岡山の寺院
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岡山市の寺[編集 | ソースを編集]
西大寺[編集 | ソースを編集]
- 裸祭りで死人を出す。
- という伝統芸能で有名。
- はだか祭りの会場はコロッセオのようになっていて、吉井川の土手沿いの斜面に観覧席が設けられている。
- 犀の角を戴いて祀ったので犀戴寺。
- であったのを、誰かが書き間違えた結果西大寺に変わった。
- 仁王門が大層立派。
- 阿形吽形のでっかい金剛力士像に、十二支をかたどった彫刻。まずこっからして、日本の伝統的な仏教建築技術に驚かされる。
- 本堂もデカイ。
- 参拝客は特別祈祷でもない限り、基本ここで拝む。
- 三重塔もある。これもまた割と立派。
- 考えてみたら吉井川を挟んで反対側の餘慶寺にも三重塔があるし、さらに10kmほど行った備前市にある福生寺にも古い三重塔がある。逆方向に岡山市街方面に行けば5km程先の曹源寺にも三重塔がある。岡山は仏塔づくりが盛んな地なのかもしれない。
- 中四国と九州の百八観音霊場の一番札所。
- だけど、実は二番札所も西大寺。というのも南海観音という境内にある観音様も札所扱いされているから。
最上稲荷[編集 | ソースを編集]
- 「最上稲荷神社」ではない。
- れっきとした日蓮宗のお寺であるという事実。でも明治以降も神仏習合をやってもいいと許可が出ていたらしい。
- 意外に、日蓮宗も神道は肯定してんだな……
- 愛知県の豊川稲荷も神社ではなく寺である。
- 「もがみいなり」ではない。
- れっきとした日蓮宗のお寺であるという事実。でも明治以降も神仏習合をやってもいいと許可が出ていたらしい。
- 備中高松の駅の東に、大鳥居があるがそっからでも3km以上あるという事実。
- 因みに大鳥居の下は踏切なども絡んでよく渋滞する。
龍泉寺[編集 | ソースを編集]
- 最上稲荷を日蓮宗にした張本人という話。
- もともと天台系だったのに、旗本花房某の圧力で一足先に日蓮宗化した。
- 最上稲荷を信仰するグループ、最上教の総本山らしい。
- 紅葉の時が美しい。
国清寺[編集 | ソースを編集]
- 姫路から岡山入りした池田家が連れてきた臨済宗の寺。
- そんなわけで結構ええところに寺を持ってる。
- わざわざ妙心寺より偉いさんを招いて開いたらしい。そうでもせんと天台、真言、日蓮の3宗派以外が圧倒的に弱かった岡山では意味なかったそうな。
浄土寺[編集 | ソースを編集]
- 孝謙天皇が勅願を出して創建に至ると伝わっているが……
- 弓削道鏡が裏で糸引いてるのは問題無いとして、和気清麻呂公の縁の地でよくまあそんな大逸れたことを……
- 東大寺の中興の祖である重源上人が温泉を開き湯治場を造り、医術を地元民に施していたと伝わっている。
- 現在、この寺は眼病に霊験あらたかと言われている。
- 備前大湯屋址というのが裏手の杉林にあるが、それは湯治場の名残。
清泰院[編集 | ソースを編集]
- 岡山市内にある鳥取藩の飛地。
- 鳥取藩主の菩提寺だったそうだが、財務も警務も一切を鳥取藩が担っていた。
- 昔は市街地の結構良い所にあったが、国道2号の工事の関係で市街地の外へ移転している。
- 税金が払えないほど困窮していたから、という見方もあるらしい。
盛隆寺[編集 | ソースを編集]
- 家族思いの庭瀬領主が建てた妹尾の日蓮宗寺院。
- 建立の際、元々地元民は真言宗の信者だったのに強制的に改修させられたらしい。家族思いではあっても領民思いではなかったということに相違あるまい。
- 日鳳上人が開祖。この辺りは、さすが大旗本だけのことはあると実感。
曹源寺[編集 | ソースを編集]
- ここも岡山市内有数の古刹。
- 臨済宗妙心寺派の禅寺。
- 備前で一番の禅寺と言われているらしい。
- 臨済宗寺院だが、デカすぎて、他の宗派の塔頭もある。天台宗と日蓮宗だけだけど。
- 三門が非常によくできている。荘厳。
- 方丈裏にある池泉回遊式庭園がまた見事。
- 古い三重塔がある。
- 岡山池田家の墓所がある。
- 伽藍を見ると総門・三門・仏殿が一直線という素晴らしい造り。
倉敷市の寺[編集 | ソースを編集]
蓮台寺[編集 | ソースを編集]
- 三大権現の一つらしい。
- 戦後暫くは、由加神社と一体で運営していた神仏習合の珍しい寺だったが……
- 由加神社が独立していったのと同時に、正面切って非難合戦をしだす始末。参道では左右から宣伝合戦をやりあう始末。
- 御寺へ行って味わうこのギスギス感…… 何なんでしょうね。
- 由加神社が独立していったのと同時に、正面切って非難合戦をしだす始末。参道では左右から宣伝合戦をやりあう始末。
玉島円通寺[編集 | ソースを編集]
- 玉島の古刹。
- 良寛さんが修行した。
- 屋根の反り具合がいい感じ。
安養寺[編集 | ソースを編集]
- 林
- 倉敷の北の方にある寺で倉敷七福神の一つ。毘沙門天を祀っている。
- 徐福所縁の地らしく、それ故朝原千坊と呼ばれる仏教シティーがあったらしいが、合戦で大半が燃やされ、唯一残った運の良いお寺。
- 火事除けとかの方が霊験ありそうですけどね、不老不死なんぞよりも。
- 美しい花々が咲く寺としても有名。
五流尊瀧院[編集 | ソースを編集]
- 浅原
- 役行者がなんとなくでやって来て御神体を置いたのがスタート。
- なぜか、大久保利通が紀尾井坂で殺された時に乗っていた馬車を所蔵している。
- 三重塔がある。
- そればっかりに目が行きかねんが、実は後鳥羽上皇の御骨入の石造宝塔という国の重文があるのは秘密。
- どうでもいいけど、この寺のある林地区。倉敷市内でも有数の治安の悪いエリアだったりする。
神宮寺遍照院[編集 | ソースを編集]
- 西阿知町
- 真言宗御室派別格本山の寺院。
- 寛和元年(985年)に智空上人が花山法皇の勅願を受けて、開いたのが始まり。
- 元々は、足高神社の神宮寺だったとか。
- 朱塗りの三重塔がある。
- 現在あるのは応永23年(1416年)、智開僧正が再建したものらしい。因みに国指定重要文化財。
- 御本尊は大日如来。
- 木造聖観音立像がある。こちらは県指定重要文化財。
- 平安後期に彫られたものと伝わる。
- 江戸時代には岡山藩池田家の祈願所だったらしい。
- 倉敷って代官所もある幕領の地だった筈ではと思われるかもしれないが、何故か西阿知町は岡山藩領だったりする。
総社市の寺院[編集 | ソースを編集]
備中国分寺[編集 | ソースを編集]
- 観光ガイドでは備中国分寺跡となっているが、今でもお寺としてやっている。
- 実は、一度寂れた廃寺を江戸期に再興したため、こうなったとか。
- 吉備地方唯一の五重塔で有名。のどかな田園風景の中に建っているその姿は、日本の里山の原風景と言った趣あり。
- 夕日をバックにした五重塔の写真などは人気がある。
- 梅やコスモスの時期も見もの。
- 昔は、中に入って、塔を登ることもできたらしい。
- 夕日をバックにした五重塔の写真などは人気がある。
- ちょっと、東へ行くと備中国分尼寺跡がある。こっちは、ほんとに跡地。礎石が残っているだけ。
- 拝観料は取っていない。そして、賽銭箱も置いていない……
- 唯一受けているのは、文化財保護目的の寄附金入れ。御賽銭だと思って入れてあげてください。
- 寺の中に観光案内所兼売店兼お休み処があったりする。普通、外に置くもんなんじゃ……
宝福寺[編集 | ソースを編集]
- 雪舟が最初に修行した御寺らしい。
- 然し乍ら、度重なる戦乱のため、雪舟の頃からのもので今も残っているのは、三重塔だけだったりする。
- 国指定の重要文化財。永和2年(1376年)に建てられたものだとか。
- 嘗ては天台宗の寺院だったが、寂れた挙句禅宗に持ってかれた。確か臨済宗。
- 入山料、拝観料など一切取っていない。
- それどころか、御賽銭も受け取ってらっしゃらないらしく、御本堂を見ても賽銭箱がなかった。
- 橋龍の墓がある。
- 四条天皇の勅願寺。
- なんでも、鈍庵という坊さんが天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、何故かその効果で彗星が寺に落ち、更にその影響で何故か、四条天皇の病が癒えたかららしい。
- こんなこと言ってるやつ、大槻義彦とかその辺のオカルト・トンデモ科学系の奴らくらいだろうと思っていたが……
- なんでも、鈍庵という坊さんが天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、何故かその効果で彗星が寺に落ち、更にその影響で何故か、四条天皇の病が癒えたかららしい。
高梁市の寺院[編集 | ソースを編集]
松連寺[編集 | ソースを編集]
- 寺の石垣がなかなか見事。まるでミニ要塞のよう。
- 備中松山藩主水谷伊勢守が整備したとか。
- 備中松山城の出城的機能を持たせているらしい。
- 戦国時代、一時的に備中一円を支配するも備中兵乱で敗れた三村元親が自害した場所でもある。
- 薬師堂に宇喜多秀家の御座船の格大芹と船戸が残されている。
- 県指定重要文化財らしい。
頼久寺[編集 | ソースを編集]
- 小堀遠州が造成した頼久寺庭園が有名。
- 300円か400円払うと見ることができるが、手入れがよく行き届いていて素晴らしい。
- 国指定名勝にもなっている。
- 小さい庭ながらも風情があって何時間でも居られる。
- 俗世の有為を忘れられそうになるくらい静か。もっとも、庭園の案内テープが、数分おきに流れるため、寝落ちするほどではないが……
- 小堀家が備中松山藩に封せられたとき、小堀遠州はこの寺に住んだとか。
- なんのことはない、土日に趣味で、家の庭を整備しているお父さんと変わらない。
- 門前の石段が印象的。
- ステップが芝でふかふかになっている。あそこまで行くのにどれくらいの歳月がかかったんやろ。
- 臨済宗永源寺派の寺院。
- そういえば、小堀遠州流庭園って臨済宗寺院に多いもんね。
- 本尊は聖観世音菩薩。
- 元々は足利尊氏が再興した全国にある安国寺の一つで、備中安国寺というお寺だった。
- 戦国時代にこの地を治めた上野頼久が、大檀越となり寺を色々改造したことから、その名前をとって頼久寺となった。
薬師院[編集 | ソースを編集]
- 花山法皇が開基となって造られた寺院。
- 元和元年(1615年)に建てられた薬師堂は県指定重要文化財の一つ。
- 勾配のきつい大屋根とこれを支える組物、それに桟唐戸の彫刻などなど、至る所に桃山風の様式を感じさせる。
- 江戸初期に小堀遠州らが場所を移転したとか。
- 移転後、造成された庭園が特徴的。この頃の密教寺院が造る庭園に特有の造作が至る所に散りばめられている。
- 1983年、渥美清がマドンナ竹下景子と合ったのは、ここの石段(男はつらいよシリーズ)。
- 50年に一度だけ御開帳される秘仏がある。
安正寺[編集 | ソースを編集]
- 備中松山藩主の板倉家の菩提寺。
- 板倉家歴代の御位牌も祀る。
- 幕末には新政府軍の岡山藩と備中松山藩の交渉の舞台となった。
巨福寺[編集 | ソースを編集]
- 文和4年(1355年)に創建された、日蓮宗寺院。
- 今の御本堂は安永7年(1778年)のもの。
- 山門が立派。
- 元々備中松山藩の家老の家のものだったらしい。
- 枯山水庭園がこれまた風情がある。
- 江戸時代初期に作庭されたと伝わる三尊石組構造。
- 鳳風の松という松の古木がある。
- 樹齢はおよそ300年くらいらしい。(2000年頃、推定)
龍泉寺[編集 | ソースを編集]
- 成羽にある寺院。
- なんと開基は行基菩薩で、弘法大師が巡錫した歴史もあるという。
- 宗派は真言宗善通寺派。
- 木造観世音菩薩立像は県指定文化財。
- 平安時代に彫られたとされる。
- ここも楼門が立派。
延命寺[編集 | ソースを編集]
- 吹屋にある曹洞宗寺院。
- 備中西国第10番札所。
- 精進料理がスゴイらしい。
- なんでも、御住職が大本山永平寺まで行って修行して身につけたものらしい。
- ここもまた、楼門が立派。
笠岡市の寺院[編集 | ソースを編集]
遍照寺[編集 | ソースを編集]
- 笠岡の埋立地にある寺院。
- 何故か多宝塔と樹齢400年の大銀杏だけは、境内から1kmくらい離れた笠岡市街にある。
- 区画整理事業の一環で立ち退きを食らったためにこんな事になったらしい。
- その際、何故か多宝塔と大銀杏は元の位置にそのまんま残り、その付近を公園として整備したとか。
- 区画整理事業の一環で立ち退きを食らったためにこんな事になったらしい。
- 何故か多宝塔と樹齢400年の大銀杏だけは、境内から1kmくらい離れた笠岡市街にある。
- 多宝塔は江戸初期の慶長11年(1606年)に建てられたもの。
- 実は、岡山県内の多宝塔の中では最古の歴史を誇る。
- 塔の横に、秋になると美しく黄色に色づく大銀杏がある。多宝塔が建てられたことを記念して造られたものだとか。
- 通称しだれ公孫樹と呼ばれているらしい。なぜなら、枝が見事に垂れているから。
- 開かれたのは、なんと白鳳年間。
浄心寺[編集 | ソースを編集]
- 笠岡では「亀のお寺」として親しまれている寺院。
- 境内にある池には、亀が何匹も居る。
- 伊能忠敬が瀬戸内を測量で回った際、笠岡にも寄っているが、その際、泊まったのはこの浄心寺だったらしい。
- 山門と鐘楼が非常に立派。
- 公孫樹の木がとにかく大きい。
- しかも時期にあると美しい黄色に色づく。
玄忠寺[編集 | ソースを編集]
- 備後福山藩主水野氏の位牌が残る寺院。
- なぜか、歴代徳川将軍の位牌もある。
- 山門と楼門が見事。
- 楼門は亀川氏の寄進によるものだというから、それなりに古いはず。(亀川氏は戦国期の笠岡の領主。)
神護寺[編集 | ソースを編集]
- 開基は行基菩薩。ホンマかどうか知らんけど。
- 庭がなかなか風情がある。
- 御本堂は室町時代には小田氏が再建したもの。
威徳寺[編集 | ソースを編集]
- 江戸時代に西日本で発生した大飢饉の折、蔵米放出と甘藷栽培の推進により、農民を守った「いも代官」こと井戸平左衛門の墓がある。
- 山門がそれなりに古さを感じる。味わいがある。
- たわしで撫でると体が治るとされるとげ抜き白岩地蔵がある。
その他の寺[編集 | ソースを編集]
嫁いらず観音院[編集 | ソースを編集]
- 言わずと知れた縁壊しの仏様。
- 名前だけ聞いたら女性団体が怒ってきそうな寺院。
- 本当は、嫁さんを苦労させるなということなんだそうだが……
- いわゆるピンコロ、ピンピンコロリで死んで、介護やなんやで嫁さんの世話にならんで済むように、って話ですな。
- 本当は、嫁さんを苦労させるなということなんだそうだが……
- でっかい石像がある。なに像やったかな……
八塔寺[編集 | ソースを編集]
- 寺内で宗教戦争をやった後、真言と天台に分裂。
- 天台系は八塔寺の名を維持し、真言系は自分たちが制圧していた寺内の坊を新しい寺にすることで独立し、独立。
- 備前、作州、播州の境にあったので色々と面倒も多かったと聞く。
- 山の上ののどかな山里と想像してください。
- その風景の良さから過去に何度かドラマロケ地になっている。
真光寺[編集 | ソースを編集]
- 本堂と三重塔が国指定重要文化財のお寺。
- 立派な寺なのに山門がないなあと思いきや、実は山門(仁王門)は片上の町の中、備前アルファの裏手みたいなところにある。
- 仁王門と本堂の間を国道2号線やJR赤穂線がぶった切り、さらに一般の民家まで立ち並んでしまっている。
- その仁王門もこれまた立派。こちらは備前市の登録文化財か何かにはなっている。
- 三重塔は室町時代前半に造られたものらしい。
- 棟札とかが出てきているわけではないが、様式とか描かれている絵の感じから室町時代前期のものと推定されているとか。
- 牛窓のお寺から移築したとか。
- 本瓦葺で朱塗りの塔が、非常に美しく、格好いい。
- 行基菩薩が建てた寺だと伝わる。
- 天平勝宝年間に孝謙天皇の勅命で備前四十八箇寺に加えられたとか。
- 今あるお堂や仏塔はだいたい岡山池田家が整備したもの。
- 寺伝では、今の本堂は応永年間に建てられたものと伝わる。でも出てきた棟札は永正13年(1516年)と応永年間より100年以上後。
- 寺では永正13年に改築工事をやったということにしているが……?
- 西片上駅から徒歩3分くらいで参拝できて、交通の便は非常によい。
- もっとも走ってる電車が毎時1本の赤穂線なので、最寄駅まで交通の便がよいかどうかは別問題。
- 車なら国道2号線沿いなのでこれまたアクセスが良さそうに思えるが、駐車場はないのでこれまた微妙。
餘慶寺[編集 | ソースを編集]
- 海に近いけど山寺。ちなみに古刹。
- 平安時代の仏像なんかを結構所蔵してらっしゃるようで……
- 古いから仕方ないと言われたらそれまでだが、名前を何度も変えている。
- 源平合戦で燃え、応仁の乱でも被災している。絶対、厄払いしたほうがええ。
- その割に栄えまくって伽藍の数だけで言えば、県内トップ。
- 邑久町にある小山の上にある。寺の境内からは吉井川と西大寺地区の街並みが見える。
- JRの最寄駅(赤穂線大富駅)から行くと、寺のある山に入ると最初は林の中を進み行くのに中腹を過ぎると住宅街に突入するため、道はこれであっているのかと不安になってしまう。
- 川を挟んで真向かいみたいな立地にある西大寺とは宗派が異なるにも関わらず、いろいろと提携している。
- 例えば両方とも三重塔があることを活かして、それに因んで西大寺と餘慶寺の双方にお参りして初めて満願成就となる御朱印企画を打ったり。
- 御朱印やお守りを買うと、どう考えても普通の参拝者だろという人間にまで、寺でやってる霊園墓地の案内とかも渡してくる。
長福寺[編集 | ソースを編集]
- 現存する物では岡山県最古の木造建築物である三重塔が目玉。
- 歴史的価値は十分にあるんで重文指定。
- 公共交通だと岡山から湯郷温泉方面行のバスで何時間もかけて行かねばならない。不便。
- 鑑真和尚が開基らしい。その後栄えまくって坊の数が65に達したらしいが……
- 大きくなりすぎると内部抗争がぼっ発するのは御仏に仕える身でも変わらんのだなと……
誕生寺[編集 | ソースを編集]
- 法然聖人誕生の地。
- 開基はあの熊谷次郎直実。
- 銀杏の樹が名物。とにかく横へ横へと伸びている。
- 裏返すと、秋は……臭い……
普門寺[編集 | ソースを編集]
- 花の山寺として知られる。
- 紫陽花、石楠花、夕菅など様々な花が季節ごとに咲くが、一番は紅葉だったりする。花やないし……