夜行列車/は~わ行
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独立項目[編集 | ソースを編集]
- 北斗星(エルム含)
は行[編集 | ソースを編集]
はくつる[編集 | ソースを編集]
- ごっぱーさん
- 紺色のヘッドが渋い。
- 今でもありゃ需要があると思うな…
- 末期は結構車両とかで頑張っていたと思うし。
- 末期にはゴロンとシート車がつながれていた。
- どっかの酒造会社とはもちろん関係ない。
- 一時期「ウイングはくつる」名義で成田空港まで運行されていた。
- 新宿駅に乗り入れた寝台特急はこの列車が定期・臨時通して唯一。
- 臨時だと北斗星トマムスキーが横浜や品川・新宿発着になっていたから臨時だと唯一にはならないんですけど。
- 新宿駅に乗り入れた寝台特急はこの列車が定期・臨時通して唯一。
- 晩年は24系客車が充当された。
八甲田[編集 | ソースを編集]
- 東北本線を走り抜く夜行急行。
- はくつるやゆうづるの影で地味だったけどファンはついてた。
- 東北新幹線開業までは、どちらかと言うと東北南部~青森用の夜行列車といった感じのダイヤだった。
- 特に上りは郡山に着く前に早くも始発の特急「ひばり」に抜かれる、といった有様だった。
- JR時代のように東京~北東北で使いやすいダイヤになったのは、「十和田」廃止時に旧「十和田」の仙台以北のダイヤを受け継いでから。
- JRになってからも、オンシーズンや週末などは上野を立つ時点で自由席が立客で一杯なのも珍しくなかった。それだけに廃止の情報をきいたときは正直信じられなかった。
- 89~90年頃利用した感触では、自由席は上野駅で2時間前に並べば座れるが、1時間前なら座れない、という状態だった。
- 『津軽海峡冬景色(石川さゆり)』に出てくる上野発の夜行列車はこれらしい。
- <津軽>じゃ青森着が遅いというのもあるかと。
はまなす[編集 | ソースを編集]
- 日本最後の客車急行。
- それどころか、(JRとして)日本最後の急行列車になる。
- そして、日本最後の開放B寝台連結の定期列車でもある。
- 多くの道内夜行列車が特急化していく中で速達性に難があったのか、急行を堅持した。
- 北海道&東日本パス使用者にはおなじみ。
- かつては自由席が追加料金なしで使えたが、パスが7日間有効になってからは急行料支払いが必要に・・。
- だが追加料金さえ払えば、北東パスでドリームカーや寝台に乗れるようになったわけだ。
- かつては自由席が追加料金なしで使えたが、パスが7日間有効になってからは急行料支払いが必要に・・。
- 開放B寝台、カーペット指定席、ドリームカー指定席、自由席とバリエーション豊かな編成。
- カーペットカーは指定席扱いの雑魚寝車。指定席料金で寝台に準じた設備を利用できて御得の極み。
- ドリームカー席は国鉄特急のグリーン席を流用。かつては急行まりもに連結されていた。
- 簡易リクライニングの指定席も忘れずに。
- 北斗星-はくつる=はまなす
- トワイライト-日本海=はまなす
- ミッドナイト+海峡=はまなす
- 北斗+白鳥≒はまなす
- 大人の事情により変なものが付いていることがある。
- 発電機替りの座れない座席車、検測車等・・・
- 機関車が重連だったり。
- 新幹線がどこまで伸びても20年以上青森発着のまま。
- たぶんスイッチバックのせい。
- 新函館まで延びても、青森発着であってほしいのだ…が…。
- トワイライトの廃止、北斗星の臨時化した後も、まだ存続。
- カーペットカーの指定席券がなかなか取れない事で有名。特に上段。
- 自由席で、座席を向い合せにして足を延ばして座るのはよくある事。
- 数多くの試練を乗り越えたこの列車も北海道新幹線という最大の試練を乗り越えることはできるか?
- 白鳥共々無理だった。でも役目を全う出来ただけ他の列車よりマシか。
- JR北海道の普通車大幅減便とはまなす廃止で北海道旅行の難易度が基地外みたいに跳ね上がるな。
- この列車が無くなったら、JRグループから急行制度は廃止される予定。(たぶんウソ)
- と思われがちだが、いせやぶらり鎌倉のような単発列車のために種別自体は暫く残すらしい。
- 実はJR東海が行楽臨時列車のために残している。
はやたま[編集 | ソースを編集]
- 名古屋~天王寺を、紀勢本線経由でのんびり走った普通列車。
- ただし「はやたま」を名乗るのは、寝台車が連結されていた新宮~天王寺だけ。寝台券の発券のために愛称名がついていたので。
- 名古屋駅関西線ホームでは、そっけなく「天王寺行き」と表示されているだけなのが、かえって重々しさを感じた。
- 深夜時間帯は快速運転していた。
- このスジは「はやたま」廃止後もしばらく残り、「朝釣り快速」として知られた。
- もとの名は「南紀」だったが、特急にその名を譲って「はやたま」となった。
- 速玉神社なんてマイナーな神社は知らない人が多く、改名当時は「なんぢゃそりゃ」と首をかしげる人が多かった。
- つい最近まで、「はたやま」だと思ってた。
- 歴史地図帳によると、今でも残ってるらしい。(395M)
- 夜の新大阪発御坊行の快速がそれ。現在では紀勢線の最終列車として走っている。
- 新宮行き→紀伊田辺行き→御坊行きになった。
- 2018年3月より天王寺発に。実質紀州路快速。同時に和歌山発新大阪行の始発のB快速も廃止されたので梅田貨物線を走行する普通列車が消滅した。
- 2021年に和歌山行きになってしまった。
- 普通から快速になったら停車駅が増えた。(阪和線ノンストップから快速が停まる駅に停車するようになったため)
- 釣り客の利用が多かったので、太公望列車とも呼ばれていた。
はやぶさ[編集 | ソースを編集]

- 東京~西鹿児島間のブルートレイン。「はやぶさ」という愛称は薩摩隼人にちなんだものだったらしい。
- だが晩年は、熊本までに短縮。さらに長崎行きの「さくら」と併結されることになってしまった。
- 「これじゃ、むかしの『みずほ』と一緒だろ、もはや『はやぶさ』ではない」と陰口をたたかれ(?)、その後ますます乗客が減ってしまった。
- 山陽・九州新幹線の最速列車の愛称が「みずほ」になったのはそのためだろうか?
- 「これじゃ、むかしの『みずほ』と一緒だろ、もはや『はやぶさ』ではない」と陰口をたたかれ(?)、その後ますます乗客が減ってしまった。
- 書く必要もないが一応かくと鹿児島本線経由である。ちなみにブルートレインになる前は西鹿児島ではなく鹿児島行きだった。
- だが晩年は、熊本までに短縮。さらに長崎行きの「さくら」と併結されることになってしまった。
- かつての車両の一部が、熊本県でホテルになってるらしい。
- 現在は名前の由来に反してなぜか東北の新幹線になってしまった
- あっちの名前の理由は結局速そうだからである。
はりま[編集 | ソースを編集]
- 80系が東京-姫路をロングラン。
富士[編集 | ソースを編集]

- 最盛期には、東京~西鹿児島(現:鹿児島中央)間を丸一日(24時間)以上かけて走っていた。
- 念のため日豊本線経由。東京~西鹿児島間は鹿児島本線経由の「はやぶさ」が最短で結んでいたので、全区間通しでの利用価値は無し。
- ちなみに現在の最長列車は「トワイライトエクスプレス」。
- もともとはみずほの大分行き。行き先は大分→西鹿児島→宮崎→南宮崎→大分と推移。最末期のはやぶさとの併結時代の運行形態は富士分離前のみずほと一緒である。
- 下りの西鹿児島着は午後6時台、上りの西鹿児島発は午前9時台だった。
- 廃止前後に大きく取り上げられた。
- 「富士」は日本最古の列車名。
- 同時に誕生した「櫻(さくら)」はブルートレイン廃止の後九州新幹線によって襲名されたものの、もう1つの大名跡であるこの「富士」は現在の所空席のまま。
- 「富士」と「櫻」なんていかにも日本らしくて良い。
- 使われるとしたら中央リニアの愛称かもよ。
- 「富士」と「櫻」なんていかにも日本らしくて良い。
- 戦前は下関を出る連絡船に接続してアジア・ヨーロッパ向けの旅行客を乗せていた。
- 関門トンネル開通後は長崎まで伸びて上海からの客船と接続していた。
- 同時に誕生した「櫻(さくら)」はブルートレイン廃止の後九州新幹線によって襲名されたものの、もう1つの大名跡であるこの「富士」は現在の所空席のまま。
- 日豊本線の非電化区間は最後までDF50牽引だった。
- 宮崎~西鹿児島間をEL牽引で走ったのは1年間+数日のみ。
- 日本の特急列車の名門だが紀伊の名古屋入換事故のすぐ後に起きた西明石の飲酒運転脱線事故は最大の黒歴史。アホ機関士が後輩の機関士に飲酒強要の上さくらに乗務させてた…
- 廃止により大分県民が寝台列車に乗ろうとすると、岡山でサンライズに乗り換えなくてはいけなくなってしまった。
- シングルデラックスは日田で保存、ソロは熊本の多良木で保存されている。
- 東京~九州間寝台特急最後の単独運転列車。
- 99年改正でさくらとはやぶさが連結運行するようになってからも富士だけは単独運転を保ったため。
- ただし編成自体はさくら・はやぶさと共用。
- オシ24がついていたころは大分駅で回転車の増解結をしていた。
- 大分までは15両(電源車機関車含む)の堂々とした編成だったが、大分から先は身軽な編成になって走った。
- 一時期151系で東京ー宇野の昼行電車特急だった時期がある。
- ロビーカーは食堂車が編成から外された後もはやぶさとの連結運転になるまで連結が続けられた。
- 無くなってからは個室やB寝台でずっとすごさいないといけなくなった。 それまでは寝台の外でくつろげる(食堂車以外で)唯一の場所だった。
- 食堂車は戦前特急時代、戦後昼行電車特急時代、ブルトレ時代と一貫して設けけられていた設備だった。
- 97年の食堂車連結廃止までの戦前戦後(昼行特急時代含む)と65年と富士の歴史の多くを占めていた。
- 昼行時代は瀬戸を昼間に運転したような形で、四国連絡という全く目的の違う列車だった。
ふるさとライナー山陰[編集 | ソースを編集]
- 京都~出雲市間を伯備線経由で運行した夜行客車列車。
北星[編集 | ソースを編集]
- 岩手県内の5都市(一ノ関、水沢、北上、花巻、盛岡)への需要だけで寝台列車が1列車成立する、そんな幸せな時代があった。
- 当時は新幹線がなかったのです。
- もしもJR化後も生き残っていたら、「北斗星」は別の名前になっていたかも。
北陸[編集 | ソースを編集]
- 上野~金沢を走った日本一短いブルートレインだった。
- チェックアウトサービスが存在、金沢駅到着後9時まで寝台を利用することができた。金沢到着後、東金沢の車両基地に回送されるため、金沢駅に戻る普通列車が無料で使えた。
- 2010年の上野発下り最終列車の運転日にMEGWINがEF64のコスプレをした。
- 上越線リフレッシュ工事で信越本線迂回運転をした。そのため碓氷峠を通ったことがある。
- 最後の14系寝台特急。
- 富士が廃止されたのは2009年、北陸は2010年に廃止されたため。
- 最末期は編成の半数が個室車両という贅沢な列車だった。
- 車両の一部はフィリピンに行った。
ま行[編集 | ソースを編集]
まりも[編集 | ソースを編集]
- 最後の北海道内発着夜行列車。
- 最後の北海道特有なディーゼル車in寝台客車夜行。
- 90年代は特急おおぞらの夜行便として統合された。
みずほ[編集 | ソースを編集]
- 東京発のいちばん地味なブルートレインだった(!?)
- 東京~熊本・長崎間の運転で、「さくら」と「はやぶさ」の控えのような存在だった。
- そして東京から真っ先に姿を消してしまった。
- 車両は「さくら」と共通運用で、東京で折り返す時にさくらと入れ替わってたらしい。
- そんな「みずほ」が、まさか九州新幹線の最速列車として復活するとは・・・
- 一時期大分まで運行していた。
- それが後の「富士」である。
- 21世紀になってからヘッドマークが細工されて全然関係ない大糸線の電車に付ける計画があったがお流れに。なぜ長野かはお察しの通り…
- 東京ー九州間のブルートレインは最末期にみずほの運転形態になることが2回あった。
- さくらと末期のさくぶさ時代はみずほの東京~長崎・熊本行時代そっくり
- 富士・はやぶさも運転開始当時のみずほの運転携帯
- さくらと末期のさくぶさ時代はみずほの東京~長崎・熊本行時代そっくり
ミッドナイト[編集 | ソースを編集]
- 札幌~函館間の全席指定深夜快速。
- 古豪キハ56系統のキハ27でカーペット車・ドリームカー席車1両ずつを仕立て上げた。末期はキハ183での運行。
- 18きっぷシーズンには一般キハ56やお座敷車、キハ183急行用改造中間車なんかが増結された。
- しかしこのうち一般キハ56は非冷房、2エンジン、ボックスシートということでうるさい、暑い、リクライニングも横になることもできない、の三拍子揃った車両であった。
- そしてこの車両に乗った人から「バッドナイト」呼ばわれされる始末。
- 一応、同車は自由席の増結車だったので運賃だけで乗ることはできた。
- しかしこのうち一般キハ56は非冷房、2エンジン、ボックスシートということでうるさい、暑い、リクライニングも横になることもできない、の三拍子揃った車両であった。
- ドリームカーの座席は特急グリーン車の交換発生品だったので、後継のキハ183は遜色扱いされたとか。
- 18きっぷシーズンには一般キハ56やお座敷車、キハ183急行用改造中間車なんかが増結された。
- 東北新幹線八戸延伸で海峡線昼行快速海峡とともに消滅。
- 函館~札幌を結ぶが、ノンストップ(ただし乗務員交代の運転停車はある)運転期と主要駅停車期があった。
- ノンストップ運転期は函館から乗ったら次札幌(上りはこの逆)なので青春18きっぷを1枚(1回)分ムダにしないで済んだ。
- ムーンライトながら・えちごと共に現役だった頃は度々セーラームーンの主題歌の替え歌のネタにされてた。
妙高[編集 | ソースを編集]
- 実態は「ホームライナー長野」。
- 末期は特急「あさま」(在来線時代)と共通運用の189系だった。
- トドメを差したのはしもべの夜行バス「ドリーム志賀」だったりする。
- でも距離が短すぎてバスは新幹線に敗れた。(現在この区間に夜行バスは走っていない)
- 客車時代は寝台車も連結していた。
- ただ、上野~長野間だと所要5時間程なので寝台を使うには...そこで直江津までローカル延長して無理矢理?寝台車の利用価値を付けていた。
明星[編集 | ソースを編集]
- 関西~鹿児島本線系統の夜行特急の地位を「なは」と分け合っていたが、元々こちらの方が主力だった。
- 「明星」:最大7往復、「なは」:ずっと1往復
- ブルートレインに加わったはS50.3改正から。それまでは全列車583系だった。
- どうみてもこちらのほうが夜行列車の愛称にふさわしい筈なのに、結局終着地から遠く離れた、しかも鉄道の無い(当時)街の名前に追い出された。
- あれは沖縄復帰を願う政治的な意味があったからだと言われている。
- 定期列車として消滅後も、暫く20系客車による帰省シーズンの臨時特急として走っていた。
- 臨時ながら、ナハネフ22用のイラスト入りテールマークをわざわざ用意してもらえたのが、せめてもの慰みだった。
- 食堂車の食事がラーメンや焼きそばな訳ではないし車内チャイムも当然チャルメラではない。もちろん車掌の名前も一平なわけではない。
- その昔は東京~大阪を結ぶ夜行急行の愛称だった。
- 機関車用のヘッドマークは2年余りしか使われなかった。
- かつてTOMIXのカタログに単独運転用のマークを付けたEF65PFの模型の写真が載っていた。鳥栖以東は「あかつき」と併結なのに。
ムーンライト[編集 | ソースを編集]
ムーンライトえちご[編集 | ソースを編集]

- 元はと言えば深夜高速バスへの対抗策。
- 高速バスには対抗できたが、ツアーバスには敗北したらしい。
- 学園キノにも登場した。
- 新潟から始発で普通列車乗り継ぎで行くと、上野に着くのはどんなに早くても昼過ぎ。
- 新潟から北の18きっぱーには重要な存在。
- 上野発着だったり新宿発着だったりバラバラだったが新宿発着に統一された。
- デビュー当初はムーンライト。臨時で登場する夜行快速「ムーンライト○○」の元祖である。
- 会員制列車だった。
- 165系を改造して、四色の車輌を投入していた。
- 村上へ行っていたり、新井(新潟県)行きがあったりしていたらしい。
- 長岡で切り離しで前6両が村上ゆき、後3両が新井ゆきだった。ちなみにどちらも新潟県内。
- 国鉄時代は上野発長岡行きの夜行鈍行があった。
- 同じダイヤでえちご春の夜空号という列車が運転されたことがある。
- 最近走ってない。
- 485系K2編成が廃車になった事により、2014年春期の「えちご春の夜空号」での運転以来、設定が無くなった。しかし新宿駅では現在も「臨時夜行 ムーンライトえちご」の案内表示が残っている。
- 新潟駅で新宿行きの上り列車に乗り遅れても、後続の新津行き終電に乗れば追いつくことができた。
ムーンライト九州[編集 | ソースを編集]
- 末期はシュプールの余剰車を充てられてリクライニング角度が深くて寝やすかったせいか、鉄ヲタや18きっぱーはもとより一般の人もそこそこ乗っていた。
- そのせいで荷物置き場や展望室もあったりしたが、展望室は鉄ヲタで占められて何とも言えない近づきにくい雰囲気。中には指定券未所持者もいたとか。
- 往復とも岡山で次の日の初停車駅となるので、乗り通す18きっぷ所持者はその点でどうするか苦慮したはず。
- それを狙って、大阪-岡山間の移動という利用をした人も見た(岡山から西の移動も同様)。
- 博多行きの下関と門司の対応→鉄ヲタ:先頭までダッシュで機関車付け替えに密着する。一般人:朝食や飲料を調達。
- 90年代では京都~熊本を結んでロングランしてた。門司~熊本では撮り鉄が駅といわず撮影ポイントといわずワンサカ居た。
- 検査か何かの都合で走らない場合は「ふるさとライナー九州」として走った。車両は12系客車。
- 松村邦洋が九州の大学に在学の頃、この列車で大阪へ遊びに行ってた。
ムーンライト山陽[編集 | ソースを編集]
- 大人気のムーンライト九州があったおかげで、これは影が薄い夜行列車だった。でも、使われる車両はムーンライト九州と同じシュプール用客車なので、環境は悪くなかった。
- 影が薄かったせいか、ムーンライト九州より早くひっそり終了というあたりもこの列車の境遇を物語っている。
- どちらかというと、兄弟分のムーンライト高知と松山を引っ張るためにあったともいえるかもしれない。
ムーンライト信州[編集 | ソースを編集]
- 下りは新宿駅23:59発という微妙な時間の発車なので、18きっぱー達は一喜一憂する。
- ちなみに立川から乗車なら1日分の切符で済むらしい。
- 一時期日付が変わってからの発車だった。(その頃はどこかの駅で2時間ぐらい停車)
- 松本で寝過ごすと辺鄙な場所に連れて行かれてしまう。
- 急行アルプスと夜行普通列車の代替としてできた快速。
- ちなみに今でも急行アルプスを運行するつもりがあるのかはわからないが、E257系には急行アルプスのLED表示が用意されている。
- こんな方面の列車に誰が乗るんだ?と思う人が結構いるが、登山客の利用が多くシーズン中は早めに予約しないと満席になることも。
- 松本経由で名古屋方面へ向かう乗客も多いため、発売開始日の11時頃に満席になることもある。
- 意外にもこの区間に夜行高速バスが無いというのも存続している理由なのかもしれない。
- 強いて言うなら新宿-安曇野・白馬線の夜行便だが、こちらは立山黒部アルペンルート期間中のみ運転なので冬季は列車の独占ということになる。
- たまに183/189系の車両不足で中央特急用のE257系やE351系が充当される。グリーン車にも通常料金で乗れてお得。
- 逆に長野の189系の場合、先頭車だけが簡易リクライニングシートになっていて中間車よりちょっと損する。
- N102編成の先頭車に使用されているクハ189-9ですね。座り心地は今一つですが、国内唯一のR51BNシートなのでたいへん貴重なものです。
- 逆に長野の189系の場合、先頭車だけが簡易リクライニングシートになっていて中間車よりちょっと損する。
- 前身列車の一つである441M・442M列車は客車列車時代(425・426列車)に廃止されかけたが、登山ファンたちが反対運動などを行った結果、電車化の上存続した。
- ついでに言うと425・426列車を受け持っていた飯田町客貨車区が合理化で廃止しようとしたのを、これに反発した労働組合の反合理化闘争の一面もあった。
- 1984年夏まで岡谷行きの臨時客車列車が走っていたのはこれの影響らしい。
- 中央夜行の全盛期は下りだけで定期普通列車のほかに臨時の普通列車が5本、急行が定期2本・臨時7本も設定されたという。上りは定期普通列車と急行「アルプス」が定期1本・臨時1本だけだった。
- 「山男列車」の別名があった。
- 客車から電車(115系)に置き換えられた後の時代は客車よりスピード出るので途中駅で長時間停車して時間調整してた。途中で列車番号変わるが直通なんてこともあった。
- プレリリースでハブられやすいので2018年に入って数回廃止騒動が起きる。
- とうとう2019年は「諏訪湖花火大会号」として上りのみしか設定がなくなった、
ムーンライトながら[編集 | ソースを編集]
やらわ行[編集 | ソースを編集]
ゆうづる[編集 | ソースを編集]

- 東北新幹線開業前、青函連絡船へつながる上野青森系統寝台の最大勢力で全盛期をほこった常磐線経由便。
- 「夜のエル特急」と呼ばれていた。下り奇数上り偶数になったときは14号まであった。
- 上りの上野到着時間が、朝のラッシュアワーとかぶって常磐線ダイヤに支障きたすというので意識的にスピード落し、上野着が9時台以降になるよう設定されてた。
- 「夜のエル特急」と呼ばれていた。下り奇数上り偶数になったときは14号まであった。
- ゆラブるに空目することなかれ。
- 北斗星運行開始前、ツインデラックス個室寝台車が試験的につながれていた。
- 同名の戯曲とは関係ない。
- 583系による電車タイプと、ブルートレイン客車による機関車牽引タイプを併用していた時代がある。
- その所要時間差を、西村京太郎がトリックに利用した。
- 583系使用列車は一時期、寝台をセットせず、全車座席車で運行してた時期があった。その時の列車種別は一般特急扱い。(確か下り3号、上り7号)
夢空間[編集 | ソースを編集]
リゾート白馬アルプス[編集 | ソースを編集]
- いろんな列車に抜かれまくっていた。
- 姫路を発車すると大久保で新快速、神戸で新快速・快速・普通(関東でいうところの各停)2本、大阪で新快速、新大阪で特急・快速・普通・急行、高槻で貨物列車、京都の手前で新快速、京都で快速・貨物2本、野洲で新快速・寝台急行に抜かれていたそうです。
- そして吹田の手前で新快速が過ぎ去り、京都ではるかと同着、翌朝も白馬で普通に抜かれて信濃大町につく。
- 姫路を発車すると大久保で新快速、神戸で新快速・快速・普通(関東でいうところの各停)2本、大阪で新快速、新大阪で特急・快速・普通・急行、高槻で貨物列車、京都の手前で新快速、京都で快速・貨物2本、野洲で新快速・寝台急行に抜かれていたそうです。
- 大阪まで新快速に乗ってちくまに乗って松本で乗り換えたら早く着いたらしい。
JR列車 | |
---|---|
新幹線 | 新幹線(東海道・山陽・九州) |
在来線(昼行) | あ~お/か~こ/さ~そ/た~の/は/ひ~ほ/ま~も/や~わ |
在来線(夜行) | あ~こ/さ~の/は~わ |
ジョイフルトレイン | あ/か・さ/た~わ |
偽モノ | JR列車/ジョイフルトレイン |