李氏朝鮮

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歴史一般[編集 | ソースを編集]

  1. ハングル・青磁・儒教精神…韓国文化の土台はこの時代に出来上がった。
    • 一万ほど在った仏教の寺を、儒教に反するとして取り壊し、約300ぐらいまで減らしたらしい。
      • 日韓併合の際には36まで減っていたとか。
    • 首だけの仏像とか、首なし仏像を大量に放置したらしい。
      • 今でも骨董品屋でたまに見つかる。
    • 李氏朝鮮時代は白磁。青磁は高麗時代。
  2. 焼き物を日本に伝えた。
  3. 豊臣秀吉の出兵を撃退することに成功した。そのせいでは崩壊。
    • 現代ソウルの繁華街・梨泰院(イテウォン)は、当時異胎院と同音異字で書かれ、契丹人や女真族や日本人などの異民族との混血児を収容するための被差別部落だった。そもそも「院」が部落の意味。
    • 撃退に成功したというか、李朝が明と一緒になって焦土作戦を展開したので無用な出血を恐れて進軍しなかったというのが正しい。しかも最終的に撤兵したのは秀吉が死去して日本で政変が起こり、徳川に政権が渡ったため。
    • 平壌戦では大同江を挟んで対峙した際、あたり一帯の舟を焼き払って南岸で日本軍を阻止して、朝鮮軍が夜襲を仕掛けた……まではよかったが、日本軍の援軍に返り討ちにされたうえ、渡河する様子を日本軍に観察されて真似され平壌落城というしょーもない記録が残っている。
  4. ヤンバンという上流階級が民を虐げていた。
    • 李朝末期にはヤンバンの階級は金で売り買いされた。このため記録が混乱し、現代の韓国人のほとんどが「自分はヤンバンの子孫」と力説する。
      • ちなみに「労働階級の敵」なので北朝鮮では自分をヤンバンの子孫という人はまずいない。
    • 漢字で書くと「両班」。
    • ちょっとでも貯えがあると両班がみんな持っていくから産業が発達しなかった。
  5. 「訓民正音」(ハングル)が3代王(世宗大王)の時に作られたが、実際に普及したのは朝鮮総督府が教育にハングルを取り入れてから。
    • 一部にハングルを使う人もいたんだが、「馬鹿言葉」「文字も読めないアホの使う文字」とされて、漢文が正式なものとされたらしい。。
      • ハングルは今でこそ偉大な文字という意味だが、別名を便所文字、厠文字、女文字、馬鹿文字という。
    • 世宗大王の治世を除くと、両班の日記や、漢字の学習教材、時調くらいにしか使われていない。
      • 韓流時代劇ドラマでは、登場人物が漢字ハングル混じり文で文章を書くシーンを入れるという「歴史捏造」が横行。
    • 読んで字のごとく「民に正しい音を訓える」字=発音記号、ということ。
  6. 政争に明け暮れ、近代化に失敗した。
    • 親清派、親ロシア派、親日本派に分かれて泥試合。あくまでどこに事大するかが問題で自力で自国を守る気はさらさら無い
      • どこにつくかの基準は「どれだけ強くて自分達の味方をしてくれるか」なのでコロコロつく国を変えるから清・日本・ロシアは大混乱。
    • そもそもは明の属国だった。清(の前身である後金)に攻められて明の冊封から引き剥がされた。
      • このとき(1627年・丁卯胡乱)たった3万の後金軍に敗れて忠誠を誓わされたのに10年しないうちにまた清に逆らって今度は12万の清国軍に攻められる(1636年・丙子胡乱)。
        • しかも李朝が清国軍侵入に気付いたときにはすでにソウルを包囲されていた。
        • もちろんこの9年の間に李朝側も軍備を強化していたとかそんなことは一切なかったりする。
    • 韓流歴史ドラマもほぼ全編が派閥抗争の明け暮れ。
      • 政権交代したら、前の政権幹部は全員逮捕され処罰される。
  7. 李氏に関して、あまり良い噂を聞かない。
  8. 医女チャングムが王の主治医として活躍した。
    • チェ一族はなかなか手ごわかった。
    • 水を持ってきなさい
    • スラッカンの女官だったという歴史の記録はない。
  9. チュオクという茶母(タモ:お茶汲み係りみたいな感じ)が捕盗庁(警察みたいなもん)で、なぜか犯罪捜査や逮捕に活躍した。
    • つまりはお茶汲みがでしゃばる話。
  10. 利子挑戦
  11. 中宗(チュンジョン)は高熱が出た際、解熱剤として人糞を食っていた。
    • 韓国TVドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」の王様ですな。
  12. 中国では「本中華=中国、中中華=日本、小中華=朝鮮」とみなしていた。
  13. 中国がの時代は「代官明国(ダイカンミンコク)」と呼ばれた。
    • 「明主主義国(ミンシュシュギコク)」とも呼ばれた。
  14. 末期にアメリカの軍艦などをまぐれで沈めたことがある。
    • フランスとアメリカとの戦争に勝ってしまったのが後の不幸(日帝36年)の始まり。
      • フランスもアメリカもこんなところに全力投球してもしょーもなかったので、とりあえず手近にある戦力で攻撃してある程度被害が出るとさっさと後退してしまった。
        • 調子に乗って本国が目と鼻の先にある日本にも無礼を働いて日清戦争を誘発する。その後どうなったかは皆さんご存知の通り。
          • ところでフランスとの戦争(丙寅洋擾)おもいっきし艦砲射撃喰らってんだけど朝鮮側の死傷者8名ってなんかのギャグだよね?
  15. 李朝末期まで「羅生門」状態が続いた
  16. 対馬を侵略しようと227隻17,285名の軍勢を派遣するが、20日で撃退され日本に無条件降伏した。(応永の外寇)
    • このときの対馬侵略「未遂」だけが、韓国の主張する対馬領有の根拠。
    • 「外国を侵略したことがない」などとどの口が……
      • いっぽう、渤海や高句麗が中国東北部まで領土にしていたことを誇らしく書いている韓国の歴史書もある。共に中国の地方政権にするか朝鮮半島の政権にするか、議論に決着がついていないのに……
    • ちなみに日本側の兵力は対馬国約600名。どうやったら負けんのかと。
      • 宗氏GJ。
  17. 開城から漢城へ遷都した。今日のソウルである。
  18. 現代の韓国人は、李氏朝鮮という呼び名より朝鮮時代(チョソンシデ)の方を好む。李氏ってのが非民主的だからという理由らしい。でもこの名称は史実にそぐわないのでは?
    • 「朝鮮」と呼ぶ時代は李朝時代と日本統治時代だけにしておきたいらしい。
      • もちろん、北朝鮮については無視。(韓国では「北韓」っていうし)
      • 「朝鮮」を、古朝鮮と朝鮮王朝に限定したいんじゃないかな。日本統治時代は「日帝強占期」だし。(ウィーン条約法条約の遡及効は、日本政府によると、WW2までしか遡れない。韓国政府によると、1910年まで遡る。)
  19. 15世紀頃、中距離ミサイル兵器を開発し、10万のの大軍をわずか1000人以下の兵で撃退したらしい。
    • ソース:「神機箭」という映画
  20. F・A・マッケンジーとか言う反日外国人によるとすばらしく裕福な土地だったらしい。都市部より農村の方が豊かとかどういうギャグだよ。
  21. 清の冊封から逃れるまで迎恩門という清からの施設を出迎える門があった(1895年に日本に独立させてもらったときに取り壊して現在の凱旋門のパチもん独立門を同じ場所に建てた)。
    • 同じ意味を持つものは沖縄の守礼門だが、守礼門は日本に編入された後も取り壊されず文化財に指定されているのはご存知の通り。
      • 19世紀のかなり後期まで残っていたため写真が残っているのだが……守礼門と比べるとなんかガニマタでかっちょ悪い。
    • もちろん、ほとんどの韓国人は「日本から」の独立を記念する門だと思っている。
  22. 韓国ネットだと物凄く評判が悪い
    • 参照:カイカイ反応通信
  23. 国王の尊称は中華に臣従しているので陛下ではなく一段階低い「殿下」。王太子も王世子と呼ばれ尊称は「邸下」。しかし韓流ドラマの日本語訳では国王は「王様」、王世子は「世子(セジャ)様」と呼ばれる。

歴代の王[編集 | ソースを編集]

1太祖2定宗3太宗4世宗5文宗6端宗7世祖8睿宗9成宗10燕山君11中宗12仁宗13明宗14宣祖15光海君16仁祖17孝宗18顕宗19粛宗20景宗21英祖22正祖23純祖24憲宗25哲宗26高宗27純宗

  1. 初代の太祖の名前は、李成桂(イ・ソンゲ)。
    • 名臣に鄭道伝(チョン・ドジョン)がいる。
      • 後継の王に幼い王子(末子)を擁立したため、バンウォンら年上の兄たちから非難されやむなく反乱、失敗し死罪になった。
    • 妻が2人、いた。田舎の妻と、都会の妻。
      • 都会か田舎かわからないが、末子はカン(康)氏所生。バンウォンらはハン(韓)氏所生。
    • 治世の最初の7か月間は、高麗王だった。
  2. 2代の定宗の名前は、イ・バングァ。
    • 非常に気が弱く王になってからも常に暗殺や陰謀におびえていた。
  3. 3代の太宗の名前は、イ・バンウォン。
    • 王妃の4人の弟を全員、野心を疑って抹殺した。
    • 父親のイ・ソンゲと仲が悪く、1402年のチョ・サイの乱のときソンゲが黒幕だったという噂。
      • 父親のもとに送った使者は全員、ソンゲに射殺されたという。
  4. 4代の世宗の名前は、イ・ド。
    • 世子時代、妃の父親シム・オンが父親の太宗によって野心を疑われ抹殺されている。
    • 名君といわれる。
      • 学者ら賢者を集めた部署を作り、政策を立案させた。
  5. 5代の文宗は、わずか2年の在位。
    • 幼いむすこに頼るべき臣下がおらず、思い悩んでいた。
      • 弟のスヤン(首陽)大君(のちの世祖)が王位を狙うのではないかと、強く警戒していた。
  6. 6代の端宗の名前は、イ・フォンイ。
    • 父親の弟に王位を奪われたあげく、無実の罪で流罪になり暗殺された。
  7. 7代の世祖は、兄の文宗から息子を頼むと遺言されたが裏切った。
    • 長男の嫁(のちのインス大妃)とすごく仲が良かった。
    • 弟たちを疑って、次々に抹殺した。
    • 晩年、謎の皮膚病を患って始終「かゆい、かゆい」とうめいていた。
  8. 8代の睿宗は、王になってからいつも足を引きずって歩いていた。
    • チョンアン(斉安)大君というれっきとした跡継ぎの子供がいたが、インス大妃によって無視された。
    • 世祖の次男。インス大妃は、この人の兄(早世)の嫁。
    • 在位は、わずか2年間。20歳で亡くなった。
  9. 9代の成宗は、インス大妃のむすこ。
    • 王妃のユン氏と夫婦喧嘩をしたとき頬を張られて傷をつけられ、怒ってユン氏を廃妃した。
      • ユン氏は、けっきょく死罪になり墓も作られず道端に埋葬された。
    • インス大妃の次男。
      • 長男がいたが、病弱のため無視された。
    • わずか13歳で即位したため、20歳になるまで祖母(世祖の王后)が垂簾聴政をした。
      • 垂簾というのは、すだれを垂らすこと。当時は高貴な女性を直視してはいけないという慣習があった。
      • しかしこのおばあさん、漢字が読めなかったのでインス大妃が代読し大妃が事実上権力を握っていた。
  10. 10代の燕山君には、王号がない。何々君は、王子の呼称。
    • 暴君政治をおこなった結果、臣下勢力からクーデタをおこされ追放されたため。
      • 母親(死罪になったユン氏)を無実の罪に貶めた連中への報復だった。
    • 妓生(芸者のようなもの)チャン・ノクスを側室にし真昼間から宴会を開いていた。
  11. 11代の中宗は、クーデタ勢力により擁立された。
    • 儒教に基づく政治を目指す学者勢力とクーデタ勢力の対立が激しく、多くの学者が抹殺された。
      • 側室がうじゃうじゃいたが、全員功臣(クーデタ勢力)の娘だった。
    • ドラマ、チャングムの誓いの時代。
    • 燕山君の異母弟。
  12. 12代の仁宗は、わずか8か月間の在位。
  13. 13代の明宗の生母は、女人天下で有名な文定(ムンジョン)王后。
    • ドラマのチャングムの誓いでは、チャングムがこの王后から仁宗の毒殺を頼まれ困惑している。
    • この王后の懐刀の女性が、チョン・ナンジョン。
      • 王后の兄のユン・ウォンヒョンの側女(正夫人でない)だったが、正夫人を追放して自ら正夫人に収まりのちに権力を得たウォンヒョンを背後であやつって国政を牛耳った。
        • 朝鮮3大悪女のひとり。
  14. 14代の宣祖は、日本の信長・秀吉の時代。
    • 豊臣秀吉の軍が侵略してきたとき、真っ先に都を捨てて北へ逃げた。
    • 嫌いな人間が話しかけてくると、「耳が汚れた」といって耳を洗っていた。
    • 名医ホ・ジュンの時代。
    • 中宗の孫。
  15. 15代の光海君も、王号がない。
    • 本来なら王になれない側室が生母の王子なのに、ムリに王になったため臣下勢力からクーデタをされ追放された。
      • 父親の正室であるインボク王后を廃位して幽閉し「西宮」と呼んだ。
      • インボク王后が産んだ嫡子の王子は、9歳の時オンドル部屋で蒸し殺しにされた。
      • 追放されるとき、36の罪状を記した文章を延々と読まされた。
    • ドラマ、宮廷女官キム・サングン(韓国では「西宮」という)の時代。
      • この女官を演じた俳優は、チャングムを演じた俳優と同じイ・ヨンエ。
    • 同じ母を持つ兄がいたが、少々頭がおかしかった。
      • 豊臣秀吉軍に捕虜にされたので、頭がおかしいとして跡継ぎから除外された。
  16. 16代の仁祖は、クーデタ勢力により王になった。
    • 怪盗イルジメの時代。
      • イルジメは、王の隠し子という説がある。
    • 清に侵略され、額を地にこすりつけて降伏した。
      • 人質になって連行された長男は、10年後帰国したが帰国直後に原因不明の死を遂げた。
  17. 17代は、孝宗で、日本の江戸時代前半。
  18. 18代は、顕宗。
  19. 19代の粛宗の治世は、日本の元禄時代。
    • 悪女チャン・ヒビンの時代。
      • その47年間の治世は、政権交代の連続だった。チャン・ヒビンはその政権交代の結果王后になり、5年後に起こった政権交代で降格された。
  20. 20代の景宗は、チャン・ヒビンのむすこ。
    • 世子だった14歳の時、母親が死罪になりショックを受けた。
  21. 21代の英祖の生母は、水汲み下女だった。
    • 在位53年間、83歳まで生きた。
    • 世子とケンカし、米びつに閉じこめ餓死させるやりかたで死罪にした。
      • この世子の忘れ形見が、イ・サン。
  22. 22代の正祖は、名前をイ・サンという。
    • 保守勢力である老論派と対立し、数々の改革を試みた。
    • 絵のうまい側室がいたらしい。
  23. 23代の純祖の時代は、日本の文化文政時代。
    • 王后の一族が政権を独占する、日本の摂関政治みたいになった。
  24. 24代の憲宗の時代も、権力争いばかりしていた。
    • イギリスやフランスの軍艦が、近海をうろついているのに。
  25. 25代の哲宗は、イ・サンの弟の孫にあたる。
    • 日本では、浦賀にペリーが来航し尊王攘夷運動が激化していたころ。
  26. 26代の高宗の治世は、日本の明治時代に当たる。
    • 父親の大院君が政治を牛耳った。
    • 1897年から1907年までは、国名が大韓帝国になったので皇帝を称した。
    • 王妃のミン氏は、日本の駐在公使の三浦梧楼に殺されている。
    • 日本に併合された後も9年間生きて、李太王という名で皇族待遇を受けた。
  27. 27代の純宗が、最後の王(皇帝)。
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