尼崎
ご当地の噂 - 世界 > アジア > 日本 > 近畿 > 兵庫 > 尼崎市 > 尼崎市街
テーマ別の噂[編集 | ソースを編集]
尼崎市街(阪神尼崎駅周辺)の噂[編集 | ソースを編集]


- 実はかっては城下町で、尼崎城は天守閣もあり全国有数の規模を誇る城郭だった。
- 地味に近松門左衛門の出身地でもある。京都のような風情のある寺町もある。
- 史料の解釈の仕方によるのだろうが、どうも尼崎城は複数あるようだ。それも当駅付近に。
- 兵庫県内で一番たちが悪い。
- ガラが悪いの誤り。
- 兵庫県内では文化的に一番大阪っぽい。
- 三和商店街に出没する虎柄のオバちゃんと、随所に出没する自称「あまやん」は、言わずと知れた有名人。
- 駅前に有る商店街は阪神の応援をする事で有名。
- 毎年日本一早くマジック点灯させる。最も、実際に優勝することは(ry
- 優勝決定日も予想するが、もっとも実際に(上に同じ)。
- 三和商店街界隈の尼人は炭火焼ホルモンを認めていない。ホルモンは炊くものだ!鹿児島屋のホルモンこそが正当だ!!
- ホルモンではないが、普通の焼肉なら「闇市」が評判。
- 鹿児島屋のホルモンは1人前300円から。
- かつてサティがあった。
- 三和商店街の近くには今や関西唯一となったトポスがある。かつては全国あちこちにトポスがあったが閉店やダイエーへの業態転換などでかなり少なくなった。
- そのトポス尼崎店も2010年2月で閉店。
- 跡地を病院が買い取るという噂が浮上中。
- 三和界隈から大規模スーパーが完全撤退か・・・時代の流れよのぅ。
- 大阪の千林と同じような状況だな。郊外に大型商業施設ができた結果、中心部の商店街から大型店が撤退していく。
- と思ったらスーパー玉出がオープン。
- 今のところ大阪府外唯一の店舗だったりする。
- 出屋敷のリベルにあったダイエーは元々はここにあったもの。
- 「大貫」は現存する日本最古のラーメン店。
- 阪神尼崎車庫の一角には1904(明治37)年建築のレンガ倉庫がある。昔は変電所だった。
- ×××地帯があるので、夜にうっかり諭吉さんを無くさないように。
- 通称かんなみ新地。神田南通三丁目を略して「かんなみ」。
- ここだけの話、飛田新地なんかより安くてサービスが良く、また、女性のレベルも比較的高いと言われている。要はコスパが良いとのことである。
- 営業時間はだいたい19時~24時。ただし、早い店だと16時くらいには早番の嬢が居るとか……
- 三和栄通商店街を西へ抜け、最初の角から進行方向右側50mくらいが赤線地帯。普通の下町の中に突如少し怪しい感じのエリアが広がっていて、初見の人は絶対迷う。因みに慣れている人は阪神出屋敷から行ったほうが近いことを知っている。
- 通称かんなみ新地。神田南通三丁目を略して「かんなみ」。
- この辺は海抜マイナス地帯が広域に存在する。
- 阪神尼崎車庫も高潮対策のためややかさ上げされている(横を通る電車に乗ってたらそれがわかる)。
- 2019年3月、平成が終わろうとする中、阪神尼崎駅前に尼崎城天守閣が再建された。でも、元々尼崎城があった位置とは微妙にずれていて、完全なハリボテ。
尼崎城天守閣 - ミドリ電化創業者の安保さんという尼崎の名士が10億円を市に寄付する代わりに、「尼崎にもっと人を呼べるもんを造ったって!」と掛け合ったおかげである。その結果、新たなシンボルができたわけで、有り難いことである。
- 登閣料が500円とボッタクリ。ただし、1階は無料で入れるし、城の外側もノーペイで立ち入ることができる。
- 近隣の大阪城が600円、県内の竹田城が300円なのに、これは……
- 敢えて、ハリボテであることを忘れて縄張り考証をしてみた結果は以下のとおりでダメダメ。
- 庄下川の河川敷の方が城壁より高く攻め込みやすい。
- 堀が異常に浅く、簡単に天守閣に貼り付ける。
- 南側が平地で無防備。
- 中央図書館と合わせて、公園として整備されており、どちらかというと市民の憩いの場を志向したような感じになっている。
- とはいえ、それでも連休ともなると観光客もそこそこ訪れているようであった。
- 実際、1階には市民向けのミニイベントスペースが設けられている。
- この辺りの中華料理店からあんかけちゃんぽんを「尼崎ちゃんぽん」として売り出している模様。
- 略して、尼ちゃん。
- なお、卵とじ版は泥ちゃんである。
- ここでは阪神尼崎と呼ばれているが、一般にアマとか尼崎と表現するのは、まさにこのエリア。
- 国道2号線と国道43号線に挟まれて、かつ阪神電車の大物駅~出屋敷駅の沿線に当たる地域がこれに該当する。
- JR尼崎駅付近はジェイアマとか潮江と呼ばれる。1936年までは小田村という別の自治体だった。
- こちらが尼崎の昔からの中心だったので。
- 旧市街の下町にして、大手私鉄の中核駅から徒歩5分程度のところなのに、割と閑静な寺町が残っている。
- ただし、各寺院の建築物は真新しいものが多い。大東亜戦争と阪神・淡路大震災の影響である。
- そんな寺町の中にある本興寺は日蓮宗本門流の大本山。場所の割には敷地面積がデカイ。寺の格を考えると納得がいく。
本興寺 - 同じく寺町の中にある法園寺は佐々成政が切腹させられた場所として知られる。
- 成政の墓もある。
- こちらは、浄土宗鎮西派の寺院。
- 本堂等は新しいもののため、あまり歴史を感じられない。
- 個人的には長遠寺がオススメ。
長遠寺 - 長遠寺と書いてじょうおんじと読む。
- 知らない人は間違いなくちょうえんじ又はちょうおんじと読みそう。
- 本堂と多宝塔は国指定の重要文化財。
- 特に多宝塔には桃山様式を感じさせるデザインが取り入れられており、是非見ておきたい。因みにこの多宝塔は1607年(慶長12年)建立の物件。
- 内部は来迎柱を立てて来迎壁、須彌壇が設けられている。正面には釈迦如来が祀られ、その両側には千躰の仏像を安置しているらしい。
- 須彌壇には「天女の図」、南側扉内側には「如来像」、北側扉内側には「愛染明王像」・「不動明王像」が描かれていると尼崎市のホームページに記載があった。是非とも、中を見させていただきたいものである。
- 本堂は多宝塔に遅れること16年の1623年(元和9年)の建立。保存状態が良い。
重文指定の本堂
- 特に多宝塔には桃山様式を感じさせるデザインが取り入れられており、是非見ておきたい。因みにこの多宝塔は1607年(慶長12年)建立の物件。
- 屋根の雰囲気が日蓮宗の寺院らしい反り具合。
- 本堂の柱の配置など、よくよく見ると中世→近世における建築様式の変遷の間に建てられたことが感じられるように思える。
- 鐘楼、客殿、庫裏も17世紀の建造物。重要文化財ではないが、兵庫県指定有形文化財である。
- ここも本興寺同様、庭の手入れが非常によく行きどといている。
- 元々は、1350年(観応元年)、永存院日恩によって七ツ松に創建されたのが始まりらしい。
- その後、東本町に移転するも尼崎城築城に合わせて寺町へ再移転している。尼崎の寺町の寺院は、この様に他所から移ってきたものが多い。
- 長遠寺と書いてじょうおんじと読む。
- 大覚寺は割と真新しい感じの律宗の寺院。
- 実は本興寺や長遠寺を差し置いて尼崎最古のお寺だったりする。
- 社伝によると605年(推古天皇の御代)に剣尾山を遥拝するために設けられた遥拝所が始まりだとか。
- 13世紀には寺勢も強く、門前にて市が立つほどだったらしい。
- 足利義詮が陣をはったらしい。何の戦だったかまでは忘れたけど……
- 本堂は1938年に再建されている、一応戦前のもの。
- 摂津国八十八箇所第65番札所だったりする。
- 道路を挟んで向かい側にあるたこ焼き屋が7個100円でたこ焼きを売っている。はっきり言って安い。
- 実は本興寺や長遠寺を差し置いて尼崎最古のお寺だったりする。
- 如来院も寺町にあるお寺の1つ。
- 天平年間に聖武天皇の勅願により行基が建立した49院のうちの1つ。
- 後に法然が讃岐遠流に際して、この地で遊女5人を改心させたことから、浄土宗の寺院になった。
- この遊女5人、改心した後、神崎川にて入水自殺している。一応、法然は念仏回向をしたらしいけど、その前に自殺を止める努力をしろよと。
- 御赦免となった法然が京へ帰るときにもこの寺に寄っている。
- 地元民は法然を引き留めようとしたが、勅命で京へ上る必要があった法然は、弟子の湛空を釈迦堂に留めさせた。