実は存在したモノ/オリンピック
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大会[編集 | ソースを編集]
- 1940年東京オリンピック
- 東京オリンピックと言えば1964年と2020年だが、実は1940年にも東京オリンピックが開催するはずだった。日中戦争の拡大で中止に。
- この年の立候補国はリオデジャネイロも含まれていたとか…?
- ちなみにこの年の冬季は札幌になる予定だった。東京はまだ知られているがこっちはまだ知らない人が多い。
- ちなみに夏季冬季が同じ年に同じ国で開催されたのは過去3回(1924年、1932年、1936年)例がある。
- 1960年東京オリンピック
- 1960年にも立候補していたのだが、一回目で落選。
- 落選した大会は「存在した」とは言えない気がする。
- 名古屋オリンピックや大阪オリンピックも存在したことになってしまう。
- なお存在しないモノ/スポーツでは落選した都市の計画は存在しない扱い。
- 北京以前に夏冬の競技両方を行った(行う)都市
- 夏冬を主催する都市としては北京(夏2008年、冬2022年)が最初となるが、両方開催した地域としては軽井沢(1964年東京五輪の総合馬術、1998年長野五輪のカーリング)が最初になる。
- さらに2020年東京五輪のマラソン・競歩を札幌で開催することになれば、「どちらかを主催した都市としては」札幌が最初になる。
- 複数の国に跨って開催された大会
- 1956年メルボルン夏季五輪では馬術だけスウェーデンのストックホルムで行われた。
- 当時のオーストラリアの検疫は異常に時間がかかったため。
- 2008年北京夏季五輪でも馬術は大陸とは別のNOCが管轄する香港で行われたため当てはまるともいえる。
- 1956年メルボルン夏季五輪では馬術だけスウェーデンのストックホルムで行われた。
記録[編集 | ソースを編集]
日本関連[編集 | ソースを編集]
- 女子体操で日本がメダル獲得。
- 1964年東京オリンピックの団体総合で銅メダル。女子体操唯一のメダル獲得。
- 2021年東京オリンピックでは種目別ゆかで個人初の銅メダル獲得。
- 射撃で日本人が金メダル獲得
- 1984年のロサンゼルスオリンピックで蒲池猛夫が25mラピッドファイアーピストル部門で獲得している。
- ちなみに日本の夏季・冬季通して最年長の金メダリスト記録(当時48歳)でもあり、2019年現在も破られていない。
- 1984年のロサンゼルスオリンピックで蒲池猛夫が25mラピッドファイアーピストル部門で獲得している。
- 2004年アテネオリンピックで室伏広治(男子ハンマー投げ)が銀メダル。
- 実は最初の順位は2位で銀メダル。しかし1位だったアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピングで失格となり、繰り上げで室伏広治が金メダルになった。
- 最近の報道ではドーピングで繰り上げがあったことはなかったことにされ、最初から室伏広治が金メダルを獲得したような編集になってる。
- というよりIOCの公式記録でもアヌシュの記録は抹消されている。
- 最近の報道ではドーピングで繰り上げがあったことはなかったことにされ、最初から室伏広治が金メダルを獲得したような編集になってる。
- 実は最初の順位は2位で銀メダル。しかし1位だったアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)がドーピングで失格となり、繰り上げで室伏広治が金メダルになった。
- 男子マラソンで日本人選手が金メダル獲得
- 1936年のベルリンオリンピックで孫基禎が金メダルを獲得しているが、孫基禎は日本統治時代の朝鮮出身の選手だったので、未だに日本人選手の男子マラソン金メダル獲得者は存在していない。
- 銀メダルなら1968年(メキシコシティ)の君原健二、1992年(バルセロナ)の森下広一の2人が獲得している。
- トーナメント方式の競技で、最後の試合に負けて銅メダル。
- 「金メダルと銅メダルは最後の試合に勝ってもらうメダル、銀メダルだけ最後の試合に負けてもらうメダル」とよく言われるが、稀に最後の試合に負けて銅メダルとなることがある。
- 2012年ロンドンオリンピックのボクシングの清水聡
- ボクシングには3位決定戦がなく、準決勝敗者2人が銅メダルを獲得する。
- 2016年リオデジャネイロオリンピックのバドミントンの奥原希望
- 3位決定戦の対戦相手が棄権したことで銅メダル決定。事実上最後の試合(準決勝)に負けての銅メダルとなった(記録上は3位決定戦不戦勝である)。
- ショートトラックスピードスケートで日本人が金メダル獲得。
- 1998年長野オリンピックの西谷岳文。
- しかもソチ大会の羽生結弦を1ヶ月差で抑えて冬季オリンピックの日本史上最年少金メダリスト。
- 冬季五輪の日本最年少金メダリストでもあるのにオリンピックの過去の名場面で西谷の金メダルが流れることがほとんどない。下手すると冬季五輪で最も陰の薄い日本金メダリストかも。
- ショートトラックの名場面といえば2002年ソルトレイク大会のオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーの映像ばかり流れる。
- 1998年長野オリンピックの西谷岳文。
- 明治生まれのオリンピック金メダリスト
- 織田幹雄(日本初の金メダル)、鶴田義行、南部忠平、西竹一の4人。
- だが19世紀生まれの日本人の金メダリストはいない。
- そのため2018年平昌オリンピック終了時点で夏冬通じて日本の金メダリストは全員20世紀生まれ。
- 19世紀生まれのオリンピックメダリスト
- 熊谷一弥(銀)、柏尾誠一郎(銀)、内藤克俊(銅・日本初のオリンピックメダル)。
- 19世紀生まれの金メダリストはいない。
- 戦前生まれの冬季オリンピック金メダリスト
- 1972年札幌オリンピックの笠谷幸生1人だけ。
- ちなみに昭和の冬季オリンピック唯一の金メダルでもある。
- 最後の試合に勝って銀メダル
- 2021年東京オリンピック女子ゴルフの稲見萌寧。
- 2位が2選手並んだため2位決定プレーオフを行った。
- 金・銀メダリストのドーピングによる繰り上げを除けば、これが起きる可能性がある競技はゴルフだけか?
- 2021年東京オリンピック女子ゴルフの稲見萌寧。
- サッカーの1980年モスクワオリンピック出場
- サッカー日本代表は1968年のメキシコシティ大会から1996年のアタランタ大会まで五輪出場がなかったが、1980年のモスクワ大会でアジア予選を突破していたマレーシアと韓国がボイコットしたため、繰り上げで一度は日本の出場が承認され、同年5月15日の組み合わせ抽選でグループリーグのC組に組み込まれた。
- だがご存知のようにその後日本もボイコットした。
- 結果さらに繰り上げ出場でシリアがC組に組み込まれた。
外国勢[編集 | ソースを編集]
- 冬季オリンピックで南半球の国が金メダル
- 2002年ソルトレークオリンピックのショートトラックでオーストラリアの選手が獲得。
- しかも2回戦以降は全部転倒絡みと、棚からぼたもちという奇跡で金メダル。
- むしろそれ以外にも複数回あるが。
- 2002年ソルトレークオリンピックのショートトラックでオーストラリアの選手が獲得。
- ランス・アームストロングのメダル
- ドーピングで1998年8月以降に獲得したタイトルをすべて剥奪されたが、2000年シドニーオリンピック個人タイムトライアルで獲得した銅メダルも含まれていた。
- ドイツの1大会での金メダル獲得数40個以上、全メダル獲得数100個以上
- 分断前、冷戦後の統一ドイツ、及び分断後の西ドイツでは達成していないが、東ドイツが1大会で獲得した金メダル獲得数40個以上(1976年モントリオールと1980年モスクワ)全メダル獲得数100個以上(1980年モスクワと1988年ソウル)を達成している
- なお厳密に言えば東西分断時代の西ドイツ・東ドイツ選手団は現在のドイツ選手団とは別物として扱われている。
- メダル獲得経験が冬季五輪のみの国
- リヒテンシュタインは冬季は10個のメダルを獲得しているが、夏季のメダルはまだない。
- 身元不明の金メダリスト
- 1900年パリ五輪のボート競技舵手付きペア種目に7歳から10歳くらいの少年がオランダチームに飛び入り参加し金メダルを獲得した。
- 競技直後に姿を消したため未だに氏名や正確な年齢が判明していない。
- 1900年パリ五輪のボート競技舵手付きペア種目に7歳から10歳くらいの少年がオランダチームに飛び入り参加し金メダルを獲得した。
後発途上国、地域、小国のメダル獲得[編集 | ソースを編集]
国じゃなく特定地域から派遣されたオリンピック選手団、或いは人口100万人未満の国、一人当たりのGDPが下から20番目以内の国の何れかで現在までに最後のメダル獲得から20年以上経過している国か同国唯一のメダル(金メダル)でお願いします。
アフリカ[編集 | ソースを編集]
- ニジェール
- 1960年の独立時から現在まで後発途上国であるニジェールだが1972年ミュンヘンオリンピックボクシングライトウェルター級でイッサカ・ダボルグが銅メダル1個が同国唯一のメダルである
- ブルンジ
- 2019年現在1人当たりの名目GDPランキング最下位(最下位は南スーダン)から一つ上の順位である189位であるブルンジであるが過去に金メダルを獲得した事がある
- 更に付け加えておくと金メダルを獲得した1996年のデータではブルンジは1人当たりの名目GDPランキングは最下位だった
- のこ金メダル獲得が無ければもしこんな有り得ないシーズン展開があったらに「1人当たりのGDP最下位の国が金メダルを獲得したら」と書かれていたはず
- 更に付け加えておくと金メダルを獲得した1996年のデータではブルンジは1人当たりの名目GDPランキングは最下位だった
- 1996年アトランタオリンピックの陸上競技男子5000mでベヌステ・ニョンガボが金メダルを獲得している
- 2019年現在1人当たりの名目GDPランキング最下位(最下位は南スーダン)から一つ上の順位である189位であるブルンジであるが過去に金メダルを獲得した事がある
- ジブチ
- メダル獲得1988年ソウルオリンピックの陸上競技男子マラソンでアーメド・サラが銅メダルを獲得した
- エリトリア
- メダル獲得は2004年アテネオリンピックの陸上競技男子10000mでゼルセナイ・タデッセが銅メダルが唯一である
カリブ海[編集 | ソースを編集]
- バルバドス
- 2000年シドニーオリンピック陸上競技男子100メートルでオバデレ・トンプソンが銅メダルを獲得しているが、それ以前にバルバドス出身のジェームズ・ウェダーバーンが銅メダルを獲得したが、国際オリンピック委員会では当時存在した国家である「西インド連邦選手」の扱いとなっている
- アメリカ領ヴァージン諸島
- メダル獲得は1988年ソウルオリンピックのセーリングフィン級で獲得した銀メダルが唯一である
- オランダ領アンティル
- 1988年ソウルオリンピックのセーリングで獲得した銀メダル1個が唯一のメダルである
オセアニア[編集 | ソースを編集]
- トンガ
- 1996年アトランタオリンピックのボクシングスーパーヘビー級で獲得した銀メダル1個が唯一のメダルである
ヨーロッパ[編集 | ソースを編集]
- ルクセンブルクの金メダル獲得
- 小国のルクセンブルクであるが1952年ヘルシンキオリンピック陸上競技でヨジー・バーテルが金メダル1個を獲得している、今の所この金メダルが同国唯一の金メダルとなっている
- リヒテンシュタインの金メダル獲得
- 1980年に開催された冬季レークプラシッド大会のアルペンスキーで金メダルを2つ獲得している、なおリヒテンシュタインが金メダルを獲得したのは2019年現在この大会のみに留まってる
- なおリヒテンシュタインは冬季オリンピックの金メダル獲得国で参加国中最下位の人口で金メダルを獲得している
- また夏季オリンピックのメダルはないが冬季オリンピックのメダルは獲得したことがある国はリヒテンシュタインのみである。
競技[編集 | ソースを編集]
- レスリングのオリンピック除外
- 2020年東京オリンピックでレスリングの除外が協議されたのは記憶に新しいが、過去に1900年パリオリンピックで1度だけ除外されたことがあった。
- 芸術競技
- 1912年ストックホルム大会から1948年ロンドン大会まで行われていた。
- ベルリン大会では藤田嗣治が銅メダルを獲得した。
- 現在はその名残として大会期間中の芸術展示がオリンピック憲章で義務付けられている。
- 1912年ストックホルム大会から1948年ロンドン大会まで行われていた。
- 綱引き
- 1900年パリ大会から1920年アントワープ大会まで行われていた。
- クイズ番組で「この中で昔オリンピックの種目だった競技は?」という四択クイズの問題になることがある。
- 魚釣り
- 1900年パリ大会で行われた。
- こちらもクイズ番組のネタになることがある。
- 凧揚げ
- 同じく1900年パリ大会で行われた。
- クリケット
- こちらも1900年パリ大会でのみ行われた。
- 夏季五輪でのフィギュアスケート
- 1908年ロンドン・1920年アントワープの両大会では夏季競技とともにフィギュアスケートも行われた。
- なお当時冬季五輪はまだ誕生していない。
- 1908年ロンドン・1920年アントワープの両大会では夏季競技とともにフィギュアスケートも行われた。
種目[編集 | ソースを編集]
- 柔道無差別級
- 1964年東京大会から1984年ロサンゼルス大会まで行われていたが、1988年ソウル大会で廃止。
- レスリング無差別級
- 1896年の第1回アテネ大会では体重別階級がなかったため「無差別級」として扱われている。
その他[編集 | ソースを編集]
- 開会式での大会旗引き継ぎ
- 1976年インスブルック冬季五輪の開会式では通常前回大会の閉会式で行われる大会旗引き継ぎがあった。
- 前回の札幌大会後に当初開催予定だったデンバーが返上したため。
- 札幌大会の閉会式ではデンバー市長に旗を渡していたので改めて代替開催地のインスブルックの市長に渡し直す必要があった。
- 大会期間中の国名変更
- 1964年東京夏季五輪に出場していたイギリス領北ローデシアが大会最終日にザンビアとして独立し閉会式で新国旗を披露した。
- 国旗の調達には吹浦忠正が奔走したことが『いだてん~東京オリムピック噺~』の劇中でも描かれた。
- 1964年東京夏季五輪に出場していたイギリス領北ローデシアが大会最終日にザンビアとして独立し閉会式で新国旗を披露した。