大和 (百貨店)
- やまとではない。だいわである。
- 北陸ではお馴染みと言っていい程の百貨店。
- 伊勢丹と三越が手を組んでしまった。さあ耐えられるか新潟店。
- その新潟店は毎年クリスマス時期になると、アーケード側にウサギのラインダンスする人形がディスプレイされる。
- 画像があれば…
- 既に11ヶ月たちましたが、写真貼っておきます。
- これも2009年限り・・・か?
- 古町七商店街振興組合が2010年冬以降も設置を継続するとのこと。実は国内に2セットしかない希少品らしい。
- 画像があれば…
- 新潟市では最も影が薄いデパート。しかしこれでも歴史は古い。
- 今では新潟市三大デパートの中で売り上げ最下位に・・・。
- かつては放送局が入居していた。
- 新潟大火の時にはギリギリまで実況を続けたとか。
- 地階食料品売り場が他の二つより若干小さく感じる。でもそれも昔ながらという感じ。
- 1950年代に小林デパート(現新潟三越)と同時期に出来た。当時は屋上遊園地もあったらしい。
- 土地買収の時に四角形のまとまった土地をとれず、本館と東館に分けた。それによりエレベータやらなにやらを各棟に1つずつ作る破目になり、経営圧迫の要因に。
- その新潟店は毎年クリスマス時期になると、アーケード側にウサギのラインダンスする人形がディスプレイされる。
- 地方百貨店にも関わらず、終戦まで北朝鮮に店舗を持っていた。
- 敗戦と同時に閉鎖されたそうだが、今どうなってんだろ。
- まだ国営清津百貨店として建物そのままで営業しているらしい。ただし店は小さく、確か売り場面積500坪ぐらいと聞いた。
- 敗戦と同時に閉鎖されたそうだが、今どうなってんだろ。
- 何気に大丸や松坂屋の商品券も使える。
- 元々、大丸と同盟を結んでた為。イメージカラーも一緒・・・というか大丸は知ってるけど大和を知らない人間は「パクリだ」と思うかも?
- 同盟では無く、旧小杉町にあった大丸家具が双方の創業家らしく、縁戚関係にあったためイメージカラーなどが同じと、富山県内では認知されている。
- 簡単に言うと、それぞれが分家の関係にあったと言われている。
- 現在でも、大丸家具を営んでいた本家は、旧小杉町にある。
- また、マルイデパートの創業家であるマルイ家具も旧小杉町に在った。
- 大丸家具とマルイ家具は平成に入ってからも同じ通り沿いの、反対車線側にそれぞれ店舗構えていたが、現在は双方とも閉店している。
- 同盟では無く、旧小杉町にあった大丸家具が双方の創業家らしく、縁戚関係にあったためイメージカラーなどが同じと、富山県内では認知されている。
- 元々、大丸と同盟を結んでた為。イメージカラーも一緒・・・というか大丸は知ってるけど大和を知らない人間は「パクリだ」と思うかも?
- 富山にとっては西武が無い今、唯一の百貨店。
- 移転したけど・・・便利になったの?
- 旧富山大和は市街地の99.5%が焼け野原になったという富山大空襲を(当時の)県庁などとともに生き残ってきた。が、移転した今はただの廃墟。
- 学術系出版社の勁草書房がここの系列と知ってビックリした。
- 北陸中日新聞の前身となる新聞社を傘下においていたこともある。
- 転勤で北陸へ来た人(特に若い男性)は、「大和へ行ってベッチョを買って来い」と上司から言われる。
- 金沢出身&在住ですが、上記「ベッチョ」の意味が判りません。
- イオンに押されて高岡店が閉店に追いやられ、香林坊の本店と総曲輪の2店のみに…
- 閉店する代わりに近隣にサテライトショップができるとか。
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