国鉄485系電車
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481系・483系・485系・489系の噂[編集 | ソースを編集]

- 昭和34年の151系の設計を引きずっている車両。
- 昭和33年では?
- 以前のTOMIXのスタータセットでお馴染み。
- 今でもセットされてるのはあるよ。
- 分割民営化でデザインがバラバラになってしまった。国鉄カラー以外では九州の真っ赤っかなのが一番地味かも知れない。
- 勝田色なんかも地味な方。
- でも九州の485の赤は、ケバイ系赤でなくて、やや黒っぽい系の落ち着いた感じの赤。窓周りを黒塗りした<かもめEXPRESS>と黒塗りしてない汎用形<REDEXPRESS>がいた。
- 九州のは、国鉄色+オリジナル回転クロスシート(リクライニング機構はギヤ式)・国鉄色でフリーストップリクライニングシート装備・赤塗装でオリジナル回転クロスシート・赤塗装でフリーストップリクライニングシートとバリエーションがあった。
- 一番派手だったのはビバあいづ編成だろう。
- きらめき・かがやきの塗装もなかなかエキセントリックだと思う。
- 上沼垂色やかもしか色も地味。
- ここでいう「きらめき」とは福北ゆたか線ではなく北陸本線の特急。
- きらめき・かがやきの塗装もなかなかエキセントリックだと思う。
- 九州には181系の先頭車を編入改造した車両もあった。
- 改造車の経費をケチったことによる「関門トンネルくぐれない事件」なんてことも。
- 交直切替スイッチ撤去したから関門トンネル抜けん電車化。
- 撤去したのではなく、元々なかった。直流用クハ181形の改造車だった。後にJRになってから設置。
- クハ481-501・502。隣に連結された車両より高さが低いのと屋根上ヘッドライト&側面幕が無い、のが識別ポイント。どっちか忘れたけど正面連結器カバー無いのがいたな。
- 502がカバーなし。クハ180を種車にしたため。
- ついに北陸の雄「雷鳥」からも撤退することが決定。王者終焉間近か。
- そして九州からも一斉撤退。
- 博多と佐世保を結ぶ特急の「みどり」で使われた車両は車体の色がなぜか緑色ではなく赤かった。
- 緑色は鹿児島で走っている「きりしま」である。
- 走る変電所。
- モハ484のことだが、交直転換時にパンタ下の辺にいると切替スイッチ作動+真空遮断器作動でうるさい。モハネ582やモハネ580でも同様。あっちは真下が寝台だからうるささ倍増…。雪国で交直転換すると積もってた雪が跳ね上がる。
- 集中型クーラーだから、車内の天井はスッキリしてるよ
- モハ484のことだが、交直転換時にパンタ下の辺にいると切替スイッチ作動+真空遮断器作動でうるさい。モハネ582やモハネ580でも同様。あっちは真下が寝台だからうるささ倍増…。雪国で交直転換すると積もってた雪が跳ね上がる。
- 海の向こうの某国にはデッドコピーが見られるとか…
- 「彩」という、奇抜な顔に改造された編成がいる。
- 183系に直流化改造された仲間も。
- 「北近畿」とか「きのさき」に使われてるのがそれ。
- 撤去した交流機器は113系改造の415-800に転用された。
- 関東の183系・189系にも一部485系からの編入車がいる。
- 「北近畿」とか「きのさき」に使われてるのがそれ。
- 食堂車の一部が客車化され寝台特急「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」にも使われた。
- この他「雷鳥」用に「和風車だんらん」としても改造された。
- 更に「スーパー雷鳥」のラウンジカーに再改造。
- サシ481…メシが美味かった…。
- 更に「スーパー雷鳥」のラウンジカーに再改造。
- この他「雷鳥」用に「和風車だんらん」としても改造された。
- グリーン車の一部は113系化されたり、果ては客車化されて寝台特急「なは」のレガートシート車にも使われた。
- おそらく臨時運用だと思うが、阪和・紀勢線特急「くろしお」に充当されたこともある。
- 紀勢線の急行廃止から「オーシャンアロー」の登場くらいまで定期運用を持っていた。分割民営化ぎりぎりの時期で特急車両の方向性も未定だったと思う。「北近畿」も一時485系だった。
- キハ58の急行を置き換えるために投入したものの、振り子じゃなくて遅かったから1年半で伯備線から381系を持ってきて置き換え。そいつらが福知山に行った。
- 南海電鉄が485系を買ってきのくに線に直通する噂があった。
- 紀勢線の急行廃止から「オーシャンアロー」の登場くらいまで定期運用を持っていた。分割民営化ぎりぎりの時期で特急車両の方向性も未定だったと思う。「北近畿」も一時485系だった。
- 先頭車の顔が時代によって変わる。同形式で塗装以外でここまで多彩な顔ぶれはなかなか無いかと。
- ボンネット、貫通、非貫通、非貫通改造貫通、パノラマ化、リニューアル等。
- ジョイフルトレインも。
- 九州には貫通型クハ481-200の貫通扉埋めた非貫通200番代がいた。
- ボンネット、貫通、非貫通、非貫通改造貫通、パノラマ化、リニューアル等。
- 481系(交流60Hz)+483系(交流50Hz)=485系(交流50/60Hz)。電動車ユニット以外は共通。489系は485系をベースに横軽対策施工。
- 意外なところだとマリオペイントにスタンプとして登場している。
- 今となっては信じがたいが、1本の編成で「つばめ」「しらさぎ」「雷鳥」「やまびこ」「いなほ」「やまびこ」等をこなす時代があった。
- 保安装置を無視すれば国鉄の狭軌線電化区間は走行できる仕様だったので、同じ編成が青森運転所から鹿児島運転所に転属など広域転配が度々あったようだ。
- それどころか、南福岡所属の編成が上野口へ普通に顔を出していたようだ。
- 2016年5月現在国鉄カラーは1編成しかいないらしい。
- 現在は引退したらしい。
- 国鉄末期、食堂車をイタリアンレストランに改装して西鹿児島駅前で営業していたことがある。
- 気をよくして南宮崎・川内・小倉駅前まで同形態で進出していたという。
- 高崎の「華」「やまどり」が相次いで引退したためついに形式消滅。お疲れ様でした。
- 国鉄民営化数日前に札幌運転所に転入してそのままJR北海道所属になった車両がいた。
運行路線[編集 | ソースを編集]

下:改造新潟車「北越」
- 東武日光線に乗り入れている。
- 原型の481系として最初に走った「雷鳥」で今も活躍している。
- しかし2011年春ついに撤退。
- 北海道で特急「いしかり」として走っていた時期があった。トラブル続きで現場が混乱したとか。
- 「改良」程度では過酷な北海道の冬には太刀打ちできなかったらしい。今では新潟にいる。運転台上のライトが2灯なのですぐに分かる。
- ちなみに485-1500のこと。
- 485-1000の耐寒耐雪構造の更なる強化版だが、所詮本州で設計された電車。北海道の冬をなめてかかってたフシがあるといわれた。
- 機器類に雪が侵入して駄目だったらしい。北海道の厳冬期の粉雪は乾燥度が高い為、本州の重い雪を想定した耐雪構造は何の役にも立たなかったんだとか。
- こーいうことをやってしまった最大の原因は国鉄の財政難から来るイニシャルコスト削減への要求なのだが、同じ特急用でも気動車のキハ80系は本州仕様からの改造で転用できたので同一視していたフシもある。
- 485-1000の耐寒耐雪構造の更なる強化版だが、所詮本州で設計された電車。北海道の冬をなめてかかってたフシがあるといわれた。
- なぜか違う。485-1500に711系の機器と耐雪装備をつければよかったが、PCBの危険性からそれができなかったのでだめを承知でリリーフカーにした。1年ですんだのでよかったが485-1500と711で何年もつなぐ可能性だってあった。
- あと北海道庁が「旭川まで電化したんだからせっかく特急走らせろ」というから…。
- ちなみに485-1500のこと。
- 「改良」程度では過酷な北海道の冬には太刀打ちできなかったらしい。今では新潟にいる。運転台上のライトが2灯なのですぐに分かる。
- ムーンライトえちご(新宿~村上間の夜行快速列車)に使われている。
- 間合い運用で新宿~郡山or会津若松の快速フェアーウェイにも使用される。
- 2010年春に「えちご」は183系化、フェアーウェイは運行終了。
- その後再び485系運用に戻ったが、2014年春の「えちご春の夜空号」をもって運行終了。
- なお、かつて特急「白山」の碓氷峠越えに使用された、電気機関車と連結可能な変種が489系である。ちなみに旧「あさま」は直流専用の189系。
- 489系も「あさま」カラーになって「白山」に使われなくなった編成が存在した。
- 国鉄時代は489系のみが指定されていたのが「はくたか(初代)」~「白山」のみで、「あさま」「そよかぜ」にはどちらも使われていた。
- その489系「能登」は現在も上野~金沢間を運行中。国鉄色で上野地上ホーム発の定期夜行急行というあらゆる意味で貴重な存在に。
- だったが、2010年春に引退決定。
- 能登引退だよ能登。
- だったが、2010年春に引退決定。
- 東北では未だに現役バリバリ。快速あいづライナー、特急かもしか、白鳥、いなほ。後者二本は改造され原型が分からない。
- 「いなほ」は本来の形状と改造されて大きくデザインが変わったものと2種類が混在している。
- 一般人からしたらこの2つが同じ系統だとは思えないだろうな。
- この辺りはJR東日本でありながら、JR西日本のような体制である。
- 西よりも長生きしているのは向こうと違って臨時列車(団体含む)での需要があるから。583系も同様。
- それと比較的車齢が若い1000番台の配置が多かったから。
- 北陸新幹線開業後の2年間だけ走っていた新潟~糸魚川の快速が最後の定期運用になった、
- 四国の高松だけ入線したことがある。
華麗なる一族の噂[編集 | ソースを編集]
- 派生形式の宝庫
- 魔改造の宝庫
- 24系に改造されたり、181系から改造されたり……
- クハ481-750番台は1000番台と同様の前面にキノコ型クーラーを装備していた。
- クハ481+モハ485=クモハ485も。短編成化のあおりで生まれた珍形式だし。
- 何がどうしてこうなった?的な車両が多い
- モハ485改造のサハ481は電装解除だけで外観不変だが、モハ484改造のサハ481は集中クーラーとベンチレーターしか残ってないので「何だこの車両は!」と言いたくなる。
- 使い勝手の良さから、国鉄車両が駆逐される中けっこう残っている
- 民営化から30年近く経って、流石に情勢が厳しくなってきた。
- あの西日本ですら、2015年に485系(183系改造車含む)を全廃した。
- 九州の車両は、クハ481-256だけを除いて全廃(2016年現在)。
- クハ481-256は小倉総合車両センターで静態保存となりました。
- 意外と東日本の車両が安泰かも…リニューアル工事(3000番台)やジョイフルトレインに改造された車両が多いし。
- 3000番台も、2017年3月をもって引退決定。残りはJTだけか。
- でも後者は車体載せ替えや他形式(特に183系列)からの編入車が殆どという事実。
- 民営化から30年近く経って、流石に情勢が厳しくなってきた。
0番台[編集 | ソースを編集]

- 151系列のデザインを踏襲したボンネット型
- 分割時には意外にも東日本と九州へのみ継承
- 現在は完全に絶滅
- 最後まで残ったのは、常磐線のひたち運用
- さよなら485系ボンネットとして仙台~郡山間でさよなら運転が行われた
- その後、そのまま郡山工場で解体された
- ボンネット同士が連結して走るというとんでもない光景があった
- さよなら485系ボンネットとして仙台~郡山間でさよなら運転が行われた
- 訓練車が鉄道博物館で保存されている
- 残念ながら片側のみ
- 西日本へは派生形式の100番台が継承された
- こちらも絶滅
- 定期運用は派生形式である489系が残っている
- ただし、これも2010年3月まで
- あっかんべー。
- 雷鳥といえばやはりパノラマよりこの顔
- モハ485は1~97がキノコ型クーラー(中身はAU12型クーラーが2個納まってる)装備。98~が分散型クーラー(AU13型)装備。
200番台[編集 | ソースを編集]
- 御馴染の顔はこの辺から
- 将来の分割・併合運転を見越して貫通扉を採用
- 福島駅を境に、東北・奥羽特急の分割運転を想定していた
- そのため、当初は東北地区に集中配備された
- 現在の東北・山形新幹線の発想に通じるものがある
- 肝心の貫通扉は、様々な理由により封印
- 設計時点で誰か止める奴はいなかったのか・・・・・・
- 九州にも居た。
- 九州のは真っ平になるくらい、溶接で埋められていた。
- 実際には「くろしお」で一時的に使っただけ。しかもすぐに381系に置き換えられた。
- 一応スーパー雷鳥やシュプール号での使用実績あり。ただし後者の連結相手は583系だったけど。
- 福島駅を境に、東北・奥羽特急の分割運転を想定していた
- 実は下記の300番台より少~し全長が短い(300番台より250mm短い)。
- JR九州ウテシ(運転士)いわく「運転台が狭い」
- どれほど狭いか体験してみたい方は門司の鉄道記念館へ行くと運転台に座ることができる。
- おなじみの集中クーラー装備のモハ484はこの番台から。相方のモハ485は97~の続番。
- 民営化直後のかもめ号は赤い車体に黒い帯を窓周りに施していた。
300番台[編集 | ソースを編集]
- 貫通扉の非効率性に気付いた国鉄が新たに製造
- 車体長の延長や列車名表示器と側面方向幕の自動連動とか新機軸をけっこう導入
- が、かなり地味である
1500番台[編集 | ソースを編集]

- 北海道での運用を目指した寒冷地仕様
- ただし、試される大地の気候は予想以上だった
- そのため早々と本州に戻ってくることに
- 耐寒耐雪性能は驚いたことに1000番台よりも低かった。もし1000番台が北海道に投入されていたらひょっとしたら安定していたか?
- 何の因果か電化区間の最北端と最南端全てを制覇した車両が存在する
- そんな1508号車は今でも現役で走っています。
- 本州では当時最長の長距離特急であった「白鳥」運用に入っていた
- 定期列車で旭川駅に乗り入れ、広域転配の輸送で西鹿児島駅(鹿児島運転所)に乗り入れ・・・
- なんと35都道府県を走行。電車における最多都道府県走行の記録を持つ
- 現在でも西は金沢・北は秋田まで定期運用を持つ上、能登に入れば上野まで行ってホームライナーで古河まで行くこともある。
- 2015年に現役を引退、新津で保存されることに。
- そんな1508号車は今でも現役で走っています。
- フリーザや勝田のいるかはここ。
- 勝田車両センター職員に愛されていたのか、廃車回送の時には手作りのサボが掲示されていた。
1000番台[編集 | ソースを編集]
- 485系最後の新造形式
- 残りは全て改造形式である
- 実は1500番台より後に登場
- 1500番台と183系を足して二で割った結果こうなった
- 本州向け耐寒耐雪強化形
- 従来型とは機器の仕様と配置がかなり違うため別形式にすることも考えられていたが、労組の反発を考慮して番台区分(マイナーチェンジ)とした。
3000番台[編集 | ソースを編集]

- 羽越特急いなほ・北越、青函特急白鳥に使われている改造車。
- 乗り心地、内装含めて神。
- ライト、ガラス、屋根、ヘッドマーク・・・前を見るとまるで別人。
- 一見同形式の東武直通特急は1000番台。
- もう片方の運転台は300番台。
- 全車両JR東日本所属であるが、実は「雷鳥」で大阪駅に乗り入れていたことがある。
- 今でも臨時で乗り入れることがあります。
- 反対側は北海道の函館駅への乗り入れ経験もあり。そう考えると運用範囲はかなり広い。日本海縦貫線は全て運用範囲に含まれていたことになる。
- 青森駅で顔を合わせていたね。
- 特急からは撤退して、新潟~糸魚川間の快速列車として最後の活躍中だが、それも2017年3月で廃止に・・
489系[編集 | ソースを編集]
- 碓氷峠を通過するための対策(通称:横軽対策)を施された車両
0・500番台[編集 | ソースを編集]

- 種車と同様のボンネットスタイル
- 西日本に継承された結果、未だに現役
- 当初は碓氷峠を通過する白山・あさま・能登の運用に就いていた
- 「白山」では独自の塗装が施され、ラウンジカーも連結されていた。
- その塗装で「雷鳥」の運用に入ったこともある。
- 「白山」では独自の塗装が施され、ラウンジカーも連結されていた。
- 当初は碓氷峠を通過する白山・あさま・能登の運用に就いていた
- 最後の上野地上ホーム発、国鉄色489系ボンネット、定期座席急行列車を運用
- 2006年10月、なんと定期雷鳥の金沢方先頭車として走ったことがある。
- 2012年ついに現役の稼働車が0に。このまま形式消滅か?
- 京都鉄道博物館にトップナンバーのクハ489-1が保存されている。
- ただ前面の愛称は489系本来の役目である「白山」ではなく「雷鳥」になっている。
- 食堂車のサシ489には181系からの改造車も存在した。
- サシ489-100番台がそれ。181系と489系では車高が異なるが489系編入に当たっては律儀にも車高を揃える改造を行っている。それでも車体断面は少し異なっていたらしい。
- 181系時代は「あずさ」に使われていたため、車内には穂高連峰を象ったレリーフが改造後も残っていた。
200・600番台[編集 | ソースを編集]
- 200番台を種車にした貫通型スタイル。
- 民営化後は長野に配置され、あさま色に塗り替えられた。
- シート交換や窓拡大などの未施工だったので遜色感は否めなかった。
- 横軽の終焉とともに消滅
300・700番台[編集 | ソースを編集]
- 300番台を種車にした御馴染顔スタイル。
- 一応西日本に継承された挙句、白山色に塗り替えることは出来たものの、ATS-P取り付け困難のせいで短命に終わってしまった。
- 勿論両端共に、0番台の先頭車に置き換えられてしまった。
- 但し、一部の中間車は0番台に挟まれつつ引退まで活躍していた。
- 2010年くらいまで雷鳥編成に組み込まれる形で先頭車も西日本エリアで走っていた。
- 有井製作所のHOゲージ1800円キットで製品化された白山はこのタイプ。
ギャラリー[編集 | ソースを編集]
- ギャラリー
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ボンネット国鉄色
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ボンネット白山色
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国鉄色
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「雷鳥」のパノラマグリーン車
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RED EXPRESS
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3000番台上沼垂色
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日光色
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宴
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ジパング
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やまなみ
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せせらぎ
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