東北の廃線
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- 太字は2023年現在存続している駅。
青森[編集 | ソースを編集]
- 弘南鉄道黒石線(旧国鉄黒石線)
- 特定地方交通線を既存私鉄が引き受けた2例の両方が青森にあった。
- しかし、両方とも2000年頃に廃止。
十和田観光電鉄[編集 | ソースを編集]
- 略称とうてつ。
- 漢字を見る限り「とおてつ」のほうが正しいように見える。
- 「と」わだかんこ「う」「てつ」どう。…まさかね。
- 「と」わだかんこ「う」でん「てつ」 です。
- 「十」和田観光電「鉄」の「十鉄」で「とうてつ」ではないかと。
- だから「十」の読みは「とお」なんだって。
- フジテレビONE「みんなの鉄道」で、アナウンサーの堺正幸は、'とてつと言ってた。
- 漢字を見る限り「とおてつ」のほうが正しいように見える。
- 今かなり経営がヤバイ。2008年4月に新会社へ移行して現会社は清算するとか。
- 運賃は全線通して570円。高いが調べてみれば他にも高いところがある。
- 初乗りは140円なので許せるところです。
- それだけでみると大半の関西私鉄よりも安い。
- 日本一運賃が高い。
- 初乗りは140円なので許せるところです。
- 2002年に導入された7700系は東急のお下がりでかつ、東急多摩川線では現役車両。正面の方向幕ととうてつマークを気にしなければ東急と勘違いするほどである。
- そういえば七百の車両区に止まっていた7200系電車の方向幕が「桜木町」になっていた。
- 現在、国際興業グループで唯一の鉄道路線なので、バスとは違って親会社やグループ企業から中古車両を譲渡出来ないので東急から車両を購入している。
- 東急からはじめてVVVF車のお下がりを譲ってもらったのって、ここだっけ??
- 廃止に伴い大井川鉄道に転職。流転の「車生」。
- 一部の踏み切りの音が「チンチンチン…」となる。
- 十和田市駅の旅行センターで新幹線の切符を買うと、新幹線乗車日の三沢までの運賃が半額になる。
- 主に周辺高校への通学に使われる。収入の9割以上はそこから得ていると思われる。
- 三沢、三沢商、三本木農、十和田工、三本木の勢力争いが展開されるとかないとか…
- バス転換した場合、通学生のために大量のバスと運転手が必要になるため、大量輸送可能な鉄道を残さざるを得ないとか。
- スピードは車より遅い。
- 東北新幹線の延伸により起点の三沢駅は青い森鉄道の管轄になってしまったため、JRと接続しない鉄道会社になってしまった。
- 生き残るにはその青い森鉄道と直通し、新幹線停車駅である八戸駅発着にするしかなさそう。
- だが、交直車両かディーゼルカーの導入が必要になる。
- あれ、収入の9割は通学生……八戸は学区外……需要……?
- だが、交直車両かディーゼルカーの導入が必要になる。
- 新幹線は七戸十和田駅ではなく、こことの交差部分に駅を作ればよかったのに…。
- 生き残るにはその青い森鉄道と直通し、新幹線停車駅である八戸駅発着にするしかなさそう。
- とうとう廃線が現実味に 周辺2市1町に本年度から10年間で総額約5億2千万円の財政支援を要請する始末に。2市1町が財政支援の表明をしない限り、3月末に廃線決定。
- 周辺2市1町が財政支援を断ったため 3月末に廃線決定。
- 平成24年3月31日に廃線となりました。現在は代替バス路線で運行しています
- 廃線で鉄道は無くなったが、社名には「電鉄」が残っている。
- 周辺2市1町が財政支援を断ったため 3月末に廃線決定。
- 駅(廃止済)
三沢 - 大曲 - 柳沢 - 七百 - 古里 - 三農校前 - 高清水 - 北里大学前 - 工業高校前 - ひがし野団地 - 十和田市
下北交通[編集 | ソースを編集]
- 廃線跡がすでに宅地になっている。
- 現在、日本航空によって再建されている・・・・
- というより、社員によって動態保存されている。
- もともとはJASの団体が復活運転を始めた。
- 廃止になるまで大畑駅は本州最北端の駅だった。
- 運転士が発車時間になっても駅の休憩室で一服して、発車が遅れたことがあるらしい。
- 田名部までは残してもよかったのではないかと思って仕方がない。
- たぶん車輌の更新時期に、新たにディーゼルカーやレールバスを購入する資金が無かったために廃止されたと思われるので、区間存続も難しかったでしょう。
- 鉄道線を開業する際に京急から支援を仰いだ。
- 大畑線(廃止)
下北 - 海老川 - 田名部 - 樺山 - 陸奥関根 - 川代 - 正津川 - 大畑
南部縦貫鉄道[編集 | ソースを編集]
- レールバスで有名。キンカンのコマーシャルにも登場している。
- 実は京成電鉄の資本が入っていたことも。
- だからレールバスのカラーが昔の京成と同じ色だった。
- 会社はまだ存在していて、現在はタクシー会社。
- 現在は「南部縦貫」になっている。
- その点では兵庫県の別府鉄道と似ている。
- 元国鉄の大型ディーゼルもいたが、調子が出ないことが多く、ほとんど動かなかったという。
- 休止直前にはファンが殺到し、レールバスでは捌ききれなかったため、大活躍したとか。
- ていうか、あそこのヘナヘナレールにキハはでかすぎて無理だよ……。
- 東北本線の旧線区間は本線用の良いレールだったらしいぞ。
- 国鉄清算事業団からこの区間の買い取りを要求された事がとどめを刺された。
- 保存団体のお陰で一部区間が残されている。
- 七戸駅構内だね
- もし東北新幹線の新青森延伸まで生き長らえていたら新幹線アクセスとして活躍できたかもしれない。
- さらに言えば、下北方面の短絡ルートとなっていたかもしれなかったね。
- 駅(廃止済)
野辺地 - 西千曳 - 後平 - 坪 - 坪川 - 道ノ上 - 天間林 - 中野 - 営農大学校前 - 盛田牧場前 - 七戸
南部鉄道[編集 | ソースを編集]
- 尻内駅(現:八戸駅)から五戸駅をむすんでいた鉄道路線。1968年の十勝沖地震で被害を受け、復旧できなくなりそのまま廃止。
- 現在は南部バスとして、三八地方で路線バスを運行。
- 今でも行き先に「五戸駅」があるがそれは南部バスの五戸営業所のことで五戸駅の跡地。
- 新潟の蒲鉄バスと似たようなものか(旧村松駅が本社兼車庫で、バス停名も「村松駅」)。
- 今でも行き先に「五戸駅」があるがそれは南部バスの五戸営業所のことで五戸駅の跡地。
- 南部縦貫鉄道とは別会社。
- 南部縦貫鉄道が五戸まで延伸しようとしていた・・・乗り換え案内がカオスになりそうな・・・
- 駅
八戸 - 張田 - 正法寺 - 七崎 - 豊崎 - 志戸岸 - 県立種鶏場前 - 五戸
岩手[編集 | ソースを編集]
- 大船渡線(気仙沼~盛)
岩泉線[編集 | ソースを編集]
- 岩泉駅は馬鹿みたいにデカイ。
- 1日3往復ほどの超ローカル線。それが鉄道ファンの人気になり「秘境駅号」が走ることがある。
- 津軽線も三厩発着だと同じくらいの本数
- 並行道路が整備されてないから残されたらしい。
- 未だに1車線区間や1.5車線区間がある。が、そもそも岩泉←→旧新里・川井という需要がほとんどないので整備される気配もない。
- 盛岡方面は455号線、宮古方面は455~45号線を使う。
- 日本を代表する乗りつぶしが困難な路線として、鉄道ファンにつとに有名である。旅行シーズンの臨時列車「秘境駅号」は、押角駅や、山田線の大志田駅で長時間の停車をし、鉄道ファンに写真撮影の余裕と与えている。更に、この臨時列車は、旧式の車両が指定席で新式の車両が自由席であり、鉄道ファンをうならせている。
- 未だに1車線区間や1.5車線区間がある。が、そもそも岩泉←→旧新里・川井という需要がほとんどないので整備される気配もない。
- 岩手県沿岸北部地震の震源が押角駅の近く。
- 盛岡~岩泉ならJRバス早坂高原線の方が便利。
- 便利といっても1日4往復。やっぱり少ない。
- 「岩手」が付く駅が3駅(岩手刈屋・岩手和井内・岩手大川)あるが、「岩手」の付かない刈屋駅と和井内駅はどこにも存在しない。
- 元々の計画では、小鳥谷から葛巻・岩泉を経由して小本へ至る事になっていた。誰が乗るんだよ。
- 土砂崩れで運休。
- この時乗っていたわずかな客のほとんどが他の地域から訪れた観光客だったらしい。
- 乗り合わせていた乗り鉄観光客は図らずも救援車(救難車?)に乗ることが出来たために大喜びだったとか。
- ほとんどというか全員。。。
- 2012年にそのまま廃止の予定…。
- 2014年4月1日に、正式に廃線となります。
- 岩手和井内までだけでも残そうとしていた応援サイトもあったけどだめだったんだな。
- サヨナラ運行すらしてもらえそうにない。最後の最後まで本当に悲惨な路線だ。
- 東日本大震災で周辺路線も運休になったことが致命傷だったのだろうか。
- この時乗っていたわずかな客のほとんどが他の地域から訪れた観光客だったらしい。
- 押角駅は国道から徒歩一分以内の場所にある。但し、付近に民家は存在しない。
- 駅前の広場から小川を渡る橋があるのだが工事現場の足場にしか見えない。
- しかも微妙に傾いているw
- 廃線後、台風でその橋が流されてしまい旧押角駅に行くことが完全に不可能になってしまった。
- 駅前の広場から小川を渡る橋があるのだが工事現場の足場にしか見えない。
- 日本で一番乗客が少なかった路線だということが発覚。
- 駅
茂市 - 岩手刈屋 - 中里 - 岩手和井内 - 押角 - 宇津野 - 岩手大川 - 浅内 - 二升石 - 岩泉
釜石鉱山鉄道[編集 | ソースを編集]
- 釜石市の鉄鉱石鉱山と釜石港を結んでいた鉄道路線。
- 実は日本で3番目にできた鉄道路線。
- しかし製鉄所の失火による休止、鉄道の死亡事故が相次ぎ、1882年12月に僅か3年弱で廃止。
- その後1884年に鉱山再興に着手すると、1886年の高炉完成とともに需要が上がり、1894年には馬車鉄道での復旧がなされた。
- 1911年には蒸気運転に切り替えられた。
- その後岩手軽便鉄道を通じて現在の釜石線のルートが概ね完成し、また省線山田線の開通で連絡輸送が行われるようになった。
- 戦後は釜石線が全通すると貨物専用線となり、1965年にはモータリゼーションの波もあって全線廃止された。
- 釜石駅から先の製鉄所内にも複雑に路線が入り組んでいた。
- 駅
- 釜石製鉄 - 小佐野 - 松倉 - 大畑 - 洞泉 - 大松 - 唄貝 - 大橋
- 松倉駅および唄貝駅は戦後開業?
宮城[編集 | ソースを編集]
- 気仙沼線(柳津~気仙沼)
くりはら田園鉄道[編集 | ソースを編集]
- 2007年3月末日をもって廃線
- 愛称は栗原電鉄以来の「くりでん」
- 電車時代、スピードメーターがついていない電車もあった(M151)
- せいぜい出ても時速65km
- 始発から終点まで運転回送(乗客ゼロ)のことも
- かなり前(電車時代)自分以外の客がいない為、一駅だけ車の一時停止(完全に停車してない)状態でスルーした
- 廃止寸前に乗車したとき荒町駅を一時停止もせずに50km/hくらいで通過しましたよ(乗客5人程)
- くりはら田園鉄道になるとき、なぜか電車→ディーゼルカーになった。しかし架線柱は取り壊されなかった。なぜなのだろうか?
- 本数が少ない場合、電化設備を維持するよりもディーゼルに替えたほうが割安なため。架線柱は撤去するときに金がかかるのでそのまま。
- 変電所の老朽化もDC化に転換する要因だった。
- でも廃線になって実際に撤去されたときには鉄材価格が高騰していたので逆に買い取ってもらうことができた。結果オーライ?
- 本数が少ない場合、電化設備を維持するよりもディーゼルに替えたほうが割安なため。架線柱は撤去するときに金がかかるのでそのまま。
- 元名鉄の車両がいた。
- 現役時代は埼玉高速鉄道や北総鉄道など全く相手にならないほどの高額運賃だった。(石越~細倉マインパーク前 1,020円/25.7km)
- 代替バスの運賃は最大500円になったため、石越~細倉マインパーク前では半額以下になった。
- 2019年4月から、乗合以外の栗原市民バスが一律100円へと変更。栗駒まで700円・鴬沢に1000円もした時代が嘘のよう。
- 代替バスの運賃は最大500円になったため、石越~細倉マインパーク前では半額以下になった。
- 野上電鉄と同時期に補助金交付が打ち切られたが、こちらは三菱マテリアルの支援もあり、ある程度生き延びた。
- 駅(廃止)
石越 - 荒町 - 若柳 - 谷地畑 - 大岡小前 - 大岡 - 沢辺 - 津久毛 - 杉橋 - 鳥矢崎 - 栗駒 - 栗原田町 - 尾松 - 鶯沢 - 鶯沢工業高校前 - 細倉マインパーク前
山形[編集 | ソースを編集]
山形交通尾花沢線[編集 | ソースを編集]
- 奥羽本線の大石田駅と尾花沢市街の尾花沢駅を結んでいた。
- 「花列車」の愛称で親しまれていた。
- 1970年に廃止。当初は9月1日に廃止する予定だったが、引継ぎに手間取り9月10日まで伸びた。
- 現在でも大石田駅が尾花沢市の事実上の玄関口となっている。
- JTB時刻表の中心駅は山交バスの尾花沢バス停。
- 駅
福島[編集 | ソースを編集]
磐梯急行電鉄[編集 | ソースを編集]
- 社名とは裏腹に非電化の軽便鉄道だった。
- 元々は硫黄輸送のために開業した。
- その後観光路線への転身を目論むも、あえなく破綻。
- 破綻後は経営陣が新たに不動産会社を設立して御坊臨港鉄道を買収し、紀州鉄道になった。
- 後の思想家は「磐梯急行電鉄と自称し、そしていまだにそうしているこの鉄道会社は、いかなる点においても磐梯でもなければ、急行的でもなく、ましてや電鉄ですらない」と評したという(嘘)。
- まさしく神聖ローマ帝国みたいな路線だ。