忍者
忍者の噂[編集 | ソースを編集]
- 鎌倉時代~江戸時代の頃は立派な職業
- RPGの中では最強の職業かイマイチパッとしない職業のどちらか
- 現代は日光江戸村などの忍者ショーで活躍
- 毎日何回もお客を案内して鍛え上げているから、たぶん隠し部屋に隠れたり手裏剣を打ったりするのは、本物の忍者よりうまいと思う。
- Kawasakiの鉄馬(バイク)としても活躍
- 所属はJAC(ジャパンアクションクラブ)である。
- レベルが低くてもクリティカルヒットで首をハネられる危険性があるので注意が必要。
- 近頃の忍者はサイボーグである。銃弾を弾き返し、コブラにもなる。
- 歌も歌ったりしていた。そして現在では忍者のごとくブラウン管からは消え去っている。
- 上級者は金縛りをかけたり風呂敷で空を飛んだり泣き声で攻撃したりできるらしい。
- でも、重大なWeak pointがあったりもする。
- 「本能寺の変」のときには狸を堺市から救い出したらしい。
- たぶん、世界一誤解されている職業。
- 特にアメリカ人の誤解っぷりは他国の追随を許さない。
- もっと痛みをくれ!もっと!もっとだ!!
- 「ファンの一人だ」 蛇「大佐! 部外者から通信が入ってきた」
- その誤解を逆手にとって販促に利用しようとしたのが、上の3.にあるKawasakiの鉄馬。
- 中国のB級抗日ドラマには日本軍の忍者部隊が登場した作品もある。
- 特にアメリカ人の誤解っぷりは他国の追随を許さない。
- もっと最近の忍者はアルファワームの感染者と闘ったりヘリから機関銃撃ったり物理法則を当たり前のように無視したりする。
- 何と、忍者がストライキをした事がある
- 尾田栄一郎は小3の時忍者を見た事があると言っていた。
- 「上忍」「下忍」という階級名を発明したのは、実は司馬遼太郎。
- それまでも言葉自体はあったが、「上忍」はすぐれた忍者、「下忍」はダメ忍者のことだったらしい。
- さらに「中忍」(現場指揮官)を導入したのは山田風太郎。
- 従って、地の文ならともかく、時代小説のセリフに階級名としての「上忍」「下忍」が出てくるのはおかしいことになる。
- マルクス主義的な歴史学の階級闘争史観が影響しているとされる。
- 出世を目指すサラリーマン受けも良かったらしい。
- 「赤」「白」「青」
- 女性の忍者は「くノ一」という。
- 「女」という漢字を分解すると「くノ一」となるため。
- 女難対策のため「女」という字をそのまま書くのがはばかられたのが由来。
- 露出度の高い戦闘服ではね回ったりすることはまず無い。ターゲットの侍女などになって情報収集をする仕事がほとんど。
- 女忍者としてちゃんと訓練を受けている場合もあるし、普通の女が忍者にたらしこまれ、手先として動く場合もある。どちらかというと後者が多かったかも。
- 一般的な「くノ一」のイメージの形成に由美かおるが果たした役割は大きい。
- 戦闘するセクシーなくノ一は基本的に戦後の作品にしか出てこない。
- 「女」という漢字を分解すると「くノ一」となるため。
- アイエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?
- 実際のところは盗賊との境目があやふやだった。
- 石川五右衛門が忍者扱いなのがそのことを如実に表している。
- 有名な『万川集海』にも「忍芸はほぼ盗賊の術に近し」と記載されている。
- 独特の忍び装束や方形の手裏剣は基本的に後世の創作。
- 忍び装束は19世紀に入るかどうかという時期に歌舞伎などの演劇で登場。
- 方形の手裏剣に至っては戦後の映画や漫画から広まったもの。
- 複数で忍び込み相手を混乱させることもあった。
- 侵入された勢力の長が「忍び込んだのは何人じゃ!?」と口走ったことがあったかどうかは定かではない。
- とりあえず忍術を教える学校は実際の戦国時代には存在しなかった。
- 文献上の初出は『太平記』らしい。
- 戦国時代くらいに書かれた『太平記』の二次創作にも出てくるがそちらは戦国の忍者像を強く反映しており史実とは言えないという見解が強い。
- 江戸時代の作品では何かを奪ってそのまま戻ってくるのが仕事だった。
- 儒教の影響により忍者を使うのは卑怯なこととされあまり華やかな扱われ方をされることもなかった。
- 正義の忍者が登場するようになったのは立川文庫(明治末~大正)の猿飛佐助から。
- 史実で活躍した人物を「忍び」、創作が大きく加わったものを「忍者」と区別することもある。
- 昔は悪の忍者の術を「妖術」、正義の忍者の術を「忍法」と呼び分けることもあった。
- 忍術を応用したエクササイズも存在するらしい。
- イランでは忍び装束を着ることによりイスラムの戒律にも適合すると女性の間で人気だという。
忍者紳士録[編集 | ソースを編集]
- 追加する場合は五十音順でお願いします。
石川五右衛門[編集 | ソースを編集]
- 盗賊だが、たぶん忍者崩れであろうと思われる。
- 調子に乗って大坂城に忍び込んだら仙石秀久に取り押さえられた。
- 釜ゆでの刑に処せられて死ぬ。
- 「絶景かな、絶景かな」、南禅寺。
- 石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ
- 釜茹でに使われたという釜が戦前まで残っていたが太平洋戦争中に供出されてしまった。
- 某怪盗および某ガンマンとチームを組んでいる剣豪は、何代目かの子孫にあたるらしい。
- 十三代目。
- 公家やスペイン商人の日記に出てくるのでとりあえず実在した人物ではあるらしい。
- しかし史料不足のせいで出自などがほぼ謎。
- かつてはコナミの看板シリーズの主人公でもあった。
- 海外版では"Mystical Ninja Goemon"というタイトルで忍者とのつながりがさらに明確にされている。
加藤段蔵[編集 | ソースを編集]
- 「飛び加藤」として有名。
- 通り名は有名だが、実際にどんな業績を上げたのかよくわからない。
- それどころか近年の研究では中国の小説を元ネタに創作された架空人物という結論になってしまった。
- 上杉謙信と武田信玄の両方に売り込みをかけたらしい。
果心居士[編集 | ソースを編集]
- 松永久秀や筒井順慶のもとに出入りしていたらしい謎の人物。
- 外国人説もある。
- ライオン丸の師匠だったらしい。
霧隠才蔵[編集 | ソースを編集]
- 真田十勇士のひとりで、猿飛佐助と共に有名な忍者。
- それでもWikipediaに単独の記事はない。
- 伊賀流の上忍のひとりで、本名は服部才蔵であったとも言われる。
- 柴田錬三郎の「真田十勇士」ではなんと英国人になっていた。なんなんだ。
- その話はNHKでかつて人形ドラマ化された。
- 柴田錬三郎の「真田十勇士」ではなんと英国人になっていた。なんなんだ。
- 猿飛佐助と術比べをやるとたいてい負ける。
見当かなみ[編集 | ソースを編集]
- 数万人に一人レベルのエリート忍者、国王の側近を務める。
- 火丼の術を得意とする。
猿飛佐助[編集 | ソースを編集]
- 真田十勇士のひとりで、たぶんいちばん有名な忍者。
- 当初甲賀流と見られていたが、その後戸隠流やら諏訪流やらいろいろ言われるようになった。
- 上月佐助という実在の忍者がモデルという話もあるが、信憑性は薄い。
- 六角氏の配下の三雲一族の出だったという説もある(司馬遼太郎「風神の門」)。
- 本人の能力もさることながら、腕利きの配下がたくさん居たらしい。
- 柴錬の某小説では、武田勝頼の遺児ということになっている。
- 一応それっぽい人物が大河ドラマに登場したことがある。
自来也[編集 | ソースを編集]
- もとは義賊だったらしいが、いつの間にか忍者になってしまった。
- 巨大なガマガエルを操る。
- あ、だからニンジャブラックの獣将はブラックガンマーなのね。
- 口に巻物をくわえて印を結ぶのはこの人から。
戸澤白雲斎[編集 | ソースを編集]
- 猿飛佐助の師匠とされる。
ナンセンストリオ[編集 | ソースを編集]
- 自来也がガマガエルならば、彼らはカメを操る。
- ♪親亀の上に子亀を載せて
服部半蔵(正成)[編集 | ソースを編集]
風魔小太郎[編集 | ソースを編集]
- 箱根山中を本拠とする忍者「風魔党」を率いる。
- 「小太郎」は代々の頭領の名乗りなので、何人も居る。
- 仮に一人の人間だとしたら、200年くらい生きてることになるとか。最低5人はいると見られている。
- 「小太郎」は代々の頭領の名乗りなので、何人も居る。
- 北条早雲が関東に進出する際に協力したらしい。
- その後ずっと、後北条氏と提携して、小田原の西の守りを担当したとか。
- しかし秀吉の大軍勢には彼らの術は通用しなかった。風魔も代を重ねて弱体化していたか、それとも氏政・氏直との関係が悪くて見放していたか。
- その後ずっと、後北条氏と提携して、小田原の西の守りを担当したとか。
- 高麗人だという噂もある。
- 風魔党は後北条氏が滅んだ後、盗賊に落ちぶれて成敗された。
- 信長の野望だと、武力はかなり高い(90前後)が、政治力は皆無(一桁)だったりする。
- 現代ではサラリーマン。副業として猿回しをやってる。
- オラオラオラオラオラ!
- 同時代の史料などによると実際の名字は「風間」だったと思われる。
- 軍記物では身長7尺2寸(2m18cm)あったというとんでもない記述が出てくるものもある。
- 昭和改元以降の大相撲力士で最長身だった不動岩よりさらに大きい。
百地三太夫[編集 | ソースを編集]
- 某小説では、武田の陣中に潜入して厠の便槽に潜んで信玄を下から槍で突き殺し、明智勢に包囲された本能寺に潜入して信長の最期を介錯し、その足で備中へ走って秀吉に急報し、そして小栗栖付近の山中で光秀を待ち伏せして暗殺した、ということになっている。
- カクレンジャーの司令官的ポジションだったが、路線変更の影響で…。