映画

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映画の歴史[編集 | ソースを編集]

19世紀~1910年代[編集 | ソースを編集]

  1. エジソンが映写機を発明するが外観は顕微鏡のお化けのようなもので、中を覗き込んで観るものだった。
    • ちなみにそれを「キネトスコープ」というらしい
    • 当時、アメリカでは街に一つはキネトスコープ・パーラーがあったらしい。
  2. 現在の形式を造ったのはフランスのリュミエール兄弟。
    • 「シオンタ駅の列車の到着」、「工場の出口」が大ヒットしたらしい。
  3. このころの映画のBGMは横で音楽隊が演奏していた。
  4. WASP中心のアメリカ映画界からつまみだされたユダヤ系やイタリア系が西海岸に造ったのがハリウッド。
    • 気候がよく国境が近いことが多くの映画人を引き付けた。

1920年代[編集 | ソースを編集]

  1. ソ連でモンタージュ理論が確立され、「戦艦ポチョムキン」が製作される。
    • 「オデッサの階段の虐殺」は映画史に残る6分間だそうな。
  2. ドイツやチェコスロバキアで変てこな映画が多数製作される。
    • 「カリガリ博士」など。

1930年代[編集 | ソースを編集]

  1. トーキー映画が主流になり、多数の映画俳優や活動弁士が失職する。
    • 地方では第2次大戦後も無声映画が人気だったという証言があるので何とかなった人もけっこういた。
  2. マレーネ・ディートリッヒがさっさとアメリカに渡る一方、ドイツに残ったレニ・リーフェンシュタールがナチスお抱えの映画監督として脚光を浴びるが…
  3. 山中貞雄、代表作「人情紙風船」を残して支那戦線に征く。
  4. 「風と共に去りぬ」封切。
  5. 初期のテクニカラー方式のカラー映画は50年代のカラー映画より状態が良かったりする。

1940年代前半[編集 | ソースを編集]

  1. 戦果の影で数多くの映画が造られる。
    • ただし日本ではあまり現存していない。
  2. 1945年になっても長編映画を収録していたドイツ映画界。
  3. ディズニー映画「バンビ」が上映された年の出来事:ミッドウェー海戦・スターリングラードの攻防戦。
  4. 「無法松の一生」を観た後で「さくら隊散る」を観てはいけない。
  5. 円谷英二の戦中の代表作「ハワイ・マレー沖海戦」、映像がGHQに、撮影風景の写真がマイケル・ベイにそれぞれ実際の記録資料と間違われる。

1940年代後半[編集 | ソースを編集]

  1. 三船敏郎、復員服姿で東宝撮影所に現れる。

1950年代[編集 | ソースを編集]

  1. テレビが台頭し始め、映画界は曲がり角を迎える。
    • 悪名高い「五社協定(大映・松竹・東宝・東映・新東宝)」が締結されたのもこの頃。
      • 五社協定は後に日活の参加で1958年から六社協定になるも1961年の新東宝の経営破綻もあり再び五社協定に戻り、1971年に日活の一般映画からの撤退と大映の経営破綻もあり自然消滅。
  2. 日本ではゴジラが公開され怪獣映画がブームに。
  3. ヒッチコック監督の『めまい』で使われ「めまいショット」を模倣するケースが相次いだ。

1960年代[編集 | ソースを編集]

  1. フランスでヌーヴェルヴァーグと呼ばれる映画運動が起こる。
  2. 『猿の惑星』と『2001年宇宙の旅』の存在がSF映画を作られるきっかけとなる。
  3. 後半以降は『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』などのヒットで「アメリカン・ニューシネマ」が大流行。

1970年代[編集 | ソースを編集]

  1. オカルト映画が全盛期。
  2. 『ロッキー』や『スター・ウォーズ』の大ヒットで「アメリカン・ニューシネマ」が終焉。

1980年代[編集 | ソースを編集]

  1. ファンタジー映画がいくつかつくられるが当時の映像技術の限界にぶち当たった。
  2. 『ランボー』のようなアクション映画が台頭。

1990年代[編集 | ソースを編集]

  1. 低迷の続いていたディズニーが復活。
  2. 『ターミネーター2』や『ジュラシック・パーク』の大ヒットでCGやVFWが普及。
  3. 『インデペンデンス・デイ』や『アルマゲドン』などのヒットでパニック映画が2度目のブームを迎えた。