とか書いてある209系みたいなのが止まってる。多分アレが今の訓練車。
- もともと近畿地区の105系は全て103系の改造車だったが、現在紀勢本線の紀伊田辺~新宮間で運用されているのは当初から105系として新製された車両。もともと広島・山口地区で運用されていた車両をリニューアルの上転用した。
- 発車時は、「ズガン!!」・・・衝撃が凄まじい。
- 後述の119系もそうだが、もともと8個直列起動が前提(端子電圧375V)の主電動機を4個直列で使うところに無理があるんである(私鉄ではフツー、巻き線の巻きなおしで端子電圧を変えるのだが、それをやらないのが国鉄クォリティ)。
- 和歌山線や桜井線で活躍する4ドア編成はトイレがついているのだが、何せオールロングシートに後付けされたのでもれなくトイレに入った人と「ごた~いめ~ん」してしまうトラップあり。そしてトイレじゃない方にも冷房が同じ感じに載っかってるので間違えてそっち行って「トイレないじゃん!」と慌てるトラップもあり。
- それを防ぐためにキハ35ではトイレの前だけボックスシートになっていた。
- トイレの前にロングシートと言えば近鉄でも存在する。
- 東武にも存在していた(6000系)。
- 0番台が登場した当初は中間車を組み込んだ4両固定編成が存在したが、中間車はすぐに先頭車化された。
- JR西日本の103系は全て戸袋窓が埋められているが、なぜか105系は103系改造車も戸袋窓が存置されている車両の方が多い。
- 桜井・和歌山線の105系は103系1000番台として生まれて以来50年近く生き続けていたが、ついに227系に置き換え決定。
- 一方、國鐵廣島では103系からの改造車は言うまでも無く、比較的状態の良い新製車にまで退場が宣告された。
203系[編集 | ソースを編集]
- 常磐緩行線と千代田線ではほぼ確実に見かけることが出来る。
- これらの路線で一番多く来るのは203系。
- 千代田線で運用番号の末尾が「K」となっている電車の9割近くがこれ。
- 今はそれがそっくりそのままE233系2000番台に置き換わった。
- 結構汚れが激しい。
- 千代田線ではモーター音がやたら不気味に響く。
- 不気味というより力強い感じがすると思う。
- 国鉄・JRの車両では珍しい単一路線専用系式。他の路線では走ったことがない。
- モーターの音は205系の初期型にクリソツ。
- さすがにそろそろ廃車になる模様。地方私鉄で欲しがるところとかあるのだろうか?301系と同じように千代田線でそのまま生涯を終えるのか...
- 2011年9月、千代田線直通運用から転用されることなく全車両引退。
- 第一編成(クハ203-1F)は側面ナンバーがアルミプレート張った上に青緑1号で記号や数字がペイントされてた。第2編成から車体に直接黒字でペイント。
- 一部がJR西日本に売却される予定らしい。
- 他の千代田線系統の車両に比べて、ドアが閉まってから動き出すまでに時間がかかった印象がある。
- 千代田線乗り入れ用に用意された103系1000番台が、客や営団側から煙たがられた末に開発された車両。
- この車両の導入で弾き出された103系1000番台は105系に生まれ変り、西日本へ送られ未だ現役で頑張って走っている。
- 御堂筋線用の10系と似た雰囲気を感じるのは自分だけだろうか?どちらも方向幕に我孫子(あびこ)があるし。
薄汚れたアルミ車体のチョッパ車、という点でも共通する。
- 関連項目
207系[編集 | ソースを編集]
- 常磐線(各駅停車)用に1本だけ導入された。
- ちなみに、福知山線やJR東西線などを走っている車両とはまったくの別物である。
- あんな×××な車両と一緒にするな…
- 鉄道ファン誌の一部記事ではJR東日本・JR西日本の207系は同一系列として取り扱っている。
このためJR西日本の207系も国鉄型車両の一部として取り扱われ、毎年残存率が5000%近くで計上される。- いつも思ってたんだが、国鉄207系とJR207系に形式番号以外のなんのつながりがある?
- 私鉄だと、外観はともかく中身が207系の各々より違っても、同一形式を名乗ってる例はいくらでもある。それらをひとくくりに計算するのと同じ事。
- 国鉄(JR東日本)とJR西日本の207系の共通点…軽量ステンレス・20m級4ドア車体、VVVFインバータ制御。まあ分割民営化後は車両の遠距離転配が殆どなくなって、更に東日本の207系は900番台だったから、同じ形式番号にしても問題はない、と見たんだろう。
- 台車構造やギア比も同じである。
- キハ183系もそんな感じ。(北海道と九州にいる奴は別物)
- いつも思ってたんだが、国鉄207系とJR207系に形式番号以外のなんのつながりがある?
- 鉄道ファン誌の一部記事ではJR東日本・JR西日本の207系は同一系列として取り扱っている。
- あんな×××な車両と一緒にするな…
- これにあたると結構運がよいらしい。
- 結構というか相当です。
- 営団06系とは1編成しかいない仲間。
- ちなみに、福知山線やJR東西線などを走っている車両とはまったくの別物である。
- 音が大阪の地下鉄にそっくり。
- VVVF車だがE233系導入で廃車になるらしい。
- しかも203系よりも先に、と言う噂・・・。
- 205系(5000番台)と同じVVVF装置に更新する話があったものの、ボツになった模様。
- 余ってる界磁添加励磁装置に載せ変えて、他線の増発用に使えばいいのに…
- どうも簡単に機器乗せ換えでおk、というわけにはいかないらしい。できたらすでに203系と同じモーターに乗せ換え、制御装置も界磁添加励磁制御に改造していたはず。
- 203系のMT60は電機子チョッパ制御用で電流量制御に特化している為、電圧制御の界磁添加励磁制御には向かない。
- 何か南海旧8000系みたいだな…。(向こうも1編成のみの試作車だった)
- どうも簡単に機器乗せ換えでおk、というわけにはいかないらしい。できたらすでに203系と同じモーターに乗せ換え、制御装置も界磁添加励磁制御に改造していたはず。
- 余ってる界磁添加励磁装置に載せ変えて、他線の増発用に使えばいいのに…
- ついに、長野総合車両センターに廃車回送されてしまったらしい。まさか201・203系よりも先に廃車されるとは、本人も思っていなかっただろう。
- 試作車の場合、量産されなかった部品が使われていて、修理部品が確保できないために早期廃車するというのはよくある話。
- 民営化直前の鉄道ファンでは地下鉄東西線乗り入れ用に増備(量産化)されるかも、と予測されていたが、別の東西線の乗り入れ用に量産化された。
- 目立たないが、前面に貫通扉がある。
- まぁ、貫通扉がないと地下鉄に乗り入れできないからねぇ。
301系[編集 | ソースを編集]
- 国鉄初のアルミ車両だが、高くて量産されなかった。
- その後の増備や他線への投入は、103系(普通鋼車体・コイルバネ台車)の地下鉄乗り入れ仕様車で、お茶を濁した。
- 国鉄通勤車初のユニット窓車だったりする。
- アルミの加工が難しくて、車体外板を窓枠兼用(非ユニット窓)に作れなかった。
- 当時、アルミ車の製造技術を持つメーカーが、川崎車輌と日本車輌の2社しかなくて、量産効果を上げられなかったことも、コスト高の原因のひとつ。
- この経験からか、晩年の国鉄は、205系をはじめとしたステンレス製の新型車両の調達コストを少しでも下げるため、国内ステンレス車製造をほぼ独占していた東急車両に製造技術を開示させるという、強引な手を使った。
- 一部の編成は屋根が白かった。
- 登場時はアルミ地肌に腐食防止に分厚くクリア塗料塗ってたが、灰色塗料塗った。
- 屋根を白くしていたのはK3編成のことで、AU712形冷房装置のマイコンを夏場の熱でやられるのを防ぐため、スペースシャトル用にNASAが開発した耐熱塗料を塗っていたが、塗料代が高かったので他編成に波及しなかった。
- この編成の方向幕一覧に「パナウェーブ」・「スカラー波」と落書きされていたそうで、某掲示板では「パナウェーブ編成」と不名誉なニックネームを付けられていた。
- ソウルの地下鉄の古い電車は恐らくこれのデッドコピーらしい。
- 普通鋼製でコイルバネ台車なのでどっちかというと103系に近いかも。
- 引退の時さよなら運転で高尾まで行った。
- 日立名物「A-train」のルーツがこれ。
- 日立は301系作っていない。
- 登場から引退までずっと東西線直通に生きる人生だった。
- 非冷房の時代が長く、冷房改造受けたのは晩年になってから。
- 冷房装置は、アルミ車体の改造が難しいのと、コスト削減のために、分散式のAU712形を各車に2基搭載。
- ただ夏場になると、外側に設置されてるマイコンが高温でやられて、不調になることが多かった。
- 冷房装置は、アルミ車体の改造が難しいのと、コスト削減のために、分散式のAU712形を各車に2基搭載。
- 非冷房の時代が長く、冷房改造受けたのは晩年になってから。
- 同じ形式の車両が西武鉄道にいたりする。
- 大宮に1両だけ残ってる。
- 2017年に解体。これで現存車はゼロに。
- 空気バネ台車装備だった。
- 103系1200番台と混結した10連(5+5編成)は性能差と乗り心地の差で営団乗務員から不評だったそうな。
- 営団5000形アルミ車とは、構体構造と使用形材が同じだったりする。
- 洗車しやすいように、雨樋が高い位置に設置されていた。
- のちに登場した201系は、301系と同じ高さで雨樋を設置している。
- 前面右上にある表示器の役割が、コーポレートマークを表示するだけというのは解せない。
- 国鉄時代にはJNRマークを提出していたが、表示器の寸法の都合で、左右がどん詰まりなったデザインだった。
- その後増備された103系1000・1200番台では、従来の103系と同じレイアウトに戻され、JNRマークは左上へ塗料で直接書かれた。
- 国鉄時代にはJNRマークを提出していたが、表示器の寸法の都合で、左右がどん詰まりなったデザインだった。
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