埼玉共和国熊谷臨時政府

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さいたま革命時に旧来の埼玉県政府の首脳陣等が熊谷に臨時県政府を設立してできた国。

  • 国名:埼玉共和国(Republic of Saitama)。通称は埼玉。
  • 首都:熊谷市(公式上ではさいたま市)
  • 民族:日本人・その他国籍
  • 公用語:日本語(埼玉北部訛)
    • ひらがな原理主義のさいたま帝国に反発して、漢字を多用する傾向あり。旧漢字仮名遣いに戻そうとする過激派も存在する。
    • 特に「そうなん」(そうなんだという意味)を使う。
  • 宗教(国教):国教は定めていない。
    • さいたま教はカルト認定。
  • 領土:憲法では埼玉県が領土であるが、現在は熊谷市と群馬県太田市+埼玉古墳群・旧埼玉県行田市埼玉の面積に準じる。
    • 太田市は両毛スバル王国となったが伊勢崎市と玉村町を手に入れた。
    • 深谷市も領土とした。

国家体制[編集 | ソースを編集]

政治[編集 | ソースを編集]

さいたま帝国の正当性を否定し、失地回復を目指す各市町村の議員による議会民主主義。 但し、戦時下のため戦時法制である。

首相:富岡清

埼玉共和国委員会:否決件以外の首相とほぼ同一の権限を持つ。統一後の埼玉共和国議会としての役割を担う予定。

なお、各大臣は熊谷市の各分野の最高責任者(○○部部長・所長・基地司令など)を大臣と定めている。

太田に関しては埼玉共和国委員会隷下の自治政府として旧来の議会・政府で運営される。

軍事[編集 | ソースを編集]

陸軍[編集 | ソースを編集]

自衛隊熊谷基地の兵力と市民ボランティア、難民志願兵により構成される。 現在までに特殊部隊「直実隊」の存在が確認されている。

  • 装備:自衛隊の物とロシア系の装備の混成。
  • 秩父鉄道は軍事輸送の拠点らしい。
  • 太平洋セメントはロボットになるらしい。

空軍[編集 | ソースを編集]

戦力的には中米など小国家と同じ規模。 対空砲、SAMなど防空戦力は空軍の管轄。

  • 装備:ターボプロップ機・回転翼機・対空兵器各種。
    • 中南米諸国のそれに近い。

海軍(水軍)[編集 | ソースを編集]

河畔警備の部隊を総称。陸軍隷下。

  • 装備:陸軍装備+装甲パトロールボート数隻

産業[編集 | ソースを編集]

主として農業と各種工業

第一次産業[編集 | ソースを編集]

農業[編集 | ソースを編集]

主に米や一般的な野菜。隣接していた深谷の影響もあり、ねぎの栽培が盛ん。 麦に関しては埼玉でも有数の産地。また「ミニくま」シリーズが納豆よりもブームである。

第二次産業[編集 | ソースを編集]

各種製造業。自動車の関連企業多数。

  • 太田市を併合したので公用車はスバル。
  • また工場誘致が成功し、御稜威ヶ原(みいずがはら)工場団地を中心とした産業も見られる。

第三次産業[編集 | ソースを編集]

  • 熊谷駅・太田駅周辺の歓楽街・商店街。
  • 旧日本国国道17号・125号・407号線沿いのショッピングセンターの類。
  • 八木橋デパート
  • ニットーモール
  • ヤオコー
  • ベルク
  • サティ
  • イオン

観光業[編集 | ソースを編集]

  • うちわ祭り
  • さくら祭り
    • 各地の祭り
  • さくらマラソン
  • 熊谷ドーム
  • 熊谷寺
  • 聖天様
  • 踊る埴輪
  • 埼玉古墳群
  • 雪くま

その他[編集 | ソースを編集]

食料品など[編集 | ソースを編集]

  • 北関東粉物文化圏内なので、ふらい屋が点在。
  • 地粉うどん
  • いなり寿司
  • 地酒
    • 水がうまいらしい。
  • 五家宝
  • コロッケ屋

人口[編集 | ソースを編集]

人口:約30万人+反さいたま帝国を表明する政治的難民多数

教育[編集 | ソースを編集]

教育:保育園、小学校、中学校、高等学校、大学 共和国立熊谷高等学校、共和国立熊谷女子高等学校

交通機関[編集 | ソースを編集]

JR高崎線、秩父鉄道、国際十王バス、東武伊勢崎線・桐生線・小泉線(太田自治政府管轄)

宗教[編集 | ソースを編集]

  • 国教は存在せず、今までの土着の行事などを尊重する傾向にあるが、カルト宗教は冷遇されている。
    熊谷に限っては熊谷直実公への信仰が見受けられる。
  • 毎年7月20日から22日に行なわれるうちわ祭りが最大の行事として続いている。
    • さいたま教徒は見つけ次第磔・獄門に処される。隠れサイタマンが存在すると言われているが真偽は不明。

歴史[編集 | ソースを編集]

ここでは主に熊谷が関わる歴史を記する。

2007年[編集 | ソースを編集]

  • 2月13日 - ★江南町を編入。
  • 7月20日 - 埼玉県熊谷市として行なう最後のうちわ祭り。22日まで。
    • 毎度の事ながら治安が悪いのが悩み。
  • 8月4日 - さいたま市議会が埼玉県庁を占拠。さいたま市の独立を求める。(さいたま革命
  • 8月15日 - 各市町村が武力併合される中、さいたま革命軍(当時は帝国を名乗っていない)が熊谷市に併合を申し立てるも、富岡市長はこれを拒否。
  • 8月20日 - 8月15日の拒否の報復としてさいたま革命軍の侵攻を受けるも天然焦土作戦によりこれを退ける。その時に気温は42℃だった。
  • 8月21日 - さいたま革命軍による即日停戦合意。この日は45℃だった。
  • 10月18日 - 埼玉県・西武市連合軍で降伏を不服とする武派闘の議員団団員が併合されていない熊谷へ逃げ延びる。同日臨時議会を旗揚げする。
  • 10月26日 - 東京都がさいたま帝国への圧力の力点として熊谷市編入、同時に臨時議会東京都に臨時議会が唯一の正当な政府と承認される。飛び地のため市の運営実権は熊谷市役所に暫定的に残される。
  • 10月30日 - さいたま帝国による再侵略。富岡清市長率いる警察熊谷署+自衛隊熊谷基地の隊員+反さいたま革命のボランティアで構成された熊谷防衛隊(帝国側では熊谷軍)の善戦により、冬季の赤城颪の時期まで前線を膠着させる。
  • 12月25日 - 膠着した戦線により赤城颪の対策を講じなかった帝国軍は戦死者(主に凍死)多数。同日さいたま帝国軍による休戦合意。
  • 12月28日 - 東京都が編入を断念。日本政府は熊谷に外交・国防を含む統治権を委譲。埼玉共和国と名乗る。事実上の独立。

2008年[編集 | ソースを編集]

  • 1月上旬 - 深谷以北の抵抗勢力(通称:ネギスタンス)の活動が活発化。埼玉共和国への併合を断念。
  • 1月20日 - 隣接する境界線の西をネギライン、東を古墳ライン、南をサクララインと位置づけ、不可侵防衛ラインとする声明を発表。
    • 帝国との小競り合いが頻発するものの、士気が圧倒的に高い熊谷防衛隊に撃退される。
  • 4月上旬 - 独立後初のさくら祭り。
    • 独立の喜びと酒に酔った勢いで何名か暴走して荒川におち行方不明。
  • 5月1日 - 難民の流入が止まらず、群馬へ移住先を確保するために東毛・南毛の各自治体へ打診。
    • 熊谷防衛隊の一部がさいたま帝国と接している部分への配属を条件に合意。
  • 7月7日 - 熊谷防衛隊を埼玉軍と改称。
  • 7月20日 - 独立後初のうちわ祭り。
    • テキヤの出店が少なくて暴動が起こる。
  • 12月28日 - 独立一周年を祝う。
  • 12月30日 - 碌に策を講じることが出来ていないと不満を持った、急進派難民が県議会出身の議会員を襲撃。7割の議会員が粛清される。粛清された議員の中には知事も含まれていた。これにより旧議会派の政治的発言力は地に落ちる。

2009年[編集 | ソースを編集]

  • 1月5日 - 昨年の粛清の影響で議員団が解散を宣言。
  • 1月6日 - 失地回復派のと旧熊谷市議会議員で構成された埼玉共和国委員会発足。
  • 4月上旬 - さくら祭り。
    • この年は荒川公園にあるピンボールの屋台に子供が集まり、白熱の戦いが起きた。
  • 6月23日 - 多摩を併合し埼玉(さきたま)古墳群を否定した帝国に対する報復として独立後初の対外作戦を実行。サキタマ作戦と呼ばれ、行田市に有る埼玉古墳群及び行田市埼玉を精鋭「直実隊」の空挺襲撃により併合。
    • 西多摩併合に喜んでいたつちや皇帝は「さきたまこふんなんかくまがやにくれてやればいい」と発言し、行田市民の反感を買う。これにより、行田市の埼玉共和国への帰属意識が高まる。
  • 7月20日 - うちわ祭り。
    • 地元ヤンキーと難民ヤンキーの小競り合いでMP出動。この年の出店はたこ焼きが盛況。

2010年[編集 | ソースを編集]

  • 4月上旬 - さくら祭り。
    • 相変わらず焼き鳥は売れた。
  • 5月20日 - 政府庁舎(旧熊谷市役所)の防衛上の理由での地下化完了。
    • 旧来の市役所は難民宿舎として再利用。
  • 7月14日 - 伊勢崎市に駐在している埼玉軍兵士がオートレース場周辺の歓楽街で強制わいせつを働いたため、埼玉軍の印象が悪化。さらに市長が親さいたま派になったため撤退を余儀なくされる。
  • 7月20日 - うちわ祭り。
    • 埼玉共和国委員会が祭りの休止を求めているが地元住民(熊谷市民)の強固な反対により従来通り開催。
  • 11月5日 - 背後の防衛対策としての緩衝地帯としての役割のため、太田市の市長選で親埼玉派が当選へ工作。

2011年[編集 | ソースを編集]

  • 2月4日 - 市議会選挙で親埼玉派が大多数を占め太田市の埼玉共和国傀儡政府化。
  • 4月2日 - 太田以外の南毛で帝国の傀儡、群馬・さいたま党が発足する。邑楽郡へ派遣している埼玉軍を撤収。
  • 4月5日 - 群馬・さいたま党の付け入ることの出来なかった太田市の傀儡政府化への報復として帝国特殊部隊の刀水橋爆破テロ発生。
    • 多数の太田市民も犠牲者に含まれていたため太田市のさいたま併合は絶望的になる。
  • 4月上旬 - さくら祭り。
    • 旧妻沼あたりで何かあったみたいだが普段通り開催へ。
  • 7月20日 - うちわ祭り。
    • この年は群馬方面からの観光客が橋が無いため来ることができず。
  • 8月5日 - 最新の耐震防爆構造の新刀水橋落成。
  • 12月10日 - 群馬県南毛エリアの他の市町村がさいたま帝国併合条例を制定する中、埼玉共和国への併合を宣言。
    • 埼玉県失地回復運動、通称レコンキスタが完了し次第帰属を群馬県に返上するという国際法に則った宣言を合意し調印。
      • 裏では群馬の覇権を太田にする導くための密約があったと考えられている。
  • 12月18日 - 群馬県政府の要請により北毛隊への工作員、軍事顧問派遣。
  • 12月31日 - 北毛隊に扮した工作員による群馬県各市町村庁舎の同時占拠。埼玉軍幕僚では「大晦日攻勢」といわれる。

2012年[編集 | ソースを編集]

  • 1月12日 - 北毛隊内部の構成員暴露を恐れた埼玉軍幕僚は軍事顧問以外の工作員を引き上げる。
  • 2月13日 - 帝国軍北進の情報を察知した政府は全土の非常事態宣言発令。
    • 北進時の威力偵察によりなぜかネギライン付近のパチンコ店が軒並み破壊される。「たまであそぶな」ということらしい。
  • 3月8日 - 劣勢に立たされている群馬県政府に沼田市を放棄し太田に臨時政府樹立を打診。即日これを拒否。
    • 群馬の各都市の仲の悪さによるもので、はっきり言ってわがまま。
  • 3月12日 - 群馬県政府沼田市での作戦を放棄。桐生への大本営移転。同日埼玉共和国委員会が群馬県政府への支持と支援を表明。
  • 5月30日 - 伊勢崎市と玉村町を併合。

関連項目[編集 | ソースを編集]