東京箱根間往復大学駅伝競走

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箱根駅伝の噂[編集 | ソースを編集]

  1. 正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。
    • 意外とこれを言える人は少なく、青山学院大学の原晋監督ですら某水曜日のみんなの説で検証された際に正式名称が言えなかった。
  2. コースは東京都千代田区大手町読売新聞東京本社ビル前から、鶴見戸塚平塚小田原の中継所を経て、神奈川県足柄下郡箱根町芦ノ湖までを往復する計217.1km。
  3. おそらく最も有名な駅伝大会であり、お正月の風物詩の一つ。
  4. 最優秀選手には「日本マラソンの父」と称される金栗四三の功績を称えた金栗四三杯が授与される。
    • 2004年の80回大会から新設された賞だが、初の受賞者は日本学連選抜で出場した筑波大学の鐘ヶ江幸治だった。
  5. あくまでも関東ローカルの大会のため、関東以外の大学は出場不可能。
    • 過去には記念大会で関東以外の大学が招待出場したことがある。
    • このため「関東以外の大学も出場できるようにするべき」という門戸開放論を唱える人もいる。
    • 100回大会で予選会は関東以外も出たが結果は…
      • 京都産業大学の27位が最高成績だった(京都産業大学以外には全国から10校が参加)。
    • 関東ローカルの大会であるが故に、男子大学生の長距離ランナーは必然的に関東地方に集中することになる。高校や実業団、女子では起こりえない。
      • 高校の強豪校や実業団のランカーは全国的にばらけているだけあって、男子大学生だけ異様といえる。
        • 例えば高校は世羅(広島)、実業団は旭化成(宮崎)が代表例。
      • 他の長距離種目(マラソンなど)で国際的な成績が女子比で振るわない要因として、箱根駅伝の存在が挙げられるほどでもある。
      • ただ女子大学駅伝は立命館か名城の2強だが。
  6. テレビ中継は1987年から日本テレビが担当している(全区間の完全生中継は1989年から)。
    • その前はテレビ東京が担当していたこともある(1979年から1986年まで)。
    • NHKにテレビ中継を要請したが却下された。
    • 現在はネットで同時配信も行われており、日テレ空白県でもネット環境さえあれば同時視聴可能。
    • 日本テレビ系にとっては生中継技術の向上にも貢献している。
  7. 最多総合優勝は中央大学の14回。
  8. ラジオ中継はNHKラジオ第1と文化放送、それにいちおう地元局のRFラジオ日本
    • 沖縄(とちょい前までの宮崎)の地上波テレビで放送がないことはよく言われるが、ラジオでは全国的にカバーしていることは忘れられがち。
    • 何らかの事情でラジオ第1で中継できない場合は、NHK-FMに回される。
    • なぜか北海道ではHBC、東海地方ではCBCで文化放送版を放送している。栃木放送と茨城放送はラジオ日本版を放送していた。
  9. 20km走れる人を、最低でも10人用意しないといけない大会でもある。
  10. 「実質5年生」のランナーが数回出場したことがある。
    • 青山学院大学の竹石尚人は4年生となる2020年の96回大会を怪我で欠場。その後内定していた企業への就職を辞退して留年を選択し、2021年の97回大会に出場。
    • 創価大学の嶋津雄大は3年時の2020年4月から9月まで休学した期間があり、本来なら2022年春に卒業予定だったが留年。
      • 更に1年時の予選会にエントリーされていなかったことから出場申込資格が1回残っており、2023年の99回大会にも出場している。
  11. 1992年の68回大会までは「28歳以下のみ出場可能」という年齢制限があったが、現在は撤廃されている。
    • この年齢制限に引っかかった代表的な選手は大八木弘明(高校から実業団を経由して駒澤大学へ入学、4年生となる1987年の63回大会で年齢制限に引っかかり出場できず)。
  12. 出場チームはシード校10校と予選会を通過した10校、それに関東学生連合チームを加えた21チーム。
    • 末尾が0と5の記念大会では予選会の枠が3つ拡大して23校になる代わりに関東学生連合チームは編成されない。
    • 上位10位に入ればシード権確保となるが、重大な不祥事が発覚した場合はシード権剝奪となる。
      • 但しこれまでシード権剥奪となったのは2010年・86回大会の日本体育大学のみ。
  13. 予選会は毎年10月中旬に立川市で行われる。
    • 陸上自衛隊立川駐屯地内の滑走路をスタートし、立川の市街地を通過し昭和記念公園をゴールとするハーフマラソンのコースで行われる。
    • 出場資格は10000mを34分で走れる選手を10人以上揃えること。
    • 2000年までは大井埠頭で開催されていた。
      • 2004年の80回記念大会では箱根町で開催された。
    • これも日テレで関東ローカルで中継放送される(ただし第100回は全国から出場する関係で全国ネット。第101回以降は不明)
  14. これを題材にした一番有名な小説は三浦しをんの『風が強く吹いている』。
    • 舞台化が2回(2009年と2020年)、2009年には実写映画化、2018年にはテレビアニメ化もされた。

出場校の噂[編集 | ソースを編集]

亜細亜大学[編集 | ソースを編集]

  1. 初出場は1967年の43回大会。
  2. 1970年代後半から1990年代後半にかけては低迷期に陥り、シード権確保も1996年の72回大会(総合7位)のみだった。
  3. その後、初出場時の主将だった岡田正裕が1999年から監督に就任すると成績が上向き、2002年の78回大会で7年ぶりにシード権を獲得(総合7位)。
    • 更に2006年の82回大会では9区で駒澤大学を逆転し初の総合優勝。優勝候補校がことごとく失速した隙をついての初優勝だった。
  4. しかし岡田が監督を退任した2009年以降は再び低迷期に突入。
    • 2024年現在での最後の出場は2010年の86回大会となっている。

青山学院大学[編集 | ソースを編集]

  1. 初出場自体は1943年の22回大会とかなり古い。
    • その22年後となる1965年の41回大会から12年連続で出場していたが、1976年の52回大会の復路10区のゴール150m手前で途中棄権。
  2. この途中棄権以降箱根路から遠ざかっていたが、原晋監督が就任した2004年から強化プロジェクトが始まり、2009年の85回大会で当時史上最長ブランクとなる33年ぶりの出場を果たす。
  3. 翌2010年の86回大会では総合8位で41年ぶりにシード権を獲得。
    • 2015年の91回大会から2018年の94回大会まで4連覇を達成するなど黄金時代を築いた。

神奈川大学[編集 | ソースを編集]

  1. ユニフォームの色はプラウドブルー
  2. 初出場は1936年の17回大会。当時は「横浜専門学校」という校名だった。
    • その後1950年代まで連続出場を続けていたが苦戦が多く、60年代から90年代前半までは欠場も多かった。
  3. 1989年からコーチに就任した大後英治(1998年からは監督に就任)の指導もあり、1997年の73回大会で初の総合優勝。
    • 翌1998年も完全優勝で連覇を果たしたが、2000年代中盤以降は低迷し一桁順位も2017年の93回大会のみ。
    • 86回大会と99回大会では予選会での敗退も経験している。

慶應義塾大学[編集 | ソースを編集]

  1. 第1回大会に出場した記念すべき4校のうちの1校だが、総合優勝は僅か1回のみ(1932年の第13回大会)。
  2. それどころか最後の出場も1994年の70回記念大会と長期低迷が続いている。

國學院大學[編集 | ソースを編集]

  1. 初出場は2001年の第77回。
  2. 第87回で劇的シード入り(詳細は大会別の項目で)を果たす。
  3. 第93回から連続出場。96回では3位に入っている。

国士舘大学[編集 | ソースを編集]

  1. 「突進の国士舘」とも呼ばれる。
    • 1963年から1966年まで4年続けて1区で区間賞を獲得したことに由来するらしい。
  2. 1957年の33回大会で初出場。
    • しばらく二桁順位が続いたが、前述の4年連続1区区間賞で勢いを付け、1976年の52回大会まで14年連続で一桁順位を維持していた。

順天堂大学[編集 | ソースを編集]

  1. 「復路の順大」「逆転の順大」とも呼ばれる。
  2. ユニフォームの色は茄子紺
    • たすきは紅白。
  3. 初出場は1958年の34回大会。
    • 今のところ唯一の初出場でシード入り。
  4. 80年代後半(86年~89年)の4連覇、99年から2002年にかけての駒澤大学との「紫紺対決」、山の神・今井正人などが有名。
    • 直近での最後の総合優勝は2007年の83回大会。
  5. 今井の卒業後は途中棄権(2008年)→19位(2009年)と苦戦。
    • 更に2010年の86回大会の予選会では13位に終わり、初出場からの連続出場も52で途絶えてしまった。

駒澤大学[編集 | ソースを編集]

  1. 第100回現在、日本体育大学に次いで長く初出場からの連続出場を継続中。
  2. しかし強くなったのは平成以降。
    • 2000年代に4連覇している。
    • 2008年の84回大会優勝後はしばらく優勝から遠ざかり、2度の二桁順位(85回・94回)と予選会への出場も経験した。

城西大学[編集 | ソースを編集]

  1. 2004年の80回大会で初出場。
  2. やたらとシード権一歩手前の11位が多い。
    • 2006年の82回大会は10位の東洋大学と10秒差、2011年の87回大会は10位の國學院大學と僅か3秒差でシード権を逃してしまった。
  3. 不安定な成績が続いていたが、2024年の100回大会では過去最高の総合3位という成績を残した。

専修大学[編集 | ソースを編集]

  1. ユニフォームは白地に緑の「S」。
  2. 戦前の1939年に1回だけ優勝したことがある。
    • 日本大学が戸塚の踏切で足止めを食ったことによる幸運な優勝だった。
  3. 戦後の最高順位は1961年・33回大会での3位。
    • 37大会連続出場を果たしこともあったが、1990年代半ばから低迷が続いている。

創価大学[編集 | ソースを編集]

  1. ユニフォームは赤と青の縦縞。
  2. 初出場は2015年の91回大会。
  3. 2019年に中央大学OBの榎木和貴が監督に就任すると一気に力を付け、2020年の96回大会で初のシード権を獲得(総合9位)。
    • 翌2021年の97回大会では往路優勝・総合2位と躍進。

大東文化大学[編集 | ソースを編集]

  1. 「山の大東」の異名を持つ。
  2. 1968年の44回大会で初出場。
    • その後75年と76年・90年と91年に2度の連覇を達成している。

中央大学[編集 | ソースを編集]

  1. 最多出場校であり、最多総合優勝や最長連続出場記録を持つ名門校。
    • 60年代には6連覇を達成したこともある。
    • 現時点での最後の総合優勝は1996年の72回大会。
  2. 2010年代以降は苦戦が続き、OBの藤原正和を監督に招聘するも93回大会の予選会で敗退、連続出場記録が87回で途絶えてしまった。

筑波大学[編集 | ソースを編集]

  1. 記念すべき第1回大会の優勝校(当時の校名は東京高等師範学校)。
  2. 国立大学唯一の出場校として奮闘していたが、1994年の70回大会以降は出場が途絶えていた。
    • 2020年の96回大会で26年ぶりに出場。

東海大学[編集 | ソースを編集]

  1. ユニフォームのデザインが二度も大きく変わっている。
    • 上下白に青十字→上下水色→上青下灰。
  2. 第95回で初めて総合優勝を果たした。

東京農業大学[編集 | ソースを編集]

  1. 初出場は第2回とかなり古い。
  2. 近年はやや遠ざかっており、第100回に10年ぶりの出場。
  3. 最高成績は1977年・53回大会での総合2位。

東洋大学[編集 | ソースを編集]

  1. ユニフォーム・たすきの色は鉄紺。
  2. 戦前からの出場校だったがなかなか優勝には手が届かなかった。
  3. 5区4年連続区間賞の柏原竜二や設楽啓太・悠太兄弟らの活躍で、2009~14年の6年間で4回総合優勝をしている。

日本体育大学[編集 | ソースを編集]

  1. 第100回大会時点で初出場から最も長く出場を続けている大学。
  2. 1969年の45回大会から1973年の49回大会まで5連覇。
    • その後は53回・54回の連覇や80年代に2回の総合優勝を経験。
    • 90年代後半から2000年代前半にかけて低迷した時期もあったが、2013年の89回大会で30年ぶりの総合優勝。
  3. ユニフォームは上白下青だが、一時期上紺下白だったことがある。

日本大学[編集 | ソースを編集]

  1. 1922年の3回大会から出場している。出場回数は中央・早稲田に次ぐ3位。
  2. 戦前には4連覇(1935年の16回大会から1938年の19回大会まで)を果たし、大会本部から優勝旗を永久授与されたが太平洋戦争の空襲で焼失。
  3. 戦後も50年代に2回・60年代に3回の総合優勝を記録しているが、1974年の50回大会を最後に優勝からは遠ざかっている。
  4. 2000年代に入ると留学生ランナーを導入し、2007年の83回大会では総合2位という好成績を残した。
    • しかし2010年代以降は低迷が続いている。
  5. 陸上部OBには俳優の和田正人もいる。
    • 2回出場しいずれも9区を走った。

法政大学[編集 | ソースを編集]

  1. オレンジエクスプレス
    • こう言われるようになったのは徳本一善の活躍が大きいと思われる。
  2. 出場回数こそ4位だが総合優勝は未だにない(往路優勝と復路優勝はそれぞれ1回ずつ経験済み)。

明治大学[編集 | ソースを編集]

  1. 第1回から出場している4校のうちの1校。
  2. 戦前に5回優勝。戦後すぐに2回優勝したがそれ以降優勝から遠ざかっている。
  3. 60年代後半以降は低迷期に突入し、1984年の60回記念大会で10年ぶりに出場。
    • この時は部員不足から競歩の選手も出場していた。
  4. 80年代後半にやや息を吹き返したが、90年代に入ると再び箱根路から遠ざかった。
    • その後2005年の81回大会で14年ぶりに出場。
  5. 2009年の85回大会で43年ぶりにシード権を獲得すると、そこから7年連続でシード権を獲得。

山梨学院大学[編集 | ソースを編集]

  1. 日本テレビでの中継が始まった1987年の63回大会で初出場。
    • 創部1年半・予選会6位での初出場だったが、流石に10人中9人が1年生ではどうしようもなく総合最下位。
  2. 出場3回目となる1989年の65回大会から箱根駅伝史上初の留学生ランナー(ジョセフ・オツオリ)を起用すると力を付け始め、1992年の68回大会で初優勝。
    • 90年代には早稲田大学と「早山時代」を築いた。
  3. 1990年代後半以降は成績の振幅が大きくなり、2度の途中棄権も経験したがシード権は確保する大会が多かった。
    • しかし2017年の93回大会(総合17位)以降は低迷が続き、2020年の96回大会予選会では17位で初出場からの連続出場が33回で途切れてしまった。

早稲田大学[編集 | ソースを編集]

  1. 第1回から出場している4校のうちの一つ。
    • その4校の中では一番出場回数が多い。
  2. 優勝回数も中央に次ぐ2位。
    • 直近の総合優勝は第87回(2011年)。5区に柏原竜二を擁する東洋大学を復路で逆転し、わずか21秒差で駅伝三冠を成し遂げた。
      • 実は平成での優勝はこの87回と武井隆次・花田勝彦・渡辺康幸の「3羽ガラス」が活躍した69回大会(1993年)しかない。
  3. 近年においてもたまに浪人してでも一般入試で入ってきた選手がいる。他校ではまず見られない。
  4. 60年代後半から70年代にかけては学生運動の影響で出場できなかった年もあった。

関東学生連合チーム[編集 | ソースを編集]

  1. 2003年の79回大会で「関東学連選抜チーム」として初めて参加。
  2. 当初はオープン参加扱いだったが、2007年の83回大会から正式参加となりチームとしての順位が付くようになった。
    • 更に10位以内に入れば上位10校のシード権が1つ減って9校となり、翌年の予選会からの出場枠が一つ増えることに。
  3. 参加する大学がほぼ同じになっていたこともあり、一時期はチーム自体の廃止や5年ごとの記念大会での編成も検討されていた。
  4. 2015年の91回大会からは「関東学生連合チーム」となり再びオープン参加扱いに。
    • 同時に「1大学につき1名(留学生除く)」「チームでの出場を含め過去の大会に未出場(エントリーのみで未出走なら可)」という制約がついた。
  5. 最高順位は2008年・84回大会での4位(往路・復路ともに4位)。

大会別の噂[編集 | ソースを編集]

戦前[編集 | ソースを編集]

第1回(1920年)
  1. 「四大校駅伝競走」として往路は2月14日・復路は2月15日に開催。
    • 往路は午後1時のスタートだったため、ゴール時には真夜中になっていたそうだ。
  2. 東京高等師範学校(後の筑波大学)・早稲田大学・慶應義塾大学・明治大学の4校が参加。
  3. 最終10区で東京高師が往路優勝の明治を逆転し、初の総合優勝。
第22回(1943年)
  1. 1941年・1942年と箱根駅伝は戦争の影響で中止となっていたが、この年は靖国神社箱根神社を往復する「関東学徒鍛錬継走大会」として開催。
  2. 往路は慶應義塾大学、復路は専修大学が優勝したが、総合優勝は往路2位・復路3位の日本大学だった。
  3. 青山学院(後の青山学院大学)が初出場。

戦後~1980年代[編集 | ソースを編集]

第23回(1947年)
  1. 戦後初の開催。
    • 各校とも選手不足で短距離や投擲、更に他の種目から選手を借り出してなんとか開催された。
  2. 4区で首位に立った明治大学がそのまま押し切り18年ぶりの優勝を果たした。
第40回(1964年)
  1. 記念大会ということで関東以外から立命館大学と福岡大学が招待された。
  2. 中央大学が史上初の6連覇を達成。
第43回(1967年)
  1. この大会から往路優勝・復路優勝が正式な記録になった。
  2. 日本大学が1区から首位を譲らず独走優勝。
  3. 亜細亜大学と駒澤大学が初出場。
第60回(1984年)
  1. 記念大会ということで20校が参加。
    • 過去の優勝校である慶應義塾大学も10年ぶりに出場。
  2. 東京大学が初出場。「赤門軍団」と話題になったが総合17位。
  3. 往路・復路とも圧巻の成績を残した早稲田大学が30年ぶりの優勝。
第63回(1987年)
  1. 日本テレビ系列での完全中継がスタート。
  2. 山梨学院大学が初出場。

2000年代[編集 | ソースを編集]

第77回(2001年)
  1. 往路は5区で暴風が吹き荒れる中、法政大学・大村一、順天堂大学・奥田真一郎、中央大学・藤原正和の壮絶な三つ巴戦に。
    • 最後は8秒差で藤原が逃げ切り、中央が37年ぶりの往路優勝を果たした。
  2. 復路は順天堂と駒澤大学(往路4位)の「紫紺対決」となり、最終10区で駒澤を再逆転した順天堂が2年ぶりの総合優勝。
  3. 平成国際大学と國學院大學が初出場。
    • 平成国際は往路こそ2人の留学生の活躍で5位だったが復路は最下位で総合成績は13位。
    • 國學院は往路最下位・復路13位で総合成績も最下位。
第78回(2002年)
  1. 往路は5区間全てで順位が変わる大激戦(1区・順天堂大、2区・山梨学院大、3区・早稲田大、4区・駒澤大、5区・神奈川大)。
  2. 復路は6区でトップに立った駒澤大学がそのまま押し切って2年ぶり2回目の優勝。
  3. 前回総合4位の法政大学は往路2区7.3km地点で徳本一善が途中棄権。
第79回(2003年)
  1. この年からシード10校・予選会9校に。
  2. 関東学連選抜が初めて結成される。
  3. 往路は山梨学院大学が9年ぶりの優勝。復路は9区で駒澤が山梨学院を逆転し初の連覇を達成。
第80回(2004年)
  1. 80回を記念し、日本学連選抜が出場。
  2. MVPにあたる金栗四三杯が新設。
    • 初の受賞者は5区で区間賞を獲得した鐘ヶ江幸治(筑波大学、日本学連選抜チームとして出場)。
  3. 3区から独走状態だった駒澤大学が3連覇。
  4. 城西大学が初出場。
第85回(2009年)
  1. 記念大会として22校+学連選抜に。
    • この影響で日本大学のギタウ・ダニエルが2区で史上最多の20人抜き
  2. 青山学院大学が33年ぶりに出場。当時のブランク記録だった。
    • なおこの年は最下位。
  3. 東洋大学が山登りの5区で柏原竜二が8人を抜き往路を制すると、復路も逃げ切って初の総合を果たした。
  4. 上武大学が初出場。
  5. 学連選抜チームの一員として川内優輝が出場。

2010年代[編集 | ソースを編集]

第87回(2011年)
  1. 往路は4区まで早稲田大学が首位を走っていたが、山登りの5区で東洋大学・柏原竜二が逆転し往路3連覇。
  2. 復路は6区で早稲田・高野寛基が途中で転倒するアクシデントがありながらも区間2位で東洋を再逆転。
    • 小田原36秒差→平塚1分24秒差と差が開いたがここから東洋が猛追。
      • 戸塚57秒差→鶴見40秒差と追い上げたが、最後は史上最少差の21秒差で早稲田が逃げ切り、18年ぶりの総合優勝を飾った。
  3. 金栗四三杯は往路2区で20位から17人抜きで区間賞を獲得した東海大学の村澤明伸が獲得。
シード権争い
  1. 往路5区のゴールの地点で既に6位の國學院大學から16位の青山学院大学まで3分以内という混戦だった。
  2. 復路も一進一退の争いとなり、復路鶴見の時点で8位の城西大学から13位の山梨学院大学まで1分11秒の間に6校がひしめく大混戦。
  3. 最終10区では15kmを過ぎたところで11位集団の3校(國學院・山梨学院・日本体育大学)が9位集団の2校(青山学院帝京大学)に追いつき9位集団が5校に拡大。
    • ここから残り5km地点で帝京が脱落、更に残り4km地点で単独8位の城西大学に追いつき5校の8位集団を形成。
      • 更に残り1km地点で山梨学院が脱落し、この時点で8位集団の4校が3つしかないシード権を争う大激戦となった。
  4. JRの高架下をくぐった残り500m地点で日体・谷永雄一と青学・小林駿祐がスパート、更に國學院の1年生・寺田夏生がロングスパートで単独8位に浮上。
    • ところが残り150mの交差点で単独8位の寺田が8位集団の前を走っていた中継車を追いかけてしまい、コースを間違えて交差点を右折。
      • 寺田は集団の最後尾まで下がってしまったが、なんとか前を走る城西・甲岡昌吾を交わして10位でゴール。
  5. シード権争いの最終結果は8位日体・9位青学・10位國學院・11位城西。
    • 國學院は5回目の出場で初のシード権獲得。一方の城西は僅か3秒届かず、2年連続のシード権を逃した。
  6. 寺田がコースを間違た交差点は後に「寺田交差点」と呼ばれるようになった。

2020年代[編集 | ソースを編集]

第96回(2020年)
  1. 令和最初の箱根駅伝。
  2. 100年前の第1回大会優勝校・東京高等師範学校の流れを汲む筑波大学が26年ぶりに出場。
    • その一方で初出場から33年連続で出場していた山梨学院大学が予選会17位で出場を逃した。
  3. 往路4区間(2区・3区・4区・5区)・復路3区間(6区・7区・10区)で区間新記録が出る超高速レースに。
    • 区間新記録がこうも多発した理由は、ほとんどの選手がナイキの厚底ランニングシューズを着用していたからと言われている。
第97回(2021年)
  1. 新型コロナウイルス感染拡大の影響で沿道での応援自粛が呼びかけられた。
  2. スポンサーロゴの掲載が解禁。
  3. 往路は優勝候補の各校がブレーキを起こすなか、各区間の個人成績を6位以内でまとめた創価大学がまさかの初優勝。
    • 復路も9区まで1位を守っていたが、最終10区で小野寺勇樹が区間最下位と大失速。
      • 鶴見で3分19秒差だった2位の駒澤大学の選手が逆転し、駒澤が13年ぶり7回目の総合優勝を果たした。
        • なお駒澤の10区の選手は4ヶ月後の5月に×××事件で逮捕されている…。

関連項目[編集 | ソースを編集]

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