国際博覧会
全般[編集 | ソースを編集]
- 一般的に万国博・万博と呼ばれる。
- 日本語以外では「世界博覧会」のような表現が多い。
- 新技術展示や国威発揚の場になることもしばしば。
- そもそも19世紀には最新の機械や伝統工芸品をただ展示するだけの行事だった。
- 鉄オタだとこれに伴い運行される臨時列車目当てに行く人も多い。
- 記念硬貨や記念切手もできるのでそちらのマニアにも大いに注目される。
- 最近は開催するたびに赤字になってしまう。…の割に誘致競争は今でも激しい。
- BIE条約に基づく認定制度である。
- 登録博と認定博がある。
- 登録博が大きなイベントで近年は5年に一度行われている。会期も6か月程度。
- かつて一般博と呼ばれた。
- 認定博は2つの登録博の中間期間に開催できる。会期は3か月程度。
- かつて特別博と呼ばれた。
- 登録博と認定博も万博と一緒くたにされてるような。
- 登録博が大きなイベントで近年は5年に一度行われている。会期も6か月程度。
- 国際園芸博覧会もBIE認定されたものは万博の一種でいいはずだがこちらは「花博」と呼ばれている。
- 日本で行われたのは1990年の大阪のみ。淡路島と浜名湖は花博だけど違うらしい。2027年に横浜で開催されるらしい花博はどうなるか。
- GAFAクラスの巨大IT企業には見向きもされない。
- 新技術の発表準備に年単位を費やすというスタイルが合致していないから。
- さらにインターネットの普及もあり「出展者が来場者にあるべき未来の姿を見せる」という万博のお約束はもう時代遅れではないかとされることもある。
- 愛知万博の直前にはBIEの元幹部に「万博は死の床にある」と評されたこともある。
- 近年ではマスコミでの扱いも小さくなっている気がする。
開催別[編集 | ソースを編集]
パリ万国博覧会(1867年)[編集 | ソースを編集]
- 当時の日本政府(江戸幕府)とは別に、薩摩藩と佐賀藩が参加。
- しかも薩摩藩は独自の勲章まで用意する強かさ。
- 琉球王国を支配していたからできた芸当。
- ジャポニズム発生の原因の1つと言われている。
- 渋沢栄一が視察に行きジュール・ヴェルヌが『海底二万里』の着想を得た。
ニューヨーク万国博覧会(1964年)[編集 | ソースを編集]
- アメリカ史上最大の万博と言われている。
- 「イッツ・ア・スモール・ワールド」が初めてお披露目されたのはここ。
- この博覧会で出た出し物の一部は、終了後アメリカのディズニーランドに移築されている。
- 上記のイッツ・ア・スモール・ワールドもその1つ。
- (注)BIE非公認。
- 会期が1年半あり参加者から出展料を徴収したため。
- イギリス、フランス、ソ連などの万博常連国も参加しなかった。
- 日本は新幹線の実物大模型を出展している。
- 手塚治虫が取材に行った。
沖縄国際海洋博覧会(1975年)[編集 | ソースを編集]
- 博覧会会場は細長い敷地であったため、一時的ではあるが沖縄県に戦後初めて鉄道が導入。
- 人工島「アクアポリス」はただ浮かんでいるだけ。
- 終了後も長らくの間放置されていたが、2010年ごろに上海でスクラップにされてしまった。
- このころに沖縄で建てられた建物はコンクリートの塩抜きが不十分なのでもろいらしい。
- 那覇から離れた場所での開催が災いし入場者数は目標を100万人下回る。
- 候補地にあった宮古島や八重山ならさらに悲惨なことになっていたと思われる。
- アクセスの一翼を担うため建設された伊江島空港も今やほぼ使われていない。
- 金城哲夫の人生を狂わせた。
- この博覧会に絡んだことで周囲から非難され酒浸りになってしまいついには泥酔状態で転落死した。
- 沖縄美ら海水族館はかつてここの会場だった公園の中にある。
- これに関連して京急油壺マリンパークでは「たのしい海洋博」というイベントが開催された。
国際科学技術博覧会(1985年)[編集 | ソースを編集]
- 日本では10年ぶりの博覧会。通称は「科学万博」「つくば万博」。
- テーマは「人間・居住・環境と科学技術」。
- 首都圏で行われたこともあり、総入場者数は約2033万人と当時の特別博史上最高記録を更新。
- 会期終了後、メイン会場の跡地は工業団地に転用。Dブロックの跡地には記念公園が設立。
- 当時の郵政省が「ポストカプセル2001」というサービスを行い、16年後の2001年元日に約326万通が全国に配達された。
- 開催期間中は国鉄の常磐線に「万博中央駅」が臨時駅として開設。
- マスコットキャラクターは「コスモ星丸」。
- 会期終了後も残す予定だった建物が業者のミスにより解体に追い込まれた。
国際花と緑の博覧会(1990年)[編集 | ソースを編集]
- 大阪で行われた博覧会の中では最も地味。
- 地方博覧会と思われがちだが認定済みの国際博覧会。
- 鶴見区の開発が急ピッチで進んだ。
- 会場輸送のために鶴見緑地線を作った。
- バブル崩壊後ということもあり民間の力をかき集めた。
- JR西日本のパビリオンでもあった会場内鉄道の駅は柏原駅になったり若狭本郷駅になったりした。
- その他にも関西の色々な場所に名残となる施設が移設された。
- イオンが出展したウォーターライドが転落して24人が負傷する大事故を起こしてしまった…。
- これ以外にも他のアトラクションでボルトが落ちたりと機械トラブルも多かった。
- イメージキャラクターに『銀河鉄道999』のメーテルを起用するなど気合いが入っていたが…。
セビリア万国博覧会(1992年)[編集 | ソースを編集]
- 1970年大阪万博からこの間一般博は行われてない。
- 一応アメリカ建国200年の76年などに一般博を行う構想はあったが全て流れている。
- テーマは「発見の時代」。万博最終日はコロンブス艦隊が新大陸を発見した日。
- 「欧州中心史観に過ぎない」という批判の声も大きかった。
- 高速鉄道AVEが建設された。
- 日本館は安土城天守閣最上部の原寸復元が話題に。
- 長く万博を牽引してきたアメリカとロシア(旧ソ連)のパビリオンが貧弱だった。
- アメリカ館は企業の出資頼りだったため中が区切られ企業ブースの集合体に堕していた。
- デンマーク館は京都府京丹波町に移築されたが現在は解体。
ジェノヴァ国際博覧会(1992年)[編集 | ソースを編集]
- テーマは「クリストファー・コロンブス、船と海」。
- セビリアはうまくいったがこちらは対照的に大赤字。
- 断念に追い込まれたシカゴに比べれば開催できただけまだマシともいえる。
- 日本館は旧青函連絡船羊蹄丸を魔改造。
上海国際博覧会(2010年)[編集 | ソースを編集]
- 参加国機関・総事業費・入場客数は万博史上最多。
- 史上初めて北朝鮮が「朝鮮」で出展。中華民国も「台湾」で久々に出展。
- 研究者の中にはこの博覧会を「衰退傾向の中の例外」とみなす人もいる。
- まあ中国ですから。
- PRソングが『そのままの君でいて』にソックリと話題に。
- テーマは「より良い都市、より良い生活」。
- 中国語の原フレーズを直訳すると「都市が生活をさらに改善する」という感じ。
- この博覧会の開催にも堺屋太一が絡んでいる。
- 愛知万博全開催日皆勤を成し遂げた愛知県在住の山田さんはこの博覧会でも皆勤達成。
- なぜかサウジアラビア館の評判がかなり良かった。