日本の廃線

提供:chakuwiki
  • 日本各地の廃線について語る。


日本の廃線 目次
北海道 青森
秋田 岩手
山形 宮城

島根 鳥取

福井

新潟 福島
佐賀 福岡 広島 岡山
長野 群馬 栃木
長崎
大分


埼玉
宮崎 愛媛 香川
山梨 東京 千葉
鹿児島 高知 徳島 和歌山 愛知 静岡 神奈川
沖縄

独立済み[編集 | ソースを編集]

凡例[編集 | ソースを編集]

  • 太字は2024年現在存続している駅。
  • 小文字は仮乗降場(特定地方交通線として1995年(深名線廃止)までに廃止された路線については、国鉄民営化直前時点での仮乗降場とする)。
    • 別途快速通過駅がある場合で上に由らない場合は明記する。
  • 原則として「2024年現在でも鉄道路線を保有している鉄道会社」については当該鉄道会社の記事に投稿をお願いします(国鉄→JRは除く)。

茨城[編集 | ソースを編集]

日立電鉄[編集 | ソースを編集]

  1. まだあったんだ。
    • 名前だけですけど。
    • 水木、河原子、などの海水浴場が懐かしい。
  2. 社名は「日立電鉄交通サービス」…正直長い。
    • 日立市内すべての路線バスを統轄してる。
      • 中里のほうに茨城交通が走ってたような気がする。
        • R349を里美方面へ走るバスが茨交だから。その途中にある中里ももちろん茨交のエリア。
  3. 電鉄プラザは過去のもの。
    • 取り壊されて更地になっちゃいました。
    • 大甕駅も更地になった。あそこに駅があったとは今は信じられない。
  4. 日立駅まで線路が通っていたら廃止を免れたかもしれない。
    • 資金難さえなければ…
  5. 実はバスカードなるものを売っている。
    • もちろん、パスネット非対応。
      • そんなの対応する金があったら廃止してないよ…
  6. 大甕駅ではジリリリリリという発車ベルが聞けた。
  7. 営団マークのついた扇風機つきの車輌が結構あった。
    • 銀座線から来た電車にパンタグラフをつけて走っていた。
  8. 廃止当日の夕方から社長や役員が大甕のホームに立って、乗客にお礼を言っていた。
  9. 日本最初のワンマン電車。
  10. 電車くんという模型店に一両置いてある
  11. おばちゃんの駅員さんが結構いた。
  12. 廃止後、多くの職員がTXに携わることになった。
  13. 自動車製造会社であるトヨタ自動車は、「マイカー通勤転換プロジェクト」と称して愛知環状鉄道を支援したにもかかわらず、「鉄道に関わるもの全てを作ることが出来る世界で唯一の会社」と言われている会社の傘下の日立電鉄はあっさり廃止された。皮肉な結果である。
  14. 平成25年、廃線敷をバス専用道に転用した「ひたちBRT」が誕生。旧鹿島鉄道(かしてつバス)に続いて茨城県で二番目のバス専用道システムに。
    • 車両の側面と後ろに滅茶苦茶デカい文字で「BRT」と書かれている。ここまで身も蓋もないデザインも珍しい。
  15. 2018年末、茨城交通に買収される。
  16. 「整理券の番号を降りるまで覚えていろ」と乗車口で連呼しているけどナンノコッチャ?と思っていたら、まさかあんなことをしていたとは!

常北太田 - 小沢 - 常陸岡田 - 川中子 - 大橋 - 茂宮 - 南高野 - 久慈浜 - 大甕 - 水木 - 大沼 - 河原子 - 桜川 - 鮎川

群馬[編集 | ソースを編集]

埼玉[編集 | ソースを編集]

東武熊谷線[編集 | ソースを編集]

  1. 熊谷駅から旧妻沼町の妻沼駅までを結んでいた路線。
    • 計画では中島飛行機(SUBARUの前身)の工場があった太田市への輸送のため、東武小泉線西小泉までを結び、そこから小泉線で太田・館林へ向かう計画だった。
      • 免許上は東小泉~熊谷で、現在の小泉線の西小泉支線もこの一部だった。
    • しかし妻沼まで開通した後、利根川を越える工事中に終戦。橋脚は残ったものの、未成線に終わった。
  2. 戦後は東上線東松山駅までを結ぶ構想もあった。
    • また戦後改めて妻沼~西小泉の建設計画も上がったが、小泉線の沿線住民が国鉄に流れることを懸念したこともあり断念。
  3. 営業係数500以上で年間2億円の赤字を計上しており、東武鉄道唯一の非電化路線であったこと、伊勢崎線・東上線どちらからも孤立した線区であったこともあって1983年に廃止。
    • 廃線跡はサイクリングロードになっている。
  4. 熊谷~上熊谷間は秩父鉄道と併用だった。
  5. 一応現在でも東松山~熊谷~太田に軌道新線を引く構想もあるにはある。
    • しかし採算がまともに取れないこと、東上線の線路容量的にも池袋方への直通列車を走らせるのは難しいということもあって具体化していない。
  6. 廃止時には湘南顔のディーゼルカーが走っていた。
    • 色がアイボリーのため塗装していないように見えてしまう。
    • この車両もそれ以前のSLも揃って鈍足だったため「カメ号」という愛称を付けられていた。
  • 熊谷 - 上熊谷 - 大幡 - 妻沼

千葉[編集 | ソースを編集]

成田鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. かつては東総エリアにかなりの路線網を持っていた。
    • 成田から芝山多古を経由し八日市場を結ぶ多古線、三里塚から八街を結ぶ八街線、成田駅周辺の路面電車の宗吾線の3路線を保有していた。
  2. しかし経営状況は良くなく、戦時中に不要不急線として休止された後、戦後も復活せず廃止。
    • 特に八街線は飛行場を建設するため廃止となった。
    • もし残っていた場合、成田空港はどうなっていたのやら?
  3. 現在は成田~八日市場にJRバスが走るほか、成田~八街に千葉交通のバスがある。
  4. 多古線ってなんかたこせんべいみたいな名前だ。

宗吾線[編集 | ソースを編集]

  1. 成田市街地と成田山新勝寺および宗吾霊堂を結ぶための路面電車だった。
    • 宗吾霊堂へは京成宗吾参道駅よりも宗吾駅のほうが近かった。
  2. しかし京成と並走していることもあり、多古線同様不要不急線に指定され廃止。
  • 多古線:成田 - 西成田 - 東成田 - 法華塚 - 三里塚 - 千代田 - 五辻 - 飯笹 - 染井 - 多古 - 下総吉田 - 豊栄 - 西八日市場 - 八日市場
  • 八街線:三里塚 - 根木名 - 川津場 - 富里 - 高野 - 十倉 - 実ノ口 - 八街街道 - 古込 - 東八街 - 八街
  • 宗吾線:不動尊 - 幼稚園下 - 京成電車前 - 本社前 - 論田 - 新田 - 大袋 - 宗吾

九十九里鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 東金駅から九十九里町を結ぶ鉄道を保有していた。
  2. しかしモータリゼーションどころか自転車よりも遅いこともあって1961年に廃止された。
    • 当時は鉄道の廃線自体珍しいことではなく、いわゆる葬式鉄が駆けつけることもなかった模様。
  3. 現在はバス路線となっている。
    • 現在でもかつての上総片貝駅が「片貝駅」の名でバスターミナルとして残っている。
  4. ちなみにではあるが、社名表記としては「九十九里道」が正しい(参考)。
    • 対外的には道を使うことが多いが。
  5. 戦時中、燃料として沿線で取れた天然ガスを使用していた。
  6. 車両は船橋ヘルスセンターと谷津遊園を結ぶ鉄道に使われる予定だったが計画頓挫により解体されてしまった。
    • そして今は鉄道が結ぶはずだった両施設も消えて久しい。
  • 東金 - 堀上 - 家徳 - 荒生 - 西 - 学校前 - 上総片貝

東京[編集 | ソースを編集]

神奈川[編集 | ソースを編集]

新潟[編集 | ソースを編集]

蒲原鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 信越本線の加茂駅から旧村松町を経由し、磐越西線の五泉駅までを結んでいた。
  2. 加茂~村松は1985年に廃止。残る村松~五泉も1999年に廃止された。
  3. 現在でもバスの駅として名前が残る。
    • 村松駅に至っては建物が旧駅舎そのまま。
  • 1999年廃止区間:村松 - 今泉 - 五泉
  • 1985年廃止区間:加茂 - 陣ヶ峰 - 東加茂 - 駒岡 - 狭口 - 七谷 - 冬鳥越 - 土倉 - 高松 - 大蒲原 - 寺田 - 西村松 - 村松

越後交通[編集 | ソースを編集]

長岡線[編集 | ソースを編集]

  1. 信越本線来迎寺駅から西長岡駅・与板駅・越後線大河津駅(現在の寺泊駅)を経由して寺泊駅までを結んでいた路線。
  2. 当初は西長岡駅から信濃川を渡って長岡駅へ接続する計画があったが、長い鉄橋の建設費を確保できず頓挫。
  3. モータリゼーションの進展もあり、1975年に旅客営業が廃止。
    • 貨物営業はその後も区間を縮小しながら細々と続いていたが、1995年に廃止となってしまった。
  4. 廃線跡は更地になったり遊歩道になったり生活道路になったり…。
  • 1975年旅客営業廃止区間:西長岡 - 西中学校前 - 日越 - 上除 - 越後関原
  • 1975年廃止区間:越後関原 - 越後日吉 - 王寺川 - 脇野町 - 越後大津 - 槙原 - 上与板 - 与板 - 岩方 - 町軽井 - 大河津分水 - 大河津(後の寺泊)
  • 1973年廃止区間:大河津 - 法崎 - 寺泊(2代目)
  • 1972年廃止区間:来迎寺 - 深沢 - 上富岡 - 才津 - 有栗 - 西長岡
  • 1966年廃止区間:寺泊新道 - (臨)金山 - 寺泊海水浴 - 寺泊温泉 - 寺泊
    • 寺泊新道駅は寺泊までの区間廃止後、寺泊駅(2代目)に改称。

栃尾線[編集 | ソースを編集]

  1. 悠久山駅から長岡駅・浦瀬駅・上見附駅を経由して栃尾駅までを結んでいた路線。
  2. 前身の栃尾鉄道時代は軽便鉄道としては珍しい快速・急行の運行や女性接客係の導入、全線電化などを行っていた。
    • それ以外にも路線バスの運行や野球場や遊園地などの沿線開発も乗り出していた。
  3. 上記の長岡線と同じく1975年に全線廃線となり、バス路線に転換された。
  4. 廃線後も路線跡が確認できる区間が多い。
  • 1975年廃止区間:長岡 - 袋町 - 東神田 - 下長岡 - 下新保 - 小曽根 - 宮下 - 浦瀬 - 加津保 - 椿沢 - 耳取 - 名木野 - 上見附
  • 1973年廃止区間:悠久山 - 長倉 - 土合口 - 大学前 - 高校前 - 長岡/上見附 - 明晶 - 本明 - 太田 - 上北谷 - 楡原 - 栃尾

富山[編集 | ソースを編集]

加越能鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. かつてに路線網を張り巡らせる壮大な計画があった。
    • 富山~金沢を当時非電化だった国鉄の半分の時間で結び、高岡~七尾も短絡化するという計画だった。
    • 戦後実現しようと用地買収をしたものの、モータリゼーションもありこれは未成に終わる。
    • まあバス部門として実現できている…のかな?

加越線[編集 | ソースを編集]

  1. 北陸本線(当時)の石動駅から城端線の福野駅を経由し、庄川町までを結んでいた。
  2. 上述の加越能高速鉄道の残り香…ではなさそう。
    • 一応この路線のうち石動~福野がもともと「金福鉄道」として計画されていたので、少しは…関係あるかもしれない。
    • ちなみに加越能高速鉄道は全くの新線で結ぶ予定だった。
  3. 小牧ダム建設時には特需に沸いたものの、完成後は一気に状況が悪化し、1972年に全廃。
    • それでも69年に新駅を開業させるなど末期まで状況を変えようとした様子はある。
  4. 跡地はサイクリングロードとなっている。
    • 最大の遺構は地元の宮大工が施工した旧井波駅。(登録有形文化財)
  • 石動 - 南石動 - 四日町 - 薮波 - 津沢 - 本江 - 野尻 - 柴田屋 - 福野 - 焼野 - 高瀬神社 - 井波 - 東山見 - 庄川町

石川[編集 | ソースを編集]

尾小屋鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 北陸本線小松駅(正確には新小松駅)から尾小屋鉱山のある尾小屋駅までを結んでいた軽便鉄道。
  2. 鉱山閉山後も路線は残っていたが、末期は赤字の垂れ流し路線になっていたこともあり1977年に全線廃止。
  3. 廃線後に尾小屋鉄道は社名を小松バスに変更し、2021年7月の加賀温泉バスとの合併まで残っていた。
  4. 先に廃止された遠州鉄道奥山線キハ1803の「180」だけ塗りつぶしてキハ3に改番するという力技を行った。
  5. 廃止後も東大鉄道研究会OBや地元自治体などの手により少なからぬ車両が保存されている。
    • 上記のキハ3も片側だけ「1803」に戻されて生き残っている。
      • 古巣の浜松にあるのは実物大模型。

新小松 - 西吉竹 - 吉竹 - 遊園地前 - 花坂 - 西大野 - 大杉谷口 - 金野町 - 金平 - 沢 - 塩原 - 波佐羅 - 観音下 - 倉谷口 - 長原 - 尾小屋

福井[編集 | ソースを編集]


長野[編集 | ソースを編集]

草軽電気鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 戦前には一世を風靡した高原鉄道だった。
  2. もし現在も残っていたら、きっと大人気の観光路線になっていただろう。
    • 草津温泉と避暑地・軽井沢、2大観光地を結ぶルートは、現在も路線バス、ツアーバスが行きかう人気ドル箱路線。
    • 「箱根山戦争」「伊豆戦争」に並ぶ「軽井沢戦争」が勃発していたかもしれない。
    • ただし軌間762mmで一切トンネルを掘れず線形は最悪と大量輸送には不向きだった。
  3. スイッチバックが2ヶ所。箱根登山鉄道に匹敵する山岳路線だった。
  4. 会社は「草軽交通」の名前で今も存続。廃線後の草津~軽井沢間をはじめとするバス経営でがんばっている。
  5. ローカル私鉄には珍しく、県境を跨いだ営業を行っていた。
    • 上信電鉄三岐鉄道など、両地域名を冠した鉄道会社は、ほとんどが県境の手前で挫折している。
      • 株主に対して大風呂敷を広げるために、あえて実現困難な社名をつける場合も多い。
      • 大手私鉄である東武東上線もその夢の跡である。
  6. 高原の避暑地を結ぶ鉄道ということで何本もの映画に登場した。
    • 国産初のカラー映画となった『カルメン故郷に帰る』が最も有名と思われる。

善光寺白馬電鉄[編集 | ソースを編集]

  1. 長野から旧鬼無里村を経由して白馬までつながる予定だったが、資金不足で部分開業→戦争突入で営業休止→戦後復活させようとするもダム建設決定で路線水没、のコンボで廃止されることに。
    • 善光寺温泉ー裾花口間は開業して1年ちょっとでなくなった。
  2. 電鉄を名乗っているが、電車を走らせたことはない。
    • 所有していた気動車は全て譲渡先で電車に改造された。
  3. 会社自体は運送会社として、電鉄を名乗ったまま現在も存続している。
  4. 実現していれば相当便利だっただろうに。
    • 特にオリンピックの時期辺り。
  5. 実家の祖母に話を聞いたら、戦後に乗ったことがあると言われた。一体どの路線と勘違いしているのか調査中。
    • 索道のことだったらしい。昔は県内いろんなところにロープウェイやケーブルカーがあったからなぁ。
  • 南長野 - 山王 - 妻科 - 信濃善光寺 - 茂菅 - 善光寺温泉 - 裾花口
  • 未成区間:裾花口 - 芋井 - 戸隠 - 常磐石橋 - 鬼無里 - 西京 - 田頭 - 信濃四ツ谷

池田鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 大糸線の前身である信濃鉄道の安曇追分駅から高瀬川を渡り、鉄道の通ってなかった池田町を結んでいた路線。
  2. 1926年に開業したが経営は苦しく、「四十雀電車」と呼ばれるほど利用者は少なかったらしい。
  3. 信濃鉄道の国有化後は更に経営が悪化し、1938年に全線廃止となってしまった。
    • こちらも国有化する計画はあったが貴族院で否決され幻に終わった。
  • 安曇追分 - 十日市 - 会染 - 柏木 - 南池田 - 信濃池田 - 北池田

上田温泉電軌青木線[編集 | ソースを編集]

  1. 上田駅と青木駅を結んでいた路線。
    • 上田原から青木までの区間は併用軌道だった。
  2. 最後は併用軌道の借用期限切れに伴い1938年に廃止。
    • 上田-上田原間は川西線(後の別所線)に編入された。
  3. 戦後に上田-松本間の地方鉄道として復活する計画もあったが実現せず。
  • 上田 - 城下 - 三好町 - 赤坂上 - 上田原 - 宮島 - 福田 - 古吉町 - 小泉 - 白銀 - 出浦 - 当郷 - 殿戸 - 村松 - 青木

上田丸子電鉄西丸子線[編集 | ソースを編集]

  1. 別所線の下之郷駅から丸子町の中心部の西にある西丸子駅を結んでいた路線。
    • 当初は「依田窪線」という路線名だった。
  2. 車両の老朽化や豪雨被害もあり、1963年に全線廃止。
    • 路線自体はその2年前に運行休止状態になっていた。
  3. 当初の構想によると西丸子駅から和田峠を越えて中央本線の下諏訪駅まで行くつもりだったらしい。
  • 下之郷 - 宮前 - 石神 - 東塩田 - 富士山 - 馬場 - 依田 - 御岳堂 - 上組 - 川端 - 寿町 - 河原町 - 西丸子

上田丸子電鉄丸子線[編集 | ソースを編集]

  1. 上田市の市街地東部にあった上田東駅から信越本線と並走して電鉄大屋駅まで進み、そこから南へ向かって丸子町駅までを結んでいた路線。
  2. 当初は地元の製糸業者が中心となって設立された丸子鉄道の路線だった。
  3. モータリゼーションの台頭もあり1969年に全線廃止。
  4. 丸子町駅跡地付近には2023年になっても「駅前通り」という信号や「丸子駅前郵便局」が健在。
  • 上田東 - 染屋 - 上堀 - 八日堂 - 神川 - 岩下 - 東特前 - 電鉄大屋 - 信濃石井 - 下長瀬 - 長瀬 - 上長瀬 - 丸子鐘紡 - 中丸子 - 上丸子 - 丸子町

上田交通真田傍陽線[編集 | ソースを編集]

  1. 上田駅に隣接していた電鉄上田駅から真田駅までを結んでいた本線と、途中駅の本原駅から傍陽駅までを結んでいた支線の2つから構成されていた路線。
  2. こちらもモータリゼーションの台頭が響き、1972年に全線廃止。
  3. 廃線跡は現在でも残っている区間が多い。
  4. 本線の真田駅から大日向地区まで路線を伸ばす計画や、支線の傍陽駅から地蔵峠を越えて長野電鉄屋代線の屋代駅までを結ぶ計画もあったそうだ。
  • 本線:電鉄上田 - 公園前 - 北大手 - 上田花園 - 北上田 - 川原柳 - 神科 - 樋之沢 - 伊勢山 - 殿城口 - 下原下 - 本原 - 北本原 - 石舟 - 長村 - 真田
  • 支線:本原 - 横尾 - 曲尾 - 傍陽


愛知[編集 | ソースを編集]

岐阜[編集 | ソースを編集]

神岡線[編集 | ソースを編集]

  1. 神岡鉱山から産出される硫酸を輸送するための路線だった。
  2. 神岡鉄道として三セク転換後も貨物輸送が多く順調だったが、2004年にトラックに転換されると途端に経営が悪化、2006年に廃止された。
    • なお風光明媚な路線もあってか、廃線に当たって一部企業が引き受けを見せたものの、立ち消えとなった。
    • 廃止直前には定期券保持者が1名しかいなかったという。
  3. 神岡鉱山前-奥飛騨温泉口の間はアトラクション用の軌道自転車が走っている。
    • かつてのディーゼルカーの運転体験もできる。
  4. 川島令三の著書で「最高時速200km以上で走らせて高山本線のバイパス線として活用すべき」という無茶苦茶な提言をされたことがある。
  • 猪谷 - 飛騨中山 - 茂住 - 漆山 - 神岡鉱山前 - 飛騨神岡 - 神岡大橋 - 奥飛騨温泉口
    • 国鉄時代の駅名:猪谷 - 飛騨中山 - 茂住 - 西漆山 - 神岡口 - 飛騨船津 - 神岡(神岡大橋駅は転換後新設)

神岡軌道[編集 | ソースを編集]

  1. 神岡鉱山の路線としては、こっちのほうが歴史が古い。
    • ただし、こっちは高原川の右岸を経由していた。
  2. 当初は猪谷の一つ富山寄りの笹津駅を起点にしていた。
  3. 1966年に国鉄神岡線が開通すると、それに前後して廃線となった。
  4. 日本鉄道史上最短の名称だった「土」(ど)駅があった。
    • 現存最短の「」と比較してもローマ字表記がさらに短かった。
      • 「Do」2文字、「Tsu」3文字。
  • 本線:猪谷 - 東猪谷 - 茂住 - 杉山 - 土 - 鹿間 - 東町
  • 浅井田支線:鹿間 - 六郎 - 殿 - 浅井田

滋賀[編集 | ソースを編集]

京都[編集 | ソースを編集]

加悦鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 大江山のニッケル鉱山の貨物輸送のために存在した。
    • 貨物輸送廃止により大赤字転落が決まり廃止に追い込まれた。
    • 戦時中には鉱山で強制労働させられた連合国軍捕虜の輸送にも使われたという。
  2. 末期は保存鉄道としての性格が強くなり、旧型客車改造の08系気動車などが走っていた。
  3. 廃止後会社はカヤ興産に社名変更してバス会社となったあと、宮津港運と合併して宮津海陸運輸となった。
  4. 終点の加悦駅は廃止後「加悦SL広場」という保存施設となっている。
    • 現役時代とはやや場所が変わっている。
    • 2020年に閉鎖されたが保存されていた車両は何とか解体を免れた。
  5. レイルウェイライターの種村直樹が、国内鉄道全線(当時)を完乗した時の最後の路線。
  6. もともとは丹後ちりめんの輸送が主な目的だったらしい。

愛宕山鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. かつて嵐山と愛宕山を結び人気の観光ルートを形成していた私鉄。
  2. 太平洋戦争の激化により休止され戦後もついに復旧できなかった。
    • 休止された鉄道のトンネルが兵器工場の疎開先に使われていたらしい。
    • 復活構想は60年代まで出たり消えたりを繰り返していた。
  3. 嵐山-清滝が普通の電車、清滝-愛宕がケーブルカーだった。
    • ケーブルカーの跡地を登山道代わりに使う人もいる模様。
    • 清滝トンネルは鉄道部分の再利用と分かっていれば、あの狭さや心霊スポットもうなずけるはず?
  4. 大覚寺、鳥居本など途中にも人気観光地があったため現存していれば観光路線として結構人気になっていたであろう。
  5. この鉄道の現役時代には愛宕山にホテルやスキー場もあった。
    • しかし鉄道休止により放棄され自然に還ってしまった。

大阪[編集 | ソースを編集]

兵庫[編集 | ソースを編集]

鍛冶屋線[編集 | ソースを編集]

  1. 加古川線の野村駅から西脇市街を通り、多可郡の中町の鍛冶屋までを結んでいた路線。
  2. 松前線同様、国鉄の無策で廃止された路線として挙げられる。
    • 加古川線の野村~谷川より鍛冶屋線の野村~西脇のほうが輸送密度が高かった。
      • 三木線や北条線よりも高かったらしい。
  3. しかし中途半端に高かったため第三次特定地方交通線まで回された。
    • そして北条鉄道三木鉄道という前例ができてしまった。
    • これにより兵庫県が第三セクター化に難色を示し、結果廃線することになったといえよう。
  4. 結果、1990年4月に廃止。大社線宮津線と並んで最後に廃止・転換された特定地方交通線となった。
    • まあ加古川線が阪神淡路大震災で代替ルートとして活躍したことを考えると、結果論にはなるけど塞翁が馬と言えるところなのだろうか…。
  5. 廃線直前に、「カナソ・ハイニノ国」なるミニ独立国が誕生した。
    • 中町の商工会の青年部有志が立ち上げたらしい。
    • 廃線と同時に消滅したとのこと。
  6. 徳島の鍛冶屋と紛らわしい。
    • 原武志の著書でもネタにされていた。
  • 野村 - 西脇 - 市原 - 羽安 - 曽我井 - 中村町 - 鍛冶屋
  • 鍛冶屋線廃止後、野村駅が西脇市駅に改称した。

有馬線[編集 | ソースを編集]

  1. 有馬温泉に初めて乗り入れた鉄道路線。
  2. 太平洋戦争中の1943年に不要不急路線として廃止された。
  3. 一部の廃線跡は福知山線の複線化用地や西宮北ICの建設用地に転用された。
  4. 書類上は今でも「休止路線」という体だが線路は一切残っていない。
    • 設備は篠山線に転用されたがそちらも1972年に廃止された。
  • 三田 - 塩田 - 新道場 - 有馬口 - 有馬

和歌山[編集 | ソースを編集]

鳥取[編集 | ソースを編集]

倉吉線[編集 | ソースを編集]

  1. 倉吉市の倉吉駅から旧関金町の山守駅までを結んでいた。
    • 計画では山を越えて中国勝山まで延伸する予定だった。
      • 途中にはリゾート地の蒜山高原があったので開通していればそれなりに需要が見込めた気がする。
  2. 途中駅の打吹駅が倉吉市の中心市街地に近く、かつてはこっちが倉吉駅を名乗っていた。
    • それまで山陰本線の駅は上守駅を名乗っていた。
      • 上井駅の誤り。
  3. しかし表定速度が20km/h以下の鈍足列車が多く、「日本一の鈍足列車運転線区」とも揶揄される始末。
  4. 第一次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
  5. 漫画「カレチ」にも登場する。
    • 大阪駅からの直通の臨時急行が運転される際「50%以上の乗客が見込めれば定期化する」という話があり、地元出身の車掌が乗客数を水増しして報告してしまう。
    • しかし異を唱えた主人公によってこれがバレてしまい、結局定期化の話も立ち消えとなり、倉吉線も廃止されるという話。
    • ただし架空の話であり、倉吉線に直通する急行が設定されたことはない。
  6. 泰久寺-山守の線路跡が絶妙な朽ち具合で一部のファンに人気。
  • 倉吉 - 上灘 - 打吹 - 西倉吉 - 小鴨 - 上小鴨 - 関金 - 泰久寺 - 山守
    • 未成区間(南勝線):山守 - 伯耆清水 - 八束 - 蒜山 - 美作二川 - 湯原 - 真賀 - 山久世 - 中国勝山

島根[編集 | ソースを編集]

大社線[編集 | ソースを編集]

  1. 出雲市駅と出雲大社を結んでいた路線。
  2. かつては出雲大社へのメインルートとして、急行が乗り入れていたこともあった。
    • 東京・名古屋・大阪から当駅止まりの列車が運転された実績あり。
  3. 第三次特定地方交通線に指定され、1990年に廃止。鍛冶屋線とともに最後に廃止された路線の一つになった。
    • 正直一畑電車が引き受けても良かった気はするのだが。
    • 現在一畑電車でアクセスするには、川跡駅でのスイッチバックで遠回りに。一畑のバスはあるけど。
  4. 廃止後、出雲神西駅が「出雲大社口駅」を名乗ったのだが…。
    • 直線距離では確かに近いとはいえ、連絡機関も全くないのでクレーム続出。結局1999年に現在の出雲神西駅に改称した。

一畑電鉄立久恵線[編集 | ソースを編集]

  1. 出雲市から立久恵峡を経由し旧佐田町の出雲須佐までを結んでいた。
  2. 建設した会社は「大社宮島鉄道」…よくある「壮大な大風呂敷」というアレ。
    • 計画では三次まで建設し、三次から芸備線で広島へ向かうというものだったとか。
    • 一応測量は行ったらしい。
  3. 戦時合併で一畑電鉄に買収されるものの、名前に反して電化されることはなく、水害に見舞われたこともあって1964年に休止(翌1965年に廃止)。
  • 出雲市 - 古志町 - 馬木不動前 - 朝山 - 桜 - 所原 - 殿森 - 立久恵峡 - 乙立 - 向名 - 出雲須佐

岡山[編集 | ソースを編集]

下津井電鉄[編集 | ソースを編集]

  1. 瀬戸大橋の下に下津井電鉄というナローゲージの電車が走っていた。瀬戸大橋開通で賑わい、メルヘンな新型も導入したが、その直後廃止となった。
    • その新型車両は実質2年程度しか使用されなかった。
    • 余裕が無い状況で新車を入れたのは瀬戸大橋架橋記念博覧会マネー関係だとも言われている?が、ナローゲージなので他で使えないのが惜しすぎる。
      • 近鉄に譲渡されてナローゲージ線で運用するという話もあったようだが、結局流れた。
      • 下電自身も瀬戸大橋開通による観光客増加に賭けていたのだと思う。だが瀬戸大橋開通による航路の廃止が利用客減少→廃止の要因になるとは皮肉だった。
      • 児島駅がJRの同名の駅と離れていたのも痛い。
  2. 廃線から15年以上経ったが、未だに車両が下津井駅跡の車庫(?)に放置されている。
    • 廃線跡地は自転車道になっている。
    • 駅の跡には駅名標のレプリカも立てられている。
  3. 電車もちっちゃい車両で、普通の大人が乗っても天井に手が届くほどだったらしい。
  4. 県外出身者だが、下津井電鉄、という字を初めて見たとき、下松と津山と井原を結ぶ電鉄なのか、と思ってしまった。「下津井」自体が1つの地名だったとは。
  • 1991年廃止区間:下津井 - 東下津井 - 鷲羽山 - 琴海 - 阿津 - 備前赤崎 - 児島
  • 1973年廃止区間:児島 - 児島小川 - 柳田 - 稗田 - 福南山 - 福田 - 林 - 藤戸 - 天城 - 茶屋町

同和鉱業片上鉄道線[編集 | ソースを編集]

  1. 「ブルートレイン」でちょっと有名。
    • ブルートレインのダイヤは登りの始発と下りの最終の1往復のみで、柵原付近に泊まらないと利用しにくかった。
  2. 途中、和気駅でJRと接続していたが、両端とも単独駅なので完乗するのは効率が悪かった。
  3. 「片上」駅ができたのはこちらが先。JR赤穂線の方は後でできたので「備前片上」駅と旧国名を付けている。
  4. 廃止後吉ヶ原駅には「コトラ」という猫駅長が就任するようになった。
    • 海外の保存鉄道もかくやのいい環境で往年の駅舎や車両が保存されている。
  5. 同じ会社が秋田で走らせていた小坂線とも車両の融通を行っていた。
  6. 昔、まだ汽車が走っていた頃、菊池桃子が出てるグリコのポッキーのCMのロケ地になったことがある。(吉ケ原駅)
  7. 和気駅の辺りは、廃線跡がサイクリングコース化されている。
    • 「片鉄ロマン街道」という愛称名が鉄橋に記載され山陽線の車内からも見える。
  • 片上 - 清水 - 中山 - 和気 - 本和気 - 益原 - 天瀬 - 河本 - 備前矢田 - 苦木 - 杖谷 - 備前塩田 - 備前福田 - 周匝 - 美作飯岡 - 吉ヶ原 - 柵原

西大寺鉄道[編集 | ソースを編集]

  1. 岡山市と西大寺を結ぶ軽便鉄道だったが赤穂線の開業により廃止に追い込まれた。
    • 廃止時まで黒字だった日本で唯一の軽便鉄道。
      • 西大寺会陽(裸祭り)の参加者・見物客の輸送で大儲けしていたらしい。
  2. 軌間は世界的にも決してポピュラーではない914mm(3フィート)。
    • この鉄道の廃止により日本からその軌間の鉄道が消滅した。
  3. 普段は水が流れない川を堤防に切通しを作る方式で橋を架けずに越えていた。
  4. 現在の両備バスの前身にあたる。
  5. 岡山側のターミナルは後楽園の近くだった。
    • 資金不足で旭川を渡れなかった結果この位置になったらしい。
  6. 廃止後も井笠鉄道や下津井電鉄のごとく車両がかなり残っていたがほとんど解体されてしまった。
  7. 略称は「西鉄」(さいてつ)。よってこことは関係がない。

広島[編集 | ソースを編集]

宇品線[編集 | ソースを編集]

  1. 日清戦争の人員・物資輸送のための軍事専用線として1894年に開業。
  2. 広島電鉄やバス路線との利便性の差が大きくなったこともあり、国鉄線としては1972年に廃止。
    • その後は準専用線のような扱いで細々と続いていたが、1986年限りで貨物営業も廃止となった。
    • 時刻表からは1966年に南半分の旅客輸送が廃止された際に消えた。
      • 定期券を持っていない人は車内で整理券を買う必要があった。
  3. 南段原駅跡に動輪が置かれているが現役時代と位置が違うらしい。
    • 宇品駅跡は広島南道路のICができて跡形もない。
    • 広島駅には2010年代までこの路線が出ていた0番ホーム跡が残っていたが再開発が始まり消える可能性大。
  • 広島 - 大須口 - 南段原 - 上大河 - 下大河 - 丹那 - 宇品


徳島[編集 | ソースを編集]

鍛冶屋原線[編集 | ソースを編集]

  1. 高徳線の板野駅と上板町の鍛冶屋原を結ぶ路線。
  2. あまりに遅すぎて、「急ぎゃ自転車、急がにゃ歩け、なおも急がにゃ汽車に乗れ。」なんて言われてた。
    • 蒸気機関車の出力が弱すぎて、上り坂で立ち往生することも多々あったという。
  3. もともとはこっちのほうが本線だったが、路線が伸びて盲腸線に。
  4. 1972年、赤字83線の取り組みで廃止。
  5. 将来的に穴吹まで延伸する計画もあったという。
    • しかし免許は戦前に失効した。
  6. 建設母体は「阿波電気軌道」という会社だったがとうとう廃止まで電化されなかった。
  • 板野 - 犬伏 - 羅漢 - 神宅 - 鍛冶屋原

小松島線[編集 | ソースを編集]

  1. 牟岐線の中田駅から小松島駅(およびその先の小松島港仮乗降場)までを結んでいた路線。
    • 小松島港からはフェリーで和歌山まで直通していた。
  2. しかし徳島港が浚渫で使いやすくなるとローカル線に転落。
    • 赤字83線を経て第一次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
  3. 廃止後、小松島市は明石海峡大橋の開通もあってさらに衰退した。

愛媛[編集 | ソースを編集]

伊予鉄道森松線[編集 | ソースを編集]

  1. 横河原線の伊予立花駅(現:いよ立花駅)から国道33号沿いに森松地区までを結んでいた路線。
  2. 乗客数の低下により1965年に廃止された。
  3. 廃線後、森松駅跡は営業所となっている。
  4. 1970年代以降、森松地区および重信川を越えた砥部町が発展したため、復活する構想はある。
    • しかし現実問題として道路の拡幅等が必要なことから実現は困難だろう。
  • 伊予立花 - 石井 - 森松
    • 伊予立花駅は森松線廃線後の1981年に「いよ立花駅」に改称。

関連項目[編集 | ソースを編集]