奈良市の寺院
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東大寺[編集 | ソースを編集]
- 大仏
- これしか無いと地方の人は思っているらしい。
- 2回も火災に巻き込まれたので現在は土台、体、頭でそれぞれ作られた時代が異なっている。
- 御水取りが有名。わざわざ若狭小浜の遠敷地区から送ってもらっているらしい。
- 近年デジカメやスマホカメラの普及で、本来見られる筈の幻想的なファイアーアートが無様なことになっている。
- お水取りが終わると関西人は本格的な春の到来を実感する。ただお水取りの頃はいつも寒いような気がする…。
- お水取りが行われる二月堂はよく知られているが、実は三月堂も存在する。
- もっと小さい四月堂もある。
- 現在はクイズで有名になっている高校を創設した。
- 大阪万博のパビリオンを譲ってもらう予定だったが断念した。
- 七重塔型だったパビリオン(古河館)最上部にあった相輪だけ大仏殿近くに保存されている。
- 興福寺国宝館を意識してか、東大寺ミュージアムを作った。
- さすが東大寺だけあって優品は多いが、それでも国宝館に比べると少し落ちると思う。
- 常設展というわけではないのに、展示替えを全然しない。展示期間無期限とか始めてみたわ。
- 南大門の金剛力士像は阿形と吽形の配置が一般的な寺と反対。
- 寺域は広いが…境内に墓地は無いし葬儀も行わない。仏教を学ぶ場所である!という位置づけのため。仏教の総合大学的なところと思えばよかろうかと。
- 毎年5月2日に行われる聖武天皇祭は、GW中なのも相まってたくさんの観光客が集まる一大イベント。
- 式衆・稚児の練り行列に、舞楽の披露などは、神仏習合を強く感じる光景。
- 天皇殿と本坊経庫は、基本的にこの日しか公開されない。
- 三月堂のすぐそばにある手向山八幡宮は東大寺の鎮守社。
- 実は生駒市に、法楽寺という東大寺別院がある。
興福寺[編集 | ソースを編集]
- 【注意】鹿の放牧実施中【危険】
- 季節によって安全な時期とか危険な時期があるらしい。
- 公衆トイレもトイレットペーパーが食われるので、要閉扉。シカたがないね。
- 南円堂と五重塔と…… 上げりゃキリがない。
- マジメに全部回ったはずでも、絶対1個か2個は見落としている。
- 期間限定公開が多いのも落とし穴。
- 北円堂と仮金堂はゴールデンウィークと文化の日前後に公開。それ以外の施設も、現在進行中の工事費を捻出するためか、臨時に特別公開されるので下調べ必須。
- 子院として、菩提院大御堂が近くに存在するが、境内に立ち入る人は殆どいない。
- どの門も閉扉されていて、入っちゃいけないオーラが漂う。
- 実は鹿の侵入対策で閉扉してるだけなので、勝手に扉を開けて中を散策できる。
- まぁ、入りづらいのは、暗い由緒のせいもある。
- 専用の御朱印は中金堂近くの授与所で貰えるが、サンプルには載っていない。完全に裏メニュー扱い。
- どの門も閉扉されていて、入っちゃいけないオーラが漂う。
- 廃仏毀釈のせいで塀などが無くなり動線が分かりにくくなった。
- 今になってみれば悪い意味で「なんということでしょう」と言いたくなる。
- 国宝館は年中無休で、いつでも奈良時代の名品が見られるのが嬉しい。
- 多くの人のお目当ては当然阿修羅像だが、それ以外にも名品揃いなのでちゃんと見ましょう。最初の考古遺物は飛ばしてもいいけど。
- 康慶(運慶の父)の代表作・法相六祖像のうち2体は、すぐ近くの奈良国立博物館にのなら仏像館に常設展示されている。なら仏像館は常設とは思えないくらい仏像が充実しているので、時間に余裕があれば是非どうぞ。
- 食堂のご本尊だった、おっきな千手観音像も、ぜひ拝んどきましょう。
- 奈良公園は元々ここの境内だった。
- かつては他の寺や神社としょっちゅう抗争していた。
- 2018年に悲願だった中金堂の再建を果たした。
- あぁ、次は回廊と中門の再建だ…。
- その外観は、平城宮跡に復元された第1次大極殿とそっくり。
- 初代中金堂も、平城宮の大極殿を基にデザインされたらしい。
薬師寺[編集 | ソースを編集]
- 薬師如来がウンタラカンタラ……
- 70年代まで長らく安置されていたのは雨漏りのする粗末なお堂だったらしい。
- 五重塔が有名。
- 奈良時代からある塔と昭和になって再建された塔の2本がある。
- 五重塔ではない。三重塔に裳階がついている。東塔と言うのが一般的。再建された方は西塔。
- 近鉄橿原線車内から見える
- 塔をバックに走る近鉄電車の写真をよく見かける。
- 人の苗字でもある。
- 大分県に多い苗字らしい。
- それ、寺の噂ではなく、名字の噂なんじゃありませんかね。
- 「奈良・西ノ京ロータスロード」のお寺。
唐招提寺[編集 | ソースを編集]
- 平成の今、教科書にまで載るようになった奈良時代の美談誕生の地。
- 鑑真さんのお寺。
- そのせいで、唐風のあまり見慣れない造形の仏像が多数ある。
- 鑑真さんのお墓も境内にある。
- お墓に至る林道は、一面濃い苔に覆われていて、とっても幻想的。
- なお、鑑真は境内の伽藍が完成する前に没している。
- 幾度の戦火を免れたので、奈良時代の建築物が多く現存する貴重なお寺。
- 特徴的な造りの金堂は創建時に新築され、その北側にある講堂は平城京内にあった東朝集殿を移築・改造したもの。
- 境内に鎮守社の水鏡天神社があって、ここか管理している。
- しかし、唐招提寺の境内からは扉で封鎖されていて、直接参拝できないようになっている。
- お参りするには山門を出て、東にある秋篠川側から参道に入る必要がある。
- しかし、唐招提寺の境内からは扉で封鎖されていて、直接参拝できないようになっている。
- 近鉄橿原線の線路沿いにあるのだが、林で覆われているので、車窓からは全く見えない。
- 最寄り駅は西ノ京だが、それなりの距離を歩く。
- 夏になると唐招提寺蓮をはじめとした多種多様な蓮が咲き乱れる。
- 2014年から「奈良・西ノ京ロータスロード」というイベントに参加している。
- 他の寺院では、薬師寺、喜光寺、西大寺(2019年から)が参加。
- 2014年から「奈良・西ノ京ロータスロード」というイベントに参加している。
- 日本における律宗の総本山。
- 律宗そのものは唐で道宣が、鑑真和上経由で日本に伝わった南山律宗を開いている。鑑真和上は道宣の曾孫弟子に当たる。
正暦寺[編集 | ソースを編集]
- 清酒発祥の地。
- 紅葉と桜が美しい。
- ちょうど円成寺から小山を越えたところにある。ハイキングコースとしてもそこそこ知られていたりする。
円照寺[編集 | ソースを編集]
- 謎多き寺。
- 山村御殿の別名がある。皇族の女性がここへ入ったんだったかでついたらしい。
- 普段は一般公開されていないので拝観できない。
- 三島由紀夫の「豊饒の海」に出てくる月修寺は、このお寺をモデルにしている。
新薬師寺[編集 | ソースを編集]
- 「新」とつくが、最近出来たというわけではなく奈良時代の官立寺院だったりする。
- 塑像十二神将立像とかいうのがすごいらしい。すごいんだけど、誰が造ったかとか、造るよう指示したかなどその背景はさっぱり歴史の闇の中。神、いや神将のみぞ知る。
- 日本彫刻史では珍しい、激しい動きをもった神将像の傑作。「静」の仏像の傑作である、近くの東大寺戒壇院の四天王像とは対照的。
- 木造薬師如来坐像とか言うのがある。奈良時代のシルクロード文化の賜物らしい。
- 奈良から平安時代の過渡期に作られた仏像。定朝が登場するまでの平安時代前半は、時々凄く個性的な顔立ちの仏像が見られるが、ここのはその走り。
- 境内には、反乱を起こした藤原広嗣を鎮魂する神社がある。
- その南都鏡神社は、新薬師寺の鎮守社でもあり、広嗣公の御霊神社でもある。
- 創建時、立派な金堂や東西両塔がある、おっきな寺だった。
- しかし、いくつもの天災や平家の南都侵攻に遭って、ほとんどの建造物が失われてしまった。
- 現在の本堂は、元々別の用途で使われていた建物。
西大寺[編集 | ソースを編集]
- 真言律宗の総本山。真言宗とは関係ない。
- 宝山寺は大本山で、西大寺は総本山。ややこしいわ!
- 関係なくはない。ざっくりいうと南都六宗の一つだった律宗の中に真言宗の要素とか教義を取り込んだのが真言律宗。
- 悩ましいのは開祖である叡尊はむしろ真言宗の再興を目的に律宗の考えを取り込んだと思っていたところ。そうなると上記の表現は逆になってくる。
- ちなみに明治時代には律宗の最大派閥が真言律宗だった関係で、真言宗とは無関係の北京律宗や鑑真和上に連なる唐招提寺派まで、新政府に真言宗扱いされた。
- 後に律宗三派が合同で政府に掛け合って真言宗から独立している。一方で、真言宗各派が共同で運営している種智院大学や洛南中高の運営に携わるなど、真言宗との関係も続いている。
- 孝謙天皇と弓削道鏡が、聖武天皇よりも自分のほうが格上であることを示そうとして、張り合いでつけた名前らしい。
- 寺の名前そのものよりも近鉄の駅の方が有名な気が…。
- それでも大茶盛式は有名。
- それは鉄オタに限ってのことだと思料。一般人なら奈良に西大寺があることを知る人は多い。(ただし、東大寺との対比という観点でのネーミングインパクトによるところが大きいが。)
- 一般人とやらは「大和西大寺駅と言う名前なんだから、近くに西大寺があるんだろうな~」程度の認識だと思う(久宝寺駅って名前だから、久宝寺が存在していると最近まで思い込んでた私
- 岡山にも同名の寺があるが無関係。
- 西へ進むと鎮守社の「八幡神社」がある。
- ここにある行基菩薩坐像は、廃仏毀釈で荒廃してた時の喜光寺から譲られたもの。
- 「奈良・西ノ京ロータスロード」のお寺。
般若寺[編集 | ソースを編集]
- コスモスが見もの。十三重石塔と一緒に写真に移すと絵になる。
- 6月には紫陽花も綺麗に咲いてコスモスとコラボする。
- 実は、東大寺や興福寺、薬師寺などよりも歴史が古い。
- 護良親王が隠れたという経本入れがあるらしい。
- 近くにかつての奈良少年刑務所があった。
- 宿泊施設にリニューアルされる予定。
法華寺[編集 | ソースを編集]
- 実は新興宗教(光明宗(平成11年設立))の寺。
- とはいえ、奈良時代には国分尼寺の総元締だったらしい。
- 実は藤原不比等邸跡地だったりする。
- 鐘楼がちょっと洒落ている。豊臣秀頼が関ヶ原の役後建てたとかなんとか。
- 要は戦国のタヌキおやじが豊臣家の2代目のボンボンたぶらかして金使わせた一連の流れのうちの1つ。使わす方も使わす方やけど、使う方も大概やわ。
- 光明皇后がモデルとされる観音像があるらしい。
霊山寺[編集 | ソースを編集]
- 富雄の辺にあるバラ園の有名な寺。
- 京大農学部監修で世界のバラを集めてるそうな。見といて損はない。
- バラで知られているのに、何故か「関西花の寺」には加入していない。
- HPに載っている「様々なサービス」…… 「寺なのか、ここは?」と言いたくなる。
- 永代供養付き大霊園は分かるとしても、冷え性や肩こりに効能のある薬湯だの、大ゴルフ練習場だの……
- 鐘楼、本堂、鎮守社殿、三重塔。鎌倉時代に造られた重文や国宝物件も結構あるが、上の胡散臭い物の数々が、そういう物のありがたみを消してくれている気もする。
- とはいえ指定されるからには、やはりそれだけの価値があるわけで…… まあ、バラも込みで500円やし、損は無いです。
- でっかい鳥居があちこちにあるので、間違って神社に来てしまったのかと一瞬錯覚してしまう。
白毫寺[編集 | ソースを編集]
- 関西花の寺二十五霊場の18番札所。
- 参道の両脇に植わった萩が名物、という理由で指定されたとか。
- 一番の名物は奈良三名椿の1つ、五色椿。奈良県の指定天然記念物にもなっている。
- ここから見渡せる景色がとてもよい。
- 天気がよければ六甲山まで見えるらしい。
弘仁寺[編集 | ソースを編集]
- 一応奈良市内だがちょっと行けば天理市という、奈良市の端っこに立地。
- 虚空蔵山という小山の中にある落ち着いた感じの寺。
- 来る客といえば山の辺の道を歩くウォーカーくらいなもん。なので本当に静か。
- 木造明星菩薩立像というのがあるらしい。ただし、今は奈良国立博物館に寄託されていてここでは見ることができないとか。
- なんでもこの寺のある虚空蔵山はかつて星が落ちてきたことがある神聖な土地らしい。それで寺を建てたのが空海さん。
円成寺[編集 | ソースを編集]
- ならまちから柳生街道をえっちらおっちら登っていき、石切峠からさらに柳生方面へ進むこと約3km、国道369号線と合流してすぐのところにあるお寺。
- 大凡このあたりからが柳生の里。
- 山号が忍辱山と書く。読まれへん。
- 「にんにくせん」と読むが、音だけ聞くと臭そう。
- 多宝塔の御本尊は国宝大日如来像。
- 運慶が青年期に創ったそうで、この時期の運慶の作品の中でも特に評価が高い仏像の1つ。
- 庭園がこれまたなかなか……
- 隠れ里にある浄土風庭園という異名を取る。
福智院[編集 | ソースを編集]
- 御朱印や御朱印帳に描かれる、お地蔵様と観音様のゆるキャラがかわいい。
- 和歌山の高野山に同名の宿坊があるが多分無関係。
元興寺[編集 | ソースを編集]
- ならまちを代表するお寺。
- 建造物の屋根瓦の一部に、飛鳥時代のものが使われている。
喜光寺[編集 | ソースを編集]
- かつては菅原寺とも言われた、行基が開基して同地で亡くなったお寺。
- 聖武天皇の行幸の際に、ご本尊が不思議な光を放ち、それを天皇は喜び「喜光寺」という名前を贈った。
- 昔は興福寺、今は薬師寺の末寺。
- 本堂は「試みの大仏殿」とも呼ばれ、その設計は東大寺大仏殿の基になっている。
- 寺院では珍しく、本堂内部が撮影可能。
- 明治の廃仏毀釈によって荒廃しまくり、会津八一の歌にも詠まれるほどの惨状だったのに、現在では綺麗に整備されている。
- 鎮守社は菅原天満宮。
- すぐそばを、阪奈道路(奈良県道1号奈良生駒線)が通っている。
- 境内から見える光景がコンクリート高架というのは、なかなかエキセントリックである。
- 奈良大学が、大和郡山市の額安寺から広目天と多聞天の立像を購入して、修理と調査をしていたら、喜光寺のものと判った。
- どうも廃仏毀釈の際に、額安寺へ譲られたらしい。
- 2019年、150年ぶりに四天王が揃って「さとがえり公開」される。
- どうも廃仏毀釈の際に、額安寺へ譲られたらしい。
- 西大寺に安置されている行基菩薩坐像は、元々ここの所有物だった。
- 平成になってから、唐招提寺の行基菩薩坐像を複製し、行基堂を建造してそこに安置している。
- 「奈良・西ノ京ロータスロード」のお寺。
海龍王寺[編集 | ソースを編集]
- 遣唐使が出発前に、道中の無事を祈願していたお寺。
- 初代住職で遣唐使だった玄昉が、復路の航海で暴風雨に遭遇したので海龍王経を唱えたら、種子島へ漂着して辛うじて帰国できたことにちなむ。
- カッコいい名前のお寺だが、創建当初は「隅寺」などと呼ばれていた。
- 藤原不比等の邸宅(のちに娘の光明皇后の皇后宮)の北東の隅っこにあったから。
- なので法華寺と、めちゃくちゃ近い。
- 海龍王寺の前身は土師氏の建てた「土師寺」で、土師氏が藤原不比等へ土地を寄進した時に、そのまま残されたのが由緒。
- 平城京の条坊制整備の時に、東二坊大路がこの付近を迂回して一条南大路と交わっているのだが、これは不比等が土師寺を壊して道路を通すのを拒否したため。
- 藤原不比等の邸宅(のちに娘の光明皇后の皇后宮)の北東の隅っこにあったから。
- 般若心経の写経発祥の寺院。
- 全国の寺院にある般若心経の見本は、ここに納められた「隅寺心経」の原本を基に作られている。
- 参拝に来たみうらじゅんと一青窈の絵馬が展示してある。
- 仏像マニアの「はな」も、お気に入りの寺院のひとつにしてるんだとか。
- 住職(石川さん)のあだ名はイケ住(イケてる住職の略)。名付け親はみうらじゅん。
秋篠寺[編集 | ソースを編集]
- 秋篠宮殿下の宮号の由来として有名。
- 毎年6月6日に秘仏・大元帥明王が御開帳になる。
- 御朱印もこの日だけしか貰えない。
帯解寺[編集 | ソースを編集]
- 皇室の安産祈願御用達のお寺。