東海の城
岐阜[編集 | ソースを編集]
静岡[編集 | ソースを編集]
韮山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地伊豆の国市
- 平山城。北条早雲が拠点として以来の後北条氏の城で、豊臣秀吉の北条攻めで攻められた城。
- 周囲の山に豊臣方の陣を貼った場所がある。
- 二の丸のところは隣の韮山高校のテニスコート。
- 本丸の続きにはもう少し高い山に続く。そっちを本丸にしなかったのは水の問題とかかな?
山中城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:三島市
- 三島市街から箱根峠へ登る途中にある山城。小田原の後北条氏の防衛ライン。
- 城跡の中を旧東海道の道と国道1号が通る。山城にしては結構広い。
- 戦国時代末期の山城。山城が建てられた時代の一番終わり頃。
- 戦国時代末期の関東の城なので、石垣は使われていない。土のまま、今は芝草やツツジが植えられているけれど。なお、建物はない。
- 石垣はなくても土塁や堀、特に堀の中に残る畝は立派。見応えがあるよ。
- 斜面上の堀の中にも畝を設け、水をためられるようになっていた。最悪の場合はそこに溜まった水も使うつもりだったとか。
- 本丸よりも隣の北の丸の方が、一段高くなっていて本丸っぽい。
- これだけ立派な山城なのに、1日で落城。さしもの城も後北条氏の軍勢も、豊臣秀吉の数万の大軍が相手では…
駿府城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:静岡市/葵区
- 徳川家康の隠居したあとの城。銅像あり。
- そのため皇居と石垣がよく似ている。皇居の石垣を6~7割スケールダウンした感じ。
- 元は今川義元の城でもある。まぁ、その後の家康が大人物すぎて目立たないんですが。
- 駿府今川館のことか。甲斐の虎に攻められて(これにより今川氏はほぼ実質的に滅亡)焼き尽くされた。
- 堀、土塁はあるが建物はない結構広い公園。現在も発掘整備しているみたいだけれど。
- 県庁にも土塁に囲まれている部分がある。
- あのあたりの石垣は復元か、場合によったら現代になってそれっぽく作っただけかも。
掛川城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:掛川市
- 掛川城に山内一豊がいたことがあったので、功名が辻が大河ドラマになったことでかなりアピールしている。
- そのせいで観光に来るオバサン共が、道を封鎖してて邪魔。
- 本当は、愛知出身だけどね
- で、最終的には高知だけどね
- 大河ドラマ「風林火山」の方でもアピールしていた。
- 掛川城は市民の募金で再建されたが、木造の再建(中身も昔の作りを踏襲)という点が珍しく、それがきっかけで全国に城再建ブームが巻き起こった。ちなみに照明は東海道線の終電に合わせて消える。
- 実は高知城天守閣のまるまるコピーである。(掛川城の資料が全然残ってなかったため)
- 高知城に行ったらあまりにそっくりで驚いた。
- 元をたどれば高知城がもともとの掛川城をコピーしたものである。
- 山内一豊が、高知城の天守を作る際「全て掛川城のとおりに」と指示したせい。
- 元をたどれば高知城がもともとの掛川城をコピーしたものである。
- 高知城に行ったらあまりにそっくりで驚いた。
- 木造で当時の技術に忠実に再現したため、階段が物凄く急勾配。城の階段は急なものだが、それ中でも急な方だと思う。
- 実は高知城天守閣のまるまるコピーである。(掛川城の資料が全然残ってなかったため)
- 何気に日本100名城に入っている。
- 浜松城が入って無くて何で掛川城が入っているか疑問だったが、木造再建や重要文化財の御殿、道を駅から景観整備して散歩してて気持ちいい環境を整備したことが入選に繋がったのだろう。
- 逆に浜松城は徳川家康のお陰で知名度は高いが、石垣がショボイし見所があまりない。中の展示も、昔は徳川重臣らの鎧が一杯あって(複製だったかもしれないが)壮観だったけど、今は微妙なパネル解説が大半だし。
- まあ100名城の選定基準なんて、無茶苦茶にも程があるっていうくらい無茶苦茶だし良いんじゃない?
- 浜松城が入って無くて何で掛川城が入っているか疑問だったが、木造再建や重要文化財の御殿、道を駅から景観整備して散歩してて気持ちいい環境を整備したことが入選に繋がったのだろう。
- 小山の上に建ち、新幹線からでもよく見える。
- 関ヶ原の合戦の時に山内一豊が他人のアイデアを盗用し、徳川家康に提供した城。
- ここ数年、将棋の王将戦七番勝負がここで開催されている。
- 実際に対局が行われる建物は21世紀になって建てられたものだが。
- 近くに二宮尊徳の活動を受け継いだ大日本報徳社の本部がある。
- 講堂は重要文化財。城観光のついでにどうぞ。
- 天守閣ばっかりに目が行きがちだが、御殿の方が歴史的価値は高い。
- 天守閣:復元。御殿:現存。そりゃそうだろと。
- 他にも櫓が一つあるがこれも確かそんな感じで、歴史的価値は天守より上。
- 御殿と天守で共通入場券になっている。
- 因みに天守閣から先に行くと、親切なおばさんがわざわざ御殿までの行き方と見どころを教えてくれる。
高天神城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:掛川市
- 難攻不落だった山城。
- 偉大な父親・武田信玄も落とせなかった城だが、武田勝頼が徳川方から攻め落とした。
- それで勝頼は調子に乗って信玄以来の重臣の言うことを聞かなくなったとかいう解釈もありますが。
- その後、長篠合戦などを経て武田氏滅亡1年ほど前にまた徳川方に攻め落とされる。
- その後、防衛拠点としての機能はなくしたので建物の類いは残ってない。神社くらい。
- 山城で結構登るけど、木が生えているので展望は良くない。
- 現代道路事情的には幹線道路に面してたりはしないが、道中に結構高天神城への道しるべはある。親切。
横須賀城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:掛川市
- 掛川市だと掛川城の城下街のイメージが強すぎるが、一応この横須賀も江戸時代は城下街だったんだぜ。
- 建物こそなけれど、石垣など、結構残ってる。説明番や立体模型もあって展示説明は充実している方だと思う。
- 元は武田氏の所有だった高天神城を攻めるために建てられた城。
- 昔々は海に繋がる湊があって、街道にも面していた。交通の要衝にあった城らしい。
二俣城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:浜松市/天竜区
- 天竜川に面した平山城。天守台などに石垣が残る。
- 武田・徳川の長年の抗争の舞台。
- そこそこの堅城で徳川方が頑強に籠城戦をしていたようだが、天竜川から取水している櫓を武田側が上流から筏を流すことにより破戒、開城に至る。
- 徳川家康の長男・信康が切腹したのがここ。母・築山殿とともに武田方に内通していると織田信長に疑われたのが原因。信長から信の字をもらうくらいだったのにね。
- 外交方針で対立し家康自らが処断したという異説もあるらしい。
- 徳川家康影武者説に立つなら家康の本来の正体を知っていたので消された…という見解も成り立つとか。
鳥羽山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:浜松市/天竜区
- 二俣城と対になっている平山城。
- 郭とか、盛り土などが残る。盛り土と門の関係なんかが分かって良い。
- 郭によってはあんまり整備されてない木の茂った暗がりですが。
- ローラー滑り台があり、そこそこ長い。
浜松城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:浜松市/中区
- 小山の上に天守閣が建つ。新幹線からは、、、見えてなかったと思う。
- すぐ近くのホテルコンコルド浜松の方が立派で微妙に萎える。
- 石垣が古様なのだろうが、全体的にしょぼい。
- あれは野面積みというやつで、むしろそれが良いのであるが、それが分からん人は多そう。
- 浜松市役所辺りが三の丸だったらしい。
- 新幹線からは見えないが、駅からは徒歩15分くらい。意外と近いのだが、なぜか地元民はバスで行けと勧めてくる。
- ヒント:地下道
- 鉄なら2駅だけ遠鉄に乗車するというのもあり。
- 江戸時代、この藩から老中などに出世した大名が多かったことから出世城とも呼ばれる。
- 三方原の合戦の時に武田信玄に追い立てられた徳川家康がミソを漏らしながら逃げ込んだ城。
- 城の展示は昔のほうが良かった。
- 昔は薄暗かったが家康や徳川四天王ら家臣の甲冑をズラリと展示(レプリカかもしれないが)。今はありきたりなパネル解説が大半。
- 百名城認定からは漏れている。でもぶっちゃけ山中城とかよりも史料館としての機能や石垣の保存具合など格段に優れている気がする。
- 最近復元作業を本格化させると決まったらしい。とりあえず櫓門を一つ復元完了。
- 天守閣の寸法が石垣と合ってない気がする。天守閣の方が明らかに小さい。設計ミス?
愛知[編集 | ソースを編集]
長篠城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:新城市
- 豊川と宇連川の合流地点に立地する、長篠合戦の舞台となった城。
- この川に面する南西側・南東側は結構 崖。
- 百名城にも選ばれている。きっと長篠合戦の舞台になったから。長篠合戦の少し後に廃城になったこともあり建物も残ってないし、城の遺構としてはそんなに特筆するものはない。
- 郭とそれを隔てる土塁が少しと堀の跡がある。
- JR飯田線を挟んで南側も城の範囲。駐車場から下って線路を越えると行けるけど、行く人あんまりいなさそう。
- 小さいながらも資料館あり。
- なんと言っても鳥居強右衛門が英雄。
- 長篠合戦の時に、徳川方で城に籠もっていて、落城間近というときに徳川・織田に援軍要請のため城を抜けて武田の包囲網をかいくぐり、岡崎からの帰りに武田につかまって「援軍は来ない と城に伝えれば助けてやる」と言われたのに、殺されるのがわかって「もう援軍は来る!」と城に叫んで磔にされた。通称 はりつけ強右衛門。
- 彼の磔の碑は城とは川を挟んで反対側。行こうとすると結構面倒。
- 彼が城を抜けた時点で、本丸の隣の弾正郭と瓢(ふくべ)郭は落ちていた。少数で籠城していたのによく強右衛門が戻ってくるまで落城しなかったもんだ。長篠合戦の織田徳川方勝利の立役者はこの城の籠城兵だろうな。
- 城の向かいの食事処の前に「心」と書かれた石がある。長篠合戦の将兵の慰霊と、世界平和を願ったものだが、名義人が「宗家 織田信成」。信成君、スケートだけじゃなくてこんなところでも活躍してたんだ。
吉田城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:豊橋市
- 豊川沿いに建つ。櫓があって、堀、石垣土塁がちょこちょこあるけれど、基本的には公園。
- 豊橋公園は(日中に限れば)駐車料金は無料。意外と穴場。そして公園なのでそこそこ人は見かける。
- だが駐車場から城は見つけにくい。
- 豊橋公園は(日中に限れば)駐車料金は無料。意外と穴場。そして公園なのでそこそこ人は見かける。
- 東海道筋のそこそこな規模のお城だけれど、さりとて誰が城主とかあんまり有名じゃないなぁ。
- 新幹線停車駅には城下街が多いけれど、豊橋は認識されているのか否か。
- 100名城以外の城を、結構見回っているけど、豊橋へ行くまで存在自体知らなかった。
- 一方で、三河吉田というのが何処に在るのかを探す自分が居たことは言うまでもない。
- 水戸黄門で吉田が舞台になったときに「現在は豊橋と呼ばれている」とナレーションが付いてたような。
- 城主が誰かを知らない人は多いが、江戸時代にはここの城主になることは老中への登竜門だったらしい。逆に言うと、それだけコロコロ変わるからそんなことになるとも言える。
- 強いてあげれば、池田輝政が、一番有名どころか?もっとも、徳川の江戸移封から関ヶ原までの10年かそこらだけども。
- 新幹線停車駅には城下街が多いけれど、豊橋は認識されているのか否か。
- 櫓だけしかないが、何年か前に新しく別の櫓が復元されたらしい。
- しかもそれは、鉄筋コンクリート製でもなければ、木造でもないという変わったもので。
- 鉄筋コンクリート製ではないが金属製の城というのは異質かも知れんね。
- 新しい方は、城内立ち入りどころか、半径30cm以内まで近づくこともできない。
- しかもそれは、鉄筋コンクリート製でもなければ、木造でもないという変わったもので。
- あくまで、市内観光のついでに行くべきもの。期待していかん方がええ。これだけ見て帰るってのはオススメしない。
- ぶっちゃけ、横の豊橋市公会堂と市役所の方が見もの。
- ぶっちゃけ、豊橋ハリストス正教会の方が味がある。
- まあ、どれもチャチイんだけどもね…… 大人しく、ヤマサ蒲鉾だけ買って、豊川稲荷か蒲郡でも行くほうが良いかもしれん。
- 豊橋で観光しようと思ったら、動植物公園に行ったほうがいいと思う・・・。
- 歴史を感じたいなら動植物園と同じく隣駅・二川の東海道二川宿がおすすめ。こっちの吉田城の城下町も東海道 吉田宿だったけれど、さすがに市街地になりすぎているので。
- 鉄道ファンには井原の日本一急なカーブがおすすめ。
- 再建模擬櫓下の遊歩道は聖飢魔IIのジェイル大橋代官お勧めの癒やしスポット。
- 存在感の薄い城ではあるが豊橋市のマンホールの図案には採用されている。
- 地味に朝ドラへの出演歴もある。
田原城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:田原市
- 三河田原駅から10分ちょい歩いた所にある城。
- 分類的には平城だが、少しだけ登る。
- 田原藩1万2千石の割には立派。
- この程度の石高で城持大名なのは珍しい。まあ、そういう無駄なことをしてるから、渡辺崋山が藩政改革をしなければいけないほど財政難になるのだが。
- しかし、昭和期の再建なので全体的にやや装飾過剰。あとやはり広くはないので、博物館以外に時間が潰せるような見所は殆ど無い。
- 何はなくとも渡辺崋山。
- 二の丸にある田原市博物館は、大抵華山及びその関係人物、或いは弟子筋の画家の展示をしている。
- すぐネタ切れになりそうに思えるが、華山の画系は「崋椿系」と言葉があるほど多いため、割と平気だったりする。もっと評価されていい画家が沢山いるので紹介頑張ってほしいなあ。
- 二の丸にある田原市博物館は、大抵華山及びその関係人物、或いは弟子筋の画家の展示をしている。
- 本丸が神社で、二の丸に博物館、さらには崋山神社。あとは学校だった建物を利用した郷土資料館も(博物館は有料だがこちらは無料)。それっぽい建物は門くらいか。
- 石垣は結構あるんだが、明治なのか大正なのか昭和なのかよくわからん再建部分も多いとか。
岡崎城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:岡崎市
- 徳川家康の初期の居城。
- とはいえ思い入れは殆ど無かったようで、もっと豊かな国が手に入るとあっさりとそっちに移っている。
- 思い入れのない城に、長男の信康を配置するとは思えないのだが・・・その辺実際どうなんだろ。
- とはいえ思い入れは殆ど無かったようで、もっと豊かな国が手に入るとあっさりとそっちに移っている。
- おもてなし隊みたいなのもいる。
- 名古屋城にもいる。愛知の城では定番なのか?
- 名古屋城であたったので、岡崎でも真似たんだろう。
- 名古屋城にもいる。愛知の城では定番なのか?
- 城下町、というか、旧東海道の宿場町の町筋もちょっと整備されている。
- JRの岡崎駅から近いとおもったら、名鉄の東岡崎駅の方が近いとは・・・。
案内悪い。すっかりだまされた。- というより岡崎市の中心部に近いのは名鉄東岡崎駅の方。
- 東岡崎よりも最寄りは岡崎公園前(≒中岡崎)だよね。
- 3~4km位あったような記憶がある。
- 往時は石高が五万石だったがすぐ下まで船が入っていた。
- その模様はマンホールの絵柄にも採用されている。
- 天守閣近くの石碑には現在では偽物であることが確実視されている「東照公遺訓」が本物として堂々と刻まれている。
- からくり時計の家康公まで「人の一生は…」を唄うのは正直どうかと思う。
- 城のすぐ北側を東海道が通る。
- そして東海道を渡ると、城と比べても高い段丘面が現れるという攻め落とされやすい地形。
- 一部のポケモンGOファンには聖地扱いされているとか。
- 確かにジムやスポットが多い印象はあるがそう特別な感じはしない。
- 2022年秋時点では翌年の大河に備えあちこち改修中だった。
- 天守閣も三河武士のやかた家康館も休館状態。
- もっとも後者は何の前触れもなく休みになることが少なくないらしい。
- 天守閣も三河武士のやかた家康館も休館状態。
犬山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:犬山市
- 個人の国宝の城
- …だった。今は犬山市の所有。
- ではなくて、第12代城主を理事長とする財団の所有となっている。
- 名古屋藩家老の子孫、成瀬さんがお持ちだった。
- 一時期ひと悶着あっ(控えーい!!)
- 最近、国の保有になったんじゃなかったっけか?
- …だった。今は犬山市の所有。
- 現存天守では日本最古らしい。でも、城にあった説明書きには「国宝の四城では最古」程度にしか書かれていない。謙虚だなぁ。
- 裏では世界遺産に登録してもらいたくて汲々としている。だから(すでに世界遺産の)姫路城より古いことが重要。
- 姫路城の拡大登録なら何とかなるような気がする。
- 福井県の丸岡城とどっちが現存日本最古だか、最近入れ替わったとこだから?
- 裏では世界遺産に登録してもらいたくて汲々としている。だから(すでに世界遺産の)姫路城より古いことが重要。
- 愛知県民が誇るべき城は、コンクリート製の名古屋城よりもこの全国12しかない現存天守を持つ犬山城の方がいい気がする。景観も良いし。
- 犬山城の天守閣には歴代の城主たちの肖像や写真があり入場券には犬山城のほかに犬山市の博物館とかにもセットでいけるようになってる。
- 木曽川沿いに建ち、天守からは木曽川の風景が良い。
- 景色がいいのは当たり前のように見えるが、周囲にある高層ビルのせいで景観が悪いのは結構ザラなので。
- すぐ横の名鉄犬山ホテルには、国宝の茶室・如庵があるが、林に遮られて全く見えない、残念。
- 天候に恵まれると御嶽山も見える。
- JR高山本線乗車中に、見える場所がある。
- 元日に行くと天守閣より下の神社のほうがずっと混んでいる。
名古屋城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:名古屋市/中区
- 尾張名古屋は城でもつ。
- 本丸・二の丸・三の丸がそのまま地名になっている。
- 天守閣の真下にある剣掘にはその昔、名前の通り刃が突き立てられていたという説明を見て興味深く覗いて見ると、マンホールの蓋が2~3見えてちょっとがっかりする。
- 名古屋で最もデフォなコンサート会場の1つである、愛知県体育館がある。
- あそこは空襲まで名古屋東照宮があった。
- 大相撲名古屋場所(7月場所)の開催地。
- 好角家のポール・マッカートニーは名古屋を訪問した際に「ここが名古屋場所の会場か」としっかり気付いたとか。(ZIP-FMの某番組より、おそらく2018年)
- 前の広場に、酔っぱらって裸で踊っちゃってるような男性の像がある。
- 空襲で焼失した本丸御殿の復元が始まったが、自称オンブズマンがぎゃあぎゃあわめき散らしている。
- 大戦で炎上させた米軍は「誤爆だった」といっているが、その補償に一銭も出していない。アメリカクオリティ。
- 軍が入っていたので攻撃は致し方のない面もあるが…、
- それよりも、一般市民の住居を丸焼けにしたことの方が道義的に問題と思う。
- 寄付金も集まっているので賛成派が多いと思われる。
- 観光資源としては弱い、むしろ教育・文化的価値の方があるだろう。
- 自称オンブズマンはぎゃあぎゃあわめき散らかせておけばいいのである。どうせどこぞ他から転入してきたエセ市民が主力であろう。
- 2013年5月末から部分的に公開開始。
- 復元障壁画は現代の模写にしては頑張っていると思うが、ただでさえ模写に劣化は付き物であるのに、そもそも現代では当時ほど良質の紙や絵の具が手に入らないし、日常的に筆を使わず昔ほどの厳しい絵筆の修練を積まなくなった今の日本画家では、昔ほどの生きた線を引けないので、どうしても見劣りしてしまうのはしょうがない。
- 天守閣炎上の原因になった焼夷弾は金鯱を下ろすための足場に引っかかって発火した。
- 大戦で炎上させた米軍は「誤爆だった」といっているが、その補償に一銭も出していない。アメリカクオリティ。
- 河村市長はコンクリートの天守閣もなんとかしたいらしい。
- あんな天守でも市民の寄付で建てられたことを考えれば、建て替えは容易ではあるまい。
- 木造となると防火対策もどえらいことになりそうだ。
- それより木造であんな巨大な天守を作る(そして100年以上もたせる)技術を持った棟梁が、今の世にいるのか?
- いる。 というか技術継承的にもおそらく今が最後のチャンス。
- 気持ちは分からんでもない。当時はエレベータ付き天守閣で違和感は無かったのかもしれないが。
- でもバリアフリーにしないと、このご時世障碍者団体が大ブーイングである。案の定もめている。
- 天守閣内の展示スペースが広いのは良いことだと思う。他の城だと空間がないせいで、説明が不十分だったりありきたりになったりするし。
- 模造天守であることがしばしばバカにされる。
- エレベーターは名古屋市民に散々ネタにされている。
- 金のシャチホコで有名
- 初代は焼失するまで金網で覆われていた。
- 鳩フン防止が建前で、金の質を落としすぎて輝かなくなったのをごまかすためだったらしい。
- 90年代には名古屋港で遊覧船になっていた。
- 明治初期には万博での展示のためウィーンに出張したこともある。
- 復元された2代目が屋根の上に乗った直後に伊勢湾台風が直撃し完成記念式典が中止された。
- 一部では「鯱が水を呼んだ結果ではないか」とも噂されたとか。
- 初代は焼失するまで金網で覆われていた。
- しらさぎは名古屋行きだが、白鷺城は名古屋城ではない。
- そう言えば、那古野城の上というか、改築に当たるんだっけか。
- 那古野城は今の二の丸にあって、信長の清須移転で1回廃城になっているので、更地化→新築だね。
- 現在の愛知県庁本庁舎(重要文化財)の最上部にもこの城の天守閣とそっくりの屋根が載っている。
- ここを見に行くくらいなら犬山城をお勧めしたい名古屋市民は多い。
- ホントか?
- 一応江戸時代の櫓や門も一部は残っている。
清洲城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:清須市
- 織田信長の若い頃の拠点。
- 戦国ファンにはだいぶ有名。
- 清洲越で、全て名古屋にもってかれた。
- 良く言うと歴史初心者向け、悪く言うとにわか向けの城。
- 敷地が東海道線で分断されているから仕方がないとはいえ、場所をずらして復元。
- 更に当時の設計図が全く残ってないとはいえ、現代目線で再建しすぎ。
- 安土城を手本に派手に復元。いくら信長の城とはいえ、当時はこんな姿じゃないだろう・・・。
- 更に当時の設計図が全く残ってないとはいえ、現代目線で再建しすぎ。
- 中の解説もわかりやすいが、細かい所まで手が届いていない。
- 敷地が東海道線で分断されているから仕方がないとはいえ、場所をずらして復元。
小牧山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:小牧市
- 織田信長が美濃攻めのために築いた山城。
- 小牧・長久手の戦いの際には家康がここに籠城した。
- 小牧空港への着陸(北から)は、この城を見下ろしながら。
- 空港やあいち航空ミュージアムの見学後にここを訪問するのもあり。
- すぐ近くに小牧市役所がある。
三重[編集 | ソースを編集]
桑名城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:桑名市
- 揖斐川河口近くに立地する平城。堀も広い。
- 本丸跡は神社になっている。が、軽トラが停まってたり柿安の本社が見えていたり、なんか冷遇されている。
- 本多忠勝さんの銅像がある。
- 東海道は江戸方面に行くとき、この城の脇から海を渡っていった。七里の渡し。
- 櫓が1つ復元されているが1階は近くの水門のコントロール施設になっている。
亀山城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:亀山市
- 建物は櫓だけ。
- 三重県で唯一移築無しに現存する江戸時代の城郭建築。
- 部分部分 石垣が崩れていたり、ちょっと残念。しかも昭和に造った部分だったり。
- かつて地震発生の折、江戸期の構造物は無傷と言っても良かったのに、昭和に作ったモノはすぐ壊れたとか言う城がここだっけ。
- 旧東海道がそばを通る。
- 正直、城よりも旧街道の方が力を入れて整備されている。
津城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:津市
- 堀の大きい平城。
- 築城名人・藤堂高虎が建てた。銅像がある。
- 藤堂氏の家紋にちなんで、ゆるキャラはシロモチくん。
- 「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」が、「城で持つ」のは残念ながら津城ではない。
- 日本庭園の門は安濃津藩の藩校で使われたものを別の場所から移築してある。
- 津観光においては津観音や専修寺と並ぶ貴重な見どころの一つだがそこまで時間が潰せるわけではない。
- せめて復元された櫓に入れたら…。
松阪城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:松阪市
- 小山の上にある平山城。
- 建物等はないけれど、石垣は残る。
- 本居信長の住居 (鈴屋) が近くにあるが、もちろん移設されたもの。
- ちなみに元々あった場所は現在空き地。なぜ移設したかは謎。
伊賀上野城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:伊賀市
- 天守の天井に大量の色紙が貼られているのが印象的。
- 大正から昭和初めにかけて活躍した画家や書家などの作品が並ぶ。出来にバラつきがあるがなかなか壮観。
- この手の城では珍しく木造天守。
- 伊賀鉄道の駅名に名がいろいろと残る。
- 敷地内には他にも観光移設が揃っている。
- 芭蕉翁記念館は、正直地味すぎ。俳聖殿はまあ散歩がてら観るならいいけど。
- 忍者博物館は値段がやや高いだけあって結構本格的。
- 忍者伝承館は、神代文字をまともに捉えてるのはどうかと思うが、全体的な解説はしっかりしている。
- 城のあちらこちらに忍者の人形が潜んでいる。
- 堀の石垣は結構立派。
- 本丸の石垣も立派 …なんだが、裏手には土が盛られているところがあって簡単に上れそうになってる。
- ちなみに三重にはもう一つ上野城がある(伊勢上野城)。ただし、こちらは現在神社になっている。
神戸城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:鈴鹿市
- 町中に公園になって残っている平城。その名の通り神戸氏が居て、北勢地方に勢力を持っていた。
- 神戸氏は織田信長に攻められて、信長の息子の信孝を養子に入れることで和睦(実質降伏)。
- 公園は(失礼ながらこの程度の城にしては)そこそこの範囲ではあるが、本丸がちょっと高くなっていてその中に天守台があるくらいしか残ってない。
- そばには高校あり。城跡のセオリー。
- 読み方は「かんべ」です。念のため。
鳥羽城[編集 | ソースを編集]
- 所在地:鳥羽市
- かつては海に面していた海城。平山城。
- 現在では海は少し遠のいたが、城に登れば海や島が見えるし、アシカかオットセイの鳴き声も聞こえる。 …向かいの鳥羽水族館から。
- 城主は水軍で有名な九鬼氏だった。
- 関ヶ原の合戦時には九鬼嘉隆は西軍についてこの城に、その子・守隆は東軍について父子相争うハメに。
- …その実は父子別れて東西どちらが勝っても家が持つように、という企みだったので、鉄砲が空砲だったりしたらしい。
- 西軍敗戦後、父・嘉隆は城から抜けて答志島に逃げた。息子は徳川に助命嘆願し、受け入れられたんだがその知らせがつく前に父は切腹。もうちょっと待てれば、、という茶番劇から一転して悲劇の舞台の城。
- 余談。守隆の跡は家督争いが起こり、その息子達は2つの家に別れて摂津三田・丹波綾部という山奥へ移封することに。水軍の猛者達の末裔は水軍の城から引き離されてしまった。
- 関ヶ原の合戦時には九鬼嘉隆は西軍についてこの城に、その子・守隆は東軍について父子相争うハメに。
- 石垣は結構立派。北東側(近鉄側)には7段くらいの石垣が。
- 二の丸には水軍の城らしく、帆船の形をした遊具がある。
- 本丸には何もない。正直、本丸より二の丸の方が、整備されている感がある。
- 城跡らしく、横に市役所がある。
- 海に近い高台になので、災害時の避難所となっている。高台だし市役所真横だし、避難所としては好立地。
- 城の横を流れる川がかつては志摩と伊勢との国境だったらしい。
- 城のあった時代と、国境の時代は知らないけれど、城の範囲はひょっとすると国境をまたいでいたのかも。