東京/豊島区
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東京23区・豊島区 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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主な地域・施設[編集 | ソースを編集]
- 地域
- 施設
豊島区の噂[編集 | ソースを編集]
- 何といっても池袋。池袋の池袋による池袋のための区が豊島区
- よく考えたら非池袋エリア(目白・巣鴨など)も多いよな~。
- 今の池袋の多くはもともと巣鴨・雑司が谷だったのになあ。どんどんと池袋が広くなっていった・・・。
- よく考えたら非池袋エリア(目白・巣鴨など)も多いよな~。
- 区名を池袋区にすればいろいろな意味でまだよかったと思う。(←新宿区・渋谷区はあるのに池袋区でないのは何故だ?)
- ゲームやクイズでの誤答で「池袋区」。
- 区名案には「池袋区」「目白区」「巣鴨区」なんかもあったみたい。北豊島郡消滅で「豊島」の名が消えるのを避けるために豊島区にしたとかいうのを見たことが
- 「とよしま区」と言うと田舎モンがバレるので気を付けよう。正しくは「としま区」
- 大阪の摂津の人間は、つい「てしま」と言ってしまう。
- 岡山や香川の一部の人も。
- しかし南にあったのは「とよたま」郡。「とたま」ではない。なんなんだその違いは・・・。
- 大阪の摂津の人間は、つい「てしま」と言ってしまう。
- 豊島区民の歌は「としま未来へ」。歌詞は一般公募、補作詞と作曲は”さだまさし”(息子が区内の音楽学校へ通っていた事が縁である)。
- 息子じゃなくて娘。
- 池袋の場所は知っていても豊島区の場所を知らない人がいる。
- 区役所の建物は見た目がぼろい割りにわざわざ免震構造を入れる大改造を施している。
- それでもさすがに老朽化に抗いきれず、南池袋二丁目に地下3階地上49階建、延べ95000㎡の新庁舎建設を決定。
- 設計は隈研吾。2014年完成予定。
- 11階以上を分譲マンション、現区役所の土地はリースにし、区の負担ゼロで新庁舎ゲット。
- 新庁舎予定地のほぼ真下を副都心線が通っているため、新駅を作るとか作らないとか。
- でも距離的に雑司ヶ谷駅に近すぎないかと思う。
- 有楽町線の東池袋駅からアクセスは可能。
- それでもさすがに老朽化に抗いきれず、南池袋二丁目に地下3階地上49階建、延べ95000㎡の新庁舎建設を決定。
- 豊島園は豊島区にはなく、練馬区所在。
- テレビでとしまえんの映像が流れているとき、テロップに豊島区と書かれていてびっくりした。
- 東武東上線下板橋駅は豊島区内にある。
- 豊島という町名は豊島区には無く、隣の北区にある。
- 区長が花火好き(池袋東口のLRT導入や放置自転車税等)
- 何だかんだいってよくわからない区だと思う。
- 豊島区のケーブルテレビは群馬テレビのデジタルを再送信している。
- 豊島とは平安時代から室町時代にかけてこの地域を支配していた豪族、豊嶋氏に由来している。
- かつては千代田区、中央区、港区、台東区、文京区、新宿区、渋谷区、豊島区、荒川区、北区、板橋区、練馬区がすべて豊嶋郡だった。
- 皇居の付近は中世の頃、武蔵国豊嶋郡江戸郷
- 豊嶋郡の中心は北区西ケ原あたりだから、北区のほうが豊島を名乗るのにふさわしい
- 練馬区に豊島園があり、北区に豊島町があるのはそのためである。
- 板橋区に都立豊島病院があるのもそのためである。つまり明治時代の開院。あの病院今後どうなることやら…。
- 豊島園は豊島城址に建てられたことから
- なお、豊嶋氏は最初に江戸城を築城した太田道灌によって滅ぼされている。
- かつては千代田区、中央区、港区、台東区、文京区、新宿区、渋谷区、豊島区、荒川区、北区、板橋区、練馬区がすべて豊嶋郡だった。
- 冗談でも豊島区の女性に年増区というギャグをかましてはいけない。
- 巣鴨があるので強ち間違いでもない。
- となりの練馬区との境が紛らわしい
- 板橋区との境も紛らわしい。
- 西巣鴨辺りの北区との境も紛らわしい。
- 明らかに境界が食い込んでいる箇所がある。
- 「こおり(郡)でも としまといえば ひろきなり」という川柳がある。
- 「としま」は、「年増」と「豊島」の掛詞。
- 「(年増のあそこは広いけど、)郡と言えば、豊島郡も広い」という意味。
- 「としま」は、「年増」と「豊島」の掛詞。
- 豊島区の役割は、練馬区、北区、板橋区を、池袋によって東京と連結し、埼玉と区別する拠り所を与えることである。
- 23区一の貧乏区。二位は中野区。
- そんなことはない。区別財政力指数では豊島区より東側の複数区よりは概ね上である。
- ちなみに財政力指数で言えば、ワースト5は荒川区、足立区、葛飾区、北区、墨田区。
- 池袋駅近くの電車の車庫にちょっと古めかしい歩道橋があった。けどいつのまにか無くなっていた。
- 東京23区中、唯一2040年には消滅する可能性があると言われて区民が大激怒。
- 一時期、結婚適齢期の女性がどうにも増えなかったため。
- 池袋周辺は外国人居住区、大塚駅周辺は風俗街、巣鴨は老人の街ということでどうしても近隣区に流れてしまう傾向にあった。
- 都外の人間から見ると、どうしても新宿という池袋の上位互換や、若者の街の印象のある渋谷と比べると、交通の要所としても商業面でも見劣りしてしまうのがなあ。
- 池袋→23区(山手線及び地下鉄)、さいたま(埼京線)、宇都宮(宇都宮線)、高崎(高崎線)、湘南地区及び鎌倉(湘南新宿ライン)、成田空港(NEX)、日光・鬼怒川(スペーシア)、川越・寄居(東武)、所沢・秩父(西武)、横浜(副都心線+東急)、ベイエリア(有楽町線及び埼京線+りんかい線)、海老名(埼京線+相鉄)、早稲田(荒川線)
- 新宿→上記に加え山梨・長野(中央線)、千葉(総武線)、小田原・江ノ島(小田急)、多摩・高尾山(京王)、市川(都営新宿線)も追加される。
- 副都心線開業で東武・西武を手中に収めた以上、新宿は鉄道系交通に関してはほとんど池袋の上位互換化しているし。
- そういや区立中の数が10校割ってるんだよな。
- 隣の中学受験区よりも少ないってどういうことなんだ。
- 一応すぐに脱却した模様。まあ23区だしな。
- 一時期、結婚適齢期の女性がどうにも増えなかったため。
- 千代田区、港区、中央区、新宿区に次ぐ都会区。
- 隣の区に在るコミュニティバスを検討中。池袋駅周辺や目白駅と巣鴨駅周辺は路線バスが目一杯走ってるけど、どこに走らせるつもりだろう?
- 現在「池07系統」がその役割を担っている模様。
- 「草63-2系統」も。
- 2019年に池袋周辺だけだが運行を開始した。
- ただし性質的に観光用途も兼ねてるっぽい。
- 現在「池07系統」がその役割を担っている模様。
- 23区の中で一番緑が少ないらしい。
- 実は都内に同じ読みの村がある。
池袋本町[編集 | ソースを編集]
- 池袋のルーツ、「池袋村」があったところ。故に「池袋本町」。元祖池袋エリア。
- 江戸時代はここが池袋だったが、明治後半に村の南外れに池袋駅が出来、昭和以降は駅を中心に栄え始めたので一気に置いて行かれた。
- 1丁目のセブンイレブンがあるT字路と近くのファミリーマートがあるT字路辺りが、村だった頃の池袋の中心。
- 今は寂れた商店街の2つのT字路。ここら辺がかつての中心とは地元民でも信じがたい。
- 現在域内に駅が3つあるが、どれも池袋本町の中心とは言い難い。
- 東武東上線の北池袋駅と下板橋駅、埼京線の板橋駅。
- 1丁目は北池袋駅、4丁目は下板橋駅と板橋駅が最寄りになるが、どれも東に寄り過ぎているため。
- 劇場通りや平和通りを歩いて池袋駅まで出る人が多し。
- 東武東上線の北池袋駅と下板橋駅、埼京線の板橋駅。
- 西池袋の元池袋史跡公園の丸池跡と“池袋”の地名由来争いをしていた。
- 「ブラタモリ」でタモリは丸池跡と池袋本町の両方を訪れ、4丁目の谷戸地形だったところを地名発祥と推測。
- “袋”には川と川が合流しているところという意味があり、今は暗渠になった谷端川に谷戸地形の2つの川が合流していたこの辺りを“池袋”の由来になったとした。
- 現在そこら辺は普通に住宅密集地。2つの川はそれぞれ道となり、その間の区画を底とした谷間な地形になっている。
- 但し、川の合流地点そのものは池袋本町ではなく隣の板橋区板橋なんだけれどね。
- “袋”には川と川が合流しているところという意味があり、今は暗渠になった谷端川に谷戸地形の2つの川が合流していたこの辺りを“池袋”の由来になったとした。
- 「ブラタモリ」でタモリは丸池跡と池袋本町の両方を訪れ、4丁目の谷戸地形だったところを地名発祥と推測。
- 東武東上線と埼京線に挟まれた地域は半分が大規模マンション。
- シスナプとプラウドシティ。4丁目の人口の何パーセントかはこの2つで占めてそうな規模。
- プラウドシティの敷地建物は板橋区と跨っているけれど、住所表示はどちらになるのだろう。
- シスナプとプラウドシティ。4丁目の人口の何パーセントかはこの2つで占めてそうな規模。
- 昭和鉄道高校がある。日本で唯一校名に「鉄道」が入る高校。
- ほとんど川越街道沿いのドン・キホーテ北池袋店は、ドンキとしては都内最大規模店。
- 普通のドンキ店舗を想定してここに入るとその広さに呆れる。どこまでも売場が続いている様な印象。
- 2010年10月のリニューアルでこの広さになった。おかげで、以前同じビルにあったフレッシュネスバーガーやハナマサなどのテナントが無くなってしまった。
- 同じくテナントだった浄水器のキャッチセールス店が無くなったのは良かったが。
- 2010年10月のリニューアルでこの広さになった。おかげで、以前同じビルにあったフレッシュネスバーガーやハナマサなどのテナントが無くなってしまった。
- 生鮮品を除く食品、雑貨、衣類、家電、家具、自転車etc、1階と地下の売場にドンキらしく何でも圧縮陳列。
- 一応、ここだけでほとんど衣食住を賄うことは可能。
- 通り沿いにドンキ屋台村を併設。深夜はDQN客の憩いの場。
- 正に地域DQNの殿堂。駐車場、バイク置き場、駐輪場を完備、改造車や改造バイクでも乗り付けられるところが素敵。
- 普通のドンキ店舗を想定してここに入るとその広さに呆れる。どこまでも売場が続いている様な印象。
- この地のローカルアイドルである放課後プリンセスが2011年より活動開始。
- 活動本拠の劇場・池袋WHITE BASEは4丁目の商店街にある。
- 地名改悪によって「北池袋」になりかけたが、住民が反発して「池袋本町」になった。
上池袋[編集 | ソースを編集]
- 池袋駅に面しておらず、ルーツでもない。元は別の町名だった池袋の外様地域。
- 元々の大部分は堀之内町と言っていた。現在は明治通りのJR線にかかる橋にその名が残る。
- 王子方面から明治通りを来ると上池袋交差点で最初に「池袋」の文字を目にする。
- しかしここから池袋駅まではまだ少し距離あり。
- 明治通りは上池袋の幹線道路。この通りが地域の軸になっている。
- 昔はこの通りをトロリーバスが走っていたらしい。電車とバスの中間の様な乗り物。
- 都営バスの草64系統(池袋駅東口-浅草雷門)がトロリーバスの後継路線にあたる。
- この通りを通る池袋~竹ノ塚の地下鉄構想がある。実現したら上池袋にも駅が出来るかもしれないが、果たして実現の可能性は…?
- 王40系統(池袋駅東口-西新井駅前)の本数が多く乗客も多いので需要はあるだろうが、LRTでも実現は難しそう。
- 明治通りから一本入ると、意外と飲み屋が多く、しかも結構レベルが高い。
- かつては「新宿2丁目か上池袋か」と言われるほどゲイバーが沢山あったので今でも飲み屋が多い、と地元飲食店のオヤジに聞いたことがある(さすがに二丁目と並ぶ、というのはオヤジの吹かしと思われるが…)。某大手芸能事務所の社長が男娼を買っていたのを目撃したと言ってたな。
- 昔はこの通りをトロリーバスが走っていたらしい。電車とバスの中間の様な乗り物。
- 1丁目の明治通り沿いには数ヶ月単位で次々と店が変わる“呪われた”店舗物件がある。
- 現在は空き物件。次に店を出そうとするカモをじっと待ち続けている状況。
- 結局店舗が入らないまま、物件の建物は2011年12月に取り壊し。
- マンションが立つ模様?
- 結局店舗が入らないまま、物件の建物は2011年12月に取り壊し。
- 現在は空き物件。次に店を出そうとするカモをじっと待ち続けている状況。
- 何気に3丁目の通り沿いにある「お茶あがれ地蔵」は、その謂われから心霊スポットとされている。
- その謂われについては2つの説がある。どちらの説も通行人に「お茶あがれ」と呼びかけた幽霊を鎮めるために建てられたという話。
- 巣鴨学園は、実は上池袋にある。
- 宮仲橋でJR線を渡って明治通りに合流する道がある。車がやっと通れる位の細い道だが、実は由緒あり。
- この道は鎌倉時代に造られた、鎌倉から武蔵を通って下野に向かう鎌倉街道中道にあたるらしい。
- あと4丁目のグリーンハイツ前の短い路地も、この中道にあたる可能性あり。
- 中道は、宮仲橋の道~明治通り~グリーンハイツ前の路地~明治通り…というルートだった模様。
- 鎌倉時代、いざ鎌倉という時は北関東の御家人の軍勢がこの道を通って鎌倉へ馳せ参じたのかと。
- この中道は一方通行の、現代的に見れば細い道だが、この通りが太い道に感じられるほど、細い路地が多い。しかも巣鴨学園周辺はクランクが多く、立ち往生する車をよく見かける。
- あと4丁目のグリーンハイツ前の短い路地も、この中道にあたる可能性あり。
- この道は鎌倉時代に造られた、鎌倉から武蔵を通って下野に向かう鎌倉街道中道にあたるらしい。
- 明治通りの西側沿いには4軒のコンビニがあるが、反対の東側沿いには1軒もない。
- 過去東側にも2軒あったが相次いで閉店。スーパーはマルエツプチがあるものの、コンビニを潰す勢いは感じられないが…?
- ファミリマートが12/08/31で閉店の模様……
- 2012年8月、上池袋交差点の1丁目側角にセブンイレブンがオープン。明治通り西側のコンビニ空白地帯は解消された。
- これも明治通り沿いだが、1丁目のマンションの1階に中国嵩山少林寺廟がある。
- 嵩山少林寺は、カンフー映画に出てくる中国のあの少林寺のこと。あちらの寺と同様にこの霊廟でも達磨を奉っているらしい。
- その派手な霊廟は否が応でも目に付く。マンションの1階に入っているというのもかなりシュール。
- 正月になると霊廟から歩道まで赤い絨毯が敷かれる。こちらも初詣の時期になるらしい。
- このマンションには嵩山少林寺の拳術池袋功夫道場もあるらしい。
- この道場は香港や中国のカンフー映画に出てくる少林拳。日本の少林寺拳法(北大塚にビルがある)とは別物。
- 2016・7年辺りになくなりました。なお跡地はリサイクルショップになった模様。
- 埼京線と山手線の線路に挟まれた豊島清掃工場は2丁目にある。
- 煙突の高さは210m。結構高い。
- というか日本一高い清掃工場の煙突だったはず。
- サンシャインがあるのが原因。
- 煙突の高さは210m。結構高い。
- 堀之内橋からは、大塚駅の方角に東京スカイツリーがとてもよく見える。
- 堀之内橋から空蝉橋までの5ヶ所の橋からはどれも同じ様によく見える。
- 距離は役8km。たぶん豊島区内で地上からスカイツリーを見ることが出来るのはここら辺だけ。
- 1丁目に再開発されてできたドレシア上池袋は、今一歩地域の核とは言い難い。
- 癌研病院跡を再開発。住居は高層マンションで戸数が多いが、場所が傾斜地だったため店舗スペースを思ったほど多く作られなかった。
- ドレシア上池袋の開業後、上池袋交差点~大塚駅前の通りが「宮仲公園通り」と名付けられたが、地元民は相変わらず「癌研通り」と呼ぶ。
- 店舗スペースが開業医院と調剤薬局で占められたのも一因。まあこれはこれで良いのだが…。
- 結局人が集まるのは大型店舗スペースのピーコックストアとその上階のフィットネスクラブのみ。まあこれもこれで良いのだが…。
- 北大塚の商店街の奥に位置しているため、商店街はここによる集客を結構期待していた様だが、果たして期待通りになったのやら。
- 癌研病院跡を再開発。住居は高層マンションで戸数が多いが、場所が傾斜地だったため店舗スペースを思ったほど多く作られなかった。
- ドレシア上池袋の向かい、合わせて再開発でできた上池袋東公園は、上池袋では一番広い公園。
- ここの住宅街に点在する公園の中では一番広いのに、何故かgoogleやyahooの地図には記載なし(ドレシアや他の公園は載っているのに)。
- 通りの名前にもなった近くの宮仲公園よりは遙かに立派な公園なのだが、表通り沿いではないことが影響しているのか。
- まあ、1丁目の地域住民は皆知っているので、地元民のみで知る人ぞ知るでも良いかと。
- 通りの名前にもなった近くの宮仲公園よりは遙かに立派な公園なのだが、表通り沿いではないことが影響しているのか。
- 園内にはかまどスツール、災害用トイレ、耐震貯水槽、防災パーゴラ等、災害時の対策施設が揃っている。災害時には地域の避難拠点。
- ここの住宅街に点在する公園の中では一番広いのに、何故かgoogleやyahooの地図には記載なし(ドレシアや他の公園は載っているのに)。
- 銭湯が多数あることからも分かるように、ボロアパートがたくさんある。ただしスーパーが少なく、商店街もないので生活はしにくい。外食中心の単身者にとっては穴場(池袋徒歩圏内で風呂無し家賃3万円台がゴロゴロしている。風呂有りだと探せば5万からある)。
- 上池袋図書館は上池袋のオアシス。
- 隣町である池袋本町との交通は、車両基地のため事実上断絶している。六つ又陸橋と「開かずの踏み切り」で名高い北池袋駅前の踏み切り、そして車両通行不可(自転車は通れる)の上池袋図書館裏の踏み切りの3つしかない(他にも、堀の内公園の西側に歩道橋があるらしいが…)。
- 2丁目のさくら公園近くにあった堀之内跨線人道橋(通称どんどん橋)ならば、老朽化のため2011年6月に撤去された。
- 池袋の「開かずの踏み切り」は、昭和30年代に、池袋5つ又(現在は六つ又)から、川越街道に直接に踏み切り経由で繋がっていた。
- その踏み切りは、東武東上線、赤羽線(現在の埼京線)、上野と新宿を繋ぐ貨物線、池袋電車区の車庫への引込み線、池袋から、板橋の食料倉庫を繋ぐ貨物線があり、開いている時間が少なく、開かずの踏み切りと呼ばれた。首都高速5号線の建設が行われた時に廃止された。
目白[編集 | ソースを編集]
- 地方の人間は目黒との違いがわからない。
- ここは地理的に目黒でないだろか。
- 目の上に点をつけ、「自白」とやる人が一人はいる。(2人はでない)
- 骨をかぶる人じゃないんだから
- 学習院大学があることは、あまり知られていない。
- 「ごきげんよう」は学習院女子限定。
- 豊島区の3分の1の緑が学習院内にあるそうな
- 東京砂漠のオアシス・目白
- 初等科(小学校)は四ツ谷にある。東宮家一人っ子在学中。
- 目白駅前にあるのは学習院本部、共学の学習院大学および大学院、男子校の学習院中等科、学習院高等科、および幼稚園である。
- 学習院女子大学、女子校の学習院女子中等科、学習院女子高等科は新宿区戸山3丁目にある。最寄り駅は東京メトロ副都心線西早稲田駅下車徒歩1分。
- 全国的に有名な故田中角栄邸や日本女子大は、文京区目白台だということを知らない人が多い。
- 目白文化村は新宿。
- 文京区や下落合(新宿区)のイメージに助けられている部分もあるが、「徳川ビレジ」というゲートで囲われた超高級賃貸戸建て住宅地はたしかに豊島区目白に所在する。
- 予備校生と専門学校生のゲットー・高田馬場、人種のるつぼ・池袋。南北をカオスにはさまれているが、そのわりに別天地のように上品。
- バス停「目白警察」~「目白5丁目」間は道のどっち側に立っていても「新宿駅西口」行きのバスが来る(西行き=西武バス(山手通り経由)、東行き=都営バス(椿山荘・曙橋経由))。
- ちなみに目白5丁目バス停だとそれに関東バスの「新宿西口」行き(小滝橋経由)が加わるから混乱に輪をかける。
- ネットの各種掲示板でことさらに目白を持ち上げる、やや●●じみた『目白厨』は有名。
- 目白厨の存在と自動車が練馬ナンバーになることが目白住民の悩みの種らしい。
- 新宿・池袋でビジネスを営む半島系の方々にとって、この地に住むことは成功の証らしい。
- なにげに韓国人にはカトリック教徒が多いから、アジアの総本山である東京カテドラル教会(目白台)に近いのも理由だと聞いたことがある。
- 目白小学校→高田中学校→小石川高校というラインは、昭和30年代までは番長小学校/麹町小学校→麹町中学校→日比谷高校と並ぶ、東大進学の王道だった。共に200名を超える東大進学者がいたが(その殆どが現役!)、都立高校の凋落に伴い、まず小石川が脱落し、続いて日比谷も昭和50年代にベストテンからいなくなったのはご存じの通り。
- 高田中学校も統合で千登世橋中学校になりました。
- 名前の由来となった目白不動(金乗院)は「豊島区目白」にはない。にもかかわらず、目白不動から2kmも離れたところが「豊島区目白」だったりする。
- 目白大学は目白駅からかなり離れたところに立地している。
- 新宿区中落合4。
- 池袋署の南側の道路は、池袋署が目視できるにもかかわらず目白署の管轄。ここで事故を起こすとめんどくさい(経験者)
- 最近住○不動産の手によって、目白0丁目が明治通りの東側に開拓された。だが顧客からも地元からも総スカンを食らい、完成前からスラム化が進行中。
- 建設前の反対運動は凄まじいものがあった。平成20年3月に竣工したが、数少ない山手線内側エリア、東京都内で僅か1%未満の第一種文教地区の高級マンションというコンセプトで建設された総戸数293戸、地上18階建地下1階建の大規模マンションだが、都心のマンションブームが終演した頃に発売されたため、価格が高すぎて全く売れなかった。検索ワードは「目白の城」
- 発売当時2LDKで8,500万程度の価格であった物が、価格を下げても下げても不況が進むペースがそれ以上に早いため、まだ大量に売れ残っている。
- 平成21年4月下旬より始まる第4期販売開始予定価格は、2LDKが6,000万円台~、3LDKが7,000万円台~と大幅にディスカウントされている。(最初の価格で買った住民は納得しているのだろうか?)
- この値下げ情報はガセです。
- 緑豊かな学習院大学の明治通りを挟んだちょうど向かい側に立地。池袋まで自転車で8分、新宿まで20分と立地条件は最高。周辺は神田川沿いの低地で周辺のどこへ行くにも登り坂が多い。そのため、電動アシスト自転車が必須アイテム。
- 駐車場が23,500~28,000円/月とべらぼうに安い。周辺の相場は35,000~40,000円/月ぐらい。近所のウチのマンションより20,000円近くも安いのは超うらやましい。
- というか、池袋が北目白と呼ばれるべきだったとは・・・・・・(駅の成り立ち、管轄警察署などから)
- 隣の池袋と比べてラーメンはさんかくである。
- 座布団5枚!
- チャーシューも5枚。
- 座布団5枚!
- かつて競馬で名をはせた「メジロ」は本当にここが由来。
- 創始者の住宅がここにあったのが冠名の由来らしい。
高田[編集 | ソースを編集]
- 目白に行くにも高田馬場に行くにも遠い。
- 場所にもよるけど馬場は近いんじゃない?
- 3丁目西側は高田馬場駅至近だぞ。目白も近い。
- 山手線外側にもちょっとだけはみ出ている。
- 3丁目西側は高田馬場駅至近だぞ。目白も近い。
- 最近「雑司ヶ谷駅」(副都心線)が出来た。
- それ高田じゃなくない?
- 多分都電を除いて最寄駅じゃない?
- それ高田じゃなくない?
- 場所にもよるけど馬場は近いんじゃない?
- アップダウンが激しい。「のぞき坂」は都内で1,2を争う急坂。
- 実は色んなアニメで登場している。
- 最近だと「天気の子」で出てきた。
- 歩いて登るのも少しきついくらい急。
- 実は色んなアニメで登場している。
- 神田川沿いは桜(ソメイヨシノ)の名所。
- 都電荒川線「面影橋駅」からどうぞ。
- ↑「面影橋電停または停留所」が正しい表記。東京都交通局としては都電の乗り場を駅とは称しない。
- そもそも面影橋は新宿区...。
- 隣の「学習院下電停」からでも行けますよ。
- 都電荒川線「面影橋駅」からどうぞ。
- 「やだらめぇ」という居酒屋がある。
- 「やだ、だめ」を可愛らしく言ったわけではない。
雑司が谷[編集 | ソースを編集]
- 荒川線の「鬼子母神前駅」の真上が副都心線「雑司が谷駅」で、また別に「都電雑司ヶ谷駅」もあるので紛らわしい。
- そして都電雑司ヶ谷駅の住所は南池袋。
- 都電が中央法律専門学校に改名すべき、メトロ側が変えるのに比べて手間がかからないはずだし。なお早稲田も同様にメトロとは離れている。
- そして都電雑司ヶ谷駅の住所は南池袋。
- 「笑点のピンク」こと好楽師匠の娘さん(次女のほう)が経営している鯛焼き屋さんがある。
- 店名は「ひなの郷」で鬼子母神の参道沿いにある。
- とにかく、メニューが豊富である。
- 区役所がここに移転してきた。
高松[編集 | ソースを編集]
- 住宅地としては豊島区一らしい。
- 最近山手通り沿いに黒くて細長い煙突が建設されたが、囲いが外されたらタワーマンションだったという笑えない実話がある。
要町・千川・千早[編集 | ソースを編集]
- 都立千早高校は数年前まで「都立牛込商業高校」だった。豊島区なのに・・・。
- 中国人「留学生」達が日本に進出し始めた80年代の中頃、彼らが住み着いたのは後に「千早チャイナタウン」という余りありがたくない異名を持つことになる、長崎一丁目から千早、千川に至る一帯だった。確かに当時、最寄り駅である椎名町には日本語じゃない言葉を操る人が少なからず闊歩しており、「椎名町も国際化したもんだ」と感慨を覚えたが、実態は「チャイナタウン」だったとは、トホホ・・・。
- チャイナタウンは池袋にできつつある…。
- 柴咲コウの出身地である。
- 町内の公園に都営地下鉄大江戸線の試作車両が保存されている。量産車両とは似ても似つかない形状である。
長崎・椎名町[編集 | ソースを編集]
- 落合南長崎駅近くに漫画家を多く輩出した「トキワ荘」があった。
- この影響か千早には横山光輝が、トキワ荘があった南長崎にはジョージ秋山が住んでいた(1970年代~1980年代)。
- なお、1990年代に椎名町駅近くに喜国雅彦が、東長崎駅近くに西原理恵子が住んでいたのはトキワ荘伝説とは何の関係もないと思う。
- 西原理恵子のマンガに彼女が通い詰めたパチンコ屋として実名で登場する「ジャンボ」は、今ではドラッグストアーのチェーン店になっている。なお、同じく実名で登場する「三菱銀行東長崎支店」はまだ「東京三菱銀行東長崎支店」として現存しているが、これまた実名で登場させられた外交員氏が今も在籍してるかどうかは定かではない。
- 今は池袋東口に統合。
- 2020年に復元され、ミュージアムができた。
- 西武線池袋線の駅名は椎名町と東長崎だが、いずれもこれに相当する町名は無い。ただし、椎名町近辺は以前は実際に椎名町という町名だったらしく、帝国銀行事件の舞台は帝銀椎名町支店だったし、「トキワ荘」も「椎名町のトキワ荘」と呼ばれていた。
- その事件の影響で区画整理の際、町名が南長崎に変更された。
- 最盛期はレンタル屋は数十件、ゲームセンターも5、6件程あったが全て無くなり、後者に至っては最後は屋主殺害で閉店という悲惨
- 椎名町駅前にかつて「東武ストアー」があった。西武線沿いなのに。
- 東長崎駅前には「東急ストアー」があります
- 小学校の授業で、長崎地区は世界的に見ても最も人口密度が高い地域だと教わり、その時は非常に誇らしく思ったが、何のことはない四畳半一間トイレ共同のアパートが所狭しと建っている「貧民窟」だったと言うだけの話。
- 詩人である伊藤比呂美が自らの出産体験を著した著作『良いおっぱい悪いおっぱい』の舞台になった、長崎小学校前の「永橋産婦人科」は今は閉院している。
- 長崎県は、江戸時代当地(豊島区長崎)の領主であった長崎氏が彼の地に移住してその名が県名になった(と小学校時代「としまの歴史」で教わりました)。
- 九州出身の人間と出身地の話をする時に「長崎だ」と答えると、とたんに嬉しそうな表情になり親しげに近寄ってくる(マジです)。でも、東京豊島区の長崎だとネタばらしをすると、その表情は目だけは決して笑わない苦笑に変わる。
- ちなみに江戸時代以前から九州に長崎浦(永埼浦)の地名がある。
- 池袋に近いのに警察は目白警察の管轄、郵便局は豊島郵便局の管轄。
- 知人から「どこに住んでるの?」といわれると「目白」と答えてしまう。
- 「池袋」と答えても誤差の範囲(実際1駅だし立教大も近いし)
- かつて芸術家が多数住んでいて池袋モンパルナスと呼ばれていたらしい。
駒込[編集 | ソースを編集]
- 実はヒソーリ駒込も豊島区
- 本駒込は文京区
- 大塚も紛らわしい・・・
- 一応豊島区しかし駅周辺は北区・文京区と入り混じった無法地帯である。
- 染井霊園はソメイヨシノ発祥の地。
- 同じ豊島区にある雑司ヶ谷霊園は心霊スポットと言われるが、何故か染井霊園ではその手の話は聞かない。同じ住宅地に囲まれた霊園なのにその差は?
- あちこちに植えられた桜の木が心霊を花に変えて浄化してくれているんだろう。
- 同じ豊島区にある雑司ヶ谷霊園は心霊スポットと言われるが、何故か染井霊園ではその手の話は聞かない。同じ住宅地に囲まれた霊園なのにその差は?
- 駅から霊園に至る染井通りは江戸時代から存在するが、当時は霊園ではなく植木屋さんエリアへ行く道だった。
- 今の霊園辺りは昔染井村といって村全体で植木や園芸がさかんで、ソメイヨシノもこの地の植木職人が作り出したとのこと。
- 例によってソメイヨシノに言いがかりが起こされている。当然ながら誤りであり、染井発祥が正しい。
- 今の霊園辺りは昔染井村といって村全体で植木や園芸がさかんで、ソメイヨシノもこの地の植木職人が作り出したとのこと。
- 巣鴨駅の方が近そうな本郷学園は駒込にある。
- 文京区のコミュニティバス「Bーぐる」が駒込をかすったルートで運行。
- 六義園の北側を回り込むルートで、文京区との境界をかすめて走っている。
- さすがに豊島区内のJR駒込駅前には停留所は作れず、少し離れたギリギリ文京区内に「南北線駒込駅」バス停を作った。
- 位置的には南北線駅入り口には近いところなので、苦肉の策が分かるようなバス停名。
- さすがに豊島区内のJR駒込駅前には停留所は作れず、少し離れたギリギリ文京区内に「南北線駒込駅」バス停を作った。
- 六義園の北側を回り込むルートで、文京区との境界をかすめて走っている。
- その六義園の最寄り駅。
- しかし六義園そのものは文京区。椿山荘、護国寺(豊島ヶ丘御陵)、六義園と、豊島区の境界に近い緑地はほとんど文京区側にある。
- 「駒込健康センター」はある界隈では新宿2丁目以外の東京都内では有名なところ。
西巣鴨[編集 | ソースを編集]
- 巣鴨じゃないよ、「西巣鴨」。名前の通り巣鴨の西どなり。
- しかし余所者にはなかなかその違いを理解して貰えず、ジレンマ多し。
- 「どこに住んでいるの?」「西巣鴨」「ああとげ抜き地蔵があるところ」「それは巣鴨…」。毎度、初対面の相手との会話。
- 西巣鴨に住んでいると言っているのに、いつの間にか巣鴨に住んでいることにされてしまう。
- しかし余所者にはなかなかその違いを理解して貰えず、ジレンマ多し。
- 江戸時代は「巣鴨村」として一つだったのが、明治になって中心部の「巣鴨町」とそれ以外の「巣鴨村」に分かれ、それぞれの流れが現在の「巣鴨」と「西巣鴨」に至った。
- 巣鴨のそれ以外の部分というところが今も微妙に影を落とす。
- 西巣鴨の中心はたぶん西巣鴨駅(それと西巣鴨交差点)あたりだが、その求心力はあまり強くない。
- 駅の位置が北の端っこだし地下鉄の駅だから目立たないし。
- 通っているのが地下鉄三田線というのも、何か今ひとつ。
- 電車で言えば、都電荒川線の方が西巣鴨を縦断していて分かり易い交通機関である。
- 大塚や池袋に近い側の1丁目は完全に離反している。
- 地勢上、生活の行動は隣の北大塚や上池袋に依存しており、完全にこれらの植民地状態。
- その内北大塚と上池袋に分割統治されそう?
- 地勢上、生活の行動は隣の北大塚や上池袋に依存しており、完全にこれらの植民地状態。
- この西巣鴨交差点を避けるような形で首都高が通っている。
- これに乗ろうとしても江北JCT方面へはなかなか乗れない。狭い明治通りを延々と進まなければならない。
- この西巣鴨交差点~池袋間は城北エリア有数の都営バスの高頻度運転区間になっている。
- そのため、都営三田線・都電荒川線よりも都バスがメインの移動手段であるという住民も少なくない。
- 意外だが、四谷怪談のモデルになった実在のお岩さんの墓は西巣鴨にある。
- 墓は妙行寺にある。希に心霊スポット扱いされるが別に幽霊がでるわけではない。
- 寺の近くの通りに「お岩通り」の名前が付いている。
- 映画「誰も知らない」の題材になった事件はここで発生。
- もう一つの中心である庚申塚商店街も、その求心力は微妙。
- 巣鴨の地蔵通り商店街とは道続きなのに、その賑わいの落差はかなり大きい。
- 庚申塚電停と庚申塚交差点の間は賑わっている。わずか50mくらいだけれど。
- それも電停から地蔵通り商店街へ行く人の流れのおかげ。電停の反対側は一気に人が減る。
- 人だけではなく店舗数もスカスカだが、コモディイイダがあるので一応それで足りてしまっている。
- しかしファイト餃子だけは別。店の前に軽く行列が出来る人気。
- 2016/1からそのファイト餃子も巣鴨4丁目に移転。
- それも電停から地蔵通り商店街へ行く人の流れのおかげ。電停の反対側は一気に人が減る。
- 建物だけは未だ健在のパチンコ天国はこの商店街にある。果たして営業再開する日は来るのだろうか。
- 2016・7年頃に看板がなくなりました。
- その庚申塚商店街は元々旧中山道。江戸の五街道の一つ。
- 江戸時代はあの商店街の通りを大名行列が通っていた。幕末に和宮が江戸に下向した時もここを通った。
- 明治通り沿いに大正大学がある。仏教系の大学。
- 近年庚申塚商店街側に敷地を拡大しつつある。最終的には堀割交差点の一角を占めるまで拡大?
- そうしたらパチンコ天国も無くなってしまうなぁ。
- 近年庚申塚商店街側に敷地を拡大しつつある。最終的には堀割交差点の一角を占めるまで拡大?
- 地図を見ると一目瞭然だが、明治通り側は北区滝野川の一部に割り込まれる形の区境になっている。
- 江戸時代の巣鴨村と滝野川村の頃からこの様な境界になっていたらしい。
- ほとんど飛び地に近い先っちょのところは昔滝野川村に属する池だか沼だかがあって、その分だけ敷地が巣鴨村に入り込む形になり、そのままの境界で現在に至った模様。
- 現在、現地一帯は普通に住宅密集地。道路から見ると住居表示のプレートだけが建物により豊島区だったり北区だったりしている。
- ほとんど飛び地に近い先っちょのところは昔滝野川村に属する池だか沼だかがあって、その分だけ敷地が巣鴨村に入り込む形になり、そのままの境界で現在に至った模様。
- 江戸時代の巣鴨村と滝野川村の頃からこの様な境界になっていたらしい。
- 中山道の起点は日本橋なのに、国道17号の西巣鴨交差点以南は別名で呼ばれている。むしろここ以南の方が中山道のルートを忠実に再現してるんだが。
- 西巣鴨小学校はここにあるが、西巣鴨中学校はここではなく大塚にある。