日本の廃駅
日本の駅 > 廃止
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日本の廃駅 目次 | ||||||||||||||||||
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北海道 | 青森 | |||||||||||||||||
秋田 | 岩手 | |||||||||||||||||
山形 | 宮城 | |||||||||||||||||
山 口 |
島根 | 鳥取 | 兵 庫 |
京 都 |
福井 | 石 川 |
富 山 |
新潟 | 福島 | |||||||||
佐賀 | 福岡 | 広島 | 岡山 | 滋 賀 |
長野 | 群馬 | 栃木 | 茨 城 | ||||||||||
長崎 | 熊 本 |
大分 | 大 阪 |
奈 良 |
岐 阜 |
埼玉 | ||||||||||||
宮崎 | 愛媛 | 香川 | 三 重 |
山梨 | 東京 | 千葉 | ||||||||||||
鹿児島 | 高知 | 徳島 | 和歌山 | 愛知 | 静岡 | 神奈川 | ||||||||||||
沖縄 |
分割済み[編集 | ソースを編集]
岐阜[編集 | ソースを編集]
美濃駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:美濃市広岡町
- かつての名鉄美濃町線の終点。
- 開業時は当時の町名を取り「上有知」(こうずち)という難読駅名だった。
- 1923年完成の貴重な駅舎が登録有形文化財として保存されている。
- なお現在は鉄道グッズや古いレコードの販売店と化している。
- 店内はいい意味で無秩序。
- 重伝建地区のうだつの町並みからも近い。
- なお現在は鉄道グッズや古いレコードの販売店と化している。
- ホームや線路も残りかつての車両が3両+α(運転台部分)飾られ見る向きによっては現役時代さながらの風情。
- ただし内部のシートはなぜかほぼ残っていない。
- 駅名標は往時のままと思われる。
- 現地では当地出身の野口五郎が歌った「私鉄沿線」に出てくる駅のモデルということにされている。
- 廃駅なのに見習い駅員という設定の「みの あかり」という萌えキャラがいる。
- 路線:名古屋鉄道美濃町線
神岡鉱山前駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:飛騨市神岡町船津
- 国鉄時代は「神岡口」という駅名だった。
- 神岡鉄道唯一の有人駅。かつては神岡鉄道の本社も置かれていたが2002年に奥飛騨温泉口駅へ移転。
- 路線:神岡鉄道神岡線
飛騨神岡駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:飛騨市神岡町船津
- 国鉄時代は「飛騨船津」という駅名だった。
- 旧神岡町中心部への最寄駅。
- 路線:神岡鉄道神岡線
奥飛騨温泉口駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:飛騨市神岡町東雲
- 神岡鉄道の終点。国鉄時代は「神岡」という駅名だった。
- 2002年に二代目の駅舎が完成し、その後廃止まで神岡鉄道の本社が置かれていた。
- 路線:神岡鉄道神岡線
八百津駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:加茂郡八百津町伊岐津志
- 2001年に廃線となった名鉄八百津線の終点。
- 八百津町の中心部は八百津橋を渡った対岸に位置していた。
- 観光名所の旧八百津発電所や杉原千畝記念館はさらに遠い。
- 特に後者までは約5kmほど離れている。
- 観光名所の旧八百津発電所や杉原千畝記念館はさらに遠い。
- 跡地には石碑とわずかな線路が残されているだけで車で横を通っても気づきにくい。
- 一応「ポケモンGO」のジムにはなっている。
- 路線:名鉄八百津線
忠節駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:岐阜市島栄町一丁目
- 岐阜市内線と揖斐線の接続駅。
- かつては駅ビルがあったが2002年に解体され、末期は駅ビルの1階部分のみを使用した駅舎が建っていた。
- 路線 - 名鉄岐阜市内線・名鉄揖斐線
美濃北方駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:本巣郡北方町加茂
- 北方町の中心駅であり、揖斐線の廃止時点で3駅しかなかった交換可能な駅(2面2線)。
- 開業以来の駅舎は揖斐線廃止後も残っていたが、現在は解体されている。
- 路線 - 名鉄揖斐線
黒野駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:揖斐郡大野町大字黒野
- 揖斐線と谷汲線が分岐する重要駅だったが、2001年に揖斐線の一部と谷汲線の全線が廃止になった後は当駅が終点となった。
- 現在駅の跡地は「黒野駅レールパーク」として整備されている。
- 路線:名鉄揖斐線(廃止時点)
北野畑駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:揖斐郡大野町大字稲富
- 谷汲線唯一の交換可能駅だったが、末期は列車増発時のみ交換を行っていた。
- 名鉄全駅の中で最も利用者の少ない駅だったらしい(1990年代前半時点)。
- 路線 - 名鉄谷汲線
谷汲駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:揖斐郡谷汲村穂積(廃止時点、現在は揖斐川町谷汲穂積)
- 谷汲線の終点駅であり、旧谷汲村の中心駅。
- 廃線の数年前に改築され、昆虫館を併設していた駅舎は現在も残されている。
- 路線 - 名鉄谷汲線
静岡[編集 | ソースを編集]
三保駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 今では世界遺産となった三保松原から徒歩圏内にあった。
- しかし現役時代は旅客列車がほぼ皆無だったため鉄道での観光は無理だった。
- 近くの工場からの貨物輸送のために存在しているような駅だった。
- 現在でも跡地に入れ替え用の小さなディーゼル機関車と当時の貨車(「三保駅常備」の文字あり)が保存されている。
- 跡地には上述の車両とホームが残っているので鉄道ファンなら三保松原観光のついでに足を延ばす価値はあると思う。
- 路線:国鉄清水港線
愛知[編集 | ソースを編集]
ナゴヤ球場正門前駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:名古屋市中川区露橋
- ナゴヤ球場への利便性向上を図って1987年に開業。
- その後尾頭橋駅の新設もあり1994年10月8日限りで廃止となってしまった。
- 因みにこの10月8日は中日vs巨人の「10.8決戦」が行われた日だった。
- この試合で中日が勝ってリーグ優勝していたら、西武との日本シリーズ開催期間まで営業を延長する予定だった。
- 因みにこの10月8日は中日vs巨人の「10.8決戦」が行われた日だった。
- 種村直樹の著書によると「名古屋市内」までの切符では乗車不可だったという。
- 運用次第ではキハ82が投入されることもあった。
- 路線 - 東海道本線貨物支線
西中金駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:豊田市中金町
- 名鉄三河線のかつての終点。
- 本当は足助まで伸ばす予定だったが太平洋戦争のせいで建設中止に追い込まれた。
- 対になる「東中金駅」が隣駅になるはずだった。
- 現在は喫茶店が駅舎に入居している。
- よく分からないバンドのグッズも販売している。
- 駅の周囲はガソリンスタンドやJAくらいしかないかなり寂しい場所。
- 路線 - 名鉄三河線
三河広瀬駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:豊田市東広瀬町
- 猿投-西中金の廃止区間に存在する駅としてはおそらく最も地域の拠点としての機能を果たせていたと思われる。
- かつては貨物輸送も行われていたらしい。
- 元駅前には現在もバスが発着している。
- 2022年時点でも駅前旅館が健在のほか元寿司店と思しき建物も現存。
- 現役時代の雰囲気がかなり残っている。
- 駅舎を改造した喫茶店(冬季休業)の内部には廃止当時の運賃表や窓口が健在。
- 植木の手入れも行き届いている。
- 構内は「マレットゴルフ」なる競技のコースとしても使われている。
- 路線 - 名鉄三河線
三河御船駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:豊田市御船町
- 豊田市運動公園が近くイベント時には駅員が臨時に出張してくることもあった。
- 駅周辺人口だけなら山線の廃止駅では最多と思われる。
- そのためかここまでの路線を復活させる構想もある。
- ただしその計画のせいか跡地整備が最も進んでいない。
- ホームは一応立入禁止とされ駅名標も外されたまま。
- ただしその計画のせいか跡地整備が最も進んでいない。
- そのためかここまでの路線を復活させる構想もある。
- 路線 - 名鉄三河線
鎌谷駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:西尾市鎌谷町
- 地元負担の請願駅として1928年に開業。
- 元々ここには仮設駅の横須賀口駅があったが、1915年の一年限りで廃止となっていた。
- 利用者の減少もあり2006年に再廃止。
- 路線 - 名鉄西尾線
三重[編集 | ソースを編集]
池の浦シーサイド駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:伊勢市 (旧度会郡二見町)
- 海水浴のために作った臨時駅だが、今となってはこういう人々しか使わない。
- 駅名標の横には何も書かれていない時刻表がある……臨時駅だから何も書かれていないのは当然だが。
- かつては快速みえも停車していたが年々営業日及び停車列車は減少している(2017年は年4日、1日当たり上下4本の普通列車のみ停車)。
- 2018年は営業日がゼロに・・・。
- ついに廃止が決定。2020年3月14日のダイヤ改正で、正式に廃止となる。
- 路線 - 参宮線
京都[編集 | ソースを編集]
壬生駅(嵐電)の噂[編集 | ソースを編集]
- 現在嵐電で最も駅間距離が長い四条大宮-西院間にあった。
- グルメシティ四条大宮店のほぼ裏側あたり。
- 2022年時点ではライフになっているがどちらにしても四条大宮駅から近すぎる。
- これまでに4回開業し4回とも廃止されている。
- 駅番号導入時に四条大宮が「A1」、西院が「A3」となっていたため復活構想があったと思われる。
- しかし北野線撮影所前駅開業に伴う番号変更により欠番が埋まり幻に終わった模様。
- 1本西の坊城通に位置していたら壬生寺へのアクセスがいいため生き残れていてもおかしくなかったと思う。
- 路線:京福電気鉄道嵐山本線
大阪[編集 | ソースを編集]
片町駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 関西本線湊町駅・南海高野線汐見橋駅と並ぶ、大阪市内の忘れられたターミナルだった。
- 片町線の線名の由来になった駅だが、同線の利用客の殆どは京橋駅で下車し、ガラガラの状態で片町駅に向かっていた。
- だいたい、夕方になると快速電車は、500m東の京橋駅始発しかなかったというのが、その状況を物語っている。
- 片町線の線名の由来になった駅だが、同線の利用客の殆どは京橋駅で下車し、ガラガラの状態で片町駅に向かっていた。
- JR東西線開通に伴い1997年に廃止。
- 代わりの駅として大阪城北詰駅が開業したが、片町交差点を挟んで北西に離れている。
- なお仮称は「片町」だった。
- それでも寝屋川の対岸にOBPができると、そこへの通勤客が利用したりしていた。
- でも、雨の日になると、京橋駅から行く人のほうが多かった。(屋根付きの連絡通路がある。)
- かつては京阪にも片町駅があったが、今の京橋駅が出来た時に廃止された。
- 京阪京橋駅の西改札が「片町口」を名乗っているのはその名残り。
- 路線 - 片町線
- バス - 大阪市営バス
住吉公園駅の噂[編集 | ソースを編集]


- 南海住吉大社駅の高架下にホームがある。
- 古びた小じんまりとした駅舎もあり、駅舎の中には飲み屋まである。
- そのため、駅廃止後も駅舎は残される予定。
- 南海本線の高架化までは南海の駅舎も兼ねていた。
- 南海本線の高架化に伴い駅舎の左側が少し削られた。
- これが出来たのも高架化までは南海の軌道部門、かつ駅名も同じで問題がなかったからである。
- しかもその駅舎には右から左に書かれた駅名表示がある。
- 古びた小じんまりとした駅舎もあり、駅舎の中には飲み屋まである。
- 南海は高架化に伴い駅名を変更したのにこちらはなぜか変更されなかった。
- 阪堺線の住吉鳥居前停留所とは目と鼻の先。こちらにも住吉鳥居前の時刻表が掲出されている。
- 三が日は駅北側の踏切が手動で操作される。
- 2014年3月のダイヤ改正以後、朝の7~8時台しか電車が来なくなった。朝8時台に終電ということは恐らく日本一早い終電かも。
- ただ平日だけかと思いきや意外にも休日にも設定されている。
- もう廃止しても良さそうな感じだが、実のところは正月輸送を考えてこの駅を残しているらしい。正月は電車が大増発されるのでこの駅を使って折り返すため。
- この駅が廃止された後の正月は住吉・住吉鳥居前両電停がパンクしないか心配…。あと住吉公園に行ってた電車が全て我孫子道に向かうので電車が詰まらないかも。
- 路盤跡は阪堺がオーナーと思われるタイムズが出来て、廃止後の2017年正月はそのタイムズを閉鎖した上で乗客の待機スペースに充てて公園駅廃止のフォローをした。正月輸送で人を捌くためのタイムズ化だったのか・・・。
- この駅が廃止された後の正月は住吉・住吉鳥居前両電停がパンクしないか心配…。あと住吉公園に行ってた電車が全て我孫子道に向かうので電車が詰まらないかも。
- 現在走ってるのは朝の通勤用と錆取り列車にしか見えない。
- 案の定、2016年1月31日限りで廃止が決定。
- 当たり前だが、「終電」が行った後はバリケードでホームが塞がれる。
- ホーム上には金魚が泳ぐ水槽がある。
- あれは昔の防火水槽らしい。
- 廃止後金魚は大阪市内の中学校で飼われるそうです。
- 2015年と2016年の正月3が日には「堺トラム」も乗り入れた。
- ICカードが使える駅としては初の廃駅だった。
- 路線 - 阪堺電気軌道上町線
平野駅(南海)の噂[編集 | ソースを編集]
- 現役当時は八角形のレトロな駅舎が有名だった。
- 廃止後も保存運動はあったが、結局解体された。
- 駅の跡地は広場になっていて、かつての駅舎を模した休憩所も設置されている。
- かつての駅前にあった商店街は今も「平野南海商店街」を名乗っている。
- これの代替として設置された地下鉄谷町線の平野駅はここよりもやや南にある。
- 実はここから八尾・柏原方面への延伸計画もあったらしい。
- 路線 - 南海平野線
万国博中央口駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:吹田市千里万博公園
- 1970年の大阪万博開幕直前から閉会式翌日まで使われた臨時駅。
- 「万国博」という行先を表示した電車が2000万人以上の来場者を運んだ。
- 梅田(大阪駅)や新大阪に直結していたのは本当に便利だったと思う。
- 駅を出ればすぐ大屋根や太陽の塔がお出迎え。
- 大阪モノレールの万博記念公園駅よりもさらに近かった。
- 跡地は中国自動車道の上り線になり跡形もない。
- ただしこの駅で使われていた自動改札機は現存しているらしい。
- 路線:北大阪急行電鉄会場線
兵庫[編集 | ソースを編集]
尼崎港駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 今津線のように市を南北に通っていて重宝しそうな福知山線支線の終端だったが、旅客が日2本と全くやる気なかったので廃駅に・・・
- 元はここが福知山線の起点。当初の駅名は「尼ヶ崎」。神崎に名前を奪われて「ヶ」の字も消える・・・
- もともと尼ヶ崎を名乗っただけはあって、阪神の尼崎駅も結構近かった。
- 貨物主体だけあって駅舎はまるで運送の事務所。乗車券も手書きで常備券などなかった。
- 現在、駅の跡地には○通の営業所が置かれ、旧駅舎は事務所として使われている。
- 路線 - 福知山線
西宮東口駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 阪神の今津~西宮間にあった駅。高架化に伴い西宮駅に統合されて廃止された。
- 神戸方面行きが先に高架化された時点ではまだ存在していたため、高架上に仮ホームが設置されていた。現在でも高架橋にその痕跡が残っている。
- JRの西宮駅(当時はまだ西ノ宮駅だった)へは西宮駅よりもこちらの方が近かった。
- 西宮市の市域拡張に伴い、次第に実態に合わない駅名になってしまった。
- 開業当時は、本当に西宮町(まだ市ではなかった)の東口にある駅だった。
- 路線 - 阪神本線
宗佐駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:加古川市八幡町宗佐
- 加古川市最初の駅で終点までの3駅が加古川市。
- 三木鉄道の駅だったので、廃駅に。
- 路線 - 三木鉄道三木線
下石野駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:三木市別所町下石野
- 三木市最後の駅で宗佐駅まで約500mの距離。
- 近くに小学校があったが廃校になった。
- なぜか公衆電話が設置されていた。
- 路線 - 三木鉄道三木線
三木駅(三木鉄道)の噂[編集 | ソースを編集]

所在地:三木市福井
- 駅舎がボロい。
- だが、それがいい。
- 石野駅もなかなか味わいがあった。ただし無人駅だった。
- 三木市の中心部ではなく、町外れにある。
- 三木鉄道自身赤字なのに、最近ホームに2番線が増設され、一面二線になった。
- 増設当時は、一日に3本程度、2番線発の列車があったが、いまは一日1本。
- 2番線は「切り欠きホーム」なので、駅舎から離れており、行き難い。
- 列車は駅で折り返し待ちの際、エンジンをつけっ放しにしてある。
- 赤字の要因かも。
- 路線廃止後も駅舎は残され、「三木鉄道記念公園」として活用されている。
- 車両を保存する予定もあったが実現しなかった。
- 路線 - 三木鉄道三木線
大将軍駅の噂[編集 | ソースを編集]

所在地:姫路市高尾町
- 公団住宅やホテルが入ったビルの3,4階部分にあった。
- こう書くと便利な立地に思えるが実際は姫路駅から近すぎ利用者が皆無のため2年で消えた。
- 駅北口からの距離はおそらく姫路城より近い。
- こう書くと便利な立地に思えるが実際は姫路駅から近すぎ利用者が皆無のため2年で消えた。
- 廃止後も長らくその姿をとどめていたがビルの解体により姿を消すことに。
- ほぼそのまま残っていた駅名標などは手柄山駅跡の施設で保存できないものかと思ってしまう。
- 解体直前に駅構内が一般公開された。
- 路線:姫路市営モノレール
西脇駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:西脇市西脇
- 現在の西脇市駅とは異なり、西脇の市街地に作られていた。
- 路線 - 鍛冶屋線
和歌山[編集 | ソースを編集]
水軒駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:和歌山市西浜
- かつて存在した、和歌山港線の終着駅。
- 1日2往復、9時台と15時台のみ。関西大手私鉄としては最も(だよね?)始発が遅く終電が早い駅だった。
- これでも、利用者が数人いたというのだからすごい(現に、おばちゃんが普通に利用していたのを見たことがある)。
- すぐ横にある養翠園の為に、この駅を使う乗客はまずいなかったと思われる。
- 現在、ホームや汲み取り式便所だった小屋などは撤去されたが、駅周辺の線路はそのまま残されている。
- その半ば管理も放置されていた汲み取り便所の小屋は廃止の年から芳香剤やトイレットペーパーなどを誰かが置いていき、終いには有志が自作した時刻表まで配布するという今まで放置されていたのが嘘なぐらいの「豪華さ」にまでなった。
- 最寄のバス停は和歌山バスの石切場だが、水軒大橋を渡ったりで10分ぐらいかかる上にそのバス(雑賀崎循環線)は1時間に1本と少々利用しにくい(しかも、JR和駅→南海市駅→JR和駅の一方通行運行)。
- 1日2往復という線路磨き・免許維持程度の運行の為に赤字も最小限だったようだが、地元から出た途中の和歌山港1号踏み切り拡幅を理由に和歌山港-水軒間が2002年5月25日廃止された。
- 線路の一部は歩道になったり、電柱が立ったりしているが、その要因の踏み切りは廃止されてもなかなか拡幅されない(周りに私有地が絡むためと思われる)。
- そもそもがミカン等を港へ出荷のために線路引いたのに、出来た頃には物流はトラック輸送に変わっていた。でも造ってしまったのが無駄になるのがばれてしまうから和歌山県が南海に二往復だけ旅客運行させていた、という噂。
- 和歌山港と水軒間は県が敷設(臨港地区のために整備)のために県が敷地を持っていて、南海はその上で運行していたという今でいう3セクや上下分離の先駆けのようなものである。
- 2007年頃から地元の中学校同窓会組織が松を植えたり、ドッグランが作ったりして公園を作るために整備している。線路、砂利は取り除かれた。
- 廃止直前には盗難防止のため駅名標が仮のものに取り替えられていた。
- それまでの駅名標は昭和末期時代の白地のものだった(錆がひどかったので廃止前に丸ゴシックものに取替え)が、仮のものになってからは単に「水軒 すいけん」の表示になってしまった。
- 路線 - 南海和歌山港線
金屋口駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 有田鉄道の終点駅であり、有田鉄道唯一の有人駅。
- 駅の構内には車両基地も併設されていた。
- その構内を再整備して2010年から有田川町鉄道公園がオープン。
- 廃止後も駅舎は撤去されず、タクシーの車庫として再利用されている。
- 路線 - 有田鉄道線
登山口駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:海草郡野上町下佐々
- 野上電鉄の終点。
- 駅の南東にある生石高原への登山口だったのでこの駅名になった。
- 因みに開業当初の駅名は「生石口」。
- 当駅から高野山まで延ばす計画があったらしい。
- 廃線後、駅の跡地には大十バスの本社と車庫が建っている。
- 路線 - 野上電気鉄道野上線
鳥取[編集 | ソースを編集]
打吹駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:倉吉市打吹
- 倉吉市街に最も近い駅だった。
- なので、開業当初はこっちが「倉吉駅」を名乗っていた。
- 1972年にこっちが打吹駅に改称するまで、山陰本線の駅は「上井駅」を名乗っていた。
- 路線 - 倉吉線
山守駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:東伯郡関金町堀
- 倉吉線の終着駅。
- ここから中国勝山方面に延伸する計画があったため、線路は駅の構内からしばらく進んだところまで建設されていた。
- 廃線後は数年間駅舎が残っていたそうだが、現在は全てが撤去されている。
- 路線 - 倉吉線
島根[編集 | ソースを編集]
江津本町駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:江津市江津町
- いかにも中心市街地にあるような名前だが、市街地は丘の向こうにある。
- 石見神楽の演目名に因んだ「恵比寿」という愛称が付けられていた。
- 末期には一日の利用客数0人を記録していた。
- 路線 - 三江線
石見川本駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡川本町大字川本
- 上り1本だけここ止まりの列車があったが、ホームに留置してそのまま江津行きになった。
- 単線区間につきものの対向列車待ちだが、1時間以上になるため別列車扱いにしていたのだろう。
- その1本というのが三次駅を10時過ぎに出発する列車で全線の車窓が楽しめる(上り列車では)唯一の列車だった。
- 石見神楽の演目名に因んだ「八幡」という愛称が付けられていた。
- 路線 - 三江線
石見簗瀬駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡美郷町簗瀬
- 1999年までは島式ホーム1面2線の交換設備があったが、川平・川戸・因原と同時に廃止されてしまった。
- 石見神楽の演目名に因んだ「岩戸」という愛称が付けられていた。
- 路線 - 三江線
野井仮乗降場の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡美郷町野井(営業当時は邑智町野井)
- 粕淵駅の手前の橋梁が水害で流された際に設置されていた仮乗降場。
- 営業期間は代行バスの運行開始までの約1年間。
- 仮乗降場だったが、きちんとしたホームや駅名標も設置されていたらしい。
- 路線 - 三江線
粕淵駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡美郷町粕渕
- 美郷町の中心駅であり、三瓶山への最寄駅でもあった。
- 駅名には正字の「淵」が使用されていたが、地名やバス停は俗字の「渕」。
- 石見神楽の演目名に因んだ「神武」という愛称が付けられていた。
- 路線 - 三江線
- バス - 石見交通 大和観光 美郷町営バス
浜原駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡美郷町浜原
- 三江線の業務上の主要駅であり、当駅で折り返す列車も設定されていた。
- また三江線が全線開通するまでの三江北線はここが終着駅だった。
- 石見神楽の演目名に因んだ「大蛇」という愛称が付けられていた。青森にある同名の駅とは無関係。
- 路線 - 三江線
- バス - 石見交通 大和観光
石見都賀駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡美郷町都賀本郷
- 旧大和村の中心駅。交換設備があったが肝心の交換は設定されていなかった。
- 石見神楽の演目名に因んだ「髪掛けの松」という愛称が付けられていた。
- 路線 - 三江線
宇都井駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:邑智郡邑南町宇都井下郷
- ホームが地上20mの位置にあったことで有名。
- 「天空の駅」と呼ばれていた。
- 地上とホームを行き来するには階段しかなかった。
- 利用状況から言ってエレベーターを設置しても割に合わなかっただろう。
- 保存計画があるらしい。
- 廃止後の2019年、線路で書き初めをやった。
- 石見神楽の演目名に因んだ「塵倫」という愛称が付けられていた。
- 路線 - 三江線
出雲高松駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:出雲市高松町
- 開業当初の駅名は「朝山駅」だったが、後に「出雲高松駅」に改称された。
- 島式1面2線の駅だったが廃止時点では単式1面1線の駅になっていた。
- 廃線後もホームは残っているが、県道の拡張もありホームの西側は少し削られている。
- 路線 - 大社線
大社駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:簸川郡大社町北荒木(当時)
- 駅舎は重要文化財になっている。
- ホームにSLが静態保存されている。
- 路線 - 大社線
岡山[編集 | ソースを編集]
下津井駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:倉敷市下津井
- もともとは本四連絡航路と接続する重要な駅だった。
- そのせいか所在地は下津井の中心部からやや西側に外れたところ。
- 今となっては下津井の町自体がひなびた漁港と化してしまった。
- 廃止直前には瀬戸大橋開業による観光客を見込みカフェテラスなども設置されていたらしい。
- 駅の設備は廃止後もしばらく残っていたが現在は屋根が抜けた車庫と草まみれの空き地が残るだけ。
- しかも近年になって車両の運び出しが始まり跡地がどうなるか不透明。
- 路線:下津井電鉄線
片上駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:備前市西片上
- 片上鉄道の起点駅。
- 車庫や貨物ヤードの端に小さな1面1線のホームを有していた。
- 駅の跡地にはマックスバリュとエディオンが建っているが、駅前のロータリーは今でも残っている。
- 路線 - 同和鉱業片上鉄道線
広島[編集 | ソースを編集]
今井田駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:広島市安佐北区可部町今井田
- どーいうわけか、おニャン子クラブの某メンバーの大ヒット曲の撮影で使われた。
- 趣味で可部線に乗りに来る人の中にも相当こっちのファンが混じっている。
- 可部線の中で今井田駅だけにやたら反応する人は9割方、おニャン子オタで鉄道はにわか。
- 仮に鉄道ファンであっても、おそらく両方を趣味にしている人であって、純粋な鉄道ファンなどいないと言い切っていいだろう。
- ちなみにおニャン子オタは『Imaida station』を『今井田ステーション』ではなく『今井田スタスィオン』と読みたくなる。
- 路線 - 可部線
安芸亀山駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:広島市安佐北区可部町勝木
- 2017年に復活開業した区間のあき亀山駅とは全く位置が違う(河戸(復活区間近く)~今井田~安芸亀山)。5kmくらい離れている。
- この駅の所在地は亀山ではなく勝木。
- 旧亀山町だったから安芸亀山なんだろう。
- 路線 - 可部線
津浪駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:安芸太田町津浪
- サザンのロケに使われたことがある。
- サザンの代表曲「TSUNAMI」に掛けた「TSUNAMI隊」なるものは存在する(した?)が、サザンは来てないはず。
- 一応、東日本大震災後の2012年、2014年にもサイトの更新はしていた模様。
- サザンの代表曲「TSUNAMI」に掛けた「TSUNAMI隊」なるものは存在する(した?)が、サザンは来てないはず。
- 可部線非電化区間の廃止反対運動はすごかったが、この駅だけは潰して良かったなと思うのは気のせい?
- 存続していたら2011年に風評被害を受けていたのかも…
- それ以前に駅が所在する地名の由来が本当に山津波。
- 路線 - 可部線
加計駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:安芸太田町加計
- 一言。「かけい」と誤読します。何だか、せせこましい気分にさせられます。
- しかし、今は誤ったよみかたをする人は一人も居ないでしょう。何だか複雑な気分です。
- 同じ名前の学校法人の創始者は東広島市出身だが、先祖はここがルーツ。
- 中国自動車道は通っていますが、町の中心地と接続してなかったのが、命とりだったのでしょうか。
- 可部線の廃止区間ではかなり重要な駅だった。
- この駅が起終点の列車も多かった。
- 広島発の列車もあったとか。
- 廃止2年後の時点で既にホームの一部を除き撤去されていた。
- 当時は駅前後の区間がほぼ手付かずだったため強烈な違和感を醸し出していた。
- 可部線で運用していた車両が投棄されている(不法とは言っていない)。
- 路線 - 可部線
三段峡駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 可部線の終点。当駅から島根県の浜田駅まで延伸する計画(今福線)があったが、実現することはなかった。
- 三段峡駅からはトンネルの工事がわずかに行われていたような気がする。
- 駅の跡地には安芸太田町立の交流施設が建っており、施設内には三段峡駅跡のモニュメントが置かれている。
- 広島バスセンターからのバスも発着しまだ玄関口としての機能もある。
- その一方で現役時代のどこか山小屋を思わせるしゃれた駅舎は跡形もない。
- 駅前に飾られていたC11は府中町のイオンモール(開業当時はダイヤモンドシティソレイユ)へ持って行かれた。
- 終点かつ観光地最寄り駅にふさわしく廃止時まで有人駅だった。
- 03年の春に訪問した際には帰りの切符とは別に記念として最短区間の切符(赤い軟券)を別途買い求める人が多くいた。
- 路線 - 可部線
伊賀和志駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 線形の都合でこの駅は広島県にあるが、両隣の駅は島根県にある。
- 両隣のうち片方は天空の駅である。
- このあたりは江の川が県境になっている。
- 路線 - 三江線
徳島[編集 | ソースを編集]
小松島駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:小松島市小松島町
- 小松島市の中心駅だった。
- 少し先に小松島港仮乗降場があった。
- 運賃計算上は小松島港仮乗降場も同じ距離として扱われていた。
- 路線 - 小松島線
福岡[編集 | ソースを編集]
筑後大川駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:大川市大字小保
- 大川市の中心駅。2面3線のホームを持っていた。
- 駅の跡地にはハローワークと記念碑が建っている。
- 路線 - 佐賀線
志免駅の噂[編集 | ソースを編集]
- 所在地:糟屋郡志免町大字志免
- 志免町の中心駅。
- 勝田線の廃線直前まで香椎線の旅石支線が接続していた。
- 旅客ホームの跡地は志免鉄道記念公園として整備されている。
- 路線 - 勝田線
佐賀[編集 | ソースを編集]
諸富駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:佐賀市諸富町大字為重
- 旧諸富町の中心駅。地名は「もろどみ」だったが駅名は「もろとみ」。
- 駅の跡地には産業振興会館や小さな写真付きの記念碑が建っている。
- 路線 - 佐賀線
長崎[編集 | ソースを編集]
秩父が浦駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:島原市秩父が浦町
- 1964年に「中央高校前駅」として開業。
- その後職業訓練校前駅→技術専門校前駅を経て、1996年から秩父が浦駅に改称された。
- 因みに「技術専門校前駅」だった当時はずっと不通だったので、果たしてこの駅名での駅名標はあったのだろうか?
- その後職業訓練校前駅→技術専門校前駅を経て、1996年から秩父が浦駅に改称された。
- 現在もホームは放置されたままらしい。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
深江駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市深江町馬場
- 1991年の雲仙普賢岳の火山災害により、島原外港からここまで長期間不通になっていた。
- 当初布津までだったが、のちに布津からここまでが復旧。ただ道路も不通だった頃は代行の海上輸送を島原外港~布津間で行っていたため、布津~深江間が微妙な存在になっていた。
- 廃線になるまで有人駅(業務委託駅)だった。トロッコ列車をあしらった駅スタンプもあった。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
布津駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市布津町貝崎
- 1991年の雲仙普賢岳の火山災害で鉄道も道路も不通になった際、島原外港からここまで代行の高速艇が運航されたことがある。
- 旧布津町の中心駅だが、布津町自体の人口が少なかったせいか2000年に無人化されている。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
有家駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市有家町中須川
- 旧有家町の中心駅。廃止時まで有人駅だった。
- 駅舎は現在も残っており、島鉄バスの待合所として使用されている。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
西有家駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市西有家町須川
- 旧西有家町の中心駅なのに単式1面1線…。
- 駅舎には「そうめんの町」と書かれていた。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
原城駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市南有馬町大江
- 旧称は南有馬駅。地元の要望もあり1962年から原城駅に改称された。
- 島原の乱の激戦地、原城への玄関口だった。
- 旧南有馬町の中心駅。
- 当駅を出ると終点の加津佐駅まで列車の交換はできなかった。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
口之津駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市口之津町西大屋
- 旧口之津町の中心駅。
- 廃線から1年後の2009年には駅舎も撤去され、跡地にはバスの車庫が建っている。
- 天草諸島への玄関口はこっち。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
- バス - 島鉄バス
加津佐駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:南島原市加津佐町水下津
- 旧加津佐町の中心駅。
- 2008年まではここが島原鉄道の終着駅だった。
- 駅前の海水浴場客のために、車両を転用したバンガローがあった。
- ここから諫早に行くには、小浜経由のバスの方が早かった。
- 路線 - 島原鉄道島原鉄道線
熊本[編集 | ソースを編集]
泗水駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:菊池郡泗水町(現:菊池市)豊水
- 旧泗水町の中心駅。
- 跡地は道の駅泗水となった。
- 駅舎は営業時期末期から黒潮市場の店舗と併設されていたが、取り壊されドラッグコスモスが出店予定。
- 路線 - 熊本電気鉄道菊池線
菊池駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:菊池市隈府
- かつての熊電の終点。
- 古くは「菊電」と言ったらしい。
- 合志に向かう路線が「菊池線」なのもその名残。
- 宮原線が伸びてくる計画があった。
- 駅舎はバスターミナルと併設された菊池プラザが廃止後も残る。
- 構内部分は裏手の幼稚園が移転してきた。
- 路線 - 熊本電気鉄道菊池線
宮崎[編集 | ソースを編集]
日之影温泉駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:日之影町大字七折
- 正直、ここに入れていいのか疑問に思う(温泉施設としては2005年以降も現役で営業している)
- 鉄道駅としての現役当時は、町役場の最寄り駅でもあった。
- 現在(2021年以降)の町役場からの最寄り駅…でもある。一応は。
- 路線 - 高千穂鉄道高千穂線
鹿児島[編集 | ソースを編集]
三文字駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:曽於郡大崎町假宿
- 2021年ぐらいまで交差点の名称として現役だった。
- いつの間にか単に「三文字」に変わっていた。
- 大隅大崎駅よりも、こっちのほうが大崎町役場や商店街に近い。
- 実際、利用客も三文字駅のほうが多かったらしい(当時の大崎町の町勢要覧より)
- 路線 - 大隅線
東串良駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:肝属郡東串良町池之原
- 東串良町の中心駅。
- 交換設備が設けられていたが、1985年に廃止され1面1線の駅に。
- 現在駅の跡地は東串良鉄道記念公園として整備されている。
- 大隅線では駅前の石倉が現存する駅跡のひとつ。他は吾平。
- 路線 - 大隅線
串良駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:肝属郡串良町岡崎(現在は鹿屋市串良町岡崎)
- 旧串良町の中心駅。
- 隣の東串良駅とは僅か600mしか離れておらず、乗り遅れても走って追いかければ間に合ったというエピソードもある。
- 現在駅の跡地は串良鉄道記念公園として整備されている。
- 現在とはいうけど、鹿屋市との合併前に大部分が撤去されてます…。
- 串良から西は私鉄の軽便鉄道として建設された。そのため、東串良(志布志方面)と接続するのにタイムラグがあった。
- 路線 - 大隅線
大隅高山駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:肝属郡高山町前田(現在は肝属郡肝付町前田)
- 旧高山町の中心駅。
- 開業当初の駅名は「高山駅」だったが、国有化後に「大隅高山駅」に改称された。
- なお飛騨の高山駅よりも14年も早く開業している。
- 現在駅の跡地は高山鉄道記念公園として整備されており、駅舎も現存している。
- 大昔にはロケットを輸送していたことがあったらしい。
- でも高山からですら内之浦はまあまあ遠いよね…。
- 駅周辺の面影は、飲み屋街が駅寄りの場所に形成されていることくらい(高山の中心は駅からみて川の対岸にある)
- 路線 - 大隅線
吾平駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:吾平町麓(現在は鹿屋市吾平町麓)
- 当時の吾平町で唯一の駅。見方によっては初代姶良駅である。
- 姶良郡に姶良町が発足する前に、姶良駅から吾平駅に改称していた(読み方は同じ)
- 鉄道が廃止された後に「駅前団地」(集合住宅)が建設されている。
- 町の中心からはやや北に外れている(麓集落からも徒歩10分ほど)だが、通学には利用されていたらしい。
- 駅跡には鉄道記念館が作られたが、合併後に「鹿屋市に2つもいらん」ということで他目的に転用された。
- 路線 - 大隅線
鹿屋駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:鹿屋市共栄町
- 鹿屋市の中心駅。初代の駅はもう少し北の向江町にあり、スイッチバック構造の駅だった。
- 現在駅の跡地には鹿屋市役所が移転し、更に近くには鹿屋市鉄道記念館も建っている。
- 1938年以前(軽便鉄道のスイッチバック駅だった時代)の駅跡は「鹿屋税務署に転用された」とあるが、肝心の税務署が1990年代に西原の合同庁舎へ移転したので、今やその場所がどこかさっぱりわからず。
- 駅舎とホームで高低差があった。現在でも市役所の構造に反映されている(1F入口がエスカレーターで昇る形になっている)
- 通学需要はたぶん鹿屋高校生くらいだったと思う。他の高校はバスや自転車、原付のほうが便利だし。
- ついでに言うと当時の(本来の)鹿屋市中心街(リナシティがある辺り)からも1キロ程離れている。
- 本来の鹿屋市中心街と鹿屋駅跡(今の市役所)の間は鉄道のおかげで市街化した地域だが、1990年代以降に移転が相次ぎ、今や見る影もない。
- 商工会議所、税務署、郵便局、九州電力、NTT(大幅縮小)、タイヨー…。
- 本来の鹿屋市中心街と鹿屋駅跡(今の市役所)の間は鉄道のおかげで市街化した地域だが、1990年代以降に移転が相次ぎ、今や見る影もない。
- ついでに言うと当時の(本来の)鹿屋市中心街(リナシティがある辺り)からも1キロ程離れている。
- 日通の拠点が市役所前にあるのも、往時の名残といえる。
- 路線 - 大隅線
大隅野里駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:鹿屋市野里町
- 当時の駅舎が現存する駅跡の一つ。単なるコンクリの待合所でそれっぽくは見えないけど。
- 戦前は海軍航空隊への輸送も担っていた。
- 路線 - 大隅線
大隅高須駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:鹿屋市高須町
- 実は軽便鉄道時代と位置やルートが異なるらしい。
- 軽便鉄道時代のルートは航空写真でみてもまだわかりやすい。
- 軽便鉄道時代の最初のターミナル。
- 路線 - 大隅線
荒平駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:鹿屋市天神町
- 地元民にとっては文字通り「荒平天神」の目の前にあった駅。2013年までは当時の待合所がそのまま残っていた。
- 大隅線跡では大隅高山駅の次に往時の面影を残していたが、あっさり撤去されてしまった。
- 路線 - 大隅線
古江駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:鹿屋市古江町
- 当時の駅舎が現存する駅跡のひとつ。公民館にリフォームされているからそれっぽくは見えないけど。
- 軽便鉄道時代の2番目のターミナル。
- ここから垂水へは国有化されてから延伸した。
- 当時はこっから鹿児島行きの航路があった。
- 路線 - 大隅線
垂水駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:垂水市田神
- 垂水市の中心駅。素朴な木造の駅舎を持っていた。
- 現在駅の跡地は垂水鉄道記念公園として整備されている。
- 当時の需要としてはフェリー乗換や通学といったところだろうか。
- なおフェリー乗り場は鉄道廃止後に移転している。
- 路線 - 大隅線
沖縄[編集 | ソースを編集]
那覇駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:那覇市旭町
- 仲島の大石の近く
- 那覇駅時代から置かれている。
- 跡地は那覇バスターミナル。
- 再開発時に転車台が発掘された。
- 路線 - 沖縄県営鉄道与那原線
糸満駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:糸満市糸満
- 本島最南端の駅
- というか内地最南端の駅だった。
- トイレの壁が現存しているらしい。
- 路線 - 沖縄県営鉄道糸満線
与那原駅の噂[編集 | ソースを編集]
所在地:与那原町与那原
- 戦争でほぼ全壊状態になったが、戦後は一部が利用されて与那原町役場→JAの建物となっていた。
- 唯一駅舎が復元されている駅。ちなみにかつての駅舎の柱の一部は復元された駅舎の後ろに残されている。
- 路線 - 沖縄県営鉄道与那原線