夏季オリンピック
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規制する投稿:開催前・開催中の大会の記録に関する投稿
期限:当該大会の開催1か月前~パラリンピック終了まで
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- 新規追加は開催年順かつ開催地が正式に決定してからでお願いします。
第1回~第13回[編集 | ソースを編集]
アテネ(1896年)[編集 | ソースを編集]
- 全借民の中で見たことがある奴がいたら驚いてやる。
- 俺、見に行った事あるよ?・・・すいません、2004年の方でした・・・。
- 資金不足のため金メダルがなかったとか。
- 女子競技は全くなかった。
パリ(1900年)[編集 | ソースを編集]
- 万博と一緒にやったため5か月以上かかった。
- 当時は万博のおまけ扱いだったそうな。
- 生きた鳩を撃つ競技があったらしい。
- 最年少と思われるボート競技の金メダリスト、競技終了後に姿を消す。
- 結局現在オリンピックと正式に認められているのは陸上競技だけ。
- それでもマラソンの金メダリストが抜け道を使ってショートカットをしたという疑惑は残っている。
- クリケット競技が唯一行われた。しかしイギリス連邦でないフランスでクリケットはマイナー。
セントルイス(1904年)[編集 | ソースを編集]
- マラソン1位の選手が自動車でショートカットしていたというズルが発覚。もちろんメダル剥奪。
- ヨーロッパの多くの選手が「遠い」と参加を拒否したためメダルはほとんどアメリカが持って行った。
- アイヌやインディアンなど少数民族の体力測定が行われたのは黒歴史。
ロンドン(1908年)[編集 | ソースを編集]
- 本来ローマで行われる予定だったがヴェスヴィオ火山の噴火被害により急遽開催地変更。
- マラソンが42.195kmで競うようになったのはこの大会から。
- ウィンザー城の庭から競技場の貴賓席前までがこの距離だったらしい。
- 最初に競技場に入ってきたピエトリが役員の助力でゴールする羽目になったのも2.195kmのせいだとか。
- 日本選手の参加はなかったが日本のマスコミ(大阪毎日新聞)による取材はあった。
ストックホルム(1912年)[編集 | ソースを編集]
- マラソンの世界一遅い公式記録(54年8ヶ月6日5時間32分20秒)が生まれたのはこの大会。
- 棄権の意思が運営側に伝わっていなかった為、失踪して行方不明扱いに。開催55周年記念式典で当事者のこの方がゴールインしてようやくこの大会の全競技が終了。
- 日本が初めて参加した大会。
ベルリン(1916年)[編集 | ソースを編集]
- 初めて中止になった大会。
- オリンピックのために休戦という古代オリンピックの精神は引き継がれなかった。
アントウェルペン(1920年)[編集 | ソースを編集]
- この大会から初めて選手宣誓が行われるようになった。
- 日本人初のメダリストが生まれた。
- 男子テニスのシングルスとダブルスで熊谷一弥が銀メダルを獲得(ダブルスは柏尾誠一郎とのコンビ)。
パリ(1924年)[編集 | ソースを編集]
- クーベルタン男爵にとっては、会長として最後の大会。
- 映画『炎のランナー』の題材になった大会でもある。
アムステルダム(1928年)[編集 | ソースを編集]
- 男子三段跳で織田幹雄が金メダルを獲得。
- 表彰式では他国の旗より4倍ある巨大な日章旗が掲揚され、君が代も「千代に八千代に」から吹奏された。
- 人見絹枝が激走。
- 女子100mで準決勝敗退後、「このままでは日本に帰れない」とエントリーだけしていた800mに出場。
- レース後に参加選手全員が倒れこむ激戦の中、銀メダルを獲得。
- 女子100mで準決勝敗退後、「このままでは日本に帰れない」とエントリーだけしていた800mに出場。
- この大会からテニスが除外。テニスのオリンピック復帰は60年後のソウルまで待つことになった。
- 文芸コンクールが同時に行われていた。優勝はポーランドのカジミェシュ・ヴィエジンスキ。
ロサンゼルス(1932年)[編集 | ソースを編集]
- 半世紀ちょっと後と同様に無投票で開催地が決まった。
- バロン西がウラヌス号に騎乗し金メダルを獲得。
- 実況放送を行う予定だったがオリンピック委員会と放送局がもめたため競技の様子のメモを頼りに実況っぽく再現する「実感放送」が行われた。
- アナウンサーの気分が乗りすぎて男子100m走の模様を伝えるのに1分もかかってしまった。
- 日本のマスコミが大いに白熱し始めたのはこの大会から。
- どの新聞社も号外を出しまくった。
- オリンピックに便乗した広告も出始めた。
- 日本でオリンピックの選手応援歌が作られたのも確認できる限りこの大会から。
- 「走れ大地を」。作曲は山田耕筰。当時大ヒットし、4年後にも再発された。
ベルリン(1936年)[編集 | ソースを編集]
- 前畑ガンバレ
- 聖火リレーがこの大会から始まる。
- ちなみにこの大会のものはドイツ軍の偵察を兼ねていたという。
- 友情のメダル。
- サッカーで奇跡が起きた。
- 「日本人、日本人、また日本人」byスウェーデンのラジオ放送の実況アナウンサー
- 奇跡を起こした日本代表の選手たちの中にはその後の太平洋戦争で亡くなった選手もいる。
- ヒトラーのたっての要望によりハンドボールが追加された。
- 但し当時は屋内7人制ではなく、当時の主流だった屋外11人制で行われた。
- 東亜日報が孫基禎のユニフォームに描かれた日の丸を塗りつぶし発禁処分を受けた。
- この大会の記録映画が好評を博したため以後の大会でも記録映画の制作が義務付けられるようになった。
- 再現映像がかなり含まれているのは秘密。
- 日本版では前畑が金メダルを獲得した女子200メートル平泳ぎが追加されている。
- ジェシー・オーウェンスが陸上競技4冠を達成した。
- 開催国がナチスドイツということでかなりの反対運動が起きた。
- 特にアメリカはユダヤ系の反発もありボイコット直前だったという。
- 対抗する大会の「人民オリンピック」もスペインのバルセロナで開催される予定だったがスペイン内戦のせいで潰れた。
- 参加予定だったアスリートの中には内戦に身を投じ戦死した人もいた。
- ソ連が当時オリンピックに関わっていたら間違いなくボイコットを主導していたであろう。
- 史上初めてテレビ中継が行われた。
- ただし視聴できたのは開催地ベルリン周辺とライプツィヒぐらいだった。
- 技術の発展途上だったので画面が非常に粗く、当時テレビの研究をしていたNHKの人によると競泳中継では選手がプールで泳いでいるということは何とかわかるが、どれが前畑かはわからなかったという。
東京(1940年)[編集 | ソースを編集]
関連項目:もし1940年の東京オリンピックが開催されていたら
- 1940? いや、2600でしょ。
- 幻。
- 中止直前には軍から「メインスタジアムを木か石で作れ」という無茶苦茶な命令があったらしい。
- この大会を機にNHKはテレビ放送を始める予定だった。
- 中止が決まる前に、既にテーマ曲が作られていた。
- 同じ頃札幌オリンピックや東京万博もやろうとしていた。
- 代わりに開催されたのが紀元二千六百年奉祝東亜競技大会。なお集客面ではオリンピックに遠く及ばなかった。
- この頃に生まれた人たちが1964年の東京オリンピックの選手の中心世代となった。
- この大会が決定した時に、当時読売新聞運動部記者の川本信正が「五輪」という略称を考案。
- 公開競技として野球や柔道が行われる予定だった。
第14回~第27回[編集 | ソースを編集]
ロンドン(1948年)[編集 | ソースを編集]
- 敗戦国抜き…のはずがイタリアは出場。
- そのころ日本ではトビウオが驚異的な記録を出す。
- 朝鮮戦争前の韓国がオリンピック初参加を果たす。
ヘルシンキ(1952年)[編集 | ソースを編集]
- チェコ製の人間機関車が長距離でその性能をフルに発揮。
- トビウオは旬を過ぎていたためメダルならず。
- この回から、再び日本独自の応援歌が作られるようになった。
- この年のNHK紅白歌合戦でも藤山一郎によって歌われている。紅白で歌われた初の五輪ソングでもある。
- ソ連と中華人民共和国という共産主義国の大物が揃って初参加。
メルボルン(1956年)[編集 | ソースを編集]
- 初の南半球開催。
- 開催時期も11~12月。
- 馬術だけストックホルムだった。
- 当時はオーストラリアに馬を持ち込む際の検疫に恐ろしく時間がかかっていたため。
- ハンガリー動乱の影響が水球の試合にも及んだ。
ローマ(1960年)[編集 | ソースを編集]
- 裸足で走ったのはこちら。
- 体操会場は「テルマエ・ロマエ」だった。
- 日本の団体5連覇はここから始まった。
- モハメド・アリが金メダルを川に流した。
東京(1964年)[編集 | ソースを編集]
- 高度経済成長期真っ只中。
- 東海道新幹線が開業するきっかけとなった。
- このときは、裸足で走らなかった。
- しかもせっかく日本のメーカーが送った靴を使わず、海外の靴を履いて出場した模様。
- 一方その頃新中国は核実験をしていた。
- 日本に魔女軍団発生。
- 魔女軍団の活躍がママさんバレー普及のきっかけになったらしい。
- 閉会式で独立宣言した国がある。
- 国旗も期間中に新調。(イギリス領北ローデシア→ザンビア)
- 「世界中の青空がここ東京に集まったかのようです」は名言だがその裏で大変なことが起こっていた。
- 詳細は忘れたが撮影技術か通信技術の欠陥で、晴天でなければカラー放送の中継が大変なことになっていたらしい。
- このオリンピックが無かった場合、この年の国体は天皇杯・皇后杯は無しとなっていた可能性が高い。
- 関西人もオリンピックに夢中になった結果、関西勢どうしの日本シリーズはたいして見向きもされず、甲子園はスカスカだったという。
- その日本シリーズ、オリンピックに配慮して開幕前に終わらせるつもりだったのだが、天候に泣かされ最終戦と開会式がかぶってしまった。
- ユニットバスや冷凍食品が広く普及するきっかけになった。
- 本大会の開催地を決めるIOC総会での平沢和重の演説はもはや伝説。
- 閉会式は選手が勝手に流れ込むというグダグダだったが、以降のオリンピックでもこんな感じになった。
- 開会式は各テレビ局で中継していたが、なぜかテレ朝だけオリンピックの文字が使われていなかった。
- 前年のケネディ暗殺などで使われ始めた衛星中継が本格的に行われるようになった。
- 聖火リレーはギリシャからレバノン、イラン、インド、ビルマ、フィリピンなどを通って日本まで運ばれた。
- 太平洋戦争で戦場となった地域も通ることで平和と和解のためというイメージを強く打ち出した。
- 香港を出ようとしたところで台風の直撃を受け危うく国内でのリレー開始に間に合わないところだった。
メキシコシティ(1968年)[編集 | ソースを編集]
- 初めて衛星による世界生中継を行った。
- アンラッキーアイテムは黒い手袋。
- 彼らに賛同して手袋を貸してあげた銀メダルの人も追放された。
- やっぱり釜本さん。
- 南アフリカを参加させようとして危うく大規模なボイコットが発生するところだった。
- 標高が高いために陸上では好記録が続出。
- 男子走り幅跳びの世界記録は20年以上更新されなかった。
- 日本がサッカーで銅メダルをとった。
- マラソン3連覇を狙ったアベベは17km地点で棄権。
- 金メダルは同僚のウォルデが獲得した。
- 君原健二が前回大会8位の無念を晴らす銀メダル。
ミュンヘン(1972年)[編集 | ソースを編集]
- ある球技の日本チーム、大会前、テレビ番組にレギュラー出演。
- パレスチナにドンパチくらわれた。
- ベルリン大会の全体主義的なイメージを払拭すべく警備を控えめにしていたのが裏目に出た。
- 一旦は政府スポークスマンが「全員無事」と発表したが実際に待っていたのは最悪の事態だった・・・。
- ブランデージIOC会長が大会の再開を宣言した際にどのような反応があったかは資料により異なっていてよく分からない。
- 大会続行に抗議しイスラエル、エジプト、フィリピンの選手団は帰国した。
- この大会のピクトグラム等グラフィックデザインは、ルフトハンザやシェーバーのBRAUNのロゴと同じデザイナーによるもの。
- 陸上男子100mでは優勝候補のアメリカ選手2名が2次予選に遅刻して失格となった。
- 札幌市とミュンヘン市が姉妹都市となったのはこの同年の五輪開催都市同士という縁から。
モントリオール(1976年)[編集 | ソースを編集]
- 麻生太郎がクレー射撃の選手として出場。
- アフリカでボイコットが相次いだ。
- ハイライトといえばコマネチの10点満点。
- ただし電光掲示では最高でも9点台しか想定していなかったため「1.00」と表示された。
- このときに米ABCが使った「妖精コマネチのテーマ」は、アメリカにおいてオリンピックから生まれた初のポピュラーヒットになった。
- 元々はオリンピックともコマネチとも全く関係ない映画のサントラ曲。
- 「コマネチ」はビートたけしのギャグとしても有名になってしまったが、のちに本人とたけしの共演が実現した。
- 当初の予算を大幅にオーバーしてしまい大赤字に。さらにそれを補填するために税金が投入される事になってしまった。
- 赤字を完済したのは大会から30年後の2006年である。
- 下記のロサンゼルスオリンピックにて商業化路線をとるきっかけになった。
モスクワ(1980年)[編集 | ソースを編集]
- 日本人は、開催期間中のことを、よく知らない。
- テレ朝が独占放送権を取得していた。
- アメリカでは3大ネットワークがソ連の映画や紹介番組を放送してソ連当局の気を引き放映権獲得を目指していた。
- くまのミーシャ。
- 閉会式で泣いていた。
- 34年後、ソチ大会の閉会式でオマージュとも言える演出が行われていた。
- 閉会式で泣いていた。
- ジンギスカンの「もすか~う♪」。
- 大会期間やその直後の現地ではキャビアがいつもより安かったらしい。
- 日本人やアメリカ人の観光客が来ることを想定して大量に用意していたがボイコットによりさっぱり売れなかった模様。
- アメリカでは不参加国のアスリートを招待して「リバティ・ベル・クラシック」という代替の陸上大会が行われた。
- 日本の選手も出たがメダルは全く獲得できなかった。
ロサンゼルス(1984年)[編集 | ソースを編集]
- 五輪はカネになると気づかせた大会。
- スポンサーが集まらなければ開催中止や主催団体の変更(国連かユネスコに)もありえたらしい。
- 野球。日本はアマ選手で金メダル。
- ほかには女子マラソンが追加、テニスが復活。
- アンデルセンといえば童話作家ではない。
- 彼女が熱中症でふらつきながらも諦めずに歩いてゴールする姿に感動。
- アンデルセンといえば童話作家ではない。
- マイケル・ジョーダンの伝説が始まった。
- 自転車初メダルで超特急に格上げ。
- 野球日本代表はアジア予選で台湾に敗れて当初は出れなかったが、東側諸国のボイコットに伴いキューバの代わりとして出場した。
- ほかには女子マラソンが追加、テニスが復活。
- キャラクターは「はっとはっとはっとっと イーグルハットではっとっと」でおなじみのイーグルサム。
- イーグルサムのデザイナーは後に日本プロ野球の鳥類球団のマスコットも手がけた。
- 団塊ジュニアあたりの世代にとっては、初めて見たオリンピックがこれ。
- モントリオール五輪はまだ幼少期、モスクワは日本選手団がボイコットしたため。
- 開会式でのパラシュートが印象的だった。
- あとロス五輪といえばロケットベルト。
- 不参加だった北朝鮮もこの大会を記念する切手を発売した。
- 写真フィルム業界でスポンサーだったのは常連のコダック(米)ではなくまさかの富士フイルム(日)。
- 今でもオリンピックというと象徴的にテレビでちょくちょく使われるジョン・ウィリアムズのあの曲はこの大会でのテーマ曲。
- 上記の報復としてソ連はロス五輪をボイコットし、フレンドシップ・ゲームズを開催。西側諸国の選手も何人か参加したらしい。
ソウル(1988年)[編集 | ソースを編集]
- マスコットキャラは虎と狸のあいの子みたいな感じ。
- 東京に続きアジア二回目の開催
- 卓球とバドミントンが追加されたのはこの大会。
- 韓国だもの、テコンドーも忘れちゃいかん。
- この時は公開競技で、正式種目になったのはシドニーだった。
- 韓国だもの、テコンドーも忘れちゃいかん。
- 開会式で、焼き鳥が調理された。
- そのせいで、以後生きた鳩が飛ばされることはなくなった。
- ベン・ジョンソンがドーピングしたのもこの大会。
- 妙に「鈴木大地、金メダル!」という実況を覚えている。
- 愛知県民にとっちゃ苦い思い出……(名古屋五輪構想)
- 楽観ムードからの油断、市民団体の反対活動、ロビー活動の不備、日本国内での連続開催(東京→札幌→名古屋)になる点をソウル側に突かれたのが痛かった。
- 招致成功を見込んでいた地元マスコミは報道特別番組まで組んだが、ソウル決定後はお通夜状態に…。
- 閉幕後、愛知県は21世紀初頭の大規模な国際博覧会開催構想を提起。これが2005年の愛・地球博に繋がっていくことになる。
- 楽観ムードからの油断、市民団体の反対活動、ロビー活動の不備、日本国内での連続開催(東京→札幌→名古屋)になる点をソウル側に突かれたのが痛かった。
- NHKが大会ごとにテーマ曲を決めるようになったのはこの大会から。
- ロイ・ジョーンズの金メダルが盗まれた。
- 16年ぶりにほぼ全世界の国と地域が参加した。
- 旧ソ連、東ドイツにとってはこれが最後のオリンピックとなった。
- 日本からの視点では夏冬通じて昭和最後のオリンピック。平成最後のオリンピックも平昌であり、偶然にも韓国での開催となった。
- ここからシドニーまでの間は日本のメダル総数が激減する。
- その原因ってなんなんだろう?(いろいろ聞くが詳細はわからない)
- そのせいで1960年代生まれは金メダリストが少ない。
- 正確には1962~1971年生まれが谷間世代。
- 北朝鮮はこの大会の開催を妨害しようとして大韓航空機を爆破した。
- しかしソ連など共産圏諸国を怒らせてしまい逆効果に。
- 自動車分野でのオフィシャルスポンサーは今は亡き大宇自動車だった記憶がある。
- 実際はライバルの現代自動車(ヒュンダイ)がオフィシャルスポンサーだった。ちなみにヒュンダイと提携していた関係で三菱自動車工業もスポンサーに加わっていた。
バルセロナ(1992年)[編集 | ソースを編集]
- ヤワラちゃん初出場。
- というか柔道女子はこっから。
- 名言。『今まで生きてきた中で…』
- 『こけちゃいました』も、味わい深い。
- 聖火を弓矢で点火する演出は、秀逸だった。
- あれを超える演出はおそらく無理だろう。
- Queenファンにとっては特別な思いがある大会。
- フレディ・マーキュリーの代役はホセ・カレーラスだった。
- 君は夏のマタド~ル♪
- ドリームチームが躍動。
- 世界的なバスケットボール人気の普及に大きく貢献した。
- 案の定「スペイン語とカタルーニャ語のどちらを優先するか」でモメた結果、開会式の入場行進はフランス語基準の順番になった。
- そのため、ギリシャ→アフガニスタンときた次の3番目に入場したのが南アフリカ(フランス語ではAfrique du Sud。ちなみにスペインの両言語ではSudが先にくる)だった。
- ちなみにポルトガル語(リオデジャネイロ)でもこうなった。
- そのため、ギリシャ→アフガニスタンときた次の3番目に入場したのが南アフリカ(フランス語ではAfrique du Sud。ちなみにスペインの両言語ではSudが先にくる)だった。
- この大会からサッカーに年齢制限が設けられた。オーバーエイジ枠は次のアトランタから。
アトランタ(1996年)[編集 | ソースを編集]
- 聖火点火者がパーキンソン病のモハメド・アリ。これには誰もが仰天。
- 聖火台はどう見てもマックフライポテトの容器。
- 川口能活に神が降臨したのはこの大会。
- メインスタジアムは後に野球場として生まれ変わった。
- 平成生まれがリアルで見たことがあるのはこの大会以降。
- 史上初めてIOCに加盟している全ての国と地域が選手を派遣できた。
- 「自分で自分を褒めたい」。
- 開催地決定直後にコカ・コーラの関係者が都市名の入った記念バッジを配ったため「最初からアトランタに決まっていたのではないか」と一部で噂された。
- 敗れたアテネのあるギリシャではコカ・コーラの売り上げが一時激減したらしい。
- 実際はアテネなど他の候補都市のバッジも全て準備済みだった。
- 開会式の際に選手が入場してくるスロープの向こうにマクドナルドのネオンサインが映り込んでしまった。
- 結局IOC関係者が閉店中の店に侵入して無理やり消灯したとか。
- この大会のために開発されたIBMの結果速報システムが開会後しばらく無茶苦茶なデータしか出せなかった。
- 「900歳の走り高跳びの選手」「身長12センチの選手と身長19メートルの選手の対戦」などのデータが報道機関に届いてしまったらしい。
- ニコ厨にとってはゲームのハイパーオリンピックのバグ動画で有名。
- 熱くなれ!
- 大会中に爆破事件が発生し2名が死亡・111名が負傷する惨事が起きてしまった。
- 爆発物を発見した警備員はその後、報道によって天国と地獄を経験することになる。
シドニー(2000年)[編集 | ソースを編集]
- 20世紀最後のオリンピック
- 聖火の最終ランナーが選手から出た事に誰もが驚きを覚えた。
- そして聖火台が突然止まったことにも仰天。
- 南半球なので夏オリンピックというよりは春オリンピックに。
- ある試合結果を伝える番組中、アナウンサー落涙。
- 開会式の日本代表の服装のセンスに誰もが納得するわけがない。
- 一部では「日本選手団はみんな同性愛者なのか?」と囁かれたとか。
- 男同士でちょっと仲がいいとすぐそっちの扱いする小学生並みだな。
- 一部では「日本選手団はみんな同性愛者なのか?」と囁かれたとか。
- 「悔しい」と言えば、ザブングルじゃなくて田島寧子。
- 人生って素晴らしい~♪
- この時の男子柔道では決勝で「世紀の大誤審」が発生。被害にあった日本人選手は銀メダルに終わった。
- 「審判もドゥイエも悪くない。誤審?全て自分が弱いから負けたんです」。
- 日本男子不振。なんと女子はメダル13個に対して男子は5個しか獲得できず(しかも柔道とレスリングだけ)。
- だが金メダル数は男子のほうが1つ多いという近年とは逆の結果に。
- 体操と競泳はアテネ以降名誉挽回。
- 野球はプロ選手の参加が認められたが、日本代表は初めてメダルを逃した。
- 男子100m自由形予選で、赤道ギニアのエリック・ムサンバニ(モーサンバーニー)選手が有名になった。
第28回以降[編集 | ソースを編集]
アテネ(2004年)[編集 | ソースを編集]
- 長嶋ジャパンの予定だったけど体調不良のため誰かに代わった。
- キヨシ。後の横浜DeNAベイスターズとしての初代監督になる事に。
- このオリンピックでの監督代行のおかげで横浜DeNAの監督オファーが来たと思える。
- 当時は「熱いぜ!ニッポン!」ではなかった。
- ちなみに唯一野球でセ・パ全12球団が選手を派遣した大会だった。
- 前回のシドニーはナベツネのせいでセ・リーグからは中日と広島から1選手ずつしか派遣されず、その次の北京は完全実力主義での選出だったためか広島・オリックスからは選出0だったため。
20202021年は千葉ロッテマリーンズだけいなかったり。
- 前回のシドニーはナベツネのせいでセ・リーグからは中日と広島から1選手ずつしか派遣されず、その次の北京は完全実力主義での選出だったためか広島・オリックスからは選出0だったため。
- キヨシ。後の横浜DeNAベイスターズとしての初代監督になる事に。
- マラソンでトップのランナーが拉致されて3位になった。
- F1イギリスGPの妨害をしたときにバリチェロが優勝したので今回はブラジル人を負かせにいったとの噂。
- 妨害されたランナーは地元大会では聖火点灯の大役に。
- ハンマー投げ金メダリストがドーピングで剥奪されるというハプニング。
- 繰上げで室伏幸治が金メダルに。
- 男子100mのガトリンもドーピングで金メダル剥奪されたね。
- 日本に神が舞い降りたとしか思えない好調ぶりだった。金16個は出来過ぎ。
- 女子レスリングの追加が大きいかと。
- 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だッ!」
- なんだかんだで2010年代のギリシャ金融危機の遠因の一つ。
- ギリシャは入場行進どうするのだろうと思ったら、先頭で旗手だけ入場→最後に選手入場というウルトラCを披露。
北京(2008年)[編集 | ソースを編集]
- 聖火リレーだけである意味かなり盛り上がった。
- チベット問題。
- 鳥の巣が開会式会場になった。
- 花火をCGで代用したせいで大問題。
- 歌が口パク疑惑も生まれて大問題。
- 少数民族の子供たちの群れもほとんどが本物の少数民族ではないという事も・・
- 自転車ロードレース・男子で銀メダリストがドーピングで剥奪された。
- ソフトボール決勝での決着シーンでの解説者の騒ぎっぷりが今でも耳にこびり付いている・・・。
- 元教え子なんだしそこは大目に見てあげようよ。
- GG佐藤のエラーは色んな意味でファンを失望させた。
- テレビでは高校野球の決勝戦と同時に行っており、エラーで即チャンネル変更!したファンも多いのでは。
- もっとも、この年の甲子園決勝は超ワンサイドゲームだったのだが。
- ある意味、彼のおかげで金メダルを獲得できた韓国。国内では「ありがとう佐藤」という言葉もあるらしい。
- テレビでは高校野球の決勝戦と同時に行っており、エラーで即チャンネル変更!したファンも多いのでは。
- 陸上男子4継が銅メダルを獲得したが、その際バトンが行方不明になった。
- 9年後に金・ジャマイカのドーピング発覚で銀に繰り上げ。直前の大会での陸上男子トラックでの最高記録はタイ記録に。
- 日本で一番にわかを呼んだのはフェンシング。
- 北島康介のコメントをよくよく聞いていると、4年前の名言と同じことを再び言っている。
- エガちゃんが瞬間最高視聴率を取った事も忘れちゃいけない。
- 開催地が日本に近く時差が少ないので、多くの競技を生で見られた。
- しかし競泳の決勝はほとんどが午前中だったので生では見られなかった日本人も多かったと思う。
- 「放映権料たくさん払ってやったんだからアメリカのゴールデンタイムに合わせろよ byテレビ局」ということらしい。
- 案の定12年後もそうなる模様。
- しかし競泳の決勝はほとんどが午前中だったので生では見られなかった日本人も多かったと思う。
- 開催国中国選手団は、約1名が恥を晒した。
- 21世紀生まれ(もしくは2000年以降生まれ)がリアルで見たのはこの大会以降。
- この大会のおかげで日本での中国語学習者が増えたらしい。
- 男子柔道の低迷期の幕開け
- その他野球・サッカーで日本男子の不振が目立った。
- サッカーはロンドンでリベンジした。
- その他野球・サッカーで日本男子の不振が目立った。
- 大阪府民にとっては苦い思い出。(2008 オリンピックを大阪に!)
- 横浜市民は恥晒さなくてよかったと持っている人多数(横浜国際競技場を見ながら)。
- 大会前には大規模なボイコットが発生しそうな雰囲気もあったがそんなことはなかった。
- 後々になってジャマイカの金メダルが剥奪された。
- 銅メダルだった日本が銀メダルに昇格した。
- 民放テレビ3局以下の地域のケーブルテレビ加入者にとっては、区域外再送信(放送)局の地デジ化の契機となった大会でもある。
- 全国的に2008年8月(開会式直前)にデジタル放送の区域外再送信が認められたケースが多い。
- 一方であるある大事典の問題で除名処分を受けていた関西テレビ放送が民放連に復帰したきっかけもこの大会。
- 民放連に非加盟だと五輪中継は放送できず、関西テレビ以外の在阪他局が編成を変えてまでフジテレビ制作の中継を放送するのは困難として関西テレビの再加盟を提案したため。
- 石井慧とソフトボール以外の金メダリストはアテネとの連覇ばかり。ちょっと新鮮味が欠けた大会。
- ちなみに石井慧も柔道男子100kg超級としてはアテネの鈴木桂治と2大会連続金メダル。
- 同時期に北京では太極拳の大会も開催された。
- IOC会長も来た。
ロンドン(2012年)[編集 | ソースを編集]
- まさかの「サッカーイギリス代表チーム」実現へ。
- リーマンショック不況を受け、節約志向の運営。
- メインスタジアムは五輪終了後減築、聖火リレーは英国内周遊のみ。
- このスタジアム、ウエストハムの本拠地になるはずだったが色々あって現在は白紙らしい。
- 色々あったが結局ウエストハムの本拠地となった。
- 聖火リレーに関しては、北京でみられた政治的妨害行為を防ぐのも理由とか。
- このスタジアム、ウエストハムの本拠地になるはずだったが色々あって現在は白紙らしい。
- オリンピックパーク内の競技場は、大会終了後にロンドン市内の他の場所に移設したり、リオデジャネイロに移設して4年後再利用したりするらしい。
- メインスタジアムは五輪終了後減築、聖火リレーは英国内周遊のみ。
- ロンドンでは三度目、でも日本選手団が出場するのは初めてのロンドン。
- 開会式前からいきなり奇跡が起こった・・・。
- ただしこの勝利を「奇跡」と呼ぶことに抵抗がある人もいる。
- 結局スペインは格下のホンジュラスにも敗れ、グループリーグ最下位で敗退。
- 一方の日本は3位決定戦まで回ったが、よりにもよって韓国に0-2で敗れ44年ぶりのメダル獲得のチャンスを逃してしまった。
- ただしこの勝利を「奇跡」と呼ぶことに抵抗がある人もいる。
- 日本の報道では、英国名物ブックメーカーがやたらと取り上げられている。
- 開会式では、女王陛下がボンドガールになった。
- また、Mr.ビーンことローワン・アトキンソン氏の凄さを思い知らされた開会式でもあった。
- 閉会式にはモンティパイソンも。
- 日本はなんやかんやでメダル数最多。金は少なかったけど。
- 種目初のメダルや久しぶりのメダルが多かった。
- また、団体でのメダル獲得も多かった。
- 7個の金メダルのうち、4個をレスリングで獲得。
- もっと言えば、金メダル7個中6個が格闘技(レスリング、ボクシング、柔道)。
- 種目初のメダルや久しぶりのメダルが多かった。
- 「オリンピックの影響でロンドン周辺の交通は麻痺する」という脅しを1年以上前からかけまくった結果、五輪期間中に市内は閑古鳥に。
- 卓球少女がついにメダル獲得。「自分の娘がメダルを取った気分」と世のオバサマ方がコメント。
- ANA所属なので特別機にも写真が載っていたが全員メダル獲得となった。ちなみにJALは体操で金の方。
- 開会式のインドの選手団の列に謎の女が乱入。
- トライアスロンの自転車競技中に尿意を催した選手が続出。
- 女子では金メダルと銀メダルのタイム差が1秒未満だった。
- トライじゃなくて男子ロードじゃね?ツールを知ってる人ならおなじみの光景。
- 女子サッカーの試合で北朝鮮の選手紹介のとき韓国の国旗を出してしまった。
- 誤審も相次いだ。
- 日本がらみでも多かった。
- 男子体操で日本チームが「ルールに従って」抗議の際に現金を渡したら、まさかの問題視。
- 日本がらみでも多かった。
- 開催国だけあってイギリスが3番目に多い金メダルを獲得。
- 日本柔道がまさかの低迷。何があった。
- バドミントン女子ダブルスで3強国が無気力試合。おかげで日本はタナボタに近い銀メダル。
- この種目では大会前に注目されていなかったほうのペアが活躍する、という法則が今後できるのだろうか。
- マスコットのデザインがかなり不気味。インパクトはあるけれど…
- フェンシング団体で銀メダルを獲った太田雄貴に対する地元・大津市比叡平での扱い…。
- 素直に「郷土のアスリート」として応援されずに、「皇子山での事件から逃げたりする為の単なる道具」にされてしまっていた。
- 金メダルが少なかった上に代表選手が高齢のレスリングに集中したため、平成生まれ初の金メダリスト誕生はおあずけになってしまった。
- 内村航平は1989年1月3日生まれでギリギリ昭和(おそらく昭和64年生まれ唯一のメダリストになる)。
- 若いQueenファンは閉会式でリアルタイムのB・メイ(ギタリスト)とR・テイラー(ドラマー)をTV越しで目の当たりにした事であろう。
- 亡きF・マーキュリーもビジョン越しに出て来たとは…。
リオデジャネイロ(2016年)[編集 | ソースを編集]
- 1904年セントルイスオリンピック以来、112年ぶりにゴルフが行われる。
- ラグビーは1924年パリ大会以来92年ぶり。ただし7人に人数を減らして。
- 前回ではサッカーで組まれた「イギリス代表」がこっちでも実現。しかもイングランド・スコットランド・ウェールズの3国から。
- ラグビーは1924年パリ大会以来92年ぶり。ただし7人に人数を減らして。
- メインスタジアムは1950年ブラジルW杯の「マラカナンの悲劇」が起きた場所。
- 夏季五輪で陸上競技場がメインスタジアムにならなかったのは戦後ではおそらく初めて。
- サッカーに関して言えば、今回はついに「歓喜の地」となった。
- なお1次審査でのリオデジャネイロの得点は落選したドーハより低かった。
- 開催期間が8月5日から21日なので「夏季オリンピック」なのに現地の冬に開催されることになる。
- いろいろと時代の節目になった大会。
- 21世紀生まれ初の日本代表選手が競泳に選ばれたことはあまり知られてない(2000年生まれの某選手は有名だが)。
- 卓球女子団体は昭和生まれ&平成生まれで1000年代生まれ&2000年代生まれの3人組に。
- 2019年に天皇陛下が退位されるので平成最後の五輪。
- 平成最後の五輪で初の平成生まれの金メダリストが誕生した。
- 夏季限定ね。冬季を含めると既に平成生まれの金メダリストは羽生結弦が出ていたのと、2018年の平昌オリンピックが平成最後の五輪になる。
- 平成最後の五輪で初の平成生まれの金メダリストが誕生した。
- 開幕前に大統領が職務停止となったため、大統領代行が開会宣言をする異常事態となった。
- おそらく必要ないだろうとは誰もが思っているだろうが、競泳会場にライフガードがいた。現地の法律でそう決まっているんだから仕方ないね。
- メダリストにはブーケの代わりに歯ブラシ立てが授与された。白井くんがそう言ってたんだから間違いない。
- 4年前「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と言った本人が今度は「丈志さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と言われる側に。
- 「オリンピック4連覇クラブ」会員が4人から6人に増えた。
- 日本は今回もなんやかんやで過去最多のメダル数。前回より金の数も多く、初のメダル獲得となった競技・種目がいくつもあったので満足度も高め。
- 金メダルは劇的逆転が目立ったイメージ。特にレスリングとバドミントン。
- 日本柔道完全復活。特に前回金0個に終わった男子は全階級でメダルを獲得して序盤の快進撃に貢献した。
- 「井上康生は有能だった」「前監督はバラエティタレントの方が合っていたんだな」と思った人はかなりいるはず。
- 多くの日本人がその内容を心配していたであろう「閉会式での東京紹介」、蓋を開けてみれば大絶賛。
- キャプテン翼を出すならブラジルで国民的ヒーローとなったジャスピオンも出せば良かったのにと思ったが、日本での知名度がいまいち足りなかったか。
- 開会式で日系人が登場した部分は日本時間8月6日8時15分(広島原爆投下時刻)に合わせたとか。
- 難民選手団が初めて結成された。
- 夏季オリンピック開催時は夏の高校野球の開催時期をずらす傾向にあるが、今回はオリンピックと高校野球の開催時期が完全に一致した。
- プールの水が緑に変色する事件発生。
- ドーピング問題によりロシアの一部選手が出場できず。
- 現時点で最後の「ロシア」として出場した大会である。
- マラソンにはカンボジア代表として猫ひろしが出場。無事完走した。
- 女子レスリングで吉田沙保里が4連覇を逃した。
東京(2020年)[編集 | ソースを編集]
パリ(2024年)[編集 | ソースを編集]
- ちょうど100年ぶりの開催となる。
- でもアテネよりはスパンが短い。
- サーフィン競技の会場が南太平洋のタヒチらしい。
- 選手数が男女同数になる。
- 開会式はセーヌ川で開催。選手達は船に乗って移動する。