峠
峠の噂[編集 | ソースを編集]
- 古来より、山脈によって阻まれている文化や人の交流圏をつないできた。
- 「峠」は、音読みがない漢字の一つ。
- 山の上り下りという字面からしてわかるかもしれないが、和製漢字。
- 「国字」と呼んであげてください。
- 山の上り下りという字面からしてわかるかもしれないが、和製漢字。
- 日本の場合、祠や道祖神、石仏などが置かれていることが多いが、海外ではどうだったのだろう。
- 古くは他所と自分たちの間にある結界的な存在とみなされていたとか。
- 地形的な隔たりから国境になることが多い。
- だから争いごとも絶えない。青崩峠みたいに峠の綱引きのように和気藹々とした争いごとをやっているところもあれば、水越峠みたいに死人を出すレベルの争いをやってるところもあったりする。
- 日本でも「○○峠の戦い」という名前の戦いが歴史上いくつもある。
- だから争いごとも絶えない。青崩峠みたいに峠の綱引きのように和気藹々とした争いごとをやっているところもあれば、水越峠みたいに死人を出すレベルの争いをやってるところもあったりする。
- 山形県にある駅。
- 力餅で有名。
- 沖縄には峠のつく地名はない。
- 病人に対しこの言葉が使われると、親族は覚悟を迫られる。
- 中国地方(特に岡山県)では、さしてきつくない峠に対し「乢」の字をあて「たわ」と読ませる所もある。
- 一部の人たちにとっては、公道レースのための山道のこと。
- 原義通りの「峠」なのは少数派。
日本の峠[編集 | ソースを編集]
北海道[編集 | ソースを編集]
中山峠[編集 | ソースを編集]
関連項目:道の駅 望羊中山
- 何はなくとも揚げ芋。
- 地味に札幌~函館の最短ルート。
- 高速が室蘭とか伊達あたりまでしかなかった時代は、この峠を80km/h、90km/hで走るサンデードライバーが多くいた。
- 札幌〜函館間の夜行バスもここで休憩する。
- 「渡島中山峠」もある(こちらは北斗市と厚沢部町にある)。
塩狩峠[編集 | ソースを編集]
- 明治期にここで起きた悲劇をもとに書いた三浦綾子の小説で有名。
- 現在では、峠の頂上近くに三浦綾子の旧宅を復元した「塩狩峠記念館」がある。
- 峠そのものはそこまで急勾配でもない。トンネルもないしキハ40でも登れる。
美幌峠[編集 | ソースを編集]
- 何と美空ひばりが歌にした。
- 屈斜路湖を見下ろす眺望が素晴らしい峠。
- 美幌町の道の駅もここ(の頂上)にある。
- 公共交通ユーザーにとっては峠ともども行きにくい所の1つ(路線バスがないため)。
朝里峠[編集 | ソースを編集]
- 定山渓温泉と朝里川温泉の中間地点。
- 札幌〜小樽間の裏ルートでもある。
- 巨大な朝里ダムがあり、壮観。
- 展望台こそ無いものの、眺めが良いことから観光地となっている。
- 札幌市南区となっているが南というよりは札幌市内でもかなり北の方。
稲穂峠[編集 | ソースを編集]
- 道内でもスタック現象が多く起きる。
- トンネルが狭いことや線形があまり良くないため。
- 小樽市や札幌市手稲区にそれぞれ「稲穂」という地名があるため、小樽や札幌にあると勘違いされやすい。
- 小樽〜倶知安のちょうど中間地点。
- 函館本線もここを通る。
オロフレ峠[編集 | ソースを編集]
- アイヌ語がそのまま峠の名前となっている。
- 洞爺湖や昭和新山・有珠山と登別市内の温泉(登別温泉・カルルス温泉)を結ぶ中間地点。
- 昭和新山や有珠山、天気が良ければ洞爺湖を眺めることも出来る。
- ドラマ「西部警察」にも登場し、峠から車を突き落とすロケに使われた。
江丹別峠[編集 | ソースを編集]
- 道北では数少ない眺望の良い峠の1つ。
- 江丹別の牧草地や、朱鞠内湖を眺めることができる。
- かつては近くに深名線が走っていた。
川汲峠[編集 | ソースを編集]
- 峠が函館市内で完結してしまうという衝撃。
- 旧南茅部町を合併した結果だけどね。
- 読みにくい
- 「かっくみとうげ」と読む。
- 珍走団が良く出る。
毛無峠[編集 | ソースを編集]
- 小樽市・赤井川村
- 毛の無い人にはあまり喜ばれない名前。
- 由来自体はアイヌ語の当て字。
- 旧名は「小樽峠」だった。
- 朝里峠の真裏。
- 小樽市側の地名は「朝里川温泉」だが、ここを通っても朝里川温泉の温泉街へは行けない。
- キロロリゾートも程近い。
- 同名の峠が群馬にもある。こっちの方はあることでネット上では有名。
狩勝峠[編集 | ソースを編集]
- 道央と道東の境界線と言っても良い。
- 西側が石狩川水系、東側が十勝川水系なので日本海と太平洋の分水界でもある。
- 西側が「上川地方の空知郡南富良野町」、東側が「十勝地方の上川郡新得町」なのでこの上なく紛らわしい。
- 根室本線や道東自動車道もここを通り、まさに大動脈とも言える。
- 日勝峠よりも走りやすいため、道央~道東間の移動で最短ルートの日勝峠ではなくこちらを通る人も多い。
こばやし峠[編集 | ソースを編集]
- 札幌市中央区・札幌市南区
- 峠が「中央区」にある衝撃。
- 南区と西区・手稲区・小樽方面を札幌都心を通らずに行き来するために使われる。
- だが盤渓北ノ沢トンネルの開通により旧道となってしまった。
- 小林さんが周辺道路を開発したため「小林峠」となった。
- 藻岩山の真裏。
北見峠[編集 | ソースを編集]
- 北見市を通っていないのに「北見峠」。
- 北見市を通っているのは石北峠。
- 石北本線や旭川紋別道もここを通るが、トンネルに隔てられている。
- しかし道北と道東を結ぶ大動脈の1つとなっている。
- 交通事故が多発する難所の1つ。
石北峠[編集 | ソースを編集]
- 上川町・北見市
- 北見市を通っているのは北見峠ではなくここ。
- 旭川と北見を結ぶ最短ルート。
- しかし最近は旭川紋別自動車道の整備により通行する人が減っている。
- 大雪山や阿寒の山々を眺めることができる。
日勝峠[編集 | ソースを編集]
- 道央と道東の境界線のひとつ。
- 本州の標高3,000mに等しい環境のため、通行条件がかなり厳しい。
- 気象条件によってはすぐ通行止めになる。
- 日高町の道の駅はここを越える人で賑わっていたが、道東道の全通により利用者が減った。
- 2016年8月の台風で大規模な土砂崩れが発生し、全線復旧まで半年かかった。
ホロホロ峠[編集 | ソースを編集]
- 白老町と旧大滝村の間には道路が古くからあったが、冬期間通行止めになるぐらい線形が悪いため通年走行ができるように整備されたのがここ。
- アイヌ語っぽいネーミングではあるが実は公募で決められた。
- まあ近くにある山「ホロホロ山」はアイヌ語由来だけどね。
- 伊達市内の北湯沢温泉に「ホロホロ山荘」という旅館があるが、ここからは離れている。
- 由来はやはりホロホロ山から。
- ホロホロ鳥は関係ない。多分。
岩手[編集 | ソースを編集]
十三本木峠[編集 | ソースを編集]
- こちらもSL三重連で往年の鉄道ファンに知られている。
- 20‰越えもある勾配がだらだらと続く区間で、且つ日本の大動脈なので長大な貨物列車を高速走行させる必要があり、電化まで補機による牽引力UPが行われた。
- 国道4号線の最高地点はここ。
- 地形としては結構開けていて、峠越えの雰囲気はやや薄い。
- 意外なる事実:峠の北側も南側も馬淵川水系。つまり分水界ですらない。
大場谷地峠[編集 | ソースを編集]
- 峠の頂上に来ると平らな野菜畑が広がっていて、拍子抜けする。
- 頂上地点の国道からその野菜畑を突っ切るように一本道が伸びる。その道を進んだ先は一大リゾート地の安比高原。
- その道が分岐する所に、周辺に人家もないのにローソンがぽつんとある。
- ただ、頂上に至るまでは急坂が続くので、峠らしい雰囲気はある。
- 県境になってもおかしくないレベルの峠だが、平成の大合併で両サイドとも同じ自治体になってしまった。
- 陸中と陸奥の国境ではある。
巣郷峠[編集 | ソースを編集]
- 中央分水界である奥羽山脈を越える峠なのに、頂上の標高は300m未満と意外なほど低い。
- 峠自体もかなりなだらか。特に岩手県側はほぼ平坦で峠感は全く感じられない。
- 秋田県側はそれなりに急坂だが、頂上近くまで人家や畑があり開けていて、やはり峠という感じは乏しい。
- 峠の頂上近くの岩手県側に巣郷温泉がある。特に「クアハウス巣郷温泉」はほぼ峠の頂上(=県境)と言っていい所に建っている。
秋田[編集 | ソースを編集]
発荷峠[編集 | ソースを編集]
- 十和田湖の南の玄関口。
- 十和田カルデラの外輪山にあり、十和田湖の眺望が素晴らしい。展望台もある。
- 十和田湖は奥入瀬川水系(太平洋側)。南側は米代川水系(日本海側)。よって中央分水界に当たる。
- 南(鹿角)側から来ると、峠を下った先(十和田湖岸)が青森県でなく小坂町なのが何か納得がいかない。
矢立峠[編集 | ソースを編集]
- 奥羽本線の矢立峠越えの区間は、電化前の旧線時代(国鉄時代の1970年までの時期)には、D51形蒸気機関車が三重連で貨物列車を牽引する雄姿が見られた。
- 旧線時代の矢立峠越えのD51の三重連は、NHKテレビの往年の紀行ドキュメンタリー番組『新日本紀行』において、テーマとして取り上げられたことでも有名である。
- ↑は、「三重連の峠~秋田・青森県境 矢立峠~」の回(1970年9月21日放送)のことである。
- 『新日本紀行』の傑作選のビデオソフト全60巻の中の1巻(第6巻)としてもリリースされている。また、「NHKアーカイブス」枠でも、デジタルリマスター版としてリバイバル放送された。
- ↑は、「三重連の峠~秋田・青森県境 矢立峠~」の回(1970年9月21日放送)のことである。
- 旧線時代の矢立峠越えのD51の三重連は、NHKテレビの往年の紀行ドキュメンタリー番組『新日本紀行』において、テーマとして取り上げられたことでも有名である。
福島[編集 | ソースを編集]
栗子峠[編集 | ソースを編集]
- 板谷峠と共に福島~山形への交通の要衝であるが向こうが鉄道に対しこちらは道路である。
- 別名「万世大路」。明治天皇より拝命された。
- 中央分水界である。
山形[編集 | ソースを編集]
板谷峠[編集 | ソースを編集]
- 碓氷峠などと並ぶ鉄道の難所で急勾配がある。
- かつては碓氷峠と同じく機関車で牽引していた。碓氷峠の方は廃止になったがこちらは機関車の牽引から脱し自力で走るようになった。
- 道路の方は栗子峠を経由している。
群馬[編集 | ソースを編集]
清水峠[編集 | ソースを編集]
- 上野国から越後国へ抜ける主要道路の一つだったのだが、三国峠の整備が優先されたために衰退。
- 明治時代に新潟港へ向かう重要道路として整備されて再開通したものの、1ヶ月足らずで崩壊してしまった。
- 崩壊が激しすぎて未だに踏破できた人はいない。
- 途中の隧道は崩壊埋没橋梁はすべて流失大規模な路盤決壊も複数の箇所で生じており行くには登山装備やロッククライミングの技術が必要不可欠であり、そこを抜けると未開の地が待っているという。
三国峠[編集 | ソースを編集]
- 越後山脈の鞍部として越後と上毛の人の行き来の場となった。
- 新人時代の田中角栄は「ここをダイナマイトで吹っ飛ばせば越後に雪は降らなくなる」と演説で語っていたとか。
- 代わりに関東側が豪雪地帯になるのですが...。
- 雪雲がぶつかる山がないから雪を降らせずに太平洋に抜けるだけかと。
- 代わりに関東側が豪雪地帯になるのですが...。
毛無峠[編集 | ソースを編集]
- グンマーネタでよく使われる「この先危険につき関係者以外立入禁止」の看板がある場所。
- ネット上で数多くあるグンマーネタのうち、唯一本当に群馬にあるもの...のはず。
- 群馬県側にはかつて鉱山があった。
- 現在は長野側からしか行けないらしい。
渋峠[編集 | ソースを編集]
- 国道最高地点がある。
- 草津白根山の状況によってはバイクの通行規制が行われることがある。
碓氷峠[編集 | ソースを編集]
- よく碓井峠と誤植される。
- 中仙道の一部。
- この峠は急勾配で古来より難所とされており廃止された信越本線は機関車で牽引し新幹線に至っては急勾配を避け大きく迂回して峠を越える程であるが、それでもきつい。
- 国道18号もやはりくねくねしている。
- 「峠の釜めし」の峠はここのこと。
- 清水トンネルが出来る前は鉄道で東京~新潟へ行く主なルートであった。
鳩待峠[編集 | ソースを編集]
- 尾瀬の玄関口。
- 車が乗り入れできるのはこの峠の頂上まで。ここから尾瀬へは徒歩で下るしかない。
- 中央分水界になるが、群馬県内にある。
- ここから北側(尾瀬側)は、水系上は日本海側(阿賀野川水系)に入るがまだ群馬県。
神奈川[編集 | ソースを編集]
箱根峠[編集 | ソースを編集]
- 函南・三島側は土日の深夜になるとローリング族のレース会場になる。
- そして静岡県警の溜まり場にもなる。
- 関東の東の防衛戦として、長きに渡り天然の城壁となっていた。
- 東海道の難所の1つとして知られている。
山梨[編集 | ソースを編集]
笹子峠[編集 | ソースを編集]
- 郡内と国中を分ける。
- 甲州街道一の難所は、甲信国境でも武相国境の小仏峠でも、甲相国境でもなく、ここだったとか。
- 峠付近の旧トンネルは心霊スポットとしても有名。
北沢峠[編集 | ソースを編集]
- ほぼ登山者のためだけにある峠。
- 南アルプス林道が通る。
- 但しこの林道は未舗装かつマイカー走行禁止。唯一走れるのは両自治体が運行する「南アルプス林道バス」のみ。
- その林道バスは、山梨側、長野側ともここで折り返す。もし登山を志さないバスヲタとかが全線乗り通そうとした場合も、乗換のため必ずここに降り立つことになる。
長野[編集 | ソースを編集]
和田峠[編集 | ソースを編集]
野麦峠[編集 | ソースを編集]
- あゝ野麦峠
- 野麦街道が通る。
- 加賀藩は、ここを通って参勤交代をしていたらしい。
- 近代までは、真冬でも結構な往来があったらしい。
- そして結構な遭難者がいたらしい。江戸時代、松本藩が避難小屋をいくつも建てる等により、種々の対策を行ったという記録がある。
青崩峠[編集 | ソースを編集]
- 南アルプスの山の中にある峠。
- とんでもなく山深い所を行くが、こんな所であっても武田信玄の軍勢は通り過ぎた。
- 日本のトンネル技術vs世界屈指の地形の急峻さと地盤の脆さ
- 青崩峠にトンネルを掘ろうとして、一度失敗し撤退するも、結局再チャレンジして今に至っている。
- 再チャレンジのための調査抗だけでも掘るのに6年かかっている……
- 青崩峠にトンネルを掘ろうとして、一度失敗し撤退するも、結局再チャレンジして今に至っている。
- 毎年、綱引きをやってる。勝ったほうが県境を1mずらす権利を持っているらしい。
- 実際のところ、本当にそれで地番が変わるとかいうわけではなく、ただのお遊びだが。
富山[編集 | ソースを編集]
倶利伽羅峠[編集 | ソースを編集]
- 越前と加賀を分ける峠。
- 源平合戦での倶利伽羅峠の戦いで有名である。
- 北陸の交通の要衝であるが国道8号が通っていたのは少し北にある天田峠である。
福井[編集 | ソースを編集]
木ノ芽峠[編集 | ソースを編集]
- 近畿方言の北限。
- 古来より北陸道は、この峠を越えていた。
- ヤマト王権、高志の国双方にとって、天然の城壁になっていたと思われる。
- なのに何故か、敦賀郡は越国に譲り渡されている
- ヤマト王権、高志の国双方にとって、天然の城壁になっていたと思われる。
- 通称、木嶺。嶺南・嶺北という区分けは木の芽峠を基準に分けて考えることになっている。
- 南越前町河野村って、嶺南か嶺北かどっちになるんやろなあ。
- 中世以降、関守が置かれた。
- その末裔の方は今でも峠の上にある茅葺屋根の家にお住まいになっている。
栃ノ木峠[編集 | ソースを編集]
- 中世以降、海津から峠を越えて敦賀へ降り、もう一回木ノ芽峠を越えるという、なんともアップダウンのきついルートを避けるために活用されるようになった峠。
三重[編集 | ソースを編集]
鈴鹿峠[編集 | ソースを編集]
- 滋賀側はなだらか、三重側は急峻な峠。
- その険しさによる難工事を嫌い、東海道線・東海道新幹線や名神高速は中山道コースを取ることになった。
- 東海道線の場合、その難工事を嫌ったというより、日本海と太平洋のアクセス、関西と中京の短絡化に琵琶湖を活用することを意識したら関ケ原周りになっただけだと思う。
- というより、中山道幹線のつもりで建設した区間を東海道線に流用したからそうなっただけ。鈴鹿峠の勾配は関係ない。
- 東海道線の場合、その難工事を嫌ったというより、日本海と太平洋のアクセス、関西と中京の短絡化に琵琶湖を活用することを意識したら関ケ原周りになっただけだと思う。
- 古来よりいろんな和歌の歌枕に出てくる。
- 峠付近には盗賊が頻繁に出たらしく、いろんな文献でその対策の話が出てくる。
- 有名どころでは鈴鹿御前か。彼女は自分を退治しにきた坂上田村麻呂と夫婦になって娘を作ったなんて伝説まである。
- 鈴鹿馬子唄はこの峠を越える馬子が歌った唄。
加太越[編集 | ソースを編集]
滋賀[編集 | ソースを編集]
追坂峠[編集 | ソースを編集]
- 「おっさか」と読む。
- 南側(海津側)から来た場合は延々長い上り坂を登るが、北側(敦賀側)から来た場合は、ゆるい坂がわずかにある位で全く峠という感じがしない。
- 典型的な片勾配型の峠。
- 頂上に道の駅マキノ追坂峠がある。
京都[編集 | ソースを編集]
老ノ坂峠[編集 | ソースを編集]
- 四堺の一つ。
- 古代より都で変質者とみなされたり窃盗の罪を働いたヤカラは、峠の丹波側に住まわされたとか言われている。
- 一説では出雲王朝の勢力圏の東限とされている。
- 丹波には出雲大神宮がある、山陰道の一部になっているなどヤマト王権とは勢力が違うことが伺える。
- 大江山の鬼の首を納めた首塚がある。
- 旧・山陰街道の道沿いにあって首塚大明神と呼ばれている。
- 東映太秦映画村の俳優は、撮影時間の短い1日仕事をなぜか「老ノ坂」と呼んでいたらしい。(昭和の頃の話)
洞ヶ峠[編集 | ソースを編集]
- 日和ってる。
- 交差点。
- 国道1号が通る交通の要衝。
- 峠って感じはあんまりない。
- 峠の茶屋はある。ぼたもちを売ってる。
榎峠(福知山-青垣)[編集 | ソースを編集]
- 国道429号の酷道区間の代表。
- 幅3~5m程と離合不能な道が何kmも続き、地元民にも敬遠され、通るのは酷道ファンばかり。
- だが、この酷道状態なのに丹波市は救われている面も。
- もしここが快適な道だったら、旧青垣町は岩井(福知山市)にあるイオンにストローされまくっていただろう。
- ところが、2026年度を目途に新道が造られるらしい。青垣の商業ピーンチ!
与謝峠[編集 | ソースを編集]
- 福知山市・与謝野町
- 今でこそ京阪神から丹後を目指す車がガンガン走る道だが、S50年代前半までは交通困難な酷道だった。
- 当時は丹海バスがここを越えられず、福知山市側だけ飛び地路線になっていた。
夜久野峠[編集 | ソースを編集]
- 福知山市・兵庫県朝来市
- 峠というより平坦な丘といった雰囲気。
- 頂上付近には蕎麦畑や長浜ラーメン店、ドライブイン、道の駅などがあり、峠の下より開けていて賑やか。
- 円山川の所にも書かれてある通り、頂上は県境より京都府寄りにある。
奈良[編集 | ソースを編集]
伯母峰峠[編集 | ソースを編集]
- 一本たたらという妖怪が出てきては旅人を襲ったらしい。
- 神武天皇が大和に入る時に通ったとされる。それくらいに古い歴史がある。
- 江戸時代、柿の葉寿司の原料の鯖はここを通って大和や伊都にもたらされていた。
大阪[編集 | ソースを編集]
竹内峠[編集 | ソースを編集]
- 日本で最初の官道が通った峠。
暗峠[編集 | ソースを編集]
- 難波津と平城京を結んだ暗越奈良街道の通った道。
- 昼でも暗いから暗峠なのか、あまりの急勾配で馬の鞍がひっくり返るから暗峠なのかが判然としない。
- 江戸時代から続く茶店があったりする。
- コンクリで固められた石畳が敷かれているが、これ、実は郡山藩が敷いたものを後年に入ってコンクリートを流し込んで、固めたものだとか。
- 株式会社TOKIO社長の城嶋茂氏が、昔、ここをトゥクトゥクで越えたことがある。急な下り坂カーブを下るとき秘儀「シゲちゃんマンカーブ」はここで編み出されたとか。
- 普通の自転車でも結構きついのに、ようやるわ……
水越峠[編集 | ソースを編集]
- 河内と大和で紛争が起きる原因となった峠。
- この紛争で河内側が負けたため金剛山は山頂部分が奈良県の一部になっている。
- 本当に水が越える峠。
- 越えるというか、越えさせた。元々河内に流れていた水を、大和の住民が水路工事の上、大和へ流した。
- 後に河内で水不足が発生したときに、その水を河内へ落ちるように、河内の住民が工事したが、これが元で河内と大和の農民同士、殺し合いの喧嘩になっている。
- 越えるというか、越えさせた。元々河内に流れていた水を、大和の住民が水路工事の上、大和へ流した。
- 水越峠トンネルが峠の下をぶち抜いている。
- 結構走りやすいトンネルなのに、なぜか制限速度は40km/時。
- しかも奈良→大阪でトンネルを抜けるとトンネル出口の先にある旧道との合流点で、富田林警察が速度取締りなんていう嫌がらせで出迎えてくれる。。。
- 結構走りやすいトンネルなのに、なぜか制限速度は40km/時。
- 標高1,125mの金剛山と959mの葛城山。その間にあって標高510m程度という低さのせいで、大阪市内から見てもものすごい落ち込みようがわかる。
千早峠[編集 | ソースを編集]
- 天誅組が越えた峠。
- 千早地域は、昔は五條から嫁を貰うことが多かったらしく、嫁入りに際しては、この峠を越えてやってきたとか。
和歌山[編集 | ソースを編集]
紀見峠[編集 | ソースを編集]
鳥取[編集 | ソースを編集]
志戸坂峠[編集 | ソースを編集]
- 鳥取から京阪神へ行く人が、ほぼ100%通る峠。鳥取県東部・中部の人の生命線的なルート。鳥取の物流網・鳥取への出入りに、この峠を使わないという選択肢はほとんどない。
- 鳥取自動車道、智頭急行が抜ける。
- 姫路~鳥取の幹線国道は若桜街道経由なので、意外かもしれないが、少なくとも平安末期の国司の赴任時のルートは志戸坂峠越えでだったと言われている。
- だいたい〇〇坂とかいう名前の峠道は、古来からある道路だったりすることが多い。
岡山[編集 | ソースを編集]
人形峠[編集 | ソースを編集]
- 倉吉盆地と津山盆地を繋ぐ峠。鳥取側は急だが岡山側は緩やか。
- 周辺ではかつて天然ウランの採掘が行われていた。
佐賀[編集 | ソースを編集]
三瀬峠[編集 | ソースを編集]
- 福岡市と佐賀市を結ぶ最短経路にある峠。
- ゾンビランドサガの楽曲「佐賀事変」にこの峠が出てくる。
- ちなみにその後に出てくる「俵坂」は、長崎と佐賀の境界にある。
世界の峠[編集 | ソースを編集]
アジア[編集 | ソースを編集]
タングラ峠[編集 | ソースを編集]
- 青海省とチベットをつなぐ鉄道・道路が通っている。
- 世界最高地点(標高5068m)にある鉄道駅が立地している。
- ただし線路そのものの最高地点とはやや外れている。
- 道路に至っては標高5231mとアフリカ第2位の高峰ケニア山より高い。
- 世界最高地点(標高5068m)にある鉄道駅が立地している。
- 一部旅行会社のツアーでは「高山病になるといけないので外に出るな」と脅される。
カイバル峠[編集 | ソースを編集]
- 古代からインド世界とアフガンを行き来する貴重な交通路となってきた。
- ペルシャ帝国やムガル帝国の大軍も幾度となくこの峠を通ってきた。
- 現代ではアジアハイウェイ1号線も通っている。
- 現在の道路は19世紀以降にこの一帯を支配したイギリスが整備したもの。
- パキスタン側ではかつてこの峠の国境近くまで走っていた鉄道が観光用に復元されSLも運転されている。
- アフガニスタンが平和だった頃にはバックパッカーたちが陸路で国境を越えていた。
- 今はイスラム過激派出没の危険があり下手に越境できるような場所ではない。
ヨーロッパ[編集 | ソースを編集]
ソンポルト峠[編集 | ソースを編集]
- 古くからイベリア半島とフランスを行き来する人々に愛用されてきた峠。
- 言い方を変えれば「アフリカへの入り口」とも言えなくもない。
- ピレネー山脈のちょうど真ん中くらいにある。
- サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路のうち一つがここを越えるルート。
- ただし世界遺産の範囲には含まれないと思われる。
- 昔はこの峠を越える鉄道もあったが事故を起こし休止状態。
- 英語版Wikipedia記載の路線図にはフランス側にループ線らしきものが記載されているのが見える。
- 西ゴート族、ウマイヤ朝、ナポレオンなどの軍勢も何度も突破している。
- 第2次大戦にスペインが参戦していたらここも激戦地になっていたであろう。