広島の寺院
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広島市内の寺[編集 | ソースを編集]
三瀧寺[編集 | ソースを編集]
- 境内の小さい滝に「梵音の瀧」なんて名前がついているが、コレがこの寺の由来なんだという。
- 戦後になって和歌山から移築された多宝塔がある。これが名物にして国宝物件。
- 国宝ではなく県の重要文化財。
- なお塔の中身の阿弥陀如来は国の重要文化財。
福王寺[編集 | ソースを編集]
- 可部にある古刹。でも無名。
- 寺のある山そのもののほうがまだ有名。
- 弘法大師が異様に光る杉を見つけたから寺を建てようと思って建てたらしい。経済的余裕があったんでしょうなあ。
- 金色の亀が住んでいたらしい。上の光る杉ってこいつの仕業じゃねえの?
不動院[編集 | ソースを編集]
- 創建の年代などはよく分かっていない。
- 本堂は広島市内唯一の国宝。
- 本通や紙屋町からもアストラムライン一本で行けるのに影が薄すぎる。
- よその自治体なら「わが市唯一の国宝」としてかなり大きくPRされていても不思議ではない気がする。
- 鐘楼は15世紀前半の建築なのにやけに鮮やか。
- 戦時中には各種機関が疎開する予定だったらしい。
廿日市市内の寺[編集 | ソースを編集]
極樂寺[編集 | ソースを編集]
- 廿日市の山の上にある。歩いて上がるのしんどいね……
- 開基の行基は準備だけする。その後毛利元就が伽藍を整備してくれたり弘法大師が仏像を開眼してくれたりと助け合いで生まれた極楽の地。
- でっかい赤樫がある。新名木100選認定の品。
- 桜と紅葉が名物。
洞雲寺[編集 | ソースを編集]
- 本来は厳島神社の神主さんの菩提寺。
- 境内の湧水も厳島明神さんの御神力で引き当てたらしい。
- 陶晴賢の墓がある。かと思えば、桂元澄や毛利元清など毛利家家臣の墓もある。
- 参道の桜が美しいと評判らしい。
大願寺[編集 | ソースを編集]
- 厳島神社の普請奉行を務める、神社にとって無くてはならない存在だった御寺。
- 阿難尊者像と迦葉尊者像という珍しい仏像がある。
- 厳島神社を出てすぐのところにあるのでけっこう賑わっている。
- この寺の山門は塀などのないところにポツンと建っている。
大聖院[編集 | ソースを編集]
- 宮島を代表する寺院の一つだがやや奥まったところにあるのであまり混まない。
- 弥山の登山口近くにある。
- 高いところにある堂宇へ続く石段の手すりはマニ車になっている。
- 時々端の止める部分から外れて回らなくなっているものもある。
教龍寺[編集 | ソースを編集]
- 吉和の山の中にある古刹。
- 寺の鐘が南北朝時代に鋳造されたものらしい。
- 紅葉の大木が美しい。
三原市内の寺[編集 | ソースを編集]
松寿寺[編集 | ソースを編集]
- 三原市街(東町)
- 三原で一番歴史がある寺らしい。
- 中山マサに武者小路実篤など各界の有名人の足跡が残されている。
- なんでも、武者小路実篤がこの寺に逗留していたことがあるらしい。
- 三重塔が見ものである。というか目を引く。
- 墓地の中にあるので、見物で行かれる方は、静粛にお参りいただければと思う。
- 裏山から見た三原の街が美しい。
- 貞治4年(1365年)の創建。ただし、今の地に移ったのは、寛文9年(1669年)のことで、それまでは妙正寺のある場所にあったとか。。
極楽寺[編集 | ソースを編集]
- 三原市街(東町)
- 本郷へ飛ばされたり、糸崎へ行ったり三原へ戻ったり…… 忙しいのう。
- 寺の中に結界が張ってあるらしい。というか、構造物として残されている。
- 松寿寺に隣接している関係で、松寿寺の三重塔が、松寿寺境内から見るよりちゃんと見える。
- 志賀直哉の『暗夜行路』のモデルのマツさんの墓があるとか。
妙正寺[編集 | ソースを編集]
- 三原市街(本町)
- 三原浅野家の菩提寺。
- 三原の町を見下ろしと瀬戸内の多島美を堪能できる好立地。
- 裏返せば、三原城を攻め落とす拠点として最も好立地ということもできる。実際にそれが理由でこの地に寺を置くことには反対の声もあったとか。
佛通寺[編集 | ソースを編集]
- 紅葉がウリの三原の山奥の寺。
- 臨済宗佛通寺派の総本山。「高坂の山奥にそんなものがねえ……」と言った感じがする。
米山寺[編集 | ソースを編集]
- 絹本著色小早川隆景像が残されている。
- 小早川家の菩提寺だったらしい。だから、秀明以外の歴代小早川家当主の宝篋印塔が残ってる。
尾道市内の寺[編集 | ソースを編集]
持光寺[編集 | ソースを編集]
- 平安時代創建の古寺で御本尊様は五劫思惟阿弥陀如来。
- 五劫思惟阿弥陀如来などという長ったらしい名前の仏も居ることにまず驚く。
- 仏像のアフロヘアーもインパクト抜群。
- 五劫というとんでもなく長い時間修行したせいで、こんな髪型になったらしい。
- このタイプの阿弥陀如来像は、10点ほどしか確認されておらず非常に珍しい。もっとも、東大寺や奈良の五劫院の像のほうが古くて評価も高いけど。
- 参拝客が世界でたった一つの念持仏を造る事ができる。
- 創った仏様は、寺の窯で焼いてもらった後、御本尊様の御前で御香を頂戴する。その後郵送してもらえると聞く。
- 「にぎり仏」というふうに呼ばれていて、住職が趣味で陶芸をやっている時にたまたま握った粘土が仏の顔に見えたことから始まったらしい。
- 江戸時代後期の女性絵師・平田玉蘊の墓があり、2019年には境内に個人美術館を作った。
- 土日祝日しか空いていないのは残念。
- 画力もなかなかの腕前だが、頼山陽とのロマンスのほうが有名。
千光寺[編集 | ソースを編集]
- 尾道の有名な寺その1。
- 大林宣彦映画御用達。
- 【重要】他人と入れ替わるために階段からわざと転げ落ちるなんて行為、よいこは真似はしないでね。
- 入れ替わる前に死ねる気がするので。やってしまった場合自己責任で解決してください。
- 一応言っとくと、結構痛かった記憶がある…… 少なくとも、映画みたいにあんなすぐに起き上がれません。
- 【重要】他人と入れ替わるために階段からわざと転げ落ちるなんて行為、よいこは真似はしないでね。
- 巨岩だらけ。
- その中でも一番有名なのはやっぱり八畳敷か。尾道が舞台のドラマでは絶対出てくるあの岩。
- あの巨岩を鎖で上がったところまでよく機材を持って上がるな、すごいな流石やなって思うやん。実のところ、あの巨岩の裏にきちんと階段とかが整備されていて、簡単に上がれてしまうんじゃ。
- くさり山はその名の通り鎖を伝って登る。
- 難易度は少し危ないアスレチック程度なので、無理をしなければ大抵の大人は登れる。
- 100円の布施を迫られるが、千光寺内で最も高いところなので、登ってきた達成感も相まって眺望は素晴らしい。
- あれ、どうも石槌山信仰の要素が入っているらしい。確かに、海の向こうは石槌山だし、そういう宗教的な思想は伝播していてもおかしくない。
- その中でも一番有名なのはやっぱり八畳敷か。尾道が舞台のドラマでは絶対出てくるあの岩。
天寧寺[編集 | ソースを編集]
- 尾道七佛めぐりの一つ。
- 三重塔越しに眺める尾道水道は尾道を代表する風景の一つ。
- この三重塔、かつては五重塔だったらしい。なんでも第4層と第5層が腐食で老朽化したことから、その部分を潰したんだとか。
- 重要文化財だが、もし五重塔そのままか、せめて江戸時代に五重塔としてそのまま再興してたら国宝だっただろうに…。
- 足利義詮が建立した塔婆が今でさえも残っている。
- 本堂左手の羅漢堂は座禅を無料でさせて頂ける座禅堂でもあったりする。
- 羅漢堂というだけあって五百羅漢がズラーっと並んでる。見事。
- 全部で526体あるとのこと。江戸時代の文化年間(1804~1824)から明治初期にかけてちょっとずつ寄進されたもので、ちょっとずつ顔が違う。
- 手前の方には極力近い作風のものが並んでいるが、奥に行くにつれて明らかにお顔や作った流派が違うものが増えていく。
- 全部で526体あるとのこと。江戸時代の文化年間(1804~1824)から明治初期にかけてちょっとずつ寄進されたもので、ちょっとずつ顔が違う。
- 羅漢堂というだけあって五百羅漢がズラーっと並んでる。見事。
- 牡丹や枝垂桜が有名。
光明寺[編集 | ソースを編集]
- 村上水軍の帰依を深く受けていた寺院。
- 水軍が海賊取締令の影響で衰退して、廻船問屋に彼らが鞍替えした後も帰依を受けていたとか。
- まるでタコかなんかのように地面をはうような蟠龍の松は市の天然記念物。
- 尾道ゆかりの第12代横綱陣幕久五郎の墓がある。ついでに、彼の手形付きの記念碑もある。
- 記念碑は鐘のそばにある。墓の脇とかではない。
西國寺[編集 | ソースを編集]
- 有名な尾道のお寺その2。
- 朱色の三重塔が名物。ちゃんとした国指定の重文。
- でも一番の名物は、重文ではない仁王門とわらじ……
- かつては、真言宗西国寺派という派閥を持っていたが、醍醐寺に呑まれた。
- 西国一の寺というタイトルは瀬戸内の波間に消えましたとさ。
- 寺宝拝観料は500円。
- 京都のお寺並みにきちんと解説してくれ、お茶まで出してくれる。
- 一番の目玉は重文の釈迦如来立像。寺伝では快慶作とされるが、お顔が微妙に快慶らしくないのでその高弟クラスの作品だろう。
浄土寺[編集 | ソースを編集]
- 有名な尾道のお寺その3
- 中心市街地の東端にあるので観光ルートの折り返し点になることが多い。
- ここも真言宗の寺。但し泉涌寺派じゃけども。
- 多宝塔が名物。前にタムロってる鳩どもとともにテレビなどで時々出てくる。
- 開基は聖徳太子らしい。
- なぜか、源氏物語絵扇面散屏風を所蔵している。
- なので、その絵柄を表紙にした朱印帳を販売している。1冊1,500円くらいだったかな。
- 因みにお寺の方でも、なぜ自分のところに、この屏風が伝わったかはわからないのだそうな。
海徳寺[編集 | ソースを編集]
- 一遍上人が開基。なので宗派は勿論時宗。
- 一遍上人の石像もある。
- 本堂の床と天井はなんと屋久杉を贅沢に使用しているらしい。
- 山門に風格がある。
海龍寺[編集 | ソースを編集]
- 尾道七佛めぐりの一つ。
- 浄瑠璃作家竹本弥太夫の墓がある。
- 寺の裏手の鎖岩はものすごく有名。やる際は滑りにくい靴でどうぞ。
- この鎖岩は四国の石槌山の鎖場を模して作った修行場らしい。
沖の観音(浦崎)[編集 | ソースを編集]
- 満潮時には完全に島になる浦崎の沖の小島にある。
- 干潮時には陸続きになって歩いて渡ることができる。
- 観音様のある島は入江の先にある島ということで、これが浦崎という地名の由来になったらしい。
成願寺[編集 | ソースを編集]
- 六角形の毘沙門堂がある。
- 中に重井毘沙門堂本尊木像とかいう桃山時代の仏像が安置されてるらしい。でも関係者以外見ることはできない。
- 石段の両脇の仁王様の銅像で納得しろということなんだろう。文句はないが、物足りない気がしなくはない。
- 春先に桜が満開になるとそこそこの花見ができる。
向上寺[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸田の歴史ある寺。耕三寺ほど有名ではないがそれなりの知名度はある……
- ……と信じたい。
- 生口守平という見るからにこの島に縁がありそうな名前の人物が開基。
- 三原~竹原付近の海沿いに所縁のある小早川ファミリーが室町時代に建てた国宝の三重塔など見るものがある。
- 拝観料は取らない代わりに、三重塔だけ100円頂戴する。耕三寺に金払うよりも価値ある気はするが……
- 三重塔は鎌倉時代ブームだった和様と唐様の折衷品。
- 拝観料は取らない代わりに、三重塔だけ100円頂戴する。耕三寺に金払うよりも価値ある気はするが……
- 大きな鐘も名物。あまりの歴史の古さに、金属供出を免れたという程のもの。
- ちなみに、鐘を守り続けてきた鐘楼は県指定の重文。
耕三寺[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸田町
- 瀬戸田の有名な寺。
- 典型的な成金趣味の寺だが、それでも手を合わしてしまう人の性とはこれいかに……
- パクリだらけ。
- 京都や鎌倉、奈良など日本中の国宝建築の模造を並べただけの寺じゃけえ、こう書いても文句は言えんじゃろ。
- 本堂の手前に「孝養門」という門があるが、あれも日光東照宮の陽明門
のパクリをモチーフにしたもの。- そのためか、「西の日光」の異名がある。
- 本堂の手前に「孝養門」という門があるが、あれも日光東照宮の陽明門
- 重要文化財18点、重要美術品40点と内蔵品の収集にも余念がなかったようで……
- 京都や鎌倉、奈良など日本中の国宝建築の模造を並べただけの寺じゃけえ、こう書いても文句は言えんじゃろ。
- この寺の上に「未来心の丘」というところがある。真っ白な彫刻を並べているところで、「日本のエーゲ海」といわれる瀬戸内海が望める場所としてはぴったりな場所だが、これがお寺の中にあると考えると・・・。
善立寺[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸田町
- やたらと綺麗に剪定された松並木が見事。
- そしてそこそこ長い距離があるように見える。実際それほど距離はないのだが。
- 何だったか忘れたが結構大きな古木がある。樹齢500年超だとか。
興福寺[編集 | ソースを編集]
- 瀬戸田町
- 瀬戸田の海が見渡せる。それを地元出身の平山郁夫画伯は気に入ってたらしい。
- 地元の学生が作ったという彫刻の数々が並ぶ。
福山市内の寺[編集 | ソースを編集]
明王院[編集 | ソースを編集]
- 実は草戸稲荷はここのオマケ。
- 本堂と五重塔が国宝指定。
- 本堂は和様と唐様の折衷様式と呼ばれるものらしく、この形態では銀河系で最古の建造物。
- 五重塔の方は国宝認定されたものに限ったら広島県内最古のもの。本堂に比べたら、格が下がる(?)。
- 草戸千軒の遺跡は現役の町だった頃この寺の門前町でもあった。
福禅寺[編集 | ソースを編集]
- 客殿の名前のほうが寺の名前よりも有名。
- ここから眺める景色は「ザ・鞆ノ浦」の景色。瀬戸内っぽさがある。
- 通信使曰く「我が国より東で一番美しい風景」。
- TSSのオープニングではテレビ新ヒーローがこのあたりを飛んでいる。
- 「対潮楼」ね。(ここまで来て書いてあげないって不親切な)
- 日本最初の海難審判調停の場。
- 坂本龍馬さんとこの海援隊と紀州藩との調停か。海援隊のいろは丸が沈んだのが鞆の沖合。
法宣寺[編集 | ソースを編集]
- 鞆町
- なぜか、加藤清正を祀っている。
- 日蓮宗の寺で、大覚大僧正氏が船待ちの為立ち寄ったついでに建立され、一時は三備地区の統括本部だったらしい。
- 「森の石松」京都出身説版のモデル「毛利の石松」の墓がある。
- 京都説が正しい場合、父親は大塩平八郎の乱に加担した与力だったため、逃げるようにして鞆ノ浦へやって来たという前歴があるらしい。
安国寺[編集 | ソースを編集]
- 鞆町
- 京都の安国寺の支店。
- 坊さんなのか、毛利家の家臣なのか外交官なのかよく分からん食わせ物が中興の祖。
- ぼんさんであり毛利の外交官であり家臣であり大名なんじゃない?
- 坊さんなのか、毛利家の家臣なのか外交官なのかよく分からん食わせ物が中興の祖。
- 有名と言えば有名かも知れないが、周囲もお寺いっぱいなんで、そんなに目立ってはいない。
円福寺[編集 | ソースを編集]
- 鞆町
- 福禅寺で開かれていた海難審判の際の紀州藩側の宿舎だった。
- 朝鮮通信使のうち位の高いものはここに宿泊したとか。
医王寺[編集 | ソースを編集]
- 鞆町
- 御本尊の木造薬師如来立像は6年に1度しか公開されない究極の秘仏。
- 平安時代に弘法大師が開基なさったお寺。
- 実はこれでも鞆町で1番古い寺ではなかったりする。
- 鞆の浦を一望できる隠れビュースポット。そりゃまああんだけ石段上がればそうなるわな。
磐台寺[編集 | ソースを編集]
- 阿伏兎観音というと、少し知名度は上がるかな(期待感)。
- 鞆の浦の影に隠れて、無名となっているので意味は無いか(失望感)。
- 海につきだしたあの崖の上に御堂を建てた人はすごいと思う。
- 陸から見ても大したこと無い。
- 尾道~鞆の浦航路の観光船から見ると良い。ただ、観光船ゆえ、ちと割高。
- 毛利の輝元坊ちゃんも水野の殿様も、金をかけてくれた。
- 寺としての価値と、文化財としての価値、どちらも守ってくれた殿様はやはり素晴らしいと思う。
西福寺[編集 | ソースを編集]
- 元々の住職は代々毛利氏。1500年代に毛利元就の親類が毛利家の家督争いで敗れて、ビビった挙句出家したとか何とか。相合元綱の子息だったかな……(失念)
- 今の住職は山名氏で、毛利の住職が迎え入れたらしい。山名家と毛利家って戦争してなかったっけ。
その他の寺[編集 | ソースを編集]
康徳寺[編集 | ソースを編集]
- かつて、広島城主であった福島正則の逆鱗に触れ焼き払われた白鳳年間創建の禅寺。
- あじさいで有名。通称「世羅のあじさい寺」。
- 花供養会というのをやる。時期は毎年6月末の紫陽花の時期。
- 雪舟が造園したと伝わる庭園がある。
龍華寺[編集 | ソースを編集]
- 世羅町
- 今高野山の異名をとる。
- 正確に言うと、異名というよりは山号なのだが……
- 元々、高野山の寺領だった所に真言の御寺が建立されたことに始まるのだが、美しい紅葉が見られる。
- 場所柄知名度がないので、オススメ。
- 平安時代末期に彫られたと言われている11面観音立像もある。どこにでもあるような国の重文なので、大したものではないかもしれないが、その保存にかけられた土地の人々の働きというのは素晴らしいと思う。
- 他にも、室町時代の建築と言っているものもあるが、それで国が何も動かないのは怪しいと思うんだ……(捏造?)
- 門前町があるが寂れきっている。
鳳源寺[編集 | ソースを編集]
- 三次藩の浅野氏が建てた寺。赤穂浪士を一目憚らずリスペクトしている。
- 討入に出ようとする四十七士を模した木造を置いたり……過激じゃね。
専法寺[編集 | ソースを編集]
- 三次市
- 梵さんというのが代々住職を務めてらっしゃるが……
- 英雄が生まれた寺でもある、鯉党にとっては。
- 心が洗われるような感じはしない、この寺にお参りしても。