大阪の神社
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大阪市の神社[編集 | ソースを編集]
池田市の神社[編集 | ソースを編集]
伊居太神社[編集 | ソースを編集]
- 実は池田市の由来。
- 呉国の皇女で、この辺りに住んでいた猪名津彦尊の奥様の一人でもあった穴織媛を祀っている。応神帝の時代に、日本から機織・縫製技術を修得するために派遣された旦那と一緒に中国から来たアルヨ。
- 穴織姫と書いて「あやはとりひめ」。アヤトリの語源?
呉服神社[編集 | ソースを編集]
- 池田市
- 呉服の語源となった神社。
- でも社号の読みは「くれは」だよ!
- 上の項目で書かれている穴織媛の姉・呉服媛(くれはとりのひめ)を祀る。
- 西国七福神のえびすさん担当。
豊中市の神社[編集 | ソースを編集]
服部天神宮[編集 | ソースを編集]
- 足の神様。
- 阪急服部天神駅の屋根に突き出たクスノキは、この神社の御神木。
- 阪急の前身である箕面有馬電気軌道が、当社境内に服部天神駅を作ったものの、御神木を伐採するわけにはいかなかったので残した。
- もう少しまともな場所に駅を作れなかったのかよ…。
- 駅構内にクスノキが鎮座している駅は他に京阪萱島駅があるが、こちらは高架複々線化の際駅用地に組み込まれたため。複線時代は駅の外にあった。
- 阪急の前身である箕面有馬電気軌道が、当社境内に服部天神駅を作ったものの、御神木を伐採するわけにはいかなかったので残した。
- よく服部天満宮と表記されるが、服部天神宮が正しい。
服部住吉神社[編集 | ソースを編集]
- 服部にある由緒ある神社。
- 平安期には既にあったらしい。なんでも社殿の改築工事をやったという記録が残ってる。
- 能舞台が現存するものでは大阪府最古のものらしい。国指定登録有形文化財の一つらしい。
春日神社[編集 | ソースを編集]
- 宮山町
- 宮山にあるつつじで有名な神社。
- 実は平安時代には既に存在したという。
原田神社[編集 | ソースを編集]
- 旧社格は府社の神社。
- 少なくとも5世紀頃までには既に在ったと伝わる神社。
- 7世紀には天武天皇が神宝・神鏡・獅子頭を奉納したと伝わる。
- 中世には尼崎市北部~江坂一帯の地域から尊崇される位には、すごい神社だったらしい。
- 本殿は国指定重要文化財。
- 棟札から慶安5年に建てられたことが分かっているらしい。
- 実は、岡町は元々、この神社の門前町として栄え始めた。
庄内神社[編集 | ソースを編集]
- 実は明治期にできた神社でそれ程歴史はない。
- 小さい神社だが鎮守の森がきちんと残っており、これはこれで趣がある。
椋橋総社[編集 | ソースを編集]
- 庄本
- 後奈良天皇の勅願所らしい。
- あんた宸筆ばらまいて銭を稼がんとあかんほど、財務がやばかったくせに何やっとんねんと。
- 素戔嗚尊が高天原から鯉に乗りこの地に降り立ったという歴史から造られた神社らしい。
- そのため、鯉が神の使いとして崇められており、「鯉の宮」とも呼ばれている。
- 神功皇后の三韓征伐のときに、この神社で必勝祈願をしたと伝わる。
- 一時はとんでもなくデカイ規模の神社で、宝物もバンバン蓄えていたらしいが、伊丹の荒木村重征伐(有岡城の戦い)で織田信長に焼かれた。
枚方市の神社[編集 | ソースを編集]
片埜神社[編集 | ソースを編集]

- 河内国一之宮を名乗っている。
- 他に枚岡神社も名乗っている。
- 片埜神社は交野郡一宮だったものの、河内国一宮ではない。
- 「かたの」と付いているが、交野市ではなく枚方市にある。
- 交野市とは字が違う。
- 「片埜」は「交野」の古名。
- 「片野」とも表記されていたらしい。
- 「片埜」は「交野」の古名。
- 実際には京阪牧野駅のすぐ近くにある。
- 交野市も枚方市も、かつては交野郡というひとつの行政区画だった。
- その交野郡の名前は、当社に由来する。
- 交野市とは字が違う。
- 昔々、垂仁天皇から土地を貰った野見宿禰が、スサノオを祀ったのが創建の由来。
- そして時代が下ると、野見宿禰の子孫である菅原道真も祀られるようになった。
- 戦国時代に兵火でボロボロになったものの、豊臣秀吉が大阪城の鬼門除けの神社にするため劇的ビフォーアフターを施した。
- それ以降は、方除・厄除の神様として崇められている。
- ここの神社で行われる節分の豆まきは、「鬼は外」ではなく「鬼は内」と言うのが習わし。良い鬼が悪い鬼を追い払ってくれるんだってさ。
蹉跎神社[編集 | ソースを編集]
- 菅原道真を祀る神社で、道真本人が自らの姿を掘った坐像を御神体とする。
- 元々は管相塚(現在の寝屋川市菅相塚町)に建てられたが、大坂夏の陣で燃やされてしまったので今の場所へ遍座してきた。
- 管相塚とは、道真公が京都から大宰府へ左遷される道中にひと休みした山。
- 道真の娘の苅谷姫は、この山まで父を追ったものの既に大宰府へ旅立っており、西の方角を向いて足摺り(=蹉跎)して悲しんだ…これが社号の由来となり、周辺の地名の由来にもなった。
- 管相塚とは、道真公が京都から大宰府へ左遷される道中にひと休みした山。
- 中門の内壁に、なぜか明治期~昭和期にかけての枚方・寝屋川界隈の消防の歴史を説明した絵が描かれているが、色も文字も剥げ落ちてまともに読めない。
- 確か、昔のポンプ車的なやつを飾っていた記憶があるが、まだ残っとるんかな?
- 香里丘陵の西縁にある小高い山の一つが境内。
- 参道を下った京阪線のところ(八尾枚方線)はだいたい標高8~9mくらい。一方神社の社殿はだいたい43mくらい。たった数百mでこの標高差、今でも北河内から大阪市内方面にかけて眺めが良いが、昔は今以上に眺望が効き神社として最高の立地やったんやろなあ。
御殿山神社[編集 | ソースを編集]
- 明治2年に、渚院跡の西粟倉神社から現在の御殿山へ遷宮される様子を描いた「遷宮絵馬」は、枚方市の指定文化財。
- ハイヒールリンゴが子供の頃ここでよく遊んでいたとか。
意賀美神社[編集 | ソースを編集]
- 小さい梅林がある枚方市駅周辺エリアの憩いのスポット。
- 開化天皇の時代に創建されたとかいう歴史ある神社。
- 淀川の鎮守として、通航の安全と水害排除を祈念する場として創られたとされる。
- 淀川河岸では樟葉~淀川河口でほとんど唯一と言っていいような小高い丘だし、淀川の鎮守のための神社の立地としてはこの上ない。ここ以外だと上町台地の先端部(大阪城の辺)くらいしかない。
- 淀川の鎮守として、通航の安全と水害排除を祈念する場として創られたとされる。
百濟王神社[編集 | ソースを編集]
- 中宮西之町
- この地域に住んでいた百済王族の末裔、百済王氏の祖霊を祀る祠廟である。
- ご祭神は百済国王であるが、百済王氏がいなくなってからは、氏子地域では産土神として崇められるようになった。つまり神様も日本に帰化したのである。
- 現在の本殿は春日大社の本殿を移築したもので、これは昔に興福寺から再興の援助を受けていたから。
- 隣接して百済王氏の氏寺の百済寺があったが、いつしかなくなってしまった。
- この百済寺跡は、大阪府では2つしかない国の特別史跡のうちのひとつである(もうひとつは大坂城跡)。
交野天神社[編集 | ソースを編集]
- 楠葉丘
- 「かたのてんじんじゃ」と読んだ人、はずれです。
- 「かたのあまつかみのやしろ」と呼ぶのが正式名称。
- 社号については「交野天津神」→「樟葉神社」→「天神宮」→「交野天神社」と遍歴がある。
- 「かたのあまつかみのやしろ」と呼ぶのが正式名称。
- 光仁天皇を祭神とする激レアな神社である。
- 桓武天皇は長岡京を造る時に、郊祀壇を設けて父の光仁天皇を「天神(あまつかみ)」として祀ったのが創建のきっかけ。
- なお「天神(てんじん)」の菅原道真もいるが、合祀されたのは明治になってから。
- 境内周辺は、継体天皇が建てた樟葉宮の伝承地である。
- 桓武天皇がこの地に父を祀ったのは、そのことを知ってのことだろう。
- ここの本殿と八幡神社は何気に国の重要文化財。
- 近くの樟葉宮表参道商店会のマスコットキャラ「みっけ」は、この神社で巫女としてお手伝いをしている設定。
山田神社[編集 | ソースを編集]
- 山之上
- 明治時代に「山之上神社」と「田宮神社」がくっついた。だから「山田神社」。
- 山之上神社も、合祀された田宮神社も、スサノオを祭神としていた。
- 鎮座地の山之上は、元々は片埜神社の氏地だった。
- 鎌倉時代に片埜神社の神職が身内同士で仲が悪くなってろくに祭事をしなくなったので、山之上に住んでいた同神社の神職・田中修理亮藤原朝臣芳秀がそれを嘆いて、片埜神社から神様を呼んできて山之上神社を建てた。
- 末社の石神社は、安倍晴明が藤田の里(今の枚方市藤田町)に滞在した時に祈祷した加持石とされている。
- この石神社自体は、山之上神社創建前から存在していたらしい。
村野神社[編集 | ソースを編集]
- 村野本町
- 山田神社(山之上神社)と同時オープンした神社で、祭神も同じくスサノオ。
- おそらく創建経緯は山之上神社と同様、片埜神社のゴタゴタによって分霊されたものだろう。
- なお神社周辺は、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が狩猟をした荘園だと言われており、昔から宮祠みたいなのがあったらしい。
- 社殿は銅板葺の鉄筋コンクリート造り。大阪市内ではよく見かける建築様式だが、そこ以外で見かけるのはちと珍しい。
交野市の神社[編集 | ソースを編集]
機物神社[編集 | ソースを編集]
- 七夕伝説で有名。
- 毎年7月7日には七夕まつりが行われる。
- 交野市内にあるが、最寄駅はJR津田駅。
磐船神社[編集 | ソースを編集]
- 巨大岩を登ったりくぐったりする「岩窟めぐり」を体験できる。
- これは遊びではなく修行なので、生半可な気持ちでやってはダメ。
- 必要最低限の安全対策しかとられていないうえ、足下が不安定。実際に転落事故で亡くなった人がいる。
- これは遊びではなく修行なので、生半可な気持ちでやってはダメ。
星田妙見宮[編集 | ソースを編集]
- 七曜星が落ちたと伝わる神社。
- なんでも弘法大師が獅子窟にこもって読経したら、いきなり星が落ちてきたとか。
- 七夕祭りで有名。
- 同じ7月に星降り祭もやっている。
- 河内名所図会にも描かれた巨石が残る。(落ちてきた星の一部)
- カラフルな御朱印で知られる。ただし全部書置きだったと思う。
寝屋川市の神社[編集 | ソースを編集]
萱島神社[編集 | ソースを編集]
- 萱島本町
- 京阪萱島駅のホームを突き抜けているクスノキはこの神社のもの。
- 元は京阪の線路の南側にあったが、京阪の高架複々線化により、神社の敷地が線路にとられたらしい。
- なお、萱島神社の前身の神社は1907年に廃社され、高架複々線工事の時点では存在していなかった。
- そのため社殿も高架下に収まっている。
- 元は京阪の線路の南側にあったが、京阪の高架複々線化により、神社の敷地が線路にとられたらしい。
- 神社に参拝すると神社というより駅にお参りに来たような感じにさえ見えてしまう。
- 現在の社殿等は、京阪電車からの寄進により、再建されたものらしい。
- 参拝して頭を上げると・・・駅の階段を歩く人と目があう時がある。(社殿の裏がホームとコンコースを結ぶ階段)
神田天満宮[編集 | ソースを編集]
- 上神田
- 何度傷んでも復活する不死鳥のようなクスノキがある。
- 樹齢1000年超(推定)。因みに、本殿右手の大きなクスノキがそれ。この下で楠木正成が陣を張ったとかいう言い伝えがある。
- 「神田天満宮の千年楠」。府の天然記念物に指定されている。
- 菅原道真の尊像の掛図がある。
- 例祭のときに酒を奉納すると、顔が赤らむらしい。
- 所在地の地名「上神田」。ちゃんと読むと噛みそうになる。
- 樹齢400年程度のクスノキが数本ある。
- ほとんどの樹木が寝屋川市の保存樹に指定されている。一番古い千年楠は保存樹を通り越して天然記念物指定。
四條畷市の神社[編集 | ソースを編集]
四條畷神社[編集 | ソースを編集]
- 楠木さんゆかりの神社。
- 建武中興十五社の1つ。
- 実は歴史はそれほど古くなく、明治期にできた神社。
- 楠木正行の墓が近所にあったところ、明治維新後にその墓を再整備し更に近所に神社を造って祀ろうとしたことに始まる。
- でもって地域住民の嘆願の結果、神社創立と別格官幣社四條畷神社の社号の宣下が勅許されてできたという。
- 事実上、四條畷という地名の由来。
- 南北朝期に野崎の辺であった戦いが、太平記で「四條縄手の戦い」と呼称されていたことから「四條畷神社」という名前にすることとなり、その神社ができた結果、元々「讃良」とか「甲可」と呼ばれていたこの地も「四條畷」と呼ばれるようになった。
忍陵神社[編集 | ソースを編集]
- 前方後円墳の墳丘上にある神社。
大東市の神社[編集 | ソースを編集]
須波麻神社[編集 | ソースを編集]
- 大東市唯一の式内社。
- 生駒山麓にある静かな神社。
- と思いきや、結構車の走行音がする。本殿の裏を阪奈道路が走ってるからね。
- 昔は、讃良郡、若江郡、河内郡の結構な範囲を氏子地としていたらしい。
- 河内湖の州浜だったから須波麻らしい。
宝塔神社[編集 | ソースを編集]
- 飯盛山の麓にある神社。
- 知名度は低い神社だが、野村財閥創始者の野村徳七さんが時々お参りしていたと伝わっている神社。
門真市の神社[編集 | ソースを編集]
三島神社[編集 | ソースを編集]
- 三ッ島
- 薫蓋樟という樹齢1,000年以上の大きなクスノキがある。デカすぎて枝が神社の敷地外まで伸びている。
- デカすぎて、樹の根元から樹頭までを1枚に収めた写真は多分撮れない。ネット上も含め、そんな写真を今まで見たことがない。
- 大阪で最も古い樹木らしい。戦前には国の天然記念物に指定されている。
- 新日本名木100選、大阪みどりの百選に認定されている。
- 神社の歴史がどんなもんかはわからんけど、多分薫蓋樟を崇め奉ったのが、今に至っている気がする。
- 薫蓋樟は東西34m、南北32mというそこそこなサイズの枝張り。因みに境内の総面積を上回っている。
- 樹高が25mある。第二京阪道路側道からも、家並みの向こうに木の頂端部が見える。
- 祭神は、天照皇大神・大己貴命・素盞嗚尊。特に何かこの土地に関係がある人というわけではない。
- 一時期稗島の堤根神社を合祀していたことがあるらしい。
- 周辺は古い家も残る。三ッ島という地名だけあって、河内湖の時代から陸だったのかもしれない。
堤根神社(大和田)[編集 | ソースを編集]
- 茨田堤の跡地と伝わるところにある神社。
- 神社の裏手には茨田堤の跡が残る。
- 延喜式神名帳にも記載のあるくらいに歴史がある。
- 運気上昇浮かびの宮を自称している。
- 茨田衫子が茨田堤建設時に人柱として淀川に沈められかけるも機転を利かせて助かったという逸話にちなむ。因みに瓢箪はそのときに浮輪代わりに使った道具。
- 祭神の日子八井命は神武天皇の息子。茨田氏の先祖。
守口市の神社[編集 | ソースを編集]
佐太天神宮[編集 | ソースを編集]
- 菅原道真は太宰府へ行く途中、この地にしばらく逗留したということから天神宮ができたらしい。
- どうもこの地は元々菅家の領地だったらしい。そういえば、この界隈、道真公を祀る神社多いよなあ。。。
- 佐太の地名の由来は、道真がこの地で無実であるという宇多上皇の沙汰を待ったからという言い伝えもある。
- 周りは普通の住宅街。西には寝屋川バイパスが有り、その向こうには淀川が流れている。
- さぞややかましそうな土地だが、神社境内は、それなりの森になっていて静か。
- 付近には来迎寺があったり、昔は陣屋があったりして、それなりに歴史を感じる。
- 天神宮の名の通り菅原道真公を祀ってるのに、なぜかさだ戎の異名を持つ。
津嶋部神社[編集 | ソースを編集]
- 庭窪エリアのそこそこ歴史がある神社。
- 延喜式神名帳に載ってたんだから平安時代にはあった。
- 北河内の神社らしく、御神木はクスノキ。
- 名前からも分かる通り、元々対馬江(寝屋川市)にあったらしい。
- 今でも対馬江地区はこの神社の氏子地域。
- 地味な話だが、狛犬が大阪府内においては現存する最古の狛犬らしい。因みに慶長13年(1608年)のものらしい。
- 津島女大神を主祭神としている。あと、素戔嗚命と菅原道真も祀っている。
- 寝屋川とか守口、菅原道真を祀ってる神社多くね?
- 現在の社殿は元禄年間に建てられたもの。
- 茨田郡で一番の神社だったらしい。
- 境内は枝切街道沿いにある。街道の向こう側は寝屋川市。
高瀬神社[編集 | ソースを編集]
- 守口の式内社(2つ目)。
- 聖武天皇の勅願で建てられた神社らしい。
東大阪市の神社[編集 | ソースを編集]
石切神社[編集 | ソースを編集]
- デンボ(できもの)の神様として有名。
- デンボの本来の意味は、当社の社家に伝わる独特のおまじない「伝法」のことだとか。
- 余談だが近鉄奈良線の「石切」駅からは阪神なんば線の「伝法」駅へは乗換なしで行くことができる。
- デンボの本来の意味は、当社の社家に伝わる独特のおまじない「伝法」のことだとか。
- 是非、奥宮にも御参りください。
- 公式の境内図には記載されていないので、存在を知る人はかなり少ない。
- 崇神天皇の頃から存在するらしい。
- ただし、その証拠となるべき記録は、幾たびの兵火などで焼けて存在しないらしい。
- 近鉄奈良線の石切駅から参道商店街があるが、通常と異なり駅から神社に向かって坂を下っていく形。
- 実はメインの参道は元々こちらではなく、反対側だった。大軌(近鉄奈良線の前身)が通って参道商店街が新たにできた形。
- 元々の参道だった方にも近鉄けいはんな線の新石切駅ができ、参拝客の流れが元に戻りつつある。
- 近鉄奈良線石切駅から南東へ向かうと上之社があるのだが、本社(下之社)に比べると地味な存在。
- 存在は知っていても、坂を登るのを嫌ってあえて行かない人がいるはず。
- 祭神の饒速日尊は元々こっちで祀られてたが、明治時代に可美真手命を祀る下之社(今の本社)へ合祀された。
- 某刀剣イケメン擬人化ゲームのおかげで、巡礼地と化した。
枚岡神社[編集 | ソースを編集]
- 通称元春日
- 春日大社の神様の内、半分はここから持って来てもらったらしい。
- 藤原氏(中臣氏)の氏神と比売神を分霊した。
- 春日大社の神様の内、半分はここから持って来てもらったらしい。
- ちょっとした梅の名所として知られる。
- ウイルスに感染して全て伐採されたとか…。
- 梅が植えられてた場所は、当社の神宮寺跡地だった。
- 河内国一の宮を名乗っている。
- 他に枚方市の片埜神社も名乗っている。
- 「まいおか」ではない。
- 「枚方市」を知っている人なら、初見でも読めるかもしれない。
- 近鉄奈良線枚岡駅の大阪方面のホームを降りれば、すぐ目の前が参道という、かなりの駅近物件。
- 生駒山へ向かうハイキングコースを辿れば、神津嶽本宮に行ける。
瓢箪山稲荷神社[編集 | ソースを編集]

- 東大阪市瓢箪山
- 日本三大稲荷神社の一つを自称しているらしい。
- でもどこからも認められていない模様。
- 瓢箪山という地名の由来。
- 瓢箪山は実は双円墳らしい。前方後円墳とか前方後方墳はあるけど、両方共円墳というのは珍しいかも。
- その古墳は境内の東側の竹林にあるが、小さめの鳥居がたくさん建てられている。
- 瓢箪山は実は双円墳らしい。前方後円墳とか前方後方墳はあるけど、両方共円墳というのは珍しいかも。
- 辻占発祥の地。ここの宮司が江戸時代に始めたのが、あっという間に広まって辻占いというのが、今や誰もが知る占い方法になったとか。
- 性別・服装・持物、同行人の有無、その人の向かった方角などで総合的に判断するのが、今でもここで行われている正統派な辻占。煎餅は関係ない。
布施戎神社[編集 | ソースを編集]
- 東大阪市布施
- 昭和初期に、西宮戎からえべっさんを勧請したのが始まり。
- 歴史の割に結構人の入りが激しく、割といつも賑わっている。
- 案内がなければどこにあるかわかりにくい。だからなのか、布施の商店街の中に「布施戎神社 ココ」と書いた大きな看板がある。
鴨高田神社[編集 | ソースを編集]
- 東大阪市高井田元町
- 意外と古い歴史があるみたい。
- 現在の社殿は1907年(明治40年)再建。
- +673年(白鳳2年)に古代豪族の鴨氏がその開祖である大鴨積命を祀ったのが始まりだとか。
- 大正時代に枯れてしまったものの、まだその一部が残っている楠の木にまつわる伝説はちと恐ろしい。
- この木、お駒楠という名前があるが樹齢1,000年超らしい。
- 神仏習合が許されていた時代には、長栄寺の鎮守だったとか。
- 延喜式内社にのせられた古社。
- 速須佐之男命、大鴨積命、神功皇后、応神天皇を祀っているらしい。
- 石灯籠が並ぶ中を本殿につながる参道が伸びる。ちょっと絵になる。
長瀬神社[編集 | ソースを編集]
- 東大阪市衣摺
- 祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照皇大神、素戔嗚尊、保食神、少彦名命、菊理姫命、品陀和気命、菅原道真を祀る。
- 祭神が多い神社は歴史がないことが多いが、ここもご多分に漏れず明治期の創建。
- 旧長瀬村の神社にあった複数の神社を、明治期の一町村一社運動の影響で合祀した結果こうなった。
- 長瀬神社の歴史をたどると、元々衣摺村にあった波牟許曽神社という延喜式内社にもなっていた神社も含まれている。
- そういう意味では歴史があるが、現在は元々波牟許曽神社のあったところに、波牟許曽神社が復されているため……
栗原神社[編集 | ソースを編集]
- 東大阪市吉原
- 延喜式神名帳に載ってたんちゃうかと言われている神社。
- 神名帳にはこのあたりに「吉原神社」という神社があったと書かれているんやけど、それがこの神社なのかが定かではないらしい。
- 「北の宮」と呼ばれている。
八尾市の神社[編集 | ソースを編集]
恩智神社[編集 | ソースを編集]
- 河内国二宮
- 元々名神大社だった。
- 春日大社の猿楽は、江戸時代まではこの神社が演じることとなっていたらしい。
- 雄略天皇の御代に創建されたらしい。
- 大御食津彦大神と大御食津姫大神を祀る。
玉祖神社[編集 | ソースを編集]
- このあたりに住んでいたとされる玉造部の人たちの神様を祀る。
- 国指定重要文化財になっている古文書があるらしい。
- 大きな楠木が植わっている。大阪府指定天然記念物。
天照大神高座神社[編集 | ソースを編集]
- 教興寺の山の中にある落ち着いた雰囲気の神社。
- 天照大神を祀る。
- 479年(雄略天皇の御代)に伊勢から遷座してきたらしい。
- 本殿が岩盤の上にある。なかなkすごい所に立っている。
弓削神社[編集 | ソースを編集]
- 弓削町
- 一説には恩智神社についで河内国三宮だったとする説もある神社。
- 延喜式神名帳では式内大社だったが、旧社格は村社という神社。
- 物部氏の地元らしく饒速日命と可美麻治命を祀る。
柏原市の神社[編集 | ソースを編集]
鐸比古鐸比賣神社[編集 | ソースを編集]
- 大県
- 鐸比古命と鐸比賣命を祀る。
- どっちも読めん。
- 鐸比古命は、和気清麻呂の先祖らしい。
- 高尾山が御神体。山腹に磐座がある。
藤井寺市の神社[編集 | ソースを編集]
道明寺天満宮[編集 | ソースを編集]
- 道明寺~、と名乗りながら、道明寺より古いらしい。天満宮、と名乗りながら、天神さんよりも昔からあるらしい。
- そもそも大昔からここにいた土師氏の氏神さん(かつては土師神社)。で、菅原道真さんはその氏族。道明寺とは明治の寺社分離以前は一体だったわけだし。
- なお、最初から存在する土師神社は、「元宮」として現在も境内に鎮座している。
- 道明寺駅の隣には土師ノ里駅もある。
- そもそも大昔からここにいた土師氏の氏神さん(かつては土師神社)。で、菅原道真さんはその氏族。道明寺とは明治の寺社分離以前は一体だったわけだし。
- 歴史があるだけに平安、鎌倉時代とかの古い宝物も所蔵している。それこそ天神さんの時代のとか。
- それらを納めた宝物館が境内にあるが、年間決まった日にしか一般公開されない。
- 自分は正月3が日に初詣した時に見た記憶がある。
- それらを納めた宝物館が境内にあるが、年間決まった日にしか一般公開されない。
- 天満宮らしく、梅林は有名。本殿の裏手。
- 他にも「おじいさんの木」と呼ばれる巨木が、境内のあちこちに立っている。
- 「大阪みどりの百選」にも指定されている。
- 結婚式・披露宴会場併設。それくらいなら大きい神社ならあちこちにあるが、ここの宮司さんは日本で唯一、ウエディングプランナーの資格を取得してはるそう。
- 最寄り駅の近鉄の道明寺駅は近鉄の中でも最古だが、この路線・この駅はこの神社の参拝客のために作られ、この神社の祭りに間に合わせて開業したらしい。
- 南にある神門から、道明寺駅方面へ少し歩いたところに、「夏水井」という井戸がある。
- 菅原道真が、ある夏の時期に、道明寺で写経をした時に使ったといわれる。
- 東側から眺めたらよく解るが、小高い丘の上に神社が建っている。
- 古墳時代はこの周囲に、埴輪を製造する登り窯がたくさん建てられていた。
- 2019年に入り、古墳群の世界遺産登録に合わせて、埴輪を推している。
- 埴輪を造っていた土師氏の神社なんだから、むしろプッシュするのが遅すぎたほど。
- 埴輪の形をした「はにわみくじ」の授与を開始。
- 夏水井の近くに埴輪窯を1基復元した。
- 窯の中を覗くと、これまた復元した埴輪が並べられている。
辛国神社[編集 | ソースを編集]

- 藤井寺
- 街中にある神社なのに参道が立派。
- 元・物部氏の氏神神社、今・春日神社(藤原氏の氏神神社)。
- 諸行無常をスゴく感じます…。
- すぐ近くには葛井寺が。
- 祭神のスサノオは、かつて葛井寺の境内に存在した長野神社から移された。
- 参道の鳥居は長野神社から移設されたもの。
- 祭神のスサノオは、かつて葛井寺の境内に存在した長野神社から移された。
志貴県主神社[編集 | ソースを編集]
- 実は河内国の総社だったところ。
- その名残が今も地名に残っている。
- 延喜式神名帳には大社として記載されていた。
- 楠木正成が信仰していたらしい。楠木氏の衰退とともに神社も衰退したとか。
伴林氏神社[編集 | ソースを編集]
- 読めない。
- とものはやしのうじじんじゃと読む。当たり前やけど変換もできまへん。
- 大伴氏の祖神である道臣命を祀っている日本で唯一の神社。
- 道臣命は軍神であることから、西の靖国神社として崇められ、戦時中に村社から府社に昇格した。
羽曳野市の神社[編集 | ソースを編集]
壺井八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 鶴岡八幡宮の親玉。
- 元々源氏は河内国壺井地区を本拠地としており、壺井八幡宮は河内源氏の氏神様だった。
- 源氏が東国進出のため鎌倉に下って行った結果、後から先祖が信仰していた神社を勧請した形だそうな。
- 因みに、鶴岡八幡宮が源氏の氏神様となった後は、分家の石川源氏の氏神様となったとか。
- 源氏が東国進出のため鎌倉に下って行った結果、後から先祖が信仰していた神社を勧請した形だそうな。
- 元々源氏は河内国壺井地区を本拠地としており、壺井八幡宮は河内源氏の氏神様だった。
- 源義家愛用の太刀などが伝わる。
- 境内のどでかい楠が見事。
- 大阪みどりの百選の1つにも選ばれている。
- 今の社殿は徳川綱吉が再建した。
- 近くには綱吉側近として生類憐れみの令の公布を綱吉に促した隆光の墓もある。
- 墓とは書いたものの、実際には墓というよりは、墓石がぶどう畑の脇に打ち捨てられて居るだけと書いたほうが良さそうである点は悩ましいところだが……
- 近くには綱吉側近として生類憐れみの令の公布を綱吉に促した隆光の墓もある。
白鳥神社[編集 | ソースを編集]
- 古市駅東側の丘の頂上にある。
- 元々、峯ヶ塚古墳という墳丘の頂上にあったものが移転した。
- 峰ヶ塚古墳は、元々、白鳥陵と呼ばれる日本武尊の变化なさったお姿である白鳥が降り立たれた場所の1つと比定されていたが、後に軽里大塚古墳という近隣の別の古墳がその地であると分かり、白鳥神社の伝承や威光は少々水をさされた感じになった。
誉田八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 誉田別尊という名前もお持ちであった応神天皇を祭神とする。
- 応神天皇陵の南に位置しており、応神天皇陵を水濠越しに遥拝する。
- 西暦559年、任那の復興を目指した欽明天皇が応神天皇を神格化しお祀りしたことに始まる。
- 八幡宮大好き人間だった源頼朝によって社殿が修復された。その影響で、武家の信仰を篤く受けた。
- 織田信長が社領をすべて没収したかと思えば、豊臣秀吉や徳川将軍家が保護したりで、なんやかんやで現在に至る。
- 明治期の廃仏毀釈運動が始まるまでは、誉田八幡宮そのものより、その神宮寺のほうが大きかったらしい。
- 神社なのに参拝時間に制限がある。
- 夕方17時ころで閉門となる。
富田林市の神社[編集 | ソースを編集]
美具久留御魂神社[編集 | ソースを編集]
- 美具久留御魂大神という大蛇の神様を祀る。
- 下水分社とも呼ばれた神社。美具久留御魂大神以外にも建水分神社で祀っている神様を祀っているため。
- 上社は建水分神社らしい。
- 延喜式神名帳が編纂されたときには河内国二宮にして石川郡総社とされたらしい。
千早赤阪村の神社[編集 | ソースを編集]
建水分神社[編集 | ソースを編集]
- イージス艦こんごうの前身である戦艦金剛に分社があった。
- 楠木正成の氏神を祀っている千早赤阪村の郷社であると同時に金剛山の鎮守社。金剛山頂には葛木神社があんのに……
- 神社の造りが独特の様式で水分造という名前までついている。
堺市の神社[編集 | ソースを編集]
開口神社[編集 | ソースを編集]

- 堺市内にある神社。
- 神社やっちゅうてはんのに、通称が「大寺」。
- 竹内街道の起点。
- 「あぐちじんじゃ」と読む。断じて、関口(せきぐち)神社ではない。
- というか普通に読めない。何も知らないと「かいこうじんじゃ」と読んでしまう。
- 毎年10月の堺まつりの時は境内でイベントが行われる。
方違神社[編集 | ソースを編集]
- 堺区
- 「かたちがい」ではないらしい。
- この辺に摂津・河内・和泉の3国境があったという。
大鳥神社[編集 | ソースを編集]
- 西区鳳北町
- 全国の鳳信仰の大元締め。
- 大鳥大社なのか、大鳥神社なのかはっきりせえへん。
- 正式名称は「大鳥神社」だけど、下記の通り名神大社と官幣大社に選定された過去から「大鳥大社」を自称している。
- 延喜式神名帳では、名神大社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
- 和泉五社の1つで和泉国一宮でもある。
- かつて境内には、行基が創建した神鳳寺があったが、明治の神仏分離で廃寺。
- 寺の所有物は、堺市内にある光明院へ移された。
- 2018年の台風21号でどえらい被害に遭い、名物だった八角柱鳥居も倒れてしまった。
- 渡御祭で使う御旅所は、住吉大社の宿院頓宮を共用している。
金岡神社[編集 | ソースを編集]
- 北区金岡町
- 巨勢金岡ゆかりの神社。
- この辺で巨勢金岡が筆を洗ったとかなんとか言われている。
- 竹内街道沿いにある古社。
- 御神木はクスノキ。堺市指定保存樹木になっている。
百舌鳥八幡宮[編集 | ソースを編集]
- 北区百舌鳥赤畑町
- 神功皇后が三韓征伐から帰ってきたときに、ここで何万代にも渡って良い世の中を作るという誓いを立てたらしい。
- 樹齢800年くらいとされるクスノキの大木がある。
- 月見祭で繰り出される布団太鼓がなかなか。
- 泉州なのに、なぜか地車ではなくて、河内で多い布団太鼓が出ることは突っ込んではいけない。
桜井神社[編集 | ソースを編集]
- 南区片蔵
- 上神谷八幡宮の通称がある。
- 拝殿が国宝指定。
- 延喜式神名帳の式内社。
- 神門が立派にできとる。
- どことなくお寺チックなのは、神仏習合の名残り。
- 知名度は低いけど、実は府社。
菅生神社[編集 | ソースを編集]
- 美原区菅生
- 菅原道真と天児屋命を祀る。
- 元々は天児屋命だけを祀る神社だった。なんでもこの辺りにいた菅生氏というのが中臣家の末裔らしく、祖神を祀った感じだったらしい。
- 菅生天満宮の異名を取る。
- 地名、社名が菅生だから、きっと菅原道真はここで生まれたんだろうと考えた、胡散臭い坊さんのせいで菅原道真が祀られ、こんなことになった。
高石市の神社[編集 | ソースを編集]
等乃伎神社[編集 | ソースを編集]
- 取石
- 高石だんじり祭りのだんじりが宮入りする。
- 主祭神は天児屋根命。因みに中臣氏、藤原氏の祖先神。
- この地は中臣氏の領地だったらしく、その系譜につながる藤原仲麻呂が子供の頃、逗留したことがあったとか。
和泉市の神社[編集 | ソースを編集]
信太森葛葉稲荷神社[編集 | ソースを編集]
- 葛の葉町
- 葛葉伝説の神社。
- 葛の葉狐は安倍晴明の母と伝えられている。
- なので、安倍晴明ゆかりの神社ということになる。
- 狐を祀っている神社でもあるので。
- マイナーなほうの名古屋めし「志の田うどん」と言う名前のルーツがある。
- 葛の葉狐は安倍晴明の母と伝えられている。
- 最寄り駅もかつて「葛葉稲荷」を名乗っていた。
聖神社[編集 | ソースを編集]
- 王子町
- 和泉五社の一つ。和泉国三宮
- 神武天皇東征の際に瓊々杵尊を祀ったのが、当社の始まり。
- 今の社殿は豊臣秀頼公が建てたやつ。
- 東国の狸が大阪夏の陣を前に、秀頼はんに銭をばらまかせたおかげで摂河泉と京都の寺社は、豊臣家寄進の社殿が仰山残っとる。
- 本社も末社も本殿は重文。
- 鎌倉時代の『和泉国神名帳』によれば、神階は正一位。
- 境内からそこそこ離れた熊野古道沿いに一の鳥居がある。デカイ。
泉井上神社[編集 | ソースを編集]
- 府中町
- 和泉国総社。
- ここには和泉五社の総社がある。本殿は重文指定。
- 建てたのはやっぱり豊臣秀頼公。
- 神功皇后が三韓征伐へ行く途中、この辺に立ち寄ったところ、泉が湧き出たためらしく、三韓征伐からの帰りに当地に立ち寄り神社を築いたことに始まるとか。
- 因みに、「和泉国」の由来は、この霊泉。因みに豊臣秀吉はこの泉の水で茶の湯をやったらしい。
泉大津市の神社[編集 | ソースを編集]
泉穴師神社[編集 | ソースを編集]
- 豊中町
- 和泉五社の一つ。和泉国二宮。
- 鎮守の森は大阪府みどり百選に認定されている。
- 栲幡千千姫命という織物の神様を祀る。
- 繊維産業の街、泉大津らしい。
岸和田市の神社[編集 | ソースを編集]
積川神社[編集 | ソースを編集]
- 積川町
- 和泉五社の一つ。和泉国四宮