幸運なモノ事典
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独立済み[編集 | ソースを編集]
企業[編集 | ソースを編集]
- アイホン株式会社
- 愛知のインターホン、だからアイホンと名付けた。
- 半世紀たって、太平洋の向こう側からアイホンと名乗るデバイスが来たぞ?
- 日本でアイホンと名乗るなら金をくれ!
- 毎年1億円のお年玉をもらえるようになった。
- iPhoneの商標は、下記企業のライセンスに基づき使用されています。アイホン株式会社
- 逆です。(ここが「商標を使わせないぞ!」ってブチ切れたら、下の会社が日本でアレを売ることが出来なくなるとか。)
- Apple(旧アップルコンピュータ)
- マッキントッシュなど、様々な先進的機器を発明。
- しかし流行が追い付かなかったのか、他社に抜かれてしまう。
- マッキントッシュと他のパソコンの互換性が良くなく、外部プログラムの作成があまり進まなかった。
- いや、単に高かったから。今でもiPhoneはAndroidに比べて高いけど、MacintoshとPC+DOS or Windowsの差はそんなもんじゃなかった。
- ストリーミング式音楽再生端末iPodで形勢逆転開始。
- とりあえず資金源は得た。
- スマートフォン市場にiPhoneで参入。
- アメリカと日本でバカ売れ、アップルコンピュータの新たなる地位を確立する。
- もはやコンピュータというよりスマホの会社になってしまったので、社名をAppleに変えてしまった。
- 今ではiPadも製造しているほか、マッキントッシュのアイコンもiPhone化させてしまった。
- GeForce 8800番台まではAMD(旧ATI)のRadeonに対して優位に立っていた。
- しかし、その後はリネーム商法(GPU自体が同じなのに別の型番をつけて出す)、リコール無視、新製品のエア発表(実物として出されたボードが動かないモックアップだった)、火葬ドライバー(ドライバーの不具合でGPUが焦げてしまう)など迷走。
- 特にGTX480は発熱量も消費電力も大きかった。
- 600番台の完成度が高く、NVIDIAは復活。
- さらにNintendo SwitchにTegraが採用、NVIDIAのプロセッサーがAI・機械学習や自動運転用プロセッサーの標準になり、完全復活している。
- ビットコインなどの暗号資産のマイニングを行うのに、CPUよりも高速処理演算が可能なGPUが用いられることが多く、ビットコインの高騰に合わせてNVIDIAの株価も高騰する。
- GPU需要増にあわせてグラボの値段も高騰し、一時期、グラボが入手し難くなる状態になる。
- AMD
- 64ビットCPUのアーキテクチャ争いでIA-64をAMD64が破り、Athlon64X2やPhenomIIの低発熱高スコアCPUをヒットさせ、完全にIntelから覇権を握る。
- が、その後マルチコアに特化したFXシリーズがソフトウェア業界からの支持を得られず大コケ、同時にRadeonシリーズもコケる。
- 買収したATiからゲーム系APUも引き続き開発していたが、そのWiiUがコケる。
- 心機一転、FXを切り捨てて新アーキテクチャで開発したRyzenシリーズがまた低発熱高スコアを達成、再びIntelから覇権を奪い返す。
- ゲーム部門もPS5、Xbox Series Xの両方でAMDが導入されるという勝ち組に返り咲く。
- PS4/XBox OneもAMDだから元々第8世代からAMDの天下なんだけど・・・
- マンダム
- 当初の社名は「金鶴香水株式会社」。戦前から主力ブランドの「丹頂チック」が男性化粧品のトップシュアとなっており、1959年に社名もブランドである「丹頂株式会社」に変更した。
- 60年代に入ると資生堂の男性化粧品ブランド「MG5」の大ヒットにより倒産寸前にまで追い込まれる。
- 1970年に社運をかけた新ブランド「マンダム」発売。CMに西部劇のスター、チャールズ・ブロンソンを起用。更にはアメリカで撮影という前代未聞のCMで当初は反対意見も多かったが結果上大ブームとなる。
- CMのラストでブロンソンが顎にマンダムを塗りながら「う~ん、マンダム」は当時の子供なら必ず真似したことはあるほど。
- 「マンダム」のヒットにより社名もブランド名である「マンダム」に変更し現在に至る。
教育[編集 | ソースを編集]
- 品川女子学院
- 平成初期までは受験者数が伸び悩んでいたが、制服を教職員達がデザインしたおしゃれなキャメル色のブレザーに刷新したところ、受験者数が増加。制服も他校に影響を与えた。
- 広末涼子の出身校であったため、ブレイクと相まって受験するファンも現れた。
- 東京都立日比谷高等学校
- 1960年代前半まで東大合格者数が全国1位だった。
- しかし、1967年に学校群制度が開始したことにより東大合格者数が激減。
- その後も開成などの私立の台頭により、1993年には東大合格者数が1人になってしまった。
- 2001年に東京都が日比谷を進学指導重点校に指定し、進学指導に力を入れるようになった。
- 結果、2016年に東大合格者数が50人を突破し、2018年には1970年以来48年ぶりに東大合格者数ランキングでトップ10に入った。
- 最近では開成に合格していても日比谷に進学する受験生も出るようになった。
- 現在の大学があるところはもともとはアメリカの大学の日本校として開校した大学の敷地だったが、その日本校は2003年に閉校となった。
- それを秋田県が改めて公立大学として開校したところ、グローバル化に対応したカリキュラムが企業に受け、就職実績がよかったために秋田県以外からもたくさんの学生が集まるようになった。
- 江川卓氏の母校として有名な栃木の私立高校で、野球の強豪校として有名。
- ちなみに江川氏は福島出身。
- しかし1977年を最後に夏の甲子園大会に出場することができなくなっていた。
- 2009年に31年ぶりに甲子園に出場するようになり、野球の強豪校としての地位を復活させた。
- 特に2016年の大会では全国でも優勝している。
- 野球の強豪校として有名な一方で、昔は進学面では大したことなく、英進部ですら「県立高校に落ちた子が行くところ」という認識だった。
- しかし近年は進学校としても注目されており、東大や国公立医学科に合格する子も出てきた。
地理[編集 | ソースを編集]
国[編集 | ソースを編集]
- 大韓民国
- 日本の敗戦により独立したものの、当初は農業国であり、日本統治時代に工業化が進んでいた北朝鮮との国力の差は歴然としていた。
- その後北朝鮮の奇襲により首都ソウルをはじめとする国土の大部分を占領され、一時は国家消滅の危機に立たされた。
- そしてアメリカを主体とする国連軍の奮戦もあって最終的に当初独立した時点とほぼ大差ない領土を回復したものの、国中が焼け野原に。
- 加えて当時は北朝鮮の計画経済が上手くいっていた一方、韓国はアジア最貧国といってもいい貧しい国だった。
- 「あと10年もすれば北朝鮮に呑み込まれて消滅」とすら言われていた。
- 脱南する人もいたんだとか。
- しかしその後朴正熙政権になってから、日本やアメリカ、西欧諸国からの経済援助や西ドイツへの出稼ぎ、ベトナム戦争の特需により経済が急成長。
- ベトナム戦争自体には勝てなかったけどね。
- 結果世界屈指の高所得国の仲間入りを実現し、OECD加盟により名実共に「先進国」の一員になった。
- 第二次世界大戦(太平洋戦争)で壊滅的な被害を受けたが、後に朝鮮戦争の特需景気によって復興を果たした。
- それどころか所得倍増計画によって高度経済成長を迎え、(当時としては)アジアで唯一の先進国となった。
- 戦争でボロ負けしたのに天皇制(外国でいう王制)の維持が認められた。
- ドイツや朝鮮半島と異なり国家の分断を免れた。
- かつては欧米諸国に比べて平均寿命が短い国だったが、今では世界一の長寿国だ。
- かつてはマレーシアの一都市だったが中国系移民とマレーシア政府の対立により独立せざるを得なくなった。
- 武力衝突による多数の死者も出てしまった。
- しかしリー・クアンユーの開発独裁によってシンガポール経済は急速に成長し、今では東南アジアで唯一の先進国となっている。
- 2度の世界大戦で日本以上に甚大な被害を被ったが、今では世界トップクラスの先進国だ。
市町村[編集 | ソースを編集]
- 戦前までは貧困自治体だった。
- 戦時中には名古屋の工業地帯と思わせて米軍の空襲を狙わせるため、裸電球を吊るしたこともあった。
- その名の通り伊勢湾の三角州地帯が村域だったため、東南海地震や伊勢湾台風の被害をもろに受けた。
- 名古屋市などの周辺自治体との合併をことごとく拒否された。
- しかし伊勢湾台風後の復興の過程で村域に臨海工業地域が作られる。
- 今では三菱重工業のH2ロケット工場も立地する。
- 今となっては日本屈指の財政力指数を誇る自治体に。
- しかしそれを狙った弥富町(当時)らとの合併を虫が良すぎるからと拒否。今では立場も逆転した。
- 工業地域を除く村域の大半が市街化調整区域に指定されており、他都市からの移住は(婿/嫁入りなどを除き)非常に困難となっているのもこの歴史のためか。
- 1950年代から60年代にかけて、ニシンやホタテの漁獲量の減少、林業衰退、炭鉱の閉山などによって村民の生活が北海道最貧レベルになってしまった。
- 70年代に入ってからこの状況を何とかしようとホタテ稚貝放流事業を始めたが、これが大当たり。
- 大量にホタテを獲ることができるようになったことで村民の収入が格段に上がり、平均年収ランキングでは北海道どころか全国の自治体の中で上位に食い込むレベルになった。
- 北海道札幌市
- 戦前は貧しい農村であり、港町の函館市や小樽市などに後れをとっていた。
- しかし探検家の松浦武四郎が「広大な平野であり水資源も豊富で地盤も固い」という理由で道庁所在地になってからは徐々に発展。
- 戦後は本州に本社を置く企業の支社が札幌に次々とできたため、今では3大都市圏以外では福岡市と並び最重要都市の一つとなっている。
地区[編集 | ソースを編集]
- 戦前は東京一の繁華街だった。
- しかし、1960年代以降は、テレビの普及による映画館の閉館、池袋・新宿・渋谷の副都心の発展などにより衰退。
- だが、隅田川花火大会や浅草サンバカーニバルで注目される。
- さらに羽田空港・成田空港の両空港から一本で行けるようになったことや、つくばエクスプレス開業で国内外の観光客で賑わうようになっている。
世代[編集 | ソースを編集]
- 1966年生まれ
- いわゆる「丙午」。
- 気性のやばい女性が生まれやすいという迷信から出生数は大幅に低下し谷間を作った。
- このおかげでこの世代は受験戦争が比較的マシだった。
- もっとも浪人した上級生に押し潰される形になった生徒もいただろう。
- しかしこの世代による同年代の少なさを「実力」と勘違いした残念な方もネットでは見受けられるが。
- 大まかな世代の分け方だとバブル世代に当たり、高卒だとプラザ合意前夜だったが大卒だと売り手市場真っ只中だった。
- その後の不況でも、世代の人数が少ないこともあって境遇は比較的マシだったと思われる。
- 1988年度生まれ
- 平成初期生まれが「平成初」になるはずだった地位を食っているイメージが強い。
- 野球は「ハンカチ世代」。
- 彼らがプロに入団する2年前には辻本賢人が中卒で入団した(1989年1月6日生まれ)。
- 田中将大もこの調子なら200勝行けそうだが(2023年現在)、果たして平成生まれの200勝は出るのだろうか…
- また坂本勇人は2020年に31歳で2000本安打に到達。一方平成生まれ最多安打(2022年終了時点)は浅村栄斗の1702安打。これも年齢差以上に差を付けそうだ。
- 体操だと内村航平(1989年1月3日生まれ)が活躍。
- 北京五輪で金メダルを獲得したものの、平成生まれ初の金メダリストが出たのはその6年後に。
- 1994年度生まれ
- 1992年度生まれ→高校卒業・大学入学時期に震災直撃、1993年度生まれ→高3の高校スポーツ全国大会が震災直撃、1995年度生まれ→中学卒業・高校入学時期に震災直撃と前後の世代がいろんな形で東日本大震災の影響を受けた中、1992~1995年度生まれでこの世代だけ東日本大震災で受けた影響が少なかった。
- もっとも羽生結弦みたいに東北在住・出身者は世代関係なく大変だったことは言うまでもないが。
- その影響かどうかはわからないが、この世代はスポーツ選手が大豊作の世代として知られている。
- 平昌オリンピック終了時点でオリンピックの金メダリストが夏冬合わせて5人(羽生結弦、萩野公介、ベイカー茉秋、土性沙羅、川井梨紗子)。これは1978年度生まれに次ぐ2番目の人数。
- 団体種目の金メダリストも含めると高木美帆も入れて6人。
- 平昌オリンピック終了時点でオリンピックの金メダリストが夏冬合わせて5人(羽生結弦、萩野公介、ベイカー茉秋、土性沙羅、川井梨紗子)。これは1978年度生まれに次ぐ2番目の人数。
- 野球界もいわゆる大谷世代。
- 芸能界も西野七瀬、百田夏菜子、川栄李奈、二階堂ふみ、土屋太鳳、松岡茉優など女優の当たり年。
- サッカー界も南野拓実や室屋成、中島翔哉など日本代表や海外組がいる。
- 2005年度生まれ
- 2000年代生まれの中では谷間。
- 比較的上位の学校や企業が狙えるものだと思われる。
- 前年より約5万人少なく、これを次に下回るのは2011年。
- 例のアレの影響も、少なくとも上下年度に比べればマシだったと思われる。
- そして高卒・大卒で就職する頃には売り手市場となり、団塊の世代に対する焼け跡世代のポジションになれるだろうか。
その他[編集 | ソースを編集]
- プラレール
- 元々は幼児をターゲットにしていた鉄道玩具だった。
- トミーとしてはプラレール→スーパーレール→TOMIX(Nゲージ)にステップアップしていく考えを持っていた。
- 1980年代半ば頃には新製品すら開発できなくなる。
- 185系や阪急電車ですら165系の車体を塗り替えた代物だった。
- スーパーレールの失敗もあり、ターゲットを3歳以上に変えたところ、幅広い層に支持されることに。
- 今や古典的な車種やマニアックな車種までもラインナップされている。
- アニメ化されたシンカリオンもこの種類に入っている。
- 今や古典的な車種やマニアックな車種までもラインナップされている。
- 博多駅前道路陥没事故
- 福岡市営地下鉄七隈線の延伸工事中、博多駅前の道路がかなり大規模に陥没した。
- ただ発生したのが早朝だったのと、作業員が前兆に気づいて退避や道路の通行止めを事前に行ったため、死傷者は奇跡的にゼロだった。
- その後の復旧も早く、1週間後には交通規制が解除された。
- が、復旧に際し掘っていたトンネルごと埋めたため、結局七隈線の延伸は2年以上遅れることに。
- その後の復旧も早く、1週間後には交通規制が解除された。
- ONO消しゴム
- 兵庫県小野市がPRのため作った消しゴムだが、MONO消しゴムにそっくりなデザインが商標権に引っ掛ってしまい、販売中止となった。
- そもそも業者がトンボ鉛筆に許可なしで作ったのだから驚き。
- まぁニュース沙汰になったのでPRはできたのだけど。
- だがその後トンボ鉛筆の許可を得て作り直されることが決定。イベントなどで無料配布されるとのこと。
- ノイシュヴァンシュタイン城
- 中世ドイツの古城…ではなく、中世ロマンに取り憑かれた19世紀のバイエルン王ルートヴィヒ2世が、借金を重ねて建設した新しい城である。
- 当時の人々も「浪費家」「狂王」などと非難し、国王は廃位された。
- 現在ドイツを代表する観光名所に。
- シンデレラ城のモデルともされており、聖地巡礼需要もある。
- ヒトラー曰く「城の建設費で常識はずれの浪費家と言われたが、外国人の大部分はそれがあるからバイエルンに来るではないか」
- ピエリ守山
- びわ湖わんわん王国の跡地に開業したショッピングモール。
- 開業当時は約200の店舗があったが、リーマンショックによる不況やイオンモール草津などの開業で店舗数の減少が進み、最終的には3店舗にまで減少した。
- そのため、インターネット上では「明るい廃墟」「生きる廃墟」「ネオ廃墟」などと呼ばれるようになった。
- その後は2014年2月末に閉鎖したのち、12月にリニューアルオープン。あの頃の賑わいを取り戻したのであった…。
- 2016~2017年
- この頃のニコニコ動画は音MADの成り年であった。
- アンテが広まったのと、けもフレが大ヒットしたのが主な理由か。
- キスカ島撤退作戦
- 太平洋戦争中、日本軍がアリューシャン列島のキスカ島から、無傷での撤退を成功させた作戦。
- 爆撃機からの攻撃を避ける為、濃霧を待ってから短時間で撤収作業を行い、アメリカ軍に動きを察知されないようにして撤収を成功させた。
- アメリカ軍側にとって、すでに日本軍が撤退した後に無駄に砲撃を行ったり、同士討ちになって兵力を損害させられたりして「史上最大の最も実戦的な上陸演習」と皮肉られる。
- 島に上陸後、日本軍の軍医がいたずら心で作った「ペスト患者収容所」の看板を見て、米軍一同がペストに感染したと大騒ぎになった。
- リトルワールド
- 1999年から、名鉄が赤字経営に苦しんでいたために、陸運事業のリストラだけではなく、日本ライン観光や内海フォレストパークなどのレジャー事業のリストラに走り、この施設も例外なく閉鎖危機に。
- だが、2005年に愛知万博が開かれることにより、人気回復を果たした。
- オロナミンC
- 当初は炭酸入りであることを理由に医薬品として認められず、薬局での販売が難しいと見られていた。
- しかしながら医薬品ではないことを逆手に取り、薬局以外での販路を広げていった。
- コレは視点を変えれば栄養ドリンクの販売に抜け道を提供したとも解釈できる。
- しかしながら医薬品ではないことを逆手に取り、薬局以外での販路を広げていった。
- 縄文時代から日本人に食べられている魚だが、江戸時代初期まではイワシやサンマと並び下等な食用魚とされていた。
- 昔は冷凍技術が発達していなかったため、保存が難しい鮪は「猫でも食べない」と揶揄されるほど不人気だった。
- 他の魚と異なり塩漬けにすると風味が著しく落ちるのも不人気の理由だった。
- 特にトロ(脂身)は赤身よりもさらに傷みやすく、食べ物というよりも畑の肥料として使われることの方が多かったほど。
- 昔は冷凍技術が発達していなかったため、保存が難しい鮪は「猫でも食べない」と揶揄されるほど不人気だった。
- ところが徳川吉宗が征夷大将軍になってから一気に鮪の人気が急上昇した。