奈良の神社
奈良市[編集 | ソースを編集]
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北和・西和[編集 | ソースを編集]
石上神宮[編集 | ソースを編集]
- 鶏が仰山居る庭の雰囲気がいい。
- ここの鶏は木の上に跳び上がることができる。
- 夜になると木の上へ飛んで眠る。
- ここの鶏は木の上に跳び上がることができる。
- 百済王が日本に献上したとされる七支刀が今でも隠されている。
- 元々は武器庫の役割があったとか。
- 古代朝廷の武器調達を担当した物部氏が祭祀を行っていて、現代も物部氏の後裔が宮司を受け継いでいる。
- 物部氏の氏神である、宇摩志麻遅命も祀られている。
- 平安時代の桓武天皇の時に、納められていた大量の兵仗を京都へ運び出したことがあったが、延べ15万7千人の人手がかかったとか。
- しかし、桓武天皇が病気になったりと、ろくでもない出来事が頻発したので、 僧侶にお経を詠ませて兵仗を石上神宮へ戻させた。
- 古代朝廷の武器調達を担当した物部氏が祭祀を行っていて、現代も物部氏の後裔が宮司を受け継いでいる。
- 御朱印には通常バージョンの他、七支刀を模した印が押されている特別バージョンが存在する。
- 七支刀は宝物収蔵庫に保管されているが、ごく稀に博物館へ展示されることがある。
- 通常出展されるものはレプリカだが、本物が出されることも。
- 元々は武器庫の役割があったとか。
- 神社の敷地内を東海自然歩道が抜ける。
- 桜井側から天理へやってくると鳥居などを一つもくぐることなく、気がつけば石上神宮の中にいる状態。
- 現存する神宮としては日本最古だとか。
- ただし、興福寺と抗争を繰り返したり、織田信長の勢力に負けて没落して以降は、神宮号を廃止されていた期間がある。
- 天武天皇の時代に、各豪族から預かっていた宝物をその子孫へ返却して以降、神宮の名が消滅していたっぽい。
- 「神宮」とは、今でこそ天皇とその祖先を祀る場所という意味だが、昔は神宝を納めていた場所のことを指していた。
- 天武天皇の時代に、各豪族から預かっていた宝物をその子孫へ返却して以降、神宮の名が消滅していたっぽい。
- ただし、興福寺と抗争を繰り返したり、織田信長の勢力に負けて没落して以降は、神宮号を廃止されていた期間がある。
- 御神体の布都御魂剣は、境内の禁足地に埋められているとの伝承があった。
- 明治になって、ここを発掘したら、本当に出てきた。
- 出土した布都御魂剣を祀る本殿を作ろうと、地面を掘っていたら、今度は天羽々斬剣が出てきた。
- ちなみに鹿島神宮に納められている布都御魂剣は、奈良時代~平安時代初期に作られた二代目。
- 明治になって、ここを発掘したら、本当に出てきた。
- 起死回生にご利益がある「御神劔守」は、そのデザインも相まって、全国的に珍しいお守りなんだとか。
- バスの本数が少なくて交通の便が悪い。
- 天理駅から歩くと30分くらいかかるが、「歩くことで余計な邪念を祓えるんだ!」とポジティブに考える人もいる。
- しかし道中で、天理教の関連施設を嫌と言うほど見せつけられるせいで、気が滅入ってしまう。
- 逆に言うと、アクセスが悪いおかげで外国人観光客はほとんど訪れないので、ゆったりと過ごせる穴場スポットだったりする。
- 天理駅から歩くと30分くらいかかるが、「歩くことで余計な邪念を祓えるんだ!」とポジティブに考える人もいる。
大和神社[編集 | ソースを編集]
- 天理市
- 遣唐使が出国するときは、参拝していたんだとか。
- 奈良に京があった頃は、伊勢神宮に次ぐ力を持っていたが、平安遣都で衰退していった。
- 社名は「大和」と書いて「おおやまと」と読む。
- 初見の人は絶対「やまと」と読む。
- 戦艦大和の艦内神社にも分霊されていた。
- 戦後になって、坊ノ岬沖海戦で戦没した日本海軍艦艇の乗員を合祀している。
- 日本海軍戦艦の艦内神社は、主に旧国の一宮が分霊されているが、大和は例外だった。
- 普通なら大和国一宮の大神神社になりそうなもんだが、遣唐使が航海の安全祈願をしていたエピソードから、大和神社が選ばれた。
- 一の鳥居から二の鳥居までの参道の長さが、大和の全長とほぼ同じ270m。
- なお参道の幅は、大和の艦幅の約1/5。
- 大和関連の模型や絵画をなど集めた展示室があるが、展示と言うよりは置いてるというか…。
- お守りとかステッカーとか授与品は大和尽くしで、お土産には困らない。
- なかでも大和の土鈴は、デフォルメ具合が絶妙で可愛い。
- いくら戦艦大和繋がりでも、宇宙戦艦ヤマトとはコラボしない模様。
- YouTubeの公式チャンネルで、参拝する様子の動画を上げた「ネット遥拝」サービスなんかもしている。
- 国土の神「日本大国魂大神」を祀る。
- もう名前からして神々しい。
- 最初は宮中で、天照大神と一緒に祀られてたが、あまりに神々しくてヤバイということで外へ出された。そうして出来たのが大和神社。
- 一緒に追い出された天照大神は、あちこちを転々としたあと伊勢神宮に落ち着いた。
- 最初は宮中で、天照大神と一緒に祀られてたが、あまりに神々しくてヤバイということで外へ出された。そうして出来たのが大和神社。
- 建設系やインフラ系の関係者から信仰がある。
- 境内社の増御子神社と高龗神社も、何気に凄い神様がおられる。
- 宮中で祀られたほどの格上の神様の割りには、日本書紀にしか記載がなく、その内容も薄いおかけで存在が謎過ぎる。
- 大国主神の別名説やら、大和国の地主神説がある。
- もう名前からして神々しい。
- どうしても規模や歴史では近くにある大神神社に、華やかさでは春日大社や石上神宮に目が行きがちだが、こっちも十分に歴史と趣がある神社だ。
- 日本最古の神社を自称している。
- 創建時から社殿がある神社ではうちが最古、ということらしい。
- 一般的に大神神社が日本最古とされるが、あそこは山自体を信仰していたので、元々は社殿が無かった。
- 創建時から社殿がある神社ではうちが最古、ということらしい。
- 境内摂社の高龗神社は、全国で高龗神を祀る神社の総本社。
和爾下神社[編集 | ソースを編集]
- 天理市
- この地域を支配した和爾氏およびその一派である柿本氏の氏神神社。
- 古墳の上に建っている。
- 古墳の近くに神社が造られるのはよくあるが、古墳の上に建てられるのはかなり珍しい。
- その古墳の名称は「和邇下神社古墳」。
- 明らかに神社よりも古墳の方が先に造られてるはずなのにこの名前。
- 南北朝時代は、北朝軍が境内を陣地として使っていたとか。
- かつて境内には柿本寺(しほんじ)という柿本氏の氏寺があったが、明治時代に廃寺。
往馬坐伊古麻都比古神社[編集 | ソースを編集]
- 長ったらしい名前なので、普通は「生駒神社」だとか「往馬大社」と言われる。
- 大社と呼ばれているが、実際は県社だった。
- 延喜式では官幣大社だから間違っていない。
- 大社と呼ばれているが、実際は県社だった。
- 生駒山の神様2柱を祀っており、火を司る神とされる。
- 鎌倉時代に八幡神5柱が合祀される。
- 伊古麻都比古神と伊古麻都比賣神は、生駒山にたくさんいる神様の総称らしい。
- 天皇が即位後に行う大嘗祭に、火燧木を代々献上している。
- 鳥居から拝殿に至るまで、急な石階段があるので、体力ない人にはきついかも。
- でも境内の両脇に坂道があるので、一応バリアフリーにはなってる。
龍田大社[編集 | ソースを編集]
- 三郷町
- 風神様が有名。
- JR三郷駅に設置されている当社のPR看板に描かれている風神様が、「かぜに改源」のCMに出てきそうなデフォルメ感。
- 国鉄末期に最寄り駅として三郷駅が出来て、参拝しやすくなった。
- 三郷駅から龍田大社へ向かう道中には、末社の神奈備神社がある。
- かなり小さい神社だが、かつては万葉歌にも詠まれるほどには知られてる場所だった。
- 三郷駅と王寺駅のホームには、当社の宣伝を兼ねた黄緑色の灯籠が建っている。
- 三郷駅から龍田大社へ向かう道中には、末社の神奈備神社がある。
- 社前の駐車場の隣に、幼児が遊べる規模の公園があるので、幼児を連れての参拝も安心。
- かなり古い鉄製の消防ポンプが展示…というより放置されている。
- 軽巡洋艦龍田の艦内神社だった。
- 境内に大砲と砲弾が展示されているが、あれは龍田の艦砲ではなく、日露戦争時に陸軍が使っていたもの。
- 末社のおいなりさんとえびすさんも信仰が高い。
廣瀬大社[編集 | ソースを編集]
- 河合町
- 水の神様。
- 実は、伊勢外宮の豊宇気比売大神、稲荷神社の宇加之御魂神と同じ神様。
- なのだが、境内には末社として稲荷社もある。
- 水の神様というが、正確には川の流れを緩やかにして洪水を起こさせないようにする治水専門の神様である。
- 実は、伊勢外宮の豊宇気比売大神、稲荷神社の宇加之御魂神と同じ神様。
- 毎年2月11日に行われる「御田植祭」は、境内にいる人同士で無差別に砂をかけ合う奇祭として有名。
- 祭りの様子は、砂を「かける」と言うよりは「ぶつける」という言葉がしっくりくる凄まじさ。
- 祭りの当事者と、祭りに慣れている一般人は、ゴーグルにマスクにレインコートを着用するなど、防護装備を纏って参加する。
- 当日の関西各局のニュースで、祭の模様を必ず取り上げられる。
- 当然、現地取材班のスタッフ達も無事に済むわけがなく…。
- 祭りの様子は、砂を「かける」と言うよりは「ぶつける」という言葉がしっくりくる凄まじさ。
- 二の鳥居の前に、日露戦争時に使われた大砲とその砲弾が展示してある。
- 拝殿に行く前に、先に祓戸社で参拝して、罪を祓い清めるのが礼儀なんだとか。
- いくつもの支流が大和川へ合流する場所にある。
- 境内は森に囲まれているので、川沿いにあるとは感じず、不思議な気分になる。
- 特に参道はいい雰囲気なのだが、隣接する工場が木々の隙間からチラチラと見えてしまって興醒めする。
- 廣瀬さんの駐車場かと思って車を停めたら、工場の駐車場だったでござる。
- 特に参道はいい雰囲気なのだが、隣接する工場が木々の隙間からチラチラと見えてしまって興醒めする。
- 「沼地が一晩で陸地になった」の伝承にある通り、川の中洲に建てられた。
- 地面が砂で出来てるので、微妙に地盤沈下してきてる。
- 境内は森に囲まれているので、川沿いにあるとは感じず、不思議な気分になる。
- 昔から風水繋がりで、龍田大社とは縁が深い。
龍田神社[編集 | ソースを編集]
- 斑鳩町
- 龍田大社(三郷町)の誤記ではない。法隆寺の鎮守社として建てられた別物。
- なので、法隆寺の持ち物だったが、明治の神仏分離で独立させられる。
- ついでに、神宮寺だった伝燈寺も廃寺に。
- 京都の法界寺にある薬師堂は、伝燈寺の本堂を移築したもの。
- ついでに、神宮寺だった伝燈寺も廃寺に。
- なので、法隆寺の持ち物だったが、明治の神仏分離で独立させられる。
- 最初の祭神は龍田大明神だったが、いつの間にか龍田大社の風神に乗っ取られる。
- 明治初期から大正時代まで、龍田大社の傘下に入ってたことも。
- 境内のソテツは県の天然記念物。
薬園八幡神社[編集 | ソースを編集]
- 赤く塗られた塀がキレイ。
- 東西をお寺に挟まれているので、寺院っぽいテイストも漂う。
- 東にある薬園寺は元々同じ境内にあったのだが、明治の神仏分離で、無理矢理塀で区切られてしまった。
- 東西をお寺に挟まれているので、寺院っぽいテイストも漂う。
- 日本で2番目に古い狛犬がいる。
- しかもオスメスの特徴を有しているという、全国でも珍しい造形をしている。
- 参拝した時に、こっそりとお股を覗いてみよう。
- しかもオスメスの特徴を有しているという、全国でも珍しい造形をしている。
- 宇佐神宮の神様が、東大寺鎮守の手向山八幡宮へ移る前に祀られていた。
- 「薬園」と書いて「やくおん」と読む。
- 決して「やらおん」ではない。
源九郎稲荷神社[編集 | ソースを編集]
- 大和郡山市
- 規模は大きくないが、実は日本三社稲荷だとか近畿二大稲荷と言われるくらいに格がある。
- 源義経が崇拝のあまりに、自分の名前をあげちゃうくらいだし。
- すぐ近くに洞泉寺がある。
- 源九郎義経を祀る。
- 元々吉野の山奥にあった神社。郡山に引っ張ってきたのは羽柴秀長。
- 奈良の社寺に関する研究では芸能界最強の笑い飯哲夫さん曰く「羽柴家は農民の出で、自分たちの氏神・菩提寺的なのがなかったから守護神として呼び寄せたのではないか」とのこと。(奈良テレビの某番組にて)
- 元々吉野の山奥にあった神社。郡山に引っ張ってきたのは羽柴秀長。
郡山八幡神社[編集 | ソースを編集]
- 大和郡山市
- 野球選手にご利益がある。
- グラブ供養にも力を入れていて、中古グラブは綺麗に整備したうえで海外に輸出している。
賣太神社[編集 | ソースを編集]
- 大和郡山市
- 古代の天才学者・稗田阿礼を祀る神社。
松尾山神社[編集 | ソースを編集]
- 大和郡山市
- 松尾寺の鎮守社で、当寺の三重塔から更に上へ登った場所にある。
- 東にある奈良盆地を一望できる絶景スポットでもある。
- 御朱印は松尾寺の本堂か七福神堂で受け付けている。
- 寺院が、神社の御朱印を授与しているのはかなり珍しいケースかと。
- 読みは「まつのさん」。「まつおやま」じゃないよ。
中和・東和[編集 | ソースを編集]
橿原神宮[編集 | ソースを編集]
- 橿原神宮は奈良県で初詣客が最も多いが、国粋主義的な歴史のせいか、シンポテキな某A新聞の初詣ガイドで紹介されていなかった。
- 建国記念の日に橿原神宮を参拝した東北人は「すごくカルトだ」と呆れていた。実は彼らは長脛彦をお参りするつもりで来ていたらしい。
- 橿原神宮に行ったら神武天皇が日本を統一したと言うことになっていた。橿原市民にとって日本とは奈良盆地のことらしい。
- 建国記念の日になると、橿原神宮に右翼の街宣車が集結する。
- 建国記念の日と言わずに「紀元節」と言う。
- ただし、崇拝の対象は皇室ではなく自分(一種のカムフラージュ)。
- 今年(2007年)もわんさか集まってたかな?(by 大阪人)
- 近鉄は臨時列車「楽」を動かす唯一の日。
- 混乱を防ぐために毎年県警の機動隊が出動するらしい。
- 国道24号線沿いの住民は軍歌で目を覚ます日。
- なんでもない平日は平穏というか閑散としている。
- 鉄道ファンにとっては神宮そのものより近鉄の駅の方が有名。
- 2015年早々から京アニと組んで境界の彼方の絵馬を出すらしい。
- 他所から移築した建物がそこそこある。
- 本殿は1855年建立の京都御所の賢所だった。
- かつて存在した神楽殿は、京都御所の神嘉殿だったが、1993年に焼失してしまった。
- 文華殿は、1844年に建立された織田家旧柳本陣屋表向御殿。
- 境内には長山稲荷社がある。
- 橿原神宮創建以前から存在していたが、末社として組み込まれた。
- 近年になって専用の御朱印が貰えるようになった。
檜原神社[編集 | ソースを編集]
- 神社の境内を山の辺の道がぶった切っている。
- 山の辺の道をハイキングしている途中に、ここでひと休みする人が多い。
- 本社の大神神社へ参拝したついでに、こっちもお参りしようと思ったら、実はこの道を20分前後歩かないといけない。
- 軽い気持ちで歩いて後悔する人もいるらしい。
- 大和盆地越しに見た二上山が美しい。
- 穴虫峠に沈む夕日がこれまた綺麗なのだ。
- 元伊勢のひとつで、「倭笠縫邑」とはこの神社のこと。
- 倭笠縫邑の所在地については、他にも説があるけどね。
- 山自体を御神体としてるので本殿が存在しない。
- それどころか拝殿すらなく、独特な三鳥居が建つだけ。
- この三鳥居は、戦後に伊勢神宮の支援で建立された。
- 昔は大神神社と同様に拝殿があったが、江戸時代に倒壊してしまったらしい。
- 鳥居だけがあるという光景は、神社というよりは御陵(古墳)みたい。
- それどころか拝殿すらなく、独特な三鳥居が建つだけ。
大神神社[編集 | ソースを編集]
- 三輪山の山自体がご神体。
- 山体全部がと言う事だが、そうなると、参拝客はあろうことか土足で神様の足のあたりを踏んづけてることになりはしないだろうか……
- 山自体がご神体とか、昔は結構あったはず。なに、八百万に交わる神さんは足踏んづけられたくらいで怒ったりせぇへんよ。
- (神社から)怒られる行為は、山中での撮影と水分補給以外の飲食と火気の使用。
- 登山手続きは大神神社がやっているのかと思いきや、境内摂社の狭井神社の担当。
- バスガイドが「おおがみじんじゃ」と読み間違えることが多い件。普通に三輪大社って言っときゃいいと思うよ。
- 「おおみわ」神社やんね?三輪大社では片手落ちやん。
- ある説に従えば、天皇家は三輪の豪族の末裔らしい。ある意味始祖神的存在。
- だからなのか、公式には大神神社という正式名称を持つ普通の神社なのに、通称は三輪大社と天皇以外の皇族を祀る神社しか使えないはずの「大社」の称号を持っている。
- 天皇皇后が奈良へ行幸した時は、わざわざ立ち寄るしね。
- 山の辺の道は鳥居をくぐらずここへ入ってくることになる。
- 現存する神社としては日本最古とされている。
- ただし、初めから社殿を有する神社としては、大和神社が最古とされる。
- 摂末社は境内外にそれなりの数が存在するので、全てお参りするのは割りと大変。
- 国道169号近くにそびえ立つ大鳥居のインパクトが凄まじい。
- 遠くからでも目にしたら、この神社の存在を感じずにはいられない。
- そのおかげで、一の鳥居は影が薄い。
- ここの神の使いは白蛇なのだが、最近はウサギを推している。
- 境内社の狭井神社のご霊水がうまい。
- 古来から「くすり水」と呼ばれて崇められてたとか。
- 知恵の神様こと久延彦神社が境内に鎮座。
- マスコットキャラがふくろう。
- 現地へ足を運ばなくても世の中のことはなんでも知っている神様だから、不苦労(ふくろう)ってことらしい。
- ここで授与されてる「ふくろう守」は、ストレスリリーサーとしても使える優れもの。
- マスコットキャラがふくろう。
- 若宮として大直禰子神社がある。
- 祀られている大田田根子は、大物主の子孫であり、三輪氏や大神氏のご先祖さま。
- 元を「大御輪寺(三輪寺)」と言い、大神神社の神宮寺であった。
- 本殿は、お寺の本堂を無理矢理改造したもの。
- 古事記に登場する「緒環杉」の切り株が残っている。
談山神社[編集 | ソースを編集]
- 桜井市
- やたらと長い廊下で有名。秋には一段と人が増える。
- 大化の改新の素養はここで始まった。
- 廃仏毀釈前は寺だった。
- 藤原鎌足の息子で僧侶だった定恵が、父を供養するために十三重塔を建てたのが始まり。
- 同じ藤原氏によって建立された興福寺は、宗派が違うのでよく抗争していた。
- 蘇我氏に所縁がある曽我と小綱(共に橿原市内の地名)生まれの人間は、決してここへは参拝しなかったとか。
葛城一言主神社[編集 | ソースを編集]
- 人生で1つだけなら願いを叶えてくれるらしい。
- 実は神様の顔がブサイク。役行者にも冷やかされていたとか。
- しかも時代が下るにつれて、扱いが悪くなっていくという有り様。
- 古事記(712年):天皇が恐れをなす→日本書紀(720年):天皇と仲良くなる→続日本書紀(797年):天皇の怒りに触れて土佐国に流される→日本霊異記(822年):役行者に使役される
- しかも時代が下るにつれて、扱いが悪くなっていくという有り様。
- 茨城県常総市にも同名の神社があるが関係あるのだろうか?
- 葛城一言主神社は、全国に点在する一言主神社の総本社。常総市の一言主神社は、ここから分祀して建てられたもの。
高天彦神社[編集 | ソースを編集]
- 御所市
- 高天原にある。
- 実際に天孫降臨の地と言われる岩も裏山にある。
- 実は土蜘蛛の墓がある。だからと言ってなにか特別効果があるというわけではなさそう。
- ツチグモたって蜘蛛じゃなくって、天皇家よりも先にこの辺にいた一族だからね。
- パワーストーン(笑)と目されている岩がある。カエルっぽい岩というとわかるかも…… 行く事あったら探してみてね。
葛木神社[編集 | ソースを編集]
- 御所市
- 金剛山の最高地点を神域に抑えているため、パンピーが登頂できなくなるようにしている神社。
- え、葛城山じゃないの?と、混乱に陥れられる。
- というかかつてはあの辺りの山を全て葛城山と言った。大和葛城山と和泉葛城山があるのもそれが理由。
- 貝原益軒の本にも出てくるらしい。
- 「葛木の神社あり、大社なり」と書いてあるが、大社とは言い難い大きさ。絶対行ったことあらへんな……
- 一言主さんを祀っていたが、ある頃より、河内の運送屋とゴダイゴを祀るようになる。
- まあ、すぐ側に、国見城があったさかい、そうなってもおかしないわな。
飛鳥坐神社[編集 | ソースを編集]
- 明日香村
- 毎年2月の第一日曜日に行われる「おんだ祭」は、かなりヤバい奇祭。子供にはとても見せられない。
- 境内のあちこちに陰陽石が置かれている時点でお察し。
- 実は元伊勢。
高鴨神社[編集 | ソースを編集]
- 御所市
- カモ氏発祥の地に鎮座する、全国のカモ神社の総本社。
- 多数の品種のニホンサクラソウを生育している。
八咫烏神社[編集 | ソースを編集]
- ヤタガラスこと賀茂建角身命を祀る。
- サッカー日本代表のマスコットなので、サッカーボールを頭に乗せたヤタガラスの石像が置いてある。
- サッカーファンがわざわざ参拝しに来るらしい。
- サッカー日本代表のマスコットなので、サッカーボールを頭に乗せたヤタガラスの石像が置いてある。
- 中世に廃れてたのを、京都の下鴨神社が再興させた。
- でも地元からは、下鴨神社からの奉幣使参向の費用を負担させられることや、境外末社扱いされることを嫌がられ、明治初期に手を引くことになった。
吉野[編集 | ソースを編集]
丹生川上神社[編集 | ソースを編集]
- 水の神様を祀っている。
- お世辞にも大きいと言えるような神社ではないが、神武天皇の時代に創建された官幣大社。
- こっちは丹生川上神社でも中社の方で、旧名「蟻通神社」。
- 丹生川上神社認定が、他の2社の中で一番遅かった。
- なのに「うちが本物の丹生川上神社だ」と言い張ってるのはここだけで、意地でも「中社」の表記を入れない。
- 丹生川上神社認定が、他の2社の中で一番遅かった。
天河大弁財天社[編集 | ソースを編集]
- 歌舞伎ファン御用達。
- 内田康夫ファン御用達。
- 何故か近年再び脚光を浴び始めていると聞く。
玉置神社[編集 | ソースを編集]
- そこらじゅう杉の大木だらけの山の上にある。神秘的。
- ここに奈良が誇る大女優吹石一恵が奉納した柄杓がある。
- 玉置浩二ファンが反応する神社。
吉水神社[編集 | ソースを編集]
- 南北朝時代に、後醍醐天皇が行宮としていた場所。
- それより昔に、源義経も吉野に逃れた時にこっそりと住んでいたんだとか。
- 元々はお寺(吉水院)だった。
- 明治になってから、「天皇を仏式で供養するのはどうなのよ?」って周りから言われたので神社に変わった。
- しかし明治政府としては、自分達で後醍醐天皇を祀りたかったので、のちに吉野神宮を作った。
- 明治になってから、「天皇を仏式で供養するのはどうなのよ?」って周りから言われたので神社に変わった。
- 吉野神宮とは違い、後醍醐天皇の忠臣であった楠木正成と、後醍醐天皇らを擁護した修行僧の吉水院宗信も祀られている。
- 某はいてない麻雀漫画のおかげで巡礼地と化した。
- 書院に入るには観覧料がいるが、展示物の内容からすれば観る価値は十分ある。
- 豊臣秀吉が5000人を引き連れて、花見をしたのがここ。
吉野神宮[編集 | ソースを編集]
- 吉野町
- 明治天皇の意向で建立された。
- 社殿が北を向いているのは、京都へ帰りたがっていた後醍醐天皇の気持ちを汲んだから。
- 吉水神社から
ぶん取った移された後醍醐天皇像がある。 - 厄割玉で厄落としをする風習がある。
- 摂社には南朝の忠臣達7柱を祀っている。
- 毎月27日が御縁日で、この日限定の御朱印を頒布している。
- 運が良いと境内で野生の鹿を見かけることができる。
- 最寄り駅は近鉄吉野線の吉野神宮駅だが、ここから徒歩で向かおうとすると、坂道と急カーブの連続で相当しんどい。
- 行楽シーズンになると車とバイクがガンガン走ってくるので危ない。
勝手神社[編集 | ソースを編集]
- 吉野町
- 勝手にしやがれ
- 全国にある勝手神社の総本社。
- 本殿は、2001年の不審火で焼失して以来、現在まで存在しない。
- 再建されるまで、御神体は吉水神社に遷移されている。
丹生川上神社上社[編集 | ソースを編集]
- 川上村
- 大滝ダム建設のために高台へ遍座。
- 天空の社と言われる絶景は見もの。
- 割りと新しめの建造物には、伊勢神宮の古材が使われている。
- 旧社はダムの底へ沈んでしまった。
- 遍座前に発掘調査したら、縄文時代の遺跡が見つかった。
- 主祭神の高龗神は、大和神社摂社の高龗神社から分祀された。
丹生川上神社下社[編集 | ソースを編集]
- 上・中社より賑やかな印象。
- 絵馬発祥の地なので、境内でお馬さんが飼われている。
- 本来の丹生川上神社は、ここという説が濃厚。